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<title>えりんぎ日記</title>
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<description>気持ちと記録</description>
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<title>その後</title>
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<![CDATA[ <p>葬儀が終わってすぐ、父と各種手続きに着手した。</p><p>&nbsp;</p><p>仕事の出来る父主導でタスクを一覧化して更にブレークダウン、無駄の無いよう一番効率の良いルートでテキパキと片付けていった。</p><p>&nbsp;</p><p>私はしばらく実家に滞在して、リモートワークをしながら手続きを片付けていった。</p><p>&nbsp;</p><p>銀行に行ったときには、</p><p>銀行員「お辛いときに、書類を揃えるのも大変でしょうからまだ先で大丈夫です…」</p><p>父「もう揃えてあります」</p><p>という会話があり、（えっ？？）という顔をされて面白かった。</p><p>その日は、母とよく行ったというカフェでランチをして帰った。</p><p>&nbsp;</p><p>肺がんが発覚する2ヶ月前ぐらいに母が唐突に保険に入ったらしく、保険料数万円払っただけなのに保険金が100万円とか支払われて、色々疑われて調べられたという話を聞いて、勘の良い母らしいなって笑った。</p><p>&nbsp;</p><p>遺品も整理しないといけなかったけど、何よりも先に、嫌な思い出の薬を処分した。</p><p>オピオイドを薬局に返しに行ったら薬剤師さんが言葉を失って涙ぐんでいて、悲しい気持ちが舞い戻ってきた。</p><p>&nbsp;</p><p>滞在中は、母が毎日していたソリティアのデイリーチャレンジを命じられてずっとこなしていた。</p><p>なかなか難しくて、解けなくて父に泣きつくと、父は相当先まで手を読んでアドバイスしてくれた。</p><p>頭じゃ一生勝てないなって思ったけど、父は母には頭で勝てないって言っていた。</p><p>&nbsp;</p><p>父も私も「悲しい」って気持ちを表に出す方じゃないから普通に暮らして、それでたまに「寂しいね」なんて言い合った。</p><p>「これはお母さんが咲くのを楽しみにしていたお花。」</p><p>「めざましじゃんけん毎日やって勝ったら嬉しそうに叫んでた。別に面白くはなかったけどお母さんが喜ぶから一緒にやってた。」</p><p>「毎日筋トレするのを見てくれて、OKサイン出してくれてた。」</p><p>「何も食べれなくなっていって、とにかく食べれそうなものを買ってきて一口だけ食べさせて残りを食べてた。だから自分の食べたいものを食べるの久しぶり」</p><p>「気持ちよく過ごしてほしくて毎日せっせと掃除してた」</p><p>「ホスピスなんて入ったら知らないところで死んじゃうかもしれないから絶対嫌だった、希望のホスピス入れなくて残念だったけど自宅で看取れてよかった」</p><p>「最後は何も食べれなくて、ミルミルでお薬飲むのがやっとだった」</p><p>「ポケモンするのが好きで、ポケモンを口実に散歩に誘い出してた」</p><p>父と何かを見ては、ことあるごとに、母とのエピソードが飛び出してきた。</p><p>&nbsp;</p><p>実家にいる間は、私が食事の準備をした。</p><p>「なんか食欲ないなぁ」と言う割に、気を遣って少なめに出したら「なんか少ないなぁ…まぁいい、お菓子食べる」って言うし</p><p>ありあわせでチャーハン作ったら「肉入ってないの？物足りないなぁ」って文句言うし</p><p>野菜室に残った野菜のレスキューでおかず作ったら「まぁまぁだな」って言うし</p><p>改めて（お母さんおつかれさま…）って思った。</p><p>&nbsp;</p><p>そんなこんなで、不動産の相続だけがめちゃくちゃ厄介で数年残りそうではあるものの、その他はあっと言う間に出来るところまでは終わった。</p><p>&nbsp;</p><p>それで一旦自宅に戻ることにした。</p><p>&nbsp;</p><p>自宅に戻る日、父は「今ならポケモンでコインもらえるけど行く？」「あっちの公園変わったの知ってる？行く？」「この資料見せたっけ？見る？」と、珍しく名残惜しそうにしていた。</p><p>&nbsp;</p><p>それから、「明日からは1人か…」って呟いていた。