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<title>気まぐれスピリチュアル☆ガネーシャと私</title>
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<title>法則性</title>
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<![CDATA[ <p>この世界は、大きな意識が形として現れている世界で、「意識のここをしているのが私」だと私のブログでは書いています。</p><p><br></p><p>そして、その意識のここがしているすべてのこと「私の行ないや言うなどして発したもの＝返ってきたもの」ということを以前に書きました。</p><p><br></p><p>「返ってくる」と書きましたが、返ってきているというよりは、「自分の行ないや自分自身が発した波動やエネルギーと同質のものが"ここ"に現れている」ということだと思っています。</p><p><br></p><p><br></p><p>引き寄せの法則というものがありますが、その法則では自分の思考や感情が現実化すると言われています。</p><p>すべてのものには周波数があり、自分自身の感情や思考などの周波数と共鳴するものが引き寄せられるというものです。</p><p>自分が望む現実を引き寄せるために、自分が望むものと同じ波動や周波数に合わせた言動や行動・思考や感情を意識的に行なうと望みが現実化すると言われています。</p><p><br></p><p><br></p><p>この形ある世界の物理的な法則というのは、例えば草が風で揺れる時、「このくらいの風が吹くと、この大きさの草はこのくらい揺れる」というような現象の法則です。</p><p>風が吹いていないのに草が揺れていたら「そこに何かがいるから揺れている」とわかります。</p><p>動きに不自然さがあると違和感として感じ取ることができますが、違和感として感じ取ることができるほどに法則性を持ってすべてが動いていることがわかり、自然現象に法則性があることは物理学などに詳しくなくても生活の中で感じることができます。</p><p><br></p><p><br></p><p>人の体も自然現象の一部で、この体の働きも自分以外のものとの関わりも、この世界・宇宙の働きも含めすべての動き・働きには法則性があり、すべては関係し合って動いています。</p><p><br></p><p>地球があるから宇宙があるのではなく、宇宙の中に地球があるのですが、この地球で見ることができる自然の法則を見れば、宇宙の大きな動き・働きの中で動いている地球は、その宇宙の法則の中動いていることをイメージすることができます。</p><p><br></p><p><br></p><p>形あるものの法則性は目に見えて理解できますが、目に見えないものは、形あるものとは違い法則性のないものだと捉えられることが多いのだと思いますが、「この世界のすべては意識が現れたもの」なのだとすると、形あるものが法則性を持って動いていると見えているなら、形のない見えていないものも"この世界に現れる"ためには法則性の中動いているのだと私は思っています。</p><p><br></p><p><br></p><p>「大きな意識の中」とてつもなく大きな動きの中の今ここを行なうために「私」として存在しているならば、私の行なうすべては「意識のここ」のために行われているはずです。</p><p>「私という意識のここが発しているもの」がここを表し、発したものがここに現れるのだとイメージしています。</p><p><br></p><p><br></p><p>この世界の法則性を活かして、引き寄せの法則で言われているように意図的に自分が望むものを現実化していくことは可能だと思っています。</p><p><br></p><p><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/emit8py/entry-12914371447.html</link>
<pubDate>Mon, 21 Jul 2025 01:11:18 +0900</pubDate>
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<title>不安&lt;感謝</title>
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<![CDATA[ <p>今、日本に限らず世界でも様々な災害などが起こっていますが、先日も世界滅亡や日本滅亡などの言葉がSNS上に溢れていました。</p><p><br></p><p>この世に生まれてきている限りはいつかこの世からいなくなる日がやって来るということですが、予期せぬ出来事でいなくなることや大きな出来事が起きてしまうことは、考えたくない恐怖や不安な出来事です。</p><p>備えをしておくことは現実的に重要なことですし、不安な感情を必要以上に抱くということを避けることは可能だと思います。</p><p><br></p><p>近年、大きな災害や人災などを映像などで見ることも多く、私も関西に住んでいるため阪神大震災の経験もありますが、もう大きな災害は経験したくありませんし、生活が穏やかで安心の中にあることを望んでいます。