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<title>一刀両断　世相を切る</title>
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<description>最近の政治を語る仲間との出会いを求めて</description>
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<title>イギリスが辿った衰亡への道</title>
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<![CDATA[ ■イギリスが辿った衰亡への道<br><br>　このように際限なく増え続ける社会保障をそのままに、必要に応じて増税していったら、どうなるのか、その答えは、かつての英国が実証している。第２次大戦後、政権を握った労働党の掲げたスローガンが「揺りかごから墓場まで」であった。<br><br>＿＿＿＿＿＿＿＿＿＿<br>　なんと心地よく、聞こえのいい言葉だろう。そして、このスローガンは実践された。社会保障と福祉の拡大である。だか、その結果はどうだったろう。<br><br>資本とともに有能な者たちはアメリカに逃げ出し、イギリスの中心層だった中産階級は重税に疲弊した。そして、世界に冠たる繁栄を誇ったイギリスの国民一人当たりの所得が、かつて植民地だったシンガポールやヨーロッパの貧乏国と言われたスペイン以下になり、IMF（国際通貨基金）に緊急援助を要請しなければならない事態になったのである。・・・<br><br>　社会保障、福祉の膨らみ次第で税を増やすという、野田首相の唱える「税と社会保障の一体化」は、イギリスがたどった道への第一歩であることを知らねばならない。[1,p38]<br>￣￣￣￣￣￣￣￣￣￣<br><br>　国富を増やす算段もないまま、国富を作り出す人たちに重税を課し、それを弱者にばらまくだけでは、国家経済が衰亡していくのは、当然である。<br>
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<pubDate>Sun, 13 Oct 2013 11:17:37 +0900</pubDate>
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<title>民主党政権時代、同党幹部と外国人女性の親密交際を示す資料や写真などが所在不明になっていた</title>
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<![CDATA[ 民主党政権時代、同党幹部と外国人女性の親密交際を示す資料や写真などが所在不明になっていたとして、 官邸周辺や公安当局が強い関心を示している。女性は工作員の可能性も疑われるほか、 幹部周辺による不可解な行動も把握されているという。<br><br>なぜ、証拠資料は消えてしまったのか。 <br><br>政府関係者によると、所在不明の資料とは、民主党幹部と中国人女性との交際状況について記されたデータや写真など。金銭に絡む資料も含まれる。写真には密着している様子まで写っており、既婚者でもある幹部の表情は緩んでいたという。 <br><br><br>外国人女性の祖国は、日本に敵対的言動を続けているうえ、日本国内に多数の工作員を送り込んでいるとされる。 公安当局としては、国家の危機管理上、この交際を放置できなかったようだ。 <br><br><br>自民党政権時代は、公安当局で資料を厳重に保管し、限られた関係者が存在を確認していた。３年３カ月の民主党政権が終わり、関係者が改めて確認しようとしたところ、なぜか所在不明になっていたという。 <br><br><br>前出の関係者は「外国人女性は工作員の可能性もある。それだけに、この問題は深刻だ」といい、こう続けた。 <br><br>「幹部周辺が１年ほど前、数週間にわたって、政府施設内で深夜まで作業をしていたことが記録されている。 公安当局は幹部周辺を以前からひそかにマークしていたうえ、深夜に及ぶ作業を『怪しい』とみて行動確認もしていた。 この時、何らかの操作があったとみている。当局では、資料が所在不明となった背景について、慎重に調べている」と語る。 <br><br>問題の資料だが、別の政府機関でバックアップされていると指摘する向きもある。 <br><br>公安当局では、危機管理の一環として、与野党幹部や高級官僚に近づく人物の情報を収集し、資料にしてまとめている。こうした中には、他国に握られた場合、国家としての弱みになりかねない資料もある。 <br><br>日本の政治家に接近し、不可解な関係が取り沙汰された外国の関係者については、過去にも何度か報じられてきた。 <br><br>橋本龍太郎元首相（自民党）には中国当局に関わりがある同国女性が接近し、鹿野道彦元農水相（民主党）らにはスパイ活動の疑いが持たれた中国大使館の元１等書記官が接触していた。<br><br>　菅直人首相（民主党）の資金管理団体は、北朝鮮による日本人拉致事件の容疑者親族の関連団体に多額の政治献金をしていたことが発覚している。<br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/eee111a/entry-11591734762.html</link>
