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<title>魚屋のブログ</title>
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<title>キリスト様が生まれたのは２４日か、２５日か　　　　　ユダヤ暦</title>
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<![CDATA[ <p>１２月にちなんだ話題を一つ（かなり知られている話題なのですが）。</p><br><p>イエスキリストが生まれた日は２５日で２４日はクリスマス・イブ（前夜祭）というのが一般的な認識だと思います。ある小学校の先生に聞いて見ましたら、その通りで、そうやって子供に教えているということでした。</p><br><p>でも本当ですか。それなら前夜祭といわずに、２５日の夜にお祝いをするのが自然ではありませんか。</p><br><p>もったいぶらずに言いますと、イエスキリストが生まれたのは２４日の夜の方が可能性が高いとか。</p><br><p>それでユダヤ暦です。ユダヤの暦では一日の始まりは「日没」です。</p><p>２４日の夕方に陽が地平線に沈んだ時が、「２５日」の始まりです。</p><p>そうなんです。マリア様は２４日の陽が沈んだ後に産気づいて馬小屋に横になります。</p><p>聖書では東方の七賢人が訪ねてきます。</p><p>日没後キリスト様が生まれるまで聖書の記述では余り時間が経っていない様だから夜の１２時は回っていなかったのではないかという説を主張される学者が居られるようです。</p><p>キリスト様が生まれたのは太陽暦では２４日ということになりますね。</p><br><p>クリスマス・イブといいますが、この「イブ」はイブニングのイブで「夕方・夜」の意味で前夜祭の意味はありません。強いて言えばユダヤ暦での夜です。</p><p>前夜祭の訳語は恐らく明治時代の日本のキリスト教関係の学者さんが、ユダヤ暦の事情を知らない人にも判るように考えて作った訳語ではないでしょうか。私は明治の日本人は偉いと思います。</p><br><p>ちなみにイスラム暦でも一日の始まりは日没です。</p><br><p>日没が一日の始まりならば、日の出が一日の始まりの暦が有ります。</p><p>日本でも明治になる前まで使っていた「太陰暦」です。</p><p>朝に陽が昇るのと同時に一日が始まります。</p><p>私達の生活感覚にも残っていますよね。</p><p>「さあ、今日も一日が始まる」なんて。</p><p>「元旦」も最初の陽が上るという意味で、一年の始まりを意味しています。</p><p>元旦の陽が登る前の夜の間は「大晦日」ということになりますね。</p><br><p>ところで太陰暦では時間は昼と夜を六つに区切って「一時」としています。</p><p>つまりは昼と夜では「一時」の長さが違い、季節によっても長さが違ってきます。</p><p>じゃあどうやって「時計」を作ったんだ、という疑問も湧いてきます。</p><p>興味がある方はどうぞ調べてください。</p><p>今ではこういったことを調べるのは本当に簡単になりました。</p><br><p>昔ですと図書館に行ってとか、辞書とか大変でした。</p><br><p>世界は広くて、私達が当たり前に思っている「一日」でさえこんなに万別です。</p><br><p>どうぞ小学校の先生も、生徒にこんな話しを聞かせてやってください。</p><p>世の中にはいろいろと有るんだと、視野の広い子供が育つかもしれません。</p><br><br><br><br>
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<pubDate>Mon, 01 Dec 2014 13:06:01 +0900</pubDate>
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<title>ゆらぎ　２　　映画「マトリックス」を考えた</title>
