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<title>f-mitsukoのブログ</title>
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<title>日記（パパ闘病記）</title>
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<![CDATA[ 2015年2月5日<br><br>パパへ<br><br>聞いててね…。<br><br>幻覚症状がひどくなると同時に<br>パパが痛みと戦ってる姿、見ていられなかった…。<br>言葉で言えないよね…。<br><br>今は夢なのか、現実なのか…?<br>私がそうなったとしたら…、<br>あーッ‼‼って、気がおかしくなり、発狂すると思う。<br>経験しないとパパがどんなに辛かったかわからない…。<br><br>医療用麻薬も効きづらくなった時、モルヒネにするか、主治医と話し合った。<br>聞こえてますが、話出来なくなるかもしれません。<br>厳しい状況と思って下さいと。<br><br>痛みが無いのなら…。<br>パパが楽になるのなら…。<br><br>お願いします。と。即答した。<br><br>なのに…効かない。<br>どんどん痛みが増している。<br>可哀想すぎる…。先生、看護師さん、パパを助けて…。<br><br>お昼から、圭に連絡し、帰って来るように伝えた。<br>圭もすぐ、教授に伝え、喪服の用意をして、東京駅を出た。<br><br>夕方から、いっそう痛みは増した。<br>モルヒネを追加しても痛がった。<br>ぜんぜん効かない…。<br>背中を一生懸命さすった。<br><br>主治医は「大イベント」起こしてます。って。<br>？？？。何？<br>そんな表現で納得しないといけないの？<br><br>痛がって痛がって、我慢して我慢して…。<br><br>圭は間に合わなかったけど、私とゆかりに見守られて、最期は静かに息を引き取った…。<br><br>20時53分、56歳。永眠…。<br><br>1年3ヶ月、パパ良く頑張ったね！<br>辛かったね！痛かったね！<br>もぅゆっくり休んでいいよ。<br><br>これからは圭とゆかりを守ってね。<br>そして、私のそばにいつもいてね。<br>合掌…。<br><br>パパとの思い出。<br>昔からケンカした時、言ってくれた言葉…<br>「みっちゃんの喜ぶ顔が見たいから、頑張るからね。」って。<br><br>パパの本音を聞きたい為に、たまにはケンカしたかった。<br>ケンカの後はなぜか幸せだった。<br><br>パパから私はほんとに守られているといつも思ってた。<br>会いたい…。<br>また「みっちゃんの喜ぶ顔が見たいから」って言ってほしい…。<br><br>私から謝った事がなかったぐらいわがままな私でごめんね…パパ。<br>ありがとう…パパ。<br>私の為に頑張ってくれたね…。<br><br>ほんとにほんとにありがとう。<br><br>目には見えないけど、ずーっと一緒だからね。守ってね。<br><br>私の家族、最高‼
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<link>https://ameblo.jp/f-mitsuko/entry-11985887284.html</link>
<pubDate>Thu, 05 Feb 2015 09:02:51 +0900</pubDate>
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<title>日記（パパ闘病記）</title>
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<![CDATA[ 2015年2月3日<br><br>パパへ<br><br>聞いててね…。<br><br>この入院は覚悟が必要だった。<br><br>パパの精神的不安をなくす為は表向き…ほんとはもぅ厳しい状況だった。<br><br>9月26日入院した時には、身体は浮腫んでいた。<br>日に日に、尿の量も随分減った。<br>点滴に利尿剤を入れても体に変化無く…。<br><br>日に日に浮腫みは増し、足はぞうさんのようになった。<br><br>パジャマの着替えも大変だった。<br>ウエスト、太もも、ふくらはぎ<br>とんでもない太さだった。<br>LLサイズを買い、ウエストのゴムを切り、裾もハサミで切り込みを入れた。<br>体裁なんてまったく気に出来なかった（笑）<br><br>おしっこの量は少なく、 浮腫みもひどく、入院して4、5日すると、足から、水が出てきて、足にパットをあてた。<br>初めてみた。足からどんどん水が出てくる…泣。<br><br>パパが主治医に言った。<br>これ以上、良くならないですか?<br><br>先生はもぅ治療がないから、<br>それなりに答えるしかなかった。<br>パパが納得する答えにはなっていなかった。<br><br>主治医が外へ出るなり、<br>パパは「これが安楽死か。」と一言…。