<pubDate>Tue, 01 Oct 2013 11:16:05 +0900</pubDate>
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<title>日本の政治は、中道右派へ回帰する</title>
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<![CDATA[ <strong><span style="FONT-SIZE: large">日本の政治は、中道右派へ回帰する</span><br><br><br><br></strong>経済の高度成長と計画的な富の分配が不可能になった今日、日本の政治は再構築を迫られており、民主党の衰退もその流れの一環としてとらえることができる。左派の統合・縮小が進むのは必然だった。ある意味では、民主党政権は左派の最後のあがきだった。<br><br>今回の総選挙がどんな結果に終わろうとも、日本の政治は中道右派へ回帰するだろう。岡田克也氏を別にすると、今後政治の舵を左向きに切り直そうとする総理大臣が誕生するとは、まったく考えられない。しかもその岡田氏でさえ、09年当時とは変わってきている。<br><br>仮に安倍晋三氏がつまずいたとしても、次いで首相になる可能性のある人たち、つまり石破茂、石原伸晃、前原誠司、玄葉光一郎などの各氏は、みな安倍・岸路線につながる人たちだ。<br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/eee111a/entry-11591734105.html</link>
<pubDate>Fri, 13 Sep 2013 11:15:06 +0900</pubDate>
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<title>海上自衛隊の規模や実力と比べれば、何の脅威にもならないと報じた</title>
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<![CDATA[ タイ紙バンコクタイムズは８日、中国がロシアとの合同軍事演習で日本を威嚇しようとしても、 <br>海上自衛隊の規模や実力と比べれば、何の脅威にもならないと報じた。９日付で環球網が伝えた。 <br><br>記事は、７月上旬に日本海で行われた中国海軍とロシア太平洋艦隊の“熊とパンダの共演”で、 <br>中国は参院選を控えた日本を威嚇したつもりのようだが、海上自衛隊の規模や実力と比べれば、 <br>中国海軍編隊など何の脅威にもならない、と指摘。 <br><br>その証拠に北海道の宗谷海峡をオホーツク海に向けて通過するといパフォーマンスまで実施したにもかかわらず、 参院選で大きな課題として取り上げられることはなかった。中国は参院選の隙をついて、 <br>日本の指導層や有権者を脅かそうとしたようだが、すべて空振りに終わった、との見方を示した。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/eee111a/entry-11591733474.html</link>
<pubDate>Tue, 03 Sep 2013 11:13:37 +0900</pubDate>
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<title>安倍総裁「番組に国民の声反映されるべき」の風潮紹介</title>
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<![CDATA[ ★安倍総裁「番組に国民の声反映されるべき」の風潮紹介 <br><br><br>・自民党の安倍晋三総裁（58）が自身のFacebookで、「『番組作りには本当の国民の声が反映されるべき!』との <br>　大きなうねりが起きつつあります」とのコメントを寄せている。 <br><br>　安倍総裁は自民党の総裁選直前に朝の情報番組『みのもんたの朝ズバッ！』（TBS系列）に出演しており、 <br>　その番組上で「安倍元首相に期待するか」という街頭インタビューの内容が紹介されたのだが、安倍総裁は <br>　「『安倍さんは結局（首相在任中に）何もしなかった！』などのコメントを取り上げ、<span style="COLOR: #ff0000">実に八割の方々が <br>　『安倍晋三には期待しない』とのご意見でした」と説明する。 </span><br><br><br>　同番組に関しては、ネット上で「あの報道は明らかにおかしい」「絶対に情報操作している」などとの声が寄せられ、 <br>　10月12日に「反日メディア連続抗議行動～安倍バッシングを許すな！」