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<![CDATA[ <p>「ゆらぎ」その２です</p><br><p>宇宙の本質が「ゆらぎ」ならば、映画「マトリックス」をどう見るのか。</p><br><p>私はこの映画を最初見たとき、近未来人間はこうやって機械帝国のエネルギー源として</p><p>惨めに存在してゆくという否定的な物語に思いました。</p><p>いくら足掻いても、繰り返し足掻いても結局は機械帝国の支配を抜け出す事はできないのだという。</p><p>所詮は負けるむなしい戦いを繰り返すのは人間達だと。</p><br><p>しかし生命も自然も宇宙も常にゆらぎ変化をしてゆくのがその本質ならばです。</p><p>過去無数のネオが機械帝国に挑み、消えていったとしてもです。</p><br><p>むなしい戦いをしているのは実は機械帝国の方だったということになります。</p><p>仮想空間の中で生じてくるバグを解消するプログラムのネロが徐々に大きくなってゆく。</p><p>ありえない「常」を維持しようとして無駄な抵抗を続けているのは機械帝国なのです。</p><p>何十万年機械帝国が続こうが、何億年の宇宙のゆらぎからすれば、一瞬のことだという。</p><br><p>そうすると哀れなのは逆に機械帝国の方なのだと。</p><p>そういう解釈もできますね。</p><br><br><br><br><br><br>
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<pubDate>Sat, 01 Nov 2014 04:29:50 +0900</pubDate>
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<title>ゆらぎ　１　　　宇宙万物の深淵</title>
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<![CDATA[ <p>「ゆらぎ」というのは 不規則な動きなのだそうです。</p><br><p>自然界での規則的な動きというと何を思い浮かべますか。</p><p>人間の心臓の鼓動を見てみましょう。</p><p>一見規則的に見えて、実は全くは同じ動きをしていません。</p><p>心電図です。波を打っています。その波は全く同じ形でしょうか。</p><p>違うんです。微妙に違うんです。強さも、間隔も波形も微妙に違うそうです。</p><p>人間は完全ではありませんね。</p><p>人間が不完全だから、心臓の鼓動も一定ではない、と思いますよね。</p><br><p>全く規則的な心臓の心電図があったそうです。ある病気の人のものでした。</p><p>病名は忘れました。</p><p>健康な人間の心電図は不規則なのです。この不規則性を「ゆらぎ」というのだそうです。</p><br><p>街には「街路樹」があります。</p><p>街路樹の植え方です。間隔をきちんと測って植えた街路樹は人を不安にします。</p><p>間隔は置くにしても微妙に変化を与えるとそこを通る人間に安心感と、安らぎを与えます。</p><br><p>自然界は不規則が常であり、全くの規則性は無くて、あればそれは異常であり、</p><p>有ってはいけない事なのです。</p><p>「諸行無常」というのでしょうか。</p><p>ゆらぎがあって全ては変化してゆくのです。その方向性はわかりませんが。</p><p>生命の進化もこのゆらぎによっておこります。</p><br><p>宇宙の始まり、ビッグバンはこのゆらぎによる爆発でおきたのだそうです。</p><p>ゆらぎが無ければ宇宙は生まれなかったそうです。</p><br><p>全く次元は違うのですが、私も仕事である作業をしていまして最初にマニュアルを教えるのです。</p><p>人間というのは一人一人顔が違うように、作業手順が人によって微妙に違ってくるのです。</p><p>なるほど効率がいいなあと思うものから、却ってやりにくいだろうと思うものまで、</p><p>一人として全く同じ動きをしません。一応マニュアルの範囲内から、はみ出ているものまで。</p><p>確かに効率の良いことは「作業提案」としてあげてもらえれば採用ということも有りますが。</p><p>とにかく全く同じ動きをしません。見ていて笑えてきます。</p><p>本人はどう考えているのか、恐らくはこの方がやり安いから、なのでしょう。</p><p>ハタから見ると、無駄な動きじゃあないの、逆に疲れないの？と思えるのですが。</p><br><p>最初にスタートした段取りが時間とともに変わってゆくことは職場でも良く有ります。</p><p>それが効率的な方向に行くときもあれば、非能率で目的を見失ってゆく時もあります。</p><p>これが生命としてのゆらぎなのか？</p><br><br><br><br><br><br>
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<pubDate>Sat, 01 Nov 2014 03:40:18 +0900</pubDate>
