<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?>
<rss version="2.0" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom">
<channel>
<title>エンディングノートとして</title>
<link>https://ameblo.jp/endnote/</link>
<atom:link href="https://rssblog.ameba.jp/endnote/rss20.xml" rel="self" type="application/rss+xml" />
<atom:link rel="hub" href="http://pubsubhubbub.appspot.com" />
<description>タイトルの通りエンディングノートとして積み上げていきます。</description>
<language>ja</language>
<item>
<title>１７　母の俳句@父の闘病</title>
<description>
<![CDATA[ <p>父の看病中に詠んだ俳句<br><br>寒風に　待つ人もなし　家路えと<br>水仙を　待つ人なきも　咲きにけり<br>点滴や　窓辺のガラス　衿たてて<br>点滴を　ながめて今日も　風さむし<br>枯っ風　体の管の　はなれわざ<br>痛みどめ　一時夢の中　そっとして<br>今日も又　寒さにめげず　頑張れと<br>今日も抜く　数本の管　窓くもり</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/endnote/entry-12671202651.html</link>
<pubDate>Wed, 28 Apr 2021 11:34:42 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>１６　母記す　父の闘病中の食事の注意</title>
<description>
<![CDATA[ <p>２０１９年１２月１８日<br><br>栄養指導　Ｔ山さん<br>あらかじめ５分前頃までにご来室ください。<br>尚、都合により予約日に出席できない方は、栄養科までご連絡ください。<br><br>胃切除後の食について<br>胃はほとんどの栄養素の直接的な吸収には関与していませんが、唾液を混ぜた食物がかくはんされ胃の出口から徐々に十二指腸へ移動するというダムの役目を果たしています。<br>術後は、この働きが欠如あるいは低下するため、食べ物が胃に<br>いったん蓄えられず、一度にとれる食事量が少なくなり、栄養不足に陥りやすくなります。<br>しかし、術後の回復のためには充分な栄養を積極的に補給する必要があります。<br>胃切除後の食事療法の基本は次のとおりです。<br>食べ方の注意点<br>①胃の果たしていた役目を少しでも補う為、ゆっくり時間をかけよく噛んで食べましょう。（流動物でも噛むようにして少しづつ飲み込むことが大切です。）<br>②１回に食べる量を少なくして数回（５～６回に分けて食べるようにする。<br>③胃酸という自然の殺菌剤が欠如する為、生ものをとる時は注意が必要。<br><br>各食品の選び方<br>穀類<br>・御飯　やわらかめ　　１００グラム（一回量）<br>・粥　　　　　　　　　１５０グラム（一回量）<br>・五分粥　　　　　　　１５０グラム（一回量）<br>・パン粥　　　　　　　１５０グラム（一回量）<br>・芋類（ジャガイモ、甘藷、里芋等は柔らかく煮て適量<br>果物（実）間食としてもちいるといいでしょう。<br>・リンゴ皮なし　　　　中２／３個位（１日量）<br>・バナナ　　　　　　　１本位（１日量）<br>・メロン　　　　　　　１／４個位（プリンスの大きさで）<br>・イチゴ　　　　　　　適量<br>・ぶどう（種なし）　　適量<br>・缶詰（桃、みかん）　１００グラム位<br>乳製品<br>乳酸品は消化吸収も良く、カルシウムを補給するために適した食品です。<br>１日に牛乳を２本分４００ＣＣ位飲むとよいでしょう。<br>（冷たいのを飲むより、温めるか噛むようにしてゆっくり飲むとよいでしょう。<br>又、牛乳１本分を下記のような物で代用するのもよいでしょう。<br>①牛乳１本＋ヨーグルト１個<br>②牛乳１本＋ジョア１本<br>③牛乳１本＋ヤクルト<br>④牛乳１本＋チーズ１切<br>調味料<br>塩、醤油、砂糖、味噌、酢等は適量使用してください。<br>香辛料類は、刺激の強い物は控えましょう。<br>油脂類<br>植物油、バター、マーガリン、マヨネーズ等、適量使用してください。<br>揚げ物料理は控えめにしましょう。<br>タンパク質のおかず<br>下記の物より毎食１～２品選んでとりましょう。<br>・肉類、ササミ、鶏肉（皮なし）、鶏挽（脂少ない所、レバー等）<br>・魚介類、白身魚（タラ、タイ、アジ、カレイ、サワラ等脂の少ない物）<br>・練り製品（ハンペン、姫竹輪、白かまぼこ、なると等）<br>・貝類（カキ）<br>・卵、半熟卵、おとし卵、卵豆腐、卵焼き、炒り卵、茶碗蒸し等）<br>・大豆製品（豆腐、凍豆腐）<br>★避けたい物<br>豚・牛のレバー、バラ、鶏肉の皮部分、もつ類、ウインナー、ソーセージ、ハム、肉汁エキス、ウナギ、スジコ、イクラ、数の子、タコ、イカ、貝類、大豆<br>野菜類<br>繊維の少ないものを良く加熱して柔らかくしてから用いましょう。<br>大根、人参、南瓜、白菜、ほうれん草、小松菜、玉葱、もやし、インゲン、冬瓜その他<br>★避けたい物<br>ごぼう、セロリ、生姜、切り干し大根、タケノコ、とうもろこし、レンコン等硬くて繊維が多いもの<br>海藻・キノコ・コンニャク類控えましょう。<br>昆布、ひじき、エノキ、コンニャク、５回食にする場合は朝・昼・夕の食事以外２回間食を１０時、１５時頃にとるとよいでしょう。<br>とり方のポイントは３回の主食量を半分位に減らし、間食として乳製品や果物、その他おやつをとると良いでしょう。<br>おやつのとり方の例<br>１０時　牛乳・サンドイッチ　　ジョア・フレンチトースト　　プレーンヨーグルト・チーズ<br>１５時　カステラ・フルーツ　　フルーツ・プリン　　　　　　卵粥・フルーツ<br>食事療法を進めていく上で大切な点は<br>バランスのとれた食事（毎食必ず主食、タンパク質のおかず野菜類をとる）<br>とゆったりした気持ちで時間をかけ、良く噛んで食べることです。<br>上記以外の食品でも、徐々にいろいろなものを食べならしていきましょう。<br><br>ジョア・ヨーグルトは食べない、嫌な物が多くて困る。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/endnote/entry-12670986147.html</link>
<pubDate>Tue, 27 Apr 2021 09:21:23 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>１５　母記す　父の闘病記</title>
<description>
