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<title>Ecofe　</title>
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<description>--生物多様性と女性--</description>
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<title>引っ越しました</title>
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<![CDATA[ <p><a href="http://ecofe.cocolog-nifty.com/blog/">http://ecofe.cocolog-nifty.com/blog/</a></p><p><br><br><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/ecofe/entry-10316306081.html</link>
<pubDate>Sat, 08 Aug 2009 00:15:26 +0900</pubDate>
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<title>エコフェミニズム（第11章後半）</title>
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<![CDATA[ <p><font size="2">「エコフェミニズム」後半です</font></p><p><font size="2">強調されるのは、「つながり、関係」という概念の重要性だ。生物多様性とは様々なレベルで自然が関係し、つながりあっていることそのものを示しており、断片的には保全できない。しかし、現代農業は多様性や自然のサイクルを無視する作物の単一栽培を進め、世界的に主流の生物多様性に対する考え方も、単に種の数を数え上げているにすぎないと批判される。<br>女性はそうした生物多様性の守り手で、素晴らしい方法を持っているのに、これは非科学で「自然に属するもの」として無視されてきたという。また、経済商品的価値のみを価値とするために、生産と消費のつながった暮らし方が切り離される。女性による生きるための労働は非労働とされ、女性は産業的農業の未熟練労働者として組み込まれていくというのである。<br>　また、企業により開発され特許権の設定された「次世代を生まない種子」は、農民に種子の購入を強いて貧困を増すばかりでなく、生命の本質である「連続性」に対する否定であるという。</font></p><p><font size="3">-----------------------------------------<br></font><font size="3" style="color: rgb(128, 0, 128); font-weight: bold;">エコフェミニズム</font></p><p style="color: rgb(128, 0, 128);"><font size="3">ヴァンダナ・シヴァ、マリア・ミース</font></p><p style="color: rgb(128, 0, 128);"><font size="3">(Zed Books　1993 邦訳なし）</font></p><p><font size="3">-----------------------------------------<br></font><font size="3"><span style="color: rgb(128, 0, 128);">11章：女性の培ってきた知識と生物多様性の保全（後半）</span><br>-----------------------------------------<br><strong><font color="#800080"><em>女性：生物多様性を護るものとして<br></em></font></strong>女性は多くの文化において生物多様性を護る者の役割を果たしてきており、ことに農業の分野で生物多様性を生み出し、再生産し消費しそして護ってきた。しかし、こうした女性の専門的科学的な営為は、労働でもなければ、知識でもないと貶められてきた。いわゆる「自然(タダ)」の範疇であると片付けられてきたのだ。そして、現在世界的に「生物多様性」と言われている考えと、こうした女性による生物多様性の保全とは全く異質なものなのである。</font></p><font size="3"><p><br>近年、世界的に生物多様性への関心が高まっている。そもそも大規模な単一栽培農業そのものが生物多様性を損なった原因なのに、農業環境の一つ一つの要素を互いにつながりのないものとして捉え、単一栽培を進めるシステムがあいかわらず生物多様性保全の基本的枠組みとされている。こうした「生物多様性の保全」とは植物や動物の種（しゅ）の数を数えるにすぎないものになっている。</p><p><br>　これに対し、伝統的なインドの方法における生物多様性とは、各々の要素が互いに関連しており、生態系や文化のなかに組み込まれているものだ。例えば伝統的な祝祭などの場は生命の新生を祝福すると同時に、種子選別や繁殖のテストの場ともなっているというように、文化をとおして多様性は再生され保全されてきた。しかし、現代科学はこうした営為を科学的とは考えない。というのは、研究室の白衣の学者の手によるものだけが科学で、人々のトータルな世界観や生活スタイルを統合し、農村の女性の手により生み出されたものは、科学的でないとするからだ。しかし農業における豊かな生物多様性は実際そうした方法により保全されてきた。だからこそ、それはシステムとして信頼ができるのだ。</p><p><br>　女性により種子が護られてきた過程では、必ず多様性が守られ、バランスと調和が重視されてきた。