<br><br>もぅ、自分の命をさとったかのように、身体はどんどん悪くなった。<br><br>私は主治医にパパの痛みを出来る限り抑えて下さい。とお願いした。<br><br>医療用麻薬を使って始めは聞いたけど、2日もすると、量を上げないと、痛みが増してきた。<br>朝と夜が逆転するというより、一日ずっと落ち着かなかった。<br><br>アブストラル舌下錠（痛み止め）<br>フェントステープなど<br>医療用麻薬を続けると、幻覚症状が出てきた。<br><br>ほとんど眠気があり、夕飯の用意をしても、1、2口食べると、赤ちゃんの用に眠気がきて、フラフラになっていた。<br>そんな時は、おとなしく横になって、寝てくれた。<br><br>なのに、幻覚症状もひどくなると、生死をさまよってるのか、<br>眠ってはいけない仕草をしていた。<br><br>話もたまにわからなくなってきた。<br><br>今も、勤めてるのか、会社の交通費の精算の話をしたり、携帯電話の回線の話をしたり…。<br>急に言うので、私も戸惑った。<br><br>始めは何を言ってるの？‼とイラっと来たけど、あぁこれが…。<br>適当に話を合わせた。<br><br>1番辛かったのは、<br>温泉旅行に行ってる夢を見たのか。<br>イスを並べて寝ている姿を見て、<br>「ここは狭いなぁ」<br>「お前のベッド狭いなぁ」<br>「ここはホテルやろ」<br>私への気遣いを見た。<br>「違うよ。病院よ‼」不思議そうに部屋を見回した…。<br><br>亡くなる前日の事だった…。
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<link>https://ameblo.jp/f-mitsuko/entry-11985028544.html</link>
<pubDate>Tue, 03 Feb 2015 08:33:25 +0900</pubDate>
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<title>日記（パパ闘病記）</title>
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<![CDATA[ <br>2015年2月2日<br><br>パパへ<br><br>聞いててね…。<br><br>どんなに辛くなっても諦めず、食事療法や肥えないように運動も頑張ったね。<br>ほんとに頑張ったね。<br><br>ゲルソン療法を真似て、私も毎日、野菜ジュースを作ったね。<br>国産のレモン、ほんと大変だった。<br><br>人参、りんご、レモン、小松菜、トマト、じゃがいも、セロリ、キャベツなど、野菜ジュースの材料で、いつも冷蔵庫はいっぱいだった。<br><br>毎日、飲み終わったカップを返してくれる時、<br>パパは「ありがと。」と私を後ろから抱きしめて…。<br><br>ゆかりがいる時は、小さな声で、<br>ありがと。って。（笑）<br>ほんとに照れ屋さん（笑）<br><br>でも、それは「ありがとう」っと言ってほしい。なんて…私、わがまま言ったからね。<br><br>パパは私の気持ちに応えてくれたね。<br>ほんとはそれどころでないのに…。ありがとう。<br><br><br>あと食事で気をつけたのは、減塩。<br>健康な時は濃い味だったから、何を食べても物足りなかったね…。<br><br>舞茸やニンニク、納豆、豆腐、毎日、同じ材料だから、飽きてきたね。<br><br>パパは人一倍、口が肥えてたから<br>食事の楽しみも半減したよね。<br>でも毎日、二人で良く頑張ったね。<br>お陰で、私はダイエット出来ました（笑）<br><br><br>8月頃から熱が出だしたね。<br><br>便秘がひどく、苦しく、大阪の病院に電話したね。でも、ガスが出ているなら、腸閉塞の心配もなさそうなので、次回の診察日に来るように言われたね。<br><br>診察日で腫瘍熱と言われた。<br>肝臓が腫れているらしい。<br><br>肝機能の数値も良く無いから、抗がん剤どころじゃなかった…。<br><br>スチバーガーで、肝機能が弱ったせいで、免疫力も落ち、熱がずっと出たね。<br>ロキソニンで、熱を下げないと、体がだるかったね。<br><br>運動も買い物も行けなくなったね。<br><br>なのに、9月20日、しんどいはずなのに、温泉旅行に連れて行ってくれたね。<br><br>帰りのインターチェンジでは、車のシートを倒して休んだね。<br><br>初めてだった。帰りの車であんなにしんどそうにしたのは…。<br>思い出すたび…辛い。<br>でも、パパありがとう。とあの時の姿は今でも忘れない。<br><br>あんなにしんどい時に、私を喜ばせようと…。パパの気持ちがわかるから…。ほんとにほんとにありがとう。<br><br>温泉旅行から帰って来た日、体調が悪くなり、<br>大阪の病院でなく、元の県立の病院に電話し、診てもらいたいと伝えたら、元主治医の診察日じゃなかったけど、明日来なさい。と言ってくれたね。<br><br>今までの血液検査のデータを持って行き、診察内容を伝えた。<br>その内容を元主治医はびっくりしていた。<br>かなり厳しい状況になっている。<br>覚悟も必要だと…。<br>それぐらい肝機能がやられていた。<br><br>４日後また受診した時、肝臓あたりの鈍痛があり、昨日は寝れなかったとパパは主治医に伝えた。<br>精神的に不安なら入院しますか？と…。<br>即、入院が決まった…。<br><br><br>続く…。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/f-mitsuko/entry-11984609069.html</link>