</p><p><br></p><p><br></p><p>しかしいつか自分の最期の日というのは必ず訪れます。</p><p>自分の最後の日というのは、この体でなくなる日ということです。</p><p><br></p><p>死後の世界や、生まれ変わりなどの概念もありますが、今この体で見ている世界は本当に今の自分だけのものです。</p><p>この体での感じ方・考え方で見えているものも好きだと感じるものも、この体だからできているものです。</p><p><br></p><p>すべては「大きな意識の中」に記憶されていると思うので、この体でなくなった後もこの意識は「大きな意識の中」にあり、この体でのすべてのことも記憶も「大きな意識の中」にありますが、その「大きな意識」の今ここにいることができて、ここを見たり感じたり"経験すること"ができるのは今あるこの体だけです。</p><p><br></p><p>死後の世界や生まれ変わりなどの考え方は、「今」を曖昧にしてしまうものでもあるように思います。</p><p>私である存在、今のここには私しかいません。</p><p><br></p><p><br></p><p>不安になることを考えこの体を不安にすることよりも、今ここにあること・ここにあるものに感謝をしたり、愛おしく感じることを意識的にしていくことが大切だと思います。</p><p><br></p><p><br></p><p>「大きな意識のここ」の私の不安は、波動やエネルギーとなり大きな意識に伝わってしまうので、多くの人の不安が多いほど、大きな意識そのものは不安に揺れることになると思います。</p><p><br></p><p>感謝や愛の波動は高いと言われますが、より多くの人が感謝や愛を感じたりして発すると、大きな意識の波動も高くなり、現象も変わっていくのだと思います。</p><p><br></p><p>自分の内側に向けて感謝や愛する気持ちを伝えると、大きな意識へ伝わります。</p><p>心の中で伝えるだけでも意識に伝わりますが、呟くように感謝の言葉を口にするとそれは振動となり意識に伝わっていきます。</p><p><br></p><p>生活をしていると不安になることや感情が乱れることは多くあります。</p><p>不安などのネガティブな感情よりも、感謝や愛するなどのポジティブな感情の方がより多く、自分の心にあるよう意識的にしていくことが大切だと思います。</p>
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<link>https://ameblo.jp/emit8py/entry-12914687368.html</link>
<pubDate>Tue, 08 Jul 2025 01:11:48 +0900</pubDate>
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<title>すべては大きな意識の中</title>
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<![CDATA[ <p>この世のすべては"大きな意識"がエネルギー体として形で現れているもので、私の体も「意識のここ」をするために現れている存在だと思っています。</p><p><br></p><p>個人として現れているので、私と他者は別々の意識を持っていると長い間思っていましたが、この世では"考え方などこの体の機能を使いできること"はそれぞれ違って行ないますが、意識の部分は「繋がっている」と言うよりも大きな意識そのものにアクセスしているのだと思っています。</p><p><br></p><p>今生きている人たちは、人が作った社会の中に生まれて来ていて、社会の中で自分がどう生きるかを考えたり、周りを見て自分を判断したりなど、"本来の私を見て生きる"ということに気づきにくいのだと思います。</p><p><br></p><p>社会生活の中で体調を崩したり、疲れてしまったり、苦しく感じたり、そうして私は何のために生きているんだろうと感じた時に「私を見る」ということに気づく人が多いのだと思います。</p><p>私を見るというのは、大きな意識にアクセスしやすくなるということでもあると思います。<br></p><p><br></p><p><br></p><p>すべては「大きな意識」の現れなので、生き物に限らず、今見えているすべては意識の現れた姿だと思います。</p><p>見えているものに限らず、例えば「言霊」と呼ばれるものがあります。</p><p>言葉にすると波動やエネルギーとなって伝わるのですが、すべては大きな意識の中で行われているので、"伝わる"というのがどこに伝わっているかというと"大きな意識に伝わっている"ということです。</p><p><br></p><p>「自分のしたことや言ったことは自分のところに返ってくる」とはよく聞きます。</p><p>自分のすることというのはすべてが、</p><p>「大きな意識のここのために行われていること」</p><p>なので、「ここから発したもの=返ってきたもの」ということだと思います。</p><p><br></p><p>大きな意識の中には良いことも悪いこともすべてありますが、自分のしたことが良いこと悪いことと判断しているのは自分で、悪いことをしたから罰が与えられるというわけではないのだと思います。</p><p>自分の発したものが、"ここの形"ということなのであれば、それを意識した言葉や行ないを心掛けるのが良いのではないかと思います。</p><p><br></p><p><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/emit8py/entry-12913981739.html</link>
