<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?>
<rss version="2.0" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom">
<channel>
<title>chanyoのブログ</title>
<link>https://ameblo.jp/eggman000/</link>
<atom:link href="https://rssblog.ameba.jp/eggman000/rss20.xml" rel="self" type="application/rss+xml" />
<atom:link rel="hub" href="http://pubsubhubbub.appspot.com" />
<description>ブログの説明を入力します。</description>
<language>ja</language>
<item>
<title>うーん</title>
<description>
<![CDATA[ 私がこれまでずっと疑問を抱き続けていることの一つに宗教があります。<br>私の母親は私が幼いころ死に、私は今まで伯父と叔母に育てられてきました。<br>実の子供でない私を本当の家族のように大切に育ててくれたことに、今でも心から感謝しています。<br><br><br>しかし、私は幼いころから叔母に対して持ち続けている疑問がありました。<br>それは叔母がある宗教に熱心な信仰を持っているということでした。<br>私は幼いながらに何をもたらしてくれるのかよくわからない、宗教と言うものはなんとなく怪しいという理由から、宗教に少なからず不信感を抱き続けてきました。<br><br><br>しかし、彼女は優しく、また時に厳しく私を育て、私の味方であり続け、一人暮らしをしてからも私を支え続けてくれている自慢の母親です。そう信じて疑ったことはありません。また、自分の頭で考えることができる賢明で、善良な一人の女性だと思っています。<br>だから彼女の信じているものも否定することはなかったのですが、彼女の信じている宗教を信仰し、不利益を被っている人も私は知っています。叔母もその人も毎日祈りをささげ、特に私の高校受験などが近付くと、私にも祈りをするように勧めました。<br>尊敬する母の言うことですから私は一抹の疑問を抱きつつも真似をしていました。<br>そうして、これだけ祈ったのだから大丈夫だと母やその人は言うのです。<br>高校生くらいの私は宗教と言うものを一種の思考停止状態であると考えていました。<br><br><br>祈って大丈夫なのはおかしい。祈りに何時間もかけるくらいなら、その分勉強した方が絶対にマシだ。<br>むしろ睡眠を多くとってコンディションを整えた方が試験にはいいだろうと思っているほどでした。<br>宗教とはこういう風に、自分に自身の持てない弱者がすがるものであるという見下した思いと、母が信じている高尚なものという意識が私の中に常にありました。<br><br><br>大学に受かって、一人暮らしをしてからもこれは私の大きな疑問の一つでした。<br>その疑問を解決するために、私は街で布教活動をしているあらゆる宗教の方と積極的に話をしてみました。<br>しかし、帰ってきた返事は、私の疑問を解決するものではなく、ほとんどが現実逃避であるとすら思えました。そんな中の一人に、私を何度もしつこく尋ねてきた宗教がありました。正直興味が薄れていた私は、居留守をしてやり過ごしていましたが、二年ほどたっても一カ月に一度くらいのスパンで私のもとにきました。<br><br><br><br>私は、鬱陶しいと思いながらも、ここまで訪ねてきたそのしつこさに敬意を表し、また、上に書いたような疑問を全てぶつけて、こいつの目を覚まさせてやるという意気込みで、彼に会い、彼の家でゆっくり話す約束を取り付けました。<br><br><br>当日、夜の十時から彼に導かれ彼の家に行き、ドアを開けたところ中には別に三人の男性がいました。<br>聞いたところちょうど近所で集まりがあって、その帰りに寄ってもらった仲間だということでした。<br>私は正直やられたなと思いましたが、いまさら引き下がるわけにはいかず、まあ馬鹿が一人から四人に増えただけだと思いその中に入って行きました。<br><br><br>私は早速、半ばけんか腰で彼らに疑問をぶつけましたし、最初彼らは、私を勧誘しようとしました。お互い他人に云われてすぐに考えを変えるほど、軟い信念ではないので、このやり取りの間にすぐに日付は変更しました。<br>少し、お互い疲れて来たころからようやく熱が冷め、純粋に相手の気持ちを知りたいと思いました。<br>なぜ？どんな気持ちでこの宗教を信じたのか？私の疑問をどう考えるか？私は宗教を必要だと思うか？<br>など純粋な疑問をぶつけ合うことが出来ました。初めて双方、対等な人間として話すことができたのだろうと思います。