<![CDATA[ <p>２００９年<br>＜９月＞<br>　　　　食事毎に水を含んで流し込むような様子。<br>＜１０月＞<br>１６日　定期検査結果。<br>２２日　吐血、下血。<br>２４日　胃カメラ。<br>＜１１月＞<br>１２日　Ｋ病院紹介。心電図、血液・尿検査。<br>１７日　バリウム。<br>２０日　内視鏡。<br>２４日　ＣＴ検査。<br>２６日　Ｎ医師説明。<br>３０日　入院。<br>＜１２月＞<br>　２日　手術。息子夫婦が来てくれた。<br>　　　　８時３０分、胃全部・脾臓・膵臓の三分の一。<br>　４日　親戚Ｍさんから頂く。<br>　５日　親戚Ｍさん、礼状出す。　　　<br>　８日　５回食流動食なし。<br>　　　　自分でトイレに行けたり、行けなかったり。<br>　　　　運転免許更新手続き通知あり。<br>　９日　食事とらず。<br>１０日　膵臓から液洩れている。点滴少し量か？朝かゆ食べない。<br>　　　　昼食、稲葉うどんに卵とじ。かけ汁、大根そぼろあん、アップルパック、ヤクルト。<br>１１日　点滴なし、よかった。夕方から又点滴するカリュウが少ない。尿しか出ない。<br>１３日　１０時過ぎ着いた。さいか屋、水分多くとる。<br>１４日　１０時つく。宝くじ買う。<br>　　　　１７時３０分、Ｍ医師から電話。胆嚢炎、胆汁がついている肝臓がくすぶっている。<br>　　　　一度帰って落ち着いてから再度入院し、胆嚢を手術する。<br>　　　　食事が入らない。しゃっくりが出て吐いてしまう。<br>　　　　レントゲンの結果。<br>１６日　病室変わる。パン２個、昼頃ヒゲそる。そうとうやつれている。<br>１８日　栄養士から退院後の食事指導あり。造影剤する。目薬持ってくる。<br>　　　　造影剤の結果、腸の接続がせまくなっている。<br>　　　　２２日に広げる治療することになった。<br>　　　　１２時４５分頃息子が来てくれた。体温３７℃微熱。<br>　　　　私が帰った後、トイレでガスと一緒に便が出てしまった。<br>　　　　下着類の取替に苦労したとの事。<br>２０日　自家用車を動かしてみる。（３週間ほど車庫に入れたまま）<br>　　　　１時間位、公園墓地で車庫入れ等をする。<br>２１日　１０時着。昨日点滴５時３０分ごろまでかかってやっと針が入った。<br>　　　　血管が細く、なかなかうまく入らなかった。<br>　　　　１０時過ぎても電気が明るく寝られなかったそうだ。<br>　　　　昼食のあと、しゃっくり以外と早く治まった。<br>　　　　午後１時３０分から昼寝する。<br>　　　　食事、おかずほとんど一品、魚、トリのそぼろ類は食する。<br>２２日　午後２時着。開げる治療する。副院長Ｎ医師巡回あった。<br>　　　　食道との接点を広げる治療、食事朝、昼抜き。<br>２４日　退院。息子来てくれた。<br>２０１０年<br>＜１月＞<br>　５日　１１時に行き採血。１２時診察。抗がん剤、栄養剤受領。<br>１２日　１０時に市の福祉課Ｔさんが来てくれた。息子嫁も。<br>　　　　調査の結果は審査会を開いてから結果がでる。<br>２６日　９時３０分採血。１１時診察。<br>　　　　①エンシュアリキッド　朝食代わりに服用　　７日分<br>　　　　②ティーエスワン配合カプセル　Ｔ２５　　１４日分<br>　　　　③アスノールうがい液　４％　　　　　　　１０ｍｌ<br>　　　　（１日数回うがい）<br>　　　　④ブルゼニド錠　１０回分　　　　　　　　２０錠<br>２８日　Ｎ病院で薬。<br>＜２月＞<br>　２日　８時３０分採血。診察　化学療法。栄養剤　７日分、ティーエスワン　１４日分<br>２３日　８時３０分診察。<br>＜３月＞<br>１４日　兄弟姉妹と新年会出席。病名知らせた。<br>３０日　息子夫婦が車で病院へ。<br>　　　　採血できなくて３時間位かかったがダメで、先生に面接できたが抗がん剤はやめて、ＣＶポートの手術をして太い血管から栄養剤を入れる。その時の医師の対応悪い。その場で入院させてくれれば良いと思った。本人の為。<br>＜４月＞<br>　１日　トイレで倒れた。自分で起きる気力がない。<br>　２日　トイレ無理。<br>　４日　トイレ倒れた。<br>　６日　自分で立ち上がれない。力がでない。<br>　７日　色々と寝言を云う。<br>　８日　ケアマネＨ社のＹさんと車椅子の件。完全に立てない。<br>　９日　便等を取る。Ｙさんに便器を持ってきてもらう。<br>１０日　ベッドレンタル。<br>１１日　息子嫁来てくれた。チャイム取り付け。<br>１２日　ケアマネＯさん来る。Ｎ病院へ連絡し点滴を始めた。Ｎ病院Ｓ看護師来てくれた。<br>１３日　Ｎ病院Ｓ看護師、点滴に来てくれた。<br>１５日～１８日　同上<br>１９日　手術したＫ病院へ。点滴ができなくて夕方救急車で入院。（敗血液検査）<br>２０日　Ｋ病院外来でいくが、採血がなかなかできない。<br>　　　　血管が細くて２時間かけてやっと診察を受けたが、点滴も薬もなしで帰ってきた。<br>　　　　その夕方訪問介護士Ｏさん来てくれたが針が入らない。<br>　　　　腹水がたまっているとの事で救急車でＫ病院へ。入院した。雨が降っていた。<br>　　　　担当医Ｏ医師、本人が家へ帰りたいと言っているが、説得するように云われた。<br>　　　　入院嫌がった。（別メモではこの日入院）<br>２１日　看護師Ｍさん。Ｈ社のＭさん。ピタットパンツ、尻ふき届けてもらった。<br>　　　　（太い血管から栄養剤の点滴を注入するため）<br>２２日　ＣＶポート手術の同意書提出。鎖骨の近くの太い血管。<br>２３日　午前９時ＣＶポートを行った。無事成功した。<br>２４日　落ち着いてきた。親戚Ｙ夫婦、Ｈ子さん見舞いに来てくれた。<br>２６日　親戚Ｓ夫婦が来てくれた。<br>２７日　Ｓ国際クリニックＯ医師から連絡あり。<br>２８日　Ｓ国際クリニックで受け付けてからＯ看護師と面接。これからのこと相談に。<br>２９日　退院。<br>＜５月＞<br>　３日　息子嫁、琴ちゃん来た。<br>　４日　看護師、Ｏ医師、他一人来てくれた。<br>　５日　入浴。<br>　６日　Ｓ国際クリニックＫ医師とＯ看護師さん来る。<br>１０日　ケアマネＳサン来る。<br>１１日　Ｏ医師。<br>１２日　入浴。<br>１３日　訪問看護師Ｋさん来る。<br>１６日　便秘で苦しむ。<br>１８日　Ｉ歯科来てくれた。<br>１９日　入浴。<br>２０日　訪問看護師Ｏさん、市調査要介護の件で来る。<br>２５日　Ｓ国際クリニックＫ医師、午後３時半Ｉ歯科。<br>２６日　入浴。<br>２７日　Ｋさん訪問看護。<br>３０日　親戚Ｓ夫婦から電話。<br>３１日　Ｔ弟からメロン５個頂く。<br>＜６月＞<br>　１日　Ｉ歯科、Ｔ薬局。<br>　２日　入浴。<br>　７日　親戚Ｓ夫婦から電話。<br>　８日　担当医Ｏ医師、Ｉ歯科、Ｔ薬局。<br>　９日　入浴。<br>１０日　訪問看護師Ｏさん、他一人。<br>１２日　シャープアクオス３２型　７万。<br>１５日　Ｉ歯科、Ｔ薬局。<br>１６日　入浴（３人組）。<br>１７日　ケアマネＹさん。<br>１８日　点滴閉塞で来てもらう。訪問看護師Ｏさん。<br>２１日　シャープアクオス現物来る。<br>２６日　Ｋ眼科。息子夫婦から父の日プレゼント（パジャマ）。<br>＜７月＞<br>　１日　訪問看護師Ｏさん。<br>　２日　親戚Ｍさんから電話（胆石で入院１月末～５月１日）<br>　６日　息子嫁、サクランボ持ってきてくれた。<br>　　　　琴ちゃん夫、試験合格。<br>　９日　兄嫁から電話。息子の件。<br>１０日　法ちゃんから礼状。結婚連絡。<br>１４日　自動車保険領収書受領。<br>１６日　このころから食事を吐いてしまう。食事受け付けない。<br>２０日　Ｋ医師来られる。帰り際に先が短い旨の話あり。その心づもりで。<br>２１日　入浴。<br>２２日　訪問介護士Ｋさん。<br>２７日　Ｏ医師来る。腸が細くなっている。<br>２８日　入浴。<br>３０日　チョコ色の水っぽい物吐く。<br>＊骨と皮だけの体で見るのがつらい。朝晩の洗面、ヒゲソリ。<br>＜８月＞<br>　３日　薬変更。<br>　５日　浣腸。訪問介護士Ｋさん。飲食全部吐く。元気なし。<br>　　　　Ｋ医師電話あり。夜中数回冷たいシャーベット類。<br>　６日　夕方、訪問介護士Ｏさんから電話。<br>　　　　一夜中冷たい飲み物、起きる。<br>　７日　一日中シャーベット類、冷たい飲み物ばかり。<br>　８日　一日中夜から自分で口から出る物をペーパーでとっていたが、３回取替えた。<br>　　　　自分でペーパーでふく力がなくなってきた。<br>　９日　Ｏ医師来て下さる。訪問介護士Ｏさんも様子を見に来てくれた。<br>　　　　足の指の裏チアノーゼが出ているから今夜があぶない。<br>　　　　９時４４分呼吸止まる。<br>　　　　Ｏ医師、訪問介護士Ｏさん、来て下さる。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/endnote/entry-12670985444.html</link>
<pubDate>Tue, 27 Apr 2021 09:17:01 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>１４　父の残したメモ　その３</title>
<description>
