<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?>
<rss version="2.0" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom">
<channel>
<title>メリーゴーランド</title>
<link>https://ameblo.jp/fmd/</link>
<atom:link href="https://rssblog.ameba.jp/fmd/rss20.xml" rel="self" type="application/rss+xml" />
<atom:link rel="hub" href="http://pubsubhubbub.appspot.com" />
<description>自分の頭の中を日々駆け巡る様々な事象をありのまま綴る。</description>
<language>ja</language>
<item>
<title>青白いモノの在処</title>
<description>
<![CDATA[ 今日は夏休み前の仕事最終日。<br><br>と思いきや、明後日出勤することになる。<br><br>膨大にある見積書を７人全員でチェックするという、とても重要な作業をすることになる。<br><br>半笑い、半泣き。<br><br>仕事のことはこの辺で終わりにして、最近のことをメリーゴーランドする。<br><br>（そういえば、最近ブログをさぼってしまって、少し反省しています。）<br><br>先週の土曜日、ポスターの案を片手に、新宿で結婚式２次会の幹事会。<br><br>５案ほど持っていったポスター案を皆にみせ、１つに絞られる。<br><br>どれも多少なりとも思いはあったので、１つに絞られるのは少し悲しい。<br><br>しかし、決定された案は皆に共感してもらえたようで、なによりだ。<br><br>最近、キリンのビールだかなんかのCMで松本幸四郎・市川染五郎親子が共演しているものがある。<br><br>その時に松本幸四郎が<br><br>「夢は人の心意気」<br><br>というようなフレーズを言っていた気がする。<br><br>このフレーズが私はたまらなく、心を打たれる。<br><br>気構えであり、こころねである。<br><br>昔から職人であった両親の祖父を見てきたから、私は体験として様々な心意気を見てきている。<br><br>その体験を通して言えることは心意気は『こころ域』であり、『こころ息』である。<br><br>ココロイキを感じるような作品をいつか作りたいと心からそう思う。<br><br><br><br>話はそれてしまったが、これは私が書く文章だから仕方のないこと。<br><br>あんまり気にせずにブツ切りで次の話に移りたいと思う。<br><br><br><br><br>一昨日近くのコンビニに夜中歩いて向かっている途中に１匹の蝉に出会う。<br><br>蝉はアスファルトの上に身を横たわらせていた。<br><br>街灯に照らされたその身を震わせ、生命を賭して声を響かせる。<br><br>いつもの街灯と道路の上に蝉がいるだけで、その場はいつもと違っていた。<br><br>コンサートでスポットライトを浴びながら歌を奏でる歌手よりも遥かに幻想的に感じられた。<br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/fmd/entry-10125194838.html</link>
<pubDate>Fri, 08 Aug 2008 23:49:50 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>グレーは繊細な凶器である。</title>
<description>
<![CDATA[ 今日は仕事が終わってから結婚式の２次会のフライヤーを作成する。<br><br>９月に以前バイトでお世話になっていた人の結婚式に参加することになった。<br><br>参加するだけならノンキだったのだが、２次会の幹事になってしまったのだった。<br>おかげさまで、休日返上で打合せ。<br><br>今週末も新宿で色々と話合わなくてはならない。<br><br>そして、議事録等色々と面倒なことが多い。<br><br>でも、バイトで本当にお世話になった人だからできるだけ、いい２次会にできればと思う。<br><br>フライヤーはある程度アイディアが出てきた段階。<br><br>なんとなくではあるが、参加する人たちが捨てずに飾っておけるものになればと思う。<br><br><br><br>結婚式の話はこれぐらいにしといて、今日をメリーゴーランドしてみる。<br><br>今日も特にこれといってあげられるものはないのだが、仕事中にふと思ったことを書く。<br><br>なんの話題のときに出たのか覚えていないのだが、誰かが『グレーゾーン』という言葉を口にした。<br><br>グレーゾーンって、つまりどっちつかずであったり、際どい状態にあるときのことを示すのだが、<br>このグレーという色の認識は日本と海外では違うようだ。<br><br>日本で代表的なグレーといえば、千利休のリキュウネズミである。