<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?>
<rss version="2.0" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom">
<channel>
<title>engawahokkeのブログ</title>
<link>https://ameblo.jp/engawahokke/</link>
<atom:link href="https://rssblog.ameba.jp/engawahokke/rss20.xml" rel="self" type="application/rss+xml" />
<atom:link rel="hub" href="http://pubsubhubbub.appspot.com" />
<description>ブログの説明を入力します。</description>
<language>ja</language>
<item>
<title>ルール作り</title>
<description>
<![CDATA[ 組織の中でなにか問題が発生すると、その問題を二度と起こさないためにはどうするか、という議論が必要になる。<br>ここで、その問題の直接の原因となったものを封じ込める規則を制定することは、必ずしも問題の解決に通じるわけではない。<br><br><br>例えば、今日本には「非正規雇用と正規雇用の賃金格差」という問題がある。<br>同じ労働をしているのに非正規雇用だというだけで賃金が下げられ、また身分が保証されない。<br>これが問題だというのは多くの人の賛同するところだろうが、だからといって単純に「非正規雇用を禁止にする」というルールを作ったらどうなるか。<br>企業がリスク低減のために切りやすい非正規雇用を雇っているとすれば、非正規雇用という身分をなくしたら、企業にとっては気安く人員の追加がおこなえなくなる。今景気がよくて正社員を増やしても、それが将来負債となるかもしれないからだ。そうなれば、雇用を増やして会社を大きくするマインドが低下しかねない。<br>「非正規雇用を減らしたらそもそも雇われなくなった」となっては意味がない。<br><br><br><br>原発が事故を起こしたからといって単純にすべての原発を廃炉にしたら、電気代が跳ね上がって人が死ぬかもしれないし、火力発電に依存しすぎたが故に大型の火力発電所が事故を起こすと大規模な停電を引き起こすようになるかもしれない。<br>これも、単純な解決策がいい結果を生み出すとは限らない例のひとつ。<br><br><br>ルールが意図する理念を実行することが最大の目的であって、よかれと思って策定したルールが逆効果になることはよくあることだと意識する必要がある。<br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/engawahokke/entry-12009486595.html</link>
<pubDate>Thu, 02 Apr 2015 22:41:44 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>責任2</title>
<description>
<![CDATA[ 「会社って誰のものですか？」と聞いて、なんと答えるのが普通だろう。<br>「社長」って答える人が多いかもしれない。「社員みんなのもの」と答える人も、「社会みんなのもの」って答える人もいるかも。<br><br>でも、資本主義においてはこの問いには正しい答えが存在する。答えは「株主」。<br><br>「会社の売り上げを伸ばすこと」は経営者が株主に対して負う責任であって、労働者が負う責任とは、雇用契約にかかれた内容を実行すること。<br>でも企業の中にいると、労働者にあらゆる責任があるかのようにみえる。<br>プロジェクトの途中で手前勝手な理由で辞めたり、みんなが忙しいときに有給とったり、会社の売り上げに興味が無かったりすると「責任感が足りない」と言われる。<br><br>プロジェクトの途中でメンバーが辞めて、その影響が他のメンバーにでないように人材調整をすることは会社の責任。有給だって、会社に申請して会社が認可しているわけで、それで現場がまわっていないならそれもやっぱり会社の責任。そして会社の売り上げが伸びるように人材を配置して教育して、株主に報いることは会社の責任。<br><br>こういう考え方を「責任回避だ！」と怒っていると、本来自分の責任でないものもどんどん自分でしょっていって、自分が大変になるだけでなく他人にも余計な責任を負わせることになる。自分が負う責任とはどれか、自分が負わない責任とはどれか、という識別ができないと、本来自分がまっとうするべき責任に目が向かなくなる。<br><br><br>「責任」という言葉は意味が不透明であるからこそ、どの仕事がだれの責任なのかということはしっかり考える必要がある。<br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/engawahokke/entry-12004647478.html</link>
<pubDate>Sun, 22 Mar 2015 11:38:11 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>責任</title>
<description>