と題したデモがTBS周辺で行われており、 <br>　安倍総裁も「TBSがデモ隊に取り囲まれたのは記憶に新しいと思います」とデモが行われたことを知っている様子。 <br><br>　こうした動きに安倍総裁は「『番組作りには本当の国民の声が反映されるべき！』との大きなうねりが <br>　起きつつあります」とコメント。 <br>　「その意味では皆様に積極的に番組に意見を伝えることも、草の根の声を活かしていくことに繋がるのでは <br>　ないでしょうか」とし、同局の視聴者センターの電話番号をFacebook上で紹介している。 <br><br>　<br>11月05日12時04分<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/eee111a/entry-11591732756.html</link>
<pubDate>Wed, 28 Aug 2013 11:12:14 +0900</pubDate>
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<title>偏向マスコミが敵視する安倍総裁</title>
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<![CDATA[ <strong>偏向マスコミが敵視する安倍総裁<br><br></strong>　衆院解散が決まり、自民党政権奪取の可能性が高まるにつれ、安倍晋三総裁の金融緩和政策への期待から、超円高が是正され、株価も上昇してきている。<br><br>　安倍氏が自民党総裁選に勝った９月２６日の円相場が７７円台後半だったのが、１１月３０日には８２円台半ばと５円近くも上昇している。超円高で進んでいた製造業の国内空洞化も見直しの機運が出てくるだろう。<br><br>　日経平均株価も同時期に８９０６円から９４７５円と６％以上も上昇している。公共投資を敵視してバラマキ政策を行ってきた民主党政権と、デフレ政策を取り続ける日銀の狭間で苦しんできた日本経済に、にわかに陽の光が射し込んできたかのような趣である。<br><br>　しかし「戦後レジームからの脱却」を唱える安倍の復活に関して、「戦後レジーム」の一翼たる一部の偏向マスコミは早くも危機感を覚えて、「安倍叩き」にやっきとなっている。<br><br>　たとえば安倍総裁が「日銀による建設国債の買いオペ（市場からの買い入れ）を」と発言したのを、「日銀が建設国債を全額引き受けを」と曲解して報道し、野田首相が「禁じ手だ」と批判する一幕があった。[1]<br><br>　買いオペは日銀の通常業務である一方、日銀の国債引き受けは財政法で禁じられている。この二つの違いの重大性を経済専門の記者が知らないはずはないから、不注意の誤りではありえない。弊誌は故意に安倍に向けた「言論テロ」と邪推する。<br><br>　前回の安倍政権は発足８ヶ月後、平成１９(2007)年５月末の朝日新聞の世論調査でも４４％の支持率を得ていた。教育基本法の改正、防衛庁の省への昇格、憲法改正のための国民投票法の設置など、まさに「戦後レジームからの脱却」というスローガンにふさわしい業績を次々と挙げていたからである。<br><br>　そのわずか２ヶ月後の参院選で歴史的な大敗を喫し、４ヶ月後には辞任に追い込まれるとは、誰が予想しえただろう。その躓きは「戦後レジーム」の一部として既得権益を失うことを恐れた一部の偏向マスコミの言論テロに遭ったからである。<br>
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<link>https://ameblo.jp/eee111a/entry-11591731583.html</link>
<pubDate>Fri, 23 Aug 2013 11:10:00 +0900</pubDate>
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<title>麻生氏のナチス発言、「ありゃ、ただのメディアリンチです」…メディアが悪意をもって叩いている</title>
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<![CDATA[ <br><strong><span style="FONT-SIZE: large">麻生氏のナチス発言、「ありゃ、ただのメディアリンチです」…メディアが悪意をもって叩いている</span></strong><br><br>麻生太郎副総理の「ナチス」発言が様々なメディアで批判されているが、元フジテレビアナウンサーの <br>長谷川豊氏がブログで「ありゃ、ただのメディアリンチです」と指摘をしている。 <br><br>　つまり、メディアが悪意をもって叩いているということだが、そうする理由について長谷川氏は、 <br>麻生氏が当該発言の際にメディア批判をしていたことから「プライドが傷ついたんでしょうかね？」と予測している。 <br><br>　麻生氏の真意については「あの時の麻生さんの発言の要旨って、ただのメディア批判なんです。 <br>落ち着いて言論しようよって話を言っただけ」と説明した。 <br><br>　長谷川氏はメディアの「主語」の報じ方に誤りがあると言っている。長谷川氏の解釈は“「人知れず、 <br>騒がず憲法を作り替えた」（←この「手法」が主語）ナチスのように、 あまり日本人も感情的に <br>ならないように話し合おうよ。”というものだ。 <br><br>　また、長谷川氏は記者会見でもなければ国会で話されたわけでもなく、講演で話されたこの件について <br>「根本的にニュースにする話か？これ？」と疑問を抱いている。詳細は8月5日に配信されるメルマガで説明するようだ。 <br>（以下略） <br><br>ソース：http://yukan-news.ameba.jp/20130804-90/ <br><br>
