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<title>fukuzyukaiのブログ</title>
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<title>四国遍路で不可能と思われた小児麻痺が快癒した話</title>
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<![CDATA[ <p>四国遍路で不可能と思われた小児麻痺が治癒した話があります。<br>「日本巡礼記集成」の中のn尼の手記によると昭和５５年５月４５番岩屋寺奥の院で小児麻痺により２０年間動かなかった女性の手が行場へ登ろうとして鎖に手をかけた途端に動くようになったということです。「不思議はいまも新たなり」です。其処の所を抜粋しておきます。「昭和５５年５月１２日、四国８８所巡拝」に、「美代ちゃん（１９歳の女性、小児まひで左腕が上に上がらず左足も不自由）が、お母さんと参加され３日目に４５番岩屋寺に着きました。そしてセリ割禅定に美代子ちゃんも上げようとして下から押したり、上から引っ張ったりしても、美代ちゃんの腕は上がらず、鎖も握れませんでした。それでもなおも下からと上からでひっぱいあげてやっと岩の頂上に着きました。一同よかったよかったと悦びあっていたとき、突然美代ちゃんが『先生手が動いた』というのです。『あっ』みんな驚いて美代ちゃんを見ました。するとあの２歳から変形し硬直して動かなかった左手の指五本のうち三本が動くようになっていて、さらに腕が上下に動いているのです。みんなただただ目を見張っているばかりです。やがて感動の涙と御寶号が皆の口から一斉にあふれ出ました。とりわけお母さんもとめどなく涙を流しつついつまでも『南無大師遍照金剛』を唱え続けました（日本巡礼記集成）」とあります。自分でもここを書き写すたびに涙が止まらなくなります。</p>
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<link>https://ameblo.jp/fukuzyukai/entry-12908531453.html</link>
<pubDate>Fri, 24 Apr 2026 12:40:39 +0900</pubDate>
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<title>観音霊験記真鈔24/３３</title>
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<![CDATA[ <p>観音霊験記真鈔24/３３</p><p>西國二十三番勝尾寺千手像御身長八尺（2.4ｍ）。</p><p>釈して云く、従来未だ観音の三十三身を明かさず。最も聖観音の示現なりと云へども本一躰の分身なれば千手の像の處にて挙げて失なき者歟。観音普門品に云く、一には佛身、二には辟支佛身、三には聲聞身、四には梵王身、五には帝釈身、六には自在天身。七には大自在天身、八には天大将軍身、九には毘沙門身、十には小王身、十一には長者身、十二には居士身、十三には宰官身、十四には婆羅門身、十五には比丘身、十六には比丘尼身、十七には優婆塞身、十八には優婆夷身。十九には長者婦女身、二十には婆羅門婦女身、二十一には宰官婦女身、二十二には婆羅門婦女身、二十三には童男身、二十四には童女身、二十五には天身、二十六には龍身、二十七には夜叉身、二十八には乾闥婆身、二十九には阿修羅身、三十には迦楼羅身、三十一には緊那羅身、三十二には摩睺羅身、三十三には執金剛身也。</p><p>私に按ずるに經の科別答の中に曲（つぶさ）さには三十三身を挙ると云へども經の科段に由て十九説と云へり。三十三身とは初め佛身より執金剛身までなり。經の科段は佛身より執金剛身までを十九説法と取るなり（仏告無尽意菩薩、善男子よ、若し国土に衆生有りて、　応に仏身を以って得度すべき者には、　観世音菩薩即ち仏身を現じて、而も為に法を説きたもう（十九説法の第一説法）。　応に（十二因縁を修行して覚る）辟支仏の身を以って得度すべきものには、　即ち辟支仏の身を現じて、而も為に法を説きたもう（十九説法の第二説法）。　応に（苦渋滅道の四諦を修行して覚る）声聞の身を以って得度すべきものには、　即ち声聞の身を現じて、而も為に法を説きたもう（十九説法の第三説法）。（仏様の御姿には法身・応身・変化身の三種類があるが、ここで観音様の現されるお姿は三身一体の変化身である。那須政隆師「観音経講話」）。」以上を三「聖」身の説法という。（以下六種「天」身の六説法、五種「人」身の五説法、四「衆」身の一説法、四「婦女」身の一説法、「童男童女」身の一説法、「八部衆」の一説法執、「執金剛神」の一説法とあり、全部で十九説法となる）。實には此の中に三十三身を挙るなり。委しくは観音普門品を見合すべし。又楞厳経には三十二説法と云ふ。繁きを恐れて之を略す。（大佛頂如來密因修證了義諸菩薩萬行首楞嚴經卷第六「世尊由我供養觀音如來。