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<title>edo-gonguのブログ</title>
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<description>読書遍歴・文章遍歴など、自らの人生を辿った多少歯応えのあるものを随時連載しています。</description>
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<title>私のメルマガ物語-メルモとの17年間</title>
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<![CDATA[ <p>プロローグ-ミレニアムな出会い:後編<br><br>あの1999年を経たというか、20世紀を総括したかのような一年を過ごした反動もあったのだろう。翌年の2000年に関しては、バカ騒ぎをした一年だったような気がする。少なくとも私の周りはお祭りムードだった。<br><br>そんな中、私はお祭り騒ぎに身を投じつつ、将来のためにとばかりにWordや Excelを習い始めた。齢30を過ぎてなお、パソコンのなんたるかを理解しておらず、取り敢えずこれからの時代はパソコンだと目をつけたのは、まあ我ながら及第点とはいえた。<br><br>とはいえ、当時パチンコ屋の従業員として働く自分に夢も希望も誇りすら持てなかった身としては、パソコンを足がかりにとにかく転職したい。具体性のない、あやふやな人生設計を描いていた。<br><br>あの頃の私はとにかくがむしゃらに生きていた。父から精神的にも経済的にも独立しようと遅まきながら決意をし、その決意表明として前年からパソコンの勉強に取り組んだ。一時期はあまりに熱心にやり過ぎて寝食すら忘れ、体重が70kg台から50kg台に激減したくらいだった。ある意味、パソコンに取り憑かれていたといっていい。<br><br>反面、パチンコ屋という職場以外での出会いを求めて、地元のタウン誌でメル友の募集を行ったのも1999年から2000年にかけてだった。この時知り合った友人・知人の類は、その後ほぼ自然消滅してしまった。そういった意味では、メル友バブルと言えなくもない。<br><br>その中でも、後に結婚の立会人となってくれた友人二人と、私の心を癒してくれた女性の存在は忘れ難い。彼らと彼女との繋がりが、いわば当時の生き急いでいた私をどうにか世間との付き合いに繋ぎ止めてくれたといえる。さもなければ、職場と自宅の往復で息が詰まっていたかもしれない。<br><br>一日も早く父から独立したい。彼らや彼女との交流に喜びを見出しつつも、どこかでもがいていたあの頃の私。ミレニアムブームで、バカ騒ぎの中酒を飲みつつも自分なりの人生設計をしようとしていた。そんな私のあがきは、翌2001年、21世紀の始まりの年に一つの形になろうとした。その一環が、メルマガとの出会いになろうとは、当時はまだ知る由もなかった。<br><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/edo-gongu/entry-12953777513.html</link>
<pubDate>Sun, 18 Jan 2026 07:20:35 +0900</pubDate>
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<title>私のメルマガ物語-メルモとの17年間-プロローグ-ミレニアムな出会い:前編</title>
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<![CDATA[ <p><br><br>時計の針を西暦2000年に戻してみる。当時の日本はミレニアムブームに沸いていた。その前年の1999年においては、いわゆる2000年問題が巻き起こるとこのままでは新年を迎えられないと大騒ぎをしていた。解説をすれば2000年問題というのは、コンピューターが2000年という年を認識出来ず、1900年と間違えてカウントしてしまうのではと言われたものである。<br><br>あの頃は今ほどネットが普及していたわけではなかったが、2000年を経て翌年に新世紀を迎えるという事もあり、世の中は妙に浮かれていたような気がする。前年の1999年になると、20世紀を総括するような言論が目立っていたと思う。<br><br>世間の五島勉バッシングが起きたのも確かこの頃だった。スポーツ新聞の四コマ漫画で、ノストラダムスの大予言をおちょくるような表現がなされたのもこの頃であった。実際、私やそれより少し上の世代は、『ノストラダムスの大予言』シリーズを著した五島勉に恨みを抱きこそすれ、彼の弁明を聞こうとする者は皆無だったのではあるまいか。