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<title>PCOSで看護師が妊活中！不妊治療は辛いよ…(^_^;)</title>
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<description>初めまして！PCOSで現在、34歳で妊活歴4年に突入！治療がなかなかうまくいかず、自分と向き合うためにブログを始めることにしました！！</description>
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<title>稽留流産で気付かされたこと。</title>
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<![CDATA[ <p>稽留流産になったあとの手術は痛くて辛かった。全身麻酔で理性を失っている私は麻酔が切れてくると同時に大泣きしていた。朝から禁飲食で涙は出なかったが子供のように声をだし、大泣きしていた。看護師さんはその間、私の手を握り私の木本が落ち着くまで慰めてくれた。その時でさえ、私は「こんな風に寄り添ってもらえると安心するなぁ。看護師って本当に素晴らしい職業だ。自分もこんな風に思われる看護師さんでいたいな。」なんて仕事のことも考えていた。</p><p>&nbsp;</p><p>看護師さんに言われたことで気付いたことがあり、「もっと辛いって言っていいんだよ。いつもクールに表情変えないから、泣いてくれて嬉しいよ。」と言われたとき、私ってそんなに辛い状況にいるのだということだった。それまでは、妊娠しないことが辛くてもそれを言っても前に進まない。ただ前進あるのみ。ということだけを考えていた。自分の辛いとか悲しいとかいう気持ちに十分向き合うことができなかった。辛すぎて考えたら前が見えなくなりそうになるからずっと気持ちにふたをして日々を過ごしてしまっていた。稽留流産し、おなかの子はお空に帰ってしまったが、そんな私に見かねて「辛いときは辛いと言わなきゃだめだ。誰かに言わなきゃお母さんが辛くなるだけだ。」と教えてもらえたような気がした。</p><p>&nbsp;</p><p>また、妊娠したと同時に私はとても不思議な気持ちにも陥っていた。「あれ？私、本当はもう少し後で子供できてもよかったかも。旦那さんと２人でも楽しい生活だったじゃん。」ということだった。なんというか、その時に私は自分のためではなく周囲の期待に応えるために不妊治療にまい進していたことに気付いた。今までの人生で私は自分に正直に生きてきたつもりだったが、母親や父親、兄弟ことを考えながら自分の道を決定してきたことが大半だった。結婚する時でさえ、どこかで母親や父親に好かれる人と考えていたようなところがあったと思うし、結婚するということ自体、どこか世間体や母親や父親の望む自分を考えていたようなところがあった。その頃は自分のための不妊治療ではなくなっていた。義理の両親や両親、世間体のために行っていた不妊治療だったのだ。</p><p>&nbsp;</p><p>そのあとの私は、もちろん治療を継続するかどうしようか迷った。だって、その時の自分にとっては看護師の仕事があればそれで十分だと思っていたから。しかし、旦那とたくさん話し合い、ゆっくり自分の気持ちを見つめ、年齢的なことや今子供を持たないという選択でいいのかということをよく考え、もう一度不妊治療を続ける決断をした。</p><p>&nbsp;</p><p>稽留流産したことはすごく悲しかったが、これから私が生きていく過程において私にとってはいろんなことに気付くきっかけとなった。</p>
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<link>https://ameblo.jp/erika0523ss/entry-12372606371.html</link>
<pubDate>Tue, 01 May 2018 12:10:34 +0900</pubDate>
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<title>看護師の仕事と不妊治療の両立②</title>
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<![CDATA[ <p>私は現在IVF治療を行っている最中であり、その中でもかなり困難事例に入ってきていると思う。最初の採卵は32歳の時だった。9個の受精卵が胚盤胞となり、6個の受精卵を4回移植したが一度も妊娠することはなかった。この時点でかなりの困難事例に思えるが、採卵はまだ　</p><p>１回だったし、その時も落ち込むことはあったがなかなかのポジティブ思考でそれなりに前向きに治療と仕事を並行して行っていた。</p><p>&nbsp;</p><p>そして、その結果で悩みに悩んだ私は受精卵を3個残し2回目の採卵をすることにした。それは33歳のときであった。そして、去年2回目の採卵で新鮮胚盤胞移植をしたときに初めての妊娠をした。しかし、PCOSの私は採卵後は必ずOHSSになり、前回の採卵の時のOHSSよりかなりひどい状態だった。徐々にOHSSはよくなったが、妊娠したことによりOHSSは増悪し入院することとなった。その移植自体、先生もリスクがあることは分かっていたし、私自身もわかっていた。だけど、1回目の採卵で何度移植しても妊娠しないのだから、新鮮胚移植のほうが妊娠する確率も低いのだし、やってみようという先生と私の考えであった。</p><p>&nbsp;</p><p>そして、妊娠した。うれしい気持ちの反面、ひどくなっていくOHSSに私はどうなるのだろうかという不安がとてもあった。入院もしたが、なかなか軽快することはなく、これは重症にはいるOHSSだと言われていた。その後、ある日を境に尿がでてくるようになり、OHSSは改善された。しかし、それは流産のシグナルでもあった。その妊娠は8週で稽留流産となり、子宮内容除去術を行ったこんなに悲しいことはこの世の中にはないんじゃないかというくらいに落ち込んだ。</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/erika0523ss/entry-12372016283.html</link>
