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<title>edhogedhogのブログ</title>
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<title>そう</title>
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<![CDATA[ 　　　　　一五　馬車<br><br>　僕が小学校へはいらぬ前、小さい馬車を驢馬ろばに牽ひかせ、そのまた馬車に子供を乗せて、町内をまわる爺じいさんがあった。僕はこの小さい馬車に乗って、お竹倉や何かを通りたかった。しかし僕の守もりをした「つうや」はなぜかそれを許さなかった。あるいは僕だけ馬車へ乗せるのを危険にでも思ったためかもしれない。けれども青い幌ほろを張った、玩具おもちゃよりもわずかに大きい馬車が小刻みにことこと歩いているのは幼目にもハイカラに見えたものである。<br><br>　　　　　一六　水屋<br><br>　そのころはまた本所ほんじょも<a title="英会話　恋愛" target="_blank" href="http://meeting2.blog.shinobi.jp/cat108/%E8%8B%B1%E4%BC%9A%E8%A9%B1%E3%81%A7%E6%81%8B%E6%84%9B%EF%BC%9F">英会話　恋愛</a>井戸の水を使っていた。が、特に飲用水だけは水屋の水を使っていた。僕はいまだに目に見えるように、顔の赤い水屋の爺じいさんが水桶みずおけの水を水甕みずがめの中へぶちまける姿を覚えている。そう言えばこの「水屋さん」も夢現ゆめうつつの境に現われてくる幽霊の中の一人だった。<br><br>　　　　　一七　幼稚園<br><br>　僕は幼稚園へ通いだした。幼稚園は名高い回向院えこういんの隣の江東小学校の附属である。この幼稚園の庭の隅すみには大きい銀杏いちょうが一本あった。僕はいつもその落葉を拾い、本の中に挾はさんだのを覚えている。それからまたある円顔まるがおの女生徒が好きになったのも覚えている。ただいかにも不思議なのは今になって考えてみると、なぜ彼女を好きになったか、僕自身にもはっきりしない。しかしその人の顔や名前はいまだに記憶に残っている。僕はつい去年の秋、幼稚園時代の友だちに遇
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<pubDate>Mon, 10 Jun 2013 21:43:19 +0900</pubDate>
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<title>いつ</title>
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<![CDATA[ だよう。ぼうぼう山だよう」と怒鳴ったりした。これはもちろん火がつくところから自然と連想れんそうを生じたのであろう。<br><br>　　　　　一三　剥製の雉<br><br>　僕の家うちへ来る人々の中に「お市さん」という人があった。これは代地だいちかどこかにいた柳派の「五ごりん」のお上かみさんだった。僕はこの「お市さん」にいろいろの画本えほんや玩具おもちゃなどを貰もらった。その中でも僕を喜ばせたのは大きい剥製はくせいの雉きじである。<br>　僕は小学校を卒業する時、その尾羽根の切れかかった雉を寄附していったように覚えている。が、それは確かではない。ただいまだにおかしいのは雉の剥製を貰った時、父が僕に言った言葉である。<br>「昔、うちの隣にいた××××（この名前は覚えていない）という人はちょうど元日のしらしら明けの空を白い鳳凰ほうおうがたった一羽、中洲なかずの方へ飛んで行くのを見たことがあると言っていたよ。もっともでたらめを言う人だったがね」<br><br>　　　　　一四　幽霊<br><br>　僕は小学校へはいっていたころ、どこの長唄ながうたの女師匠は亭主の怨霊おんりょうにとりつかれているとか、ここの仕事師のお婆ばあさんは嫁の幽霊に責められているとか、いろいろの怪談を聞かせられた。それをまた僕に聞かせたのは僕の祖父の代に女中をしていた「おてつさん」という婆さんである。僕はそんな話のためか、夢とも現うつつともつかぬ境にいろいろの幽霊に襲われがちだった。しかもそれらの幽霊はたいていは「おてつさん」の顔をしていた。<br><br>
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<pubDate>Mon, 10 Jun 2013 21:30:31 +0900</pubDate>
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<title>わたす</title>