</p><p>&nbsp;</p><p>思い返すと父は一人暮らしをしたことがなかった。</p><p>単身赴任していた頃は毎週土日には帰ってきて、また出て行く時いつも「寂しいなぁ」って言ってた。</p><p>&nbsp;</p><p>「こっち来る？」</p><p>って言おうかと思ったけど、建築士だった父が母と一緒に建てた思い出の家。</p><p>母は「お父さんの設計した家に住むのが夢」と言っていた。</p><p>家を建てたときは、父がまだ現役で、業者の担当建築士がまだ新米で、こっぴどく指摘してたって母が笑ってた。</p><p>母がお膳立てしたシニアスポーツの繋がりだってあるし、手放すのはまだ早いかもしれない。</p><p>そう思って今は言うのをやめた。</p><p>&nbsp;</p><p>代わりに、「またすぐ帰ってくるね、身体に気をつけてね」と言って、家を出た。</p>
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<link>https://ameblo.jp/eringitamago/entry-12745757500.html</link>
<pubDate>Tue, 31 May 2022 18:17:31 +0900</pubDate>
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<title>葬儀</title>
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<![CDATA[ <p>葬儀の日、朝起きて、ほぼ無言で父と朝食をとった。</p><p>&nbsp;</p><p>テレビを見ながら、父がぽつりと「お母さんいないとなんとなく寂しいね」って言った。</p><p>家のそこかしこに母の痕跡がある。</p><p>買い溜めてあった化粧水。使っていた歯ブラシ。メイク道具。</p><p>使わなかった入院一式の準備。間際まで使っていた櫛。</p><p>毎日つけていた、飲んだ薬の記録。飲めなかった薬。</p><p>&nbsp;</p><p>今はまだ私がいて、事務手続きが山積みになっているからあまり実感せずに済んでいると思う。</p><p>私が地元に戻ったらどうなるだろう。</p><p>私は日常生活が待っているだけだけど、父は、母の抜け落ちた日常に戻ることになる。</p><p>&nbsp;</p><p>朝ごはんを済ませると、準備をして葬儀場に向かった。</p><p>&nbsp;</p><p>私が選んだ母の遺影は、ちょっと眩しそうな顔で笑っていた。</p><p>母の写真の多くは半分目を瞑っていて、ここはしっかり受け継いだなぁなんて思った。</p><p>&nbsp;</p><p>まずはイトコがきて、父と私と三人で談笑していた。</p><p>それでしばらくすると、父の姉にあたる叔母がきた。</p><p>叔母が「大変だったねぇ」と言った瞬間、父は堰を切ったように泣き出した。</p><p>それを見て、あぁ娘の私の前で泣く訳にいかなかったんだなぁ、しっかりしてないとって気を張ってたんだなぁって、すごく申し訳ない気持ちになった。</p><p>もうちょっと何か良い言葉を掛けられたらよかった。一番長い時間を過ごしてきたパートナーなのだからちゃんと悲しんでいいよって、言えればよかった。</p><p>そういう私も、電話を受けた時も帰宅して冷たくなった母を見た時も取り乱したり泣いたりすることはなかったから、私も父も、それから母も、似た者同士なのだと思う。</p><p>&nbsp;</p><p>葬儀の前にお坊さんに呼ばれて、亡くなったひとのことを思い出してあげるのは故人にとって幸せなこと、誰からも思い出されなくなったときにひとは2回目の死を迎えるから、たくさん思い出してあげてっていう話をしてくれた。</p><p>天国で、好きなお酒飲んでチーズケーキ食べれたらいいなって思った。</p><p>&nbsp;</p><p>それから葬儀が始まって、時折こみ上げてくるものをなんとか押し殺しながら、なんとか葬儀は終えた。</p><p>&nbsp;</p><p>式は故人とのお別れにうつり、母の好きだったものを色々詰め込んだ。</p><p>結婚当初から大事にしてた「くまた」のぬいぐるみ。</p><p>本当はくまたと同期の「まるちゃん」って女の子の人形がいたのだけど、私が幼稚園の頃に勝手に持ち出してなくしてしまった。</p><p>物凄く怒られて、暗くなってからも探し回って、それでも見つからなくて、謝ったけど「もういいよ仕方ないから諦める」って許してくれたのを覚えている。