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<title>「誤解だ」はウソとは限らない</title>
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<description>りっちゃん！！</description>
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<title>7月10日に投稿したなう</title>
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<![CDATA[ <br><div class="AmNwMdl" style="clear:both;"><div class="AmNwH"><a href="http://now.ameba.jp/erenhitosuji/">モン太さんの投稿したなう</a></div><br><div class="AmNwL">“今の”え○ちゃんへの愛しさのような感情が強くなった。以前とは違う感情だな。おれが弱まっているような、そんな感じだ。前は甘えるような気持ちが強かったけど。どうあれ、「過去を理由にしてではなく、今の彼女を好き」というのはよいことだ。<div>7/10 11:25</div><br></div><div class="AmNwL">何ていうか、多元的な角度から「好き」というか…<div>7/10 11:26</div><br></div><div class="AmNwL">今のおれは過去のえ○ちゃんを好きだし、過去のおれは今のえ○ちゃんを好きだし、過去のおれは過去のえ○ちゃんを好きだし、今のおれは今のえ○ちゃんを好きだという…<div>7/10 11:27</div><br></div><div class="AmNwL">そういう感じかな。あらゆる角度から「好き」という…<div>7/10 11:28</div><br></div><div class="AmNwL">いずれかの角度からの気持ちなら、受け入れてくれるのではなどと思ったり…<div>7/10 11:28</div><br></div><div class="AmNwL">瞳に惹かれるなら、それは本当に惹かれるような相手だと言えるのか。そんなことはない。瞳さえも美化して捉えることはできるから。実際の相手が、惹かれるところばかりの存在である人とは限らない。むしろ、大抵はそうではない。<div>7/10 11:32</div><br></div><div class="AmNwL">けれど、え○ちゃんに関しては、美化しているわけではないからな…<div>7/10 11:32</div><br></div><div class="AmNwL">そんな段階はとうに過ぎている。正確には、今も知らないところもあるけれど、決して美化して崇拝しているわけではないということ。いろいろあっても好きということだ。<div>7/10 11:34</div><br></div><div class="AmNwL">すべてが理想どおりではなくても…<div>7/10 11:34</div><br></div><div class="AmNwL">え○ちゃんが一番であることに変わりはないから。<div>7/10 11:34</div><br></div><div class="AmNwL">なので、え○ちゃんを「一番」好きなのである。不変的に。<div>7/10 11:35</div><br></div><div class="AmNwF" align="right" style="text-align:right">&gt;&gt;<a href="http://now.ameba.jp/erenhitosuji/" target="_blank">もっと見る</a></div></div>
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<pubDate>Sat, 11 Jul 2015 09:36:55 +0900</pubDate>
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<title>6月19日に投稿したなう</title>
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<![CDATA[ <br><div class="AmNwMdl" style="clear:both;"><div class="AmNwH"><a href="http://now.ameba.jp/erenhitosuji/">モン太さんの投稿したなう</a></div><br><div class="AmNwL">一喜一憂の日々…といっても、大きな「喜」はないけれど。思考の幅自体は大きい。<div>6/19 11:18</div><br></div><div class="AmNwL">上下に…<div>6/19 11:18</div><br></div><div class="AmNwL">昨日は事件があったので、非常に現実的に考えてしまった。<div>6/19 11:18</div><br></div><div class="AmNwL">溺死した少年が写った心霊写真を見た。ほとんどの動画は信じない。都合よくカメラからフレームアウトしている間に移動したり消えたり現れたり。霊はそんな都合のよいものではない。冷静に考えれば、明らかに人が製作したものと分かる。<div>6/19 11:20</div><br></div><div class="AmNwL">そんなことより、「今も溺れ続けている」と聞いて、「なるほど、そういうことか」と思った。だから首を吊った人はいつまでも吊り続けているのか。事故に遭った人はいつまでもその場にいるのか。ということは…<div>6/19 11:21</div><br></div><div class="AmNwL">ということは、練炭を焚いて布団に入って自室で心地よく眠ればいいのではないか。そうすれば死後も寝ていられる。穏やかに永遠に寝ていることができるのではないか。…そう思ったのである。<div>6/19 11:23</div><br></div><div class="AmNwL">このように考えれば、死後など怖くない。そう、思えた。<div>6/19 11:23</div><br></div><div class="AmNwL">冗談で笑わせているのを見て、不快に思った。全く笑う気が起きなかった。冗談というものを嫌悪した。<div>6/19 11:24</div><br></div><div class="AmNwL">そして理性を抑えられず激怒してしまった。いや、むしろ理性は強く働いたといえる。激怒してもすぐに抑制し、冷静になることができたし。わからない。<div>6/19 11:26</div><br></div><div class="AmNwL">浮かんだ人はほとんどいなかった。○ちゃんは当然として、あとはＳちゃんとか。連絡がつくならばメールなどしたかも知れない。電話でも知っていればかけたかも知れない。<div>6/19 11:28</div><br></div><div class="AmNwL">…<div>6/19 11:29</div><br></div><div class="AmNwL">こんなことを書いて、誰かを誘発してしまいはしないだろうか。もっと正確な事実を書いたほうがいい。練炭が苦しまないというのは間違いであることとか。<div>6/19 11:31</div><br></div><div class="AmNwL">練炭もやはり窒息死なので、最初は眠るとか倒れるだけであっても、更に時間が経過し、手遅れになる直前で、窒息の苦しみを強く味わう。それは本当に僅かの時間のことであるらしい。だが、少年が「永遠に溺れる」のと同様、その僅かな窒息の苦しみを、死すれば永遠に味わうことになるのであろう。<div>6/19 11:33</div><br></div><div class="AmNwL">まあしかし、第一候補であることに変わりはない。今はそういうわけには行かないけれど。<div>6/19 11:34</div><br></div><div class="AmNwL">Ｓちゃんに何てメールしただろう。お礼？お礼を言うのは迷惑をかけた証。だからといって謝罪だけでは足りない。お礼と謝罪の両方を書くだろう。