<pubDate>Mon, 02 Feb 2015 09:33:35 +0900</pubDate>
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<title>日記（パパ闘病記）</title>
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<![CDATA[ 2015年1月31日<br><br>パパへ<br><br>聞いててね…。<br><br>県立病院から病院を変えたので<br>主治医も変わる事になった。<br><br>6月始めに大阪の免疫化学療法の病院で、院長のカウンセリングがあった。<br>治る期待をパパににおわせた。<br>頑張りましょう‼っと、自信有りげに…。<br><br>パパも私も、治る期待をもって、<br>治療をお願いした。<br><br>さっそく、3時間ほどかけて、血液を取り出し、必要な細胞を取り、また血液を体に戻すと言う事をした。<br><br>採取している間に、医者から呼ばれ、パパの体は厳しい状況だと言われた。<br><br>でも、パパはその言葉と正反対に<br>治るかもしれないと期待していたに違いない。<br><br>私は逃げ出したいくらい複雑な心境だった。<br>この高額な医療費は、治療出来ると言う、パパの精神安定剤のようなものだった。<br><br>採取したその細胞を免疫力を増強させ、2週間に1回、樹状細胞と言う治療で、体の中に投与した。<br><br>並行して、標準治療の範囲のアービタックスと言う抗がん剤もやった。<br>発疹がひどかった。<br>毎日全身、処方された薬を塗り込んだ。<br>早く元の体に戻って。って願いながら。<br><br>温熱療法も毎週やった。<br>癌は熱に弱いから癌が消えて行くかもと期待した。<br><br>効果は樹状細胞4回1クール終わったあとにわかるらしいが、CTとっても、癌は増える一方。<br><br>高額な治療費は何だったの?<br>だから、まだ認可されないんだと思った。<br>樹状細胞が何なの！温熱療法がどうなの‼…<br>あの時の…厳しい状況です。と言われた言葉を思い出すたび、怒りが込み上げた。<br><br>医者はこっちが逃げない限り、打ち続ける。<br><br>パパにとっては治療しているんだから、死ぬはずがない！と思っていたと思う。<br><br>その気持ちがわかるから、効かないのに止めよう‼って、私も言えなかった…。<br>パパを騙したような…。<br><br>この時点でも、パパの体は癌にむしばまわれていた。<br><br>まだ、医者はこれでもか…と<br>大腸癌に良く効く薬が出来ています。と言われ、また、期待させた。<br><br>スチバーガーと言う抗がん剤だった。<br>これは最悪だった。<br><br>スチバーガーを始めてから、みるみる弱った。<br>声枯れもひどく、聞こえづらくなった。<br><br>肝機能の数値が上がり、休薬した。<br><br>これが、死に関わる副作用なんだと…これも、あとで思った。<br><br>今、思う事は、毒みたいな抗がん剤を受ける前に、免疫化学療法をする方がまだ、良かったのかもしれない。<br>でも、簡単に踏み切れない事だと、今でも思う。<br><br>進行癌になって、そんな都合の良い治療はまだこの世には無いと思った。<br><br>藁をもすがる‼って、この状況を言うのだと思う。<br><br><br>続く…。<br>
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<link>https://ameblo.jp/f-mitsuko/entry-11983683567.html</link>
<pubDate>Sat, 31 Jan 2015 00:13:13 +0900</pubDate>
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<title>日記（パパ闘病記）</title>
