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<title>色即是空</title>
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<description>色即是空 Amever.</description>
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<title>Daydream Believer　【3/15 後編】</title>
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<![CDATA[ 大宮に着くと、お義母さんが新幹線の改札口で待っていてくれた。<br><br>そこから実家までの電車中、記憶がない。<br>乗り換えた記憶も薄い。<br>着いたとき、お義父さんも早退して家に居てくれたんだった。<br><br>その日辺りから東京でも米不足？な話になっていたような。<br>おばあちゃんがお米屋さんに注文していた。<br><br>会社や先輩に連絡したのはその日だったか、<br>それとも次の日だったか。<br><br>一服は外でするのだが、タバコを持つ手が震えていた気がする。<br><br>落ち着かなかった。<br>嫁子供を連れてこれて良かった、これで一安心です。<br>約束を果たせました！<br>そう胸を張れると思っていた。<br><br>だのになんだったんだろう、<br>あの落ち着かない気持ちのザワつき。<br><br>水が出ない家で<br>食糧確保もままならず、<br>家はどうなるんだろう、<br>会社は存続するのだろうか、<br>これから先どうなっていくんだろう、<br>ずっと心に抱えていた思いと、<br><br>今自分が目にしている、<br>目の前を走り過ぎる子供たち、<br>犬を散歩する老人、<br>通常運転の電車、<br>あまりにも平和な街並み、<br>そこに立っている自分。<br><br>あまりにもギャップがありすぎて、<br>頭では処理しきれなかった。<br>気持ちもついていかなかった。<br><br>現実はどっちだ。<br>さっきまでいたあの場所は幻か。<br>俺は、何をしているんだ。<br><br><br>よくタイムスリップしてしまった人がギャップに戸惑うというドラマがある。<br>浦島太郎。<br>戦国自衛隊。<br>（そんなものしか思いつかない）<br><br><br><br>後で気が付いたんだ。<br>それが「罪悪感」だということに。<br>
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<pubDate>Wed, 06 Apr 2011 16:12:45 +0900</pubDate>
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<title>見えない自由が欲しくて　【3/15 前編】</title>
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<![CDATA[ ３月１５日（火）<br><br>前日に調べた結果だと、<br>下の道(４号線)で南下し、那須塩原駅まで向うには通常1.5ｈ。<br>渋滞等を見越して一時間の余裕を持ち、<br>最初の那須塩原出発のが午後一だとの情報を得たので、<br>チケットを買う時間を考え、１２時３０分に着くように計算。<br>なんだかんだで９時４５分に家を出発。<br><br>郡山、須賀川バイパスまですんなり行く。<br>須賀川の４号線左右の建物の損壊が酷い。<br>総崩れの工場もあった。<br>だが、それは序の口だった。<br>鏡石、矢吹と進み、道路が片側一車線になったあたりが一番酷かった。<br><br>白河に入ると、ポツポツとラーメン屋さんが開いている！<br>コンビニも数件やっているところがある！<br>トイレをかり、嫁ちゃんが暖かい缶コーヒーを買ってくれた。<br>子は大人しくしていてくれた。<br>前出の通り、何かただ事ではないことを感じ取ってくれていたと思う。<br>本当にありがたいと同時に申し訳ない。<br><br>ガソリン節約のために、少しアクセルを踏み込んで、<br>ある程度スピードに乗ったらニュートラルで流す、という運転。<br>結構功を奏して、平均燃費が29キロ！<br>我ながら大したもんだろ思うがあれは信用してもいいのだろうか。<br><br>那須塩原付近まで来ると、<br>ガストもコンビニも焼肉屋のランチも通常営業。<br>なんだこれーと軽いカルチャーショック。<br>もう一度おトイレを借り、いよいよ駅へ。