そんなことを想像して、おれは思った。Ｓちゃんがいかに優しかったかを。<div>6/19 11:36</div><br></div><div class="AmNwL">「救われた」と言い残してこの世を捨てるのは矛盾している気がするが。これ以上、生きることによって、積極的に苦しむことをする必要はない。だが、確かにあの当時の苦しみは和らいだ。そのことへの感謝であるのか。<div>6/19 11:37</div><br></div><div class="AmNwL">惰性で生きているだけの人間が、きっかけがあっても「死にたい」と言いつつ死なないのは、死にたくない理由もあるからだ。その理由をひとつ一つ片付けてしまえば、先延ばしにしてまた後悔するということもなくなる。<div>6/19 11:40</div><br></div><div class="AmNwL">「生きたくても生きられない人への冒涜だ」と彼らを罵ることこそ、彼らへの冒涜である。彼らの苦しみをどう捉えているのか。理解していない以上、何をどれだけ語れるというのか。<div>6/19 11:43</div><br></div><div class="AmNwL">幸福なのは、「生きたいし生きられる人」のみであり、「生きられるけど生きたいと思えない人」もまた相当に不幸であり、そして苦しんでいるのである。<div>6/19 11:43</div><br></div><div class="AmNwL">こうやって書くのも面倒になってくる。深刻になってきたら、人称を変えて他人の話っぽくしてしまう手法を使うことにも嫌悪が生じてくる。くだらない。<div>6/19 11:46</div><br></div><div class="AmNwL">（うるさいのう）<div>6/19 11:47</div><br></div><div class="AmNwL">死ぬときは黙って死ぬ、というのも理解できる。みながそうであるわけではない。どれだけの実例を把握しているというのか。お前が知っているのは、単にまだ生きている人の、まだ生きているから聞くことができる言葉だけであろう。挑発的言動を自殺幇助として罰すればよいのに。<div>6/19 11:49</div><br></div><div class="AmNwL">人が憎いのか。人格が憎いのであろう。あるＳＦ映画で人類が滅び、ロボットだけが生き残ることが許せないのは、それがロボットの「人格」であっても憎む対象となる証拠であろう。無視を含めた「攻撃」をしてくる存在のすべてを嫌うのであり、憎むのである。<div>6/19 11:51</div><br></div><div class="AmNwL">疲れた。<div>6/19 11:52</div><br></div><div class="AmNwL">アキレスと亀みたいだな。ある長方形の面積を半分ずつしていっても、永遠に０にはならない。それに似ている。<div>6/19 11:53</div><br></div><div class="AmNwL">半分（生きること）の面積はどんどん小さくなるけれど、常にそれと同じ大きさの半分（生きないこと）が存在している。生きる気力が小さくなっても、同時に死にたい気持ちも同じくらい小さくなっている。だからバランスが取れている。<div>6/19 11:55</div><br></div><div class="AmNwL">喧嘩すると喧嘩をやめても想像上で喧嘩を続けてしまう。続きを始める場合に備え、できる限りの反論を予想し、それに対する反論を考えておくためか。それとも単に喧嘩したりなかったのか。想像が勝手に始まって、他のことを考えられない。<div>6/19 12:06</div><br></div><div class="AmNwL">いちいち思考が中断する。これだから喧嘩は嫌いなんだ。<div>6/19 12:07</div><br></div><div class="AmNwL">二種類いるんだよな、「言ってしまった」と後悔する相手と、「もっと言ってやりたかった」と後悔する人と。喧嘩したことを悔やむ相手とは喧嘩をしたくないな。<div>6/19 12:09</div><br></div><div class="AmNwL">喧嘩する内容がしっかりあれば、話は別なのか。<div>6/19 12:09</div><br></div><div class="AmNwL">笑って許すこともしたくない。笑いながら許しを請うこともしたくない。笑うことがしたくない。小さなことなら許す。そうでなければ無表情のまま、許すことはしない。そういう臨戦態勢に今はある。<div>6/19 14:22</div><br></div><div class="AmNwL">小さなことと言えなくもないが、あまりに長く繰り返されすぎた。彼らには厳しさが足りないと判断する。<div>6/19 14:23</div><br></div><div class="AmNwL">あまりにいろいろなことがどうでもよいと思えるようになると、まるで冷酷になってくる。温かい部分が失われてくる。それを実感している。<div>6/19 14:27</div><br></div><div class="AmNwL">クールなのではない。コールドと言ったほうがよいもの。誰にも何も甘える気持ちを持たない状態。甘えさせる気持ちを持たない状態。<div>6/19 14:28</div><br></div><div class="AmNwL">「許さない」ときの、その相手への気持ちに似ているかも知れない。それが全ての人間に向けられているようなもの。感情論など知ったことではないと思える状態。<div>6/19 14:30</div><br></div><div class="AmNwL">表情豊かな姿を冷めた目で見てしまった。笑いたいとも思わないからこのままでよいが。何も楽しさを期待していないからか。何も未練を持ちたくないからか。<div>6/19 14:34</div><br></div><div class="AmNwL">病んでいるときのようにぐったりなわけではない。極○道の人間にでもなったかのような気分だ。連中は仲間内で大笑いすることもあるだろうから、実際は全く違うのは分かるが。<div>6/19 14:35</div><br></div><div class="AmNwL">いつもとは違うが、明らかに病んでいるのは、今の自分を客観的に見て分かる。<div>6/19 14:36</div><br></div><div class="AmNwL">少し時間を置いて様子を見てみよう。回復したいとも思わないが。いちいち元気になりたいとも思わなくなった。落差で疲れることがないからな。<div>6/19 14:37</div><br></div><div class="AmNwF" align="right" style="text-align:right">&gt;&gt;<a href="http://now.ameba.jp/erenhitosuji/" target="_blank">もっと見る</a></div></div>
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<pubDate>Sat, 20 Jun 2015 09:36:34 +0900</pubDate>
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<title>5月9日に投稿したなう</title>