<![CDATA[ 日本人は「責任」という言葉が好きだと思う。<br>でも責任っていう言葉は定義が難しいと思う。意味があいまいであるがゆえに無限の広がりを持ってしまい、いたるところで責任、責任と言っているような気がしている。<br><br><br>「責任がある」という言葉を、「ミスった時には自分で尻拭いをしなければいけない」と定義する。<br>すると、企業が負う「社会的責任」というのは、責任の規模が広いことを示しているのだろうか。<br>今日の企業活動は、影響範囲が大きい。もしミスった時にはたくさんの人に悪い影響を及ぼすおそれがある。<br>そのため、企業はぜったいにミスをしないような仕組みづくりをしなければならない、ということを「企業には社会的責任がある」というのだろうか。<br><br><br>ミルトン・フリードマンという経済学者は、こういう考え方に対して、「企業が負う責任とは株主のための利益追求のみ。社会に恩恵を与えたいなら株主が配当の中からやればいい」と言っている。<br>俺はこの考え方がすごく好き。彼はまた、「経営者が株主の僕ではなく社会の僕だというなら、民主主義社会においては選挙でえらばれるべきだろう」と言っている。<br><br><br>企業が社会をよりよくするために存在しているというなら、そこでおこなわれる意思決定が企業内部の人間によってのみおこなわれていることは「企業による独裁政治」となるのではないか、ということだろうか。<br><br>企業とは株主の持ち物であり、株主に報いることが唯一の仕事。社会に対して責任など持ちえない。企業活動が社会に対して大きな影響を与えていることは事実だが、悪い影響を与えないように縛るのは政治の役目。<br>企業活動に対して責任を負う対象は、労働者、企業、国、の3種類がありえるが、企業活動は影響範囲が広すぎるので、労働者や企業は、企業のミスの尻拭いができない。そのため国が負う。いざミスったら国が尻拭いしてやるから、俺のいうことを聞け、とルールを課す。そんな感じか。<br><br><br>企業が社会に対して責任を持っていないなら、そこで働く人も社会に対して責任なんて持ってないでしょうね。<br><br><br>たぶんこれを会社の人に話したら、「責任感がない」と言われるだろう。<br><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/engawahokke/entry-12004447588.html</link>
<pubDate>Sat, 21 Mar 2015 21:27:47 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>よくしらない人</title>
<description>
<![CDATA[ 自分には理解できないようなことを言う人を、「この人はすごい人かも」って思うようにすると、いろんな人と仲良くなれる。
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/engawahokke/entry-12001788182.html</link>
<pubDate>Sun, 15 Mar 2015 12:48:48 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>同期との飲み会</title>
<description>
<![CDATA[ 会社をやめたいと思っているという同期と飲んだ。<br><br>彼は一見コミュ障っぽいけど、話してみると話がうまく、懐も深く、個人的にはすごいイイ人だと思う。<br>同期全員でやった飲み会に彼だけ唯一こなかったということがあり、人と接するのが苦手なタイプかな？と思ったことがある。今思えば、飲み会にこなかったというだけでそんな評価を勝手にしてはいけないよな、と思うが。。<br><br>でも小規模な飲み会をやった時に少し強引に誘ったらついてきてくれて、話してみるとまったくそんな人ではないことを知った。<br>何を話してもおっとりと返答してくれて、自我を強調せず相手にあわせて話してくれるので、すごく話のうまい人だと思う。<br>うん。コミュニケーションが上手な人というのはああいう人のことかもしれない。自分からバンバンネタを提供して、自分の意見をガンガン言う人のことを「コミュニケーションのうまい人」と思いがちなのかも。そういうタイプの「うまい人」もいるけど。<br><br><br>そんな彼は自分のことを「社会性のない人」だといい、職場でも自分の評価が低いことを気にしてやる気がなくなってしまったのだそう。<br>俺は、むしろ彼は社会性に富んだ人だと思う。自分からアクティブに行動しない人なだけで、彼と話していると何時間でも話していたくなる。聞き上手ということなのかな。<br><br><br>嬉しかったのは、そんな彼のほうから俺と久しぶりに飲みたいと言ってくれていたらしいことだ。<br>久しぶりに会って、やっぱりおもしろい人だなと思ったし、彼にはぜひやめないでもらいたい。<br>やめないでもらいたいが、会社を続けるも辞めるも自由だ。手前勝手な理由で休んだり辞めたりできることこそが、会社と被雇用者の間には雇用関係しかないという資本主義たる証だと思っているので、彼が自分の判断で辞めるならその決断を応援したい。<br>飲み会に参加した上司の中には、「新人の育成には、新人が3年働かないと元をとれないくらいの教育費がかかっている。」という人もいた。俺はそれに対して、「いや、知りません。」と返答していいと思う。<br><br><br>辞めたがる彼をとめたいのかそうでないのか自分でもわからないが、同期として少しでも支えてあげたいと思う。<br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/engawahokke/entry-12001764406.html</link>
<pubDate>Sun, 15 Mar 2015 11:10:49 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>議論のむずかしさ2</title>
<description>