<br><br>さくらももこが『ちびまる子ちゃん』の中で、<br><br>「あんた、ノストラダムスの大予言とかで世界が滅びるなんて騒いでいるけど、もしも予言が当たらなかったら勉強してこなかったあんたはバカのまんまじゃん」<br><br>お姉ちゃんに指摘されて、ハッと我に返るまる子の姿が描写されている。漫画の中でなら、これは単なる笑い話ですまされる。しかしひとたび現実の出来事として捉えると、これは実に切なく陰惨ですらある。<br><br>95年にオウム真理教が引き起こした地下鉄サリン事件は、その悪しき一例といえる。後にノストラダムスの大予言が、このオウムによる一連のテロの導火線になったと知らされた時、冗談だろと我が耳を疑った。<br><br>もっとも私とて、麻原彰晃こと松本智津夫たちによる行動を愚かなと嗤うことはできない。その前年まで、日本ジャーナリスト専門学校に3年間在籍していた私は、世界が滅亡するかもという世迷い言をどこかで信じていた。だから一日も早く小説家になって、世の中を変えて滅亡を防ごうなんてことを考えていた。とんだお笑い草である。<br><br>しかし、確かに大予言を本気で信じていた輩が、オウム真理教や私のように一定数いたのだ。私のような一個人が、一日も早く小説家になろうと躍起になっていたところでせいぜい人生遠回りしたなくらいで苦笑ですませられる。だけど、彼らや彼女らのように世の中を巻き込む事態を起こしてしまえば、それは恐るべき社会のトラウマになろう。<br><br>五島勉への必要以上のバッシングは、彼一人の影響によって社会に害悪がもたらされたかのように思われたことだ。確かに影響力があったにせよ、それに付和雷同した国民とて戒めるべきである。ましてやカルト教団に至ってはなおさらだ。<br><br>そうは言っても、私もだが当時の日本国民は生け贄を求めていたのかもしれない。1999年が始まった。でも、書籍発売当時に懸念されていた米ソによる核戦争の可能性も、93年のソ連解体によって一応は払拭されていた。89年の東欧における共産主義国家の崩壊によって、親玉であったソ連の寿命も短いとは予測されていた。なんにせよ、80年末から90年代前半にかけての共産主義国家の滅亡は、第三次世界大戦の可能性を限りなく弱めた。<br><br>だからと言うわけでもないが、オウム真理教の暴走は当時の私から見ても暴挙にしか映らなかった。それでも当初は地下鉄サリン事件への関与などあり得ないと思っていた。それは父との酒の席で、話題がなんとなくオウムに及んでいた事でも明らかであった。あの夜、私と父が宗教としてしっかりとした教義を持っていたかに見えたオウム真理教が、そんな馬鹿な事をするはずがない。そんな風に話し合っていた。<br><br>考えてみたら私たちは、当時のマスコミで注目されていたこの宗教団体の本質をまるで見抜けていなかったのである。恥ずべきことといえよう。もっともこれは私たちだけでなく、たとえばビートたけしが人生について悩んでいて麻原彰晃に相談したという話題が当時から何年前かにあった。<br><br>これは決してビートたけし一人に及んでいたことではない。いわゆる進歩的文化人と称されていた人たちもオウムを大いに称賛していたのだ。一連の彼らの言動を、軽薄だとか黒歴史ですねと難詰したり皮肉るつもりはない。人は間違う生き物だ。それを自覚した上で、未来にどのような財産を子孫に残すか。それこそが、人が人として生きていく意味ではないだろうか。<br><br>とまれ、実際の1999年というのは、95年に引き起こされたオウム真理教ショックというトラウマがあったのを背景にして見なければ、捉え難いものがある。何より翌2000年のミレニアムフィーバーも、それ抜きでは説明できそうもない</p>
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<link>https://ameblo.jp/edo-gongu/entry-12953346419.html</link>
<pubDate>Wed, 14 Jan 2026 04:32:02 +0900</pubDate>
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<title>江戸嚴求の存在証明</title>