</p><p>祖母に貰ったキーウィのぬいぐるみと、私が還暦祝いにあげたくまのぬいぐるみ。</p><p>どちらも大事に飾ってあった。</p><p>それから、チョコレートの「メルティーキッス」。</p><p>甘いものが苦手な母が、唯一好んで食べてた甘いお菓子。</p><p>&nbsp;</p><p>詰め込みながら、母の手に触れた。</p><p>&nbsp;</p><p>昔は家事で荒れてがさがさで力強かった手。</p><p>冬場は、冷え性でいつも冷たかった。母と二人で父の手で暖を取っていた。</p><p>指が太くて、指の細い父とは指輪サイズが2号しか変わらないってよく嘆いてた。</p><p>2ヶ月前に触った手は、家事もできなくなって、やわらかくてあたたかかった。</p><p>いま触れた手は、やわらかくて、つめたかった。</p><p>&nbsp;</p><p>それから口に水を含ませてあげて、お花を詰め込んだ。</p><p>母は華道の先生をしていてお花大好きだったから、お花たくさんでよかったなって思った。</p><p>最後に、ほっぺに触れた。</p><p>ひんやりしてるけど、相変わらずのぷるつやのほっぺた。</p><p>&nbsp;</p><p>叔父（母の姉の夫）が触れてたのが少し嫌だった。</p><p>&nbsp;</p><p>それから、長女の私が花束を棺の上に載せて終了。</p><p>最後に一言って言われて、（一昨日言ったからもういいよ）って思いながら、なんとか泣かないように同じ言葉をもう一度小さくかけた。</p><p>&nbsp;</p><p>それから火葬場に行って、母の遺影を持って（母の遺影が母の火葬を見送ってる…？）と思いながら送り出した。</p><p>人の葬儀で花瓶と骨壷を勘違いしたって笑っていた母なら、（お母さんの遺影がお母さんの火葬を見送ってたよ）って言ったら笑いそうだから、</p><p>遠い未来に天国で再会したら教えてあげようって思った。</p><p>&nbsp;</p><p>精進落しの食事をして、母はあっというまに灰と骨になった。</p><p>&nbsp;</p><p>父は「できるだけ綺麗な骨…」ってつぶやきながら骨を拾っていた。</p><p>私は、抗がん剤治療で脆くなって骨折してしまった背骨付近を、大変だったねって思いながら拾った。</p><p>&nbsp;</p><p>そうして、母はあっというまに骨壷に収まって帰宅した。</p>
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<link>https://ameblo.jp/eringitamago/entry-12743505468.html</link>
<pubDate>Wed, 18 May 2022 22:40:21 +0900</pubDate>
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<title>旅立ち</title>
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<![CDATA[ <p>5/15の夜、母が息を引き取った。</p><p>&nbsp;</p><p>遠方にいた私は、父の連絡をうけてすぐに準備して新幹線に飛び乗って実家に向かった。</p><p>&nbsp;</p><p>深夜の新幹線、終電は終わっていて、出来るだけ近くの駅まで電車で行って、そこからタクシーに乗った。</p><p>&nbsp;</p><p>タクシーを呼んで待っている間、コンビニでコーヒーを買って飲んだ。</p><p>&nbsp;</p><p>よく知っているはずの道は、深夜でいつもと全く違う雰囲気だった。</p><p>夢の中にいるような、現実感がなくてなんとなくふわふわしていた。</p><p>&nbsp;</p><p>実家について、ドアを開けたら、お線香の香りがふわっと漂った。</p><p>まさにその日の朝に父がベッドを一階に持って降りていて、母は、準備ありがとうとばかりにそのベッドに寝ていた。</p><p>そういえば祖母もなくなる直前に新品の布団一式を買っていて、そこに寝ることになったのだった。</p><p>&nbsp;</p><p>父は、息を引き取ったときのこととか、色々話してくれた。</p><p>&nbsp;</p><p>ふと母を見たら、詰め物をしてる母の口から液体が流れ出てきていて、父が、穏やかな顔で拭き取りながら額をなでて「ごはん食べるの辛かったな。今朝も吐いてたもんな。もう嫌なもの全部吐き出したいよな。頑張ったな。根性あるから痛いも辛いも言わなかったな。なんでこれ止まらないの？お父さんに言いたいことあるの？