徐々にお互いの壁がなくなり、納得できるところ、出来ないところ譲れないところも分かってきました。<br><br><br><br>そのあとも朝まで彼らと話しました。宗教のことだけではなく、これから自分の将来をどうしていきたいか。恋愛や勉強のことなど話し合いました。その中の一人とは今でも交流が続いています。<br>彼らと私は信仰で交わることはできませんでしたが、対等な人間として裸で自分の気持ちを吐露し合えた中になったと思います。<br>まとまりはありませんが、寝ます。<br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/eggman000/entry-11421805990.html</link>
<pubDate>Fri, 07 Dec 2012 00:28:24 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>ドリアングレイの肖像</title>
<description>
<![CDATA[ <p>オスカーワイルドの『ドリアングレイの肖像』についての読書感想文を書きます。</p><br><br><p>とても面白い本でした。いやあ怖いですね。</p><p>僕にしては珍しく一日で読んでしまいました。読み終えたときは朝の5時でした。</p><p>それほどまでに面白かったんです。</p><br><br><br><p>あらすじは、絶世の美少年ドリアンは、容姿が美しいだけでなく純粋無垢な美しい心を持ち、出会った人を虜にしていく。</p><p>彼の肖像画を描いた画家のバジルとバジルの友人のヘンリー卿もそんな一人だった。</p><p>肖像画に描かれた自らの美しさにドリアンは感嘆するとともに、自らの若さ、美貌が時の流れとともに失われていくことに恐怖を感じた。</p><p>ドリアンはその来るべき運命を恐れ、自分の美は永遠に、代わりに肖像が自分の醜さを全て負ってくれたら良いのにと願う。</p><br><br><br><p>その後、人心掌握術に長けたヘンリー卿は純粋無垢なドリアンの心の中に自らの逆説的な思考を植え付け、ドリアンが俗世にまみれ穢れていく姿を楽しむ。</p><p>ドリアンは徐々にヘンリー卿の危険な思想に傾倒し、限られた若さ、自らの美を余すところなく発揮し、快楽におぼれ、人を陥れる娯楽と悪徳の日々を送っていた。</p><br><br><p>しかし、どれほどの月日が経とうと、どれほどの悪徳を重ねようとドリアンは昔のままの美しい姿だった。</p><p>だが、彼には他の誰にも見せることのできない秘密があった。</p><p>バジルが描いた彼の肖像画は彼が悪事を行う度に醜く変貌し、その姿にドリアンは人知れず絶望していたのだった。</p><br><br><br><br><br><br><p>怖い小説ですね。誰にも見せられない秘密、消してしまいたいやましい過去、代償にかなえられた最上の願い。</p><p>ドリアンは、肖像の姿に絶望します。悪事などやめてしまえばよいのに、せっかく実現した願いゆえに快楽に身をゆだね悪事を重ねまた肖像は醜くなる。</p><p>分かっているけどやめられない。</p><br><br><p>誰しも犯罪でないにせよ罪を犯したことはあるはずです。意図せず誰かを傷つけてしまったり、なぜ自分はあの時あんなことをしてしまったのだろうという後悔は誰しもあると思います。</p><p>僕にだってたくさんあります。</p><p>でも、僕を含めて多くの人は、多くのことを忘れてしまっています。</p><p>忘れるという行為は、本当に偉大な行為ですね。</p><p>忘れることが出来なければ、どれほど罪悪感に襲われることだろうか。</p><p>忘れることが出来なくても、思い出さなければいい。見たくない過去には蓋をする。</p><p>もう過去のことで今さらどうすることも出来ませんし、一番大切なことは今ですから。</p><p>また、罰せられることで、過去の罪を償うこともできます。</p><br><p>いずれにしても、良心の呵責にとらわれない方法はいくつかあると思います。</p><br><br><br><p>でもドリアンにはその全てが出来ないんです。</p><p>醜い肖像を見ることで自分の悪徳はそれを思い出すよりもより鋭く彼の心に突き刺さる。</p><p>自分の悪事のおかげで自分の良心がどんどん犯されていくことが目に見える。</p><p>でもそれらは決して消えることはない。</p><p>罰せられることもなく、償うこともできない。</p><p>自分の過去は一生自分に付きまとう。</p><p>彼は、そんな現実に絶望し、最後の最後に私の心に感銘を与えた名言を残します。</p><br><br><p>「罰せられる事には浄化がある。「神よ我らの罪を赦し給え」の代わりに「罪ゆえに我を打ち給え」という言葉こそ、最も正しき神に対する人間の祈りであるべきだ。」</p><br><br><p>「（神よ）罪ゆえに我を打ち給え」</p><p>これは本当にいい言葉です。</p><p>感動しました。今まで読んできた小説の中でもトップに食い込む名言だと思いました。</p><br><br><p>それほどまでに絶望し、そう思うことこそドリアンに与えられた罰だと思います。</p><p>神がいるとすれば、神が人間に与える罰を実行する機能は人間の良心なのだと思います。</p><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/eggman000/entry-11414051352.html</link>
