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<title>フリードリヒ・パスカルのブログ</title>
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<description>経験したこと、思ったこと、感じたことをつらつら書きます。</description>
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<title>祖父の死</title>
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<![CDATA[ <p>祖父が死んでから 、四日経った。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>僕の人生は、祖父がこの地に存在する世界で始まったのだから、祖父がいない世界を想像してみることもできなかったし、想像を試みたこともなかった。</p><p>&nbsp;</p><p>いざ、その世界に放りだされてみると、これまでどれだけ祖父の存在が自分にとって大きかったかを痛感せざるを得ない。</p><p>&nbsp;</p><p>いわば心にぽっかり穴が空いている状態。</p><p>&nbsp;</p><p>80代となり祖父の死が遠くないはずなのに、やがてそのような時が必ず訪れるという当たり前の事実を直視せず、祖父は自分が生きている間は死なないで共に過ごし、陰ながら支えてくれるのだろうと、そんな自分勝手な幻想を何の疑いもなく抱いていた。</p><p>&nbsp;</p><p>僕は、いつもみんなの会話の中心にいて、誰よりも大きな声で自分の意見を言う、溌剌としたそんな祖父の姿しか知らなかった。</p><p>だから、ショックだった。</p><p>新居でベッドに横たわった青白く、硬直した祖父を目の前にしたときは。</p><p>&nbsp;</p><p>その新居も1か月もいることができずに、無念だったなーっていう思いも少しあって、それも悲しみを深めさせた小さな一因でもあるのだが、</p><p>それよりも、とても申し訳なさを感じた。</p><p>生前、もっと愛を伝えられたのではないかって。感謝の思いを伝えらたのではないかって。大学生になってからは忙しいことを理由にして全然会うことができていなかったから。</p><p>&nbsp;</p><p>祖父の微動だにしない冷えた体を見つめると、「祖父が死んだ」という情報が、現実世界とリンクし、たちまち自分に祖父を失った実感が与わった。</p><p>&nbsp;</p><p>ああ以前のような世界ではなくなったのだなと。</p><p>&nbsp;</p><p>祖父が溌剌と生きていた世界から、硬直し活動を停止させた世界でこれからは生きていかなければならないのだなと。</p><p>&nbsp;</p><p>祖父は人一倍自己主張が強い人物だった。妥協や遠慮というものを知らなかった。</p><p>とにかく存在感が強かった。良くも悪くも。そんな人物が、今や微動だにせず、口をつぐみ、ぴくりとも動かさないのだから、その様相の著しく大きなギャップが、悲しみと切なさを生んだ。</p><p>&nbsp;</p><p>きっと、あの世では、自分が死んだことを受け入れていないんだろうなーって。</p><p>自分は生きているって言い張って、周りの人を困惑させてるんじゃないかって、そんな想像もした。</p><p>&nbsp;</p><p>小学生の頃はよく祖父母の家に遊びに行ったものだった。取り立てて用がなくても行っていた。</p><p>あるいは家の鍵がなくて入れないときとか。行って嫌がられることは一度もなかったから、それどころかお茶とお菓子を準備してくれた。</p><p>弟はポテトチップスとかの揚げてる系のお菓子が好きで、"僕"は和菓子とか甘いお菓子が好きなんだと、孫が好むものを準備してくれていた。</p><p>&nbsp;</p><p>涙が流れるのは、こういった日常生活の中の個別具体的なエピソードや交わした会話を思い出す時なのだ。</p><p>もうあのようなやりとりができないという事実が心をきつく締め付ける。</p><p>&nbsp;</p><p>将来過去を振り返って、その時に何か後悔しない生き方はしたくないと強く思った。</p><p>だから今現在、この一瞬どう動くかが大切なのだ。</p><p>&nbsp;</p><p>特に、「どんな言葉を発しているのか」だ。</p><p>人にどんな言葉をかけてあげるか。</p><p>その内容によって、その人の世界をぱっと明るくしてあげることも、闇に突きはなしてしまうこともできるのだから。</p><p>一人でも多くの人が、「本当に喜びに満ちたよい人生だった」と胸を張って言えるよう、僕ができることをしたい。祖父に対してできた自信がないから。</p><p>&nbsp;</p><p>心は知っているのだ。理想を。</p><p>頭がどれだけ現実の自分の行いを肯定しようとごまかそうとしたとしても。</p><p>それで、祖父に対して申し訳なさを感じたのではないか。</p><p>&nbsp;</p><p>祖父が生きていたことの意義や価値を、僕が考えようとするのはおこがましい。が、少なくとも子孫の立場である自分が、全人類に対して、少しでも大きな善の影響を与えられるなら、世界からみた祖父の存在の価値を高めることになるだろう。</p><p>&nbsp;</p><p>祖父が死んで、価値まで固定化するわけではない。</p><p>&nbsp;</p><p>子孫の歩み次第で、それは大きく高めることも、低めることもできるのだ。まだ恩返しは間に合うはずだ。</p>
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<link>https://ameblo.jp/friedrich-pascal/entry-12651406729.html</link>
<pubDate>Wed, 20 Jan 2021 11:23:18 +0900</pubDate>
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<title>頭痛の原因</title>