<![CDATA[ <p>広告に落書きしたメモを解読したものです。<br>裏に書けばもう少し読めたと思いますが、印刷面に書いてありました。<br>解読不能もあったりして、正確さは欠けていると思います。<br>内容は以下の様です。<br>・金婚式を無事に迎えることができ、両親への感謝の気持ち<br>・子供の頃に膝の怪我をしたときに母に背負ってもらったときのこと<br>・３０年以上挑戦していた資格試験がとれなかったこと<br>・『ひ』と『し』の間違えが直せなかったこと<br>それと叔父（父の妹の夫：彼とは妹と結婚する前からの友人でした）の叙勲の祝いの挨拶<br><br>その１<br>金婚を手向けて　父母に手を掌せ<br>母の背の　ぬくみのこり　傷のあと<br>なにわあれ　なんなこそ　恙けり<br>金婚は　父母に手向けの　墓参りかな<br><br>その２<br>なによりも　恙なれこそ<br>金婚を父母に　手向け　恙が〇く<br><br>その３<br>母の背のぬくみをしのぶ傷のこり<br>道見えてほそかきことの多かりや<br>道見えて悔後のおもい次々と湧いてくる<br><br>その４<br>悔は残れど<br>挑んで初めて才のなきを知る<br>計方七は〇〇でした<br>３年やってできないものは１０年やってもできないとか<br><br>その５<br>『ひ』と振るも『し』となる<br>となる問題も<br>振り仮名もつけるときも同じ<br>それだけならまだよい<br>『し』を『ひ』の発音が同じ<br><br>その６　叔父への祝辞<br>おめでとうございます<br>実に羨望を極めるにて候<br>我が人生悔やむことなしと<br>重々と喜びならんと<br>喜の字の祝叙勲の栄に輝くことは、琴瑟相和して五十年<br>本日は叙勲の祝いの席にお招きいただき、まことに有難うございます<br>一言ご挨拶ということですが、このようなことは非常ににがてで、つい焼舌駄便になりますので、それよりも今○中んの心境はかくあらんかと符とまではいきません<br>自分なりまとめました。きいてください</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/endnote/entry-12669436294.html</link>
<pubDate>Mon, 19 Apr 2021 10:48:58 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>１３　兵器学校での思い出</title>
<description>
<![CDATA[ <p>兵器学校入校時のときのこと<br>入校時<br>私服から軍服に着替えたとき、急に悲しくなり、父にこのままつれて帰ってくれと泣き言をいってえらく叱られたことを思い出す。<br>叱られたいうより論されたといったほうが正しいかもしれない。<br>自分から志願しておきながらこの体たらく。<br>なんでそんな弱気になったのか、今ではなんとなくわかるような気がする。<br>父に対する最後のあまえであったのかもしれない。<br>（入校式を終えこんな頼りない陸軍生徒が一人誕生した。）</p><p>&nbsp;</p><p>霜焼けに苦しんだこと<br>淵野辺の冬の寒さは厳しかった。<br>あっというまに霜焼けになってしまった。<br>手の中はふくれあかい。四五日すると皮膚は破れ化膿してくずれてしまう。<br>この手では銃の手入れはもとより、軍靴、学内靴の手入れ等日常の動作もままならなかった。<br>普通学課はともかく、術課、試練となると休むこともできずずい分苦しんだ。<br>幸い同室に同じ市の出身の生徒が一緒だった。<br>銃の手入れはもとより内務班でやるべき作業すべてを助けてくれた。<br>じぶんのことで精一ぱいなのに。<br>こうしてなんとか冬を越すことができた。<br>（今でも彼がいなかったらどうなっていたんだろうと感謝している。）<br><br>伐木演習<br>伐木演習といっても雑木林で松の根を切り出すことがあった。<br>小休止の時間になると三三五五草原に寝ころび、青空を眺めながら大きな話、小さな話に花を咲かせ、ゆきつくところは、それぞれのおもいのある食べ物の話になる。<br>そんなとき、歌の上手な生徒がいていつも歌を口ずさみはじめる。<br>その歌はいつも同じ歌だった。<br>彼の大好きな歌だったのかもしれない。<br>いつのまにかうろ覚えに彼にあわせて口ずさむようになっていた。<br>小休止の楽しい一時だった。<br>（あれから六十年、八十歳になった今でもときどき口ずさんでいる。）<br><br>取締役生徒のときのこと<br>まだ肌寒い三月初旬の日曜日、内務班の大掃除のときのこと。<br>この日は、給水塔の補修のため午後三時に断水になると知らされていた。<br>にもかかわらず、作業がはかどらず途中で断水になってしまった。<br>（何故おくれたのかは忘れてしまった。）<br>そうこうするうちに夕食の準備の時間となり、食缶が運ばれてきた。<br>その時、区隊付下士官殿が作業終了まで食事は中止と言われた。<br>そのまま作業はつづけられたが、水がないのでどうにもならず、言ってはいけない言葉をついに口にしてしまった。<br>その時、皆の目が一斉に自分の背後にそそがれているのに気がついた。<br>振返ると、そこには竹刀を持った下士官がたっていた。<br>しまった。もう遅い。<br>あっというまに竹刀が肩に振りおろされた。<br>つづいてくるなと覚悟した。<br>そのとき、取締役生徒本日は終り、直ちに夕食の準備にかかれ。<br>そおいうと内務班を出ていかれた。<br>はっと我にかえったとき、急に涙がでてきた。<br>（軍隊の常識ではこのような場合、相当な罰が課されるのがあたりまえのこと。竹刀一振りだけの罰とは、これもやはりエコシイキなのかな。取締役生徒は輪番制で一ヶ月間その任に当たることになっている。区隊行動を指揮しその責任は重い。副取締役生徒、教育係生徒があり、これを三役といって、すべて一ヶ月の輪番になっている。）<br><br>水あたりのこと<br>遊水演習に行ったときのこと。<br>宿舎とされた村の小学校についたとき、のどの渇きをいやそうと飲んだ井戸水の冷たくのどごしのよきに、いやっというほど飲んでしまった。<br>これがいけなかった。<br>その日の夕食時に出されたオシルコのおいしそうなこと。<br>そして口もとにもってきたが、吐気がしてどうしても食べられない。<br>目は欲しいのだがどうにもならなかった。<br>これが水あたりだと後で知らされた。<br>あのときは本当に情けないやら口惜しいやら。<br>（この頃になりオシルコというものは滅多にお目にかかれなかった。）<br><br>えこしいきのこと<br>終戦後五十余年。<br>兵器学校の同窓会、工華会に初めて出席したときのこと。<br>同窓生四名と再会し、話がはずむうち、<br>区隊長の集いで、お前はえこしいきされていたと誰かが言っていたぞ、と同窓が話してくれた。<br>そう言われると、そうであったのかなとおもいあたることがある。<br><br>１　朝の点呼のときのこと<br>週番士官の朝礼が終ると、各区隊毎に区隊長の点呼が始まる。<br>隊列の右端より左へと一人一人に厳しい目が注ぐ。<br>自分の前に来たとき突然立ち止まった。<br>しまった、そう思った途端、白いハンカチを取り出し、指に巻きつけ唾をつけた。<br>ハッとするまもなく自分の耳の中を拭いてハンカチをしまうと、何事もなかったように点呼がつづけられた。<br>身だしなみが悪ければ、その場でビンタの一つや二つはあたりまえの軍隊。<br>これもえこしいきの一つかなと思った。<br><br>２　野外演習のときのこと<br>演習が終り帰路につくとき、学校に近くなると並足から駆け足に変る。<br>これが一番辛かった。<br>必ず半程で落伍する。<br>行軍中に落伍すること自体あってはならないこと。<br>それでもどうしてもついて行けなくなる。<br>その時区隊長殿は必ずといってよいほど、そのまま後ろについてこい。他に落伍者いたら連れて帰れと命令された。<br>こんなことをいってはいけないが、うれしいことに必ず四、五人が落伍する。<br>〇兵場に戻ると既に隊列は解散し装備をといている。<br>帰隊の報告をする。<br>区隊長殿は異状なしとみると、何も言わずに解散といわれる。<br>行軍で落伍すれば、帰隊後相当の罰が与えられるのが常識の軍隊なのに、先に到着している生徒と共に内務班に戻れるとは。