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<title>fujiwwのブログ</title>
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<title>風立ちぬ</title>
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<![CDATA[ 風立ちぬ　感想　２回目<br><br>少しネットをぶらぶらしてサイドキーボートをうつ。<br><br>そもそも<br>「風」って何？と思い調べてみると<br><br>・時間<br>・時<br>・瞬間<br><br>という回答がでてきた。<br><br><br>誰がかぜを　見たでしょう<br>ぼくも　あなたもみやしない<br>けれど木の葉を震わせて<br>風は通り抜けていく<br><br>風は翼をふるわせて<br>あなたのもとへとどきませ<br><br>予告編の中でも出てくる詩である。<br><br>風立ちぬ。とは風が吹いた。さらに言うと時が経った。<br>という意味だろう。<br><br>時は黙視できない。<br>それは風のようである。<br><br>飛行機が飛ぶのにも常に風が必要であり<br>人が生きていく時間にも常に風が吹いているのである。<br><br>彼は多くの大量破壊兵器を生み出し、多くの人を死なせた。<br>それは事実である。<br><br>しかし、彼は振り返ると絶望だけではない。<br>愛する菜穂子との思い出がそこには確かにある。<br><br>風が吹いていたのである。<br>そして今もなおその風は吹いている。<br><br>生きてというメッセージが時を超えて彼を支えている。<br><br>時に翼が折れるかもしれない風は愛した菜穂子そのものである。<br>矛盾かもしれないが映画のメッセージはそこにあるのかもしれない。<br><br>飛ぶのにも風が必要であり、また空中分解してしまう原因も風である。<br><br>閉塞した時代に宮崎駿は風という一番好きなキーワードと飛行機という一番好きなジャンルで<br>伝えてきている。<br><br>僕はやっぱり宮崎駿が凄いと思う。<br><br>次はしっかりまとめて書きたい。
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<link>https://ameblo.jp/fujiww/entry-11582695346.html</link>
<pubDate>Tue, 30 Jul 2013 01:23:08 +0900</pubDate>
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<title>風立ちぬ</title>
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<![CDATA[ 風立ちぬ　感想　１回目<br><br>見ていて何度も出てくるキーワードがある。<br><br>一つは「夢」である。<br><br>次郎は小さいころから「夢」の中で常に飛行機を見て、乗って、歩く。<br>私が記憶しているだけ、中学の自宅、学校で本を借りてきた後、震災で本の火を消している時、会社に就職した際、菜穂子と別れる最後で５シーンも撮られている。<br>普通に大いし、何かメッセージがあるのだろう。<br><br>また、中学時代をのぞくと都度、カプロー二が自分の作った飛行機を次郎に案内している。<br>次郎はそれを淡々と歩き回り、敬意を持った感想を述べている。<br>対してカプロー二は雄大に、勢いよく、自信満々に次郎に飛行機を案内している。<br><br>ただ、彼が最後にたどり着いた飛行機は今まで何度もカプロー二が見せてきた飛行機とは真逆のシンプルな作りだった。<br>彼は劇中でカプロー二に10年という月日が想像力の最も盛る時期だと聞かされる。<br>彼は１０年という月日でシンプルな零戦を作り上げる。<br>それは人を殺す戦闘機だ。それは爆薬をのせた人殺しの大量破壊兵器だ。<br><br>しかし彼はそれを芸術の作品としてとらえている。<br>彼が求めた飛行機はあくまで「芸術」である。<br>突き詰めて突き詰めてようやくたどり着いたのが「零戦」という作品である。<br><br>風立ちぬではこの芸術作品であることと、戦闘機であることの葛藤が描かれていない。<br>私には意図して描いていないように見えた。<br>これは事実ではなく、私の感想と推測である。<br><br>宮崎駿は映画監督である。<br>映画にも葛藤がある。<br>森を生かすか、人を生かすか。というように「葛藤」を一番大切に感じながら仕事をしている監督がここを書かないのには意図があると思う。おかしいとさえいいたい。<br><br>思えば、次郎は劇中、一度も葛藤するシーンがない。<br>彼は淡々と物事を進めていく。<br><br>けんかをとめるべきか。とめないべきか。<br>名前をつげるべきか。つげないべきか。<br>菜穂子の部屋へいくべきか。いかないべきか。<br>菜穂子の結核がなおるまで家に寄り添うべきか。仕事場にいるべきか。<br>菜穂子が山にいるべきか、次郎といるべきか。<br>零戦を作るべきか。作らないべきか。<br>シベリアをあげたのは偽善だったのか。本心だったのか。<br><br>彼は最後、見事に零戦を作り上げる。<br>しかし、思ったほど彼は喜ばない。<br><br>なぜか。<br><br>ここからは私の推測だが、彼は沢山の人を殺す戦闘機を作り上げてしまったからだと考えた。<br><br>彼は自分が生きる意味と価値を問い直していたのではないだろうか。<br>生きるべきか。死ぬべきか。<br><br>最後、彼は夢の中で奈緒子に救われている。<br>生きて。と。<br><br>私はあのシーンは菜穂子の置き手紙の中に入った言葉の象徴シーンだと考える。<br><br>常に隣にいた菜穂子は彼は生きることの価値に葛藤していたことを感じていた。<br>そして彼の側でそれを支えて、最後にメッセージを送った。<br><br>生きてと。<br>これがこの映画の最後である。<br><br><br>キーワードのもう一つは「風」である。<br>風は幾度となく、次郎を襲う。<br>震災や飛行機の試験で彼は何度も風に大きく道を塞がれる。<br>しかし、逆に彼の力添えとなる奈緒子との出会いをのぞかせたのもその風である。<br><br>タイトルの「風立ちぬ」から分かるように「風」は大きな意味とメッセージが込められている。<br><br>風立ちぬ。いざ生きねやも。<br><br>風が吹いた。生きねば。<br><br>人それぞれに訳があると思うが私はこの訳が一番好きだ。<br>様々な風が次郎に人生をあおっているのであれば、彼は今後も生きないといけない。<br><br>だから生きねばならない。<br><br>そういうメッセージがあるのだろうか。<br><br>今日は遅いのでこの辺で一度きる。<br><br>次は前知識とか入れて推測をもっと増やせればと考えている。<br><br>以上。
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<link>https://ameblo.jp/fujiww/entry-11582675399.html</link>
<pubDate>Tue, 30 Jul 2013 00:02:56 +0900</pubDate>
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