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<![CDATA[ 頭がいたい。<div>寝すぎた。</div><div>背徳感が、頭痛の原因の80%を占めている気がする。</div><div>背徳感の無い人生を歩めたらいいなー&nbsp;</div><div><br></div><div><br></div><div>善とは何なのかを追求して、それを固く信じなければならぬ。</div><div><br></div><div><br></div><div>全ての学問、宗教、社会、生活、人間関係を通じて、己の行くべき道、何が善なのかを見つけ出し、鮮明にして、心身ともに生き生きと生活できれば、自分と日々関わってくれる全ての人に、もっともっと、愛と希望を与えられるのに。</div><div><br></div><div>他人を励ましたいのなら、人一倍苦労の道を生き、次元を高めなければならぬ。</div><div>同じフィールドに立って、共感してあげることもとても大切だが、それだけでは真の希望を与えることはできないだろうから。</div><div><br></div><div>人を導く存在、すなわち師となりたいのなら、自分を断固として厳しく見なければならない。</div><div><br></div><div>こうやって自分を鼓舞して、全く前進できているとは思えぬ自分の歩みを進めていくしか道はないんだ。</div>
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<pubDate>Sat, 14 Nov 2020 13:22:44 +0900</pubDate>
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<title>スパゲッティ</title>
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<![CDATA[ 昼、近所のパスタ屋で、ミートソーススパゲッティを頼んだ。それも厚切りベーコンが乗っているもの。<div><br><div>優しさを感じる親しみやすい味だ。尖っている人にはこんな味作れない。</div><div><br></div><div>小学生の頃は月に一度、給食でミートソーススパゲッティが出てくるのが楽しみで仕方なかった。</div><div>4限目の授業中でも、廊下から漂ってくる香りで分かるのだ。その瞬間、全ての不安な気持ちから開放されて、ワクワクした気分になる。天井知らずの高揚感。</div></div>
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<pubDate>Sat, 14 Nov 2020 13:02:19 +0900</pubDate>
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<title>題材について</title>
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<![CDATA[ 気が向いたときに書くといいながら、最近はコンスタントに投稿したいなとも思うようになってきた。<div>ただ、何を自分が書きたいと思っているかが分からない。</div><div><br></div><div>今の僕にとって、最も大事な内容、興味関心が駆り立てられる内容でなければ、書くのが苦しくなってしまう。</div><div>書かずにはいられない題材を発見しながら日々生きることができればそれだけで素敵だなと。</div><div>自分が文字におこしてくれと自分に要請している内容は何なのか。</div><div><br></div><div>ただ、人間は対象無くして行動を起こせないはずだ。その対象というのは何でもいいのだが、自分でも他人でも、とにかく対象をはっきりさせなければ、衝動が湧いてこない。</div><div><br></div><div>だから、物事を書くにあたっては、対象を定めることだ。</div><div>でも、その対象とした人々に、その内容が届くかは解らないけど。仮定としてでも、対象ははっきりさせるべきだなと、当たり前っちゃ当たり前なことを、改めて気付かされたのでした。</div>
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<pubDate>Fri, 13 Nov 2020 00:18:26 +0900</pubDate>
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<title>好きな映画について</title>
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<![CDATA[ 最近、在宅で社員の雑談が減り、それが精神衛生上良くないという話に部署内でなり、雑談をするためのネット会議をする取り組みをしている。<div><br><div>今日のテーマは「好きな映画」についてだった。</div><div><br></div><div>僕は、ロレンツォのオイルと、遠い空の向こうに、インターステラー、糸を挙げた。</div><div><br></div><div>「ロレンツォのオイル」と「遠い空の向こうに」は、大学の研究室の教授から渡されてみたものだ。</div><div><br></div><div>当時、研究で全く成果をあげることができず、留年を覚悟していた僕を奮い起たせようと、実験はいいからこれを観ろと渡してくれたものだ。</div><div><br></div><div>双方とも、諦めない心を持ち続けて努力し、目標、目的を達成していく。その背後の親子愛にも強く心を打たれる物語だった。</div><div><br></div><div>僕は、内容も去ることながら、教授のその心遣いに深く感謝したものだった。ちなみに、その後卒業するまで、本当にお世話になりっぱなしで今でも頭も上がらない。</div><div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20201112/00/friedrich-pascal/69/61/j/o0400056514849706737.