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<![CDATA[ 1015年1月29日<br><br>パパへ<br><br>聞いててね…。<br><br>久しぶりの我が家。<br>パパも嬉しそうだった。<br>二人の話には「細く長く」の言葉がよく出た。<br>いつも心底思った。<br><br>退院して10日後、外科を受診した。<br>先生も、ゆっくり過ごして下さいね。と。<br>ただ、再発防止の為、TS1と言う、経口の飲み薬を処方された。<br>抗がん剤だった。<br>入院せずに済んだので、私は良かった。<br><br>4週続けて服薬し、2週休薬を3クールした。<br>飲んでる間は味覚が無くなり、食欲が出ず、脱毛始まり、顔が日焼けしたように黒くなった。倦怠感もあった。<br><br>でも、パパは私が仕事に行っている間、大きな公園に車で行き、1時間ウォーキングを日課にして頑張った。<br>完治するために…。<br><br>2週間の休薬中は味覚も多少戻り、薬の量も減るので、<br>過ごしやすそうだった。<br><br>出来るだけ、この2週間の間に、二人の温泉旅行をするようになった。<br>幸せだった。<br>このままパパが元気になって、仕事復帰出来ますように…と（笑）。<br><br>2月末の受診で血液検査をすると、CA19-9の数値が37標準のところ、42だった。<br><br>まだ、大丈夫。こんな事もあるさ！と。<br><br>2週間後の受診では、確定したように、再発と言われた。<br>CTにも腹部造影にも癌が顔を出した。<br><br>パパのショックは伝わった。<br><br>最後の残されているイリノテカンの抗がん剤を入院して受ける事になった。<br><br>口内炎や脱毛や…。<br>免疫力が落ちているんだと思う。抗がん剤を打つたびによくなるどころか、体はどんどん悪くなっていった。<br>ca19-9の値も5月末には398になった。<br><br>抗がん剤の効き目はもぅ無かった。<br><br>すべて標準治療では、お手上げの状態です。と伝えられた。<br><br>パパはあと何年ぐらいかと余命を聞いた。<br>主治医はもって、1、2年。<br>その間に何があるかわかりませんが。と…。<br><br>家に帰って、パパは泣いた。<br>抱き合って、私も泣いた。<br><br>私の背中をトントンと叩きながら、返って慰められたような…。<br><br>ほんとは思いっきり泣いて欲しかった…。<br>パパは思いっきり泣かなかった。<br><br>あとは癌が見つかった時に考えた自由診療の免疫化学療法だった。<br><br>もぅ、やってみるしかない。<br>お金は大丈夫か？聞いてきた。<br>大丈夫‼と背中を押した。<br>圭もゆかりも、<br>後悔するよりやってみよう。と…。<br>お金がなくなったら、俺が働いて返すから、<br>借金してでもやってみようって。<br><br>いつの間にか、成長した姿が嬉しかった。<br><br>パパ自ら、免疫化学療法の病院に電話した。<br><br>続く…。
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<link>https://ameblo.jp/f-mitsuko/entry-11983222728.html</link>
<pubDate>Thu, 29 Jan 2015 22:10:39 +0900</pubDate>
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<title>日記（パパ闘病記）</title>
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<![CDATA[ 2015年1月25日<br><br>パパへ<br><br>聞いててね…。<br><br>抗がん剤ベクティビックス3回めの入院の時、主治医に肝臓の手術が出来るなら、タイミングはお任せするので、手術をして欲しいと伝えた。これが2013年11月19日だった。<br><br>2013年12月3日、ベクティビックス4回めの入院の時、主治医は今月中に手術しましょう。<br>早い方がいいからと12月19日に手術日とした。<br>それまでにCTや腹部造影や検査をした。<br>かなり肝機能が弱っていた。<br>抗がん剤を受けるたびに正常な細胞までやられてしまったんだ…。<br><br>今が手術するタイミングだった。<br>手術出来るのだから、ほんとに運が良かったと手を合わせた。<br><br>こんな状況なのでかなり難しい手術と聞いた。<br><br>それは、8時間の開腹手術で大きなキズあとが物語っている。<br><br>前日に、入院したが、パパも私も顔に出さないけど、緊張してた。<br>無事に終わりますようにと…。<br><br>麻酔科の説明も緊張した。<br>やっぱり、大変な手術らしい…。<br><br>難しいのはわかったから、もぅ黙って‼<br>心の中で叫んだ（笑）<br><br>手術後は医療用モルヒネを点滴してるので、思ったより、痛みがなく、歩けた。<br>毎日、廊下を往復する事がパパの仕事だった（笑）<br><br>年内に退院を思ってたけど、胸水に水が溜まったり、熱が出たり、酸素不足になったり、便秘になったり…。もぅ毎日、気が気でなかった…。<br><br>パパも精神的にイライラし始めた。<br>私も一緒に病人相手にイライラした（笑）<br><br>食べるか食べないかわからないけど、3食の用意と、洗濯で病院と家を相変わらず往復した。<br>まだ、漢方もしっかり3本飲んでいる。<br><br>ようやく、状況が落ち着き、2014年1月3日退院した。<br><br>家に着いた時は、「勝ち組」になった。と思った。<br><br>これから、細く長く生きようね‼と…。<br><br>やっとイライラから解放され、<br>17日ぶりに、パジャマに着替えて布団の中で寝た。<br><br>続く…。<br><br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/f-mitsuko/entry-11981257603.html</link>
