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<title>変な人間。</title>
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<description>１９６０年代生まれ。自分が「変」なことに気づかないフリをして生きてきた６０年、今更ながらのエッセイ。</description>
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<title>気まずい相手</title>
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<![CDATA[ <p>「変な人間」を自称する私は、ひどい状態になり完全に人間関係が破綻した相手にも平気で連絡することができる（笑）</p><p>&nbsp;</p><p>向こうは「２度と顔も見たくない、連絡を取りたくない」そう思っているのが確定している場合、ほとんどの場合その相手から連絡が来ることはない、お互いの暗黙の了解だからだ。</p><p>&nbsp;</p><p>そんな相手が人一倍多い私なのに、５年後フェイスブックでたまたま見かけたからとか、何年も一方的にご無沙汰していた相手にも、「ご無沙汰してます」「元気ですか、あの時は申し訳なかった」「率直にお詫びします」と連絡を取る。</p><p>&nbsp;</p><p>向こうは「ふつうの人間」だから無下にはせず社交辞令を返してくる。もんだいはそこからだ、「変な人間」な私は、それを「あーよかった、許してもらえた」とやってはいけない解釈をしてしまう。</p><p>&nbsp;</p><p>当然、その後何回か連絡をしても返事がくることはない。</p><p>&nbsp;</p><p>何度か、仲直りをさせようと優しい人間が代理で電話をしてきてくれたが、電話の向こうで「あいつはもう知らん、電話すんな！」と怒鳴っている声が聞こえた。代理の人は「すまんな、今手が離せないみたい」と嘘をついてくれる。だからといって相手に腹が立つことも無い。</p><p>&nbsp;</p><p>あるときは、もと働いていた職場にソフトウェアの保守に行った際に、昔の同僚がいて明らかに起こった表情で私のそばを通り過ぎて行った。その時も「あの頃は（在職中は）迷惑ばっかりかけたね、申し訳ない」と言えてしまう。当然無視されたが、特に傷つくことはなかった。</p><p>&nbsp;</p><p>そんなお花畑なことをまだまだ繰り返していた。</p><p>３０歳で転職して、以降駆け足で数年前のあの日まで生きてきた。これまでみんながせき止めていてくれた、いや言う価値もないからと言わずにいた数々の単語を、精密攻撃のように直接言われる出来事があった。</p><p>&nbsp;</p><p>そしてその会社から逃げた、さすがにいろいろ考えて同じ過ちはもうしないようにといろいろ考えるようになった。</p><p>&nbsp;</p><p>ただ…絶望的なのはやはりまだ「考える」だけだったからそこでも同じことを繰り返してしまった。今年の１月以降は、まさしく「凝縮された」私の悪いところが出た。職場でも浮いてしまった。話を聞かない人も現れてしまった。</p><p>&nbsp;</p><p>それでも、つい最近まで「自分は嫌われていない」と思い込んでいた。皆、普通に接してくれるし、時々雑談もしてくれる。</p><p>&nbsp;</p><p>そんな、空気の読めなさや、物事の感じ方、について発達障害を疑ったこともあった。今よく言われる「大人の発達障害」だ。</p><p>&nbsp;</p><p>いつか機会があったら心療内科を訪ねてみるつもりだが、本やネットの情報をみる限りは発達障害ではないようだ。</p><p>&nbsp;</p><p>性格と病的なもの、の境目があいまいになってしまうだけだった。確かに「嫌われていることに気づかない」「今やってはいけないことをやってしまう」「すべてをぶち壊してしまう」という行動は何度かあった。</p><p>&nbsp;</p><p>どうすれば「ふつうの人間」ぽくふるまえるのか、「ふつうの人間」に近づけるのか。</p><p>&nbsp;</p><p>気が付けば６０歳を超え、もう一度「あの日あの時」を思い出してみることにした。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/ess394/entry-12966125440.html</link>
<pubDate>Thu, 14 May 2026 14:19:58 +0900</pubDate>
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<title>自律神経を整えるカセットテープ</title>