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<![CDATA[ <br><div class="AmNwMdl" style="clear:both;"><div class="AmNwH"><a href="http://now.ameba.jp/erenhitosuji/">モン太さんの投稿したなう</a></div><br><div class="AmNwL">どれがどのブログなのか忘れてしまった。これがたしかＳちゃんの見ている…いや見てないか。<div>5/9 17:51</div><br></div><div class="AmNwL">久々にあか○ちゃんのツイッターを見てみたら非公開設定になっていた。おれのせいだろうか…<div>5/9 17:52</div><br></div><div class="AmNwL">それに以前から会員制だったかな。そうでなかったなら、それもおれのせいだろうか…<div>5/9 17:53</div><br></div><div class="AmNwL">はるばる○氏に会いに行こうとしたら急用が入ってすれちがいに。つくづく自分の、他人との縁のなさを感じたのであった。<div>5/9 17:55</div><br></div><div class="AmNwL">○氏でこれではあか○ちゃんに会いに行くことなど死ぬ寸前まで不可能なのではないか。会いに行ったあとの会話を想像して辛くなって来た。<div>5/9 17:58</div><br></div><div class="AmNwL">他の人へも意識を向けるのと、他の人へ意識を乗せ換えるのと、どちらがよいと思うのか。どのみち後者などおれには不可能。<div>5/9 18:04</div><br></div><div class="AmNwL">もはや「暫定」の世界ではないもの。<div>5/9 18:05</div><br></div><div class="AmNwL">単推しか否かも何も、え○ちゃんは「推し」とかそういう次元ではない。<div>5/9 18:05</div><br></div><div class="AmNwL">比較するのが間違い。比較もしていない。「一番」はその言葉の一面を借りただけのもの。変動する意味はその使用法に含まれない。<div>5/9 18:06</div><br></div><div class="AmNwL">他の人へも意識を向けるのも、○ちゃんを中心とする世界を構築、維持するために必要であったもの。そもそもの土台であるおれ自身というものを崩壊させないためであった。まずおれはおれ自身というものを必要としなくてはならない。そう思わせてくれるＳちゃんの存在は、殊に必要であった。<div>5/9 18:10</div><br></div><div class="AmNwL">それに感謝している。反抗期であっても、親への根本での感謝が無くならないのと同じように。<div>5/9 18:11</div><br></div><div class="AmNwL">常に心奥を見ているようにしたい。表面上の態度に不愉快になることなく。さすれば騙されることも操られることも防げよう。<div>5/9 18:13</div><br></div><div class="AmNwL">穏やかである。<div>5/9 18:24</div><br></div><div class="AmNwL">そう、穏やかでなければ、それは「心の奥」とは言わない。「心底」だと思っているだけだ。<div>5/9 18:24</div><br></div><div class="AmNwL">穏やかなるところで想う人のことであっても、穏やかならぬところで想うときは、穏やかではない。だがそれは心奥で想わぬことを意味するのではない。<div>5/9 18:26</div><br></div><div class="AmNwL">落ち着いたとき、やはり想うというのは、それこそが心底の気持ちであるからだ。<div>5/9 18:27</div><br></div><div class="AmNwL">そしてなぜ穏やかであることができるかといえば、それは何にも左右されぬ、影響されぬ場所であるからだ。それは不思議と、誰かを想う場所…<div>5/9 18:28</div><br></div><div class="AmNwL">ゆえにひとたび真に想うようになるならば、その愛情は消えることはない。人の心を持つ者ならば。心育み損ねて来た者は別として。心のフタを開けてみることがない生き方をして来た者もまた気づかぬ。表面的な好意のみで、左右に生き歩いて来ただけであろう。<div>5/9 18:31</div><br></div><div class="AmNwL">好意を示していた相手があるならば、想う人が後に現れれば、その告白に抵抗が起きよう。単なる心の変化だと思われるであろうから。だからといって、両者は明確に区別されなければならない。時間をかけてでも。<div>5/9 18:34</div><br></div><div class="AmNwL">ひそかに想う人を持ちながら、他者を想うことは可能であろうか。否。<div>5/9 18:35</div><br></div><div class="AmNwL">ひそかに想う人を持ちながら、他者と交流することは可能であろうか。それは可なり。そのひそかに想う人の存在を、暗に示しながら。<div>5/9 18:36</div><br></div><div class="AmNwL">だがそれが望む姿なのではない。<div>5/9 18:36</div><br></div><div class="AmNwL">いつでも「会いたい」のは、え○ちゃんだという話。<div>5/9 18:37</div><br></div><div class="AmNwF" align="right" style="text-align:right">&gt;&gt;<a href="http://now.ameba.jp/erenhitosuji/" target="_blank">もっと見る</a></div></div>
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<pubDate>Sun, 10 May 2015 09:36:49 +0900</pubDate>
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<title>2月28日に投稿したなう</title>
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<![CDATA[ <br><div class="AmNwMdl" style="clear:both;"><div class="AmNwH"><a href="http://now.ameba.jp/erenhitosuji/">モン太さんの投稿したなう</a></div><br><div class="AmNwL">○○ちゃんのお薦めということもあってマイナスの先入観なく見た動画、フニフニ…<div>2/28 13:10</div><br></div><div class="AmNwL">おかしさ楽しさを抑え気味の表情で歌う二人。出だしから少し笑ってしまった。なぜなら「悲しいね」を楽しそうに歌うから。<div>2/28 13:11</div><br></div><div class="AmNwL">「悲しいね」って楽しそうに歌っているのを見て、おれはなぜだか、少し元気が出たのであった。<div>2/28 13:12</div><br></div><div class="AmNwL">以前は絶望と夢が交互に自分の中に登場したものであったけど、最近は無が多くを占め、ときどき絶望に覆われる、という具合である。希望など辛うじてしか存在していない。<div>2/28 13:13</div><br></div><div class="AmNwL">楽観が少しもないのである。ただその夢が、おれが望むものであるというそれだけの理由で、辛うじて完全には失われずに存在しているというだけなのである。<div>2/28 13:14</div><br></div><div class="AmNwL">え○ちゃんがいる以上は、希望を皆無にする必要などない。そう思うのである。そう思おうとするのである。<div>2/28 13:16</div><br></div><div class="AmNwL">楽しそうに歌う「悲しいね」って、何だか励ましの言葉に聞こえる…<div>2/28 13:17</div><br></div><div class="AmNwL">絶望を希望に変えてくれる言葉ではないけれど、絶望を無にしようとする、そういう作用が少しあるように感じる。無になって、遠い青空を眺めてしまう。…そして、やっぱり悲しい。<div>2/28 13:18</div><br></div><div class="AmNwL">映像を見ている間は、自分の通常の思考の流れを遮られているからかな、だから、通常の自分のような思考をしない、通常のように悲観を積み重ねることをしない、そういう<div>2/28 13:20</div><br></div><div class="AmNwL">動画を思い出したら思考が止まり、消えてしまった。フニフニがあると考えることができなくなる。悪い思考のときはそのほうがいいけれど、そうでないときも思考は止まってしまうのか。だとしたら音楽は悪だ。そういう時間があってもいいけれど。