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<title>フラップの読書日記</title>
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<description>月一更新をめざします</description>
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<title>入籠中</title>
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<![CDATA[ <p>だいぶ前、愛のセックス教団騒動がこの近辺であったそうです。</p><p>この写真のところとは直接関係ないようですが。</p><p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/99/83/10054841802.jpg" target="_blank"><img style="CLEAR: both; FLOAT: left" height="240" alt="pic080301" src="https://stat.ameba.jp/user_images/99/83/10054841802.jpg" width="320" border="0"></a><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/flapboy/entry-10082176084.html</link>
<pubDate>Sun, 23 Mar 2008 11:58:47 +0900</pubDate>
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<title>赤線風流抄（舟橋聖一）を読んでみた</title>
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<![CDATA[ <p>あっというまに今年も余すことあとわずかとなってしまいました。<br>なんとか月一更新を死守できました。（笑）</p><p><br>赤線風流抄（舟橋聖一）を読んでみた</p><p><br>赤線地帯というのは子供の行くところではありません。<br>警察の地図に赤線を引いて示していたことから赤線という言い方をしていたそうです。<br>売春が公認されていた地帯だったのですが、１９５６年に売春防止法が公布されたので廃止になりました。</p><p>廃止にするくらいなら、なぜ赤線などというものがあるのか。</p><br><p>とりあえず奈良時代にさかのぼってみます。<br>道路が整備されていない時代ですから、長距離輸送の手段はもっぱら船でした。寄港中、船乗りや旅行者は陸にあがって宿に泊まります。宿には客の世話をする女がいました。サービス内容は家事一般といったところで、飯盛り、洗濯、つくろいもの、夜のお相手などもあったようです。</p><br><p>やがて、夜のお相手を専業にする女もあらわれます。<br>ただし、ターゲットは貴族階級などの金持ちが中心で、貴族には歌や芸ができないと近づくことが難しかったせいか、いわゆる中流以上の娘だったと書いてある本もあります。</p><p>そんなこんなから、遊女はもうかると考えた人がいたのは当然でしょう。<br>やがて遊女をまとめてもうけようとする人が現れたのはこのころからかもしれません。</p><p><br>やがて、源頼朝が鎌倉幕府を起こします。<br>頼朝が富士の巻き狩りとよばれる大演習を行ったさい、兵士の宿舎に自分を買ってくれという女たちが押しかけてきてトラブルが多発したそうです。ほおっておくとまずいと思った頼朝は、「遊女別当」という役を作って女の管理にあたらせます。このころから公認の遊女というものができたようです。</p><p><br>戦国時代が終わりに近づき、戦乱も安定してくると、遊女屋というものが各地にできはじめます。<br>このころ、豊臣秀吉が大阪城に入ります。<br>秀吉の家来で原三郎という人が、点在している遊女屋を１ヶ所にまとめましょうという提案を秀吉にすると、ＯＫがでます。そして、天正１７年に「柳町遊郭」という町ができます。</p><p>これに習って全国各地に遊女屋をまとめた遊郭ができあがっていきます。</p><br><p>徳川家康が江戸に幕府をおいたころ、江戸はまだまだ田舎でした。<br>最初はなんでもかんでも受け入れるという姿勢だったので遊女屋もどんどんできて行ったようです。</p><br><p>ついでにヨーロッパなどものぞいてみましょう。<br>戦争から帰ってきた男達は凶暴になっていたりします。<br>１８０４年帝位についたという、ナポレオンの言葉にこんなのがあります。<br>「売春は必要だ。これがなければ男たちは良家の子女を襲うだろう。」<br>とにもかくにも、男にはこういう習性があるのです。<br>こういう習性があるかぎり風俗の類はもうかるのです。</p><br><br><p>時代は流れ、明治政府ができます。<br>廃娼運動があったものの、まだまだ遊女屋というものはたくさんありました。<br>明治から昭和初期の警察はそういったものがある地域を地図上に赤線を引いて示していたそうです。<br>赤線という言葉はそこからきたのではないかといわれています。