<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?>
<rss version="2.0" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom">
<channel>
<title>freude lab</title>
<link>https://ameblo.jp/freude2014/</link>
<atom:link href="https://rssblog.ameba.jp/freude2014/rss20.xml" rel="self" type="application/rss+xml" />
<atom:link rel="hub" href="http://pubsubhubbub.appspot.com" />
<description>パラレルワールドをいったりきたり。水晶・エネルギー　みえないものを翻訳しています。</description>
<language>ja</language>
<item>
<title>六道と極楽浄土　そして聖地ホイホイ</title>
<description>
<![CDATA[ <p>仏教の話</p><br><p>六道の間を行ったり来たりしている、ワレワレ。</p><p>で、その先に極楽浄土がある。</p><br><p>六道って、ヘミシンクのＭバンドじゃないか！</p><br><br><p>概念は人が作り上げるもの。</p><p>頭の中をそのままビジュアルで</p><p>現したのが、曼荼羅だったりもする。</p><br><p>人の意識が進化するにつれ、</p><p>その概念はアメーバのように分裂を繰り返し</p><p>大きくなり、新たな手と足が生まれてくる。</p><br><p>仏教の世界が息苦しく感じるのは</p><p>その概念が私の心地よく感じる概念とは</p><p>少し違うからかもしれない。</p><br><br><p>真言密教の大日如来をみていると、</p><p>あぁ、この人（大日如来）は宇宙の根源、宇宙人のカタチなんだなぁと思う。</p><p>青い頭に黄金の身体。</p><p>・・・仏像という美しいものを見るという行為は</p><p>好きですが。</p><br><br><p>で、先日とある方とお話ししていて気付いたこと。</p><br><p>ある宗教を信じる、というのは</p><p>その宗教のエネルギーの渦に入り込むということ。</p><p>日本人である自分はそのエネルギーの渦を</p><p>ずっと前から知っているが、</p><p>住んでいる場所、</p><p>檀家、</p><p>開祖、</p><p>などと枝葉にわかれて</p><p>細かい相違点なんかもあるようす。</p><br><p>で、先日止まった宿坊の土地は</p><p>どうもしっくりこなかったのでしょうか。</p><p>でも、土地やその宗派からは</p><p>気に入られたのでしょうか。</p><p>その土地に入ってからすぐに、</p><p>体がパンパンにむくみ、ミチミチしていました。</p><p>帰ったらすぐにむくみも収まりましたが・・・</p><p>お腹に力が入らず、</p><p>冷えがものすごいことに。</p><p>ある意味、エネルギーを吸い取られて様な感覚。</p><p>体は素直に反応してしまうんで困ったものです。</p><br><p>その場所は新陳代謝を繰り返し、</p><p>たくさんの巡礼者や観光客を迎え入れているところ。</p><p>いいところですよ、ほんとうは。</p><p>ですが、私はしっくりこなかっただけです。</p><br><p>聖地巡礼、とかしているかたは</p><p>そんなことってないのかなぁ。</p><p>ものすごく丹田がしっかりしてないと</p><p>結構やられちゃうような気がします。</p><p>行きたいなと思うところ以外は</p><p>ホイホイ行かないほうがいいかもしれないです。</p><br><p>すみません、</p><p>ゴキ○○ホイホイならぬ</p><p>聖地ホイホイって言葉が頭をかすめました。</p><p>すみません。</p><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/freude2014/entry-12026825847.html</link>
<pubDate>Fri, 15 May 2015 09:34:40 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>体を通して確認する</title>
<description>
<![CDATA[ <p>本当に手に入れたい</p><p>確認したい</p><p>自分に必要なもの</p><p>それらは、なんやかんやいって</p><p>自分の足で探して確かめないと</p><p>納得できない、と思う。</p><br><p>生きているものは特にそう。</p><br><p>自然</p><p>植物</p><p>環境</p><p>音</p><p>人</p><br><p>それらは</p><p>実際に五感を使って</p><p>確認したほうがいい。</p><br><p>画面を通じて、という方法もあれど</p><p>画面の作り方はある意味巧妙である。</p><p>生きているものを扱うところは、特にそう。</p><p>メールのやり取りでそれが露呈してしまうと思う。</p><br><p>★☆★</p><br><p>概念</p><p>エネルギー</p><p>思想</p><br><p>見えないものもそうだ。</p><br><p>自分の体を通過して確認したほうがいい。