<![CDATA[ 番組を6割くらい、ざっと見たが頭が痛くなったな。<br><br>『六ヶ所村での再処理は、そのまま捨てるよりコストが高い』という意見に対して、「その計算には住民の不安は加味されていない」とか、<br>『風力も太陽光も安定供給できないんだから、原発使わないならベースは火力に頼らざるを得ない』という意見に対して、「私は2030年には自然エネルギーが3割を占めると信じてる。でなきゃなんのために法改正したのかわかんない」とか・・・。<br><br><br>うーん、できない大学生と教授の会話のようだった。<br>福島に住む人たちをいたわり、人々の声を政治に反映させようという姿勢はとてもすばらしいと思う。 とても心優しい人たちなのでしょう。<br>でもこういう議論の場には、技術的な、科学的な会話ができる反原発派を連れてきてくれないと、これは番組を見ていた反原発派の人もイライラした人多いんじゃないだろうか。<br><br><br>科学的な会話ができる反原発派がいないと議論のレベルが違いすぎて面白くない。<br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/engawahokke/entry-11997526796.html</link>
<pubDate>Thu, 05 Mar 2015 02:00:46 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>議論のむずかしさ</title>
<description>
<![CDATA[ 原発問題について唯識者が語る討論番組を見た。<br>俺は原発のことはよくわからないので再稼働に賛成でも反対でもないが、議論て難しいなと思った。<br><br>たとえばよく、「原発がなくても電力は足りるか否か」という議題があがる。<br>「原発がなくったって、それによる停電なんて全然おこってないじゃないか！」という人がいて、それはそのとおり。<br>でも、「電力が足りている」というのはどういう状態を示すのかは人によって意見が違う。<br><br><br>原発が1機も動いていない状態でどこの地域も停電していなければ「電力が足りている」と呼ぶのか。<br>であれば、中東の混乱によって石油やLNGの輸入ルートが確保できなくなり、その結果起こる停電によって人命が損失される（たとえば病院が停電になるとか）可能性があっても、それは「電力はたりている」と呼ぶのか。<br><br><br>原発が動いていれば、火力発電の発電量が少し減ったくらいなら埋め合わせることができたかもしれない。しかし、原発を動かす準備すらしていなかったがために、火力発電がオジャンになったらその瞬間大規模な停電を引き起こしてしまう。このような状態を 「電力が足りている」と称してもよいのか、ということ。<br><br><br>ギリギリでもいいからなんとかどの地域も停電していなければ「足りている」のか、不測の事態に備えてある程度準備バッチリの発電所を確保している状態を「足りている」と呼ぶのか、それは意見のわかれるところ。<br><br><br>火力発電に大きく依存しているがために発生した大規模な停電による人命の損失と、原発事故による人命の損失と、果たしてどちらが大きいのか、自明ではない。<br>とくに冬場の雪国で大規模な停電なんて発生したら、失われる人命ははかり知れない。<br><br><br>大事なのは、目に見える損失だけを計算していてはいけない、ということ。<br><br><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/engawahokke/entry-11997517855.html</link>
<pubDate>Thu, 05 Mar 2015 00:42:22 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>ひとさまにめいわくをかけるな</title>
<description>
<![CDATA[ 日本人は、小さいころから「人様に迷惑をかけてはいけない」と叩き込まれて育つ。<br>俺もそうだった。<br>人に迷惑を「与える」立場に関する規律は存在するのに、人から迷惑を「受ける」立場に関する規律は存在しない。<br><br>真偽は知らんが、インドでは、「人から受けた迷惑は許せ」と教えるのだそう。<br>理由は、人に迷惑をかけずに生きることが不可能だから。<br>よく知らないが、キリスト教とかもそういう思想を持ってる？かな？<br><br><br><br>「いつなんどきも、人様の迷惑になるな」という日本の教育は、日本人の他人に対する奥ゆかしさなど、日本的な美的感覚にも影響を与えているだろうなぁとおもう一方、「人に迷惑をかけることを厭わない人」があらわれた場合に弱いかもと感じる。<br>インドの思想は、そういう「頭のオカシイ人」が偶発的に生まれてしまっても対応できるが、日本的な思想は、全員が同じ感覚を共有してないとうまくまわらないかもと感じる。<br><br>どちらの方式を選択しても国の中で発生する「迷惑」の量はかわらないが、インドの方式の場合、受けた迷惑を誰かに流し、それを受け取った人がちょっと処理できるならちょっとだけ削って残りは他の人にまわし、といった具合で分散的に処理されていくのかな、と。<br><br>日本の場合は、受け取った迷惑は自分の中で処理する以外の道はないので、日本的センスを持っている人ほど抱え込んでしまうのかな。<br><br><br>俺が働き始めて強く感じることは、「人に迷惑をかけることをためらってはダメだ」ということ。<br>新人など、迷惑をかけずには生きていけない。そして、新人だけに限らない。<br>有給をとるとなったら、絶対誰かに迷惑をかけなければいけない。<br>「できるだけ人の迷惑にならない時にとれ」と多くの日本人は言うが、それも日本的な思想で、そもそも迷惑をかけることにかわりはない。