もう一度目あけるの？もう一度目開けてみてよ。」って話しかけてた。</p><p>&nbsp;</p><p>横で聞いていて泣きそうになったけど、私が泣いてはいけないと思って堪えた。</p><p>一番辛くて悲しいのは、最後まで隣で頑張って支えた父だ。</p><p>&nbsp;</p><p>一通り父と話して、父が寝て、それで部屋に母と二人きりになった。</p><p>&nbsp;</p><p>死んだあとも少しだけは音が聞こえるっていう話を思い出して、もう聞こえないとはわかっていつつも、</p><p>&nbsp;</p><p>お母さん。</p><p>&nbsp;</p><p>って話しかけてみた。</p><p>&nbsp;</p><p>久しぶりに2人になったね。</p><p>&nbsp;</p><p>昔から私がつやぷるって愛でてはそんなことないよって否定してたほっぺたは、冷たかったけどつやぷる健在だった。</p><p>&nbsp;</p><p>お疲れ様。痛かったし辛かったね。</p><p>もうゆっくりしていいよ。</p><p>&nbsp;</p><p>父がいなくなって気が緩んで泣いてしまいそうになったけど、心配性の母の前で泣いたら心配させてしまうと思ってただただ無表情で過ごした。</p><p>最後のふたりきりの時間が終わるのが惜しくて、ちゃんと寝ないとこの後もたないと思いながらも朝方まで寝られなかった。</p><p>&nbsp;</p><p>朝起きて、事務手続きの段取りなんかをしていたら、すぐに葬儀社が母を迎えに来た。</p><p>&nbsp;</p><p>母はあっという間に連れて行かれて、代わりに祭壇が設置されていて、「ついにお母さんがいなくなっちゃった」という気持ちになった。</p><p>&nbsp;</p><p>湯灌を見届けますかって聞かれたけど、痩せ細って腹水でお腹だけが膨れ上がった弱っていく姿を見せたくないと、ゴールデンウィークに会いに来るのを拒否した母が、そんなもの見られたいはずがないと思って、見ないことにした。</p><p>&nbsp;</p><p>それからお通夜に行って、父と私は泣いていなかったのにそんなに仲の良くなかった叔父が号泣していて、なんともいえない気持ちになった。</p><p>私だって声をあげて泣きたかった。</p><p>それで、寝ずの番はせずに父と二人で帰ってきた。</p><p>&nbsp;</p><p>父は「あんなに泣かれてもなぁ」って言っていた。</p><p>それから、「辛くてあそこには居たくなかった」とも言っていた。</p><p>私も全く同じ気持ちだった。</p><p>&nbsp;</p><p>駅からの道で、もう病院にいけなくなる直前ぐらいは、駅までの距離でさえ休み休みじゃないと行けなかったという話を聞いた。</p><p>それでも絶対車椅子は乗ろうとしなかったらしい。弱ったところを見せたくない。迷惑かけたくない。頑固。</p><p>&nbsp;</p><p>そう考えると、母は父に迷惑かけることなく、父は母がホスピスに行って離れてしまうことなく家で看取ることができて、母は一番良いタイミングを見計らったんだろうなと思った。</p><p>&nbsp;</p><p>祭壇には、せっかく買ったのに咲いたところを見られなかった紫陽花を飾った。</p><p>本当は一番好きだったスイートピーが良かったけど、時期的に売っていなかった。</p><p>&nbsp;</p><p>そうして長い一日が終わった。</p>
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<link>https://ameblo.jp/eringitamago/entry-12743159786.html</link>
<pubDate>Mon, 16 May 2022 22:23:16 +0900</pubDate>
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<title>ゴールデンウィーク</title>