<br>リキュウネズミとは、千利休が日本の侘び寂びを表現する為に、ねずみ色に青を混ぜたり、赤を混ぜたりすることで微妙な違いを表現する為に使った方法である。<br><br>海外では、あるドイツの写真家がグレーは無に限りなく近いものだと言っていた。<br>確か、人間の視覚という機能はとても曖昧なもの。<br>それはグレーに近い。<br><br>というようなことを言っていた気がする。<br><br><br>グレーという色自体が曖昧であるという認識は日本と海外で変わらないが、日本におけるねずみ色はとても多様であるのとは対照的に、海外では限りなくゼロに近いものだと考えられているようだ。<br><br>日本の文化の中にはこのような、曖昧なモノの中にある多様性、奥行きという概念がある。<br><br>最近、私が目指している職業でも、今活躍している若い人たちはこの概念を基礎とした作品を多く作っている。<br><br>でも私はその動きにとても恐怖を感じる。<br><br>曖昧なモノは多様ではあるが、とても繊細で脆い。<br><br>そして、それは破壊する行為になってしまう可能性がある。<br><br><br>曖昧になればなるほど、その職業の必要性は薄れていくのではないか。<br><br>また、空間というもの自体そもそも曖昧ものなのに、それをさらに曖昧にしたところでどうなると思っているのだろう。<br><br>そんなことしたら行き着く先は無の境地なのではないのだろうか。<br>そんな哲学的な話に興味はないし、私にはその行為が良く理解できない。<br><br><br>こんなことを仕事中にふと考えていた一日だった。<br><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/fmd/entry-10122200002.html</link>
<pubDate>Thu, 31 Jul 2008 22:57:31 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>本当のアリスはどちらなのか。</title>
<description>
<![CDATA[ 今日はブログでなにを書こうかと考えながら、外に出て一服。<br><br>星を見ながら、今日一日のできごとをメリーゴーランドしてみる。<br><br>今日は結構なんでもない日だったなぁと振り返る。<br>昔、不思議の国のアリスをビデオで見たときのことをふと思い出す。<br><br>確か、なんでもない日も特別なのだから祝おう。というシーンがあった。<br><br>なんでもない日ってなんだろうか。<br><br>自分で今日はなんでもない日だったと書きながら、疑問に思う。<br><br>そんな中、日常という言葉が、開園前の静けさの中で観覧車がゆっくりと動き始めるようにじわじわと上昇する。<br><br>嵐のような毎日を生きている人にとっては、他人から見たら異常であってもその人にとってはなんでもないのだろう。<br><br>なぜ？<br><br><br>日常だから。<br><br>なんにもせずに毎日寝てばかりいる人も、寝ていることはなんでもないことなんだろう。<br><br>なぜ？<br><br>もちろん、日常だから。<br><br><br>日常的な世界ってたぶん本人だけしか感じることのできないものなんだろうな。<br><br>感動的だったり、日本的だったりなんでもいいのだが、そこらの○○的とちょっと違う感覚。<br><br><br>そこらの○○的は、少数であったとしても共感できる人が少なからずいる。<br><br>でも、日常的って本当に不思議な感覚。<br><br>先ほどのアリスのなんでもない日を祝う人にとってはとても日常的だけれど、アリスにとっては非日常的な体験になる。<br><br>しかし物語を進めていくうちにいつのまにかアリスもその世界の住人であるかのような振舞いを見せ始める。<br><br><br>不思議の国のアリスという物語を作った作家が意図しているか分からないが、あの物語は抽象としての日常的と具象としての日常的が往来することで、これら日常的が持つ反転性のようなものを描いているのではないかと私は感じた。<br><br>その瞬間、今日は私にとってなんでもない日ではなくなっていた。<br><br><br><br><br><br><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/fmd/entry-10121200803.html</link>
<pubDate>Tue, 29 Jul 2008 00:42:48 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>もっと繊細になるべきじゃないのか。</title>
<description>