<pubDate>Tue, 27 Nov 2012 02:07:00 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>困難を乗り切った方法</title>
<description>
<![CDATA[ <p>最近D. カーネギーの道は開けるを買いました。</p><p>まだ全部読んではいませんが、その最初の方であった話に、私の昔の経験談がリンクしたので、忘れないうちに書き留めておきます。</p><p>もともとこのブログは、私の備忘録としての役割があるので、つつみ隠さず書きます。</p><br><br><br><p>その経験をしたのは、まだ私が高校生の時でした。</p><p>センター試験の次の日、私は学校でセンターの自己採点を終えて絶望に暮れていました。</p><br><br><p>私は、中学の頃からろくに勉強をしておらず、定期テストの前に少し勉強をするくらいでした。</p><p>そんなこんなで高校受験も失敗し、あまり偏差値が高くない私立の高校に入学しました。</p><br><br><p>高校に入ってもさぼり癖は治らず、勉強と言ったらテスト前に少し友達とワイワイやるくらいでした。</p><p>それでも毎回30番くらいにはなるので、大した危機感もやる気もなく高校三年生になりました。</p><p>そして4月の数学の実力テストで、百点満点中1点をとりました。</p><p>これにはさすがに傷つきました。</p><p>それからは、夏休み一人で地元の小さな図書館にこもって毎日勉強をしていました。</p><p>夏休みが明けての模試では、地元の国立大学は余裕のA判定で、高校順位も2位に100点以上の差をつけて堂々の1位になりました。</p><br><br><p>中学以来そんな成績をとったことがなかった私は天狗になりました。</p><p>友達とまたワイワイ勉強し、遊んで、自分の勉強をおろそかにしました。</p><p>ちなみに私は、自分の兄弟がみんな世に言う難関校に進学していたので、自分も当然行くのだという妙な自信と言いますか、願望があったのです。</p><br><br><br><p>しかし、調子に乗って勉強していない私はセンター試験でこけました。</p><p>当然の結果です。当時も思いましたが自業自得で本当に愚かです。</p><p>地元の国立には行けそうだが、自分が志望した大学ははっきり言って無理であろうことは明確でした。</p><br><br><br><p>地元を離れて世間一般でいう高学歴になりたい。しかし、明らかに無理だ。地元の大学に行けば就職先も良くなく、一生地元で平凡に過ごすことになるかもしれない。</p><p>一人暮らしもできないし、兄弟への劣等感もある。</p><p>なにより自分が常に行くと決めていた、行きたいと思っていた大学に行けない。</p><p>高校受験も失敗して、大学受験も失敗するのか私の人生は一生、第二志望になるんじゃないのか。</p><p>第一志望に受験すれば、おそらく100%の確率で落ちる。そうすれば浪人か？浪人したらまたもう一年これを繰り返すのか。周りの友達が、大学に進学する中、私は浪人生と言うニートとほとんど変わらないような身分で、親のすねをかじる惨めで申し訳ない生活をしなければならないのか。</p><p>しかも、一年浪人したところで受かる保証なんて全くない。</p><br><p>などなど今にして思えば大袈裟だと思いますが、その時は本当に色々なことを考えて落ち込んでいました。食欲もわいてこず、常にこんなことばかり考えていました。</p><br><br><p>しかし、2、3日そのような状況が続いた後、なぜか気持ちが晴れやかになりました。</p><p>おそらく悩みつくしたのでしょう。悩みの底に到達したのだと思います。</p><p>想定できる最悪の事態は全て考えることができました。</p><p>しかもそれらを怖がるだけではなく、直視することができました。</p><p>その時の私の気持ちは、私はおそらく落ちるかもしれない。落ちたら浪人で惨めだろう。</p><p>それでもいい。浪人になっても成功しないかもしれない。その時は地元で適当な職を見つけて働こう。</p><p>そうなったら第二の人生だ。つらい仕事でも、味方になってくれる家族はいるし友達もいる。</p><p>でも浪人になったら絶対成功させてやろう。</p><p>というようなものでした。