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<![CDATA[ <p><br>私のメルマガ物語-メルモとの17年間Amebaブログ版のためのまえがき<br><br>誰かが言った。人生は壮大な暇つぶしである、と。その点から考えると、私のこれまでの56年余りにわたる人生は暇つぶしの連続と考える事が出来る。思えば、15の秋に小説らしきものを書き始めて以来、私は小説や文章を書く事に執拗にこだわってきた。<br><br>成人を迎え、酒や女遊びを覚え始めると純粋に我が文学の道にと一直線にひた走れなくなったのも事実だ。たとえ書くほうがおろそかになっても、読書だけは欠かさなかった。その事が後々まで私自身の心の栄養となり、さまざまな小説や文章を生み出す起爆剤にもなった。<br><br>若い頃心酔した一人に、映画監督の川島雄三がいる。彼については19か２０歳の時に読んだ劇画「栄光なき天才たち」でその自堕落でありながらもしがみつくように生きていたさまに感化されて、私もいっぱしの川島フリークを気取っていた。何より、川島監督が後に直木賞作家となる藤本義一に語ったとされる言葉が、その後の私の指針となった。<br><br>「人が頭で考える事を100とするなら、話すのは10、書く行為になると1%程度にしかならない。これを1.1%とか1.2%に引き上げる事で、書き手として生き残れるかどうかが決まる」<br><br>だからたくさん本を読み、たくさんの文章を書け。監督は当時大学生で、将来筆一本で身を立てるべきか悩んでいた藤本青年に、彼なりのアドバイスを与えたのだろう。文学青年とはいえ、アルバイトとして映画会社に潜り込んだ一青年に、過分な助言と言えなくもないし藤本氏は後々まで感謝して自らを不肖の弟子と位置づけた。彼が川島雄三との出会いを書いた「生き急ぎの記」は故人に宛てた正にレクイエムと称しても差し支えない。<br><br>川島雄三は45歳で逝った。正に生き急いだ生涯であり、私もその生きざまをなぞろうとした節がある。しかし、人生というのは決して思うほど単純ではない。私は川島監督のように45で突然亡くなるという人生を辿らず、今日まで馬齢を重ねた。今年の夏、57となる。それが天才と凡人の決定的な差と言われればそれまでだ。<br><br>だが、凡人は凡人なりに自分の歩んできた道のりを記録せねばなるまい。それが同じように人生を悩んでいる若い人たちに対する一つの指標とすれば、この人生も案外捨てたものではないと思う。さて、時計の針を2000年に戻してみるとする。<br></p>
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<link>https://ameblo.jp/edo-gongu/entry-12952384596.html</link>
<pubDate>Mon, 05 Jan 2026 06:31:25 +0900</pubDate>
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<title>私のメルマガ物語-メルモとの17年間</title>
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<![CDATA[ <p><br>執筆にあたっての前書き<br><br>自分で言うのもなんだが、私は根暗である。そのような性格が災いしてか、書くものは大抵暗いか突き抜けて弾けたもののどちらかになるかが常だった。そんな私が人がましく生きてこられたのは、現在の妻に出会ったのが大きいだろう。高校時代から、ただただ小説家になる事だけを目指しそれ以外の夢や希望は持たなかったに等しかったあの頃の自分。妻の支えがなければ、私はたぶんどこかで自らの命を絶っていただろう。<br><br>同時に私を支えていたのは、メルマガの存在だった。始めた当初は自分の編み出した文章で副業代わりにお金を稼げないかという、不純な動機が気持ちを占めていた。しかし、人生は何が起こるかわからない。やがては私の第二の青春時代というべき時期を過ごす事となった。<br><br>そう、振り返ればメルマガを発行していた2001〜17年の期間は私にとってのかけがえのない時代であった。この期間、ネットでの交流とはいえどれだけの人たちと出会い別れていっただろう。今でも細々とながら交流が続いている人もいれば、言葉の行き違いが原因で袂を分かった人もいる。<br><br>すべてをひっくるめて、彼ら・彼女らとの出会いが私を育て今日まで生き長らえさせた要因といえる。私は今年の夏で57歳となる。還暦を数年先に控え、お世辞にも華やかな人生を送ってきたわけではない。それでもさまざまな人たちの意見や考え方を見聞出来たメルモ時代は、私にとっての財産でありそれを記録するのは一つの使命なのかもしれない。<br><br>いつものように、構想が破綻して途中で尻切れとんぼになる可能性もあるが、我が人生の一部を振り返る意味でも記していこう。なお、この連載は私の主旨により、note、Amebaブログ、ノベル＋で同時連載させていただく。では、あの頃を振り返ろう。<br><br><br><br>江戸嚴求(えどごんぐ)</p>
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<link>https://ameblo.jp/edo-gongu/entry-12952384415.html</link>
<pubDate>Mon, 05 Jan 2026 06:28:29 +0900</pubDate>