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<![CDATA[ <p>母は、もうしばらく、昼間もソファで横になって過ごしているらしい。</p><p>ごはんもほとんど食べられていないとのこと。</p><p>&nbsp;</p><p>3月に、一緒に食べたいちご、美味しかったな。</p><p>お母さん、無理して食べてたのかな。</p><p>&nbsp;</p><p>母は、ホスピスへの入院を希望しているらしい。</p><p>父は、面会謝絶なら、それは嫌だと言っている。</p><p>母は、それでもいいと言っている。</p><p>&nbsp;</p><p>ちょうど母がガンになった頃、父は料理教室に通ったりシニアスポーツに通ったりし始めた。</p><p>うちの両親は休日はいつも一緒に出掛けていたから、母と一緒に何かを始めないことに少し違和感を覚えつつも、仕事も定年退職して第二の人生を楽しんでるのかなって思ってた。</p><p>今になって思えば、母が、仕事を辞めて社会との繋がりがなくなった父に対して自分がいなくなっても大丈夫なように、社会と繋がっていられるようにって、勧めたのだろう。</p><p>&nbsp;</p><p>そんな2人だから、母は極力父に迷惑を掛けなくない、弱っていくところをあまり見せたくない、みたいな気持ちがあるのだと思う。</p><p>一方で父は、ずっとさいごまで、一緒に過ごしていたいのだと思う。</p><p>&nbsp;</p><p>どちらの気持ちもわかるから、私からはなにも言えないけど、いつでも面会可能なホスピスに入院するのが一番いいなって思う。</p><p>&nbsp;</p><p>私だって会いに行きたい。</p>
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<pubDate>Tue, 10 May 2022 12:01:16 +0900</pubDate>
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<title>その後と現状</title>
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<![CDATA[ <p>前回書いた時から随分あいたけど。</p><p>&nbsp;</p><p>まず、前回緩和ケアの話が出た後、再度病院にかかったところ、別の抗がん剤を試してみましょうとなった。</p><p>&nbsp;</p><p>それから肝臓がんに強い先生のいる病院に移り、しばらくは抗がん剤治療を続けた。</p><p>&nbsp;</p><p>年末になって、ゲムシタビンに切り替えると言う話になり、事前の血液検査をしたところ黄疸が出ており、緊急入院した。</p><p>&nbsp;</p><p>胆道が詰まっており、胃に胆汁を流すためのカテーテル手術をした。</p><p>年末年始はそのまま病院で過ごした。</p><p>&nbsp;</p><p>数値自体はそれで改善し、ゲムシタビンの治療開始。</p><p>&nbsp;</p><p>3月半ばに私が友人の結婚式で実家付近に行く用事があり、半ば無理やり「会いに行くから」と言ったものの「春にはそっちに旅行にいくから」と、強く拒否される。</p><p>が、直前になって一転、「泊まっていっていいよ」と言われた。</p><p>&nbsp;</p><p>あ、調子悪いのかな…って、春には旅行いくなんて嘘じゃん、って内心は思ってた。</p><p>母は私と同じで、大丈夫じゃないときも絶対大丈夫って言う。</p><p>&nbsp;</p><p>それで3月に実家に行って、母は思ったよりは元気そうで、それでも階段の登り降りが自由に出来ない程度には弱っていた。</p><p>散歩ももう全然行っていないとのことだった。</p><p>その日は父と2人で食糧の買い出しに行った。</p><p>ごはんもほとんど食べられていなかった。</p><p>&nbsp;</p><p>結婚式のドレスを最後まで決めきれずに2パターン持参していて、どっちがいいか聞いたところ、母の手持ちのものを貸してもらうことになった。</p><p>よく似合う、って言ってくれて、ショールを直してくれた。</p><p>その時に触れた手が、昔の母の、家事で荒れたがさがさの力強い手じゃなくて、柔らかい手で、あぁ家事しないと手って柔らかくなるんだなぁってぼんやり思った。</p><p>&nbsp;</p><p>それからおおよそ1か月、病院に行くだけの元気がなくなって、在宅緩和ケアに移行することになったと父から連絡がきた。</p><p>&nbsp;</p><p>メールを読んで、春にそっちに旅行いくからなんて、やっぱり嘘じゃんってぼんやり思った。</p><p>やっぱりこっちから会いに行くしかない。</p>
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<link>https://ameblo.jp/eringitamago/entry-12739169819.html</link>
<pubDate>Sun, 24 Apr 2022 14:57:02 +0900</pubDate>