<br>去年お義母さん達と那須旅行しておいてよかった、<br>その時に停めたコインパーキングへ無事到着したのが１２時１５分。<br><br>ここに来て大問題。<br>嫁が持って行くべき荷物が多すぎて<br>一人では持てなそう。<br>加えて不安になった嫁が少しパニックに。<br><br>色々考えた挙句、とりあえず俺も一緒に行くことに。<br>問題は車だ。<br><br>※<br>この問題は全国ニュースでも大きく取り上げられたので<br>ご存知の方も多いと思う。<br>『<a href="http://blog.goo.ne.jp/sprcon_west/e/34d6a22d3c4094624425ca9bb1533754" target="_blank">那須塩原駅に車を乗り捨て　が社会問題に</a>』<br><br><br>とりあえず、コインパーキングの管理会社に連絡。<br>俺「翌日出庫予定ではあるが、数日になっても問題はないか？」<br>管「完全な時間単価積み上げなので、その分もらうようになります」<br>とのこと。<br>その他、計画停電区域なので出口を開けっ放しにしないといけないので<br>カウントできないから参っちゃうよ～と愚痴。<br>加えて、責任は取れないからね？とのこと。<br><br>後先を考えずに来るところまで来てしまったし<br>路上駐車ではない！コインパーキングに停めた！<br>ちゃんと一言ことわった！などと言っても、<br>結局は同じこと。<br>俺が停めたところに停められなかったからその人は路上に乗り捨てたんだ。<br>結局は、同じことをしたんだ。<br>申し訳ないです。<br>那須塩原駅周辺の方々、それから不都合があった方々、本当にごめんなさい。<br>本当にごめんなさい。<br>ご迷惑をおかけしました。<br><br><br>そして、行くと決まったところでまた問題。<br>俺、何の荷物も持ってきていない！<br>帰り道でガソリンなくなったときに漫画喫茶とかに寄れればと思って<br>ノートPCやダウンジャケットは持っていたが、他は何も。<br>ただ、無駄にデカいリュックがあったので、それに<br>車の中のあれやこれやを詰めて、いざチケット売り場へ。<br><br>列も、俺の前に８人くらい。<br>サラリーマンと、子供連れ多し。<br>無事チケットも買え、特に混むこともなく搭乗口３番目に並び、<br>１３時５０分（２便目）の新幹線に乗れた。<br><br>待っている最中、雨がポツポツと降り出していたようだ。<br>発射後すぐ、横殴りの雨がガラスを叩いた。<br>この日は１５日、大きな爆発があった日。<br>詳しくはわからないが、浴びずに済んでよかった雨なのかもしれない。<br><br>新幹線が走りだした後、持ってきたおにぎりをみんなで食べた。<br>ジュースも飲んだ。<br>味はわからなかった。<br>とにかく、飲み込むのが大変だったように記憶している。<br><br>チビ助は初の新幹線だったが、大人しく楽しそうに乗っていた。<br>暖かさ重視の服装が、いなかっぺ顔をさらに引き立たせていた。<br><br>こうして俺たちは福島県を後にした。
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<link>https://ameblo.jp/footherock/entry-10853283172.html</link>
<pubDate>Wed, 06 Apr 2011 15:34:45 +0900</pubDate>
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<title>The White Stripes</title>
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<![CDATA[ 今思った。<br><br>俺、ホワイトデーのお返しできてないわぁ。<br>ごめんねお母ちゃん。<br>今度行ったときに３１のアイスおごってあげよう。<br><br>このときに福島県から出るには、３つのパターンしかなかった。<br><br>①飛行機　　⇒　情報が少なく、TELも繋がらず、すこし不安、でも一番早い<br><br>②高速バス　⇒　高速道路が復旧していないので、４号線なので長い、<br>　　　　　　　　一番オススメできない<br><br>③俺の車　　⇒　前出の通りガソリンが全国的に無かった。<br>　　　　　　　　行くとすれば新潟経由で南下か？と前日まで迷う<br><br>そこに現れたのが④新幹線。<br>郡山から那須塩原まで自家用車、那須塩原から大宮まで新幹線、<br>それからJR私鉄を乗り継いで嫁実家へ、の予定を立てた。<br>子供は初新幹線、嫁も初子供と２人での新幹線ということで<br>すごく心配ではあったが、<br>ここは何とかしてもらうしかあるまいと。<br>そう思っていた。<br><br>チケット取るとか、手順とか、高速バスの状況とか、<br>嫁妹にも大変お世話になった。<br><br><br>本当に皆さんどうもありがとう。<br><br><br>今度行ったときに３１…