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<title>夜の歌-不完全なる家族-第八夜</title>
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<![CDATA[ <p><br>八、こんな時もありました<br><br>どうにかまた新年を迎える事が出来た。ちなみに去年の暮れ近くに実母が亡くなったため、我が家は喪中である。さりとてお雑煮くらいは許されるだろうと、それだけはお腹に収めている。そういえば、元日に近所を散歩していたら、救急車が走り抜けていた。毎年恒例の、あの事故であろうか。無事であれば良かったのだが。<br><br>ご多聞に漏れず、少年時代の我が家にとってもお正月はめでたいものと相場が決まっていた。というより、大晦日の夜から三が日にかけてはさすがの継母も優しく振る舞おうとはしていた。<br><br>今年こそはいい年にしよう。まるで思い定めたように、父も継母もニコニコしていた。継母に至っては、笑いながらお年玉をくれたくらいだから逆に気味悪く感じたものだ。<br><br>とはいえ、優しくしてもらえば嬉しいに決まっている。お正月がいつまでも続けばいいのにと単純に思ったものだ。そういった意味では、正月はまさしく特別であった。食べていくのに困らなくなった昨今、あの特別感は今は、ない。寂しくはあるが。</p>
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<link>https://ameblo.jp/edo-gongu/entry-12952326982.html</link>
<pubDate>Sun, 04 Jan 2026 16:57:43 +0900</pubDate>
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<title>夜の歌-不完全なる家族-第七夜-</title>
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<![CDATA[ <p><br>七、永遠の課題:前編<br><br>未だに読めていない小説で、天童荒太の『永遠の仔』がある。ウィキペディアで検索してみたところ、1999年頃のベストセラーだったようだからかなり古い。確か児童虐待をテーマにしたミステリー小説で、本来なら私が真っ先に興味を示さなければならない本だ。2000年にはテレビドラマ化もされ、第一話だけは観た記憶がある。<br><br>何故、テレビドラマを継続して観ず、小説も読まなかったのか？分析してみるに、当時の状況が忙し過ぎたせいもあろう。あの頃の私は、メルマガを始めたり地元のタウン誌で知り合った女性とのお付き合いで、プライベート面が充実していた。仕事面ではパチンコ屋の仕事に限界を感じて、アフター5にWordやExcelを習うなどこれまた忙しかった。要は自分から忙しくする材料を増やしていたわけである。<br><br>あの頃は私にとっては充実した期間で後悔は微塵もない。お付き合いしていた女性とは、数年後自然消滅に近い形でお別れしたのは悔やまれたが。思えばあの頃は私の人生における黄金期であった。数年後父が脳梗塞で倒れたのをきっかけにうつ病を患った私は、自分を支えてくれる女性と幸運にも出会い結婚した。現在の妻である。<br><br>以来22年の長きに渡って、妻とは喧嘩しながらも生活してこれた。昨日は結婚記念日で、小さな赤のシクラメンの鉢植えをプレゼントした。これからも継続したい。<br><br>本題に戻れば。私たちには子どもがいない。妻が年齢的に出産が厳しい事もあったが、当時の私は覚悟の上で添い遂げた。ひょっとしたら深層心理の中で、子どもがいたら虐待してしまうという恐怖が私の中にあるのではないか。だから彼女を選んだのかもしれない。<br><br>今、痛烈に自分の子どもが欲しかったと願うのはないものねだりで、闘病生活を送りながらではしょせん無理であったのは理屈ではわかっている。でも、感情面では子どもがいればどれだけ良かっただろうと、心に渇きを覚えるのも事実だ。今こそ『永遠の仔』を読むべき時ではないか。たとえ古臭い過去のベストセラーをと笑われても。</p>
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<link>https://ameblo.jp/edo-gongu/entry-12950114158.html</link>
<pubDate>Mon, 15 Dec 2025 05:40:13 +0900</pubDate>
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<title>夜の歌-不完全なる家族-第六夜</title>