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<![CDATA[ <p>何もない田舎を就職で飛び出した私は、家電量販店の魅力に取りつかれた。</p><p>&nbsp;</p><p>ソフトウェアがなければ何もできないということを知る前に衝動的にモノクロのノートパソコンを買ったり、くだらないおもちゃを買って帰る休日が待ち遠しかった。</p><p>&nbsp;</p><p>入社半年、「変な人間」ならではの周囲との軋轢が怒涛のように発生し、当時まだ使われ始めだった「ストレス」を感じるようになった。</p><p>&nbsp;</p><p>ただ、「なんでストレスを感じるのか」に言及することはなく、「仕事をすればストレスがたまる」というお花畑の理屈で片付け、何故怒られるのか、何故注意されるのか、全く考えることはなかった。</p><p>&nbsp;</p><p>言われたこと、されたことを面白おかしく食堂で同期に話す自分を、おそらく「こいつ、相当にやばい奴」と思われていたに違いない。それどころか、外部の友人には話を捻じ曲げ、「そんな会社おかしいよ」と自分が悪くないという話を引き出すようにしていたように思う。</p><p>&nbsp;</p><p>自動車やサーフィンなど趣味に打ち込む土日と、週５日のメインである会社生活との質の違いが日に日に大きくなっていく。土日は思うようにやりたいことをやれるのに、月～金は何も役に立っていない、役に立っていないといわれる暗い毎日を送っていた。</p><p>&nbsp;</p><p>そんな中、当時珍しかった「自律神経を整える」というカセットテープを家電量販店で見つけた。完全な「対処療法」でしかない。</p><p>&nbsp;</p><p>徒歩１０分の寮からも遅刻が続くようになり、「早く起きる」ではなく、週末にボロボロの中古スクーターを購入し、試し乗りもせずいきなり翌日の朝エンジンがかからなくて遅刻するという、もう本当にどうしようもないことを繰り返していた。</p><p>&nbsp;</p><p>本来なら、そこらで反省し、改める点を見つけ出し、改善していく方向に家事を取るべきだったのだろう。何度も機会はあったのに、いつも何かに逃げてはその機会を避けてきた。</p><p>&nbsp;</p><p>自分の息子には、そんなことをきちんと教えてやろうと思っていたが、「息子には必要ない」のだ（笑）いつどのようにして身に着けたのか、あるいは本来「普通の人間」はそんなことは自然と生きていくうちに身に着くのか…。</p><p>&nbsp;</p><p>自分の何が悪かったのか？にほんの数年前まで向き合うことはなかった。</p><p>&nbsp;</p><p>周りが私に直接、間接的に指摘してくれなかったのは優しさだと思い込んでいた。裏を返せば、周りに我慢を強いていたことになる。</p><p>&nbsp;</p><p>いや、ただただ指摘するのがめんどくさかった、あるいは指摘するだけの価値がないと思われるほど「変な人間」だったのだ。</p><p>&nbsp;</p><p>小学校の教育実習の先生、高専時代に約束をすっぽかしてひどく怒らせた友人、お前のドラムは下手だとはっきり言った先輩、思いやりのない自己中心な人です、と手紙をくれた中学の同級生の女の子。</p><p>&nbsp;</p><p>特に気にしなかった。「あーはいはい」と完全に他人事モードにしてしまう悪い思考のねじ曲がりがある。</p><p>&nbsp;</p><p>まだ自分自身で答えや確信を得たわけではないが、それが近しい周りの人間をイライラさせたのは間違いない。</p><p>&nbsp;</p><p>仕事にも「成長した」という手ごたえもない。そんな中、３年が過ぎた。</p><p>&nbsp;</p><p>やる気のない毎日、同じ間違いを何度も繰り返す毎日。プライベートと仕事との隔たりはますます大きくなっていった。</p><p>&nbsp;</p><p>ほぼ誰もが２回目には合格する外部の資格試験にも５回目になっても合格できなかった。何を聞いても、何のために何をやっているのか理解できなかった。</p><p>&nbsp;</p><p>まだまだ、「転職は悪」な時代だったからか、仕事を辞めるという選択肢は当時の私には微塵もなかった。このまま勤めていればきっと何とかなる、というこれまた究極の他力本願、人任せ、他人事、で毎日を過ごしていた。</p><p>&nbsp;</p><p>対人関係の軋轢は日に日に周りが不快な感情をため込んでいくので大きくなった。見捨てる人も多くなっていった。先輩からは「芽が出ない」と言われるようになった。「仕事ができない」ことに対して、かっこ悪いとか、恥ずかしいとか、努力しようなどの感情はなかった。</p><p>&nbsp;</p><p>当時の職場に外注の人が数人いた。うち１人は私をほぼ見捨てて匙を投げている社員と同じように私にダメ出しをしてくる人だったが、残りの人は本当に温厚で、私がきつく怒られたあとには決まって手招きして私を呼んで、慰めてくれたりした。</p><p>&nbsp;</p><p>「あなたは大器晩成型なんだから、焦らなくて大丈夫」とも言ってくれた。当然、「変な人間」には「先でいいことがおこるから」にしか解釈できていない。</p><p>&nbsp;</p><p>その証拠に、大器晩成などしていない（笑）</p><p>&nbsp;</p><p>何をやっても責められるこんな毎日がいつまで続くのか見当もつかないまま、幸いなことに、物事を深く考えたり受け付けないおめでたい癖のおかげで、土日は別人のように遊び歩いていた。</p><p>&nbsp;</p><p>そのような状況にあっても、「ものおじせず」「落ち込まず」毎日会社にくる私は、さぞかし話題に（悪い意味で）なっていただろうし、話のタネになっていただろう。Z世代？