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<pubDate>Wed, 06 Apr 2011 14:53:42 +0900</pubDate>
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<title>Tomorrow Never Knows 【3/14 後編】</title>
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<![CDATA[ <br>「嫁と子だけでも東京に逃がしたい」<br><br><br>元々東京から嫁いできた嫁と、生まれる場所を選べない息子。<br>ここで生まれて生きてきた俺がどうなろうと構わない。<br>とにかく、この２人だけでも助けたい。<br><br>（この「助けたい」「逃がしたい」という言葉が当てはまるのかどうか。<br>今日現在、今の状態ではわからないけど。<br>考えすぎ、とりこし苦労で終わることを心の底から願いたいが。）<br><br>ずっとそう思っていた。<br>実際不安なのを隠していた。<br>外に出ることが少なく、郡山の壊滅的状況を知らない嫁には<br><br>う～ん心配するほどでもないんじゃないのぉ～？<br>なんとかなるでしょうよ<br>でも一応俺も復旧とかで忙しくなるかもしれないからさ<br>とりあえず東京に送ってあげられれば心配も減るし<br>その方がいいんじゃないのぉ？<br><br>的な感じで接して。<br><br>ただ、子供には普通じゃないこと、俺の心のうちはすべて見透かされていたと思う。<br>一晩で下がりはしたが知恵熱が出て、常に誰かにべったりで、<br>わがままばかり言っていた。<br>小さい体で、なんとなく異変に気付いていたんだと思う。<br>俺の顔を覗き込んでは機嫌を取るようにいつも以上に俺と遊んでくれた。<br>子がまっすぐ瞳を向けてくれるのだが、<br>申し訳なくて、情けなくて、かわいそうで、愛おしくて、辛くて目をそらしてしまった。<br><br>その時にはたと気付いた。<br>俺はこの子の事をちゃんと見ていない。<br>ちゃんと向き合っていない。<br>どうしようどうしようとオロオロし、気遣う素振りは見せても、<br>俺の意識は心はここにない。<br>それは、嫁にも同じだ。<br>何が安心か。<br>何が守るだ助けるだ。<br>一番大切なものは何か、ということだけじゃないか考えるのは。<br>あとはどうなったってかまわない。<br><br>それは、3/13(日)の夜。<br><br><br>そして、3/14(月)会社にて。<br><br>まず、お義父さんに電話。<br>勤務中で出ずのため、お義母さんに連絡。<br>２人だけでも逃がしたい、預かってほしい旨伝え、あちらも同じ気持との事で<br>これから随時連絡を取り合おうと約束。<br><br>その後、お義父さんから俺の携帯へ折り返しの着信。<br>先程お義母さんに伝えた話を、もう一度。<br>お義父さんも快く了承してくれた。<br><br>一通りの連絡と状況報告が終わった後、<br>ずっと抱えていた気持ちを吐露。<br>せっかく郡山くんだりまで嫁いできてもらったのにと。<br>それを祝福して送り出してもらったのにと。<br>こんなことになってしまって本当にすみませんと。<br>必ず責任を持って送り届けますから、と約束。<br>労いの言葉をもらった。<br>覚悟が決まった。<br>が、目がグシュグシュで花粉のせいにしていた、それからずっと。<br><br>午後、電話番と客先確認の合間に、インターネットで復旧情報を確認する。<br><br><br>『3/15、東京・那須塩原間で東北新幹線 臨時ダイヤにて復旧』<br><br><br>でた。<br>これしかない！と思った。<br><br>この時点ではまだ福島から脱出云々という話はなかったと思う。あまり。<br>この時点で、この先どうなるかわからないけど<br>とりあえず混む前に送ってあげなければ、と思った。<br>会社には休暇申請を出した。<br><br>その夜、家の老人たちに郡山市や福島県の現状とこれからどうなるかの俺なりの考えを説明、<br>嫁子の今後についての説明をし、<br>嫁が荷造りをする間、子供と一緒に寝た。<br><br><br>翌日は郡山～那須塩原間を往復する。<br>ガソリンを求めて数キロの渋滞が起きるようになった頃。<br>俺の車の燃料計は半分より少し上を差している。<br>那須塩原への片道は約85キロ。<br>往復で170キロ。<br>往復はどうかわからないが、二人を送るだけならできる。<br>帰りのことは、帰りに考えよう。<br><br>夜中にGoogleMapとにらめっこしながらそう思っていた。