<div>2/28 13:21</div><br></div><div class="AmNwL">おれはかつて、色を塗ることに没頭することを、唯一頭を休める手段としていた。睡眠さえも悪夢によって疲労するからである。そんなふうに、思考を一時停止して休めるというのは、きっとよいことに違いない。ならば、音楽自体は悪とは言えない。<div>2/28 13:23</div><br></div><div class="AmNwL">常に何も考えていないのであれば、それは悪いことなのであるけれど。一日のうちほんの少しの時間しか考えることをせず、それでいて、少しは考えたことで十分に日頃考えていると思い込んでしまう…<div>2/28 13:24</div><br></div><div class="AmNwL">考えて出した答えだからといって、どれが正しいとか間違っているとか言えるものではないけれど。それは他者の意見か、新しく変わった自分の見解である。<div>2/28 13:25</div><br></div><div class="AmNwL">そうであるから、新しく変わった後の自分が後悔するような決断は、古い自分はしたくないと思うのであり、後に悔やまないために、現在の行動の選択を決めるための今の自分の物の見方や考え方を、十分に、慎重に行いたいと、思うのである。<div>2/28 13:28</div><br></div><div class="AmNwL">「人生は一度きり」という言葉は、軽々しい行動を行うために唱える言葉ではない。なぜなら「取り消しも効かない」という事実も、「一度きり」という言葉の示す一つであるから。<div>2/28 13:30</div><br></div><div class="AmNwL">おれはえ○ちゃんを選びたい。こんなに惹かれるのは、きっと前世でいっしょだったんだ。そして仲よく過ごしてい…<div>2/28 13:35</div><br></div><div class="AmNwL">そういえば先日ふと思ったのは、「仲直りしたい」という言葉は、不適切ではないかということ。「仲よく」とか…<div>2/28 13:36</div><br></div><div class="AmNwL">最初の一歩が間違っている。最初の一歩が分からない。それは最初の一歩も踏み出していないということだ。<div>2/28 13:51</div><br></div><div class="AmNwL">冷静に見るなら…<div>2/28 13:52</div><br></div><div class="AmNwL">え○ちゃんが一番なのではない。おれにとっての一番が、え○ちゃんなんだ。<div>2/28 13:52</div><br></div><div class="AmNwL">辛いときほど、それが正しいって思う。<div>2/28 13:53</div><br></div><div class="AmNwL">必要な人だ。<div>2/28 13:53</div><br></div><div class="AmNwF" align="right" style="text-align:right">&gt;&gt;<a href="http://now.ameba.jp/erenhitosuji/" target="_blank">もっと見る</a></div></div>
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<pubDate>Sun, 01 Mar 2015 09:37:45 +0900</pubDate>
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<title>悪口は、あくまで悪いもの</title>
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<![CDATA[ <p>「よいところを誇張すれば、それは美化となる。わるいところを誇張すれば…やはりそれは、正確な物の見定め方ではない。さて、「不正確さ」に同意がいっていれば笑いと化してもよいものか。</p><p>だがその同意は単なる「つもり」にすぎない。印象の残り方とはそういうものだ。だから、悪口は控えるべきだ。必ず、人のわるいところばかりを印象づけていく。よいところが与える他人への光を奪っていく。それは悪そのものであり、闇である。悪口を言うことは、闇を広げることに等しい。悪口ばかり言う人間は、小さな悪魔である。闇を放つ悪魔である。私には、悪口を語るやつらから黒い煙が拡散していくさまが見える…」（典ハルラド　３節　２－５）</p><br><br><br><br><br><p>某記事で、悪口を肯定する論に対し、記事主が「心理学的に理にかなっている」などとほざいていた。</p><p>心理学など、愚かな大衆の、その多数派に当てはまる、つまりは一部の優れた人間ではない側の人間に当てはまる統計に基づくものであるというのに…</p><br><br><br><p><br>「本人がいないところでの悪口はいけない」？</p><p>それって誰のこと？今ここにいない人のことだよな？だったら、この発言者も「本人がいないところ」で悪口を言っていることになるではないか。陰口を言うやつ本人の前でだけ非難しろ！そうでなければそれも陰口だ。本人がいないところで悪口を言う本人が今目の前にいないにもかかわらず、その人の悪口を言うなと言い返したい。本人が目の前にいないとだめなら、イスラム国のことも悪く言えないのか？</p><br><br><br><p>…だがこれらの言い返しは屁理屈だ。<br>悪口が、自分にとって正当な非難ならよい、ということだ。</p><br><br><br><p>自分の発言が正当な非難ではなく「単なる悪口」であることをごまかすために、同様に低いレベルの悪口の中で自分より悪い種類のものと自分のものとを大きく差別化し、正当でないものを正当化しようとしているにすぎない。</p><br><br><br><br><p>「目の前にいれば笑いに変えられる」？そうではない、怒るか笑うしか選択するカードを持たない者が、「笑うしかない」のである。決してそれを快く思っているわけではない。テレビでの露出が増えれば喜ぶ芸人やタレントにだから通用する態度である。</p><br><br><p>わざわざ「からかわれて楽しそうにしているのは、そういう仲間であるからなのであって、誰に言われても楽しめるものじゃない」などと、友達が擁護のツイートをし、それが大勢にリツイートされているのは、そういった理由からである。</p><br><br><br><br><p>「３Ｐを頼めるようになった」などと公言している輩が嫌悪されないのは、単にイメージが実際実物を覆っているからに過ぎない。稼いだ金で関係者を風俗接待して出演を増やし、それによってまた稼ぐ…そんな非倫理的循環生活を形成する要素となる「好意」を与える人々の一人になど、おれはなっていたいとは思わない。引きずり降ろすべき輩がのさばる現業界を映すテレビというものにも、全体的に悪いイメージを持つようになってくる。</p><br><br><p>ＮＨＫは厳しい。それは厳しすぎると人は言う。だが、民法はゆる過ぎはしないか。ちょうどよいものがない…そう思える。</p><br><br><br><br><p>「冷静と情熱の間」という映画だか歌があったが、それを「ならちょうどじゃねえか」と茶化していた人がいた。だが、そういうものではない。<br></p><p>おれは「やさしさと冷たさの間」を知っている。それは決して「ちょうどいい」世界ではない。あくまで、やさしさがそこにあり、もう一方に冷たさが存在する場所なのだ。それは非常に情緒を不安定にさせる場所である。やさしさへと、冷たさへの距離が、まるで等しい空間なのである。</p><p>（以下略）</p><br><br><br><br><br><p>… </p><p><br></p><p>悪口は、あくまで悪いものである。容姿であるなら尚更のこと。「人気」を与えるべきものではない。成熟した精神を持つ大人として、あまりに笑い、楽しむ対象とすることを止め、悪口に対する認識を、どうか改められたい。</p><br><br><br><br><p>美化もうまいと丸ごと騙される。騙されないか否かは眼力の差であり、自分自身がどれだけしっかり存在しているかによるものである。「見抜かれよ」という話である。</p><br><br><br><br><p>「ふと出た言葉が本音なんだよ」</p><p>「人は本心でないことを口走ることがあるんだよ」</p><p>…相反する言葉だ。言葉とは、そういうものである。なのに、人はいちいち、そのときそのときに聞かされた言葉に思考を左右される。それは自分がしっかりしていない証拠だ。価値観ではない。自己の内面に存在する倫理を「許す」太い幹である。「自分自身というもの」である。自分そのものである。</p><br><br><p>何を迷うのか。なぜ他人の「勧め」で行動を決めるのか。</p><p>自己が自己として幸福を得られる道の選び方は、一つしかない。</p><br><br><p><br></p><br><p><br><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/erenhitosuji/entry-11991875872.html</link>