<pubDate>Wed, 02 Jul 2025 02:22:33 +0900</pubDate>
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<title>今自分についてくれている力</title>
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<![CDATA[ <p>自分の行ないは、自分の意志で自分が行なっているように思っているけれど、それを行なう力や存在=「精霊」のようなものがついていて、そのおかげでできているということを前回までに書きました。</p><p><br></p><p>以前にも書きましたがそのイメージは、とても小さな光のようなたくさんのエネルギー体が、人や生き物のもとになっている魂のような存在に集まって、1人の人や生き物になっているというものです。</p><p><br></p><p>仏像の中に、光背にとてもたくさんの仏さまがいる仏像がありますが、あのようなイメージをしています。</p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p>霊がつくというと悪いもののようなイメージが多いですが、精霊=霊体だと思っているので、霊は怖いまたは悪い存在だけのものではないと考えています。</p><p>自分についてくれている霊体のおかげや、周りにいる霊体、場にいる霊体など知らぬ間に助けられていることもあると思います。</p><p><br></p><p><br></p><p>守護霊というものも、「おじいさんやおばあさんの守護霊がついている」などよく聞きますが、おじいさんそのものの霊がついているというだけではなく、おじいさんやおばあさんをしていた精霊が今自分についてくれているということだと私は思っています。</p><p><br></p><p><br></p><p>"宇宙のいま・ここ"でその人がそれを行なうために、以前別の人を構成していた力の存在が、今はその人についてくれている。</p><p>思いや記憶が引力のような力になり、近しい人についてくれる。</p><p><br></p><p>形の上でご先祖様たちのおかげで、この体があって今があるということもそうですが、自分が今できていることやしていることを行なってくれている力の存在のどれかは、"ご先祖様を行なっていた力の存在"かもしれません。</p><p><br></p><p>自分が日々していること、どんな些細なことでも精霊などの存在のおかげですることができていて、それは近しい人から来てくれた力の存在のおかげかもしれないという意識で見ると、自分の今日の行ないの何かに感謝したり、自分自身を大切に感じること=ご先祖様や近しい人に感謝することや大切に思うことになると思っています。</p><p><br></p><p><br></p><p>そして意識や記憶は「大きないのちの意識」の中にあると以前書きましたが、もうこの世に実体としていない人や存在(ご先祖様など)も「大きないのち」の中にあるので、私の感謝やそう感じていることは必ず"伝わる"のだと思っています。</p><p><br></p><p><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/emit8py/entry-12911984572.html</link>
<pubDate>Tue, 24 Jun 2025 02:22:15 +0900</pubDate>
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<title>力が去ったと感じた出来事</title>
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<![CDATA[ <p>私は小学校に入ってから2〜3年の間、4年生になる頃までスイミングスクールに通っていました。</p><p>基礎のコースや泳ぎのコースの進級を終えて、選手コースに入っていました。</p><p>当時、選手コースが何なのかわかっておらず、後になってセンシュコースが選手コースのことだったと知りました。</p><p>私がいた時、小学生では私だけだったので話す人もおらず、ひたすら時間いっぱい泳ぎ続けるメニューなどにも苦しくなってしまい、辞めることを伝えるとコーチには止められましたが、親は選手コースに思い入れもなくあっさり辞めることになりました。</p><p><br></p><p><br></p><p>その数ヶ月後、学校のプールの授業で久しぶりに泳ぐことを楽しみにしていた私ですが、いざ授業が始まるとまったく泳ぐことができませんでした。</p><p>頭ではわかっているのに体が全然動かず、好きだったクロールやバタフライは形にならず、平泳ぎは形にはなるけれど全然進まないというくらいになりました。</p><p>コーチに聞いた泳ぎのコツや、泳いでいた感覚など夜寝る前にイメージし、夏休みのプール解放で練習したり翌年もその翌年もしましたが泳げませんでした。