</p><br><br><br><p>じゃあ後は何をするべきか？</p><p>確実に落ちると決まったわけではないし、浪人するにしても今勉強しておけばそれは大きな貯金になる。</p><p>こう決めて残りの1カ月は、本当にやりこみました。</p><p>物理や化学なんかはまだ手を付けていない分野もありましたが、一心不乱にやりました。</p><p>あの一カ月の勉強の密度は本当にすさまじいものだったと思います。</p><br><br><br><p>結果は不合格でした。</p><p>その後自宅で浪人をしましたがあの一カ月と家族や、一緒に浪人した友人達のおかげで、初めての模試では、今までE判定しかとっていなかった志望校でA判定を出し、問題なく受かりました。</p><br><br><br><p>一浪しましたが、志望校を下げなかったことに全く後悔はしていません。</p><p>むしろ、困難を乗り切ったという初めての経験になったことに感謝しています。</p><p>家族や友人にも返しきれない恩があります。</p><br><br><p>僕の困難を乗り切る方法は、現状を見つめなおすこと、それが起こった際に生じる最悪の事態を考え、それを避けず直視し覚悟をすること。ここまで出来れば後は自然にやることになります。</p><br><br><p>これがカーネギーの本にも書いてありました。</p><p>長くなりましたがこれで終わります。</p><br><br><br><br><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/eggman000/entry-11392145279.html</link>
<pubDate>Mon, 29 Oct 2012 23:48:29 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>蟹工船</title>
<description>
<![CDATA[ <p>小林多喜二の蟹工船の読書感想文を書きます。</p><br><br><p>プロレタリア文学の代表作として名高いこの作品ですが、私はプロレタリアの意味も知らずに、</p><p>とりあえず有名だし青空文庫にあるから読むかという心持で読みました。</p><p>物語の面白さという点では、正直あまり面白くはなかったですが、過酷な蟹工船での労働環境の様子や、</p><p>容赦のないカムサッカの荒波、生具さくおんぼろの船、そこで働く労働者の様子はありありと伝わってきました。</p><p>これらは私だけでなくこの小説を読んだ人全員が感じるであろうことだと思います。</p><br><br><br><p>プロレタリアとは労働階級に属する人、対してそれらを支配する階級の人をブルジュアと言うそうです。</p><p>過去に北海道の僻地などで、お金に困った人や、だまして連れてきた若者を集めて、タコ部屋という施設で強制的に働かせたことがあったと聞きます。</p><p>その労働は過酷を極め、労働者たちは劣悪な環境化で奴隷のように働かされ死者も多くでたそうです。</p><p>この作品も、カムチャッカの海に浮かぶ蟹工船で、タコ部屋労働を強いられる人々の耐え難い労働と、ついにそれらの労働者が団結し反旗を翻す様が書かれています。</p><br><br><br><p>利益を追求するあまり、末端で働く人々を酷使するというのは、やはり資本主義という社会形態の宿命であると言えるのでしょうか。</p><p>市場が十分に開拓し尽くされ競合者が増えれば、労働を激化させたり他国を植民地支配し新たな市場を強制的に開拓するか、いずれにせよ行き着く先は弱者からさらに絞りとることになっていくというのは避けられないのですかね。</p><p>では、弱者からの搾取も、し終えたら次はどこに行けばよいのでしょうか。</p><br><br><br><p>法の規定する範囲内では個々人が己の利益を最大化させるよう動いてもよいという権利を与えてくれる</p><p>資本主義はすごいシステムであると思います。</p><p>さらにそれが結果的に全体の利益につながっていくというのがさらにすごい。</p><p>しかし、長期的に見れば焼畑農業を行っていることと変わらないのかなとかずっと思っていました。</p><p>使われる側としては、このような末期の資本主義などたまったものではありません。</p><br><p>蟹工船の船員も耐え切れず一斉にストを起こしました。</p><p>その結果、彼らを支配していた監督者は会社から責任をとわれクビになります。</p><p>しかし会社は何も損害を受けず、彼に責任を負わせましたが、彼もまた最下層ではないにせよ労働者なのです。</p><p>一部の労働者が団結したところでこの会社のヒエラルキー構造はほぼ何も変わらなかったことになります。</p><br><br><br><p>一部が団結したところで実際の状況は何も変わらず、ゆえに資本主義という社会はまた新たな農地を探し続けることになるでしょう。</p><p>この根底を崩すためには、すべての人が等しく労働者になる共産主義や国が全労働を指揮する社会主義なのでしょうか。</p><p>でもそれはいやですね。</p><br><br><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/eggman000/entry-11388866799.html</link>