<br>これも、それもえこしいきだったのかな。<br>（自分は思う。寛大な取扱いはエコシイキではなく、軍隊とはいえ生徒だった故であったのかなと。）<br><br>線内外出のこと<br>線内外出は原町田周辺である。<br>入校以来初めて線内外出をしたのは、まだ肌寒い三月半頃だったと思う。<br>線路添の土手の小さな梅林に二、三分咲の梅がちらほら咲いていた。<br>二年生は三年生に欠礼しないように気を使いながらの同窓三人で持参のパンを食べた。<br>外出の際にはふっくらした大きなパンが昼食として支給された。<br>当時の食糧難は軍隊も同じ。<br>そんなときでも好き嫌いはげしい偏食だったため人よりよけいに腹すかすのであった。<br>おいしそうな臭いにさそわれて、がまんできずにパンの底に穴をあけ形がくづれないように<br>ほぐしかえし食べているうちに完全に中味がからになってしまった。<br>外出時には、服装検査、携帯品の検査が行われる。<br>昼食用のパンもしかりである。<br>週番士官の点呼が初まると、みつからないかと緊張のあまり息苦しくなり、<br>胸がどきどき冷汗いっぱい。<br>幸い点呼も無事に終り外出許可がでてホッとした。<br>（いまではそんなことも楽しかったなと懐古している。）<br><br>ホッとしたといえばこんなこともあった。<br>三種混合接種のときのこと<br>一年生はその時期になるとこの予防注射を受けることになっている。<br>（小学校のとき昆虫採集で標本を作っていて針を指に刺し痛いと言った。誰かが針先が折れると頭に流れていって脳天につきささって死ぬよ。この時から、針は怖い存在になっていた。）<br>予防注射の日は朝からゆううつだった。<br>なんとかのがれられないかなと考えながら隊列についていた。<br>そんな事をしたら体罰どころか営倉行きになるかも。<br>一寸と痛いのを我慢すれば済むことなんだよ。<br>そんなやりとりを頭の中でしているうちに順番が近づいた。<br>その時体が動いた。<br>後ろの生徒に厠へ行ってくる。そう言って駆け出した。<br>厠へゆくと注射の終った生徒がいた。<br>見ると<br>胸の赤くなっている処を指で揉んでいた。<br>同じ処を爪で赤くし指で揉みながら厠を出た。<br>見ると自分の区隊も終ったらしく服装を整えていた。<br>周りを見ると、これから受ける区隊の生徒の列がつづいていて衛生兵が忙しく立ち廻っていた。<br>いそいで隊列へ戻った。<br>後の生徒は何も気にしていなかった。<br>内務班に戻った。<br>その日は休養日となる。<br>寝床に入った。<br>大きなため息をついた。<br>見つからなくてよかったとホッとした。<br>この状態が卒業まで続いた。<br><br>兵器学校には戦友という制度があった。<br>整頓棚を背に右側の生徒が戦友となり<br>内務班においては日常の起居を共にすることによって生徒間共同の精神を育成することになっていた。<br>自分にとってはこれが問題だった。<br>生来人見知りが強く友達を作るのが下手だった。<br>このときも例外ではなかった。<br>隣の生徒を戦友にすることにいささかためらいがあった。<br>だじゃらあまり親しみもわかず制度に反し単独行動が多かった。<br>彼もやむなくそおせざるを得なかったと思う。<br>ただ一つ困ったことがあった。起床時の毛布の整頓である。<br>二人で両端を合わせ折ればあっというまにたためるが、一人でやるとなると以外に手間がかかる。<br>だから朝礼に遅れがちで随分苦労した。<br><br>後日談<br>戦後、戦友だった彼から同期会の報告の便りがあった。<br>写真が同封されていたが、皆それなりに年をとっていた。<br>彼も又髪は白くなっていたが、あの面影は残っていた。<br>会えると思っていたが会えずに残念ですと結んであった。<br>態度の悪い戦友を彼は彼なりに自分を戦友として<br>みていてくれたのだと思うと申し訳ないと思う反面嬉しかった。<br>その後の便りで娘さん二人を亡くされたことも知った。<br>今はその戦友も逝ってしまった。<br>（戦友の名は戸田二郎さん）</p><p>&nbsp;</p><p>追記＜別紙に当時の思い出が綴られていました。しかし全文を解読には至らず。＞</p><p>時代劇を見ているとき、善悪入りみだれて切合の場面になると必ずといっていいほど、その昔少年兵として訓練を受けていたときのことが重なってくる。<br>前後列それぞれ二十五名に分かれ、八巻で丸い薄い板をつけお互いに打合○れた者は列外にでるときのことである。<br>いつの間にか山本という生徒を目標とするようになっていた。<br>彼は明治中学剣道部に在籍していたとか。<br>彼と打合の前に割られたことがアリかったがしばしばでなかなか彼との打合までとはいかなかった。<br>それでも彼と打合できたときはここぞとばかり猪突猛進でここをかぐどと大いに攻めた。<br>○○が割った記憶は残っていない。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/endnote/entry-12669264979.html</link>
<pubDate>Sun, 18 Apr 2021 13:43:28 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>１２　父の歯のこと</title>
<description>
<![CDATA[ <p>父が今まで行かなかった歯医者に行く決心をしたときのメモです。<br>２つメモがありました。<br>父の字はかなり読みにくい状態、なんとか読んでいるので誤記多々あると思います。<br>父の亡くなる寸前まで入れ歯の調整をしていましたが、調整は完成しませんでした。<br>父の人生最後に食べたかったのは、母の作ったトンカツだったようです。<br>歯も胃もダメージが大きくて、叶わなかったようです。<br><br><br>その１<br>八十を過ぎると歯の劣は早かった<br>たよりにしていた僅かにのこっていた歯も<br>頼られなくなっていた<br>遂には柔らかいものまでも耐えられない状態になり<br>食事の時間が辛くなって遂に歯医者に行く決心をした<br>おかげで新しい歯が生えたが<br>所せんは人のなせるわざ<br>思ったとおりにはならなかった<br><br>その２<br>７月１日<br>今年に入って間もなく突然に歯の具合が悪くなった<br>今までも歯痛みに悩まされてきたがなんとか売薬をたより<br>なんとかここまでがまんしてきたが<br>自然に抜けては歯の数もここ二、三年<br>ぶっつづけてきて頼りになるのが左側の犬歯だけとなっていた<br>その犬歯がある日突然痛みを感じ<br>噛むと痛みがくる仕草は<br>食は歯に当たらないように右側の○つていつ<br>○○なんとかしてきたがすでに右側の歯も相当弱っていて<br>ついにグラグラになりもはや右からも左からも口に入らなくなった<br>そこで意を決して歯医者に行くことにした</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/endnote/entry-12669025691.html</link>
<pubDate>Sat, 17 Apr 2021 08:53:31 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>１１　父の孫との思い出</title>
<description>