Navadanya（9つの種子を指す）は、植物の世界だけでなく、地球や人間社会の多様性の更新と調和のシンボルである。この複雑に織りなされた関係は、インドの文化のなかで生物多様性に意味を与え、数千年にわたって保全の基盤となってきた。</p><br><p><font size="3"><font color="#800080"><strong><em>「神聖さ」：保全のカテゴリー<br></em></strong></font>神聖さという概念は生物多様性を守る上で大きな意味を持っている。神聖さは多様性に本来備わっている価値であり、部分の全体に対する関係や、統一性を生み守る関係を意味する。この神聖さを冒とくするような種子が、生態系のサイクルやつながりを破壊し、農業環境システムや持続的可能な生産を支える関係をバラバラにしている。</font></p><font size="3"><p><br>１：植物は本来地球の公転による気候の変化に従って育つ。ところが、HYVs（高収量品種）は季節変化や宇宙のサイクルとの関連を壊す。HYVsは地球や気候による制限から逃れるために、多毛作や光不活性などの技術を用いた品種である。そして、こうした四季のサイクルからの「自由」は巨大ダムや集約的灌漑への依存なくしては成立しないのだ。</p><p><br>２：品種の多様性と栄養バランスは関連している。HYVｓの単一栽培は栄養不足やアンバランスをうむ。商品になる米の生産のために食用や油用の豆類が、犠牲になることになる。</p><p><br>３：土壌を肥沃に保つためには多様な種類を育てる必要がある。化学肥料を使う単一栽培は土壌を肥沃にする基盤を壊す。稲ワラは有機物となって土壌に戻るが、矮性種は稲ワラを生み出さないし、化学物質により土壌中の動植物が痛手をうける。</p><p><br>４：生物多様性は、生産者がそのまま消費者であるような自給自足的な農業を持続させるうえで重要である。HYVsの単一栽培により、農民は種子を購入する消費者となり、そのため地方では、生産コストがあがり、経済的独立性が失われ、結果として食糧に関する権利が失われるのである。</p><p><br>５：結局、種子の購入という事態を通して、女性は意思決定過程や種子の管理から退けられ、単に未熟練な労働者になってしまうのである。<br>生物多様性を守り生み出す農村女性の毎日をつぶさに見て得られる洞察は重要である。</p><p><br>第一には、生物多様性が関係の概念であるということだ。即ちつながった流れのなかにあり、切れ切れになったものではない。生物多様性の保全とはバランスと調和のある関係を保全することである。生物多様性が、断片的に保全されることはありえない。そのようなものでは現存する生態系や文化の生命力の基盤としては役に立たないのだ。</p><p><br>第二に、関係を保全するということは神聖と不可侵という考え方を含むことになる。こうした概念は、種子を単に利益を生む商品とする考えとは全く異なった世界観だ。</p><p><br>第三に、多くの場合持続可能な農業は自給自足的な性格を持っており、生産と消費の輪は閉じている。これに対し主流の経済学は、生産者と消費者が異なる場合だけを生産と考える。商品の生産だけが生産で、自給は生産労働ではないのだ。これは現実的な女性の重労働を「労働とはみなさない」という観点であり、残念ながら、主流な生物多様性保全戦略を成す考えでもある。</p><p><br>このように、生物資源は、社会的、倫理的、文化的な価値をもっているが、政策決定者の注目を引くためには経済的価値が強調される事が多い。</p><p><br>生物資源の経済的価値は次の３つだとされている<br>・消費的価値：市場を経ずに直接に消費される商品の価値。（例：焚き木、飼い葉、猟獣肉）<br>・生産的価値：商業的に開発する商品としての価値<br>・非消費的使用価値：生態系の機能で、間接的な価値。（水源涵養、光合成、気候安定化、土壌の生産）</p><br><p><font size="3">次のように、先に結果を決めてしまったような分析がなされている。</font></p><p><font size="3">第三世界の貧しい人々が、食糧を直接自然から得ている場合これは単に「消費」であり、貿易や商取引だけが「生産」である。ならば、消費するだけの第三世界が生物資源という財産の破壊に責任があり、生産能力のある北側にだけこれを保全することができるというのだ。このように消費、生産、保全の間に意図的な区分が設けられ、生物多様性破壊の根底にある政治経済の問題は隠蔽されることになる。<br>特に、これは生物多様性を生み守ってきた女性を、単なる消費者に変貌させる。世界の主流な保全戦略は、女性たちによる文化価値や技術や知識や叡智に基盤をおいた保全の仕組みを蝕み、持続可能な生活や生産システムの基盤である生物物多様性を破壊する条件を作る。</font></p><font size="3"><p><br>現在の世界的な流れにおいて、生物多様性は、生態学的というよりは、単なる数値目標であらわされている。種の共生関係や複雑さは捨象され、生物多様性は、「生態系や種やある群れの遺伝子の数や頻度等、自然の多様性の程度」などと定義される。これに対し、実際に多様性を生きてきた文化や経済にとって、生物多様性は、バランスや持続可能性を保証する関係性の織り成すものなのである。より大きく見れば、これは地球と植物の間の、宇宙と農業の調和を包含している。</p><p><br>大地について言えば、持続可能な農業にとって多様性や相互の関係は必須のものである。ここで生物多様性とは、樹木や作物や家畜が共存し相互依存していることを意味しており、それが有機的な物質の流れとなって肥沃さというものの循環が維持されるのである。女性の仕事や知識はこうした目に見えない「すきま」に凝縮されている。また、様々な種類の作物を手掛けるというのは、様々な機能を駆使して生態学的なバランスを維持するということである。