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<pubDate>Wed, 06 Apr 2011 14:34:22 +0900</pubDate>
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<title>いつでも本音の少し手前　【3/14 前編】</title>
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<![CDATA[ 地震後、初の正式な出社日。<br><br>一応スーツを着て行ったんだ。<br>とりあえずいつもの通りで、ということだったと思う。<br>仕事は何をしただろう、覚えていない。<br>喫煙所は、いつもの外階段から中の喫煙室に変更となった。<br><br>とりあえず昨日話せなかった人や会えていなかった人と情報交換をし、<br>現状を把握、ただしこの時点でも全体像は把握できていなかったと思う。<br><br>この日はまだ開いているお店もなく、<br>外出しての食事なんかもってのほかで、<br>この日時点で電気・ガス・水道が止まっている家も多く、<br>というより三拍子そろっている家の方が皆無に近かったため、<br>皆さん持ち寄りのおにぎりや水、漬物などでやり過ごした。<br>俺は家から持って行ったおにぎりと、インスタント味噌汁。<br><br>今、というかこの遡ってまとめている間もずっと<br>地震の全体像、地震の被害、津波の被害はいつ知ったのだろうと疑問に思っている。<br>そしてあの『人災』についても。<br><br><br>今逆算していたら、いろいろ思い出してきた。<br><br>地震が危険だと思ったのと、<br>それから福島第一原子力発電所で事故が起き、放射能の危険があるということ、<br>それを本格的にヤバいと感じ始めたのはこの日の前日の日曜日、<br>3/13だった。<br><br>とにかく何度も嫁に呟いていた。<br>俺のすべきこと、燻り続けている決意を。
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<pubDate>Wed, 06 Apr 2011 13:58:21 +0900</pubDate>
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<title>Twitter</title>
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<![CDATA[ この災害の間、<br>とくに地震直後を含む当日、翌日、<br>週を越して5日間くらいは連絡を取る手段が大幅に限られた。<br><br>固定電話：繋がらず<br>携帯電話：繋がらず<br>メール　：届かず<br>Web　　 ：レスポンス遅い<br><br>twitter ：いけるぜ<br><br><br><br>この状況の中、<br>知ってる人との連絡手段、情報の取得はTwitterだった。<br><br>電話が繋がらない、メールが繋がらないとなると<br>残されるのはインターネット上のSNSや掲示板の類。<br>ただし、今現在の、となるとレスポンスの問題で<br>一番確実だったのはTwitterだった。<br><br>ツイッターのおかげでどんなに助けられたことか。<br><br>今もまだ助けられ続けている。<br>いや、でも助けてもらってばかりじゃないな、<br>ダークサイドに陥れられそうにもなってる。<br><br>情報は溢れているが、デマも多い。<br>溢れすぎてて、重要なものがときどき埋もれそうになる。<br><br>引き付けるための強い言葉や勘違い、<br>あからさまな悪意に満ちた拡散など、不要な情報の中から<br>自分にとって本当に必要な情報を<br>自分自身で見分けて取り込まなくてはならない。<br><br>そういった意味では<br>いまだにちゃんと使いこなせているかどうか<br>自信はないのだけれど、現地のナマの情報を収集するために<br>今も必要不可欠です。<br>ありがとう。<br><br><br>うん、使いようだな。