</p><p>その時にもう一度スイミングスクールに通いなおしていれば、また泳げるようになっていたと思いますが、自分から辞めたこともあり戻ることはしませんでした。</p><p><br></p><p>幼い頃に2〜3年だけだったのでちゃんと身についていなかったのかもしれないことや、泳がない期間が数ヶ月空いたこともあると思いますが、不可解なこととして私の中にありました。</p><p>泳ぐことが私から去ったと感じていました。</p><p><br></p><p>私が「辞める」と決めたことで、付いてくれていたものが去ったように感じました。<br></p><p><br></p><p><br></p><p>あの時から、自分がしていることもできていることもそれをするための「何かが」付いているのかもしれないと考えるようになりました。<br></p><p>何かをするための力として捉えたり、それが付いてくれている・去っていったなどは私の感覚です。</p><p><br></p><p><br></p><p>ですが、今していること・できていることはきっと当たり前ではないのだと感じた出来事でした。</p>
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<link>https://ameblo.jp/emit8py/entry-12911908520.html</link>
<pubDate>Sun, 22 Jun 2025 02:22:35 +0900</pubDate>
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<title>見えないたくさんの力</title>
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<![CDATA[ <p>今回は、目に見えない・形ではない存在(精霊のようなもの)について書いていこうと思います。</p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p>私は夜、布団の中で横になり眠る前に、今日の1日に感謝を伝えて眠りに就くことを心がけています。</p><p><br></p><p>一つは、見えない大きな力で私を守ってくれている存在(一般的に言うとハイヤーセルフや守護霊、信じている神仏などの存在)と宇宙やすべてを動かしている力やそのもの、大いなる存在に。<br></p><p><br></p><p>一つは前回に書いた、形として体にいるであろうとてもたくさんの何かの存在=私の体が生きることをしてくれているすべての力の存在、私の体に。</p><p><br></p><p>そしてもう一つは、形ではないたくさんの存在です。</p><p>それは、私という宇宙の中のここをするために集まっている力の存在、そしてすべての人やすべての生き物に働いてくれている存在でもあり、生き物以外のすべてにも宿っている存在=精霊のような存在です。</p><p><br></p><p><br></p><p>この世のすべては「大きな意識」=「形ではないもの」が、エネルギー体として形で現れている存在だと認識しているので、自分がしているすべては、そういったエネルギー体の存在が私をするために集まっていて、そのおかげで私を行なうことができているとそう思っています。</p><p><br></p><p>それは、魂と言われる少し大きな存在に、たくさんの光の粒のような力の存在が集まって1人の人が構成されていると、私はイメージしています。</p><p><br></p><p><br></p><p>例えば、出かける準備をしてドアから外に出て、鍵を閉める時に忘れ物に気付ける時があります。</p><p>気づくことができたのは、記憶をしてくれている光の粒が教えてくれた、というイメージです。</p><p>ティンカーベルのような光の粒が光って教えてくれているようなイメージです。</p><p>なので私はその時に「教えてくれてありがとう」と私の記憶の力に伝えます。</p><p>そうして"教えてくれた声を聞いている意識"を持っていると、何か忘れていても気づけることが増えてきます。</p><p><br></p><p>そして記憶の粒も一つの存在ではなく、記憶を担当するのにもたくさんの存在がいると思っています。</p><p><br></p><p>"記憶"というエネルギーの存在は、生き物だけではなく場などにも存在していて、時々人はその場の記憶から何かを感じたり、また心霊現象として見せられることもあるのだと思います。</p><p><br></p><p><br></p><p>"記憶"というのも意識の現れで、「大きな意識」の中にすべての記憶があります。</p><p>アカシックレコードと呼ばれるものは、「大きな意識」の中にある記憶にアクセスするというものだと思います。「大きな意識」の中には過去・現在・未来すべてがあるので、そこにアクセスすると未来のことを予知するということになります。</p><p><br></p><p>それを思うと私個人の忘れ物など本当に些細な記憶に感じますが、私がその時忘れた物の在処も"記憶"の中にあるということです。</p><p><br></p><p>"記憶"というものは「大きな意識」の中にあり、「大きな意識」がこの世界に現れる時はエネルギー体として現れるので、体が記憶にアクセスするには記憶を担当するエネルギー体が存在していると思っています。</p><p><br></p><p>記憶に限らずすべてはエネルギー体で、私がこの体ですることのすべてはたくさんのエネルギー体=精霊のような存在が働いてくれているということなのだと思っています。</p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/emit8py/entry-12908814590.html</link>