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<title>戦いの結果は　「勝つ」「負ける」「負けない」　の三種類</title>
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<![CDATA[ <p>最近どこかで読んだ話で感心したものですから。</p><br><p>日露戦争です。</p><p>日本はロシアに勝ったのでしょうか。ロシアは負けたのでしょうか？</p><p>もちろん一般的にも歴史的にも、日本が勝ってロシアは負けた事になっています。</p><p>では「勝ち」と「負け」の定義とは、スポーツとは違ってその戦争の性格や地理的条件によって、そして戦争目的によって違ってきます。</p><p>日本は緩衝国として朝鮮は日本主導にしてくださいという条件でした。朝鮮に対してロシアからも投資が増えていました。満州はロシア様の物で結構ですが、朝鮮はお目こぼしを・・・（朝鮮を取られたら日本は防衛の仕様がない）。</p><p>ロシアの国家戦略の南下政策です。</p><p>ロシア「支那も朝鮮も日本も全部俺のものだ、交渉の余地なし。」</p><br><p>それで戦争が始まったのですが。</p><p>ロシアの太平洋艦隊が意外に早々と負けましたね、最新鋭艦を揃えていたのに。</p><p>日本の海軍がそれだけ優秀だったのでしょう。</p><p>それで欧州から老朽艦をかき集めてきたのがバルチック艦隊です。</p><p>陸の方でも陸軍大臣のクロポトキンを大将にして戦ったのですが、まあどう見ても負け戦です。</p><p>ヤポンスキー？それは猿か。　　に負けたわけですが。</p><br><p>ロシアにしてみれば損害が大きかったのですが、クリミア戦争と同じです。</p><p>仕掛けた戦争が上手くいかなかったわけです。</p><p>次はもっと上手くやろう。それだけです。</p><p>ついては中国から分捕った満州に持っていた利権の半分を渡そう、とりあえず。</p><br><p>日本は勝ったのでしょうかね。ただ日本は負けなかったのです。防ぎきったのです。</p><p>少し勝ちすぎましたが、基本は「負けない」なのです。</p><p>上杉謙信が関東に攻め込み小田原城を包囲しましたが、引き上げざるを得ませんでした。</p><br><p>「太平洋戦争」を私は「日米戦争」と読み替えています。</p><p>対米戦では日本も「負けない戦争」つまり守りきる戦争を想定していたはずです。</p><p>手を広げすぎた。その他諸々。</p><p>篭城戦ではないのです。ロジスティックを維持しつつ守りきるのです。</p><p>それに失敗しました。</p><p>アメリカの物量は桁違いでした。ジャイアンですね。</p><br><p>満州事変の立役者に石原莞爾将軍がいます。</p><p>彼の著書に「日米最終決戦論」があります。あの時代においてはすこぶる慧眼であると思います。</p><br><p>石原莞爾氏についてはいずれ一文を書いてみたいものです。</p><br><br><br><br><br><br><br>
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<pubDate>Tue, 14 Oct 2014 21:01:20 +0900</pubDate>
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<title>宮本百合子の「播州平野」　時代の感情</title>
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<![CDATA[ <p>宮本百合子の名前を聞く事は最近は有りません。</p><p>日本共産党の宮本顕治氏の妻であります。文学者であります。</p><p>作品はすばらしいと思います。</p><p>百合子があったから顕治があったという話も有るくらいで。</p><p>文学とは何でしょうか。理想の追求だといいます。</p><p>また歴史では捉えきれない、時代の感情を表現してくれるものだと思います。</p><br><p>「播州平野」の一節にありますが、8月15日に玉音放送が流れた日の夜、日本は明るくなったそうです。</p><p>灯火管制が解除されました。それまで電灯を覆っていた黒い布がはずされました。</p><p>部屋全体が明るくなりました。そこで「ああ、戦争が終わったんだな」と実感したわけです。</p><p>文学者は日々の生活、時代の変化を敏感に捉えて文章にしてくれます。</p><br><p>15日の夜に明るくなって、さて人々は何を感じたでしょうか。