<pubDate>Thu, 19 Feb 2015 14:07:17 +0900</pubDate>
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<title>２月１０日の非なう</title>
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<![CDATA[ <p>今日は○岡のおれへの態度がやたら冷たく、おれはぐったりになってしまった。決して機嫌が悪かったのではなく、他の人へはにこやかに対応しているのに、おれが話に入っていくなどすると、途端に冷たい態度をとるのだ。やたら反発するような言動をしたり…</p><br><p>おれも冷たく厳しい態度を返そうかなどとも考えたが、そうする気にもなれず、ただ話しかけはしないだけになった。仕事の話も最小限に、しかも目を合わさず行っていた。今日一日そうするつもりだったが、３時間ほどで戻ってしまったが…</p><br><p>最近のおれは、以前に比べればずっと打たれ強く、すぐに病んだりはしないように変わったと思っていたのだが、そんなことはなかった。今日も、３時間ほどで回復したとはいえ、かなり容易に負の思考に陥っていたのだ。単に少し○岡に冷たい態度をとられたくらいで…</p><br><p>おれ「何だか粗末に扱われているな…」→「大切にされてないよな」→「…大切ではないからか」→「そうだよな、おれは大切な存在ではないものな、大切にされなくて当然だよな」→「…おれが大切な存在でないことに気づかされたよ」</p><p>…一瞬でこれだけの思考をして負の結論を導く。何だかいやになり、とにかくいやになり、全てがいやになり、「一体何を考えながら生きていたらいいのだろう」と考え始める。今、この瞬間、何を考えて過ごしたらいいのか。</p><br><p>改めて考えると、一体、生きている時間時間、何を考えながら過ごしていたらよいのか、わからなくなってしまう。それは選んで決めるものではないのかも知れない。意識をしてはいけないことなのかも知れない。でも、おれは考えてしまった。そして、自分自身を「病んでいる」と判断することで、自ら「病んでいる」状態にしてしまうのである。</p><br><br><p>他人に攻撃を受けたときは、それを攻撃と受け取らない解釈をするか、反発をするかなどしなければ、自分がダメージを受けてしまう。大抵の人は、自分を保護するために反発をするのだろう。そのまま受け取ってしまえば、今日のおれのように、その攻撃は自分をまともに破壊するダメージ力となってしまう。かといって反撃すればよいとは思わなかった。態度を聞き流すか、見方や受け取り方を変えて、相手からの攻撃を無力化すればそれでよかった。だが、「病んでいる」とそれもできない。</p><br><br><p>…</p><br><br><p>昨日は某店に行った。そこの店員さんの一人が、それこそ頬とか、お化粧の感じとか、ごく一部だけがえ○ちゃんに似ている人であった。それでもおれは、大きな魅力を感じた。決してかわいいと思ったのではないのに、全体の顔立ちがかわいい人などよりも、どこか一箇所でもえ○ちゃんに似ている人に魅力を感じてしまう。それだけその「一箇所」の魅力が、おれにとって大きいからだ。ならば、全てが本物であるえ○ちゃんの魅力は、一体どれほど大きな魅力なのだろうと、おれは思うのであった。</p><br><br><p>今日のように病んでいる状態のときは、え○ちゃんのことを考えるだけで、涙が浮かんで来てしまう。何も具体的に考えていなくても、ただ思い浮かべただけで、目に涙が浮かんでしまうのである。</p><br><br><p>…という、ただのぐったりな今日であった。</p><br><br><br><p>生命力全体が落ちている気がする。何のために生きているのか。</p><br><br><p>人が、何のために生きているのかと問うのは、目的を求めるからである。目的を必要としたいからである。</p><p>おれにとって、それは何であろう。</p><br><p>両想いでなければ、相手を幸せにすることはできない。そう思っているから、嫌われていると感じると、それが夢の形成…いや、その保持の阻害となる。想い続ける年数だけ嫌われ続けていたのかと思うと、そのダメージは単に大きいだけではなく、心を形成するものそのものに、大きなヒビを入れるのである。</p><br><br><p>冷めることのできる人のほうが幸せなのか？</p><p>いいや、それはたくさんのつらさを短期間に和らげる一助になってくれるだろうが、同時に、誰といっしょになってもやはり冷めていく性質でもあるのであるから、おれには不幸を確定する能力であると思える。</p><br><br><br><p>変わらぬ気持ちを持つことができる心と…両想いになれる「環境」がある…</p><p>そういう人だけが、幸せになることができる。</p><br><br><p>では、おれはどうなのか。</p><br><br><p>（環境の要は当然…）</p><br><br><br><p>おれには一つの条件しかない。おれが満たしている条件は、その一つくらいなのである。でもそれは貴重なものであり、なので選んでもらえないことも、だから選んでもらえることもある、そういう条件である。それ以上を要求する人には「だからだめなんだ」と言われ、それこそを大事と思ってくれる人には、快く、環境の他と対立していてもおれの味方となってくれる…</p><br><br><p>行動というものは…</p><p>それを「しない」のであれば、その背景の一切には、何も気づかれない、意識も向けられないものであるかれど、なぜ「控えている」のかと、その理由を知ることができたとき、きっと見方は大きく変わるだろう。</p><p>控えるべきを控え、保留すべきを留め、そして、一番大事な「許可」が下りるのを待つという…</p><br><p>それらは「行動力がない」などの多くの悪い評価を与えることのできるものでもある。だがそれは、そういったある一面の視点によるものに過ぎない。</p><br><p>積極的評価もまた受け取り方である。他方への見方もまた受け取り方なのである。受け取り方によって評価は変わる。理解の仕方によっては、攻撃となってしまうものを無力化し、相手にダメージを与えない見方もできるのである。</p><br><p>真実は一つではない。そもそも何事も「真」などと言えないからである。そこには単に、自分の物の見方が存在するだけである。</p><br><p>だから周囲になじむ見方をする必要も、合わせた生き方もする必要はない。</p><p>全ては…自分が決めるべきもの。そういう話である。</p><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/erenhitosuji/entry-11988159482.html</link>
<pubDate>Tue, 10 Feb 2015 18:03:30 +0900</pubDate>
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<title>1月26日に投稿したなう</title>