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<pubDate>Tue, 05 Apr 2011 23:02:03 +0900</pubDate>
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<title>教えて欲しい 終わることなど あるのでしょうか　【3/13】</title>
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<![CDATA[ 13日の日曜日。<br><br>会社に行ったことは覚えている。<br>おむすびとお茶を持って行った記憶はあるが、何時に行ったかは覚えていない。<br><br>午前中は嫁子といたのだろう。<br>とにかく、俺の考えはひとつだったんだと思う。<br>男としてとか社会人としてとか立場がどうとか<br>もうそんなもとはどうでも良かったのだと思う。<br><br>今考えれば。<br><br>俺は、<br>社会人としてより会社員としてより営業としてより<br>社内での立場より一家の稼ぎ頭よりいっぱしの大人としてより<br>妻の夫、子供の父親であることを選んだ。<br><br>そして、夫であり父親のすべきことは何か。<br>それをずっと考え続けていたんだと思う。<br><br>いや、『何か』を考えていたんじゃない、と今思った。<br>それが何かはわかっていた。<br>わかっていたんだけども、どうしたら良いかわからなかった。<br>ずっと燻っていたんだ、多分。<br>地震が起きてからずっと。<br><br>だから、<br>どうしよどうしよどうしよどうしよ<br>って考えてるから、その間の記憶がない。<br>いろいろ目の前のこと、判断していたんだろうし<br>冗談や馬鹿な話もこの地震に関する情報交換も無難にこなしていたんだろう、<br>でも、<br>半分を『どうする？？？』でつかっているから<br>集中してなかったんだろうと思う。<br><br>この日は、<br>会社に行き、お客さんに無事かどうかの確認を取り、<br>かかってきた電話応対をし、ラジオを聴き、な日だったと思う。<br><br>凡そ俺が休んだ土曜日のうちに連絡を入れておいてくれて<br>俺は残りと電話番を。<br>皆さんありがとうございました。<br><br>いよいよ店が開きませんねぇ<br>食料が手に入りにくくなりましたよ<br>という事象にみんなが気づき始めた頃。<br><br>そんななか、仕事帰りにもらった<br>セブンプレミアムのピーナッツチョコがたまらなく美味しかった。<br><br>このまま食料や生活必需品が手に入りにくくなるのでは<br>と不安を抱き始めたあたりがこの辺。
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<pubDate>Tue, 05 Apr 2011 22:42:44 +0900</pubDate>
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<title>終わりの始まり　【3/12】</title>
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<![CDATA[ 大地震の次の日。<br><br>午前中はのんびり起床、<br>朝ごはんを3人で食べて<br>休日恒例のドライブへ。<br><br>地震があって少々ガタついたとはいえ、<br>それは俺が知ってるエリアだけの話であって、<br>他の地域ではたいした被害もなくまたいつもどおりだろ<br>なんて想像を<br>走れば走るほど大きく覆す光景がどんどん飛び込んでくる。<br><br><br>地震の被害は想像以上だった。<br><br><br>崩れた建物<br>吹き出した水<br>繋ぎ目に段差が生じてしまった橋<br>道路に大きく開いた穴<br>止まったままの信号<br>暗いままのコンビニ<br>開いているお店に並ぶ人の行列<br><br>あれ。<br><br>うちの水が止まったのはいつからだろう。<br>地震のときから止まっていたんだろうか。<br>だとしたら11日の夕飯やお風呂はどうしたんだろう。<br><br>電気が復活したのはいつからだ？<br>電気のほうが早かったのは覚えている。<br>水は思い出せない。<br><br>ガスはプロパンなので<br>確か問題なく使えていたはず。<br>今も問題ない。<br><br>PCはどうだっけ。<br>触っていなかったような気がする。<br>この情報化社会で？<br>ウソだぁ。<br><br>いや、まったく思い出せない。