そんなのは全く比較にもならないほどひどい２４歳の自分が間違いなくあの場所にいた。知らない間にやってもいない、言ってもいないことをやったり言ったりしていることにされたり、例の同じ寮にいた先輩からそれを聞かされて、調子にのって人を傷つけるな！と無実の罪で怒られ、本人の家に謝りに行ったこともあった（それがもうおかしい）</p><p>&nbsp;</p><p>怒涛のように起こるトラブルと、表面的にはニコニコと好意的な職場の人間。社会人になるまでにはっきりとは理解できなくてもある程度「社会のしくみ」に触れることをしていれば、何とか周りに溶け込めたのかもしれない。目立たず、謙虚に、協調性、私にないものだらけだ。</p><p>&nbsp;</p><p>そんな中、みんなから大人気だった職場に配属された新人の女性と社内恋愛になってしまい、ご想像の通りますます周りからの風当たりが強くなっていく。</p><p>&nbsp;</p><p>例の自律神経を整えるカセットテープは、２、３回聞いただけで聞かなくなった。</p><p>&nbsp;</p><p>ソフトウェアが入っていないノートパソコンは一回起動しただけで押入れで眠っていた。</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/ess394/entry-12966122573.html</link>
<pubDate>Thu, 14 May 2026 13:43:34 +0900</pubDate>
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<title>４人衆の悪行</title>
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<![CDATA[ <p>就職して半年後くらいのことだった。</p><p>&nbsp;</p><p>学校を卒業すると同時に「流れ解散」となったバンドのメンバーが就職先の寮に雑魚寝に来た。彼らは地元で就職し実家から通勤している田舎住みのままだったので小都会に洋服を買いに来たいという。</p><p>&nbsp;</p><p>今でも彼らの名前を忘れない。F氏、ギター担当で裕福な家の一人っ子、たしか自営業の親が何でも買い与えていたが、本人はシンナー狂い。卒業前には本気でプロを目指そうとか言っていた。N氏、ボーカル担当、金髪のヤンキー。車検切れの自動車を平気で乗り回していてかなりずる賢い。H氏、一番質の悪い人間、しらっといろいろなことに乗っかる。パンチパーマのヤンキー。バンドのメンバーではない。D氏、自分をしっかり持っている「ふつうの人間」彼だけはしばらく年賀状のやり取りがあった。常識人。</p><p>&nbsp;</p><p>当日、最寄り駅までVIP待遇で車で迎えに行き寮に戻った。近くにあった行きつけの定食屋で夕食をとって翌日は自分たちだけで買い物に出かけてくるという。（私が全く洋服に興味がないので自然とその流れに）当時はBIGIとかなんとかデザイナーブランド真っ盛り、夕方頃大量の荷物を抱えて４人が戻って来た。</p><p>&nbsp;</p><p>楽しそうな元メンバーと過ごした翌日、最寄り駅まで送っていった。喜んでくれたようで本当に良かった。本気でそう思っていた。</p><p>&nbsp;</p><p>その時、Nがもじもじしながら話しかけてきた。</p><p>「なぁ～悪いんだけど、電車賃が無くなってさぁ」</p><p>と言う。</p><p>&nbsp;</p><p>もじもじついでに聞くとF、H氏も金がないという。（Dだけは自分で切符を買っていた）合わせて１万円ちょっと…。初任給が１４万の頃だったので大きな痛手だったが、「おう、いいよ」と笑顔で万札プラスアルファを手渡す。</p><p>&nbsp;</p><p>「ほんと、ありがとう。今度絶対返すから」とNとF氏。</p><p>&nbsp;</p><p>H氏はいつものことだが２人の後ろで軽く頭を下げる。</p><p>&nbsp;</p><p>３人の悪党と１人（D氏）は切符を手に入れ満面の笑みで手を振りながら改札から消えていった。</p><p>&nbsp;</p><p>私は変える間際に人を欺くように金銭のことを言われたことにショックを受けたが、いつものように嫌なことは受け流すことにした。さほど腹もたたなかった。</p><p>&nbsp;</p><p>思い出した、地元にいるときはいつも私が車を出して遠出をしていた。ガソリン代を払うといったことも、私の運転でスピード違反をした時も、罰金を分けて払おう、などいったことも無い奴らだった。</p><p>&nbsp;</p><p>「〇〇は今回いいよね」「〇〇は次の機会ね」（〇〇は私の名前）と言われることが多かった私は、その類の出来事に分類し、忘れることにした。</p><p>&nbsp;</p><p>当然、貸した電車賃は返ってこなかった。返してほしいとも思わなかった。忘れることにした。ただ、次回泊りにくると言ってきたら断ろうと思った。</p><p>&nbsp;</p><p>私は帰りの電車の中で「儲かったな！まさか電車賃出させるとは思ってなかった、よく出すよな〇〇（笑）」とはしゃいでいて、私のことなど誰も気にかけていない３人の悪党がそんなことを言いながらはしゃいでいることを想像する能力がなかった。