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<![CDATA[ <br><div class="AmNwMdl" style="clear:both;"><div class="AmNwH"><a href="http://now.ameba.jp/erenhitosuji/">モン太さんの投稿したなう</a></div><br><div class="AmNwL">久々にアクセスしようとしたら、こちらのほうへアクセスしてしまった。りっちゃんとツイッターでやりとりできるようになった（？）今はもはやこちらではないほうのブログだけでよい…ということはなかったはずなんだけど、結局重い話も書いてしまっているし。<div>1/26 16:21</div><br></div><div class="AmNwL">「冷たいですか？」って…。おれが「冷たい」と表現するのは、見方が間違っているということかな。正当な怒りの態度を「冷たい」と言うのは間違いなんだろう。話の中身を論じることはあっても、その態度のみに話題を置き換えるのはよいことではない。<div>1/26 16:24</div><br></div><div class="AmNwL">真剣さと距離の相違…<div>1/26 16:25</div><br></div><div class="AmNwL">嫌い合ってる仲での話し合いとは違うんだから。<div>1/26 16:26</div><br></div><div class="AmNwL">言いたいことを偏らせてばかり。言いたいことを省略してばかり。<div>1/26 16:27</div><br></div><div class="AmNwL">言うべきことを、言わなかったくらいだから。<div>1/26 16:29</div><br></div><div class="AmNwL">嘘の言葉で装飾する者には、衣の魅力はあるだろう。だがそれは、目に映るもの。言葉が足らずとも、本質は変わらないんだから、「伝える力」に関わる一面が欠けていても、それは別枠で採点すべきもの。人を、総合点で判断するのはどうなのかと問いたい。<div>1/26 16:32</div><br></div><div class="AmNwL">短期で消えるものを得るために、なぜ悠久の約束をするのか。それを安易と指摘されても、間違いだと言い返すことはできない。まるで、数年で壊れるものに何十年ものローンを組み、購入を試みる愚かさと同様ではないか。<div>1/26 16:35</div><br></div><div class="AmNwL">己に関して、未来より今が大事だと捉えるのは間違いだ。年取ればそれが分かる。それを「若気の至り」というものだと理解することができよう。未来の自分においては、それ以降全てが「今」であり「将来」なのだから、大事なのは、若い今だけではないのである。<div>1/26 16:38</div><br></div><div class="AmNwL">ブッダは贅沢三昧をしていたからこそ、外の世界に衝撃を受け、自ら旅をして悟るに至った。衝撃というものは、人を変える。だが、そんな外からの衝撃で、内面が変わってしまっていいものだろうか。急激に変わってしまっていいものだろうか。<div>1/26 16:41</div><br></div><div class="AmNwL">変わりたくないというのが人の本質である。その本質に反して、なぜ変わろうとするのか。それはよいことなのか。変わるべきなのか。変わったほうがよいことなのか。自分にとって…<div>1/26 16:43</div><br></div><div class="AmNwL">自問するがよい。自問を静かに続けたとき、ついにそれに答える者がいる。真剣に、親身になって考え、答える者がいる。それは自分自身であるのだが、それは正に本当の自分である。だから、深く考えれば、本当の自分が現れて、答えてくれるわけなのである。<div>1/26 16:45</div><br></div><div class="AmNwL">考えない自分で動くのではなく…<div>1/26 16:47</div><br></div><div class="AmNwL">普段は鳴りを潜めている本当の自分と周囲のよく見るいつもの自分とが同一化すれば一番よいのであるが、それは、難しいことだ。だが、難しいけれど、理想ではある。ならば、その理想に近づく姿勢を見せながら、生きるほうがいい。<div>1/26 16:50</div><br></div><div class="AmNwL">そういう生き方をしているか。それは、瞳に表れる。残念なのは、その考え深い目と、ツンデレのツンの目が似ていることだ。漫画で描き分けることが難しいため、同一なものと捉え、いつしか同じように惹かれてしまうようになっていった…。それが世間の「子供たち」である。<div>1/26 16:53</div><br></div><div class="AmNwL">いつまでも、人を見る目が幼くてはなるまい。瞳の表情などどうでもよい。それもまた「衣」の並びにある表層的次元のものに過ぎぬ。いい加減、人の本質を感じ取れる力を、身に得てほしいものである。<div>1/26 16:55</div><br></div><div class="AmNwL">飾りに左右されずに選んだ人なのであれば…<div>1/26 16:56</div><br></div><div class="AmNwL">飾りへの好き嫌いを主張することもまた、避けたほうがよいのではないか…<div>1/26 16:57</div><br></div><div class="AmNwL">少なくとも、相手が好む物事への非難というものは、控えたほうがよいと、おれは思うのである。<div>1/26 16:58</div><br></div><div class="AmNwF" align="right" style="text-align:right">&gt;&gt;<a href="http://now.ameba.jp/erenhitosuji/" target="_blank">もっと見る</a></div></div>
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<link>https://ameblo.jp/erenhitosuji/entry-11982165394.html</link>
<pubDate>Tue, 27 Jan 2015 09:37:24 +0900</pubDate>
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<title>10月4日に投稿したなう</title>
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<![CDATA[ <br><div class="AmNwMdl" style="clear:both;"><div class="AmNwH"><a href="http://now.ameba.jp/erenhitosuji/">モン太さんの投稿したなう</a></div><br><div class="AmNwL">（いつも「怒り」がベースにあるように感じる）<div>10/4 4:55</div><br></div><div class="AmNwF" align="right" style="text-align:right">&gt;&gt;<a href="http://now.ameba.jp/erenhitosuji/" target="_blank">もっと見る</a></div></div>
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<link>https://ameblo.jp/erenhitosuji/entry-11934663259.html</link>
<pubDate>Sun, 05 Oct 2014 09:52:49 +0900</pubDate>
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<title>9月23日に投稿したなう</title>