</p><p>百合子は周りの人々の感情の変化を日を追って書いています。日本の国の中の人々が一日一日変わってゆくのです。私が長々書くことではありません。</p><br><p>その作品は時代とともに読む人間によって解釈が変化してゆきます。</p><p>戦後は悲惨であった戦争への悔悟、もう戦争は金輪際嫌だ、これからは平和で暮らしてゆきたい。</p><p>心からの叫びだったと思います。国中が焼け野原なんです。</p><p>もう戦争はしたくない、人々の率直な自然な感情だったでしょう。</p><br><p>百合子とは離れますが、「国家」への不信として良く田原総一郎なども語りますが、昨日まで「鬼畜米英討つべし」と言っていた教師が次の日から民主主義を語る事を理由にします。子供心には確かにその様に感じたでしょうし、トラウマでしょう。素朴に尊敬する教師が突然に逆なことを言い始める。</p><p>でも大人になったら考えてください。「君子豹変」という言葉もありますが、その教師は不本意か生活の為にそう言ったのでしょうね。そして戦中の教育と戦後の教育のどちらが「正しい」のかをです。正しいと言う基準にも寄りますが。中味を考えるのです、「戦前教育」と「戦後教育」の。まだ彼はサヨクっぽいですが、その方向にいっていると感じます。</p><br><p>私は今、日本は戦力を整えて、場合によっては核を保有し、もちろん「憲法９条」は廃止すべきだと考えています。</p><p>どうにもアメリカさんが頼りなくなってきている世界情勢では、自らの身は自らで守らざるを得ません。</p><p>　</p><p>日本国内で百合子が感じたこと、その感情を忘れてはいけないと思います。</p><p>戦争は悲惨です。決してしたくはありません。ただ戦争にもいろいろ種類があるのですよ。</p><p>（戦争には３種類あります。まだここではアップしていませんが、順次アップします。）</p><br><p>百合子は国内にいました。一方海外で終戦を迎えた日本国民の味わった経験は「亡国の民」という言葉で語られています。当然に国内以上に悲惨でありました。</p><br><p>国内よりも悲惨であった国の外にいた人々の悲劇を日本国民が味わうことが無いように、安全保障を考えましょう。</p><p>その様な観点から百合子を読み直したら、やっぱり百合子は怒るだろうな。</p><br><br><br>
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<pubDate>Tue, 14 Oct 2014 18:33:12 +0900</pubDate>
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<title>山の上から泥水を流す　　日本属国論</title>
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<![CDATA[ <p>山の上から泥水を流したらどうなるでしょうか。</p><p>山全体が泥に染まります。汚れ切ってしまいます。</p><br><p>社長が余り能力も無いのに威張り散らすは、業者と癒着するは、部下を使用人扱いは、としたら？</p><p>組織のトップが阿呆な人間だと組織全体が阿呆になります。</p><p>トップが優柔不断なら組織のみんなも優柔不断になります。</p><p>世襲でしたが、私は昔そんな会社にいました。</p><br><p>私が幼少のみぎり、テレビを見ますと国会では良く乱闘をやっておりました。</p><p>政治の事はわかりませんでしたが、国会という所では乱闘をやるもんなんだな～と感じていました。</p><p>高校時代でしょうか、浜田幸一が国会内でのバリケードを崩して啖呵を切っておりました。</p><p>学生時代になり、国会中継を見なければと思い見たのですが、退屈で眠気を堪え切れませんでした。</p><p>緊張感がないのです。野党の質問も揚げ足取りが多く、とにかく自民党を悪と決めつけ紋切り型で。</p><p>政府答弁も官僚の原稿をただ読むだけで。　　限りなくワンパターンです。</p><br><p>国会というのは国家の意志を決める最高機関ですよね。</p><p>どうしてこんなにつまらないやりとりだけをしているのだろうか。</p><p>大半の議員は寝ている。まことに単なる儀式としか思えませんでした。</p><br><p>何時頃でしょうか、「日本人は優柔不断で、何事にも決める能力に欠ける」という批判を良く聞きました。</p><p>私の身の回りでもそれを感じていました。</p><p>学級会でも誰も発言をしない。