</p><p>&nbsp;</p><p>どちらかというと「感謝されている自分」を想像していた。人に親切にすることはいいことだ。財布に金がないっていうのはつらいよな。なおと思っていたはずだ。</p><p>&nbsp;</p><p>彼らの財布には、しっかり金が残っているという事実を想像できるのが「ふつうの人間」なのだろう、それ以前に「ふつうの人間」は電車賃なんか出してやらないのではないか？。</p><p>&nbsp;</p><p>それからしばらくはその会社にいたが、旅行で写真をとってやったら現像からプリント代まで誰も出す気がなかったり、その類のことは数えきれないほどあった。</p><p>&nbsp;</p><p>お人よし、隙がある、だましやすい、他人からはどう見えていたのだろうか？</p><p>&nbsp;</p><p>寮に１人「変な人間」な先輩がいた。</p><p>&nbsp;</p><p>仕事ができないことで有名で、私の所属していた会社の親会社の社員だった。私のことは会社の立場的にも人間的にも見下していて、ことあるごとにいちゃもんをつけてきて近所の飲み屋でねちねち嫌味を言われた。</p><p>&nbsp;</p><p>今思えば、彼なりのストレス解消だったのだろう。ただ、「変なやつ」「だめなやつ」としきりに言われていたので一概に悪とは言えず、私の「変」さが見えていて指摘せずには居られない貴重な存在だったのは間違いない。</p><p>&nbsp;</p><p>その先輩はバブル崩壊とともに家電量販店に転籍となって私の前から永遠に消えた。</p><p>&nbsp;</p><p>彼も「変な人間」だった。卑屈で、弱い者には強くて、自分がなくて、自身もなくて、話題の引き出しもほとんどなく、一緒にいてもつまらない人間だった。</p><p>&nbsp;</p><p>職場で私が新人の間にしでかした問題は、すべてその先輩の耳に入ってきて、いちいちその問題について「ふつうの人間」がとるべき普通の行動はこうだ、と注意されていた。</p><p>&nbsp;</p><p>私に「人の話を謙虚に聞いて受け止める」能力があれば、もう少し会社でしでかした恥ずかしい行いや「変な人間」ならではの行動は減っていたかもしれない。</p><p>&nbsp;</p><p>それから１０年くらいして、地元に帰省した際、ホームセンターでF氏にばったり会った。私としては１０年前に切符を買ってやったのだからお礼を言われるだろうと思っていたのだが、こちらから声をかけたがにこりともせずちょっとだけ頭を下げただけでどこかに行ってしまった。</p><p>&nbsp;</p><p>「ふつうの人間」には「情けは人のためならず」とか、そんなときのための格言や名言がある。ただ、「変な人間」には斜めのとらえ方しかできないのでそのまま格言、名言を思い出して悦に入ることは危険だ。</p><p>&nbsp;</p><p>現実ーというか人間の裏側とか影の部分を見ずに育ったタイプの「変な人間」には悪影響しかない。文面通り、額面通りに信じてしまい、いつまでたっても現実が見えないからだ（笑）</p><p>&nbsp;</p><p>少しは学習したのか、同じような出来事はその後起こらなかった。</p><p>&nbsp;</p><p>並行して、周りにどんどん敵が増えていく、「増殖していく」と言ったほうがいいくらい、「変な人間」たる試練がそろそろ始まりかけていた。</p>
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<link>https://ameblo.jp/ess394/entry-12966110798.html</link>
<pubDate>Thu, 14 May 2026 11:23:02 +0900</pubDate>
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<title>大阪万博</title>
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<![CDATA[ <p>なぜかわからないが、親戚が当時夜行列車で大阪万博に行けていたのにうちは行けなかった。金銭的なものなのか、母親が大阪の親戚とうまくいってなかったのかわからない。</p><p>&nbsp;</p><p>ただ、親子３人で楽しそうに列車に乗り込む親戚の一行をホームで見送った。おそらく私のことなので（笑）「なんでうちは行かないのか」とごねて泣き倒したことだろう。</p><p>&nbsp;</p><p>当時、私の周りには年下・年下含め６人の年の近いいとこがいた。</p><p>&nbsp;</p><p>それが万博のガイドブックを見ながらはしゃいでいたのだから一人おいて行かれた私はたまったもんじゃない。</p><p>&nbsp;</p><p>どのくらいあとだったのかは記憶がないが、父親は、当時３６０ｃｃの軽自動車で家族４人下道で大阪に向かうという強行軍に出た。</p><p>&nbsp;</p><p>写真でしか思い出せないが、おそらく大阪の母親の兄のところに泊めてもらったのだと思う。</p><p>&nbsp;</p><p>当時母親の兄は奥さんと共稼ぎをしていて、マンションに住み、電子レンジ、普通車、スキー三昧というテレビでしか見たことのない生活を送っていた。