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<![CDATA[ <br><div class="AmNwMdl" style="clear:both;"><div class="AmNwH"><a href="http://now.ameba.jp/erenhitosuji/">モン太さんの投稿したなう</a></div><br><div class="AmNwL">新ブログ作ったけど早速暗くて重いことを書いてしまったのですぐ消した。ツイッターで傷つけてしまったのではと思って書いたんだけど…<div>9/23 17:03</div><br></div><div class="AmNwL">「冷たい」とコメントしたときといい…「その冷たいではない」と言いたかったという話。<div>9/23 17:04</div><br></div><div class="AmNwL">いつでも誰にでもどんなアプローチにでも温かい人などいないだろう。蚊を送り込めば叩きころすのが普通の対応。それを「冷たいな」と言ってもそれは人格否定でもなければ性格への悪口でもない。<div>9/23 17:06</div><br></div><div class="AmNwL">玄関の靴が揃ってないことその一例を以って相手を「だらしがない人だ」と評価するのは適切ではないのと同様、言葉が足りないほうが悪いのだけれど。説明がなければどう解釈されてもおかしくはないのだ。<div>9/23 17:09</div><br></div><div class="AmNwL">「好きだ」と言われれば、全部が好き、あるいは総合的には好きと言われていると思って当然だろう。だが実際は、容姿だけだったり、知る範囲の性格のみだったり、今現在だけだったり、それこそ○的にというだけであったり…<div>9/23 17:11</div><br></div><div class="AmNwL">傷つけてしまったなら謝る。だがほとんどの人が、ほとんどの場合、「今私はあなたのその言動によって傷つきました」と言うことはない。喧嘩中であれば、その言葉によって攻撃したことには別の重要な意図があるわけだから、謝罪によってその効果を打ち消すなどするはずもなく…<div>9/23 17:13</div><br></div><div class="AmNwL">だが傷つく言葉は相手の中に根深く残り、そうやって二人の心の距離を離れさせていく。よい思い出と悪い思い出は中和せず、それぞれが交互に脳裏に浮かんでは、愛しさと切なさを呼び起こし、心を不安定にさせ弱まらせていく。…<div>9/23 17:15</div><br></div><div class="AmNwL">そんなときに現れる第三者の優しさは、きっと「ただひたすら優しいもの」として映ることだろう。それは幻であるというのに。それは美化であるというのに。真に求めるべきことは、心の苦しみの根源としての「過去の人」を原因とする悲しみを取り除くことであるというのに。…<div>9/23 17:16</div><br></div><div class="AmNwL">過去には戻れない。それは時間という次元上での話。心の中の次元においては、過去に戻ることも可能なのだ。二人の心を通じ合わせれば、二人で過去に戻ることも出来る…<div>9/23 17:18</div><br></div><div class="AmNwL">他人によるもの、それは誤魔化しであるけれど、本人同士によるものならば、それは完全なる修復である。心の傷は、外部からの治療では治らない。内面から自己の治癒力で治すしかない。<div>9/23 17:19</div><br></div><div class="AmNwL">傷に包帯を巻いてくれる人がいたら、痛みが和らぐことだろう。でも、それでは治らないのが心の傷なんだ。<div>9/23 17:20</div><br></div><div class="AmNwL">他人の包帯で誤魔化されてはいけない。治らぬ傷はうずく。きちんと、治さなければ…<div>9/23 17:21</div><br></div><div class="AmNwL">何が錯覚なのか。何が幻なのか。それを見極めなければ。<div>9/23 17:22</div><br></div><div class="AmNwL">何が本当で何が虚偽なのか。何が永遠で何が刹那的なのか。<div>9/23 17:23</div><br></div><div class="AmNwL">何が表層的で何が本質であるのか。<div>9/23 17:23</div><br></div><div class="AmNwL">おれとは一体何なのか。<div>9/23 17:23</div><br></div><div class="AmNwL">今のおれは、感謝の気持ちで彼女を好きなのではない。それは含んでいることの一つではあるけれど、どれが欠けていても、おれは彼女を好きなんだ。<div>9/23 17:33</div><br></div><div class="AmNwL">感謝なのではなく…<div>9/23 17:33</div><br></div><div class="AmNwL">感謝しているから好くのではなく、その人に、自分にとって「見る」価値があるのか、自分にとって「想う」価値があるのか…そういった視点で考えてみるといい。<div>9/23 17:35</div><br></div><div class="AmNwL">おれは、おれにとって、りっちゃんを想っているときのおれというのは、まさに本当のおれであるし、何ていうか、「心が生きている」という状態でいられるんだよな…<div>9/23 17:37</div><br></div><div class="AmNwL">それでもおれは…おれというものは…<div>9/23 17:39</div><br></div><div class="AmNwL">嫌われ続けなければならない存在なのか<div>9/23 17:39</div><br></div><div class="AmNwL">憎まれ続けられなければいけない存在なのか<div>9/23 17:39</div><br></div><div class="AmNwL">やさしすぎなくたって、十分に…<div>9/23 17:41</div><br></div><div class="AmNwL">…<div>9/23 17:41</div><br></div><div class="AmNwL">赦されたいと思うから、赦してほしいと願うんだ。そうでなければ「許してくれ」と言うはずもない。「ごめんなさい」と謝罪することもない。<div>9/23 17:43</div><br></div><div class="AmNwL">想う人が、自分のことを、嫌ったり、憎んだり、恨んだり、忘れようと努力したり…それは、つらいことだ。人が好きな人に、懸命に、許されるまで許しを請う一番の理由は、そういう理由なんだ。決して、表面的な仲を修復したいからではない。<div>9/23 17:46</div><br></div><div class="AmNwL">表面的な仲をよくするのは、内面的な仲を確認したいから。決してイコールではないのに、人はそれに頼る。きっと、確信に近づきたいのだろう。思い込むための根拠がほしいのだろう。<div>9/23 17:49</div><br></div><div class="AmNwL">心のこもった言葉しか信じられない。けれど、心がこもっているかが分からない。言葉とはそういうもの。ならば、真実など、どうやったって知りようがない。<div>9/23 17:50</div><br></div><div class="AmNwL">だから結局は…信じるか、信じないか。それだけである。神の存在論議が無駄なのと同じ。有無の真実の論考が何になる。在ることが大事なのではない。信仰する者にとっては、信じることが大事であり、それは「在るか否か」よりも大事なことなのであろう。<div>9/23 17:53</div><br></div><div class="AmNwL">人は破壊者となりうる。おれは、そうならない歩き方を知りたい。その一歩を、慎重に探りながら生きている。それは、恐れている姿だ。<div>9/23 17:56</div><br></div><div class="AmNwL">そうなってはいけないということを恐れるのは、よいことだよな…<div>9/23 17:56</div><br></div><div class="AmNwL">恐れるべきことを恐れるのは、よいことではないか。それでも、恐れることによる弊害はある。だが、それを拭い去れる人はおれではない。<div>9/23 17:57</div><br></div><div class="AmNwL">…<div>9/23 17:58</div><br></div><div class="AmNwF" align="right" style="text-align:right">&gt;&gt;<a href="http://now.ameba.jp/erenhitosuji/" target="_blank">もっと見る</a></div></div>