<pubDate>Fri, 26 Oct 2012 03:22:26 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>山月記</title>
<description>
<![CDATA[ <p>中島敦の山月記についての読書感想文を書きます。<br><br><br>大変面白い物語だと思います。<br>高校の国語の授業で読んだ方も多いのではないでしょうか。<br>私もその1人で、当時もなんとなく面白いなあと思いましたが、今になって読むとさらによく分かりました。<br><br><br><br>虎になってしまった李徴は、エリート街道を進んでいたがその有能さゆえに周りを見下し、自分の新たな可能性を信じ、自らエリート街道を離れ詩人として後世に名を残す道を目指す。<br><br><br>詩作りに励むために人里離れた山奥に住み、誰からも教えを請うことなく独力で詩を作る毎日を送る。<br>しかし、詩人としては大成せずに生活に苦しみ、仕方なく出世からは無縁の地方の役人に舞い戻るが、かつて見下していた同輩は、既に皆出世している。<br>李徴の自尊心は傷付き、耐えきれず彼は狂い虎になってしまった。<br><br><br>特定の師を持たず己の才能のみを信じた李徴は、自分が臆病な自尊心と尊大な羞恥心に囚われていたと振り返ります。<br><br><br>私にはこの気持ちがよくわかります。</p><p>教えを乞うのは立場上、自分が多かれ少なかれその教示者に対して下手に出ねばならず、さらに自分の無知をその人に晒すことになる。<br>こういうわけで、教えてもらうというのは割と勇気がいると思います。<br><br><br></p><p>その勇気がなくて半ば仕方なく独学する人には、独力で成し遂げたということに関して、多少の自信といいますかプライドのようなものがある人もいると思います。<br>そのプライドに加え、実は自分が人にものを聞けないような臆病者であるという劣等感から他人を見下し、孤立を高めていく人がいるというのも私にはすごくよく分かります。<br>これぞまさに李徴の言う、臆病な自尊心と尊大な羞恥心なのでしょう。</p><p><br><br><br>私はまさにこれでした。<br>今は少しマシになりましたが。<br>臆病心から人に聞けなかったのです。<br>自分でなんとか解決して自分を有能だと思い込み、周りを見下すことも心の中で少しやっていました。<br>でも、プライドを捨てることもプライドがいるということは分かっていました。<br>なんでも1人で乗り越えられるような人はそんなにいません。<br><br></p><p><br>勇気を持って自分を見返せば、ただの臆病者です。<br>これが分かってから、私はとても楽になりました。</p><br><br><br><p>でも、自力で問題を解決するということを否定するわけではありません。</p><p>自力でやるというのはとても立派なことです。</p><p>でも一人で悩んでいてもどうにもならないこともあるし、自分よりも経験豊富な人や、知識を持っている人も周りを見返せばいるかもしれませんし、人に相談するたったそれだけで楽になるということもあるのです。</p><br><br><br><p>もちろん勇気が要ります。</p><p>でも本気で打ち明ければ、友人はみんな親身になって考えてくれるものです。</p><p>人に相談することによって自分の立場を整理することもできますし、意外な見識を与えてくれることもあります。</p><p>そういう友人や師を持っていることは本当に幸せなことだと思います。</p><br><br><br><p>当たり前のことですが、悩んでいるときは大抵視野がせまくなっているので、友人や師の偉大さについてはしばしば思い出すべきものであると日々感じます。</p><p>この小説で、その大切さを改めて思い返すことができたような気がします。</p><br><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/eggman000/entry-11384721554.html</link>
<pubDate>Sun, 21 Oct 2012 00:19:04 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>大学受験で備わる能力</title>
<description>