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<link>https://ameblo.jp/eee111a/entry-11591730745.html</link>
<pubDate>Sun, 18 Aug 2013 11:08:12 +0900</pubDate>
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<title>靖国参拝批判は世界で３カ国のみ</title>
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<![CDATA[ ■靖国参拝批判は世界で３カ国のみ■<br><br>　<strong><font color="#ff0000">第一の常識は、靖国参拝を公式に非難している国は、中国、<br>韓国、北朝鮮の「反日３兄弟」だけだという点である</font></strong>。<br><br>　実際のところ、「靖国神社参拝」に反対しているのは、<br>世界でたった３カ国にすぎません。マスコミの「諸外国の<br>反発」という書き方が国民を惑わせているのです。<br><br>　外国の要人が靖国神社に参拝するのは珍しいことではあ<br>りません。それどころかむしろその数は多いといえます。<br><br>「Ａ級戦犯」合祀後に、靖国神社に参拝した要人がいる国<br>は、世界で３０数カ国に上ります。ロシアのエリツィン元<br>大統領（1990年参拝)をはじめとして、チベットのダライ<br>・ラマ１４世など、異教徒の方も参拝しています。<br><br>「アジア諸国は靖国神社参拝に反対」と報道されています<br>が、2005年にインドネシアのユドヨノ大統領は「国のため<br>に戦った兵士をお参りするのは当然のことだと思う」と安<br>倍晋三自民党元幹事長に語っています。[2,p36]<br><br>　このユドヨノ大統領の言葉が国際常識である。<br><br>
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<pubDate>Thu, 15 Aug 2013 11:05:34 +0900</pubDate>
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<title>韓国での地域差別の酷さ…在日朝鮮人は、そんな差別から逃れる為に日本へ密入国してきた</title>
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<![CDATA[ <p>■韓国での地域差別の酷さ…在日朝鮮人は、そんな差別から逃れる為に日本へ密入国してきた■ </p><p><br>━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ <br>済州島出身の韓国人から、こんな話を聞いたことがある。 </p><p>「朝鮮の地域差別は、日本人にはちょっとわからないと思うくらいひどいんですよ。 </p><p>『陸地』でも慶尚道の人間は全羅道の人間を差別するけれど、それは『人間として』差別するんでね。 </p><p>慶尚道の人間も全羅道の人間も、済州島の人間を人間扱いしなかった。 </p><p>牛や豚の同類として差別したんです。 </p><p>済州島ではむかし人糞をえさにして豚を飼っていたから、僕らは『くそブタ』と呼ばれていたんですよ」 <br>━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ </p><p>■済州島 </p><p>歴史的経緯から地域差別が酷く、1948年4月3日に起った済州島四・三事件では、 <br>少なくても死亡者6万人 </p><p>日本に密入国してきた在日朝鮮人は「済州島出身者」が多いそうだけど </p><p>韓国では在日韓国人が蔑視される理由も、これが理由だそうです </p>
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<link>https://ameblo.jp/eee111a/entry-11592641975.html</link>
<pubDate>Wed, 14 Aug 2013 21:01:06 +0900</pubDate>