</p><br><p>腑に落ちるという言葉があるように、</p><p>その見えないエネルギーを</p><p>体に震わせて感じてみる。</p><br><p>★★★</p><br><p>A,</p><p>同じクラスタではないところに</p><p>もし行ったとする。</p><p>すると体の振動がどうも合わない、</p><p>ということがままある。</p><br><p><br>B,</p><p>同じクラスタだったはずの人のところに</p><p>久々に行ったとする。</p><p>するとまた振動が合わない、</p><p>ということもある。</p><br><p>Ａはそもそも自分の振動とは違う</p><p>Ｂは自分の振動が変わった</p><br><p>ということになる。</p><br><p>どちらも体を通じて</p><p>確認できます。</p><br><br><p>このところ、</p><p>何かとしっくりこないとか</p><p>自分が周りと合わなくなってきている、</p><p>そんなふうに感じることが</p><p>多くなってきました。</p><br><p>ナンダロネ</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/freude2014/entry-12025343579.html</link>
<pubDate>Mon, 11 May 2015 15:41:28 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>水の地、陸の地</title>
<description>
<![CDATA[ <p>自転車が壊れてから、徒歩で生活しています。</p><p>遠くても歩けばどこかに到着する。</p><p>電車やバスも使いますが。</p><br><p>毎日歩いていると、ここはどんなところか、</p><p>足の裏や嗅覚で感じ取れるようになってきました。</p><br><p>私の住んでいるところ・・・</p><p>今は陸地でも</p><p>昔は水場であったところが、</p><p>今住んでいるところ。</p><p>そして、</p><p>昔から陸地であったところが、</p><p>小さいころに住んでいたところ。</p><br><p>違和感、が今の土地に１０年以上住んでいてあった理由が、街を歩いていてきづきます。</p><p>エナジーをもらいたいときは山に登ったり、生まれた場所に帰ります。</p><p>生まれたときに住んでいた土地で眠ると、エネルギーが体に巡ります。</p><p>陸の子、山の子、であった自分に気付きます。</p><p>逆に水の地に生まれた方は、私と逆なんだと思います。</p><br><p>水からエナジーをもらう人、</p><p>陸からエナジーをもらう人、</p><p>それぞれいる気がします。</p><br><br><br><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/freude2014/entry-11997421271.html</link>
<pubDate>Wed, 04 Mar 2015 20:57:47 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>デイダラボッチ</title>
<description>
<![CDATA[ <p>ヒプノ体験をしたときに見たものがある。</p><br><p>エネルギーの源、とでもいうものかもしれない。</p><dl><dt><a href="http://click.affiliate.ameba.jp/affiliate.do?affiliateId=29238516" alt0="BlogAffiliate" target="_blank" rel="nofollow">オープニング・ザ・ハート【日本語版】(ヘミシンクCD・アルバムシリーズ)/ハート出版<br><img border="0" src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fecx.images-amazon.com%2Fimages%2FI%2F51X7G3O9NBL._SL160_.jpg"></a></dt><dd style="MARGIN: 0px">￥7,560</dd><dd style="MARGIN: 0px">Amazon.co.jp</dd></dl><p><br>このヘミシンクをしたときによく出てくる、</p><p>エネルギーの源、と似ている。</p><br><p>善、愛、良心といったものの集合体。</p><br><p>それは人が生まれたり、地球ができる前、</p><p>時間や空間を超えている感じがします。</p><br><p>宇宙のような、</p><p>時間空間のないところで</p><p>黒い塊となって回転しているエネルギー体。</p><br><p>人が生まれてからは、</p><p>困ったり、助けてほしいとひたすら祈っていると、</p><p>ぽこっと沸いてくる。</p><p>地面の奥底からわいてきて</p><p>人の形をしているような、</p><p>していないような、</p><p>巨人のようなものがわいてくる。</p><p>まるでもののけ姫のデイダラボッチのような。</p><br><p>呼ばれたら出てくるようです。</p><p>波立った感情というものがなく、</p><p>地面の下や海のふかいところで</p><p>回転しているエネルギー。</p><br><p>場面は変わり、諏訪地方。</p><p>明治初期あたりまでは、</p><p>境目があやふやだったみたいです。</p><p>山のヒト（おとなには見えないらしい）と農村の子ども２人が</p><p>手をつないで遊んでいた様子が見えました。</p><p>山のヒトは自分の名前を、ナンチャラ（←ここわからず）～太郎って言ってました。</p><p>農村のありきたりな風景の一つ、でした。</p><p>今はそんなことがもうできないみたいですが。</p><br><p>祈りや喜びではないと</p><p>そのエネルギーは動かないんですね、きっと。</p><p>純粋に楽しいなーとかおもっていると、</p><p>その山のヒトと遊べるんだと思います。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/freude2014/entry-11991881693.html</link>