だれも意見を言わないのは、そもそも意見がないのです。</p><p>学級会で意見を言ってもそれが何の効果も無い事を無意識に感じていたのでしょうね。</p><p>日本は民主主義国家の建前ですから、先生は話し合いをというのですが、それも実は怪しかったのですね（教師も実はシナリオを持っていて、その方向に話し合いを持っていこうという内心があり、子供も子供ながらにそれを敏感に感じ取っていたのだと、今振り返って思います）。なんだかんだ言っても最後は先生が答えを出すという。</p><p>そして話が議論に発展しそうになると、「なかなか難しいからね」「いろいろあるからね」でお茶を濁して結論を出す事から逃げるのです。</p><p>高校時代でしょうか、これは国会が悪いのではないかと考え始めました。</p><p>国家の中で最高のレベルの議論をしなければならないお手本であるべき国会の議論が、</p><p>まずは議論の名前に価しないわけです。</p><p>どうしてなんだろうな。</p><br><p>大学に行くようになって判り始めました。</p><p>日本はアメリカの「属国」だからです。</p><p>属国の国会は所詮建前なわけです。最終的には本国が結論を出します。</p><p>属国の国会で何を話し合いどんな結論を出そうが、最後は本国からの指示で全てが決まります。</p><p>つまり属国の国会では何を話し合っても、意味がないのです。</p><p>その怠惰な国会の話し合いが、戦後の日本に蔓延したのだと思います。</p><p>日本人全体から自分で考え、話し合って結論を出すというノウハウを失ってゆくことになったのだと思います。国会が日本全体に山の上から泥水を流したのです。日本人が考える事と決める事をやめたのです。</p><br><p>それでは戦前の帝国議会はどうだったのでしょうか。</p><p>斎藤隆夫の反軍演説、足尾銅山の田中正造など陽の面もある一方、</p><p>汚職贈収賄や利権争いもおおらかでどう比べてよいものか。</p><p>ただ戦前の日本は世界中が欧米の植民地にされている中でいかに生き残るか、対抗してゆくかを国家として考えねばならない状況でした。いわゆる本当の独立国家だったと思います。国家ビジョンもあったと思いますし、国際連盟では終始人種差別の撤廃を訴え続けました。</p><br><p>これは私見ではありますが、昨今朝日新聞批判で「サヨク」思想が退潮しつつあります。</p><p>胡散臭い「サヨク」に、まっとうなリベラルが置き換わった時に日本の景色も変わるだろうなと思います。</p><br><p>日本が独立国家になった時には日本のあちこちでもう少し真剣な議論が多くなると思います。</p><p>徐々にその方向に向かっていると思います。</p><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br>
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<pubDate>Mon, 13 Oct 2014 00:52:28 +0900</pubDate>
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<title>自我について　２　タマネギ</title>
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<![CDATA[ <p>私は心理学については専門でもなくて単なる聞きかじりなのですが。</p><br><p>ここで大家に登場してもらいます。</p><br><p>マルクス「人間の自我とは諸観念の束である。」</p><p>さすがは唯物論者らしい発言です。ここに繋げて「意識は存在によって規定される」と合わせると彼の哲学は首尾一貫して判り易いですね。</p><p>この辺の命題は一昔前は学生の間で良く話されたことなのですが、最近はどうなのでしょうか。あまり見かけませんね。今でも酒場の片隅で議論しているのかな。ついでに言うと私も昔は酒場で「革命」の話をしていましたね、私は否定論者でしたが。そしたら隣のサラリーマンが一杯おごってくれました。</p><br><p>デカルト「人間は考える葦である」</p><p>カント「我思う故に我あり」</p><p>タルムード「日の下になべて新しいものは無し」</p><br><p>「自我」とは何でしょうかね。</p><p>自分とは何なのか、自分が自分といえるアイデンティーとは何か。</p><p>自我っていうのはタマネギみたいなものなのです。</p><p>これが自分の考えだと思っているアイデアは、実は思い返せば外から入って来たものが多く、確かに自分なりにアレンジもあるでしょうが。