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20201112/00/friedrich-pascal/69/61/j/o0400056514849706737.jpg" alt="" width="400" height="565"></a><div><div><br></div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20201112/00/friedrich-pascal/20/4d/j/o0336047514849706738.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20201112/00/friedrich-pascal/20/4d/j/o0336047514849706738.jpg" alt="" width="336" height="475"></a><div><br></div></div></div><div><br></div><div>インターステラーは、時空を越えて親子が人類を救うという話で、「時」と「空間」という、当たり前のように我々が認識しているように思える概念が、どれだけ実は不可思議で、可能性に満ちたものかということを強く感じさせてくれた。</div><div><br></div><div>この作品も親子愛がベースになっており、また、人類の存続がかかる、絶対に失敗できない局面を、親子の強い絆を活かしながら協力して次々と乗り越えるという物語だ。</div><div><br></div><div>過去、現在、未来のつながりという僕の大好きなテーマをど真ん中で扱っており、迷わずリストアップした。</div><div><div><br></div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20201112/00/friedrich-pascal/a3/2f/j/o0464066114849706740.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20201112/00/friedrich-pascal/a3/2f/j/o0464066114849706740.jpg" alt="" width="464" height="661"></a><div><br></div></div><div>最後は糸だ。</div><div><br></div><div>僕は小学生の頃から中島みゆきの曲が好きで、特に「銀の龍の背にのって」には、何度も勇気づけられた。</div><div>なので、この映画にも興味はあったのだが、映画を観に行く動機としてはもうひとおしほしいというのが本音だった。そんな中で彼女が勧めてくれたから、有給を取って見に行った次第だ。</div><div><br></div><div>人と人との出会いと別れがメインテーマの映画だ。日頃自分と接してくれている全ての人が紛れもなくかけがえのない存在であり、大切に関わっていこうという気持ちにさせてくれた。</div><div><br></div><div>我々は、周りの人をただただ愛していけるなら、他のどんな複雑な内容も重要でない。自分中心でない、本当の愛を追求し、与える人生を歩んでいきたいと改めて思わされた。</div><div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20201112/00/friedrich-pascal/ae/ef/j/o0189026714849706741.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20201112/00/friedrich-pascal/ae/ef/j/o0189026714849706741.jpg" alt="" width="189" height="267"></a><div><br></div></div><div>他にもここには挙げきれないくらい好きな映画はあるし、どれもが全て固有の素晴らしさがあるから比較はできないが、色んな意味でぱっと頭にうかんできたのがこの4作品って感じ。</div></div>
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<pubDate>Thu, 12 Nov 2020 00:15:29 +0900</pubDate>
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<title>仕事がえり</title>
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<![CDATA[ 楽しくも、悲しくも、怒りもない。<div>喜怒哀楽のどれにも該当しない。<div>今日行ったこと内容に、過不足があったとは思えない。</div></div><div>では、満足のいく一日だったと胸を張って言えるか？</div><div>充実感が身体中に満ちているか？</div><div>そうでないことくらいは認知できる。</div><div>気を紛らすことができるものを追求し続けたところで、心の中に満足感も、平安も訪れない。</div><div>気を紛らそうとしている対象があるんだ。</div><div>そいつにスポットをあてて、向き合わなきゃダメなんだ。</div><div>神の存否について</div>
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<pubDate>Tue, 10 Nov 2020 18:02:02 +0900</pubDate>
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<title>高尾山</title>