<pubDate>Sat, 24 Jan 2015 23:20:31 +0900</pubDate>
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<title>日記（パパ闘病記）</title>
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<![CDATA[ 2015年1月21日<br><br>パパへ<br><br>聞いててね…。<br><br>大腸癌の手術をして、すぐ抗がん剤治療が始まったのは、手術前にもう肝臓に、2、3個転移が見つかっていた。<br><br>だから、全身化学療法を進められたんだよね。<br>パパは知らないけど、大腸の手術の後、腹膜播種を起こしてた。<br><br>大腸癌の手術の後、主治医から、余命1年と聞かされた。<br><br>圭もゆかりも辛かったと思う。<br>私も辛かった…。<br><br>でも、医者の言う事を、素直に信じたくなかった。負けたくなかった。<br><br>パパには絶対生きてほしいと。<br><br>パパが入院している間は、いつでも、私は病院に寝泊まり、一緒に過ごす。<br>洗濯や私の入浴、食事の用意で、結構忙しかった。<br><br>圭は東京の大学院から、手術後、2、3日実家で過ごした。<br>その間、圭とゆかりは夜遅く迄、必死にパパの病気について調べた。<br>わかるたびに、私にメールが入り、治療については、動注化学療法や免疫化学療法、食事療法、あといろいろ…。<br><br><br>抗がん剤が始まる2日前に、腕にCVポートを入れた。<br><br>まず、副作用を抑える為に、漢方のお店を訪ねた。<br>カウンセリングして、治る‼期待が高まった中、もう後へは引けなかった。<br>免疫力を下げないようにと、<br>瑞芝（ズイシ）、メーテミル、スーパーマコなどなど、100万円が簡単に動いた。<br><br>抗がん剤が始まった頃は、体がだるいくらいで、大きな副作用は出なかった。<br>漢方のお陰だと思ったぐらいだった。<br>ヤクルト400、2本も飲み続けた。<br><br>パパはいつも、漢方でお腹いっぱい‼と言ってた（笑）<br><br>抗がん剤も3回終わり、血液検査の結果は<br>良くならず、次回から、ベクティビックスに変わった。<br><br>ベクティはさすがに副作用が辛かった。<br>発疹が出て、味覚がなくなり、病院食を受け付けず、入院中は、3食私が用意した。<br>野菜スープもポットに入れて運んだ。<br>でも、本人にとって、1番辛い脱毛も始まった。<br>パパが居る所には髪の毛が…。<br><br>病院と家の往復の車の中で、どれだけ泣いたか。<br>でも、もう一人の私と頑張る事を誓った。<br>絶対負けないと。<br><br>続く…。<br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/f-mitsuko/entry-11979944534.html</link>
<pubDate>Wed, 21 Jan 2015 18:17:32 +0900</pubDate>
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<title>日記（パパ闘病記）</title>
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<![CDATA[ 2015年1月18日<br><br>パパへ<br><br>今日からパパと二人で頑張った証を残すため<br>少しづつ書き溜めておこうと思います。<br><br>あの頃は、いつも通りの生活をし、たまには趣味の釣りに一人で出かけ、海や川で遊んだようで…真っ赤に焼けて帰って来ましたね。<br><br>定年後の二人の楽しみにヨットの免許も取り、ヨットハーバーの話をして私を喜ばせてくれましたね。<br><br>ダイビングの免許も取るために、講習会も予約しましたね。<br>講習会用の海中のDVDを見ながら、私の前でダイビングスーツを着て見せてくれましたね。嬉しそうに…。なのに…。なのに…。<br><br>毎年、健康診断受けているのに…。<br><br>何で今年、引っかかったの？…。<br><br>2013年7月9日<br><br>町の胃腸内科で再検査中、その場で、取れるポリープは切除。厄介な所にあり、病院で手術必要と言われ、病名を癌と言われる。<br><br>仕事中の私の携帯に、パパから電話。<br>つながらなかったので、メールあり。<br><br>同僚のやっちゃんから、すぐ電話して来て下さい！と。<br><br>信じられなかった。<br>私が今、こんな状況になるなんて、この電話の時は、想像もしなかった。