穀物と豆類を混作することで窒素循環による栄養バランスが取れる。また、様々な穀物の混作により害虫と捕食者のバランスが保たれ、化学工学や遺伝子工学に頼らず害虫をコントロールできる。また、水循環が維持され、土壌は湿潤に、肥沃さは保たれる。このような生物多様性による生態学的に豊かな営為によってインドの小農場は何千年も維持され、持続可能性と公正に基盤を置いて食糧や栄養が供給されてきた。</p><br><p><font size="3"><font color="#800080"><strong><em>バイオテクノロジーと生物多様性の破壊<br></em></strong></font>第三世界の女性と企業の男性の相違点は重要だ。女性は生物多様性によって生産し、企業の科学者は均一性によって生産するのである。</font></p><font size="3"><p><br>女性の農民は生物多様性を自然に本来備わった価値であると考える。ところが巨大農業資本にとって生物多様性はバイオテクノロジー産業への「原材料」となってはじめて価値を生む。女性農民にとって種子の本質とは生命の連続性だ。ところが多国籍企業にとって種子の価値は生命の非連続性にあるのだ。種子企業は、次世代を生まない改良種子により、農民を種子の守り手から消費者へ変えようとする。ハイブリッド種子とは、次世代が使えないようにされ「生物学的に特許のついた」種子である。ハイブリッド以外の場合も特許や「知的財産権」が農民に種子を使わせないよう守っている。種子の特許権とは企業が種子を彼らの「造ったもの」と扱うという意味で。特許権はその製品を他の人が「作る」ことを妨げる。つまり、特許の着いた種子は種子をとるのには使えないのだ。特許権を持つ企業に使用料を払わねばならない。</p><p><br>このように企業の科学者が生命を「造る」という主張は正当とはいえず、実際上、生命創造の流れを断ち切るものだ。また、企業が改良し私的な財産として占有する種子とは、もともと自然と第三世界の農民により造られてきたものなのだ。種子の特許権はこのように21世紀版の海賊行為（バイオパイラシー）である。この特許権によって、多国籍企業はGATTのような世界的機関の助けを借り、今まで共有されてきた財産や第三世界の農民女性による種子の管理を奪い、おとしめているのである。<br></p></font></font></font></font>
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<link>https://ameblo.jp/ecofe/entry-10315552260.html</link>
<pubDate>Thu, 06 Aug 2009 22:48:35 +0900</pubDate>
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<title>エコフェミニズム（第11章前半）</title>
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<![CDATA[ <p><font size="2">既に生物多様性条約第９回締約国会議での女性グループからの声明文をアップしましたが、今回はその考えの基礎ともなっていると思われるヴァンダナ・シヴァの「エコフェミニズム」から第11章の前半私訳です。<br><br>　冒頭で彼女は、家父長制とは多様性を否定する世界観であり、そのため男性とは「違う者」である女性が貶められるのだ、と看破する。<br>　　続いて、自然自体には価値が無く、西欧技術により手が加わって初めて価値が生まれるという考え方に対する批判が述べられるが、これも彼女の通奏低音のひとつである。<br>こうした、単一文化や均一性が生物多様性を喪失させているのであり、先進国主導のいわゆる「生物多様性の保全」にも矛盾があるとの指摘がされる。<br>「多様性の論理」によってのみ、生物多様性は守られるというのである。<br>後段では、第三世界の生活がいかに生物多様性に支えられ、持続可能に営まれてきたか、そして、女性の労働と知識がいかに重要な役割を持っていたかが詳述される。さらに経済的利益のみを追求する「開発」が、一元的な効率しか見ていないことが語られる。また、生物多様性の保全はそれによって暮らす人々の生活の保全でなければならない、というのも当然といえば当然過ぎる指摘だ。<br>また、女性の労働が多様で重層的であるために「見えない」ものとされてきたことが述べられるが、他の章でも、「自然」と「女性」は同じように「タダ（外部性）」とみなされ搾取されるところに共通性があるという指摘が繰り返されこの章の後半へ続く。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">---------------------------------------------</font></p><p style="color: rgb(128, 0, 128);"><font size="3"><span style="font-weight: bold;">エコフェミニズム</span><br>著者：ヴァンダナ・シヴァ、マリアミース</font></p><p style="color: rgb(128, 0, 128);"><font size="3">(Zed Books　1993 邦訳なし）</font></p><p><font size="3">---------------------------------------------</font></p><p style="color: rgb(128, 0, 128);"><font size="3">11章：女性の培ってきた知識と生物多様性の保全</font></p><p><font size="3">---------------------------------------------<br>ジェンダーと多様性は多くの点でつながっている。