</p><br><p><br>とりとめもなく書きましたが、舟橋聖一さんの《赤線風流抄》にはこんなことは書いてありません。<br>そもそも《赤線風流抄》は１９５４年初出となっています。<br>東京の本所生まれの舟橋さんは、仲見世、観音様、六区から先に行くことを禁じられて育ったそうです。<br>（そこから先には吉原がある）<br>女郎買いというものを不潔だと思って育った人が、なぜ赤線を題材にした文章を書いたのか。</p><p><br>花柳界に興味はあったようですが、とっかかりとなったのは仕事です。<br>文芸春秋に依頼されての仕事だったようです。<br>赤線地帯の生態調査などという尺度では量り切れない人間的な興味が、この二回の探訪で津々と私に執りついてしまったのを、否むことは出来ないようであると結んでいますが、やっぱりストレスたまったのでしょうか。（笑）<br></p><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/flapboy/entry-10062273779.html</link>
<pubDate>Wed, 26 Dec 2007 19:11:16 +0900</pubDate>
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<title>鷭狩（泉鏡花）</title>
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<![CDATA[ <p>　ばんがりと読みます。鷭というのはハトくらいの大きさで、頭に赤い色のついた水辺にいる鳥だそうです。</p><br><p>　泉鏡花作だからといって固くなる必要はありません。</p><p>　多少の妄想力が要りますが、読むＡＶだと思えば。</p><p><br>　舞台は片山津温泉です。</p><p>　泉鏡花や松井秀喜の出身地である石川県に柴山潟という大きな池があります。片山津温泉はその柴山潟のほとりに千年ほど前からある温泉です。</p><p>　昔の片山津温泉のＣＭに、<br>「美女があなたのお背中を」<br>とかいうのがあったと記憶しています。</p><p>片山津温泉には美女が居るのです！</p><p><br>　《鷭狩》の登場人物は、美女＋画家志望の雪次郎＋狩好きのお金持ちです。</p><p>　狩好きのお金持ちはきっとメタボです。名古屋で女郎屋を経営しているせいか、女が自分に意見するのは許せないという人らしいのです。</p><br><table cellspacing="0" cellpadding="5"><tbody><tr><td bgcolor="#ffffcf"><p>「あッ。」と、思わず声を立てて、雪次郎はばたばたとあとへ退さがった。<br>　雪のような女が居て、姿見に真蒼な顔が映った。<br>　温泉の宿の真夜中である。</p></td></tr></tbody></table><p><br>　寒い季節です。夜中に起きてトイレに行きたくなることもあります。昔の旅館ですからトイレに行くには１階まで降りないといけません。他に客もいないらしい旅館内をトイレ探してさまよいます。<br>湯のしずくの音がしたのでおそるおそる洗面所をのぞいてみると、雪のような女がいたのです！</p><p><br>　女はお澄という旅館の女中でした。なじみの客（名古屋のメタボおやじ）が急にくるという連絡が入ったので、身支度を整えていたのです。</p><p>　普通ならここでトイレはどこですかとか聞いてそれで終わりです。<br>　しかし、この男（雪次郎）は腰が抜けたといってお澄に部屋まで連れて行ってもらいます。ワンチャンスをのがさなかったわけです。</p><p>　このあと雪次郎は親しくなったお澄から、名古屋の金持ちが鷭狩に来るということをききます。<br>　ここで雪次郎は調子こいて鷭狩の時刻をお澄の力で遅らせられないかと懇願します。</p><p>上野の美術展覧会に入選した作品の題材が鷭だからとか何とかいって。酒に酔ったいきおいで、上野の美術展覧会に入選した将来有望な画家だとアピールしたかったのかもしれません。</p><br><p>　これが取り返しのつかないことになるわけだ。（笑）</p><br><p>　しかし、最終的にはお澄に看病をしてもらうわけです。雪次郎は痛い思いをするのですが、ハッピーエンドといっていいでしょう。</p><br><p>　さて、露骨な表現はいっさいありません。どこが読むＡＶなのか。<br>　読者の妄想力あっての読むＡＶです。<br>　泉鏡花の小説はロマンチック文学といわれています。</p><br>
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<link>https://ameblo.jp/flapboy/entry-10057059712.html</link>
<pubDate>Sun, 25 Nov 2007 10:58:03 +0900</pubDate>
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<title>痴愚女遭痴愚漢（作者不詳）</title>