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<link>https://ameblo.jp/erenhitosuji/entry-11929453012.html</link>
<pubDate>Wed, 24 Sep 2014 09:52:21 +0900</pubDate>
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<title>9月20日に投稿したなう</title>
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<![CDATA[ <br><div class="AmNwMdl" style="clear:both;"><div class="AmNwH"><a href="http://now.ameba.jp/erenhitosuji/">モン太さんの投稿したなう</a></div><br><div class="AmNwL">しのちゃんの写真、久々に見た。髪を長くしているのか。どこかで会っても気がつかなかったかな。どうだろう。<div>9/20 11:22</div><br></div><div class="AmNwL">しのちゃんが居てくれたほうが、行きやすいかも知れない。それとも間に入って「帰って下さい」と言われるだろうか。知らない人ならともかく、しのちゃんでは話もせずに無視することも出来ない。どうしたものか。<div>9/20 11:23</div><br></div><div class="AmNwL">あるいはまずしのちゃんにだけ会って、しのちゃんとだけ話をしたらよいのではないか。しのちゃんだけというのなら会いづらいこともない。むしろ会って話がしたいくらい。<div>9/20 11:25</div><br></div><div class="AmNwL">問題なのは、おれが折れないということだ。<div>9/20 11:33</div><br></div><div class="AmNwL">嘗て過年、妥協案も提せずに我を押潰さんとするカノ者に従服する者が在った。ならば害属感を絶得するも止む無しと言えよう。我が心に耐え忍ぶ認のあるを願讀する。心と反射は異なれり。反射は浅底なものなり。行動を素通りてその奥底へと眼差しを投じ、永劫不変の塊魂をこそ見据えるべし。さりながら…<div>9/20 11:36</div><br></div><div class="AmNwL">…<div>9/20 11:37</div><br></div><div class="AmNwL">柔軟性喪失に陥る。「反対する者」に対する基本姿勢が瞬時に再構築されるからである。話し合い後に相手側に全面的に賛成し従う者がどこにいる。妥協点を決めるのが会議なのではないか。多数決などで決まるものでもない。おれにとってはおれ一人が反対すれば、その結論は「反対」なのである。<div>9/20 11:42</div><br></div><div class="AmNwL">解散が本気だって…今回をきっかけに引退するつもりなんだろうか。そのきっかけにするつもりなんだろうか。<div>9/20 12:30</div><br></div><div class="AmNwL">でも、違う名称で呼ぶことは出来るし。ゆきちゃんがそうではないが活動しているのと同じように。みんなと会えなくなる選択肢を選ぶ必要はない。<div>9/20 12:31</div><br></div><div class="AmNwL">いろいろ検索していたら、まちがって動画を見てしまった。いつもは見られないのに、いざ再生が始まったら見てしまった。そして自然とつぶやいてしまう。「○ちゃん好きだ」って…<div>9/20 12:32</div><br></div><div class="AmNwL">「知っている人全員」「どんな駄目な人も」って、おれも入っているのかな。何事にも例外はある。例外の全てが明文化されるわけではない。おれの場合は…<div>9/20 12:33</div><br></div><div class="AmNwL">今日は○岡を避けてしまった。目が合うことも避けてしまった。○ちゃんのことを考えているとそうなる。他の人との交流全てが疲れるものと感じられて来る。疲れてくる。ぐったり…<div>9/20 12:35</div><br></div><div class="AmNwL">それでも○ちゃんに会って癒されるわけでもなく…だからただぐったりするのである。頭が破裂しそうな感覚。苦しい。<div>9/20 12:36</div><br></div><div class="AmNwL">救ってくれた人を頼るのは当然だ。だが救う人は今後ずっと面倒を見るつもりで救ったわけではない。あくまで「今」救いの手が必要だと判断したから、そのときは救ったのである。通常、人間界にある「救い」とはそういうものである。なぜならそれは神でも天使でもなく、人間だからだ。<div>9/20 12:37</div><br></div><div class="AmNwL">この世界の惨さを見渡せば、神など実は無力で、この世界こそ地獄ではないかと思わせるほどに人間は苦しんでいる。苦しいこともある、楽しいこともある人生。地球を一つの単位と神が捉えているのなら、苦しむ人間とそうでない人間が同居していることに、むしろ自然さを感じているのであろう。<div>9/20 12:40</div><br></div><div class="AmNwL">神とは故に無慈悲なのだ。苦しむ個々人など、単に地球という一個の一模様に過ぎないと見ている。個人を助ける気がないのではなく、個人という極小単位など、そもそも見てはいないのである。<div>9/20 12:41</div><br></div><div class="AmNwL">人は小さい。神はそう言いたいのだろう。大事なのはその集合体であり、人間全体が神を信じていればそれでいい、と考えているのではないか。ならば人は、勝手に幸せになるしかない。勝手に不幸になるしかない。神の意思で、それが変わるわけではないからだ。<div>9/20 12:43</div><br></div><div class="AmNwL">幸せになりたかったら、その努力をするがいい。不幸になりたければ、神を呪わず自らを嫌うがいい。細胞の一つが死に、垢となって体外に放出されようが、意識はしないだろう。それと同じだ。神にとっての人間一人など、１０兆の細胞の一粒でしかない。<div>9/20 12:45</div><br></div><div class="AmNwL">…<div>9/20 12:46</div><br></div><div class="AmNwL">おれは今も病んでいるのかも知れぬ。病んでいないのかも知れぬ。<div>9/20 12:46</div><br></div><div class="AmNwL">ただ一つ言えることは、当時のおれとは別人であり、別人となりながらも彼女に惹かれる人間であるということだ。つまりそれは、その気持ちは、おれの中で最も不変であるものであるということだ。<div>9/20 12:49</div><br></div><div class="AmNwL">○ちゃんを想う気持ちは…おれの中で不変であるおれを構成する要素であるということ。おれは、○ちゃんを想いながら構築されているということだ。延々と、再構築され続ける。修正をくり返しながら。<div>9/20 12:49</div><br></div><div class="AmNwL">おれの成長の始めは○ちゃんを想うゆえであった。だから、○ちゃんを想わなければ成長は止まる。そしておれは消えてしまうだろう。<div>9/20 12:50</div><br></div><div class="AmNwF" align="right" style="text-align:right">&gt;&gt;<a href="http://now.ameba.jp/erenhitosuji/" target="_blank">もっと見る</a></div></div>
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<link>https://ameblo.jp/erenhitosuji/entry-11928017220.html</link>
<pubDate>Sun, 21 Sep 2014 09:52:30 +0900</pubDate>
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