<![CDATA[ 今日はルーキーズ最終回。<br><br>なかなかいいドラマではあったが、スラムダンクは超えることができなかったかとちょっと残念な気分になる。<br><br>結局、終わり方はスラムダンク同様、ライバル校に全力で戦って勝ったものの、全力を出し切ったナインは次の試合でコールド負けであっけなく終わる。<br><br>確かに高校生の部活というものはそういうもののような気がする。<br><br>私の高校時代もそうだった。<br><br>ベスト１６までいったのに、格下相手に１点差で負けた。<br><br>悔いを残して青春時代を終える。<br><br>そんなものなのだろう。<br><br>青春とは人生の中で一度しかなく、儚くほろ苦く心の中に刻まれていくものの総称なんだろう。<br><br>だからこそ今でも強く心に残る。<br><br>あの時、もっと力を出せていればと。<br><br>そうやって人は青春を糧にして、その後の人生を歩んでいくのだろう。<br><br>逆に言ってしまうと、青春という苦い経験を味わった結果、青春時代のような力を出せないのではないだろうか。<br><br>人間は歳をとるごとに臆病なり、勇気を持てなくなる。<br><br>だから私は思う。<br><br>青春時代は特別な日々だったと。<br><br>そして、もう取り戻せない青春時代を超えたいと。<br><br>もっとアヴァンギャルドな人生を送りたいと願う。<br><br>自分をオーバドライヴしたその世界にいきたい。<br><br>話は変わるが私は、今日のある新聞の一面に強い憤りを感じている。<br><br>その新聞の内容は最近起こった地震の内容だった。<br><br>地震の被害を伝える一枚の写真。<br><br>そこに写し出された光景は地震の凄まじさを物語る本屋の無惨な姿だった。<br><br>私は東北地方に親戚はいないが、少なからず心苦しくなる。<br><br>そして、自然の力に恐怖を覚える。<br><br>新聞はそうやって人の心をつなぐものである。<br><br>が、しかしその写真をよく見るとルーキーズの漫画がわざとらしく一番上にのり、堂々とこちら側を向いている。<br><br>人為的にやったとしか思えないその風景に強く憤りを感じる。<br><br>私が思った被災者への思いの行方はどこにいってしまったか、そんなくだらない価値によって失われていってしまった。<br><br>ネットで生きている私たちの時代だからこそ、言葉やそれを伝える為の写真にはもっと責任を感じてほしい。<br><br>電波でしかつながることのできない場所だからこそもっと紳士に、誠実であってほしいと思う。<br><br>儚いものだからこそ、繊細だからこそ、本気で伝えないといけないのだと思う。<br><br>将来伝えるという仕事に就く自分にはとても悔しく、悲しい出来事だった。
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/fmd/entry-10120450338.html</link>
<pubDate>Sat, 26 Jul 2008 23:14:42 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>２頭身ロボットから得られる教訓。</title>
<description>
<![CDATA[ 今日は会社で３Dの仕事をする。<br><br>プロジェクト室にいて唯一私が活躍できる場。<br><br>それは当然なのだが。<br>なぜなら、プロジェクトメンバーの中で唯一、私だけがそのソフトが使えるから。<br><br>３Dの仕事は３割はパソコンが処理しているのを待つ。<br><br>残りの７割はひたすら格闘。<br><br>３Dをやると細かいところのおさまりがよく見えてとても勉強になっている。<br><br>仕事の話はこの辺にしておいて、今日は映画の話。<br><br>今年の夏に映画。<br><br>崖の上のポニョ<br><br>内容は全く知らないが、宮崎アニメはほぼ全部見ているのでみたいと思う。<br><br>新世紀エヴァンゲリヲン劇場版第２弾<br><br>これはエヴァファンとしては見ないわけにはいかない。<br><br>それほどオタクではないが、あのアニメは面白い。<br><br>一番感動することは、要塞都市。<br><br>あんな都市ができたら、今までの感覚なんてなくなってしまう。<br><br>ゴンドラレールいらず、ヘリポートいらずの建築。<br><br>いや、それよりも建築基準法なんてなくなってしまうだろうなあ。<br><br><br>エレベーターの技術の応用で作れないのもだろうか。<br><br><br>話を戻して映画のはなし。<br><br>最近の映画（私が見ている映画だけかもしれないが）はハッピーエンドがなさ過ぎる。<br><br>結末が予期できてしまったとしても、私はハッピーエンドを好む。<br><br>だって人が死ぬのとか見ても面白くないではないか。<br><br>ダメな映画ほど、人を殺して盛り上げようとするとはよく言ったものだ。<br><br>ド直球のハッピーエンドで人を感動させれるような映画をみたい。<br><br>例えばドラえもんのように。<br><br>（アニメオタクではないが今日はアニメにこだわることにする）<br><br>ドラえもんのような子供向けのアニメは主人公が死んでしまっては成立しない。<br>ハッピーエンドの呪縛に襲われながら、前作よりいいものをつくろうとすることはとても大変なことだと思う。<br><br>でも、ドラえもんに私は感動する。<br><br>予期できたとしても（むしろ予期できるからか）その結果は誰もが望んでいる、そうあって欲しい結果だから感動できるのだろう。