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<![CDATA[ <p>《漢》というのは男のことです。単なる男です。善漢もいれば悪漢もいます。ち○こがついていれば《漢》なのです。</p><p><br>～～～～～～～～～～～～～～～</p><p>花中垣の妻は子供ができないことを理由に家を飛び出して尼さんになってしまった。</p><br><p>しばらくして花中垣は昇進することになった。<br>そして、秘書の進言もあったので、後妻をとることにした。<br>秘書は崔命児という妓女をつれてきた。崔命児は１６才で、花のように美しい少女だった。</p><br><p>「なんとかわいいやつ、もうたまらないよ。昔の女房などまるで腐った飯だ。毎日いやいや食っていたのだ。このような山海の珍味を口にする幸せがあったとは！」<br>若い妻を得た花中垣は有頂天だった。</p><p>～～～～～～～～～～～～～～～</p><p><br>若い妻を迎えた花中垣。当然のごとくがんばりすぎることになります。<br>そうなるとこの先の展開も読めてくるわけですが、どこが痴愚女＆痴愚漢なのかわかりません。<br>よくある話じゃないの。</p><br><br><p>ちなみに妓女というのは妓院で働いている女のことのようです。一般には妓生といういかたをするようです。<br>日本で言うと芸者とか遊女といったところでしょうか。<br>《妓生》は《キーセン》という読み方をするようです。<br>何年か前、キーセン観光といういわゆる買春ツアーが問題になったことがありますが、そういうところの女かもしれません。<br>しかし、漢詩で有名な杜甫や李白は妓女との会話のなかから詩のヒントを得ていたいう話もあります。<br>知識人の相手をできるスキルを持った女もかなりたくさんいたようです。</p><br><p><br>崔命児のどこが痴愚女なのか。</p><br><p>どうやら人形を子供のようにかわいがっていた点に問題があるようです。</p><p>子供ができるまでのつなぎとして、縁日で買って来た泥人形に名前を付けて乳母までつけてかわいがる。<br>夫の花中垣も崔命児といっしょになってかわいがる。</p><br><p>ある日、乳母が誤って泥人形を落として壊してしまいます。<br>こうなった以上は、早急に本物の子供を作るしかありません。<br>崔命児は泣きわめいて花中垣に迫ります。</p><br><p>なんで早急に必要なのか。<br>いままではのんびりしていたじゃないか。</p><p><br>あらゆる強壮剤をためして花中垣はがんばります。<br>がんばりすぎるとどうなるか。</p><br><p>足腰がたたなくなります。<br>やがて帰らぬ人となってしまいます。</p><br><p>花中垣に生命保険がかかっていたかどうかはわかりません。</p><p>中国の清の時代の話なので、生命保険などあるとは思えませんが。</p><br><p><br>この話を読んだ印象としては、どうも崔命児というのが痴愚女という感じではないんだよなー。<br>それとも、不慮の事故に動揺して取り返しのつかないことをしてしまうのは愚かだといいたいのでしょうか。</p><br><p>もっとも、この話は清の時代に書かれた艶笑話で発禁処分になったものらしいので、教訓話ではないようですが。</p><br><p>こういう漢もいたということで（笑）</p><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/flapboy/entry-10055507229.html</link>
<pubDate>Wed, 14 Nov 2007 23:13:36 +0900</pubDate>
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<title>あひるのドナサン（富士正晴）</title>
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<![CDATA[ <p>「そんなヤツいるわけねーだろ」</p><br><p>私はアクション映画などを見たとき突っ込みたくなる気分になることがあります。</p><br><p>作者の富士正晴さんもそういうことがあったのでしょうか。</p><br><p>ある日、《かもめのジョナサン》という小説をパラパラとめくって読んでいた富士正晴先生。ムラムラっときたのでしょうか。それともムカムカっとしたのでしょうか。</p><br><p>《かもめのジョナサン》ことジョナサン・リビングストン。平凡なカモメではないそうです。リビングストンといえばイギリスの探検家（人間）が有名ですが、かもめのジョナサンはカモメです。</p><br><p>食欲と性欲に生きているはずのカモメ。<br>しかしジョナサンは美しい飛行方法の開発に骨身を削って生きているのです。</p><br><p><br>富士正晴のイメージした《あひるのドナサン》も食欲と性欲に生きているはずです。<br>　<br>しかし、これも違うのです。ドナサンは糞を遠くに飛ばす技術を鍛錬しているのです。</p><br><p>「そんなアヒルいるわけねーだろ」</p><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/flapboy/entry-10055014964.html</link>
<pubDate>Sun, 11 Nov 2007 21:40:43 +0900</pubDate>
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