<pubDate>Sun, 15 Jun 2025 02:22:42 +0900</pubDate>
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<title>意識が変化する時</title>
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<![CDATA[ <p>前回、意識について少し書きましたが、今回も意識についてのお話です。<br></p><p>「風の時代」に入ったと言われていますが、私はこれから多くの人の意識が変わっていく時代に入っていくと思っています。<br></p><p><br></p><p><br></p><p>今年に入り2月頃から、何か気の悪さのようなものを感じていました。<br></p><p>何かネガティブな気分やイライラになりやすく、私自身の気が大きく乱れていて、中々バランスが取れないのだとはじめは思っていました。</p><p><br></p><p>世の中で起きている事件・事故など見て、全体的にも気が荒れているんだと感じました。</p><p>今も気が荒れているのを感じていますが、天候などによるもの以外の気の乱れによって、気分が優れない方も多いのではないでしょうか。</p><p><br></p><p>全体の大きな動きの中で気が荒れると、人の気も乱れ感情的になったり、様々な場所でネガティブなものが起きやすいと感じています。</p><p>"大きな意識"の中にあるストレスのようなものが、形として現れているのだと思っています。</p><p><br></p><p><br></p><p>2025年7月５日、この日付はスピリチュアルに関心がある人もない人も、多くの人に知れ渡っている日だと思います。<br></p><p><br></p><p>海外からの旅行者がこの日の予約をキャンセルしているということも報道されていましたが、旅行をやめ万が一に備えるくらいに、日本以外の国の方にもインパクトを与えているのだと思いました。</p><p><br></p><p>"より多くの人に認知されると回避される"ということも言われています。</p><p>この世界は「思い・思考」が現実化するとも言われているので、大多数の人の思考や思いによって、知らぬ間に違う未来を選択することができて、現象として現れます。</p><p>それは"大きな意識"が変化した姿だと思います</p><p><br></p><p><br></p><p>ノストラダムスの大予言というものがありましたが、"起きないだろう"と思いながらも万が一というものが意識のどこかにあった人が多かったのではないかと思います。</p><p><br></p><p>1999年7月に入っても想像していたような大きな動きは起こらず、2000年を迎えることができました。</p><p>2000年になって少し経ち、私は何か明らかに世界が変わったと感じました。<br></p><p>パラレルワールドに入ったのかと思ったくらいに、違う世界に入ったように感じました。</p><p>何か意識的な部分が大きく変わり、何かが開けたように感じました。</p><p>1999年という世紀末を超えて2000年になったこと、その世紀末にノストラダムスの予言のような恐ろしいことが起きて何かが変わると想像していたものが起きなかったこと。　</p><p>そして、1999年頃も世の中の"大きなうっぷん"のようなものが溜まっているのを感じていました。</p><p><br></p><p>1999ー2000年あの時を境に何か変化させたものは、うっぷんが溜まった世界に、何かを変えてくれるほどの大きなことが実は何も起こらなかったということに意識の変化する要素があったのではないかと思います。プレミアムイヤーという期待感も相乗効果だったように思いますが。</p><p><br></p><p>今回の7月5日というのも、意識の変化が起きるきっかけなのではないかと私は思っています。</p><p>今また世の中に、現実や社会に対するにうっぷんが溜まっていて、それが全体的にネガティブな波動となり、人の気も乱れていると感じています。</p><p><br></p><p>今回のことをきっかけにスピリチュアルなことに意識を持った人も多くいると思います。</p><p>スピリチュアルなことへの意識というのは、</p><p>「現実的な社会生活を生きている自分」という意識を、「大きな意識の中、宇宙の中のいま・ここの私に気づき生きる」という意識に変わることだと思います。</p><p><br></p><p>今は全体的に気が荒れていると感じますが、7月5日を超え8月に入っても大きなことが起こらなかった時、何もなかったように感じても意識の部分は変化していくのだと思います。</p><p><br></p><p>そしてその後「意識の時代」が始まるのだと思います。</p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/emit8py/entry-12909700425.html</link>