<br><br><br>なにを言っているのかわからなくなってきたが、まあ良いとする。<br><br>つまるところ、私が言いたいことは当たり前のように人を感動させることはとても難しいということ。<br><br>人を感動させるには、相当な歳月を費やす必要があることと、熱い気持ちと高い志。<br><br>そして、自分を信じる勇気である。<br><br>ドラえもんはそんな当たり前でありながら、絶対になくてはならないことを私に伝え、強い気持ちを蘇らせてくれる。<br><br><br><br><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/fmd/entry-10120084811.html</link>
<pubDate>Fri, 25 Jul 2008 22:25:09 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>努力は時に、嵐よりも激しく人の心を揺さぶる。</title>
<description>
<![CDATA[ 今日は仕事でプレゼの準備とリハーサル、そして午後４時に本番。<br>滞りなく進んだようで一安心。<br><br>一息つくつもりが、予想外に疲労が溜っていて、懇親会はパスして午後９時頃帰社。<br><br>家に帰って一通りの生活を済ませ、プライベートでの仕事をする。<br><br>少しカタがついたところで、ミネラルウォーターを片手にブログを更新中。<br><br>最近、また肩こりがひどくなってきている。<br><br>そろそろ整体にでも行くべきか。<br><br>そんなことを考えながら今日一日を振り返って頭の中をメリーゴーランドする。<br><br><br><br><br>メリーゴーランド中・・・・・。<br><br><br><br><br><br>今日は実家に帰省して５日目。<br><br>東京に置いてきた（追い出されたという方が正しいのだが、理由は後ほどわかる。）彼女のことをよく考えてた一日だった。<br><br>それもそのはず、私も人のことは言えたものではないが、彼女はひとつのことに集中すると止まらない性格。<br><br>彼女は今、ある夢を掴む為に、勉強をしている。<br><br>その資格の試験日まで、あと４日である。<br><br>その勉強に集中する為に私は追い出されたのである。<br><br>話がそれてしまったが、彼女のことを考えるのは先ほど述べたように、一心不乱なその性格にある。<br><br>今週みたいな暑い日が続くと、東京で干涸びているのではないかと心配してしまう。<br><br>仕事も忙しいようだ。<br><br>まあでも、私の不安をよそに意外と自由気ままに生活しているのかもしれないなあ。<br><br>明日は給料日。<br><br>頑張った彼女になにかプレゼントをあげよう。<br><br>受かる・受からないは別として、努力することは重要なことだと思う。<br><br>結果はそのおまけのようなもの。<br><br>やっぱり努力している人は本当に素敵だと思う。<br>例え、些細なことでも。<br><br>僕は君の努力をわかっているし、感動しているよ。<br><br>そう。<br><br>僕も頑張らなくては。<br><br>日々精進、日々精進。<br><br>自分にそう言い聞かせて、今日は就寝することにする。<br><br><br><br><br><br><br><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/fmd/entry-10119419403.html</link>
<pubDate>Wed, 23 Jul 2008 23:57:21 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>人が好きです。</title>
<description>
<![CDATA[ お風呂あがりにシャバダバを飲みながら一服。<br><br>今日１日の中で一番ゆっくりできる時間。。。<br><br>ゆったりした時間を過ごす。<br><br>も、束の間。<br><br>妹に電話で呼び出され、駅まで迎えに。<br><br>久々に実家に帰ってゆっくり過ごせると思っていたのに、そんな儚い思惑は脆くも崩れ去り、現実に戻る。<br><br>でも、妹には久々に会うので少しばかり顔がにやけてしまう。<br><br>勘違いされては困るので先に言っておくが、私はシスコンではない。<br><br>なんというか、つまりは旧友に会うような感覚に近いのだと思う。<br><br>説明はつかないが、にやけてしまうのだ。<br><br>ちなみに私の妹は私とは性格が全く違う。<br><br>どっちかというと私は人に対してあまり心を開かないし、テンションの上り下がりがあまりない、扁平足人間である。<br><br>妹は対照的に浮き沈みが激しい人間である。<br><br><br><br>こんなに近い人間ですらこんなに大きな違いがある。<br><br><br><br>やっぱり人と話たりする、出会ったりするのはとても素晴らしい。<br><br>本当に人が大好きです。<br><br>だからやっぱり私が目指している仕事は、私にとって天職だと感じた。<br><br><br>もう迷わず、突き進む決心が今日やっとついた気がする。<br><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/fmd/entry-10119082715.html</link>