<![CDATA[ <p>私は塾講師のアルバイトをしています。わりと長くやってきましたが、色々な発見や考えさせられる事があって楽しく今でもやらせていただいています。</p><p>考えたことの一つを忘れないうちにここに書きます。</p><br><br><br><p>大学受験の勉強は実際その後生きていく上でたいして必要にならない、あんなもので学生の頭の良さを計ることはできない、よって試験制度を変えるべきだ。</p><p>というような批判を多くの人が耳にしたのではないのでしょうか。</p><p>これらの批判はたしかに一理あると思いますが、私は現行の試験制度はなかなかいいのではないかと思っています。</p><br><br><br><p>その理由は、科目の知識はたしかに直接的な役には立たないでしょうが、全科目、国立、私立、理系文系関係なく、受験勉強全体を通してその後の人生にもきっと役に立つ能力が備わると思うからです。</p><p>その能力は計画性、自律性、逆境に耐える力だと思います。</p><p>この中でも今回は計画性に絞って少し私の思うところを書きます。</p><br><br><br><p>計画性は受験にもその後にも絶対に重要です。</p><p>受験に関して言えば、おそらく最重要能力の一つであると私は思います。これは私自身の経験からも、何人かの受験生を見てきた経験からも言えます。</p><p>受験生は計画を立てることを基本的に嫌います。本番が近付くにつれ相談に乗ってあげないと計画を立てようとしなくなります。</p><p>これは何故かと考えてみましたが、計画を立てるためには最終的な目標と、現在の自分の学力をまずしっかり把握しなければならないということが大きな原因の一つではないかなと思います。</p><p>目標とする将来と現在の力のギャップをもろに痛感してしまいますから。</p><p>本当は薄々そのギャップに気付いているのでしょうが、いざスケジュールというものに表わしてみると一気にリアルになってそれを見るのが嫌なのではないかなと考えます。</p><p>一心不乱に問題集をやっているときはまだ楽なんです。それをスケジュールという形で文面に起こして見るのは本当に怖いことです。</p><br><br><br><p>でも、計画を立てれば、そのギャップが分かりますし、それが分かったところで初めて、自分が今本当にやるべきことは何なのかがわかり学習の効率は上がります。</p><p>迷路に似ているといると思います。</p><p>複雑な建物内で迷った時、むやみやたらと直感で進むのも面白いと思いますが、現在地と目的地が分かる地図があればそれは便利です。</p><p>計画性はさらにこの地図上に、最適な経路を計画することに似ていると感じます。</p><p>経路を決めれば、後は進めば良いですが、こまめに地図をチェックしていないと最初に決めた経路から逸れていきますし、しかも進んでみて初めて分かることもあるでしょうから定期的にチェックした方がいいなと思います。</p><p>これを繰り返せば、どれだけ経路からずれたのかということと、目的位置から、無理のなく時間内に目的地に到達できるような計画が出来るようになっていくのではないのかなとか思ったりします。</p><br><br><br><br><br><br><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/eggman000/entry-11381462195.html</link>
<pubDate>Tue, 16 Oct 2012 22:55:40 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>札幌</title>
<description>
<![CDATA[ <p>前回、雪国について書くつもりが何故か夏目漱石についてになってしまいました。</p><p>お酒を呑みながら書いていたので、よくわからなくなってしまったんです。</p><p>しかも、その呑んだところが自分で言うのもおかしいのですが、お洒落なんですよ。</p><br><br><p>あのとき私は札幌にいたんですが、夜暇やなあと思って一人で出かけたんですよ。</p><p>札幌の街は深夜でも人が多くて飲み屋がたくさんあります。街並みもネオンも綺麗で、歩いているだけで楽しいし、おいしそうな店がたくさんあるんです。</p><br><br><p>大通りに面した通りにいい感じに洒落たバーがありました。</p><p>扉とかはなく道から店内は丸見え、暗めの店内の奥にカウンターが見え、たくさんの人がお酒をのんでいる魅力的な店でした。店の名前はAVANTIだったと記憶しています。</p><br><br><p>私はお酒が好きで好きでたまらないような男ですので、店員さんと話しつつブログも更新しつつとても楽しい時間を過ごしました。お客さんが多くいたので気づきませんでしたが3時を回っていました。</p><p>生意気なことを言いますが、お酒の味はとびきり美味しいとは感じませんでしたが、とても楽しい時間でした。久しぶりに気持ち良く酔いました。</p><br><br><p>せっかく遠くに来て贅沢をしているのだし、旅の要素が入った感想文でも書くかと思ったのがきっかけでした。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/eggman000/entry-11380709284.html</link>