<pubDate>Sat, 14 Jun 2025 02:22:27 +0900</pubDate>
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<title>大きな意識の中のいまここ</title>
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<![CDATA[ <p>前回は、形ある存在としての見えないたくさんの存在について書きました。</p><p><br></p><p>私は、自分のこの体も含む形あるこの世界(宇宙も含めてすべて)は『形のない世界が現象として形になって現れている』ということをベースにしてとらえています。</p><p>簡潔に言うと、すべてはエネルギー体・そして大きな意識の一部だと思っています。<br></p><p>これは、私が感じてきたことや考え方、スピリチュアルなことが書かれた本など他の人から得た情報も含めてのとらえ方になっています。<br></p><p><br></p><p><br></p><p>スピリチュアルと言われているものに対しての私の基本的な考えは「その人に理解できる形として現れる」と思っています。</p><p>大きく捉えると同じようなことを言っているけれど、人によって言うことが違うのはそのためではないかと私は解釈しています。</p><p><br></p><p>私がここで書くものは、私の見るスピリチュアルで"これが正解です"というものではありません。</p><p>私がブログを書く理由としては、</p><p>いのちそのものに対する感謝やリスペクトと、</p><p>今・ここをしている自分を、自分が愛すること・感謝することです。</p><p>『感謝すること』の力になれるものを書きたいと思っていますが、私は文章も話すこともあまり得意ではありません。</p><p>うまく書けないとは思いますが、読む人に少しでも何か感じるものがあれば良いなと思っています。</p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p>すべての人は、「形ある世界=宇宙」や「形じゃない世界も含めた大きな世界=いのち」のひとつの存在で、その「大きないのち」の意識の中で「いのち・宇宙のここ」を行っているんだと思っています。<br></p><p>自分一人の意識として捉えているものは、"すべての意識の一部"だということです。<br></p><p><br></p><p><br></p><p>「何をしたいのかは自分が一番よく知っている」や、「答えは自分の中にある」とよく言われています。</p><p>「私はこれがしたい」と決めて動き始めると、不思議と周りに同じ考えや趣味の人が集まったり、物事が動き始めるということがあります。</p><p>時に急に加速したかのように一気に物事が動くこともあります。</p><p><br></p><p>すべては大きな意識の中にあって、関係し合っていて、意識のここの私が「こうしていきたい」という信号を送ると、それを実現するためにたくさんのものや力が動いていきます。</p><p>私が周りを動かしているというよりは、"大きな意識"がもっと大きな形で「こうなりたい」という意識が働いていて、そうなるためのひとつの力のようなものが「私の願望、行ない」だと思っています。</p><p><br></p><p><br></p><p>そうなると何か自由ではないような印象や、何かに決められて動いているような感覚がしますが、宇宙は今も大きくなっていると言われているように、大きな意識も成長して大きくなっていっているのだと思います。</p><p>そして、大きな意識の"こうなりたい"は「意識」で、私たちは形で行なうことで、そのエネルギーや意識に近づいて行くのだと思います。</p><p><br></p><p>"いま・ここ"とよく聞きますが、大きな意識や形ある宇宙の中でいま・ここをしている私が豊かになると大きな意識はその分だけ豊かになり、ハッピーを感じると、その分だけハッピーになる。</p><p>シナリオは決まってはいないけれど、私の意識は大きな意識によって動いている。<br></p><p><br></p><p><br></p><p>すべては大きな中で関係し合って動いていて、"様々な力"がピッタリと合った瞬間を感じると、奇跡のように感じたり、偶然のように感じるのだと思います。</p><p><br></p><p>奇跡に感じる出来事だけではなく、本当に日常的なこともすべては、ものすごいバランスで動いていると感じます。</p><p>そしてものすごくたくさんの力が働いて関係し合っています。</p><p><br></p><p><br></p><p><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/emit8py/entry-12908851917.html</link>
<pubDate>Sat, 07 Jun 2025 22:22:08 +0900</pubDate>
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<title>たくさんの力の存在を感じることになったきっかけ②</title>