女性を「第二番目の性」とする考え方は「差異（多様性）」に対応が出来ないという問題に通じているのだ。「開発・発展」といった概念が自然界の多様性を喪失させているのも同じ問題である。</font></p><font size="3"><p><br>家父長的な世界観においては男性が全ての価値の物差しで、階級性はあっても、多様なものの見方の余地はない。女性は、「違って」いるために、対等でなく劣った者として扱われる。こうした世界観は、自然の持つ多様性を、自然に本来備わった価値とはみなさず、経済的利益を目的とした開発を通してはじめて自然の価値が生ずると考えているのだ。この経済的価値基準は、多様性というものを、問題点あるいは欠陥にまで貶める。多様性を壊し、単一文化を推し進めるというやり方が資本主義的家父長制には不可欠なのだ。</p><p><br>女性の疎外と生物多様性の喪失は同時に進む。単一文化、均一性、同質性を容赦なく推し進める家父長制的な進歩のモデルが多様性を喪失させているのだ。この歪んだ進歩の論理によって、「保全」も歪められる。農業の「発展」そのものが多様性を蝕み続けているのに、国際的な利益の追求はそれ自体が生物多様性喪失の原因を作り、一方では国際的利益のために第三世界に対して多様性を保全するよう迫っているのである。この「生産」と「消費」の分離、そして「均一性重視の生産」と「救いようの無い多様性の保全」は共に、生物多様性の保全に真っ向から反するものだ。生物多様性とは、多様性を生産の技術や経済の基礎・基盤とし、論理とすることによってしか保護できないのである。<br>「多様性の論理」は生物多様性と女性とのつながりから生まれたものだ。これにより、下から、即ち多様性の立場から全体構造を見極めることができ、単一文化とは非生産的で、これを生んだ知識は洗練されているどころか原始的であることがわかってくる。</p><p><br>多様性は、多くの意味で、女性の政治の基盤であり生態系の政治である。即ち、ジェンダーの政治とは大いに差異の政治なのである。環境保護の政治もまた、自然の多様さや差異に基づいており、均一で同質な工業生産とは逆のものなのだ。女性と生物多様性が、野原や森林で、乾燥地帯や湿地で出会うとき、これら２つの多様性は収斂する。</p><br><p><font size="3"><strong><font color="#800080" size="4"><em>多様性：女性の専門家としての力<br></em></font></strong>多様性は女性の仕事や知識の原則となってきた。そのことが、女性の仕事や知識は家父長制的文化のなかで排除されてきた理由でもある。しかし、多様性を破壊することなく尊重できるのは、オルタナティブな「生産性」と「技術」を生む基盤のみなのである。</font></p><p><font size="3"><br>第三世界の共同体の生計の手段や日々の暮らしは、多くの場合、生物資源に依存している。こうした社会では生物多様性は、同時に、生産の手段でもあり消費の対象でもある。彼らの持続可能な暮らしは、その全てが、多様性に支えられた生物資源の保全と持続可能な利用に究極的に結びついている。生物多様性に基盤を置いていた部族社会や農村社会の技術は、後進的で原始的とみなされたため、多様性と人々の生活を破壊する「進歩的な」技術に置き換えられてしまった。</font></p><font size="3"><p><br>　一般に多様性に基盤を置いた生産システムは生産性が低いと考えられているがそれは誤っている。均一で均質なシステムの生産性が高いというのは一元的な成果だけしか計算に入れていないからだ。そうした生産性の高さとは、中立で科学的な基準ではなく、一元的な成果を目的とし、経済的利益に偏ったものなのである。</p><p><br>　「作物の均一性」は、林業や農業や畜産業を多様で複合的に利用するシステムによって働き生きる人々の暮らしを脅かし、それだけでなく、そのシステムを支えている自然のシステムの多様性を侵害するものである。例えば、インドのケララ州ではココナツは、バナナ、タピオカ、パパイヤ、マンゴーそのほかの野菜など、重なり合った密度の高い作付け体系で栽培されている。パーム椰子単一栽培の場合、年間労働が157人・日/haであるのに対し、混合作付けの場合は960人・日/haとなる。デカン高原の乾燥地農業では、雑穀、マメなどの混合作付けからユーカリ単一栽培に変更すると、年間250人・日/haの仕事が失われる。</p><p><br>　労働力が不足していて、労働力コストの高い場合は、労働力を代替する技術は生産的で効果的かもしれないが、労働力が豊富な場合は労働力を代替することは生産的ではない。なぜなら土地が奪われ、貧困を生み、暮らしの崩壊につながるからである。そのため第三世界では、持続可能性は、自然資源の持続可能性と暮らしの持続可能性の両方で達成されねばならない。即ち、生物多様性の保全は、その多様性に拠って立つ暮らしの保全に結びついていなければならないのだ。</p><p><br>　女性の仕事や知識は生物多様性の保全と利用の核心にある。それは女性が「分野」の間で働いており、多様で複雑な役割を果たしているからだ。女性は、農民として貢献しているのに、かえりみられず、女性の労働は経済学的には「生産」としてはカウントされてこなかった。なぜなら女性の仕事はいわゆる「生産量域」の外に置かれたからである。このように排除が起こった理由は、働く女性の数が少なすぎるからではなく、女性が、極めて多様な種類の仕事を極めて大量にこなしているから起こったのである。</p><p><br>　家庭内外（農業はこの両方だ）での女性の労働を考察することについて、学者は無能である。女性の担う労働が膨大で多種多様であることは、何が労働で何が労働でないかという認識を、むしろ厄介な方向に進めた(exacerbated)。