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<title>三十路の読書感想文</title>
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<description>自分が読んだ本の感想や内容、学んだことなどを主観的に書いていきます。「人」について学びたい。</description>
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<title>ゲシュタルト療法②</title>
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<![CDATA[ <p>さて、順調に読み進められている。</p><p>今回は一つの項目について書くのではなく、読み進めていく中で感じたことを書いてみたい。</p><p>&nbsp;</p><p>ゲシュタルト療法での目標は一言で言うと</p><p><span style="color:#ff0000;"><span style="font-weight:bold;">「自立しなさい」</span></span></p><p>と言っているように感じました。</p><p>&nbsp;</p><p>　ゲシュタルト療法では、患者の「過去の問題」を問題にしないとしています。</p><p>過去の問題自体は扱わず、その時に習得した間違った対処の仕方を問題とします。</p><p>原因を解明する必要はないとしています。原因を解明しても、患者の症状の説明にはならないからです。</p><p>問題は原因ではなく、「今－ここ」現在のやり方であるとしています。</p><p>&nbsp;</p><p>　「なぜ」という問いかけを我々はしてしまいがちです。</p><p>これは物事には因果関係が絶対あるというような考え方や、要素還元主義が現代の主流だからです。しかし、ゲシュタルト療法では「なぜ」という問いかけは全く効果がないとしています。</p><p>それは、「なぜ」という問いかけは都合のよい解答を取り繕ったり、合理化であったり、言い訳であったり、あるいはその1つの原因に責任をなすりつける口実を与えることになるからです。</p><p>&nbsp;</p><p>　もちろん、過去の問題は重要です。軽視してはいけません。過去の続きで今があるからです。本当に辛い経験をされた結果苦しんでる方もたくさんいます。</p><p>&nbsp;</p><p>　目標は、<span style="color:#00afff;"><span style="font-weight:bold;">これからもくる問題や困難に対して対処の仕方を身につけることです。</span></span></p><p>そう、生きている限り問題や困難は次から次へと起こってくるのが当たり前なのです。</p><p>原因・・過去の出来事・・・を解明し都合のよい解釈を得たとしても、解決したのはそれ一つだけです。これからまた次々にくる問題や困難でその人はそのたびに打ちのめされてしまうのです。</p><p>ではどのように解決していくか。</p><p>自分自身で自分自身のその間違った対処の仕方に気づくことです。</p><p>その為には、自分の抑圧したもの（＝素直な欲求）に気づかなければなりません。なにが自分を妨害しているのか。それに気づかなければなりません。</p><p>&nbsp;</p><p>　神経症患者はセルフサポートの能力が欠如しています。つまり、自分を支えることが出来ていないのです。その結果、他人の価値観で生きたり、責任をすべて外界になすりつけたりして自分を守っているのです。自分の力ではなく、外界の力に頼ろうとしているのです。</p><p>自己責任を負うことから逃げているのです。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>さて、まとめてみます。</p><p>●神経症患者は<span style="color:#ff0000;">自分を支える力が欠如</span>しています。セルフサポートが出来ません。</p><p>●そのために外界を操作して<span style="color:#ff0000;">外界の力に頼ります。</span></p><p>●目標は、自分自身を支えられるようになること、つまり<span style="color:#ff0000;"><span style="font-weight:bold;">「自立すること」</span></span>です。</p><p>●過去の原因解明ではなく<span style="color:#ff0000;">今現在の問題や困難への対処の仕方を問題とします</span>。</p><p>●患者は、<span style="color:#ff0000;">自分自身の抑圧されている欲求に自分自身で気づけるように</span>ならなければなりません。自分自身で気づけるようになれば、今後、適切な反応をすることが出来るようになっていきます。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>感想としては、なにか途切れ途切れだったものが埋まっていく感じです。</p><p>自分自身、過去に様々なことがあり問題を抱えていました。</p><p>そして、自分がやっていたことは過去の原因探しでした。ただ、過去の原因探しをしても今は変わらないというふうにも思っていました。しかし、それを止めることは出来ませんでした。</p><p>&nbsp;</p><p>ゲシュタルト療法での、問題は「過去の問題」ではなく、今現在にも引き続いている問題への対処の仕方が問題というところや、原因探しや「なぜ」は効果がないというところが、非常に腑に落ちました。</p><p>これからもどんどん深めて身に染み込ませていきたいです。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/flexible-thinking/entry-12259408528.html</link>