<![CDATA[ <p>父が三人の孫のことを書いています。<br>父の書いた原文にできるだけ忠実に記載しています。<br>文中にも出てきますが、父は『ひ』と『し』を間違える癖があります。<br>（息子の私もその影響を受けています）<br><br>琴ちゃんとのこと<br>やっとハイハイすることができるようになった頃<br>ハイハイしながらそばに来る<br>じっと顔を見つめている<br>しばらくすると彼女なりに納得する<br>そおすると　するするよってきて膝にのる<br>そうなるともう離れない<br>帰るまでつきっきり<br>そのうちスヤスヤと腕の中で眠る<br>孫の可愛さを最初にしった日である<br><br>琴ちゃんが年長さんぐらいのとき<br>たまに電話にでることがある<br>琴ちゃん元気ときく<br>元気という<br>琴ちゃん元気ときく<br>お風邪しいたの<br>お鼻がでるという<br>いってみればたわいのないこれだけのことだが<br>あの抑揚のあるあくせんとの何ともいえない<br>心のしびきを覚える<br><br>琴ちゃんが学生の頃だったか就職して間もないころだったか<br>一人で遊びに来たときのこと<br>三崎方面にドライブに行ったとき<br>土産店の並び通りを過ぎ、海岸に通じるまでの路は悪くつまずくことしきり<br>その都度オジイちゃん大丈夫、オジイちゃん危ないよ足許にきおつけてと<br>ひっきりなしに気をつかってくれた<br>ふと、その昔のことが目に浮かんだ<br>琴ちゃんがやっと歩き初めたころ<br>ころばないか、怪我をしないか、そんなことをたえず<br>気にしながら危ないよ、大丈夫と声をかけっぱなし<br>彼女はそんなことはしらん顔、よたよたと歩くことに夢中だった<br>今その孫にオジイちゃん大丈夫、足許に気をつけてと言われながら歩いているとは<br><br>法ちゃんとカルタの早取りをしていたときのこと<br>いつものように読み手はオジイちゃん<br>途中で、オジイちゃん法ちゃんが読むと法ちゃんが言った<br>幼稚園の年中さんの法ちゃんが読めるのかなと思いながらも交代した<br>すかさず<br>『あ』ときた<br>絵札を探しながら続きを待った<br>法ちゃんその後を読んでと言ったら<br>『これでいいの』と<br>頭の字だけの読み手でゲームが進んだ<br>全くはじめてのことで絵札がとりにくいこと<br>それでも法ちゃんは満足そうだった<br>法ちゃんご苦労さん。楽しかったよ<br><br>琴ちゃんが小学校に入った間もない夏休み<br>まだ幼稚園に入ったばかりの弟と小さい妹を連れて遊びにくるという<br>横浜駅から終着駅までは一直線とはいえ心配しながら待った<br>時間通りの電車で改札口を出てきた<br>なんと三人三様のリュックサックを背負い<br>お姉ちゃんの後ろをしっかりついて歩いて来た<br>琴ちゃんは私達を見ると<br>『オバアちゃん』と嬉しそうな笑顔になった<br>その笑顔は<br>小さな弟妹を無事つれてきたという安堵と誇りに輝いていた<br>この子は又ひとつ大きくなった<br><br>小学生のとき<br>校庭で肋木、鉄棒などの器材をつかって遊ぶことが多かった<br>そんなとき低鉄棒をくぐりそこねて頭の天辺を<br>いやというほどぶつけ尻持ちをついたことが度々あった<br>そのせいか鉄棒だけでなく梁のようなものの下を<br>通るときも自然に頭を下げて通るようになってしまった<br><br>琴ちゃんと公園で遊ぶときも、ついそのくせがでる<br>琴ちゃんはそれを見ていたのか、同じように頭を下げる<br>そうするんだと思ってのことか<br>（ほほえましいと言えばほほえましいが、子は親の背中を見て育つとか、もう二十五年前のことである）<br><br>まだ琴ちゃんが三つぐらいのとき<br>トランプを裏返しに置き二枚めくって同じ数字を合わせるゲームをオバアちゃんと三人でしていたときのこと<br>何か気に入らないことがあったのか突然<br>『もうオジイちゃんと遊んでやんない』と言った<br>その言気の強いこと。<br>あわててなんとかなだめて気嫌をなおしてもらい、ゲームを続けることができた。<br>なんと<br>琴ちゃんはオジイちゃんと遊んでやっているんだと<br>そう思いながらいままでゲームをしていたとは<br>オバアちゃんと顔を見合わせてしまった。<br>息子夫婦が遊びにくると<br>琴ちゃん、オジイちゃんと遊んであげなと言っていたので<br>きっとそう思い込んでいたのだと思う。<br>（孫と遊ばせようと気使ってくれる息子の心遣いが嬉しかった）<br><br>琴ちゃんはこのゲームが大好きで、遊びに来る度に<br>よく遊んでくれた。<br><br>一くんのお宮参りのときも<br>琴ちゃんは風邪を引いていたのでオジイちゃんとお留守番ということになった<br>終日二人でこのゲームをしていたほど大好きだった。<br><br>法ちゃんが年長さんのときのこと<br>ファミコンでゲームをしていたとき<br>何か虫に刺されたのか腕を無性に掻きだした<br>あまり強く掻くので<br>『法ちゃん、あまりきつく掻くと後でシリシリするよ』と言った<br>すると<br>『オジイちゃんシリシリじゃなくてヒリヒリでしょ』と言う<br>だから『シリシリと言っているでしょ』<br>そんなやりとりのあった後<br>そんならオジイちゃんヒリヒリと書いてみな<br>シリシリと書いた。<br>書いたとたん紙を持つと<br>オバアちゃんと言ってとんでいった。<br><br>オバアちゃん、オジイちゃんは『ヒリヒリ』を『シリシリ』<br>と書いているよ。これは違うよね。<br>これじゃ『ケツケツ』だよね。<br>その後がきつかった<br>オバアちゃん、これじゃオジイちゃん幼稚園も受かんないよね。<br>（小学校の頃から『ひ』と『し』の発音が苦手で振仮名をふるときも『ひ』を『し』と書いてしまう、日頃からなんども注意されていたのに直らずじまい）<br>ついに孫にガチンとやられてしまった。<br><br>『シリシリ』を『ケツケツ』だよねと言ったかと思うとすかさず<br>これじゃ幼稚園も受かんないよと言う<br>このしらめきのよさ<br>この子は東大生になると、そんな気になったのもこの時である<br>今ではこのやりとりが懐かしい<br><br>一君がまだ二歳くらいだったと思う<br>藤沢にある家の展示場へ行ったときのこと<br>結構楽しい遊び場もあり、孫も楽しそうに遊んでいた<br><br>オジイちゃん写真とってよ<br>と一君が言った。<br>撮ろうとしたらフィルムが既に撮り終わっていたのに気がついた<br>手持ちのフィルムもなかった<br>（ここで一君、もうフィルムがないよと言えばよかったのに）<br>撮る真似をすればと思ってそのままシャッターを押した<br>すると<br>オジイちゃん、今のは撮っていない<br>と言って泣きだした。<br>（どうしてわかったんだろう、これには参った）<br><br>幼いからといって軽々しいこと言ったりしてはいけない<br>目は心の窓とか<br>このときの一君の目がそれであった<br>（一君ごめんなさい、そお言いながら今でも何故わかったのかなと不思議に思っている）<br><br>一君が年長さんのときのこと<br>一君を膝に乗せてテレビを見ていたとき<br>パジャマの膝のあたりに小さな穴があるのを見つけると<br>穴に指を入れ<br>オジイちゃんここが破れているよ<br>オバアちゃんに言って買って貰いなと言った<br><br>その翌年のお正月<br>遊びにきたときのこと<br>家に入るやいなや<br>オジイちゃん、はい<br>と言って、お年玉の袋を差し出した<br>オジイちゃんはお金を持っていないから<br>それも自分のお年玉の中からである<br>幼い心にもこんな優しさがあるのかと胸のつまる思いがした<br>以前、なにかの拍子にオジイちゃんはお金を持っていないから<br>買うときはオバアちゃんに買って貰うんだよと言ったことがある<br>このことを一君は覚えていた。<br>（幼い子との対話を夢おろそかにしてはならないと一君に教えられた出来事であった）<br><br>孫が遊びにくると入浴時に<br>琴ちゃん誰とお風呂に入るの<br>と息子が言う。<br>琴ちゃんも心得たもの<br>オジイちゃんと<br>しびきのある声で<br>仰揚のある返事をする<br>この時の嬉しさは格別であり楽しい<br>早速オモチャを持って風呂に入る<br>この次にはどんなオモチャを用意しようかと<br>その後も又楽しい<br>それが、いつのまにか一人が三人となり、ますます賑やかな入浴となり楽しさがますます大きくなった<br>今日も孫が遊びに来ている<br>そろそろ琴ちゃんの返事が聞こえるかな<br><br>ところが<br>琴ちゃんが言った<br>パパ以外の男の人とはお風呂に入らない<br>えっ　と　二人の孫もお姉さんへ右に並へ<br>楽しみは一瞬にして消えた。<br>（当時は幼児が危害にあう事故が多発して、新聞紙上を賑わしていた。幼稚園でも先生方が幼児にたえず注意していたと思う、そのことが彼女にそう言わしめたのであろう。とんだところで一番の楽しみがうばわれた。）<br><br>お風呂といえば法ちゃんとはこんなことがあった<br>いつもの様に遊びに来たとき<br>家に入るとするどい異臭が鼻をついた<br>なんの臭いかといぶかった。