<pubDate>Sun, 29 Apr 2018 01:55:26 +0900</pubDate>
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<title>看護師の仕事と不妊治療の両立①</title>
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<![CDATA[ <p>私は今年で看護師になり、13年目を迎えた。夜勤は嫌いだったが、看護師の仕事はやりがいがあり、好きである。</p><p>結婚する前のブライダルチェックでPCOSが判明した時は29歳だった。</p><p>その頃の私は、看護師の仕事が好きではあったが、病院での仕事にストレスをとても感じていた。元々はなかった生理痛がかなり増強しており、病院に受診したときにはそんなに大きくはないがチョコレート嚢腫も併発しているということだった。</p><p>&nbsp;</p><p>看護師の仕事は好きだが、夜勤もあれば多忙でもありストレスの多い職業であると感じる。そのため、たばこを吸っている看護師も多いし、お酒も世間一般の女性たちに比べればととても多いのではないだろうか。病院で働いていたときはたばここそ吸っていなかったが、お酒は浴びるように飲んでいた。そんな生活を続けているのだから、ホルモンバランスが崩れないはずがないのだ。それに、私は小さい頃は喘息やアトピー性皮膚炎を患っていたし、もともとストレスに強いタイプではない。そんなこともあり、私は夜勤だけでもやめようと2年ほど前に訪問看護師へと転職した。</p><p>&nbsp;</p><p>訪問看護師はやってみたい世界であったし、やってみると病院勤務よりとてもあっていると感じた。在宅ではすべてが利用者さん第一。医療的に必要なことをどうアレンジすれば利用者さんが日々の生活に組み込むことができ、快適に少しでも長く大好きな自宅で生活していくことができるのか考えたり、亡くなる場所から亡くなり方まですべて自分で選択するためのお手伝いしたりするができる。私にとってこんなに素晴らしい仕事はないんじゃないかと思っていた。</p><p>&nbsp;</p><p>しかし、私は仕事を退職することを過呼吸になった時に決断した。大好きな仕事ではあったが、不妊治療と並行して両立するのは大変だった。通院のために数日前ではあるが職場へ休むことを伝えたり、早退させてもらったりと仕事を継続しながらの長引く不妊治療に疲労困憊となってしまった。</p>
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<link>https://ameblo.jp/erika0523ss/entry-12372016024.html</link>
<pubDate>Sun, 29 Apr 2018 01:07:33 +0900</pubDate>
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<title>なぜ、私が絶対に書かないだろうと思っていたブログを始めようと思ったのか</title>
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<![CDATA[ <p>私にとってブログやSNSといった類のものはリア充みたいな人たちがやるものだと思っていたし、自分はそうゆうものに関わるタイプではないと思っていた。妊活のブログなどを見て励まされることはあっても、自分はそうゆうものが必要なほどではないと感じていた。同じ気持ちを感じている人を励ますほど自分は辛くないと思っていたのだ。</p><p>&nbsp;</p><p>しかし、私は昨日自分は絶対になるはずはないだろうと思っていた過呼吸になり、自分が絶対に始めることはないだろうと思っていたブログを始めることにした。過呼吸にまでなったことで私は自分の思っていることにまったく向き合えていないことに気付いたからだ。この4年私が継続して経験してきた不妊治療というものは決してそんなポジティブ妊活！なんて常時言ってられるほど楽しいものではなかったからだ。</p><p>&nbsp;</p><p>私は基本的にはポジティブな人間であると思っていたし、世の中にいる人たちよりメンタルは強いはずだと思っていた。今となって思えば、妊活なんてそんなに辛いことじゃないと思い込もうと必死だった。自分は看護師だし、自己注射なんて自分でできるよ！簡単じゃん！とか思っていたし、これを書くとすごく性格の悪い人間みたいだが、ネガティブな妊活ブログを発見すると私はこんなに辛くないとかどうしてこんなにネガティブなの？とかさえ思ってしまっていた。</p><p>&nbsp;</p><p>だけど、そんな私が過呼吸になった。看護師として病院で働いたのは10年。訪問看護師として2年。いろんな患者を見てきたが、精神科の患者は苦手だったし、精神科で働いたことはなくネガティブな人間は苦手だった。その苦手なものに自分がなっていた。それも過呼吸になるまで気付かずに。このままではいけない。そう思ったことが、このブログを始めようと思ったきっかけだ。</p><p>&nbsp;</p><p>今の自分の気持ちに向き合うために活字にしようと考えた。日記でもいいかなと思ったが、姉にブログを勧められブログを始めてみることにした。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/erika0523ss/entry-12371977108.html</link>
<pubDate>Sat, 28 Apr 2018 21:50:39 +0900</pubDate>
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