それは女性が家族や地域社会を維持するために働いているのに、賃金としては評価されないことにも関連している。女性の労働は、市場に関連し報酬を得られるものではないことが多く、さらに、いくつもの役割をこなしているため、「見えない」のである。</p><p><br>農村女性の生活時間配分を調査すると、女性の作業の多重性や、季節ごと、あるいは毎日の伝統的労働の動きが詳細にわかってくる。今進めている研究によれば、インドの女性は価値、量そして時間すべての面で主要な食糧生産の担い手である。<br>　栽培食物を生産するために、女性は技術と知識を必要とする。種子については、種子の準備、発芽、土壌の選択について。また、種子の目視による選別や、細かい手仕事、湿度や気象条件への鋭敏な対処。播種には、作物ごとの季節や気象条件、土壌の性質などの知識。栽培のためには、作物の病気、刈り込み、整支、水遣り、混植、捕食動物、育成時期、土壌管理が必要である。粘り強さ、忍耐、体力、なども必須である。収穫期には、天気や労働力や等級付けに関連した判断が要る。そして、保存法や繁殖の知識も必要なのである。</p><p><br>　女性の知識は伝統的に営まれてきた産業の主軸であった。インドの農村で女性が手がけてきた酪農法は、欧米から輸入されたインドの公的研究所の酪農科学とは異なる実践と論理によるものだ。女性は牛やバッファローだけでなく豚、鶏、あひる羊などの家畜の繁殖や飼育の専門家でもある。</p><p><br>　林業においても、バイオマスを飼料や肥料に利用する女性の知識は重要である。草木の飼料や燃料としての価値、食品や植物の種類などの知識は、農業と結びついた林業には必須のもので、女性が圧倒的に活躍している分野である。肥料などをあまり投入しない農業の場合、女性の作業によって、豊穣さが森や農場の樹木から田畑へと、直接にあるいは動物を通して移されるのである。</p><p><br>農業分野での女性の労働と知識は、分野の狭間にある「隙間」や、領域の間の目に見えない生態系の流れの内に存在している。資源の乏しい条件下ではこうしたつながりを通して生態系の安定性、持続可能性そして生産性が維持されるのだ。<br>また、女性の仕事と知識に陽が当たらないのは女性の貢献に対し盲目なジェンダーバイアスに起因している。それは物事を要素へと細分化し、森林や家畜や作物の相互の関連を見ない還元主義者による開発の方法論なのである。</p><p><br>「緑の革命（注）」の焦点は、矮化栽培や単一文化や多毛作のような技術で米や麦の収穫高を上げることだった。インドの女性農民にとって米は食物と言うだけでなく、家畜の餌であり屋根を葺くためのワラだった。高収量品種は女性の作業を増やす：即ち土着の品種や土着の作物改良戦略からの方向転換により、種子や遺伝子資源に対する女性の管理は奪い去られた。女性は有史以前からの種子の守り手であり、その知識と技術は全ての作物改良戦略の基礎をなしていたのである。　（後半につづく）　</p><p>　　　　　　　　　　　　　　<br>■訳者注：1940～60年代、高収量品種や化学肥料の投入でアジア等の穀物生産を上げたが、病虫害や塩類集積土壌劣化で逆に生産減となったり、種子肥料農薬等の借金で貧困を招く例を生んだ。</p></font></font>
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<link>https://ameblo.jp/ecofe/entry-10315541718.html</link>
<pubDate>Thu, 06 Aug 2009 22:40:50 +0900</pubDate>
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<title>女性と生物多様性に関する声明(COP9)　私訳</title>
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<![CDATA[ <p style="FONT-WEIGHT: bold; COLOR: rgb(128,0,128)"><font size="4">「女性と生物多様性」</font></p><p><font size="3"><font size="3">生物多様性条約第9回締約国会議(COP9)における女性コーカス（課題別部会）代表者からの声明文</font></font></p><p><a href="http://www.biodiv-network.de/upload/presse/englisch/Women_and_Biodiversity.pdf">http://www.biodiv-network.de/upload/presse/englisch/Women_and_Biodiversity.pdf</a></p><p><font size="3"><font size="3">――――――――――――――――――――</font></font></p><p><font size="3"><font size="3"><font size="3">私たちは世界の様々な国からの科学者、活動家、母、農民、生産者、消費者、教師である女性たちです。私たちは、私たち自身と世界中の声なき女性たちのために発言します。</font></font></font></p><p><font size="3"><font size="3"><font size="3"><br></font></font></font></p><p><font size="3"><font size="3"><font size="3"><font size="3">世界を席巻する非民主主義的な社会構造と開発モデルは、往々にして、私たち女性を、女性による意思決定の必要性、女性のパワー、創造性を尊重してきませんでした。