<br><br>水は今思い出した。<br>たぶん、地震おきてから少しの間は、<br>配管に残っていた分と思しき分が出たんだ。<br>それが夕飯の支度～片付けと同時にタイムリミット、<br>お風呂は前日のを追い炊きにて再利用、<br>あとは幸い出る井戸水をトイレの流し水として使ったんだった。<br><br>電気はその日の夜には点いたんだ、<br>だってチビ助が泣くことはなかったし、<br>寝かしつけに苦労したという覚えはないもの。<br><br>PCは、その日の夜に初めてつけた気がする。<br>そのときどう思ったか、何をみたかは覚えていない。<br><br>津波のニュースをそのとき見ただろうか。<br>震源地や規模をそのとき知っただろうか。<br><br>まったく覚えていないなぁ。<br><br>その日は仕事は休みだったが、<br>出勤するかどうかは各自の判断だったはず。<br>俺は心細いであろう嫁君と<br>何も気づいていないであろう我が子と一緒にいることを選んだ。<br><br>12日の食事は、<br>朝：ご飯とソーセージとか<br>昼：隣りの市の普段なら絶対行かない寂れたコンビニの<br>　　おいしくないソーセージやお菓子やらなんやら<br>夜：煮物？とか？<br><br>そして、<br>覚えていることといえば、<br>そのお昼に行ったコンビニでは水が出るようなので<br>コンビニのトイレを借りて<br>指で歯をこすり、顔を真水で洗い、<br>頭をジャブジャブしたということ。<br><br>俺のうちや近所ではまったく水が出ないのに<br>ここではこんなにぞんざいな感じで水が使える。<br>しかも、飲める水をこんなに間単に手に入れられる！<br>と思ったらなんかその場から離れたくなくなったが<br>いかんせんトイレなので立ち去ることにした。<br><br>『蛇口を捻ればそれだけで水が出てくる』<br><br>こんな当たり前のことに<br>大きな喜びとありがたみを感じた日だった。
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<pubDate>Tue, 05 Apr 2011 21:47:22 +0900</pubDate>
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<title>シンプルストーリー　【3/9】【3/10】</title>
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<![CDATA[ ３月１１日の地震から遡る事２日。<br><br>【３/９】<br><br>瞳を閉じればあなたが瞼の裏にいることでどれほど強くなれたでしょう<br>あなたにとって私もそうでありたい<br><br>というような感じで<br>その日は郡山から伊達市へ向かって車を走らせていた。<br>途中、あれは１１時半くらいだったのかな、信号待ちの最中。<br>強い風が吹いているのだと思った。<br>そのくらい車が揺れた。<br>でも、どうやら風ではなさそうなので、あぁ、橋に停車してるんだっけ？<br>と周りを見てもそうでもない。<br><br>あぁ、地震ですね。<br>なるほど。<br>でもちょっと大きめでしたよね？<br><br>そんくらいのリアクション。<br><br><br>【３/１０】<br><br>お昼に結構好きな洋食屋さん<br>二本松の『<a href="http://r.tabelog.com/fukushima/A0701/A070103/7001718/" target="_blank">ローマの太陽</a>』へ。<br><br>一緒に行った先輩との世間話の中で<br>ネットで見たニュースについて口にしたことを覚えている。<br><br>『<a href="http://youtu.be/WijvIk420Hw" target="_blank">茨城県の砂浜にイルカが座礁したようです</a>』<br><br>打ち上げられてしまっていたのは３/５。<br>その話をしたのが３/１０。<br><br>まさか翌日<br>未曾有の災害が待っていようとは。
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<pubDate>Mon, 04 Apr 2011 22:40:54 +0900</pubDate>
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<title>JAM　【3/11】</title>