</p><p>&nbsp;</p><p>どうやら、それが「長男のくせに」とやっかみで母親のほかに４人いた田舎済みの女兄弟から総スカンを食らった原因らしい。長男の奥さんは豪快にタバコをふかし、「竹を割ったような性格」で明らかに他の親戚のおばさんとは違うオーラを放っていた。</p><p>&nbsp;</p><p>当時の私はそのようなしがらみを知る由もなく、大阪という大都会を見て感動することもなく。ただ本で見ただけで行けないと思っていた万博に来ているという事実を、まるで第３者が感じるように客観的に見ていたような気がする。</p><p>&nbsp;</p><p>私の息子が、それと同じ年齢の時「わぁーすごい！パパ早くいこう！」とスタンプラリーで大はしゃぎしたり、見るからにわくわく感を表情に出したりしているのを見て、「やはり自分は変な子供時代だったんだ」と再認識した。</p><p>&nbsp;</p><p>当時何があったのか？特に夫婦喧嘩の絶えない両親でもなく、アル中の父親でもなく、今でも「ごく普通」の家庭だったと思う。</p><p>&nbsp;</p><p>自分の性格と幼少期の環境などについては、もう何百回以上考えてみたりしたが、とくに虐待を受けていたことも、いじめを受けていたこともない。自分の知らない「何か」があったに違いないと考えた時期もあったが、特にそんな事実もない。</p><p>&nbsp;</p><p>ただ、私が４０歳くらいの時に、母親が「私はあなたの育て方を間違えた」と言ったことと、「これからどうなるんだろうね、あの〇〇〇〇〇（私のフルネーム）という人間は」と父親と話しているのを偶然聞いてしまったことが何らかのヒントになるような気がしていたが、何を意味しているのか、何を間違えたのかは今となってはわからない。</p><p>&nbsp;</p><p>確実なことは、両親がさじを投げるくらい変な人間、話すこと、すること、人間としてよくないものになってしまった、という後悔が出ている発言だったのは１００％間違いない。</p><p>&nbsp;</p><p>この年になるまで、その母親の発言の意味を深く考えることも、立ち止まることもなく、「変な人間」を個性や性格と思い込み、自分と向き合うことがなかったこと。あと２０年もすればこの世からいなくなる「変な人間」</p><p>&nbsp;</p><p>「まともな人間」になるにはもう圧倒的に時間が足りない。</p><p>&nbsp;</p><p>その前に「まともな人間」が何なのかがわからない。それは息子であったり、妻であったり、私に嫌みや遠回しにアドバイスをくれた人間だったり。</p><p>&nbsp;</p><p>周りとうまくいかない、楽しめない、のめり込む、発達障害なのか、アダルトチルドレンなのか、うつ状態なのか、</p><p>&nbsp;</p><p>「個性」と思い込んでいた私という人間が、どれだけ周りと軋轢を起こし、時には不快な気分にさせ、時にはうまく利用され、両親にはたくさんの負担をかけ。</p><p>&nbsp;</p><p>表面だけの、形だけの趣味、散々散財してきたほとんどが他人の真似で手を出したものだ。自分が信念をもって続けていることは一つもない。</p><p>&nbsp;</p><p>車は現在まで２０台くらい乗り換えた、バイクも、仕事も（笑）</p><p>&nbsp;</p><p>毎回、何らかの理由をつけて、やってはいけないこと周りとの関係やバランスがあるからと「ふつうの人間」がやりたくてもできないことを平気でやってきた。</p><p>&nbsp;</p><p>そのせいで「つけ」が回ったきたことも無かった。</p><p>&nbsp;</p><p>「なかった」と思い込んでいたたくさんのことが、実は大変な「変な」ことだったと、６０にもなって真剣に考え始めてきたことがいわゆる「回ってきたつけ」なのだろう。</p><p>&nbsp;</p><p>平穏な老後、一言でいうとどんな老後のことを言うのだろう。</p><p>&nbsp;</p><p>想像もつかない。</p><p>&nbsp;</p><p>趣味に没頭する、のんびりと生きる。</p><p>&nbsp;</p><p>ものの老人向けマニュアル本にはそう書いてある。</p><p>&nbsp;</p><p>振り返って「後悔」する気も「自分が変わる」気もない。ただ数年前に完全にストライクゾーンをついてきた人間の言葉がなかったら、いまだにこのようなことを書いていないし、むしろ「究極の変な人間」のままこの世からいなくなるのも悪くなかったと思う。</p><p>&nbsp;</p><p>妻に「俺はやりたいことはだいたいやったから、死んでも後悔することないよ」と重い内容の「やりたいこと」とは実に表面的なことだけ。車を買った、あれもしたこれもした。</p><p>&nbsp;</p><p>それを取ったら「何も考えずにやりたいことだけやって生きているだけ」という最悪な自己評価の低さになる。</p><p>&nbsp;</p><p>他人に騙されても利用されても本気で怒ったことも悲しんだことも無い。難しいことは自分なりの解釈で切り抜ける。</p><p>&nbsp;</p><p>持ち前の外ずら能力で転職して少しすれば管理職になっている。そして３年かけてじわじわと崩壊していきそこに居られなくなるまで関係をこじらせる。</p><p>&nbsp;</p><p>つい半年前もそのループに３分の１くらい入っていた。