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<![CDATA[ るとその大川の上にどっと何かの雪崩なだれる音がした。僕のまわりにいた客の中には亀清かめせいの桟敷が落ちたとか、中村楼の桟敷が落ちたとか、いろいろの噂うわさが伝わりだした。しかし事実は木橋もっきょうだった両国橋の欄干が折れ、大勢の人々の落ちた音だった。僕はのちにこの椿事ちんじを幻灯か何かに映したのを見たこともあるように覚えている。<br><br>　　　　　二三　ダアク一座<br><br>　僕は当時回向院えこういんの境内にいろいろの見世物を見たものである。風船乗り、大蛇だいじゃ、鬼の首、なんとか言う西洋人が非常に高い桿さおの上からとんぼを切って落ちて見せるもの、――数え立てていれば際限はない。しかしいちばんおもしろかったのはダアク一座の操あやつり人形である。その中でもまたおもしろかったのは道化どうけた西洋の無頼漢が二人、化けもの屋敷に泊まる場面である。彼らの一人は相手の名前をいつもカリフラと称していた。<a title="外国人女性" target="_blank" href="http://meeting2.blog.shinobi.jp/ca87/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E7%94%B7%E5%85%90%E5%BF%85%E8%A6%8B%E5%A4%96%E5%9B%BD%E4%BA%BA%E3%81%AE%E3%81%8B%E3%82%8F%E3%81%84%E3%81%84%E5%BD%BC%E5%A5%B3%E3%82%92%E4%BD%9C%E3%82%8B%E6%9C%80%E9%AB%98%E3%81%AB%E7%B0%A1%E5%8D%98%E3%81%AA%E6%96%B9%E6%B3%95%E3%81%BE%E3%81%A8%E3%82%81">外国人女性</a>僕はいまだに花キャベツを食うたびに必ずこの「カリフラ」を思い出すのである。<br><br>　　　　　二四　中洲<br><br>　当時の中洲なかずは言葉どおり、芦あしの茂ったデルタアだった。僕はその芦の中に流れ灌頂かんじょうや馬の骨を見、気味悪がったことを覚えている。それから小学校の先輩に「これはアシかヨシか？」と聞かれて当惑したことも覚えている。<br><br>　　　　　二五　寿座<br><br>
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<pubDate>Sun, 09 Jun 2013 20:52:56 +0900</pubDate>
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<title>からん</title>
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<![CDATA[ 　　　　　一二　灸<br><br>　僕は何かいたずらをすると、必ず伯母おばにつかまっては足の小指に灸きゅうをすえられた。僕に最も怖おそろしかったのは灸の熱さそれ自身よりも灸をすえられるということである。僕は手足をばたばたさせながら「かちかち山だよう。ぼうぼう山だよう」と怒鳴ったりした。これはもちろん火がつくところから自然と連想れんそうを生じたのであろう。<br><br>　　　　　一三　剥製の雉<br><br>　僕の家うちへ来る人々の中に「お市さん」という人があった。これは代地だいちかどこかにいた柳派の「五ごりん」のお上かみさんだった。僕はこの「お市さん」にいろいろの画本えほんや玩具おもちゃなどを貰もらった。その中でも僕を喜ばせたのは大きい剥製はくせいの雉きじである。<br>　僕は小学校を卒業する時、その尾羽根の切れかかった雉を寄附していったように覚えている。が、それは確かではない。ただいまだにおかしいのは雉の剥製を貰った時、父が僕に言った言葉である。<br>「昔、うちの隣にいた××××（この名前は覚えていない）という人はちょうど元日のしらしら明けの空を白い鳳凰ほうおうがたった一羽、中洲なかずの方へ飛んで行くのを見たことがあると言っていたよ。もっともでたらめを言う人だったがね」<br><br>　　　　　一四　幽霊<br><br>　僕は小学校へはいっていたころ、どこの長唄ながうたの女師匠は亭主の怨霊おんりょうにとりつかれているとか、ここの仕事師のお婆ばあさんは嫁の幽霊に責められているとか、いろいろの怪談を聞かせら
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<pubDate>Sun, 09 Jun 2013 20:11:20 +0900</pubDate>
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<title>いた</title>
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<![CDATA[ った。が、僕の答案はあいにく先生には気に入らなかった。<br>「雲などはどこが美しい？　象もただ大きいばかりじゃないか？」<br>　先生はこうたしなめたのち、僕の答案へ×印をつけた。<br><br>　　　　　三二　加藤清正<br><br>　加藤清正かとうきよまさは相生町あいおいちょう二丁目の横町に住んでいた。と言ってももちろん鎧武者よろいむしゃではない。ごく小さい<a title="外国人　恋人" target="_blank" href="http://meeting2.blog.shinobi.jp/">外国人　恋人</a>桶屋おけやだった。しかし主人は標札によれば、加藤清正に違いなかった。のみならずまだ新しい紺暖簾こんのれんの紋も蛇じゃの目めだった。僕らは時々この店へ主人の清正を覗のぞきに行った。清正は短い顋髯あごひげを生はやし、金槌かなづちや鉋かんなを使っていた。けれども何か僕らには偉そうに思われてしかたがなかった。<br><br>　　　　　三三　七不思議<br><br>　そのころはどの家もランプだった。したがってどの町も薄暗かった。こういう町は明治とは言い条、まだ「本所ほんじょの七不思議」とは全然縁のないわけではなかった。現に僕は夜学の帰りに元町通りを歩きながら、お竹倉の藪やぶの向こうの莫迦囃ばかばやしを聞いたのを覚えている。それは石原か横網かにお祭りのあった囃しだったかもしれない。しかし僕は二百年来の狸たぬきの莫迦囃しではないかと思い、一刻も早く家へ帰るようにせっせと足を早めたものだった。<br><br>　　　　　三四　動員令<br><br>