<pubDate>Tue, 16 Oct 2012 00:19:45 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>川端康成雪国1</title>
<description>
<![CDATA[ 川端康成の『雪国』についての読書感想文を書きます。<br><br>この小説については、ストーリー的に思ったことは何もありません。<br>ですので、今まで私がいくつかの作品で試みたような馬鹿げた解釈はできません。<br>ですが、何度も繰り返し読みたいと思えるような魅力がこの小説にはあります。<br>だから今回はこの作品を好きな個人的な理由のみを書くことにします。<br>ぜひ読んでください。まだ読んでない方には読んでほしいと心から思います。<br><br><br><br>綺麗でわかりやすい文書を書きたいと私は常々思ってきましたが、どうも私にはできません。<br>今まで少ないながらも文章を読んできました私は、流麗な文章、力強い文章に出会うと、それに強く惹きつけられ、それを真似てみたいと思ってきました。<br>何度も何度もその文章を読んだり、その文についてを何も知らない友人に、その魅力を、迷惑だと思いながらも語ったりしてきました。<br><br><br><br><br>そのような私にとって最も好きな文を書いてくれるのは、夏目漱石でした。<br>則天去私という信念で知られるように彼の文章は透明であると形容されますが、私も先に漱石の『こころ』を読んだ時にはそのような思いも抱きました。<br>しかしそれだけではなく、私の印象を包み隠さず言えば、簡潔で、物足りなさすら感じてしまうような彼の文章の中にはいくつかの情緒があると感じました。<br>そして、その簡潔さの中に分かりやすさ、透明感、格好良さを感じ、情緒の中には私が思う明治特有の洒落た感じや、土臭さみたいなもの感じました。<br>「土臭さ」というと透明感と相反する概念のように思えますが、それらが上手くマッチしているところが心地よいと感じます。<br><br><br><br>これは、説明できませんが私個人の観念では、夏目漱石の作品は一言でいえばラムネ瓶やビール瓶などのような、複数の色のついたガラスの瓶のような印象を受けます。<br>意味が分からないとは思いますが、透明で無機質ながらも、どこか昔ながらの趣や庶民派と感じさせてくれるよう瓶類を思い浮かべます。<br>これに私は懐かしさを感じ、それゆえ漱石の書く物語に惹きつけられるのでしょう。<br><br><br><br>とまあ、こんなところが私が漱石の書く文章をすきな理由です。<br><br><br><br><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/eggman000/entry-11360109004.html</link>
<pubDate>Fri, 21 Sep 2012 02:36:10 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>バカの壁</title>
<description>
<![CDATA[ 非常に今更ですが、養老孟司さんのバカの壁を読んだので、その感想文を書きます。<br><br><br>この本は第一章のはじめの3ページによい事が書いてあると思います。<br>その内容は<br>「知るということはそんなに単純なものではない。知っているという思い込みは危険だ。」<br>ざっとこんな感じです。<br>あとのお話は、この言葉をそっくり養老さんに返すような内容になっています。<br><br><br>まずこの本は、テーマとして一貫したものがないと思います。<br>脳というものがキーワードになっているんだと思いますが、そのキーワードにかこつけて話が次々に飛びます。<br>脳や意識という観点から現代社会の矛盾や、宗教ほか色々を解明します。という感じなのでしょうか。<br><br><br>その複数ある著者の主張の中には、いくつか成る程と思えるものもありました。<br>しかし、全体として言えることは、そのように考える根拠が恐ろしい程示されていない。<br>もしくは、極端な例をもって根拠としようとする。<br><br><br>根拠が曖昧なだけでなく、著者の仮定をあたかも常識のような形でいきなり出してきて、ロクな根拠も示さずに結論に入る。<br>読んでいて、なぜだ？<br>どこにそんなこと書いてあった？<br>と探してしまうような前提がさも事実として紛れ込ませてあります。<br><br><br>私はこういう仮定を置きますよ。<br>その観点からは、この問題はこのように見えるのではないか？<br>という風な論調にして欲しかったですね。<br><br><br>前提が単なる思い込みだから、結論も思い込みになる。<br>著者が冒頭3ページで述べたことは、まさに何だったのだろうかという気持ちになってしまいました。<br><br><br><br><br><br><br><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/eggman000/entry-11348603875.html</link>