</font></font></font></font></p><p><font size="3"><font size="3"><font size="3"><font size="3"><br></font></font></font></font></p><p><font size="3"><font size="3"><font size="3"><font size="3">女性の尊厳や生活、固有の文化、地域社会、そして人間性が脅かされているように、生物多様性も脅かされています。女性が行う仕事や世話は軽視され続けてきました。家父長制的なものの見方は、生物多様性を向上させ新たに産み出している女性の役割を侮り、評価しないという考えを根底においているのです。世界を支配しているこのモデルは、この惑星上に住む男女を私たち女性が誕生させたことを忘れているだけでなく、私たちが食糧主権と食糧の安全保障を保持し、平和のために活動し、種子を守り、伝統と記憶とビジョンを維持していることを忘れています。</font></font></font></font></p><p><font size="3"><font size="3"><font size="3"><font size="3"><br></font></font></font></font></p><p><font size="3"><font size="3"><font size="3"><font size="3">私たちには、自身のそして母や祖母から引き継がれた叡智があり、そのため、民営化や独占を通して私たちに悪影響をもたらしたり、人々を蓄財のみに走らせたりするモデルの押し付けに抵抗せざるを得ません。私たちは、地域の文化や、女性の特別な働きや女性が必要としているものに目を向けざるをえません。そのおかげで、失われずに残されてきたものがあるからです。</font></font></font></font></p><p><font size="3"><font size="3"><font size="3"><font size="3"><br></font></font></font></font></p><p><font size="3"><font size="3"><font size="3"><font size="3">したがって私たちは次のように宣言します</font></font></font></font></p><p><font size="3"><font size="3"><font size="3"><font size="3"><br></font></font></font></font></p><p><font size="3"><font size="3"><font size="3"><font size="3">*ナノテクノロジーや合成生物学の進展に見られるように、生命体を、化学物質に変えてしまうこと、即ち単なる天然資源や経済資源におとしめてしまうようなことに反対します。</font></font></font></font></p><p><font size="3"><font size="3"><font size="3"><font size="3"><br></font></font></font></font></p><p><font size="3"><font size="3"><font size="3"><font size="3">*生命に対する特許権の設定、生物資源に対する侵害利用（バイオパイラシー）や、文化に対する侵害に反対します。</font></font></font></font></p><p><font size="3"><font size="3"><font size="3"><font size="3"><br></font></font></font></font></p><p><font size="3"><font size="3"><font size="3"><font size="3">*遺伝子組み換え生物に反対します。なかでもGMO樹木には、実証をもって反対します。</font></font></font></font></p><p><font size="3"><font size="3"><font size="3"><font size="3"><br></font></font></font></font></p><p><font size="3"><font size="3"><font size="3"><font size="3">*いわゆる気候変動の解決策としての、工業的農産物燃料や核エネルギーに反対します。</font></font></font></font></p><p><font size="3"><font size="3"><font size="3"><font size="3"><br></font></font></font></font></p><p><font size="3"><font size="3"><font size="3"><font size="3">私たちは、私たち自身の種子を維持し分かち合う権利、そして他から手に入る種子を自由に利用できる権利を、全ての女性のために要求します。</font></font></font></font></p><p><font size="3"><font size="3"><font size="3"><font size="3"><br></font></font></font></font></p><p><font size="3"><font size="3"><font size="3"><font size="3">私たち女性は、あらゆるレベルの生物多様性政策における女性の完全参加と利益配分を望みます。また、環境に配慮した健全な生活を営む上で女性の管理の必要性を主張します。土地の権利は、特に地方に住む女性に与えられるべきであり、財産権は、あらゆる世代の女性に起きている貧困、飢餓を克服するために、すべての女性に対して与えられるべきです。