<pubDate>Thu, 19 Feb 2015 13:49:07 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>大きい球をおもいっきりなげる</title>
<description>
<![CDATA[ <p>思いや願い（＝ボール）っていうのは</p><p>ばばばーっとら列して</p><p>空に投げるといい。</p><br><p>思いっきり遠くに投げる。</p><p>投げるとかえってくるのにじかんがかかる。</p><p>でも、確実にキャッチボールの返球は帰ってくる。</p><br><p>遠くに投げるボールは大きいほうがいい。</p><p>キャッチボールのボールは大きいと見やすい。</p><p>返球は本当は来ているのに小さいとみえにくく、わかりずらい。</p><br><p>ドッチボールのように</p><p>手ごたえのあるキャッチボールがはじめはいいとおもう。</p><br><p>軟球じゃなく</p><p>硬球。</p><br><p>ビニールボールじゃなくて</p><p>ドッチボールね。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/freude2014/entry-11991062414.html</link>
<pubDate>Tue, 17 Feb 2015 14:43:15 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>あの黒い先にあるもの</title>
<description>
<![CDATA[ <p>久しぶりにヘミシンクしました。</p><br><p>以前練習会でも見ていた「Ｍバンド」を見ました。</p><p>人の想念が帯状になっているもの。</p><br><p>ざらざらしていて粒状の帯。</p><p>ハエの集団、のような感じも。</p><p>ざらっとしていて</p><p>あまりいい感じはしませんでしたが、</p><p>どうでもいい情報の集合体。</p><p>テレビの中でやっているニュースを見ているようでした。</p><p>それぞれの人の主張や考えが乱雑に絡まってざらっとしている帯。</p><br><p>この頃、いろんなことを考えすぎて</p><p>頭が疲れていることが多かったので</p><p>Ｍバンド領域を見ていたのかもしれません。</p><br><p>ふと場面がかわると</p><p>石畳の通路にいて</p><p>Ｍバンドは2-3ｍ先で抜け出せるそうです。</p><p>歩いて数歩というところでしょうか。</p><br><p>抜け出せなくていやだなーという感覚ではなく、</p><p>そのざらっとした感覚をもって生きているのも</p><p>まぁ人よね、と客観的に見れるようになっていることに気付きました。</p><br><p>死後探索や宇宙人との交流にはあんまり興味がないので、</p><p>そこを探求しようとは思いませんが、</p><p>そういう世界もあるというのが</p><p>あるなぁと認識できている、というのが今の現状です。</p><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/freude2014/entry-11986385012.html</link>
<pubDate>Fri, 06 Feb 2015 12:30:46 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>幸せのシチュエーション</title>
<description>
<![CDATA[ <p>幸せだと感じるときは、</p><p>一般的には同じようなシチュエーション。</p><br><p>その幸せで満足するかというのは、</p><p>人それぞれ。</p><br><p>幸せの容量というのは</p><p>ある程度決まっている、ようなきがする。</p><br><p>幸せのシチュエーションは</p><p>生きている段階で</p><p>ちがっている。</p><br><p>容量を大きくすると</p><p>幸せな状況を受け止めることが</p><p>たくさんできるように思う。</p><br><p>容量が大きくなるには</p><p>振動し器を広げていくしかない。</p><br><p>振動するには</p><p>たくさん感動し、経験する。</p><p>心が震える経験をすること。</p><p>それはただ単に嬉しい、幸せと感じるだけではなく、</p><p>試行錯誤し、苦労して、やっと見出した道を見つけたりすることも含まれる。</p><p>苦労することで器にもれのない、穴の開いていないものになると思う。</p><br><p>インスタントな幸せ、誰でも味わえる経験もいいかもしれない。</p><p>でも、自分だけの独特な世界観の中での幸せを味わえるのは</p><p>自分自身の器の鍛え方、広がり方をわかった時に初めて味わえるように思う。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/freude2014/entry-11980220756.html</link>