<br>先月、現場の中国人は春節でほっとんどいなかった。彼らも有給は年20日くらいあるのだろうから、<br>それをありったけ使えば1月近く休むことは可能だ。<br><br>日本人は「有給をとらない」のではない。「有給をとる気がない」だけ。<br>日本人にアレをやる勇気はないし、それどころか「人の迷惑も考えないで」と中国人を罵倒する。<br>中国人の彼らは、1月休むことを会社に申請し、ちゃんと会社から許可も下りた。<br>たとえルールにのっとって、正当な権利を行使していても批判をするのは、日本人にとって「ルールを守る」ということは重要ではないから。<br><br><br>ルールよりも大切なのは「場の空気」であり、「人に迷惑をかけているかいないか」が判断基準だから。<br>その日本的思想が悪いとは言わないが、おそらく世界では特異な、日本人にのみ通じる思想だということは肝に銘じるべきだと思う。<br>そして俺は、人に迷惑をかけているかどうか、空気を読んでいるかどうかではなく、明文化されたルールを守っているか否かが善悪の判断基準になっているほうが好きだ。<br><br><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/engawahokke/entry-11997423252.html</link>
<pubDate>Wed, 04 Mar 2015 21:04:39 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>社会人らしさ</title>
<description>
<![CDATA[ 人の短所を治すのはとてもコストがかかる<br><br>働いていると、全員がマメにメールを返信してくれて、全員がある程度のコミュニケーション能力を持っていたら仕事が楽だなぁ、と感じることがあるが、たぶんそれを目指そうとしてはいけない。<br><br>チームとしての質をあげるには、全員のあらゆる能力を必要最低限までのばそうとするのは効率が悪いかもなと感じる。<br>エンジニアだって、全員が技術をわかっている必要はない。エンジニアの世界でも単純な事務作業はいっぱいある。技術だけで食ってるわけじゃないのに、とりあえず全員の技術力を伸ばそうというのでは全体が見えていない。<br><br>全員がJavaをかける必要なんてなくて、1人Javaの強い人をつくって、その人をJava開発チームのお助けマンにするほうが効率はいい。技術に興味ない人にJavaの基礎を教えるくらいなら、エクセルのスーパーマンにでもなってもらったほうがいい。興味ないことやらせてもできるようにならんし。<br><br><br>「社会人なんだから・・・」というセリフはよく聞くが、コミュニケーションが苦手な人は苦手だし、朝起きれない人だっている。期日を守って順序良く仕事できない人だっている。<br>そういう「できない人」をどうやって活躍させるか、と考えられるのがいいマネージャなんだろうなと思う。<br>そこで「あいつはダメだ」と言ってしまったらそこで話は終わってしまう。<br>「できない人」の存在も、乗り越えるべき条件のひとつ。「金がない」「時間がない」と一緒。<br><br><br>昔から優秀だった人というのは、そういう「できない人」の気持ちがわからないので、「あいつはダメだ」と言ってしまう。<br>俺が、「プライドのない出来損ない」が社長に向いてると思うのはそういうところ。<br>社会人として必要な能力を持っていない人の気持ちがよくわかって、かつプライドがないので上手に仕事を頼むことができる。「神輿は軽くてパーがいい」という表現は適切だ。<br><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/engawahokke/entry-11995558243.html</link>
<pubDate>Sat, 28 Feb 2015 13:29:17 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>兄の結婚</title>
<description>
<![CDATA[ 兄が近々結婚するらしい。<br>弟としてうれしいと思う。<br><br><br>しかし問題が山積しているようだ。<br>保守的な親を説得し、体裁にしか興味がない祖母を納得させ、なによりも奥さんと生活していかなければならない。<br><br>最大の問題は親のようだった。<br>男親が文句言うのかよ、とわが親ながら思ったが、こどものころを振り返ってみれば本当に変化を嫌う、頭のかたーい親だった。<br>そのおかげで俺はかなり自由主義的な考えに染まったが、兄が言うにはそれは俺に反抗期があったからだそうだ。<br>兄には反抗期がなかったので自由主義的でなく、そんな自分の性格に親の影響が見て取れて嫌なのだろう。いまだに親から独立できないないような感覚になるのだと思う。<br><br><br>今年になって兄とこんなに語り合うようになったが、これも大事だな。<br>兄よ、あれでもわが親だ。がんばってくれ。<br><br>なによりも大事なのは奥さんや、奥さんとのこれからの生活であり、<br>俺を含め家族の同意を得ることではないぞ、ということは強調して伝えた。<br><br><br>親に文句を言わず、親の意思をかなえるマシーンとして子供時代を過ごした兄には、どうか自分勝手に意思決定をして奥さんと幸せになってもらいたいと心から思う。<br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/engawahokke/entry-11993368805.html</link>
<pubDate>Sun, 22 Feb 2015 23:32:08 +0900</pubDate>
</item>
</channel>
</rss>
