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<title>たこさんのブログ</title>
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<title>考察</title>
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<![CDATA[ 今日という日は間違いなく事実である。<br><br>それが良いとか悪いとかの判断は、自分基準の範囲の話である。<br><br>事実には良いも悪いもない、瞬間的に起こっては消えそのサイクルの繰り返し、発生、消滅を繰り返している。<br><br>一見継続を繰り返してるものも、非連続連続のような感じがする。ただ、行動には、頭で判断し、その意識が強いと、次の発生にも同じような出来事が発生してくる傾向が出てくる。一見、原因→運動→結果のように、<br><br>実際は、事実1。事実2＋傾向性（事実1）。事実＋傾向性（事実2）である。<br><br>強い傾向性を癖とか、執着という。<br><br>事実。事実。事実。が只、素直ということ。<br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/enwamugen/entry-12507388400.html</link>
<pubDate>Fri, 16 Aug 2019 12:30:18 +0900</pubDate>
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<title>技</title>
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<![CDATA[ 今日は技について教えられたことをまとめてみた。<div><br></div><div><p style="font-stretch: normal; font-size: 12px; line-height: normal; font-family: Helvetica;"><span style="font-size: 12pt;">技</span></p><p style="font-stretch: normal; font-size: 12px; line-height: normal; font-family: Helvetica; min-height: 13.8px;"><span style="font-size: 12pt;"></span><br></p><p style="font-stretch: normal; font-size: 12px; line-height: normal; font-family: Helvetica;"><span style="font-size: 12pt;">技は争いを和すものである。対立が円和され技となっていく。どんなにぶつかってもぶつからない。</span></p><p style="font-stretch: normal; font-size: 12px; line-height: normal; font-family: Helvetica;"><span style="font-size: 12pt;">神技であり、全く五感で捉えてことも理解することもできない。そういうハタラキがある。外に現れる形ではない。想いの世界からすれば、上げる下げる、押す引くもなんの差別もない。</span></p><p style="font-stretch: normal; font-size: 12px; line-height: normal; font-family: Helvetica;"><span style="font-size: 12pt;">技によりできた型は、各流の開祖の抽象的な思想より考案されたものである。</span></p><p style="font-stretch: normal; font-size: 12px; line-height: normal; font-family: Helvetica;"><span style="font-size: 12pt;">型を通して開祖の思想を知ることが大切である。型は一貫した思想の流れである。</span></p><p style="font-stretch: normal; font-size: 12px; line-height: normal; font-family: Helvetica;"><span style="font-size: 12pt;">あくまで型をその思想を知るための方便としてやる。型を型としてやろうとしても意味がない。</span></p><p style="font-stretch: normal; font-size: 12px; line-height: normal; font-family: Helvetica;"><span style="font-size: 12pt;">技の数を追うのではなく、少なくても容易なものなものに極意あり。</span></p><p style="font-stretch: normal; font-size: 12px; line-height: normal; font-family: Helvetica;"><span style="font-size: 12pt;">大切なことは、実技ばかりしても何も変われない。心が変わらないと行動、原理はかわらない。</span></p><p style="font-stretch: normal; font-size: 12px; line-height: normal; font-family: Helvetica;"><span style="font-size: 12pt;">そして、一人よがりにならず相手と繋がり、相互の信頼の中で稽古していくことが大切である。</span></p></div><div><span style="font-size: 12pt;"><br></span></div><div>以上</div>
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<link>https://ameblo.jp/enwamugen/entry-12436599741.html</link>
<pubDate>Wed, 30 Jan 2019 17:39:05 +0900</pubDate>
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<title>受身と受け</title>