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<title>気持ち</title>
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<![CDATA[ <p>最初に母の癌のことを聞いたのは、2018年の12月。</p><p>入院するから、とメールがきた。</p><p>&nbsp;</p><p>2017年の4月に発覚して、手術して、</p><p>5年間ぐらい再発しなかったら、</p><p>そのときに「実はね」って話そうと思ってた、でも再発してしまった、と。</p><p>&nbsp;</p><p>正直びっくりして、現実味なくて、しばらくしてじわじわと実感がきて、</p><p>あ、そのうち死んじゃうのかなって、余命がちらついた。</p><p>&nbsp;</p><p>しばらく、1カ月ぐらい、そんなことがずっと頭の中をぐるぐるして、</p><p>でもそのうち、人って誰でもいつか死ぬしなって、気持ちもなだらかになっていった。</p><p>&nbsp;</p><p>母は若い頃からずっとヘビースモーカーで、</p><p>私も幼い頃、何度も「煙草は成長に悪いからやめて」って言ったけど、</p><p>父も特に止めなくて、</p><p>バイト代を貯めて低害な電子タバコをプレゼントしたこともあったけど、</p><p>それでもやっぱりやめなかった。</p><p>&nbsp;</p><p>父は、言っても聞かないから、代わりに毎年絶対人間ドッグは受けさせて、</p><p>早期発見で救わなきゃ、と思っていたらしい。</p><p>&nbsp;</p><p>そんな母なのに、2017年に帰省した際には禁煙してて、</p><p>あれ？って思ったのを覚えている。</p><p>他にもいくつかそれらしき符合はあって、後になって答え合わせができたような感じだった。</p><p>&nbsp;</p><p>そんなこんなで母は知らないところで肺がんになって、手術して一度治って、</p><p>再発していた。</p><p>&nbsp;</p><p>昔、耳の悪い祖父とポリープで声の出ない祖母を見た母が</p><p>「おじいちゃんは人の話を聞かないから耳なんて要らないでしょって悪くなった</p><p>　おばあちゃんは言いたいこと言わないから声なんて要らないでしょって悪くなった</p><p>　神様はちゃんと見てるね」</p><p>って言ってたのを思い出して、私はそこから1カ月断酒した。</p><p>&nbsp;</p><p>退院した母と話してみると、割と割り切って前向きで、</p><p>基本的にネガティブで心配性な母だから、</p><p>8割ぐらいは私に心配かけまいと明るく振舞っていたんだろうけど</p><p>それでも「これからがんと一生付き合っていく」という言葉に、少しほっとした。</p><p>&nbsp;</p><p>2020年、新型コロナウイルスの大流行で、帰省ができなくなった。</p><p>こう言ってはなんだけど「今のうちにちゃんと会わきゃ」みたいな焦りの中、</p><p>テレビ電話でもする？と思っていた矢先に抗がん剤で頭髪が抜けてウィッグになり、</p><p>テレビ電話どうかな？嫌かな？と思い始めて、結局何もできなかった。</p><p>二日に一回ぐらいは普通の電話をするようにしていた。</p><p>&nbsp;</p><p>2021年1月、叔母が亡くなった。</p><p>大動脈瘤破裂で、苦しむ間もなく旅立ったらしい。</p><p>急で、少し早い旅立ちだった。</p><p>&nbsp;</p><p>母がショックを受けているのもよくわかって、</p><p>メンタル的なところが持って行かれないか、それで体調を崩しやしないか、</p><p>少し不安だった。</p><p>&nbsp;</p><p>そこからしばらく、CEAも低くそこそこ元気そうな日々を送っていて、</p><p>私もその頃までは二日に一回ぐらい電話をするようにしていた。</p><p>&nbsp;</p><p>そのうちにだんだん、うまく言えないけど、辛そうというか、</p><p>ちょっとこっちもしんどくなるような辛くなるような感じがしてきて、</p><p>電話の頻度が少し下がった。</p><p>週に1度、10日に1度、電話すると、</p><p>「コロナにでもなったかと思った」って心配していて、</p><p>連絡しなきゃなーと思うんだけど、なんとなくできなくて、少し間隔の開く状態が続いた。</p><p>&nbsp;</p><p>そのうちに夏になって、肝臓とリンパへの転移がわかって、</p><p>そして緩和ケアの話があがっていた。