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<![CDATA[ <p><br>六、お腹の空く夜は<br><br>ご飯をろくに食べさせてもらえない。そんな日常を少年時代、度々経験した。特に中学生時代が身にこたえた。当時私は父の意向もあり、陸上部に入っていた。運動をしていたのだから、余計にお腹は空く。しかし継母は、あの女は父が家にいる時を除けば私に食事を与える事をろくにしなかった。バッカじゃなかろうか。<br><br>食事をさせてもらえても、お代わりは望むべくもなかった。育ち盛りなのでどうしたってお腹が減る。夜中にこっそり、炊飯器からご飯を1膳分ラップにくるんで寝床でこっそり食べていた。<br><br>おかずは、ない。下手に何か副食物を摂る事で、盗み食いをしたのをバレるのが怖かった。だから、醤油をかけて食べるという極めて貧しい夜食体験だった。でも、これがたまらなく美味しかった。<br><br>先日、母方(実母のほうである)の叔母に何気なく当時の事を話したら、聞いていてつらかったのか涙ぐまれてしまった。叔母さんは、当時の私を知る今や唯一の存在だった。悪い事を聞かせてしまった。<br><br>時々ニュースで、ネグレクトを受けた子どもが栄養失調で死にかけたあるいは命を落としたなんて話を聞くと今でも胸が締め付けられる。あの子らは、かつての私に他ならない。親の身勝手さで、飢えた子どもがいるなんて事はあってはならない。子どもを飢えさせず、なおかつ人がましい教育を与える事。親として、何より人として必要最低限の愛情だと思う。</p>
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<link>https://ameblo.jp/edo-gongu/entry-12949788223.html</link>
<pubDate>Fri, 12 Dec 2025 04:22:38 +0900</pubDate>
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<title>夜の歌-不完全なる家族-第五夜</title>
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<![CDATA[ <p><br>五、ささやかなる幸せを守るために<br><br>NHKの朝ドラ「とと姉ちゃん」の再放送がもうじき最終回を迎える。最初から観ていたが、改めて良作だと思う。家庭雑誌「暮らしの手帖」を創刊した大橋鎮子と、彼女を支え亡くなる寸前まで編集長として辣腕を奮った花森安治との交流、何よりも家族とのささやかな幸せを大事にした経緯に焦点を当てられたドラマだった。<br><br>劇中、大橋鎮子は小橋常子、花森安治は花山伊佐治と名前を変えられているのも実際の人物名・企業名などを出すとはばかられるという配慮もなされているのだろう。それくらい、「暮らしの手帖」(劇中では「わたしの暮らし」と思ったが、うろ覚えで失敬！)が行った商品品質テストというのは画期的であり衝撃といえた。<br><br>最初常子たちを敵視していたある大新聞の記者は、<br><br>「大橋社長、今や『あなたの暮らし』は四十万部を超える大雑誌になったんですよ。その影響力をどうお考えですか？」<br><br>と難詰し、叩くべき対象と誤解していたくらいだ。今では想像できないが、かつての我が国の電化製品は安かろう、悪かろうと海外からも嘲笑されたほど製品としては最悪だった。常子や花山は、主婦が家計をやり繰りしながら購入した商品が粗悪品では泣くに泣けない。実際それで事故になった事例もあったからこそ、悪貨が良貨を駆逐する現状を変えようと、商品品質テストに踏み切った。<br><br>そう、それは国全体を上げて高度経済成長時代へと舵を切っていった当時の日本にしてみれば、単なる言いがかりにも捉えられただろう。しかし、戦争中の我が国はそういうささやかな幸せを大事にしようとした物言いを枝葉末節と切り捨てた。だからこそ戦争に負けたのではないか。<br><br>常子たちが小さな、日常の忙しさの中で忘れられがちな人としての喜びや悲しみをなおざりにするまいとする姿勢を貫いたからこそ、「あなたの暮らし」は絶大な支持を受けたといえる。そう、これは極めて現代に通じる物語なのだ。<br><br>私の小さな幸せを鼻で笑ったかつての上司、彼は今、どのような暮らしをしているのだろう。</p>
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<link>https://ameblo.jp/edo-gongu/entry-12949578502.html</link>
<pubDate>Wed, 10 Dec 2025 06:11:03 +0900</pubDate>
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<title>夜の歌-不完全なる家族-第四夜</title>