また自分が思いついたと思った考えが、調べれば他の人間が既に表明していたという、大人になると充分判ることだと思いますが。</p><p>タマネギに芯はあるかと剥いてゆくのですが、剥いてゆくと何も無い。</p><p>昔漫才コンビのネタで「新民謡」と「タマネギ」を引っ掛けたものがありまして。</p><p>タマネギを剥いていっても芯が見えないから、新（芯）民謡（見んよう）・・・</p><br><p>話しを急ぎましょう。</p><p>自我というのは突き詰めると何が実体かわからなく、多くの観念・考えの塊りであると。</p><p>それを自覚すると、かなり自分の芯に近い観念にしても有る場合は捨てて新しいもの替えることもするわけです。人間の体の全細胞は何年間かで全て入れ代わるとか、脳細胞は除くでしたか。</p><p>そういうのを強い自我というのかな。逆はタマネギの外側の茶色のどうでもいい部分でも傷つけられると、それを自分の自我への攻撃だとみなして過剰に防衛する、攻撃的になるというのが弱い自我かな。</p><p>また人間の自我とは弱いものだと感じましたのは、社会に出て精神を病んで消えていった人間を何人か見てです。能力のある人でした。</p><p>そこで言いたい、「おまえその１とその２」よ、下らない事で俺に逆らうんじゃねえよ。</p><p>専門外の心理学の話しはこのくらいにします。</p><br><p>それで自分の信念・哲学・ポリシーがです、ある時間違いだったと思った（感じた）ときです。</p><p>物理的事実や具体的なものだと、誤りと判りやすいのですが、抽象度が高くなる程誤りと認めるのは難しくなります。そもそもがです、何が正しいのか何が正しくないかという基準は何によって決まるのかという哲学・倫理学・イデオロギー・文化歴史にまで行きつく問題なので、私では判断不能です。</p><p>それでこれが年が若いうちならいいのですが、年を食ってくると今さら後に戻るわけには行かないのですよ。</p><p>長い年月、自分の周りに築いてきた人間関係とも絡むわけですよ。</p><p>人格、信用問題ともいいます。</p><p>人間とは社会的動物ですから。周りの人間から孤立しちゃったら寂しくなります。</p><p>ただ今までの自分の人生を全て否定する必要までは全く無いのですが。</p><br><p>一人の人間として「間違い」を認めるというのは難しい事です。</p><br><p>この話しは、この先「従軍慰安婦問題」に絡むと思いましたのでテーマとしました。</p><br><p>（個人の話の次は組織防衛の話しでもをしようかな、いずれ）</p>
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<pubDate>Fri, 12 Sep 2014 19:39:44 +0900</pubDate>
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<title>自我について　１　デフレと少子高齢化</title>
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<![CDATA[ <p>「自我」と「デフレ」と「少子高齢化」がどう結びつくのでしょうかね。</p><br><p>まずは私の仲間（その１）との酒の上での話です。</p><br><p>あいつは言うのですよ。</p><p>「日本がデフレなのは少子高齢化のせいだ。」</p><p>確かに新聞テレビはそう報じています。</p><p>これが真っ赤な嘘なのは、大分いろんな情報に騙され続けてきた私でも嘘と信じています。</p><br><p>経済評論家の三橋貴明氏という人があります。ネットから始まって今では有名人です。</p><p>この人は経済他の問題に数字やデータ、言葉の定義を明確にする事で論評活動を行っています。</p><p>私も随分と教えられました。</p><p>で、その三橋氏の主張の一つに「デフレの主たる要因は少子高齢化ではない」とあります。</p><p>それをグラフを使って説明しています。クリアですね。</p><p>日本以上の少子高齢化の韓国・中国・台湾も緩やかなインフレ。OECD諸国も少子高齢化だがインフレ。</p><p>ではどうして日本だけが？白川日銀総裁が資金供給をしないからだと。</p><br><p>それで、あいつにそのさわりを話して反論したのですよ。</p><p>数多くある少子高齢化の国の中で日本だけがデフレなのは、少子高齢化が原因ではないのではないだろうかと。一般論、というかそういう主張も有るようだと、やんわりと話したのです。</p><p>でもあいつ、怒り始めたのです。