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<pubDate>Thu, 06 Jun 2013 20:03:42 +0900</pubDate>
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<title>きて</title>
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<![CDATA[ きに露の玉を散らした、袖そでの長い着物を着ていたものである。<br><br>　　　　　一八　相撲<br><br>　相撲すもうもまた土地がらだけに大勢近所に住まっていた。現に僕の家うちの裏の向こうは年寄りの峯岸みねぎしの家だったものである。僕の小学校にいた時代はちょうど常陸山ひたちやまや梅ヶ谷の全盛を極きわめた時代だった。僕は荒岩亀之助が常陸山を破ったため、大評判になったのを覚えている。いったいひとり荒岩に限らず、国見山でも逆鉾さかほこでもどこか錦絵にしきえの相撲に近い、男ぶりの人に優すぐれた相撲はことごとく僕の贔屓ひいきだった。しかし相撲というものは何か僕にはばくぜんとした反感に近いものを与えやすかった。それは僕が人並みよりも体からだが弱かったためかもしれない。また平生見かける相撲が――髪を藁束わらたばねにした褌ふんどしかつぎが相撲膏すもうこうを貼はっていたためかもしれない。<br><br>　　　　　一九　宇治紫山<br><br>　僕の一家は宇治紫山うじしざんという人に一中節いっちゅうぶしを習っていた。この人は酒だの遊芸だのにお蔵前の札差しの身上しんしょうをすっかり費やしてしまったらしい。僕はこの「お師匠さん」の酒の上の悪かったのを覚えている。また小さい借家にいても、二、三坪の庭に植木屋を入れ、冬などは実を持った青木の下に枯れ松葉を敷かせたのを覚えている。<br>　この「お師匠さん」は長命だった。なんでも晩年味噌みそを買いに行き、雪上がりの往来で転んだ時にも、やっと家うちへ帰ってくると、「それでもまあ褌ふんどしだけ新しくってよかった」と言ったそうである。<br>
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<pubDate>Thu, 06 Jun 2013 19:15:37 +0900</pubDate>
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<title>たてん</title>
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<![CDATA[ 者の名前を、――ことにトゥルゲネフの名前を覚えるようになった。それらの小品集はどこへ行ったか、今はもう本屋でも見かけたことはない。しかし僕は同氏の文章にいまだに愛惜を感じている。ことに東京の空を罩こめる「鳶色とびいろの靄もや」などという言葉に。<br><br>　　　　　三七　日本海海戦<br><br>　僕らは皆日本海海戦の勝敗を日本の一大事と信じていた。が、「今日晴朗なれども浪なみ高し」の号外は出ても、勝敗は容易にわからなかった。するとある日の午飯ひるめしの時間に僕の組の先生が一人、号外を持って教室へかけこみ、「おい、みんな喜べ。大勝利だぞ」と声をかけた。この時の僕らの感激は確かにまた国民的だったのであろう。<a title="外国人　恋人" target="_blank" href="http://meeting2.blog.shinobi.jp/">外国人　恋人</a>僕は中学を卒業しない前に国木田独歩の作品を読み、なんでも「電報」とかいう短篇にやはりこういう感激を描いてあるのを発見した。<br>「皇国の興廃この一挙にあり」云々うんぬんの信号を掲げたということはおそらくはいかなる戦争文学よりもいっそう詩的な出来事だったであろう。しかし僕は十年ののち、海軍機関学校の理髪師に頭を刈ってもらいながら、彼もまた日露の戦役に「朝日」の水兵だった関係上、日本海海戦の話をした。すると彼はにこりともせず、きわめてむぞうさにこう言うのだった。<br>「なに、あの信号は始終でしたよ。それは号外にも出ていたのは日本海海戦の時だけですが」<br><br>　　　　　三八　柔術<br><br>　僕は中学で柔術を習った。それからまた浜町河岸はまちょうがしの大竹という道場へもやはり寒稽古かんげいこなどに通ったものである。中学で習った柔術は何流だったか覚えていない。が、大竹の柔術は確か天真揚心流だった。僕は中学の仕合いへ出た時、相手の稽古着へ手をかけるが早いか、たちま
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<link>https://ameblo.jp/edhogedhog/entry-11544916896.html</link>
<pubDate>Tue, 04 Jun 2013 21:44:00 +0900</pubDate>
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<title>こそ</title>