<br>遊びはじめてしばらくしたとき、何かの拍子の法ちゃんの頭が顔をかすめた<br>つんとあの異臭が<br>異臭の元がわかった<br>聞けば<br>ニンニクが大好きでよく食べている<br>お風呂に入っても頭を洗わせない<br>これが重なって頭の天辺から発散させていたのである<br><br>三人の孫とお風呂に入り最後に法ちゃんを洗う番がきた<br>うまい具合に法ちゃんは湯船の外側から湯船に<br>浮かんでいるオモチャで遊んでいる最中だった<br>よくしたもので、そのオモチャは木の枝で幼児が湯洛しているもので<br>丁度木の枝からお湯がでて頭を洗う仕掛けのものなので、<br>このときばかりと一緒に遊びながら法ちゃんの頭を洗いだした<br>最後のお湯を流したときやっと気がついた<br>頭を洗ったといって大声で泣きだし、風呂場を飛出していった<br>相当に口惜しかったのでしょう<br>しばらくはそばへこなかった<br>そばへきたときはあの異臭は消えていた<br>法ちゃんの笑顔も戻っていた<br>（法ちゃんゴメンね。でも気持ちよかったでしょ）</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/endnote/entry-12668896734.html</link>
<pubDate>Fri, 16 Apr 2021 15:16:32 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>１０　父の手術前の闘病日記</title>
<description>
<![CDATA[ <p>父がガンだと宣告されてからの日々の記録です。<br>うろたえていたり、神に祈ったり、覚悟を決めたり、気づきがあったり、心境が複雑だったことを察します。</p><p>日々の記録は、父の字が読めなかったり、バラバラの紙に書いてあったので、内容が前後している状況があると思います。<br><br>＜宣告されたときの手記・・・読めない字は〇で＞<br><br>紹介された病院で癌と宣言された。<br>予想をしていたのにドキドキ。<br>朝から検査検査。<br>これで終わりは午後２時頃。<br>やれやれと思ったとたん、後の検査は苦を〇された　以前の真○先生の違えば診断に若干のずれがあるから薬でなおらないかきいて○○にだめ、薬ではなおらんという。<br>○○の一はその全長○を源だった。<br>耳としむ○○○けみて。<br><br>身にしみる医師の一言一言。<br>このまんま　すいこれるか　秋の空<br><br>医者の診察心電図肺活量<br>血液○○尿レントゲン胸と腹<br><br>＜少し冷静になってから書いたようなメモ＞<br><br>病気になったときの言い方にいろいろある。<br>いままで真面目に生きてきたと思っている人は、なんで僕だけがと。<br>いろいろと悪さをしてきた人なら身からでた錆び悪のむくいと。<br>同じ病気にとりつかれても考はいこう違う。<br>これは廻りの人が聞くと、前者についてはほんとうに気の毒にという。<br>後者については悪いことばかりして悪人だからしかたないだろうという。<br>なんともはや他人は勝手ながんだから。<br>いずれにせよ、何はともあれ天にまかせて手術台に登るしかない。<br><br>＜以下父の日記となります。＞<br><br>１０月１２日<br>紹介された病院で癌と診断された。<br>よきしていたものの・・・<br>心電図の検査につづいて肺活量の検査。<br>やれやれと思う間もなく採血検査、尿採取をたてつづけ、終わってみれば午後二時ごろを廻っていた。<br>落ち着いたところで入院手続きの話。<br>家に着いたのは三時を廻っていた。<br>かすかな望みで薬の投与だけでなおらないかなと思っていた　駄目・・・。<br>未練がましいか。<br>あれほどいやがっていた注射をたてつづけに受け声もでない。<br>あれほどいやがっていた注射をたてつづけにうたれ、これには参った。<br>軍隊における三種混合の注射でさえなんとか免れた位嫌だった。<br>これから先退院までのスケジュールを見るか<br><br>紹介された病院で癌と診断された。<br>予想されたもののドキ。<br>朝から心電図の検査ついで肺活量の検査。<br>やれやれと思ったのもつかの間、採血検査尿検査とたてつづけ。<br>終わってみれば午後の二時を廻っていた。<br>おちついたところで入院の手続きの話。<br>家に着いたのは三時を廻っていた。<br>かすかな薬剤投与でなおらないものかと思っていたはついて聞こしまた即座にダメ。<br>未練がましいか。<br><br>１１月１７日<br>本日はバリュームによる胃の検査。<br>バリュームを呑むに一応の抵抗があった。<br>聞くよりは意外と楽だった。<br>ただここでも苦手の注射が待っていた。<br>投影台に立て一くちでバリュームを呑む。<br>投影台が上下に動くその間右をむいたり横をむいたり果ては腹ばいになり遂に一回転する。<br>その位置を変わる度スコシづつバリュームを呑む。<br>これだけですむとは・・・一安心<br><br>１１月２０日胃カメラ<br>長坂病院で胃カメラの検査を受けていたのでさ程不安はなかった。<br>ところがその流れは大分違っていた。<br>長坂さんでは初から喉にマスイ剤のようなもの吸込せすぐに胃カメラを挿入されなんなくすんなりと入りそれなりの処理をしましたが、最後まで穏やかに終わったのに、ここでは胃の水泡を除くためといって小コップ一杯のなんともいへない液体を呑まされ喉奥え麻すいやくが注射器の様なもので注がれそのままの状態で五分。<br>五分たつとその液体を吐き出して処置室へ。<br>口に管を喰され歯がないのでバンソウコウでとめてカメラが挿入された。<br>なかなか挿入しぬくく少し不安になる。<br>やっとカメラが入った。<br>その後にカメラの動きは手で見る様にわかり不安は不安をあおった。<br>それでもそれ以上の痛みはなくなんとなく感じている。<br>そのうちお疲れ様の声で処置が終わった。<br>１２時を廻っていた。<br>あとはＣＴのみ。<br><br><br>１１月２４日<br>今日はヤナ検査。<br>初めてのこと少々心配。<br>注射されるのは覚悟している。<br>その後造影剤の投与は射れた経験はない。<br>どんな痛さがまっているのか、結果は普通の注射プラス造影剤の注入時は体がばりばりと暖かくなること位で、いわれている副作用もない。<br>万が一、酸素マスクの際に義歯をしたままでよろしいか。<br>（上の歯が２本しかありません）<br>これでスケーンマルの検査終了。<br>後医師と結果これらの検査から診断を待つばかり。<br><br>１１月２６日<br>検査最終日。<br>最初の受信してから十四日。<br>その結果胃と食道とのすなが目は○に腫瘍があり、これを取り除く手術が必要となった。<br>手術しなくてもすむかなと○にはそんな甘い気持ちもなったが日を重ねる中手術になるだろうと覚悟していた。<br>今担当者に手術といわれ此程の驚きになかった。<br>手術は来週木曜日（１２月３日）の予定となる。<br><br>１１月２７日<br>病院より手術の日が決まり入院の知らせがあった。<br>一応１２月４日ときいていたの今は通知があろうとは、宏一の方へ連絡がをいく。<br>何か気せわしくなってきた。<br>入院準備に気を取られ何事もおろそかになる。<br>一度はやられるのなら一日も早い方が良い。<br>強がりをいうが心おだやかにあらず。<br><br>１１月２９日<br>入院の日が確定した。<br>一人くよくよ一日前になって留守する妻一人。<br>心細いことだろう今日になってふと思う。<br>それも一日過ぎて初めてこのことに気がついた。<br>本当自分勝手な人間だと思った。<br>お互いの身を案じることが夫婦というしお互い頑張ろう。<br><br><br>定刻受付。<br>病室に案内担当看護と担当医師決定。<br>医師より説明あり、おもいがけない程重篤手術ができないかも知れない。<br>相当の覚悟が必要か。<br>なんとか腸らうの手術だけは逃げたい。<br>気持ちたかたか神だのみ。<br>今日は最悪！<br>本日手術担当の先生から病状の詳しい説明あり、今まで余り簡単に考へていた己の甘さにがくぜんとした。