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<![CDATA[ <div><br></div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20201108/22/friedrich-pascal/7a/96/j/o1080080914848118562.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20201108/22/friedrich-pascal/7a/96/j/o1080080914848118562.jpg" alt="" width="1080" height="809"></a><div>今日は高尾山に上った。</div><div>地元のためこれまで何度上ってきたか分からない。</div><div>あまりにも行きすぎて、もはや特別感は何もない。</div><div>しかし、実際に行くと毎回思うことだが、空気がきれいで心地よい。普段動かないから、標高がそこまで高くないけど、僕にとっては割りときつかった。</div><div>文化的にも自然的にも魅力的な山だ。</div><div>山の中腹で買った三福団子は格別な美味しさだった。</div><div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20201108/22/friedrich-pascal/44/dc/j/o0809108014848118564.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20201108/22/friedrich-pascal/44/dc/j/o0809108014848118564.jpg" alt="" width="809" height="1080"></a><div><br></div><div>沢蟹も発見。</div></div><div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20201108/22/friedrich-pascal/09/91/j/o0809108014848118569.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20201108/22/friedrich-pascal/09/91/j/o0809108014848118569.jpg" alt="" width="809" height="1080"></a><div><br></div></div><div>在宅勤務が続く生活の中で、運動の意味でも、自然への接触という意味でも、大変よい刺激を受けた一日だった。</div><div><br></div><div>高尾山は天狗やたこ杉などの伝説があることも大きな魅力のうちの一つだと思う。歴史や伝説は、当時の人々と現在の人々をつなぎ合わせる。奥深さが増す。</div><div>伝説といえば、以前読んだサピエンス全史の内容を思い出す。人間が繁栄を築くことができた背景には、伝説や神話の存在があると。そう考えると、目に見えない内容が、超根本的なところで人類を動かし続けた結果、人類に高度な科学技術を持たしめ、複雑高度な都市を築かせたということであり、宗教や神話というのは、どれだけ宇宙の原理の解明が進み、科学技術が発達しても、決して侮ることができない代物であることは否定できまい。</div><div>高尾山の伝説が現在の八王子という町を少なくとも一部は形作っているのだ。</div>
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<pubDate>Sun, 08 Nov 2020 22:29:15 +0900</pubDate>
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<title>仕事がえり</title>
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<![CDATA[ 自分を知ってもらうことを理由に書くんじゃ、なんだか書いても、自分を力づける言葉にならない。必ずしも、その時の自分の気持ちとは関係がない内容をつらつら述べてしまうことになるから。それに気がついて、途中までかいた文章を消しました。<div><br><div>僕がこの世界をどうしたいかが重要なのに、僕が世界からどう評価されているかを気にしてしまう。他者からの評価軸をもとに、自分の目標、人生の目的を決めるということが、往々にしてある。でも僕は、人間は他者の世界で生きるのでなく、自分の世界で生きるべきだと思う。問題は、自分自身についてあまりにも無知であり、何が本当の喜びなのか、幸福とは何かがつかめないため、周囲の評価軸で生きるほかないということなのだ。だから、人生にとっての最重要課題はそれを発見することだ。しかし、この世界からその答えを見出だすにしても、そこには正しいものだけでなく間違っているものも共にありふれているから、何を参考にすべきかがはっきりしない。人間にとっての幸福とは何なのか、自分の心に素直に向き合わなければならない。そして方向性が見つかったなら、それを自分の行動に落とし込まなければならない。僕は、「人間にとっての幸福とは何かを発見する」、そして「それを行動に落とし込む」、また「他者に幸福を与えてあげられる自分となる」という挑戦は、自分の身を全て賭ける価値があるものだと思う。その挑戦を度外視する生活こそが不幸に他ならない。</div></div><div>世界・人生の本質をに向き合った瞬間、初めて落ち着くことができる。</div>
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<pubDate>Fri, 06 Nov 2020 20:18:11 +0900</pubDate>
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<title>井の頭公園</title>