<pubDate>Thu, 22 Jan 2015 12:16:53 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>みえないけどみえるもの</title>
<description>
<![CDATA[ <p>水晶リーディングをはじめて4年目になりました。</p><br><p>みえないけどみえるものを見続けています。</p><br><p>それは見えない世界を見ているということになりますでしょうか。</p><br><p>でも、見えない世界を知らない方も見える世界。</p><br><p>今日はそれを実感した日でもありました。</p><br><p>無意識やあっちとこっちの狭間の世界を知ると、</p><br><p>ああ、独りじゃないんだ、とわかると思います。</p><br><p>目に見えているものだけがすべてではない、</p><br><p>一人で苦しいと思っていることがすべてではないと。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/freude2014/entry-11975206274.html</link>
<pubDate>Fri, 09 Jan 2015 20:32:41 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>つつについて考えてみる</title>
<description>
<![CDATA[ 筒についてかんがえてみる。<br>竹輪の穴ですね。<br><br>「つつ」に「我」がくっついていると、<br>「我」の解釈で語られます。<br>つつの中の情報は正確だとしても、伝える相手には伝わらないことがある。<br>それは「我」があるから。<br>「我」の世界の近くに生きている人、理解できる人でしたら理解はできると思います。<br>現在のスピといわれる業界では、よくある話しだと思います。<br><br>「我」はべったりと張り付いて<br>排水溝の汚れのように取れにくいように思います。<br>お掃除は丁寧に。そして日々の積み重ね。<br>それをすることでつつの状態を保てるようになります。<br>「我」はこだわり、執着。それをいかになくすか。<br>なくすことを恐れず明け渡せるか。<br>日々の鍛錬がだいじ。<br><br>巫女舞、踊っている人をみていると<br>神との同化や神的意識に近づくことで心地よくなっている姿を<br>見せているように思います。<br>それはそれで美しいのですが、<br>そこに「我」が入っているのを見るのは<br>かなりえぐいことも多い。<br>神そのものを見せている踊りというのは少ないと思います。<br>見せる必要もないのかもしれませんが。<br><br>「我」がない踊り、<br>ある意味巫女っぽいなーと思うのは<br>パフュームの踊りや歌。<br>あのダンスビートと正確な踊りはまるで操られているようにもみえるのです。<br><br><br><br><br><iframe width="560" height="315" src="https://www.youtube.com/embed/guqVgQFvXXY" frameborder="0" allowfullscreen></iframe>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/freude2014/entry-11969411256.html</link>
<pubDate>Fri, 26 Dec 2014 21:48:25 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>理想のせかい</title>
<description>
<![CDATA[ 今の自分の状態に気付く。<br>認識できていることはまだ幸せ。<br><br>今の状態がわからない、<br>これが一番つらい。<br><br>何をどうしていいかわからない、そして不安感がある。<br>これは一番つらい。<br><br>状態が全く分からず、ふるまう。<br>これも後で気付くと一番つらい。<br><br>インナーチャイルドの癒し、という言葉が乱立する。<br>これはインナーチャイルドという言葉がカモフラージュになっていることが多い。<br>ほんとうは、今の自分が<br>何が苦手で、何が嫌、ＮＯであるかということに気付き、<br>それとどうやっており合うか<br>どうやって乗り越えるか<br>どうやって逃げるか<br>なんてことをやっているようにしか思えない。<br><br>今の自分の状態に気付いて<br>どう対処するかということ<br>今をどう生きるか<br><br>話は変わって<br>信頼と甘えの違い<br><br>相手を信頼しているという言葉は<br>相手と同じ方向を向いて<br>同じ力量を出し合える間柄<br><br>甘えるというのは<br>相手に期待して相手から何かを得ようとしている状態<br><br>自立して一人の力で立ち直る力を持てるひと<br>自分の状態に気付き対処できるひと<br><br>そんなひとがふえるといいのにね。<br><br><br><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/freude2014/entry-11963851320.html</link>
<pubDate>Sat, 13 Dec 2014 08:29:07 +0900</pubDate>
</item>
</channel>
</rss>