</font></font></font></font></p><p><font size="3"><font size="3"><font size="3"><font size="3"><br></font></font></font></font></p><p><font size="3"><font size="3"><font size="3"><font size="3">こうした要求とともに、私たちは、例えばアジェンダ２１の第２４章と第２８章、女性差別撤廃条約、1995年北京行動綱領の特にＫ章　女性と環境、ミレニアム開発目標のゴール３、などの国連に関連する私たちの取り組むべき課題について言及します。</font></font></font></font></p><p><font size="3"><font size="3"><font size="3"><font size="3"><br></font></font></font></font></p><p><font size="3"><font size="3"><font size="3"><font size="3">このため、私たちは生物多様性条約に基づくジェンダー行動計画とそのための特別予算措置を求めます。また、ジェンダー行動計画に関連したジェンダーメインストリーミング（ジェンダーの考え方を取り入れること）や能力開発が、生物多様性にかんして十分な独立性が確保された専門知識をもって実施されることを望みます。生物多様性条約を進める過程で、強力な利害関係者から資金援助を受けていない独立した専門家が往々にしてほとんど無視されていることが深く憂慮されるからです。</font></font></font></font></p><p><font size="3"><font size="3"><font size="3"><font size="3"><br></font></font></font></font></p><p><font size="3"><font size="3"><font size="3"><font size="3">最後になりましたが、私たちは、持続可能な経済を最優先とせねばならない、そしてそれは多様性、尊厳、文化の独自性そして何よりも生命の尊重を基本としたものでなければならないとして、結びとします。</font></font></font></font></p><p><font size="3"><font size="3"><font size="3"><font size="3"><br></font></font></font></font></p><p><font size="3"><font size="3"><font size="3"><font size="3">2008年5月23日ボンにて</font></font></font></font></p><p><font size="3"><font size="3"><font size="3"><font size="3"><br></font></font></font></font></p><p><font size="3"><font size="3"><font size="3"><font size="3">・WECF：共通の未来のためのヨーロッパの女性たち</font></font></font></font></p><p><font size="3"><font size="3"><font size="3"><font size="3">　(デンマーク/ドイツ）Sabine Brueckmann-</font></font></font></font></p><p><font size="3"><font size="3"><font size="3"><font size="3">・平和とエコロジーを求める女性たち（ドイツ）Eva Quistorp</font></font></font></font></p><p><font size="3"><font size="3"><font size="3"><font size="3">・平和を守るおばあちゃんたち（米国-ドイツ）</font></font></font></font></p><p><font size="3"><font size="3"><font size="3"><font size="3">・SEI：社会環境保護研究所（ポーランド）</font></font></font></font></p><p><font size="3"><font size="3"><font size="3"><font size="3">・グレイル女性運動（南アフリカ及び他諸国）</font></font></font></font></p><p><font size="3"><font size="3"><font size="3"><font size="3">・エルモロ/エコツーリズム権利と開発フォーラム（ケニヤ）</font></font></font></font></p><p><font size="3"><font size="3"><font size="3"><font size="3">・好環境促進局（タイ）</font></font></font></font></p><p><font size="3"><font size="3"><font size="3"><font size="3">・グラース地方企業家クラブ（フランス）</font></font></font></font></p>
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<link>https://ameblo.jp/ecofe/entry-10314860495.html</link>
<pubDate>Wed, 05 Aug 2009 22:34:13 +0900</pubDate>