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<![CDATA[ 3月11日　14時46分。<br><br>俺は、郡山市内のとある通りで信号待ちをしていた。<br><br>その日は朝からうちの部の管理職の2人と一緒に挨拶回りをし。<br>その後、駅前で新しくオープンした病院の内外を眺め。<br>入ったこともない路地裏の居酒屋のランチをご馳走になり。<br>何食べたろう…<br>確か、ミニソースカツ丼と温かい蕎麦セットだったような気がする。<br>3人とも一緒で。<br>副部長が何度もこ洒落たホテルのランチに行きましょうというのを<br>SAM部長が聞こえないフリしてたんだっけ。<br>結局の店の名前は覚えてはいない。<br><br>いったん2人を下ろして、<br>俺は別のお客さん数件まわる予定だった。<br><br>その日は市内の公立中学校の卒業式で、<br>卒業式を終えて、同じ小学校だった子の集団が花束を抱えたり、<br>卒業証書の筒を持ったりしてみんなで歩いていた。<br><br>14時30分には1件目のお客さんのところから出てきて<br>さて次いくかーっつって車で移動、<br>日が出てたもんだから眠たくて眠たくて<br>途中どこかで仮眠とりたいと思ったくらい眠たかったのを覚えてる。<br>だから、信号待ちしている最中に揺れ始めたときも<br>少し気持ち良いくらいで、地震だなんて思いもしなかった。<br><br>ふと気がつくと、車のキーがカチャンカチャンと規則的に音を立てている。<br>とともにゴゴゴゴゴ…と地鳴りのような音が聞こえてきたかと思うと<br>車がバウンドするわするわ。<br>ななめ向かいのマックのＭ看板はぐわんぐわんいってるし<br>信号は消えるしうなぎ屋の瓦は落ちるし<br>そんな中でもさきほどの中学生集団は飛んだり跳ねたりして<br>たまたま居合わせたパトカーにマイクで「伏せてろー！」と叱られてるし。<br>おまけに俺の車は一台だけ右折待ち感じで交差点にポツーンだったので<br>俺の車が揺れ基準みたいに指指されたりしながらでなんか恥ずかしいし。<br><br>やっと揺れが収まるまでどのくらい経ったんでしょうね。<br><br>そうだ、2件目のお客さんのトコ大丈夫かな、とりあえず見てこよう！<br>と走り出したは良いが、信号が消えている。<br>一時的に停電になったんだな、アレ。<br><br>さらに、大きい通りに出た瞬間、<br>さっきまでのポカポカ陽気が嘘みたいに渦巻きながらぶつかってくる暴風雪。<br>停電の暗さと相まって恐ろしくなった。<br>少し大きめのパチンコ屋さんからも人がぞろぞろと。<br>当たり最中の人も確変中の人も負けててこれから！の人も居たろうな。<br>あぁこの人達も大変だなぁなんて思いながら。<br><br>細い裏通りに入ると<br>電線が社用車の車高ギリギリまで垂れ下がっていたり<br>今まさに瓦が落ちてくる瞬間をすり抜けたり<br>なんだかわからないけど半裸で走っている若いお姉ちゃんがいたり<br>もう一回さっきより小さい揺れが来た瞬間には<br>お肉屋さんのショウウィンドウが音を立てて割れ落ちたり<br>西の方角かな、縦に浮かぶ光の筋を見たし。<br><br>会社についたは良いが仕事にならない。<br>家族と連絡が取れない者は帰宅、ということになり、<br>電話もメールも繋がらなかった俺はすぐに帰った。<br>帰る前に入った会社のトイレでまたも地震に遭遇。<br>小のほうだったけど、<br>皆さんが、おしっこしてる最中に地震にあったときの一番かっこ悪いパターン<br>を思い浮かべていただければ。その状態になりました。<br><br>で、帰るも、嫁子おらず。<br>嫁子も車運転中で、無事ではあったが、怖かったとのこと。<br>幸いにして我が家は大きな損傷もなく。<br><br>そこから先のことは覚えていない。<br>とにかく嫁子供が無事で安心したことと<br>その後すぐに最低限の荷物をまとめ始めたことは覚えている。<br><br>それが、あの日の出来事。<br><br><iframe title="YouTube video player" width="480" height="390" src="https://www.youtube.com/embed/R1ffedr1hF0" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>
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<pubDate>Mon, 04 Apr 2011 21:52:03 +0900</pubDate>
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