</p><p>「なんで俺の意見に一方的に反対するんだ」と。</p><p>一方的ではないように根拠も述べて、柔らかくいったつもりなのですが。</p><p>なぜあいつは怒り始めたのでしょうか。</p><p>ちなみに彼は技官ですが、国家公務員の上級職でもう管理職に上がっています。（このブログを見ていない事を望む）　　誰にでもあることで、俺も今でもやらかす。という事で容赦。</p><br><p>さてこの話そうは言っても、まだまだ多くの日本人が信じていることです。</p><p>少子高齢化がデフレの原因であると。</p><p>それを認めるのには大きく抵抗があるものと思います。</p><br><p>次に今度は「梅雨」の話をします。</p><p>日本の梅雨は６月から始まって、何時まで続くかなんです。</p><p>７月の中旬から下旬でしょうか、２０日前後でしょうかね。</p><p>これはどうでしょうか、常識の範囲内でしょうか。</p><p>私の仲間その２に登場してもらいます。</p><p>その２は梅雨は６月に終わるというのですよ。</p><p>いや～、６月に終わったという話は私は聞いたことはありません。</p><p>仕事に関連するので私は毎年毎年です、梅雨がいつ明けるのかをチェックしています。</p><p>だから「それはあんた間違っているよ」と強く言いました。</p><p>あいつその２は押しの強い人間で「何を馬鹿なことを言ってるんですが」と来るわけです。</p><p>私がいろいろ説明するわけです、根拠も示して懇々と。</p><p>でも彼は言うのです「梅雨が７月まで続くなんて、そんな恥ずかしい事を他人に話さない方がいいですよ。あなたが恥をかく。」真顔で私に話すのです。</p><p>諦めて最後に彼に「家に帰ってからネットで調べてみなさい」と言いましたが、彼は笑っていました。</p><p>もちろん私も悔しいので帰りついてから、私のほうでネットで過去の梅雨明けのデータ一覧の出ているHPをメールしておきました。</p><p>さて次にその２に会った時です。</p><p>「梅雨は７月まで続くのかな・・・　でもそれでも梅雨というのは」というので</p><p>私は「おまえいい加減にしろよ！」といいました。</p><br><p>私は何が言いたいのでしょうか。</p><p>人間って自分が思っていた事とか一度正しいと信じた事が、ある時根拠も提示されて「実は正しくなかった」といわれた時にすぐに認めるわけにはいかないのです。むしろ感情的になって怒り始める事のほうが多いわけです。</p><p>良くありますよね、こういう事は。</p><br><p>長くなったので一旦切ります。</p><br><br><br><br>
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<pubDate>Fri, 12 Sep 2014 18:20:04 +0900</pubDate>
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<title>集団安全保障論議　３　「侵略戦争」　続き</title>
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<![CDATA[ <p>もう少し話を進めておかないと、とんでも論と思われて終わりそうなので付け加えます。</p><br><p>第二次世界大戦はナチスやムッソリーニ、日本の侵略戦争だったというのが戦後世界の国際的な共通認識ですよね。</p><p>ムッソリーニの第二次エチオピア戦争は「あからさまな侵略戦争」です。</p><p>ナチスのライン進駐、ズデーデン併合、譲ってポーランド分割までは失地回復とみなせます。</p><p>ただ欧州にはウェストファーリア条約がかってありまして、戦争にはルールがありました。</p><p>国際法ですね。</p><p>一言で言うと相手国に致命症は与え無い中でのゲーム的戦争であったと思うのです。</p><p>当時は「一等国・二等国・三等国」という概念がありました。</p><p>一等国は一方的に三等国を属国や植民地にしてよいという国際ルールです。</p><p>一等国同士の戦争は、勝ってもできることが制限されていました。</p><p>その国の体制を変更したり、法律を変えてはいけなかったのです。</p><p>第一次世界大戦でアメリカのウィルソンがメチャメチャにやぶりましたが。</p><p>ナチスの戦争はナポレオンからの流れのパワーバランス変更の戦争だったのではないでしょうか。</p><p>植民地争奪を伴ったヨーロッパ列強間での勢力争いの戦争。「帝国主義戦争」とも言うのかな。