</p><p>&nbsp;</p><p>６０にもなって、という気もない。同じ年代の人間の多くは「年の功」がにじみ出ている。少々のことでは動じない、軽口は叩かない、不満を口にしない、人の悪口を言わない。</p><p>&nbsp;</p><p>それに比べて私はまた「変な人間」ゆえの悪循環を始めようとしていた。いや、もう止められていないのかもしれない。</p><p>&nbsp;</p><p>会社から切られたら、クビになったら、周りともめ始めるとそんな不安が頭をよぎる。自分で仕掛けたくせに不安を感じている矛盾。</p><p>&nbsp;</p><p>ただ、これまで何回も繰り返して来た危機では、毎回深くは考えなかった。実際に何とかなってきた。「どっちを選んでも大丈夫」な状況を作って来たと思い込んでいた。</p><p>&nbsp;</p><p>自分に思い込ませてきた「大丈夫」な案件のレベルは年を取るにつれてどんどん悪くなっていることに目を向けてこなかった。</p><p>&nbsp;</p><p>絶望していることもなく、後悔もしていない。困ってもいない。</p><p>&nbsp;</p><p>周りとニコニコうまくやることの優先順位は「まともな人間」の真逆にある。</p><p>&nbsp;</p><p>それゆえにつらい目にあった自分が哀れだとか可哀そうだと感じたことはない。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/ess394/entry-12966103780.html</link>
<pubDate>Thu, 14 May 2026 09:59:39 +0900</pubDate>
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<title>中学生活</title>
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<![CDATA[ <p>周りとずれ始めていたが気が付かなかった小学校生活。</p><p>&nbsp;</p><p>「自分は正しい」</p><p>「悪いことをしてはダメ」</p><p>「思いやりを持ちなさい」</p><p>&nbsp;</p><p>という絵にかいたような行動を、年齢が上がるにつれ無意識にしろ、故意にしろやらなければ生きていけないことが一つや二つ子供ながらに出てくるはずだが、気づかなかったのか、あえて周りが（あきらめて）そういう雰囲気にしなかったのか、その手のことで悩むことは皆無で、何にも根拠もない自信と「よい子」でいることに何の疑問を持たずに中学生になってしまった。</p><p>&nbsp;</p><p>今思えば、危険極まりない。</p><p>&nbsp;</p><p>中学校では、いろんな小学校からこれまでとは違った人種が集まり、自分がどれだけ頑張っても勝てない秀才、自分が一番ではなく人気のある人間が山のように居た。</p><p>&nbsp;</p><p>それでも、部活に精一杯のめり込み結果を出せず「普通以下の人間」のポジションになっていた。勉強ができなくても背が高くてかっこいい人間がえらい時期が高校受験の前まで続く。</p><p>&nbsp;</p><p>見ることを封印しているこのころの写真には、楽しいのか、楽しくないのか、何を考えているのかわからない表情をした自分が映っている。</p><p>&nbsp;</p><p>父親の収入も上がってきたようで、ソファーや自動車、ステレオや８ミリカメラなど、楽しいと思えるものがどんどん出現してきた。</p><p>&nbsp;</p><p>家族旅行にも出かけるようになったが、はしゃいだり思いっきり笑ったりしている写真は１枚もない。（いまだにその類の写真はない）</p><p>&nbsp;</p><p>中学校２年生の時、父親が亡くなった同じクラスの女の子の家に代表で葬式に参列した。泣いていたその子を見ていたたまれなくなり、付き合うことになった。</p><p>&nbsp;</p><p>なにしろ、何も悪いことや面白いことをした経験がないから話題もない。面白味もない。彼女との交際は高校２年まで続くのだが、何を話していたのか、想像できる分恐ろしい。</p><p>&nbsp;</p><p>部活でも、成績でも、女子からの人気でもダントツなR君という存在がウっとおしかったが、頑張ろうとか、ぬかしてやろうとか、そういう気持ちは全くわいてこなかった。</p><p>&nbsp;</p><p>あまりの能面ぶりに親も心配になったのか、フォークギターを買ってくれることになった。ちょうど、かぐや姫が人気で、さだまさしの「雨やどり」なんかが流行っていたころだ。</p><p>&nbsp;</p><p>洋服もその他のものも、決して自分から「これが欲しい」「あれに行きたい」ということがなかったので、それからしばらくギターに熱中した。</p><p>&nbsp;</p><p>特に親しい友人もおらず、自分の世界だけから得た話をするだけの中学生なんかつまらない何物でもない。ギターを文化祭で演奏したこと以外、特に楽しかった思い出は何もない。</p><p>&nbsp;</p><p>「自分は変だ」に、まだ気づかない、今思えば中学校のこの時期が最後のチャンスだった。</p><p>しかし年相応に進化するタイミングはとうに過ぎてしまっていた。