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<![CDATA[ 受身はできるけど、受けはなかなか難しい。<br>この受けが出来ないと、気技はなかなか辿りつかない。<br><br>ある流派では、受けができる体を気の体というところもある。<br><br>まずは、素直に相手に打たれる。投げられても逆らわないことが重要である。勝敗ばかり考えていては、そういう身体にならない。あくまで、身体をうけるのではなく。相手の雰囲気を受ける。<br><br>他流の型でも、初めて打って来たのを一歩はずして引き外し、2本目で切るのが見受けられる。始めは躱してるのではなく、相手の気をきちんと受けてる。2本目は受けながら打ってるように思える。高段者が受け太刀するのもそういう意味だろうか？<br><br>他流の開祖もこのことを踏まえているのではないか？<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/enwamugen/entry-12436334855.html</link>
<pubDate>Tue, 29 Jan 2019 13:53:18 +0900</pubDate>
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<title>居合</title>
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<![CDATA[ 以下とおりの抜き付け<br><br>1.刀は中心から抜きつける。<br>2.水鳥か水面を行くように、相手に抜き渡す。等速度で滞りなく。<br>3.相手がいない抜き付け。<br>4.鞘鳴りをしないように。<br>以上、古流の伝書、合気道により。<br><br>1は、手で抜かない。<br>2は、刃鳴りはしない。<br>3は、水月（写し）<br>4は、他流では鞘の内ということあり。<br><br>太刀で打たない。心で打つ。<br>これがなかなか出来ないから面白い。<br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/enwamugen/entry-12436325128.html</link>
<pubDate>Tue, 29 Jan 2019 12:56:14 +0900</pubDate>
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<title>一人稽古</title>
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<![CDATA[ もう、会から離れ8年、新しく兄弟子と会を作ったが、あくまで会に居座るのが、自分にとって良くないと考え、そこから離れ2年経ってしまった。<br><br>現在は総師範より月1回、前の会の同門と月1回稽古するだけになってしまった。<br><br>元来、堪え性もないのか、居着いてないのかわからないが、こういう自分の性格に加え、この流はやればやるほど、技もなくなり、考えること無くなっていく。そんな一人稽古の繰り返し。<br><br>後輩でも、師範号を得て講座を開いたり道場を持ったり活躍してる者も多数。それはよいこと。むしろ道の友が沢山いてうらやましい。<br><br>当初は合気道で金をとるのはけしからん、、と思ってた私も、、今ではそういうこだわりもなくなった。（開祖の教えに合気道で飯は食えない。本来を求めるが故に。）<br><br>いまだかつてお金を取るつもりもなし。自分の稽古ために良くない。結果を求めることも同様。<br><br>只管打坐という言葉があるが、実際は只というのもあってはいけない。言葉遊びの稽古はしてはいけない。教えるのでも教わるのでもない。自得。伝わるのは手から手。<br><br>誰かと一緒に稽古できればなぁと思いつつ、下手ながら一人稽古をしてる今日この頃。<br>ただ、師から、諸先輩方から教わったことを縁があれば伝えたい。<br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/enwamugen/entry-12433786684.html</link>
<pubDate>Fri, 18 Jan 2019 11:15:42 +0900</pubDate>
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<title>流転について</title>
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<![CDATA[ テキストをまとめてみたけど、なかなか難しい文になってしまった。<br>でも、わかったことは<br>流転というけど、あくまでも気の問題、、。<br>物理的なことではない。<br><br>東洋思想も最初は物理のことを語っていたが、最終的には気の問題に終着した模様。<br><br>最終的にはわからん世界。人の考えでは複雑すぎるくらいわからん。感覚じゃない勘では簡単にわかる世界と教えられた。<br><br>わからんけど、わかるってこと。
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<link>https://ameblo.jp/enwamugen/entry-12428699901.html</link>
<pubDate>Thu, 27 Dec 2018 09:28:46 +0900</pubDate>
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<title>合気道（光輪会系）</title>
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<![CDATA[ 坐学が多い合気道です。開祖、師範が教えてくれたことをまとめました。<br><br>流転<br><br>すべては回ってる。この流転変化は現実である。狙いを定め、拍子をとこうとしてしまうと、ぶつかってしまう。対立が生まれる。一瞬のものであるから、その感覚は掴めない。全ては一瞬のこと、過去、未来に当てはめても語ることはできない。原因、結果で当てはめることはできない。時間の経過で捉えることができない。気発の合わせ終わり。今は今でしかない。繋がりがあると思うから時間の経過で考えてしまう。考える必要余地はない。<br>あくまで感じることもできないし、考える余地もない。故にそう考えるのではなく、心の割り切り方が大切である。<br>変化の世の中を固定して解釈する自分の傲慢を知るべきである。<br><br>流れの中の拍子に溶け込むこと。相手のすべてを飲み込むような気持が大切である。<br>
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<link>https://ameblo.jp/enwamugen/entry-12428031895.html</link>
<pubDate>Mon, 24 Dec 2018 11:53:40 +0900</pubDate>
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