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<![CDATA[ <p>前回からの続きになります</p><p><br></p><p>前回は以前暮らしていた2匹の兄妹猫のうち、妹猫が死んでしまった時に感じたことの話でした</p><p>今回は兄猫の時のお話です<br></p><p>妹猫が死んでしまってから2年後、16歳と数ヶ月の時に兄猫も亡くなりました<br></p><p><br></p><p><br></p><p>老衰によって体の水分調節がうまくできなくなり、何も口にしなくなってしまいました</p><p>病院へ行くと、点滴を打ってあげると体が楽になるとのことでしたが、あとはもう体力の持つ限りだと言われました<br></p><p>点滴のおかげで少しの間食欲も戻り、このまま元気になってくれないものかと思いましたが、日に日に体が機能しなくなるのを感じていきました</p><p><br></p><p>本当に体というのはすごいバランスで働いているのだと、改めて感じることになりました</p><p><br></p><p>寝たきりになってしまい、小さな体を介護して２週間ほど経った頃</p><p>口から何も受け付けなくなって数日経っていましたが、時々下痢をしてしまうのでお尻を拭いてあげていました</p><p><br></p><p>亡くなる日の夜中も目が覚めて、お尻を見ると下痢をしていたので拭いていました</p><p>その時にゾワゾワ、ザワザワ感じ始めました</p><p>以前の感覚を忘れていたので最初は"何かゾワゾワするな"と思いました</p><p>ザワザワが強くなっているのを感じて、思い出しました</p><p>私が何か予感として感じているものなのか、どこからそのザワザワが感じられるのか</p><p>注意して感じると、小さな体の中でとても騒いでいると私には感じられました</p><p>それから少しして呼吸が乱れた後、息をしなくなりました</p><p><br></p><p>翌日から寝不足などのためか、私も熱が出て１週間寝ていました</p><p>その間猫たちに感謝したり、魂などが穏やかにあるように祈ったりしていましたが、あのザワザワしていたものについても考えていました</p><p><br></p><p>体が死んでしまう時、何かがあんなに騒ぐのだというのを感じて、"私のこの体も、死んでしまう時にあんなふうに騒ぐんだろう"と思いました</p><p>細胞や体の中にいる菌のように、とてもたくさんの目に見えないほどの小さな物質の声のようなものだったのかもしれないと考えていました</p><p>酸素などがうまくまわらなくなり、苦しくなって騒いでいたのかもしれない</p><p>そして、あんなふうに騒ぐ意識のようなものを持っている存在のように感じられました</p><p><br></p><p><br></p><p>騒いでいるものを見たのではなく、何を言っているのか聞いたわけでもなく、"騒いでいると感じた"ということです</p><p>"感じただけ"というのは、事実というには確かなことではないと思うのですが、感じるというその感覚が捉えることもあると思うのです</p><p><br></p><p>誰かの様子を見て、悲しいと感じているのだろうとわかったり、顔や口では明るい感じだったけど何か寂しそうだった、など感じることから理解することや、"その感じ"に対する共通認識のようなものがあると思います</p><p><br></p><p>私はそのザワザワしたものを感じた時、"騒いでいる"と感じたのです</p><p>異常なことが起きて騒いでいるような感覚を感じました</p><p><br></p><p>その騒いでいると感じたものが何なのかは分かりませんが、妹猫の時に感じた"体が死んでしまう"と騒いでいるように感じたのは何だったのか、兄猫の時は"死んでしまう"と言って騒いでいるとは感じませんでしたが、それでも騒いでいるのを感じたのでした</p><p>騒ぐ"意識があるもの"が体にある、そういう感覚でした</p><p><br></p><p>このことが"体にはたくさんの存在がいる"と感じたきっかけの出来事ですが、この時は"形あるもの"として存在を感じたというものでした<br></p><p><br></p><p>その後に意識や、形ではない力の存在について感じたり考えていくきっかけにもなりました</p><p><br></p><p><br></p><p style="font-style: normal; font-variant-caps: normal; font-stretch: normal; font-size: 12px; line-height: normal; font-family: Helvetica; font-size-adjust: none; font-kerning: auto; font-variant-alternates: normal; font-variant-ligatures: normal; font-variant-numeric: normal; font-variant-east-asian: normal; font-variant-position: normal; font-variant-emoji: normal; font-feature-settings: normal; font-optical-sizing: auto; font-variation-settings: normal;"><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/emit8py/entry-12908107834.html</link>
