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<title>fragment49のブログ</title>
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<title>アラン『幸福論』</title>
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<![CDATA[ しばらく前、腎臓結石で苦しんでいる友人を見舞ったことがある。かれはかなり陰鬱な気分だった。だれでも知ってのとおり、この種の病気は気をめいらせるものである。わたしがそのことを言うとかれも同意した。そこでわたしは最後に結論としてこう言った。「きみはこの病気が気をめいらせるものだということを知っているのだから、気がめいることに驚いたり、不機嫌になったりしてはいけない。」このうまい理屈はかれをこころから笑わせたものだが、その効果はけっして小さなものではなかった。<br>1993、集英社文庫、p.21<br><br>…しかし、悲しみの裏には血球の多い少ないの問題があるのだということをよく知っていれば、自分のあれやこれやの理由づけなど問題にせず、悲しみを肉体のなかに押し返してしまう。そこでは悲しみはなんの粉飾もない疲労か、病気にすぎない。裏切りなどより、胃腸病のほうがずっと我慢しやすい。それにほんとうの友がいないなどと言うより、血球が足りないと言うほうがましではないか。p.17<br><br>「いつかはやるよ」という怠け者のことばが出てくる。しかし人間のことばとしては、むしろ、「現にやっている」と言うべきだ。なぜなら、未来をはらんでいるのは行動だからだ。p.162<br><br>悲観主義は気分に属し、楽観主義は意志に属する。成り行きにまかせる人間はみんなふさぎこんでいるものだ。p.288
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<pubDate>Mon, 11 Jan 2016 16:38:23 +0900</pubDate>
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<title>高橋源一郎『さようなら、ギャングたち』2</title>
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<![CDATA[ 「…そんな時私たちは、逃げ出したい、何も考えたくないと叫ぶ私たちの心に、その不安から目をそらしてはならないと命じました。<br>　目を両手でおおってはマシンガンをもつことは出来ません。それはギャングであることを放棄することなのです」<br><br>高橋源一郎『さようなら、ギャングたち』、1985年、講談社文庫、p.222
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<link>https://ameblo.jp/fragment49/entry-12114639146.html</link>
<pubDate>Wed, 06 Jan 2016 23:55:16 +0900</pubDate>
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<title>高橋源一郎『さようなら、ギャングたち』1</title>
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<![CDATA[ 「おれは暗いところがこわいんだ。だから自分で光っているんだ。<br>ここまで決心するのは大変だった。でもおれは生きていたかったんだ。<br>正しいと思うか？」<br>「はい」<br>「おれも正しいと思うな。それにかっこいいしな。身分証明書は？」<br><br>高橋源一郎『さようなら、ギャングたち』、1985年、講談社文庫、p.272<br>
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<link>https://ameblo.jp/fragment49/entry-12114638250.html</link>
<pubDate>Wed, 06 Jan 2016 23:51:19 +0900</pubDate>
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<title>宮川淳『紙片と眼差とのあいだに』</title>
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<![CDATA[ 一般に新しいメディアがあらわれるとき、それは、当然、これまでの既知のコンテクストないし概念の中で受けとられるのをつねとする。そのとき、その真のアクチュアリティはとりにがされざるをえないだろう。しかし、じつを言えば、新しいメディアのアクチュアリティとはつねに従来のコンテクスト、既知の概念をこそおびやかすところにあるのだとしたら？<br><br>宮川淳『紙片と眼差とのあいだに』、1974年、小沢書店、p.47
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<link>https://ameblo.jp/fragment49/entry-12114627087.html</link>
<pubDate>Wed, 06 Jan 2016 23:24:14 +0900</pubDate>
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<title>羽海野チカ『三月のライオン』１０巻</title>
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<![CDATA[ ー「まずは落ち着け」<br>「パニクったまま暴れるな」<br><br>「暴れなきゃ海じゃ　また浮く」<br><br>「落ち着くまで<br>裏返って<br>空見てろ」<br>p.93 <br><br><br>溺れて終わりに出来るくらいなら<br>ー俺は　４０年も将棋指してねえ！！　<br>p.107<br><br><br>勝った日は大いに喜び<br>負けた日は反省する<br><br>ーでも苦しみ過ぎてはいけないと<br>決めている<br><br>ーこの海はまだまだ広く<br>日々はこれからも続くのだ<br>p.110<br><br><br>羽海野チカ『三月のライオン』１０巻、2014年、白泉社<br>
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<pubDate>Wed, 06 Jan 2016 23:18:18 +0900</pubDate>
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<title>羽海野チカ『三月のライオン』４巻</title>