</p><p>&nbsp;</p><p>いつかは、使える薬がなくなって、そんな時がくると心の準備はしていたけど、</p><p>準備なんか全然できてなくて、やっぱりショックが襲ってきた。</p><p>&nbsp;</p><p>早くない？もっとやれることないの？</p><p>キイトルーダもっかいやるのだめなの？</p><p>他の病院で何かできること聞くのはだめなの？</p><p>こういうのはどう？もっと私調べるけど？</p><p>そんなことを色々思って、言いそうにもなったけど、</p><p>&nbsp;</p><p>「緩和ケアで寿命が延びる人もいるらしいし、</p><p>　ここまで生きられて十分だし、</p><p>　苦しんで終わるよりは、楽しいことを沢山して終わりたい」</p><p>&nbsp;</p><p>って言ってて、あぁそうか、と思って、もう何も言えなかった。</p><p>&nbsp;</p><p>自分が後から後悔しないために思ったことを言うだけ言うのと、</p><p>両親が考えて出した結論に口出しせず静観しているのと、どっちがいいんだろう。</p><p>でも、どう思ってどう考えても、なるようにしかならない。</p><p>&nbsp;</p><p>なんにせよ、早くワクチンを打ち終えて、早く会いに行こう。</p>
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<link>https://ameblo.jp/eringitamago/entry-12694501180.html</link>
<pubDate>Fri, 27 Aug 2021 11:32:14 +0900</pubDate>
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<title>現状</title>
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<![CDATA[ <p>母の話。</p><p>&nbsp;</p><p>2017年の早い段階、肺腺癌が発覚。</p><p>2017/4/26に手術、17日間入院。<br>2018/11/26、検診で再発がわかる。<br>2019/01/16、入院して抗がん剤+免疫治療。<br>キイトルーダを、1セット21日間を4セット。<br>2019/09、アリムタ（抗がん剤）の翌日、お腹をこわしはじめる。</p><p>骨が弱くなっていることもあり、プラリア（骨のお薬）投与。<br>お腹の方はプレドニゾロン（ステロイド剤）を投与。<br>2020/05、骨が弱くなっていたせいで、背骨骨折。<br>2020/06、お腹のほうはおさまる。<br>2020/07/21、アリムタ（抗がん剤）投与。<br>2020/08/01、肋骨骨折。骨が元に戻るには1年程度かかるとのこと。<br>2020/08/17、アリムタ（抗がん剤）投与。<br>そろそろアリムタも限界かもとのこと。</p><p>2020/09/23、CEA下がらず、アリムタは効かなかった模様。</p><p>ドセタキセル単体投与。<br>シスプラチンは心臓に影響があってNG、<br>キイトルーダはお腹をこわすのでNG、とのこと。</p><p>2020/10/16、ドセタキセル2回目。</p><p>2020/11/06、ドセタキセル3回目。</p><p>2020/11/13、プラリア（骨のお薬）投与。</p><p>2020/11/27、ドセタキセル4回目。&nbsp;<br>2020/12/22、ドセタキセル5回目。</p><p>2021/01/18、入院してS-1（タイホウ）投与。</p><p>2021/02/03、退院。&nbsp; &nbsp;&nbsp;<br>2021/02/09、引き続き診察。</p><p>2021/04/06、食後等は低血圧で少し体調不良とのこと。&nbsp; &nbsp;&nbsp;<br>2021/04/13、通院でタイホウ投与。CEAは6.1。</p><p>2021/05/11、通院でタイホウ投与。</p><p>2021/07、肝臓とリンパに転移しているとのこと。</p><p>2021/08、そろそろ緩和ケアの話があがる。</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/eringitamago/entry-12694495190.html</link>
<pubDate>Fri, 27 Aug 2021 10:51:37 +0900</pubDate>
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