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<![CDATA[ 　そのころはまた本所ほんじょも井戸の水を使っていた。が、特に飲用水だけは水屋の水を使っていた。僕はいまだに目に見えるように、顔の赤い水屋の爺じいさんが水桶みずおけの水を水甕みずがめの中へぶちまける姿を覚えている。そう言えばこの「水屋さん」も夢現ゆめうつつの境に現われてくる幽霊の中の一人だった。<br><br>　　　　　一七　幼稚園<br><br>　僕は幼稚園へ通いだした。幼稚園は名高い回向院えこういんの隣の江東小学校の附属である。この幼稚園の庭の隅すみには大きい銀杏いちょうが一本あった。僕はいつもその落葉を拾い、本の中に挾はさんだのを覚えている。それからまたある円顔まるがおの女生徒が好きになったのも覚えている。ただいかにも不思議なのは今になって考えてみると、なぜ彼女を好きになったか、僕自身にもはっきりしない。しかしその人の顔や名前はいまだに記憶に残っている。僕はつい去年の秋、幼稚園時代の友だちに遇あい、そのころのことを話し合った末、「先方でも覚えているかしら」と言った。<br>「そりゃ覚えていないだろう」<br>　僕はこの言葉を聞いた時、かすかに寂しい心もちがした。その人は少女に似合わない、萩はぎや芒すすきに露の玉を散らした、袖そでの長い着物を着ていたものである。<br><br>　　　　　一八　相撲<br><br>　相撲すもうもまた土地がらだけに大勢近所に住まっていた。現に僕の家うちの裏の向こうは年寄りの峯岸みねぎしの家だったものである。僕の小学校にいた時代はちょうど常陸山ひたちやまや梅ヶ谷の全盛を極きわめた時代だった。僕は荒岩亀之助が常陸山を破ったため、大評判になったのを覚えている。い
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<link>https://ameblo.jp/edhogedhog/entry-11544913318.html</link>
<pubDate>Tue, 04 Jun 2013 20:05:54 +0900</pubDate>
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<title>てつ</title>
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<![CDATA[ 　そのころはどの家もランプだった。したがってどの町も薄暗かった。こういう町は明治とは言い条、まだ「本所ほんじょの七不思議」とは全然縁のないわけではなかった。現に僕は夜学の帰りに元町通りを歩きながら、お竹倉の藪やぶの<a title="ロシア　結婚" target="_blank" href="http://meeting2.blog.shinobi.jp/Entry/782/">ロシア　結婚</a>向こうの莫迦囃ばかばやしを聞いたのを覚えている。それは石原か横網かにお祭りのあった囃しだったかもしれない。しかし僕は二百年来の狸たぬきの莫迦囃しではないかと思い、一刻も早く家へ帰るようにせっせと足を早めたものだった。<br><br><br><br>　　　　　三四　動員令<br><br><br><br>　僕は例の夜学の帰りに本所ほんじょ警察署の前を通った。警察署の前にはいつもと変わり、高張り提灯ぢょうちんが一対ともしてあった。僕は妙に思いながら、父や母にそのことを話した。が、誰だれも驚かなかった。それは僕の留守るすの間に「動員令発せらる」という号外が家うちにも来ていたからだった。僕はもちろん日露戦役に関するいろいろの小事件を記憶している。が、この一対の高張り提灯ほど鮮あざやかに覚えているものはない。いや、僕は今日でも高張り提灯を見るたびに婚礼や何かを想像するよりもまず戦争を思い出すのである。<br><br><br><br>　　　　　三五　久井田卯之助<br>
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<link>https://ameblo.jp/edhogedhog/entry-11540475114.html</link>
<pubDate>Wed, 29 May 2013 17:17:54 +0900</pubDate>
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<title>っが</title>
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<![CDATA[ 「雲などはどこが美しい？　象もただ大きいばかりじゃないか？」<br><br>　先生はこうたしなめたのち、僕の答案へ×印をつけた。<br><br><br><br>　　　　　三二　加藤清正<br><br><br><br>　加藤清正かとうきよまさは相生町あいおいちょう二丁目の横町に住んでいた。と言ってももちろん鎧武者よろいむしゃではない。ごく小さい桶屋おけやだった。しかし主人は標札によれば、加藤清正に違いなかった。のみならずまだ新しい紺暖簾こんのれんの紋も蛇じゃの目めだった。僕らは時々この店へ主人の清正を覗のぞきに行った。清正は短い顋髯あごひげを生はやし、金槌かなづちや鉋かんなを使っていた。けれども何か僕らには偉そうに思われてしかたがなかった。<br><br><br><br>　　　　　三三　七不思議<br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/edhogedhog/entry-11540473548.html</link>
<pubDate>Wed, 29 May 2013 17:17:34 +0900</pubDate>
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