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<![CDATA[ その疲弊しきった横顔に　僕は<br>彼の歩いて来た<br>道のりを思った<br><br>ー解っていたのだ　始めから<br><br>「嵐の向こう」にあるもの<br><br>倒れても<br>倒れても　<br><br>飛び散った<br>自分の破片（かけら）を<br>掻きあつめ<br><br>何度でも<br>立ち上がり<br>進む者の世界<br><br>終わりの無い<br>彷徨<br><br>…<br><br>ーその答えは<br>あの嵐の中で<br>自らに問うしか無いのだ<br><br>羽生野チカ『三月のライオン』４巻、2019年、白泉社、pp.173-175
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<link>https://ameblo.jp/fragment49/entry-12114616778.html</link>
<pubDate>Wed, 06 Jan 2016 22:58:19 +0900</pubDate>
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<title>ロンブ・カトー『わたしの外国語学習法』</title>
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<![CDATA[ わたしが読書を勧めるのは、本というものが、知識を最も魅力的な形で伝えてくれるものだからです。他の学習法（教師によって与えられた、あるいは教科書にまとめられた20～30ほどの単語の暗記とか文法事項の消化を毎日やること）はその最良の場合でさえ、われわれの義務感を満足させるかもしれないけれど、喜びをもたらすものではありません。<br>ロンブ・カトー『わたしの外国語学習法』2000年、ちくま学芸文庫、p.78
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<link>https://ameblo.jp/fragment49/entry-12114612095.html</link>
<pubDate>Wed, 06 Jan 2016 22:50:51 +0900</pubDate>
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<title>村上春樹『走ることについて　語るときに　僕の語ること』2</title>
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<![CDATA[ 「　具体的に言おう。<br>　誰かに故のない（と少なくとも僕には思える）非難をうけたとき、あるいは当然受け入れてもらえると期待していた誰かに受け入れてもらえなかったようなとき、僕はいつもより少しだけ長い距離を走ることにしている。…そして自分が能力に限りのある、弱い人間だということをあらためて認識する。いちばん底の部分でフィジカルに認識する。…腹が立ったらそのぶん自分にあたればいい。悔しい思いをしたらそのぶん自分を磨けばいい。」<br>同、p.39
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<link>https://ameblo.jp/fragment49/entry-12114606911.html</link>
<pubDate>Wed, 06 Jan 2016 22:40:02 +0900</pubDate>
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<title>村上春樹『走ることについて　語るときに　僕の語ること』1</title>
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<![CDATA[ 「…あたり前の話だが、誤解されたり非難されたりするのは、決して愉快な出来事ではない。そのせいで心が深く傷つくこともある。これはつらい体験だ。<br>　しかし年齢をかさねるにつれて、そのようなつらさや傷は人生にとってある程度必要なことなのだと、少しずつ認識できるようになった。考えてみれば他人といくらかなりとも異なっているからこそ、人は自分というものを立ち上げ、自立したものとして保っていくことができるのだ。…ひとつの風景の中に他人と違った様相を見てとり、他人と違うことを感じ、他人と違う言葉を選ぶことができるからこそ、固有の物語を書き続けることができるわけだ。…僕が僕であって誰か別の人間でないことは、僕にとってのひとつの重要な資産なのだ。心の生傷は、そのような人間の自立性が世界に向かって支払わなくてはならない当然の代価である。」<br>村上春樹『走ることについて　語るときに　僕の語ること』、2010年、集英社文庫、pp.37-38
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<pubDate>Wed, 06 Jan 2016 22:28:35 +0900</pubDate>
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<title>宮澤賢治「雨ニモマケズ」</title>
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<![CDATA[ 雨ニモマケズ<br>風ニモマケズ<br>雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ<br>丈夫ナカラダヲモチ<br>慾ハナク<br>決シテ瞋ラズ<br>イツモシヅカニワラッテヰル<br>一日ニ玄米四合ト<br>味噌ト少シノ野菜ヲタベ<br>アラユルコトヲ<br>ジブンヲカンジョウニ入レズニ<br>ヨクミキキシワカリ<br>ソシテワスレズ<br>野原ノ松ノ林ノノ<br>小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ<br>東ニ病気ノコドモアレバ<br>行ッテ看病シテヤリ<br>西ニツカレタ母アレバ<br>行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ<br>南ニ死ニサウナ人アレバ<br>行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ<br>北ニケンクヮヤソショウガアレバ<br>ツマラナイカラヤメロトイヒ<br>ヒドリノトキハナミダヲナガシ<br>サムサノナツハオロオロアルキ<br>ミンナニデクノボートヨバレ<br>ホメラレモセズ<br>クニモサレズ<br>サウイフモノニ<br>ワタシハナリタイ<br><br>南無無辺行菩薩<br>南無上行菩薩<br>南無多宝如来<br>南無妙法蓮華経<br>南無釈迦牟尼仏<br>南無浄行菩薩<br>南無安立行菩薩<br><br><br>青空文庫　<br>http://www.aozora.gr.jp/cards/000081/files/45630_23908.html<br>底本：「【新】校本宮澤賢治全集　第十三巻（上）覚書・手帳　本文篇」筑摩書房<br>1997（平成9）年7月30日初版第1刷発行<br>
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<pubDate>Tue, 05 Jan 2016 22:39:40 +0900</pubDate>
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