</p><p>&nbsp;</p><p>それから玉成しないまま社会にでたもんだから、大変なことが自分を起点に起こっていく人生に突入する準備がそろそろ始まっていく。</p><p>&nbsp;</p><p>中学３年生。</p><p>&nbsp;</p><p>高校受験だ、普通科と国立高専の２校を受験した。当時国立高専は狭き門で、約８倍の難関だった。毎日遅くまで受験勉強をして、難関の高専に受かったので迷わずそちらに進路を決めた。</p><p>&nbsp;</p><p>世間知らずで、世の中の仕組みを当然知らず、挫折もしたことのない半熟の人間は、普通高校に行って時間稼ぎを（気づくまでの時間稼ぎ）すべきだったのだが、ここが大きな人生の転換期となる。</p><p>&nbsp;</p><p>当時の私は、「８倍の倍率を突破したエリート集団」というイメージしか持てず、悪いことに両親も一緒になって「そういう」感じで春休みを過ごした。</p><p>&nbsp;</p><p>国立のため学費がかなり安かったので、合格祝いだとエレキギターを買ってもらった。</p><p>&nbsp;</p><p>私は、前途ある未来を描いていた。</p><p>&nbsp;</p><p>テレビのドラマで見たことしかない世間知らずが、自分の将来をなんとなく思い描いていたのだから手の打ちようがない。</p><p>&nbsp;</p><p>不思議と、私に対して悪い評価はなく、学校の先生からは期待してもらっていた。</p><p>&nbsp;</p><p>そのスキルだけはいまだに健在で、転職の面接ではかなりの確率で高評価をもらえる。</p><p>（その後の実績は別としても…）</p><p>&nbsp;</p><p>夢心地の春休みを過ごして、エリート集団（あくまでも自分の価値観（笑））の一員になることを想像していた。</p><p>&nbsp;</p><p>凧の糸はまだ完全につながっていたが、そのしっかりとした糸が、いとも簡単に切れてしまうとは誰一人思っていなかった。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/ess394/entry-12966029327.html</link>
<pubDate>Wed, 13 May 2026 15:35:14 +0900</pubDate>
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<title>変な人間の、プロローグ</title>
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<![CDATA[ <p>数年前、６０年間の自分を取り巻く問題点を完全に言葉にして指摘される出来事があった。その後次々と対人関係のトラブルが続き、これまでのトラブルやその原因を振りかえらずにはいられない状況に陥った。</p><p>&nbsp;</p><p>思えば、高校２年を機に「キャラ替え」？「デビュー」？並みの変化を遂げ、社会人になってから周りとのトラブルが頻発して今に至る。</p><p>&nbsp;</p><p>何を勘違いしていたのか、なぜその時真剣に悩まなかったのか、発達障害、アダルトチルドレン、いろんな可能性も考えたが、どう考えてもその範疇を超えた異常な思考と行動をしていた（恥ずかしくて認めたくないが…）ことを恐る恐る思い出すことが多くなってきた。</p><p>&nbsp;</p><p>上手くいっていると（実際はうまくいってないのだがトラブルがたまたま無いだけだったような）すぐに調子に乗り、他人を傷つけ、裏切り、逃げ倒して、約束を平気で破り、それでも「自分は云々…」（云々の部分はまだ的確に見つけられていない）と思いこむ、それができなければ会社を変わる。</p><p>&nbsp;</p><p>そんなろくでもない生き方をしてきて、気づけば生きづらかった（逆に言えば周りに迷惑をかけた）社会人生活も終わりを迎える。</p><p>&nbsp;</p><p>今さら変わろうとか変えようとか、これまで無理だったことが今ここにきてできる気もしないので、私の変な人間たる出来事を残していこうと思う。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/ess394/entry-12966008409.html</link>
<pubDate>Wed, 13 May 2026 14:10:38 +0900</pubDate>
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<title>とぎれとぎれの幼少期</title>