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<title>キリシタン宣教師の野望…寺社の破壊焼失、僧侶を含む全住民への洗礼強制、抵抗する僧侶の殺害、</title>
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<![CDATA[ ザビエルが日本での布教を開始して１３年、永禄５(1562)年、<br>肥前西部（長崎県）の大名・大村純忠は、宣教師トルレスの強<br>い説得に応じて、自領内の横瀬浦を貿易港として開港し、港と<br>その周囲半径１０キロメートルの土地をイエズス会領として寄<br>進した。またこの地に入港してくるポルトガル商人と、各地か<br>ら集まってくる日本商人に対して、１０年間、一切の税を免除<br>する事を決定した。<br><br>　フロイスの『日本史』によれば、博多や山口、さらには京都<br>からも大勢の日本商人が交易を求めてやってくるようになり、<br>横瀬浦は貿易港として急速に発展した。<br><br>　大村純忠は、この地に仏教徒が住むことを禁止し、自らもキ<br>リスト教に入信して、トルレスから「ドン＝バルトロメウ」と<br>いう洗礼名を授けられた。以後、家臣や住民にも洗礼を受ける<br>者が続出し、横瀬浦と純忠の本拠地・大村（長崎県大村市）の<br>領地で１２百余名のキリシタンが生まれた。純忠が戦いに臨む<br>際には、陣羽織には「ＪＥＳＵＳ（イエス）」の文字を入れた<br>地球が描かれ、首には十字架のついた数珠を掛け、「聖なる十<br>字架」を描いた旗を高々と掲げた。まさに十字軍の騎士さなが<br>らの出で立ちであった。<br><br>　<span style="COLOR: #ff0000">純忠は同時に仏門にも入ったが、宣教師コエリヨはこれを強<br>く非難し、神仏と決別する証として、領内からあらゆる偶像崇<br>拝を根絶し、一人の異教徒も住ませないよう強く迫った。純忠<br>はこれに従い、寺社の破壊焼失、僧侶を含む全住民への洗礼強<br>制、抵抗する僧侶の殺害、その他反対者の国外追放を強行した。</span><br><br><br>　<span style="COLOR: #0000ff">この結果、領内では２万人の住民がキリスト教の洗礼を受け、<br>仏像仏閣がすべて破壊され、その後に教会と十字架が建てられ<br>た。小さな子どもまでも仏像の破壊に加わり、その顔に唾を吐<br>きかけたという。また『郷村記』は、猛り狂ったキリシタンた<br>ちによって純忠の養父・純前の墓が暴かれ、その骨は川に投げ<br>捨てられた、と記している。</span><br><br><br>■６．キリシタン大名への軍事援助■<br><br>　キリシタン大名を得るための方策として、交易による利潤の<br>他にもう一つの手段があった。軍事援助である。それを求めて、<br>宣教師との結びつきを深めたのが、大友宗麟（そうりん）であっ<br>た。<br><br>　宗麟は豊後（大分県南部）を治めていたが、日本に最初にキ<br>リスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルから直接、説教を受<br>けており、キリシタン大名の中でも最も早くキリスト教に接し<br>た人物である。<br><br>　永禄２(1559)年、宗麟は豊後の他に、豊前（大分県北部）、<br>筑前（福岡県北部）、筑後（同・南部）の４カ国の守護職とな<br>り、将軍・足利義輝から「九州探題」に任命されたため、宣教<br>師たちの期待も高かった。<br><br>　宗麟はキリスト教の保護者を持って任じ、宣教師たちの布教<br>活動を援助するとともに、その引き替えに軍事物資の提供を求<br>めた。永禄１０(1567)年、宗麟はマカオに滞在していた司教に<br>あてて手紙を書き、中国地方を支配する毛利元就に打ち勝って、<br>キリスト教を広げたいので、鉄砲の火薬の原料となる硝石の日<br>本への輸入を禁止し、自分の領国にのみ販売するように依頼し<br>ている。<br><br>■７．長崎と茂木の軍事要塞化■<br><br>　天正７(1579)年に、東洋地域全域を所管する巡察師アレッサ<br>ンドロ・ヴァリニャーノが来日すると、その指導にとってキリ<br>シタン勢力が急伸した。<br><br>　大村純忠は、ヴァリニャーノの来日を機に、長崎（長崎港周<br>辺部）と茂木（長崎市茂木町）をイエズス会の永久教会領とし<br>て寄進した。<br><br>　ヴァリニャーノは翌天正８(1580)年に、この長崎と茂木の地<br>を、ポルトガル人を中心として軍事要塞化するように指示した。<br>これに従って数年後には、同地は大砲・鉄砲などにより武装さ<br>れ、軍艦も建造配備された。<br><br>　天正１３(1585)年には、純忠の領土の全領民約６、７万人が<br>キリシタンとなり、ここに完全なキリシタン王国が誕生したの<br>である。<br><br>　大村純忠の縁戚で、島原を領有していた有馬晴信は、当時、<br>肥前東部（佐賀県）の龍造寺氏から度々攻撃を受けて、窮地に<br>陥っていた。