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<![CDATA[ 今日は祝日で、やることもなかったので、井の頭公園に来た。前々から予定していたわけではなく、掃除後にparksという橋本愛と永野芽郁の映画をみて。高校生時代よく来ていたことを思い出して。久々に来てみたくなった。吉祥寺駅から勘で歩いて来たけど、運良くまっすぐつくことができた。井の頭公園のinokaというカフェでアイスコーヒーを買い、それでこうしてベンチに座って、追突しないのか心配になるほど白鳥ボートでごった返している池を眺めている。二度と訪れることのないこの一瞬一瞬を、皆が過ごしている。かけがえのないこの一瞬。皆笑顔だ。<br><br>人を惹き付けられる文章をかきたい。しかし、その前に、文字を紡ぎ出す源泉となるものが自分の中に必要なのだ。それは深い感受性だと思う。今このとき、自分の目が捉えている風景からなにを感じるか。この空間に身をおいて、なにを思うか。ここで感じることが、目の前に映る景色と必ずしも直接的に関連している必要はないと思う。人間の思考や、感情は、その時いる場所や、その時見ている景色だけから影響を受けるものではないから。しかし、通勤電車に乗っている時に感じるものとは一致しない感覚がここにいると生まれてくるというのは確かだと思う。<div><br></div><div>あの人と来たら何を思うんだろう。こんな冷静にはいられないなきっと。終始緊張していそうだ。せっかく一緒に来たのに、身を寄せること一つも照れてできやしない。そして、あとで後悔するんだ。<br><br>人を愛するとはなんだろう。愛おしくてたまらない感覚はどんなものだろう。<br><br>神が私を愛してくださっているという感覚を持つこと。それは環境に依存しないが、環境には影響を与える。それを持てるのならきっと、もっとあの人を愛せるだろう。もしかしたら、今あの人に寄せている気持ちも、恥ずかしく思うほど未熟であったことに気づくかもしれない。神の愛を感じる前に、人を本当に愛することはできないと思う。だから、この自然をみて、人々の笑顔をみて、神を感じることが、あの人を愛するということに直結するんだ。自分が幸せになりたいと強く思う。しかしそれを得られるのは、それを忘れるくらい、神を愛し、他者を愛したいと思った時だと思う。<br><br>神様を感じるのは素晴らしい！！<br><br>その感覚を持つこと、<br><br>持てるように努力すること、<br><br>それも素晴らしい！！<br><br>ベクトルを神に向けよう。どんな時も。<br><br><br>井の頭公園内を一周した。老若男女が集う憩いの場だ。parksで映っていた景色が散見できてよかった。<br><br>井の頭公園を後にして、駅前のタレカツというお店に。10分ほど待ったのち、二段タレカツを頼んだ。今は読書をするよりも、文字を書きたい。僕は、自分の思いを文字に書き起こすことは好きだが、人に伝えることにはそれよりは関心がむかない。<br>量が多かった。待った分だけ、たくさん頼んでしまう。少し後悔。<br><br>でもできれば多くの人に読んでほしいかも。さらに、少しでも元気づけてあげられることができればさらにいい。<br><br>でも読む人は何を期待して読むのか。<br><br>この世には言説だの、コラムだの、ブログだの、他人の書いた文章に溢れている。その中で自分の文章が読まれるためには、ニーズが、存在している必要がある。僕は、神の息吹を読者に触れさせてあげられるような文章を書きたい。言い方を変えれば、良心を啓発させてあげたい。より本質的な部分で。<br><br>できるだけ苦しんでいる人の立場にたって。<br><br>ただその時書きたいことを書きたい。<br><br>正直、多くの人に読まれることよりも、自分の思いを的確に奥行きのある言葉で表現することの方に重きを置きたい。</div>
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<pubDate>Wed, 04 Nov 2020 02:28:20 +0900</pubDate>
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<title>初投稿 目的と心構え</title>
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<![CDATA[ 迷う 。<div>読まれることを前提に書くのか、自分で見返すために書くのか。僕の理想は、他人から読まれることは一切念頭に置かずに、自分の思っていることをそのまま書き起こして、見る人が見てくれるというもの。どんなに少なくても構わない。0人だったとしても書き続けたい。ただの一会社員が書く平凡な日記に関心を持たれる理由は、当然のことながらただの1mmも存在しないのだから、独りの世界で書いていくことになると思う。こんな感じだから、勿論毎日書くことは想定していないし、正直毎回タイトルを考えるのも面倒くさいと思ってる。気まぐれで書いていく。ただ、共有してみてもいいかなと自分で思ったものに限るけど、当然。<div>1年前くらいまでの半年間は、Twitterにて、自分の考えとか書いてたが、文字制限があるから、僕が書きたい内容との相性が明らかに悪かった。</div><div>ブログだったらその辺気にせず書きたい分だけ書けるからいいかもなーって思って始めてみた。</div></div><div>僕は自分のことを、一般常識や共通認識とずれた考え方をしている自覚があるんだけど、そういう人ってそんな珍しくないと思ってるし、劣等感も何も抱いていない。同じ考え方の人ばかりだったら、どんな組織でも腐るでしょ。僕の好きなニーチェもそう言ってたと聞いている。</div><div>「あーこの感じ分かる！同じ考えを持つ人いたんだ！」ってなる感覚って、個人的にはたまらなくて、安心感が湧いてくると共に、力が加わる感じがする。その内容が本質的であればあるほど素晴らしい。</div><div>ただ僕が書く文章は、ほとんどの人(もしかしたら僕以外の全ての人)にとっては、何も得るものもなく、つまらないものとして目に映ると思ってるんだけど。</div><div>そんなことはどうでも良くて、自分の考えをできるだけ緻密に正確に、時には力強く記したいという思いに今溢れている。</div><div>上にも書いたとおりやる気がある時は惜しみ無く投稿を重ねてくつもり。一日に何本も書くこともあると思う。逆に気が乗らないときは、何日間も、何ヵ月間も、放置することがあるかもしれないが。</div>
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<link>https://ameblo.jp/friedrich-pascal/entry-12635822925.html</link>
<pubDate>Wed, 04 Nov 2020 01:46:38 +0900</pubDate>
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