<br><br>2013年7月18日、特別、私だけ呼ばれる事無く、パパの前で、医師は簡単に病名告げたよね。<br><br>大腸癌。<br><br>今思うと、パパ辛かったよね…。<br><br>ここから、家族の生活が一変したね。<br><br>手術出来る、県立病院を紹介され、<br>7月29日受診。<br>8月29日腹腔鏡下直腸切除手術。<br>8時間ぐらいかかった。<br><br>手術が終わり一週間ぐらいで落ち着く間も無く、これから始まる抗がん剤治療の為に、腕にCVポートを入れ、翌日からいよいよ抗がん剤が始まったね。<br>退院したのは9月12日だった。<br><br>世間で良く聞いていた抗がん剤。<br>他人事に聞いていた…。<br><br>3日間、ずっと抗がん剤の点滴。<br>吐くんじゃないか、髪が抜けるんじゃないか…。始まる前からパパも私も緊張した。<br><br>今は、抗がん剤を入れる前に吐き気どめを点滴するので、心配はいらなかった。<br>まだ、免疫力があるから、大丈夫だったんだ。と今、思う。<br>まずは、エルプラット、5FU開始。<br><br>続く…。<br>
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<link>https://ameblo.jp/f-mitsuko/entry-11978590902.html</link>
<pubDate>Sun, 18 Jan 2015 10:05:50 +0900</pubDate>
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<title>日記</title>
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<![CDATA[ 2015年1月13日<br><br>パパへ<br><br>パパがいなくなった悲しみに比べたら、今まで腹立ってた事もイヤな事も、小さい事で、何とも思わなくなった。思っても、パパの事思うと、自然と消えている。<br><br>これからは、日にちが経てば忘れていきそうなので、覚えてる間にパパの闘病記として、残しておこうと思ってる。<br><br>二人で頑張った証を残したい…。
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<link>https://ameblo.jp/f-mitsuko/entry-11976765145.html</link>
<pubDate>Tue, 13 Jan 2015 18:33:42 +0900</pubDate>
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<title>日記</title>
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<![CDATA[ 2015年1月11日<br><br>パパへ<br><br>今日は百か日法要無事済ませたよ。<br><br>一周忌までのお勤めを一つ一つ済ませ、今はお仏壇に手を合わせる事で、少し気持ちが安らぎます。<br>写真のパパはいつも微笑んで私を励ましてくれてるように思います。<br><br>昨日から無性にパパの香りが懐かしく、私の鼻のあたりでまだ覚えのある匂いを感じます。<br>正直、何年経とうといつまでも感じていたいです…。忘れたくないな…。<br><br>法要が終わり、2時頃から父がいる堺のお墓に行って来ました。<br>去年、パパとお彼岸のお参りを最後に行ってから、私一人で高速に乗れず、お参り出来ないのが気になって仕方なかった…。ゆかりちゃんが思い切って行こう！と行ってくれたのはほんとに嬉しかった。<br>ゆかりちゃん、ありがとう。<br><br>パパと二人で夏の暑い日に汗をかきながらお墓を掃除したり、病気になってから、お墓に手を合わせる姿を思い出し、パパはどんな気持ちで、手を合わせてたんだろうと思うと涙が止まらなかった…。<br><br>パパは実の親のお墓のように、年に何回も私をお父さんのお墓に連れて行ってくれたね。<br>感謝してるよ。今まで、ありがとう。<br><br>これからは、パパに代わって、ゆかりちゃんがしてくれるようだよ。<br>安心してね。ほんとに私は幸せだね。<br><br>お父さん、今まで、パパはお父さんのお墓を守ってくれたんだよ。天国でパパの事優しくしてね。お願いね。<br><br>そして、今までと変わらず、入院しているお母さんと私たちを守ってね。<br><br>今日は疲れたけど、スッキリした気分。<br><br>三連休もあと一日。明日はゆかりちゃんとゆっくり過ごそう！<br>
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<link>https://ameblo.jp/f-mitsuko/entry-11975974951.html</link>
<pubDate>Sun, 11 Jan 2015 19:45:40 +0900</pubDate>
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