<pubDate>Fri, 07 Sep 2012 19:15:18 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>こころ</title>
<description>
<![CDATA[ <br><br><p>夏目漱石の『こころ』の感想文を書きます。</p><br><br><br><br><br><br><br><p>この小説では、「日本の近代化と日本人」について書かれていると感じました。</p><br><p>私は以前、なんとなくこの小説を理解する鍵は、茂木大将が明治天皇の崩御に際し、殉職されたという出来事にあると考えておりました。</p><br><p>この小説はかなり前に読んだ作品ではありますが、それを今、書いてみるのは、このあたりの考えが少しだけつながったので忘れないように、また、自分の考えを改めるためです。</p><br><br><br><br><br><br><br><p>私は最近、夏目漱石の『私の個人主義』、『それから』を読んでみて、漱石の考える「近代化と日本人」について少し私なりに思うところがありました。</p><br><p>『それから』では、主人公の大介が、現代の日本人は己が生き延びるために不義なことも行う。と説いていたように、近代化により、日本人は己の実利のために、それにより人との絆は希薄になった。そして日本人が昔から持っていた心を失ってしまった。私は『こころ』でも同じことが言えるのではないかと考えました。</p><br><br><br><br><br><br><br><p>主要な登場人物は4人ほどいると記憶しておりますが、核となるのは先生とKであると思います。</p><br><p>先生は近代日本人を、Kは近代化前の日本人の心を表わしていると考えました。</p><br><br><br><br><br><br><br><p>Kは己の信念に従い、生きる人として描かれていたと思います。養父からの進学の提案を蹴って、学費の援助を切られても自分の道を進むというある意味で愚直な人間でした。彼には利ではなく自己の正義をとるという強さがあり、彼のもっているその強さに先生も得体の知れぬものを感じていました。</p><br><p>対して先生は、Kのそのような生き方が理解できない、どちらかと言えば己が生きるために損得を考えて生きるという人という書かれ方をしていると感じました。</p><br><br><br><br><br><br><br><p>先生は友人を裏切って姑息な手を使おうとする自分と、お嬢さんを手に入れたいという自分との間で葛藤します。最後は己の利己心が勝ったわけですが、この先生の行動がKを自殺に追い込んでしまいます。</p><br><p>己の利己心からの行動をとり、K（日本人の心）を殺してしまう。</p><br><p>日本人の心を捨てて利己的な行動に出たことは、先生が完全な近代日本人になったことを表わしていると考えます。</p><br><p>さらにその後、先生はお嬢さんと結婚することが出来ますが、お嬢さんにはKの自殺の理由を伏せて暮らしています。</p><br><p>先生はKという友人を失い、妻に自らの内面を打ち明けることも出来ないといった孤独にさいなまれているというわけです。</p><br><br><br><br><br><br><br><p>そして最後に明治天皇という日本人古来からの心の象徴を失った茂木大将と同じく、先生も自殺の道を選択してしまいます。</p><br><br><br><br><br><br><br><p>文明が進むにつれて、人は社会の歯車として生活することを強いられ、個人としての生き方、その国の文化が徐々に薄まっていくというのは色々言われているのではないかと思います。</p><br><p>文明の飛躍的進歩を遂げる現代こそ、何が失われてしまったのかということを自覚することは大切なことなのかもしれないと思いました。</p><br><br><br><br><br><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/eggman000/entry-11346807823.html</link>
<pubDate>Wed, 05 Sep 2012 14:06:08 +0900</pubDate>
</item>
</channel>
</rss>