<pubDate>Sat, 25 Mar 2017 00:20:10 +0900</pubDate>
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<title>ゲシュタルト療法</title>
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<![CDATA[ <p>　現在2度目の読書となる「ゲシュタルト療法」。途中ではあるが、現在までのところで、非常に良かったとおもったところを紹介していきたい。</p><p>&nbsp;</p><p>　現代医療は心身二元論が主流となっている。心と身体は別々のものであり、身体は魂が入る物体として扱われている。これはデカルトの人間機械論が先駆けである。病院の診療科は細分化され、その一つの中でもさらに専門医がいる。まさしく病人をみず、病気をみる状態である。</p><p>　かといって、いきなり心と身体は一つであるという心身一元論を唱えても、胡散臭くなるか、なんとなく言葉で理解した気になるだけである。</p><p>&nbsp;</p><p>　そんななか、この本の中に非常に腑に落ちる説明が書いてありました。</p><p>「精神的活動と身体的活動をエネルギーの高低から見る」というものです。</p><p>エネルギーといった時点で胡散臭いものかオカルト的なものと感じるかもしれないがちょっと待ってください。</p><p>あなたはどうやって行動していますか？</p><p>なにを基に動いていますか？</p><p>糖質とか脂質とかそういった物質的なエネルギー源もたしかにあります。ただ、その前にもっともっと基本的なものがあるのを忘れていませんか？</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p>&nbsp;</p><p>そう、それは欲求です。</p><p>人（人に限らず動物）は欲求をもとに動いています。</p><p>食欲、性欲、睡眠欲。さらに所有欲、名誉欲など。</p><p>これらも十分に自然にエネルギーとしてとらえられないでしょうか？</p><p>&nbsp;</p><p>さて本題ですが、人間の行動を活動のエネルギーの高低から身体的活動と精神的活動に分けることができる考え方は心身二元論からきっぱり脱却できます。</p><p>&nbsp;</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20170320/23/flexible-thinking/44/92/j/o0628026313894799811.jpg"><img alt="" height="176" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20170320/23/flexible-thinking/44/92/j/o0628026313894799811.jpg" width="420"></a></p><p>上記の図はいかがでしょうか。</p><p>つまり、精神的活動と身体的活動は別々のものではなく、つながっていて、精神的活動は低いエネルギーレベル。身体的活動は高いエネルギーレベルということなのです。</p><p>これによって人間を一つの全体的な存在としてみることを可能にしているのです。</p><p>すなわち、人間の行動は<span style="font-weight:bold;"><span style="color:#ff0000;">身体的な活動という顕在的なレベル</span></span>と<span style="font-weight:bold;"><span style="color:#cc0064;">精神的な活動という潜在的なレベル</span></span>のいずれかに現れるのです。考えることと行為は源が同じなのです。</p><p>&nbsp;</p><p>たとえば、最初は口喧嘩だったのにどんどん熱くなっていって最後は殴り合い<img alt="グー" draggable="false" height="16" src="//stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/104.gif" width="16">なんてのは典型的ではないでしょうか？殴り合いに発展しなくても心拍数や血圧は上がります。</p><p>また、ついカーっとなって刺してしまったとか、ムラムラして抑えることができなくて女の子を襲ってしまったとか、大人しかったはずの子が急に暴れたなど、これらの事件はよくニュースなどでみます。おそらくこの人たちはその時、急になったのではなく日頃から溜まっていたものがあったのでしょう。ずっと抑圧してきたものだから、それが顕在化した時には爆発的な行動になってしまった。</p><p>神経症と犯罪者の違いについてはまた別の機会に書いてみたいと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>顕在化した行為はその人の内面とつながっているのです。</p><p>その人の行動は果たして何を意味するのか？</p><p>表情や行動、言動に現れたものをどれだけ観察し、感じ取ることができるか。</p><p>そして、それをどう解釈するのか。</p><p>&nbsp;</p><p>またこのパートについて考えを深めていきたいと思います。</p>
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<link>https://ameblo.jp/flexible-thinking/entry-12258242678.html</link>
<pubDate>Tue, 21 Mar 2017 00:17:22 +0900</pubDate>
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