晴信はヴァリニャーノから洗礼を受け、その見返<br>りとして、食糧不足に苦しんでいた４つの城で、多量の糧食と<br>金子（きんす）を受け取った。さらにマカオからやって来たポ<br>ルトガルの交易船から、弾丸に使う鉛や火薬の原料となる硝石<br>を送られた。こうした軍事援助で、晴信は龍造寺氏との戦いで<br>危機を脱することができた。<br><br>　晴信はこの返礼として、ヴァリニャーノが自領に滞在してい<br>た３ヶ月の間に、領内にあった４０を超える神社や仏閣をすべ<br>て破壊し、領民２万人を入信させた。さらに浦上（長崎市浦上）<br>の地を、イエズス会の教会領として寄進した。<br><br>　宣教師たちは、これらのキリシタン大名を経済的軍事的に支<br>援する一方、毛利氏、龍造寺氏、島津氏など反キリスト教の大<br>名とは交易関係すら結ばなかった。<br><br>■８．「十字軍騎士」となったキリシタン大名■<br><br>　ヴァリニャーノは、キリシタン大名との政治的・軍事的連携<br>を強化する一方、布教体制の改革を進めた。セミナリオ（神学<br>校）、ノビシアド（修練院）、コレジオ（学院）の３種類の教<br>育機関を設け、日本人司祭の養成に努めた。<br><br>　天正１０(1582)年頃には、西日本各地に設けられた教会堂の<br>数は大小合わせて２００カ所、神父・神弟（日本人の伝道師）<br>は７５人に上り、急速な布教が進められた。信者数は京都から<br>中国地方に２万５千人、大友宗麟の治める豊後で１万人、大村<br>純忠・有馬晴信が支配する大村・島原・長崎地域に１１万５千<br>人、合計１５万人ほどにも急増した。<br><br>　この年１月には、それぞれの教育機関で育成した日本人子弟<br>の中から優秀な４人の少年を選び出し、大村純忠・有馬晴信・<br>大友宗麟の３キリシタン大名の使節として、ローマ教皇とスペ<br>イン・ポルトガル連合国国王の許に派遣した。<br><br>　翌年２月に少年使節たちはローマで教皇グレゴリオ１３世に<br>拝謁した。教皇が皇帝や国王を迎接する「帝王の間」で拝謁す<br>るという異例の栄誉を受け、３人のキリシタン大名からの親書<br>を手渡した。<br><br>　こうした儀式を通じて、キリシタン大名たちは、ローマ教皇<br>に忠誠を誓い、日本の「異教徒」と戦う「十字軍騎士」とされ<br>ていったのである。<br><br>■９．「我一生の不覚也」■<br><br>　信長が安土城で宣教師オルガンチーノと会見し、「盗賊にし<br>て何かを得んと欲するか」と聞いたのは、こういう状況下であっ<br>た。<br><br>　天下統一を目指す信長は、当時中国の毛利氏と戦っていたが、<br>その背後から九州探題・大友宗麟も中国を狙っていた。九州か<br>ら京都を目指すキリシタン勢力と、京都を押さえ中国・九州へ<br>と全国統一事業を進めつつあった信長とは、早晩対決が運命づ<br>けられていた。<br><br>『切支丹来朝實記』には、この頃の信長の心境をこう記してい<br>る。<br><br>　破天連方よりは便（たより）毎に今年は日本人何千人勤<br>め、今年は何万人勤め入ると臺帳に記（か）きて、南蛮へ<br>渡すとか。宣教師たちが貧民病者を慈しみ、尚（な）ほ此<br>等（これら）の妻子眷属に一人前金一銭づつを與（あた）<br>ふる等、弓矢を不用（もちいず）して日本を随（おと）さ<br>んとの謀事、然るに信長、南蛮寺の取沙汰、あやしき宗門<br>の様子及聞（ききおよんで）、心の内には後悔しけり。<br><br>（日本に駐在している宣教師からの報告で、今年は日本<br>人が何千人入信し、今年は何万人入信したかと、台帳に<br>記して、本国のポルトガルに送っているとのうわさ。宣<br>教師たちが貧しい者や病人を慈しみ哀れみ、それだけで<br>なく妻子眷属に一人当たりの前金として一銭ずつ与える<br>などして、弓矢を使わずに日本を征服しようと謀略を企<br>んでいること。このため信長はキリストの教会内の活動<br>や信者たちの怪しい所行について聞き及ぶ所があって、<br>内心では後悔していたのである。[1,p8]）<br><br>　さら『實記』が伝える所によれば、信長は前田徳善院玄以と<br>いう仏僧に「自分は彼らの布教組織を破壊し、教会を打ち壊し<br>て宣教師たちを本国に返そうと思うが、どう思うか」と諮問し<br>たが、「もしそのようなことをすれば、たちまち一揆が起こる<br>ことは間違いありません」と答えたので、信長は今まで宣教師<br>たちを保護してきた政策について「我一生の不覚也」と漏らし<br>た。<br><br><br>　　1. 椛島有三『織田信長の国家戦略』★★★、明成社、H17<br><br><br>
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<pubDate>Tue, 13 Aug 2013 11:03:07 +0900</pubDate>
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