<pubDate>Wed, 04 Jun 2025 02:22:23 +0900</pubDate>
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<title>たくさんの力の存在を感じることになったきっかけ</title>
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<![CDATA[ <p>前回にも書いている"たくさんの力の存在"</p><p>私がその存在たちのことをはじめて感じた時のお話です</p><p><br></p><p><br></p><p>私は少しばかりですが霊感と呼ばれている感覚や、不思議と呼べる体験など"私の見ているスピリチュアル"というものがあります</p><p><br></p><p>子供の頃よりも大人になるにつれて強く意識するようになりました</p><p>母が不思議な人で直感力があったり、山に入り修行をし人のことを霊感で見ることをしていた親戚がいたり、今で言うスピリチュアルという感覚を近くに感じていました</p><p>当時はスピリチュアルという言葉は身近になかったので、霊感という意識が子供の頃からあったのだと思います</p><p><br></p><p>私自身も子供の頃から感じているものがあり、"お知らせ"と私は呼んでいますが、小学校低学年の頃から"何か"から教えられているという感覚がありました</p><p>でもその頃はお知らせとは意識しておらず、何か私は他の人と違うものを見ているという感覚です</p><p>何かこの世がテレビの中で演じられているもののように、本当のことではないというような奇妙な感覚をずっと持っていました</p><p>"何故みんなは気づいていないんだろう、でもうまく説明はできない"、そう思っていました</p><p><br></p><p><br></p><p>たくさんの力の存在については、以前一緒に暮らしていた2匹の猫たちがきっかけです</p><p><br></p><p>知り合いから譲り受けた兄妹猫で、生後3ヶ月の時に我が家にやってきました<br></p><p>女の子はやんちゃなところがあり、男の子はおっとりとしていて性格は違いましたが基本的に2匹とも穏やかな猫たちでした</p><p>健康的でもあり、病院にお世話になることも定期的な検診以外は特にありませんでした</p><p><br></p><p>猫たちも14歳を過ぎて数ヶ月経った頃のことです</p><p>猫たちの朝ごはんはいつも早起きの家族が用意してくれていました</p><p>女の子の猫は特に食べることが好きで、その日の朝も朝食を催促しに来て、2匹とも食事をし、トイレにも行き、それぞれの場所でくつろいでいたようです<br></p><p><br></p><p>まだ眠っていた私は、鳴き声がして目が覚めました</p><p>隣の部屋で女の子の猫が鳴いていて、"何だかよく鳴いてるな"と、ぼーっとした意識の中で聞いていましたが、その猫が鳴いている部屋で、"とてもたくさんの何かがものすごく騒いでいる"のを感じてきました</p><p><br></p><p>その時、"体が死んでしまう"とそういう感じがして、私は布団から出て隣の部屋へ行きました<br></p><p><br></p><p>たくさんのものが騒いでいると感じた辺りに、女の子の猫がうずくまって鳴いていました</p><p>体に異変があり鳴いているのがその様子から見てわかりました</p><p>そばに近寄ると、猫の不安な感情と、たくさんの何かがものすごくザワザワ騒いでいるのを感じました<br></p><p><br></p><p>朝の7時台、"どこか診てくれるところはあるのかな、どうしよう"と思いながら猫を撫でていると、鳴くのをやめて横になり、静かに呼吸をするようになりました</p><p>小さな体の中でたくさん騒いでいる声がより強くなっているように感じて、"病院に連れて行くまで持たないんだ"と思いました<br></p><p>そして数分後、少し呼吸が乱れた後、息を引き取りました<br></p><p><br></p><p>呼吸をしなくなった後も、そのたくさんの何かはしばらくの間ずっと騒いでいました</p><p>死んでしまった時、突然だったこともあると思いますが、悲しいという気持ちがすぐには湧いて来なくて、心がとても静かなところにいる感覚になっていました</p><p><br></p><p>火葬をするため体とお別れした時、その体にもう騒いでいる何かは感じませんでした</p><p>そしてこの時、騒いでいたのは何だったのかとはまだ考えませんでした</p><p>命が尽きる時、あんなふうに騒ぐんだと何となく感じていただけでした</p><p><br></p><p>この時が私が、たくさんの力の存在を感じた最初の出来事です<br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/emit8py/entry-12907101263.html</link>
<pubDate>Fri, 30 May 2025 22:22:57 +0900</pubDate>
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