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<title>女性と生物多様性に関する声明(COP9)　訳文の前に</title>
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<![CDATA[ <p><font size="3">COP９というのは生物多様性条約第９回締約国会議のことだ。これは２００８年５月にドイツで開かれた。そして第10回の集まり、即ちCOP１０が2010年に名古屋で開かれることになっている。</font></p><p><font size="3">COP９に出向いた友人が、このCOP９で出された「女性と生物多様性に関する声明」を入手してくれたので、英訳を試みた。</font></p><p><font size="3"><br>でも「女性と生物多様性」って---どんな関係があるの？と思いますよね。<br>以下、次便を読んでいただければ良いのだが、わかりにくいのは、訳が悪いだけではないと思う。そこで、このバックグラウンドとなることを少し説明することにする。</font></p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">生物多様性条約では<br>１：生物多様性の保全<br>２：生物多様性の利用方法<br>３：遺伝子資源へのアクセスと利益配分<br>というのを主要な論点としている。</font></p><p><font size="3">１はともかく、２は何？３にいたっては耳慣れないﾃｰﾏだと思う。<br></font></p><p><font size="3">生物多様性というのは、読んで字の如く、多様な生き物が支えあって自然界を形成していることを意味する。地球上には、様々な生態系があり、であるからこれに応じて様々な種類の生物がいる、そして同じ種類でも一匹一匹あるいは一人一人は異なった遺伝子をもっている。そういう多様性があるから、全体として驚くべき柔軟性を持った自然界が成立しているのである。</font></p><font size="3"><p><br>こと人類は、食はモチロン、医薬品や、日用品、建築材料や環境問題まであらゆる面で生物多様性の恩恵を受けて暮らしている。だから、人類が生き延びるために生物多様性を維持することは非常に重要で、生物多様性をどのように利用していくのかと言うことは、国家間の戦略としても極めて重要な問題となっているのだ。</p><p><br>　ごく簡単に事情を説明すると、開発によって自然が破壊されて、生物多様性が危機に瀕している。だから、バランスの良い生態系の利用をしていかないと人類全体の存続に関わることになる。先進国にとっては、（途上国の）自然資源をある程度保全し、利用の権利をどのように確保していくかは重要な資源戦略であり外交課題なのだ。そして提供する途上国側にとっては、先進国が途上国の自然資源を勝手に利用して、それによる恩恵も独り占めしている実情に対し、収奪されるばかりはいやだと主張する—そういう状況なのである。</p><p><br>また、農民にとっては、例えば、改良を重ねながら、土地に合った多様な品種を栽培してきたのに、先進国による開発によって、「高収量の米の品種（しかも単一栽培）」に変えられてしまう。すると、一時的には高収量が得られても、バランスの悪い灌漑や農薬・肥料によって土地が疲弊して長続きせず、その被害を農民が一方的に蒙ることになる。そればかりでなく、多国籍企業による改良品種の「種（タネ）」は、企業による特許権がつくので、農民はそれを購入しなければいけないし、場合によっては特定の肥料や農薬までセットで買わなくてはいけない。途上国の農民が自ら生みだした種子まで特許権が波及して、自由に使えなくなってしまう事態まで懸念されるのである。次ページに紹介する「声明」のなかで「種子（タネ）」の問題が重く扱われているのはこのあたりに起源がある。</p><p><br>この過程では次のような対立が起こっている。<br>・先進国・多国籍企業ｖｓ途上国政府（利益配分）<br>・先進国ｖｓ先進国（生物資源争奪戦）<br>・環境団体ｖｓ途上国政府（保全vs開発の権利）<br>・多国籍企業＆途上国政府ｖｓ途上国の農民（自ら育てた資源に対する権利の剥奪、被管理）<br>・途上国の男性農民ｖｓ女性農民（女性への搾取）</p><p><font size="3"><br></font></p><p><font size="3">また、生物多様性条約では、女性の役割の重要性や意志決定過程への参加が詠われている。<br>それは、途上国では農業の大きな部分が女性に担われている場合もあり、実際に地域の生態系や伝統的農法に関し、深い知識を持っているのは女性だからなのである。だから、有効に自然を利用していく上では、彼女らの参画が必須なのだ。そして、資源をめぐる対立や、生物多様性の喪失などによる被害を末端で厳しく蒙るのも途上国の女性ということになる。</font></p><p><font size="3">それが、「女性と生物多様性」という切り口の出て来る理由だ。</font></p><p><font size="3"><br>さて、この切り口はいわゆる「差異論」と考えられないこともない。この切り口や次ページの声明に対し私たちはどう考えて行くのだろうか？<br><br></font></p></font>
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<link>https://ameblo.jp/ecofe/entry-10314844834.html</link>
<pubDate>Wed, 05 Aug 2009 22:22:53 +0900</pubDate>
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