<br>いずれ早かれ遅かれどこかでさしれば命とりとなることが解った。<br>どうあがいても病巣は取り除けないのこと抗がん剤がどこまで助けてくれるかそれだけが頼りとなった。<br>今日は最悪の日重ねていう！<br><br>１１月３０日<br>本日ただ今一人の男が癌ということなった。<br>その名は永田幸男。<br>はかなき望を一本の糸に操り寄りせんとせもう。<br>そこは癌という強物（ツワモノ）情容赦のないこと。<br>○○の先生の宣告何んともはや厳しいものとなり、病室は四人部屋。<br>現在は私を入れて三人。<br>先の二人の住人はすでに手術を受けた患者さん。<br>ときおり言葉にならぬわめき声を発。<br>初めはこれが人の声と驚いたが明日は我が身かと少々不安になる。<br>今だからあんな状態になりたくないと思っているが、結局は同じ状態になるんだろうと思ったが情けなくなってきた。<br>竜子が帰って一人にになりなおさら淋しく感じる。<br>願はく軽いお仕置き位にとどめおかれんことを。<br><br>１１月３０日<br>本日入院。<br>くるものがきた。<br>おおよそのことは書いた物を見て納得するものの未知のことが多い。<br>尺○の不安はぬぐいきれない。<br>とにかく痛さには弱い痛くない様願っておく。<br>夜の事。<br>入院初めての夜。<br>なんともいえずさみしいもの。<br>病人とは思えぬ為寝言はいいとしても雄叫びのすごいこと。<br>たまにならよいがのべつまくなしこれには参った。<br>もう一つ参ったのは便のくさいこと。<br>どこからともなく臭いがまぎれこんでくる。<br>これには参った。<br>とうとう夜があけてしまった。<br>明日が手術というのに今夜はどうなることやら。<br><br>１２月１日<br>明日の手術。<br>昨夜の同室の患者さんのひどいこと。<br>手術をすれば己も同じなのか、つつしまなければと思うがどんな痛さがまっているのかそれにたえられるだろうか、矢張りこの患者はみんなのようにうめき声を出すんだろうか。<br>心配のたねがまた一つふえた。<br>今日はこないといっていた妻が来た。<br>やはり心配なのか、お陰様で入浴がスムーズにできてよかった。<br>時のたつにつれ不安でいっぱい。<br>とに角予想もつかない手術の事、彼は天にまかすしかあるまい無事終わるのを祈る。<br><br>１２月１日<br>二十一時三十分下剤を呑む。<br>二十七時迄は水分をとってよいとのこと。<br>翌朝７時迄に医者の許可のあった薬は少量の水で服用せよとのこと。<br>それ以後は一切水もだめ。<br>明日の今頃はどんな風になっているのだろうか。</p><p><br>１２月２日<br>五時三十分目覚。<br>初めうるさかったがいつのまにか眠りにつけた。<br>八十三年共にしていた胃・・・我が生命を長らえるため。<br>本日敢えなく最後宴すべきや、ここに至れば万事はサイオウガママ、稲荷大明神と再びその手術の成功を伏し奉る。<br>いざ戦場へ必ず勝つ。<br>どんな音出して初まるのだろうか。<br><br>１２月３日<br>朝食のハプニング。<br>手術前の前後の食事。<br>酢豚の豚が喉につまり苦しみ最高これが前後の病を甘くみていた己への天罰とひたすら平身低頭。<br><br>麻すい迄○の話も又深刻。<br>外科医の先生の話では手術に要する時間は五時間位とのこと。<br>午前中に終わると思っていたのにすべて悪い方へ悪方へとかたむいてゆく。<br>助けたまえ稲荷大明神のお狐さま。<br>これで一通り先生方のお話をきいた。<br>つきるところ事は重大だということ、願はくそこに○○情をかけ大禍なく終わらんことお。<br><br>手術前入浴ということでシャワーを浴びた。<br>久し振りに大鏡の前で髭をそろうとしたとき、アット驚いた。<br>体のいずれの部分に縞のようなしわが浮き○○になって○っていた。<br>エット。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/endnote/entry-12665489294.html</link>
<pubDate>Tue, 30 Mar 2021 15:44:45 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>９　父の『友人の思い出』</title>
<description>
<![CDATA[ <p>修ちゃんという幼な友達がいる。<br>彼は裕福な家の子だったのでいつも目新しいオモチャを持って遊ぼうと誘いにくる。<br>それが気に入らなかったのか、そんなときは返事もしないでソッポを向いて知らん顔していたよと母によく言われた。<br>それでも彼は毎日のように誘いに来た。<br>こんな小さい時のことが癖になったのか、いくつになっても気に障ったことを言われたりされたりするとソッポを向いてしまう。<br>人を傷つけてしまう不愉快にしてしまうとわかっているのになおらない。<br>その時になるとでてしまう誠に情けない限りである。<br><br>修ちゃんは同級生だが一つ歳上である。<br>だから何かと元気風を吹かすか、よく面倒を見てもらった。<br>足の怪我で歩くのに不自由なとき学校の行き帰りに肩をかしてくれた。<br>おかげで一日も休まずにすんだ。<br>宿題のあるときはよく誘われて彼の家で二、三人集り教えあった。<br>こんなときなにがし世話をやくのは修ちゃんだった。<br>就職先は違ったが休みの日には何かといってよく伊勢佐木町へつれてゆかれた。<br>ここでも兄貴風を吹かしご馳走になった。<br>こんなことが兵隊へ行くまでつづいた。<br>今では賀状のみが行き来している。<br>一度会いたいと思っている。<br><br>十五歳から三年間会社の寮生活をしていたときのこと、同室に茂木さんという人がいた。<br>横浜出身ということで仲良しだった。<br>当時は食糧難で寮の食事もだんだん粗末になってきた。<br>そのうえ偏食だったのでいつも空腹をかかえてた。<br>そんな時、彼はどこでどう工面してくるのか日曜は外出から帰ってくる必ず食パンを持ってくる。<br>それを上手に一週間に分け夕食後取り出して食べる。<br>そのときは必ずといってよい程呼んでくれる。<br>ほんの一片のパンだけど本当にうまかった。<br>あのときのうまかったこと今でも忘れられない。<br>茂木さんご馳走さまでした。<br><br>埼玉県出身の田口という友がいた。<br>いつも静かに口づさんでいた歌があった。<br>なんの歌と聞いた。<br>この歌は故郷の村がダム建設の為湖にしずんだときの歌だと、そう言ってゆっくり歌って聞かせてくれた。<br>いつの間にか歌詞も節もそのまま覚えていた。<br>戦後この歌のレコードを手に入れることができた。<br>歌手は当時有名な東海林太郎さん。<br>題名は湖底の故郷。<br>今でも教えられたとおりに口づさんでいる。<br><br>追憶<br>復員してまもない頃二人の同志に会った。<br>一人は東京の篠沢清見生徒<br>一人は同郷の小金定吉生徒<br>篠沢さんとはどちらが誘い誘われたのか桜木町駅前で会った。<br>焦土と化した街では行くあてもなかった。<br>駅前の川のほとりを野毛の闇市の賑わいをよそに歩いたり立ち止まったり石垣に腰をかけたりしてどのくらい歩いたのかどのくらいの時間がたったのかそして何を話したのかは今はもう記憶に残っていない。<br>それでも私にとっては忘れられない一時であったことは確かだ。<br><br>小金さんとは戦後の食糧難のこともあって長野方面へ米の買出しに行った。<br>どういういきさつでそうなったのかは覚えていないが長野行の汽車に乗っていた。<br>戦後湯沢あたりに来たときは大雪のため汽車は動かなくなった。<br>車両は買出しの人で身動きができない程雪は汽車の窓まで積もっていた。<br>結局は何も買わずに帰ってきた。<br>その時彼はパン屋をやりたいといっていた。<br>其の後彼が洋菓子パン製造工場に務めていることを知った。<br>初心貫徹彼らしいと思った。<br><br>時代劇をみているときの善悪入り乱れて切合う場面になると必ずといってよいほどその昔少年兵として訓練を受けていたときのことが重ってくる。<br>前後列それぞれ二十五名に分かれ頭に八巻で薄い丸い板をつけお互いに打合った時のことである。<br>いつの間にか山本という生徒を目標にするようになっていた。