<pubDate>Tue, 22 Jul 2008 23:13:00 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>江ノ島</title>
<description>
<![CDATA[ 昔は暇さえあれば江ノ島に自転車でよくいった。<br>今日は最近知り合ったある人と１年半ぶりに江ノ島に行ってきた。<br>その人は某フラワーアーティストのもとでスタッフとして働いている。<br><br>毎回ひとりで行っていた江ノ島に知り合ったばかりの人と行くのは少し不思議な感覚だった。<br><br>なにか自分の一部を見せるような羞恥心にも似た感覚があった。<br><br>ちょうど、子供が自分の大切なモノを見せるような、複雑な心境であった。<br><br>結果、私の勘違いなのかもしれないが、自分だけ満足していたような気がする。<br><br>少なからず、江ノ島に対する温度差はあったと思う。<br><br>やはり、自分の好きな場所やモノを共感してもらうのはなかなか難しいようだ。<br><br>それと私の説明や紹介、つまり伝えること能力のなさを少しばかり露呈してしまったようにも思う。<br><br>私が目指す職業は、伝えるという行為がとても重要である。<br><br>いや、すべてと言っても過言ではない。<br><br>もう少し頑張ろう、自分。<br><br><br>反省はこのぐらいにして、今日の江ノ島での発見、気づきを綴る。<br><br><br>江ノ島はエスカレーターで登っては行けないということ。<br><br>エスカレーターの方が疲労もなく、頂上まで行けるという快適さはあるが<br><br>その分、達成感がなくなってしまう。<br><br>石段をひとつひとつ踏みしめながら、通り過ぎていく緑を見ることでゆっくりと心が浄化され、高揚していく。<br><br>その過程が江ノ島散策の醍醐味であるし、江ノ島を本当の意味で体感する第１歩のように感じる。<br><br><br>今度は私の中で一番大切な人と行きたいと思う。<br><br>君なら共感してくれる気がするし、もっと上手に伝えることができる気がする。<br><br><br><br><br><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/fmd/entry-10118733470.html</link>
<pubDate>Mon, 21 Jul 2008 23:46:06 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>自分にとって文章を書くということの意味</title>
<description>
<![CDATA[ 私は文章を書くということにおいて並外れた才能を持ち合わせているわけではないし、それほど上手に書けるわけでもない。<br><br>というより、完成された文章を書くことはとても不得意で、起承転結のある立派な文章など書けない。<br>ロマンティックな詩を書けるわけでもない。<br><br><br>では、なぜ文章を書くのか。<br><br>ひとつは、私にとって文章を書くという行為は自分の疑問に感じていることを文章化することで納得いくまで自分と語り合うことであり、２人の自分と対峙する行為なのである。<br><br>だから、支離滅裂な文章をとことん書き殴り、挙げ句の果てには結果がわからずに投げ捨ててしまうことも日常的なことである。<br><br>完成された文章なんて小説家が書けば良いことだし、結果を想定しながら書く文章は私にとっては書くに値しない。<br><br>そう、頭で理解していることをわざわざ文章にする必要は私にはない。<br><br>もうひとつの理由は、一般人である自分も臍のゴマ程度ではあるが、生きている以上、なんらかの軌跡を残している。<br><br>どんなに些細なことでも、その軌跡をその時の新鮮な状態で記録として残したいと思っているからである。<br><br>それは、他人には無意味だと思えることであっても、自分なりにそのときに考えたことを大切にしたいという気持ちの表れでもあるし、いろんな人との出会いを大切にしていきたいということ。<br><br>これは私の持論であるが、人生において人と出会うことや、自分が考えることに大きいも小さいもないと思う。<br><br>だからどんなに繊細なことでも大切にしたい。<br><br>いや、むしろ繊細であるからこそ大切にしたいと思う。<br><br><br><br><br><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/fmd/entry-10118387710.html</link>
<pubDate>Mon, 21 Jul 2008 00:14:36 +0900</pubDate>
</item>
</channel>
</rss>