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<![CDATA[ <p><br>四、被害者意識の是非<br><br>かれこれ四十年以上昔の事を、あれこれ愚痴る冴えない奴。言うまでもない私の事である。我ながら醜悪な心理状態とは思うが、どっこい上には上がいる。言うまでもない、現在我が国と揉めているかのお国である。<br><br>「高市政権は、かつての軍国主義に立ち返ろうとしている。謝罪せよ！」<br><br>あのお国のスポークスマンは、口を開けば散々に批判をしその顔色を窺う我が国の一部マスコミや世論も、謝罪しろ、発言を撤回しろのオンパレード。バカじゃなかろうか。<br><br>私は保守系の物の考え方をしているほうじゃない。むしろ世の中はより良く進歩していくべきだという考え方の持ち主である。その私ですら、あの国やそれに右往左往する一部マスコミや政財界人のみっともなさは見ていて目に余る。<br><br>向こうは内政干渉だと騒ぎ立てるが、一党独裁で国民をAIや防犯カメラで監視している管理社会の国に言われる筋合いはない。何より国内の不満から目を逸らすために、我が国を利用するのはいい加減やめていただきたい。それこそ内政干渉の最もたるものだと思うがいかが？<br><br>世界史をかじった方なら頭の片隅に残っているだろう。あの国が近代に西欧諸国からいかに食い物にされてきたかを。だからであろう、強い姿勢で出る西欧の一部の国に対しては、未だに大きく出られない。コンプレックスが残っているのだ。<br><br>今や世界第二位の経済大国となり、世界一になるのも遠い未来ではないと鼻息だけは荒い。だが、その実態はといえばお寒い限りだ。未だに安かろう、悪かろうな商品を全世界に販売しててんと恥じる様子もない。世界一の国を目指す割には、その民意も政治家の意識も相変わらず低い。<br><br>何か意見を言えば、我が国はまだ発展途上の段階だとぬけぬけと言い、しまいには内政干渉だと言い募り、謝罪しろ、貿易してやらないぞと脅しまくる。何が偉大なる漢民族の復興だ、笑わせる。<br><br>あの国に今必要なのは、領土的野心のために他国を脅しすかす事ではなく、民主的なプロセスでもって国家を運営していく事ではと思うがいかが？偉大なる国なんでしょう？出来るはずですよね。</p>
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<link>https://ameblo.jp/edo-gongu/entry-12949576193.html</link>
<pubDate>Wed, 10 Dec 2025 05:14:34 +0900</pubDate>
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<title>夜の歌-不完全なる家族-第三夜-</title>
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<![CDATA[ <p><br><br>三.時は過ぎゆく<br><br>ご無沙汰となってしまい申し訳ない。このブログを始めたのが約10年前の事で、二、三記事をアップしただけで止まってしまっていた。恐らくこのブログの存在すら忘れている方のほうが殆どであろう。詳しくは後々述べるが、継母はこの世で最も憎んでいた存在はとうの昔に亡くなっていた。それもこのブログを始める前から。なんのことはない。私は一人相撲をとっていたのだ。<br><br>だが、トラウマは彼女がこの世からいなくなっても消え去らない。妻は言う。あんな人の事なんかもう忘れなさい。もう、死んでしまったのだから、と。その通りだと思う。いつまでも既に存在しない者のために時間を費やしているほど、人生は決して長くはない。わかっている。よ〜く、わかっているつもりだ。<br><br>しかし、理屈で割り切れるほど人間というのは合理的ではない。それが怒りや悲しみに満ちた思い出ならばなおさらだ。再び書いてみよう、と思った。大多数の人たちにはつらくて読む気がしないかもしれない。けれども、こじれた親子関係に悩まされた人たちにとっては、自らを振り返り良き人生を歩もうというヒントになるのではあるまいか。<br><br>そう信じて書き継いでみるつもりだ。我が人生よ、そのためにもう少し続いてくれと願うばかりである。</p>
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<link>https://ameblo.jp/edo-gongu/entry-12949497796.html</link>
<pubDate>Tue, 09 Dec 2025 11:40:45 +0900</pubDate>
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