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<![CDATA[ <p>幼稚園から小学校卒業までは、よくある田舎の子供で特に問題は起きなかった。</p><p>両親はほとんど休みの日に出かけることもなく父親は今でいうDIYで古い家に板の間を作ったり農業をやっていたので田んぼに出かけていた。</p><p>&nbsp;</p><p>母方のいとこと年に何回か祖父の実家で過ごしたりするくらいで、ジュース、シチュー、ラジコンテレビCMで見るもののほとんどが自分には関係のないものばかりだった。父親は普通のサラリーマンだったが、着るものや持ち物を同級生と比べると、何故かうちはどちらかというと貧乏だった。</p><p>&nbsp;</p><p>ただ、周りのほとんどの家が貧乏だったので特に気にしたことはなかった。小学校でも特にいじめられたりすることもなく、尖ったところもなく、ごく普通の子供だった。しいて言えば、人前で何かをするのが苦手で、例えば音楽の時間に一人ずつみんなの前でスキップをする授業だったり、放送室で自分の作文を読んだりするのがものすごく苦手で、必ずと言っていいほど泣いていた。</p><p>&nbsp;</p><p>逆上がり、跳び箱は卒業するまでできなかった。</p><p>&nbsp;</p><p>ちらちらと、今思えば高度成長期だったので同級生の持ち物（筆箱、UNIの鉛筆など）が自分と違ってきた。フラッシャー付きの自転車を手に入れたのはずいぶん遅かった。</p><p>&nbsp;</p><p>小学４年生の時、教育実習で来た女性の先生がなぜか気に入らず連絡帳でバトルを繰り広げた。呼び出されていろいろ言われている最中、「知らんがな」的な表情をしていたらしく、先生から「屁とも思ってないでしょ、私が言っていること」と言われた。今思えば「お前、なんか変」と生まれて初めて指摘してくれた人間だ。</p><p>&nbsp;</p><p>記憶が前後しているかあいまいなのだが、母親から「そんな先生ふんっ！てしてやりな」と言われた。先生から困った連絡があったか呼び出されたからそういったのか、私の話を聞いて事前にそういったのかは明らかではない。</p><p>&nbsp;</p><p>５年、６年生になると、ちょくちょく担任の悪口や今でいうフェイクニュースを手書きした学級新聞を教室に張り出して、みんながテレビ学習をして前を見ている間中、教室の後ろでビンタと罵声を担任から浴びせられた。</p><p>&nbsp;</p><p>このころから、私の「変な人間」が年に数回くらいのペースで出現してくる。クラスの悪ガキが〇〇さんの机にパンを入れた、とか周りのみんなが空気を読んでやらないことを躊躇なくやっていた。不思議と仲間外れになることも、悪ガキから仕返しされることもなかった。</p><p>&nbsp;</p><p>未だに「強いものには弱く、弱い者には強い」というクズのような根性は抜けていない（笑</p><p>）</p><p>&nbsp;</p><p>何をどうしつけされていたのか確信がないのだが、過保護、過干渉、過度の期待（勉強に関して）があったのだけは間違いない。いわゆる「親を喜ばせるよい子供」になっていた。</p><p>&nbsp;</p><p>小学校生活で、バランスの取れた大人になっていく同級生が多数の中、学年が上がるごとに周りの成長から置いてきぼりのまま、小学校を卒業することになる。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/ess394/entry-12966017980.html</link>
<pubDate>Wed, 13 May 2026 13:24:24 +0900</pubDate>
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<title>公害の記憶</title>
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<![CDATA[ <p>おそらく３歳か４歳？そんな小さなころの記憶が残るのだろうかと疑いつつ。当時何もない田舎で生まれて古いがだだっ広い農家仕様の実家で暮らしていた。</p><p>&nbsp;</p><p>小屋には鶏が、庭にはウサギの小屋、縁側には秋田犬がいた。</p><p>&nbsp;</p><p>家の前には畑があり、その向こうには竹藪があり、竹藪の切れ目からは２～３キロ先にある化学工場の煙突が見えた。</p><p>&nbsp;</p><p>定期的に、その煙突から明らかに体に悪そうな黄色い煙が大量に吐き出され、しばらくすると風向きによってはものすごい化学薬品のにおいが迫ってきた。</p><p>&nbsp;</p><p>亜硫酸ガス？や硫黄？強烈な何とも言えない匂いだった。</p><p>&nbsp;</p><p>外に干していた布団には現在で言うとスギ花粉が積もったようになり、１００％咳込んだ。のどがヒューヒューと音を立てた。</p><p>&nbsp;</p><p>今ではあり得ないことがその当時は日常的に起こっていた。</p><p>&nbsp;</p><p>父親よ釣りに行けば背骨が曲がった魚が釣れた。</p><p>&nbsp;</p><p>それから６０年、両親も９０近くまで生きたし私も大きな病気もせずに生きているので幸いにもその頃の公害による被害はなかったのだろうし、賠償などの訴訟が起きたと聞いたこともない。</p><p>&nbsp;</p><p>私の中で一番古い記憶の話。</p>
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<link>https://ameblo.jp/ess394/entry-12966009705.html</link>
<pubDate>Wed, 13 May 2026 11:43:08 +0900</pubDate>
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