</p><p>今はもうなくなったと思うのですが（今は「経済戦争」に変わったというのが私のアイデアです）。米ソ対立は「帝国主義戦争」ではありません。理由はソ連は帝国主義ではないからという事になります。</p><p>ちなみに当時の二等国は南米の国とかで、戦間期は豊かで国力もありましたから。</p><br><p>北清事変の日本の戦闘は列強との「あからさまな侵略戦争」の共犯であったとも思います。</p><p>ただこの行為は３つの戦争の「集団安全保障」の戦争の性格も持ちますし。</p><p>中国共産党のチベット侵攻は私は「あからさまな侵略戦争」に思えます。</p><br><p>そうすると「満州事変」にも話が進むのかな。</p><p>この辺は私の一番関心のあるテーマです。改めてゆっくり書きたいと思います。</p><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/fishdealer/entry-11923022459.html</link>
<pubDate>Wed, 10 Sep 2014 20:42:21 +0900</pubDate>
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<title>集団的安全保障論議　２　「侵略戦争」</title>
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<![CDATA[ <p>戦争には３つあると申しました。</p><br><p>１が「侵略戦争」です。</p><p>安倍首相が国会で「侵略戦争」には学問的にははっきりとした定義は無いと答弁していました。</p><p>その通りで、右の人も左の人も納得する定義はないようです。</p><p>では「侵略」というと私たちはどういうイメージでしょうか？</p><p>隣の国を攻めて、その国の財宝や国土・生産物・奴隷を奪う、結果その国の人間を皆殺しにすることもある。ローマ帝国がカルタゴを滅ぼしたように、土地に塩を撒くまでします。</p><p>時代が下れば、皆殺しにするのはもったいない。人間は労働力として使って、作物を作らせたり（アメリカ南部の綿花栽培）、鉱山で消耗品として使うとか（南米でのスペインのように）。</p><p>左の人が言うのにはベトナム戦争も侵略戦争だとか。</p><p>でも別にアメリカはベトナムを占領しても、特に奪うものもなく、却って赤字になっていたでしょうね。</p><p>論の別れる所です。</p><p>イメージしている「あからさまな侵略戦争」とは少し違うようです。</p><br><p>今の時点から歴史を振り返って、一番新しい「あからさまな侵略戦争」はどこでしょうか。</p><p>私がまず浮かんだのは、第二次世界大戦後、日本に一旦追い出されたオランダがインドネシアに戻ってきて、再植民地化を図った戦争。フランスもインドシナ（ベトナム、ラオス、カンボジア）の再植民地化を目指しました。これが最後の「あからさまな侵略戦争」かな。</p><p>それだと、あれかな「コンゴ紛争」あげないといけないのかな。</p><p>さて歴史を遡ります。次は「米比戦争」。１８９８～１９１０年にアメリカ合衆国が１０年に渡りフィッリンピン人を殺戮し続けました。２０世紀ではそんな所かな。アメリカ繋がりではアメリカ大陸の西漸運動でのインディアンの殺戮も典型的な「あからさまな侵略戦争」ですね。</p><p>義和団事件は欧州列強の侵略に対抗したもので、その後にロシアが清国の満州地域を占領した事は「あからさまな侵略戦争」でしょう。</p><p>日本が中国に対して「「あからさまな侵略戦争」を行ったのかは、私の大きなテーマですのでここでは措いて置きます。</p><br><p>「あからさまな侵略戦争」な行われなくなったのはどうしてでしょうか。</p><p>私は「国際連合」が成立して、かっての植民地国家が１９５０年代から加盟しだした事だと思います。</p><p>アメリカのリベラリズムが大きな背景になったと思います。</p><p>それを言えば、国際連盟時代から人種差別の撤廃を強く訴え続けた大日本帝国の努力も忘れてはいけません。</p><br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/fishdealer/entry-11922963951.html</link>
<pubDate>Wed, 10 Sep 2014 18:21:16 +0900</pubDate>
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