<br>彼は明治中学剣道部に在籍していたとか。<br>彼と打合うまえに割られることがしばしばでなかなか彼と打合うまでにはいかなかった。<br>それでも彼と打合うことができたときは、ここぞとばかり猪突猛進ここを先途を大いに攻めたが割った記憶は残っていない。<br>戦終った彼のさわやかさ。<br>訓練の中でも最も楽しいものの一つであった。<br><br>同窓(期）生たちもっとも永らく年賀の便りとりがあった。<br>平良本生徒より賀状が絶えて三年たった。<br>会報では同志たちの安否を知らせがあったが今はそれもなくなり安否の事をしることもできない。<br>彼らは戦後食糧難の折秋田名産りんごを送ってくれたことがあった。<br>そのころは物価統制令のきびしかったことから務支となった動植物品として送ってもらうことにした。<br>ところがいつまでたっても品物が届かなかった。<br>その後しばらくしてふとしたはずみで局内のお偉い方が人知れず食べてしまったことを知った。<br>食べ物の恨みは恐いというが、そんなわけでリンゴは食べることはなかった。<br><br>こんな昔のことを思い出した</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/endnote/entry-12665114049.html</link>
<pubDate>Sun, 28 Mar 2021 18:15:20 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>８　父の『父の思い出、兄の思い出、義母の思い出、息子の思い出』</title>
<description>
<![CDATA[ <p style="text-align: left;">＜父の『父の思い出：歯医者』＞<br>小さい時に歯医者につれていかれたことがあった。<br>その時の痛かったこと。<br>もう二度と歯医者にゆくものかと心にきめた。<br>そのことが尾を引いてか、この歳までどうにも我慢できなかった一度だけを除いていったことがない。<br>八十を過ぎた今、三十二本あると言われる歯の大半を失い十本にも満たなくなってしまったが、いまだに歯医者にゆくつもりはない。<br>歯は三十二本ならんで助け合ってこそ、その役目を果しているのだと改めて感じている。<br><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20210323/15/endnote/8b/3b/j/o0400022514914683242.jpg"><img alt="" contenteditable="inherit" height="225" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20210323/15/endnote/8b/3b/j/o0400022514914683242.jpg" width="400"></a></p><p style="text-align: left;">＜父の『父の思い出：夕食』＞<br>父は胡座（あぐら）のかけない人だった。<br>食事をするときの正座は見事なもので子ども心に感心していた。<br>その正座が少しゆるむときがある。<br>そのゆるむときは夕鍋に必ず一品父の好物が添えられているときである。<br>日頃無口な父のこのときの嬉しそうな笑顔。<br>そばで忙しく手を動かしながら嬉しそうに父を見ながら坐っている母。<br>母の父に対する愛情と感謝の心がそこにあったのだ思う。<br>何気ない母の思いやり、それを素直に受ける父。<br>我が家の最高の夜の一時であった。<br><br>＜父の『兄の思い出』＞<br>兄の一言<br>兄が亡くなる二、三年前だったらうか。<br>たまたま兄を訪ねたときのこと。<br>自分でコーヒーを立て御馳走してくれた。<br>何かと話がはずんでいた。<br>そのとき、お前は本当に要領がよかったなと言って笑った。<br>きっと自分勝手な生き方をしてきた私にもっと家族を大切にしなければいけなかったんだぞと言ひたかったんだと思った。<br>兄が本音で話してくれた最初で最後の一言。<br>誠に有難く感謝している。<br><br>＜父の『息子の思い出』＞<br>大学受験の最中の日曜は少し位の息抜きもいいではないかなとボーリングに誘ってみた。<br>ニコット笑って行くと言う。<br>まだ余裕があるなら一安心。<br>それでも誘っておきながら投げる後姿を見ながらこの子は本当に楽しんで投げているのかな。<br>受験のことを気にしながら投げているのかな。<br>と考えてしまう。<br>早く合格通知がくればいいのになあ。<br>親馬鹿とはこんなものなのか。<br>それから間もなく最初の受験校理科大から合格通知があった。<br>その時の喜びようは大変なものだったと帰ってから聞かされた。<br>その位嬉しかっただらう。<br>よかったなあとしみじみ思った。<br>一番お世話になった磯子の祖母がたまたまきていたとは。<br>祖母の喜びようも目に浮かぶ。<br>オバアちゃん有難う。<br><br>＜父の『義母の思い出』＞<br>磯子の母のこと。<br>今思うと本当は磯子の母が好きだったのでいかと、そして母の仕草の一つ一つが懐かしい。<br>世間気の母が孫のことになると大きな声を張り上げてあの大きな体をゆらしながら追かけまわし廻りのことなど一切おかまいなし。<br>孫の話になると母は親の方で恥ずかしくなるようなことも気にしないで話す人だった。<br>大学に合格したときの喜びようは最たるもので赤飯をたいて配って歩いたほどでした。<br>こときばかりは少し閉口した。<br>手塩にかけた孫だけによけいに嬉しかったとだろう。<br>いまでは有難く感謝している。<br>麻雀に負けると人一倍口惜しがり時間を忘れるほど夢中になった。<br>温泉好きな人でどんなにしなびた温泉であっても子供のように喜んだ。<br>この天真さが磯子の母そのものだったと、母はよく気をつかう人だった。<br>特に自分に対しては余りにもつかいすぎた。<br>このことがかえって母と疎遠になったのか、そんな気がする。<br>こんなことを考えたときふと目に浮かんでくることがある。<br>風呂に薪をくべ湯加減をみて湧きましたと母に言う。<br>薪をくべる自分がいてもなんのためらいもなく宏一を抱いて湯舟に入る。<br>オバアちゃんの大きな胸に顔を寄せて気持ちよさそうにしていた。<br>ときどき湯舟の中でそそおする。<br>オバアちゃんは平気な顔をしている。<br>このような母だから湯加減をみながらオバアちゃんさわっていいと聞けば、いいよと笑いながら言ったかもしれない。<br>そんなくだけた親子になっていたらもっと素直に母に接していられたと思う。<br><br>＜父の『父の思い出：縁日』＞<br>父につれられて縁日へ行ったとき、その帰り夜店とはかけはなれた本屋へつれて行かれた。<br>父の目的は本屋だったらしい。<br>父が言った。<br>好きな本があったら買っていいよと。<br>その時は丁度小学館の新年号がでていたときでその付録に目がうばわれこれと指さした。<br>父は別の本を指さした。<br>私はあくまで付録にこだわっていた。<br>父は何も言わずついと店を出て歩き出した。<br>あわててそれでよいと言った。<br>父の足は止まらなかった。<br><br>＜父の『父の思い出：兵器学校』＞<br>兵器学校入校時のときのこと。<br>入校時、私服から軍服に着替えたときに急に淋しく悲しくなり、父にこのままつれて帰ってくれと泣き言いってえらく叱られたことを思い出す。<br>叱られたというより論されたといったほうが正しいかもしれない。<br>自分から志願しておきながらこの体たらく。<br>なんでそんな弱気になったのか、今ではなんとなくわかるような気がするが父に対する最後のあまえであったかもしれない。<br>入校式を終えこんな頼りない陸軍生徒が一人誕生した。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/endnote/entry-12665011380.html</link>
<pubDate>Sun, 28 Mar 2021 08:14:04 +0900</pubDate>
</item>
</channel>
</rss>