蒙彼如來授我如幻聞薫聞修金剛三昧。與佛如來同慈力故。令我身成三十二應入諸國土・・・」）。復次に三十三身は各々三業を具足せり。其の所以は佛身と云は身業なり。得度と云ふは化益（教化 して善に導き、利益 を与えること）なり。化益し玉ふべき道理を意に分別し玉ふ故に是意業なり。説法と云ふは是口業なり矣。</p><p>問、観音は大悲の故に十方界を利済し玉ふこと顕著なり。しかるに三十三身の中に菩薩身</p><p>・地獄道を缺くことは何ぞや。</p><p>答、観音即ち菩薩身なり、何ぞ重ねて示現をなさん。又地獄界三十三身の中には無しと云へども三十三身総答の中に謂く、種々の形を以て諸国土に遊ぶ矣（妙法蓮華經觀世音菩薩普門品第二十五「是觀世音菩薩。成就如是功徳。以種種形遊諸國土度脱衆生」）。なんぞ無しと云はんや。又請観音經に云く、或いは地獄に遊戯す（請觀世音菩薩消伏毒害陀羅尼呪經「大悲大名稱 吉祥安樂人&nbsp;&nbsp;&nbsp; 恒説吉祥句 救濟極苦者 衆生若聞名 離苦得解脱&nbsp; 亦遊戲地獄 大悲代受苦 或處畜生中 化作畜生形&nbsp; 教以大智慧 令發無上心」）。</p><p>釈論に云く、菩薩地獄を化するに多く佛身を現ず（觀音義疏「釋論云菩薩化地獄多作佛身」）。又觀無量壽經に云く、観音光中に五道を現ず矣。（佛説觀無量壽佛經「次亦應觀觀世音菩薩。此菩薩身長八十億那由他恒河沙由旬。身紫金色。頂有肉髻。項有圓光。面各百千由旬。其圓光中有五百化佛。如釋迦牟尼。一一化佛。有五百菩薩無量諸天。以爲侍者。擧身光中五道衆生。一切色相皆於中現」）。此等の文を以て推するに十法界の身具はれり已上。西國西國二十三番摂津國勝尾寺千手観音像は沙門開成の建立（日本往生全伝に開成沙門は柏原天皇の子で弥勒寺（後の勝尾寺）を建立とあり）比は宝亀八年九月日向國沙門興日座主開成に語りて云く、傳へ聞く高堂すでに成りて未だ像あらず。八尺白檀の木あり。願くは君に奉らん。開成悦び則ち弟子豊南を西國に遣はして・・寺に至る。しかれども未だ佛師あらず。十一年七月十五日沙門妙観と云者</p><p><a href="https://www.google.co.jp/url?sa=t&amp;rct=j&amp;q=&amp;esrc=s&amp;source=web&amp;cd=&amp;ved=2ahUKEwjr4-rmi_-EAxUBdvUHHeB0CsAQFnoECB8QAQ&amp;url=https%3A%2F%2Fkatsuo-ji-temple.or.jp%2Fhistory%2Fdetail%2Fhistory06.php&amp;usg=AOvVaw0i1HNnknJLbg2AbKT-2d6N&amp;opi=89978449">https://www.google.co.jp/url?sa=t&amp;rct=j&amp;q=&amp;esrc=s&amp;source=web&amp;cd=&amp;ved=2ahUKEwjr4-rmi_-EAxUBdvUHHeB0CsAQFnoECB8QAQ&amp;url=https%3A%2F%2Fkatsuo-ji-temple.or.jp%2Fhistory%2Fdetail%2Fhistory06.php&amp;usg=AOvVaw0i1HNnknJLbg2AbKT-2d6N&amp;opi=89978449</a></p><p>来たりて云ふ、我よく佛を刻む。開成ますます頼めり。三日の後僧俗すべて十八人妙観に伴ひ来りて像を刻む。千手観音なり。又四天王の像を加へて凡そ五尊三十日に刻む。八月十八日に妙観掌を合わせて像を拝みて飛去ぬ。随ふ處の者十八人一時に見ず。時の人云へらく、像をきざむ日も十八日、像成る日も十八日、像を刻む人數も十八人、妙観化し去る日も十八日、靈應の數いたつ゛らに儲けざるなり。衆生十八日を以て観音の縁日とするは此謂なり。又延暦元年（782年）異國より商人二人来たりて云ふ。百済國の后美しき姿にてまします。帝是を寵愛し玉ふ。未だに二十になり玉はず。其の髪白し。后これをかなしみて霊薬法験を求るにしるしなし。或夜后夢を見たまふ。日本國勝尾寺の本尊千手観音の利生類なし。汝夫是に祈れと。夢さめて後、后悦び玉ふ事かぎりなし。則ち日本國の山山光を出し庭を照らす。夢よりさめて后の髪黒し。是を以て我等二人和朝に来る。閼伽の器金鼓金鐘等の什物を遥かに彼の像に奉る。知らず勝尾寺何れの所とか為す。大宰府使者を遣してをくりて寺に至らしむとなり。歌に</p><p>「重くとも　罪にいのりはかちおでら　佛をたのむ　身こそやすけれ」</p><p>私に云ふ、歌の上の句は「重くとも」等は五障三従等の罪科はおもくとも佛けにいのり奉れば諸願成就するとなり。故に「祈りは勝尾寺」と詞の縁を取り、下の句の意自ずから知りやすし。此の下にては壽經の十八の願又は三十五の願を以て（大無量壽經第十八願は「設我得佛・十方衆生・至心信樂・欲生我國・乃至十念・若不生者・不取正覺・唯除五逆・誹謗正法」。大無量壽經第三十五願は「設我得佛・十方無量不可思議諸佛世界・其有女人聞我名字・歡喜信樂發菩提心厭惡女身・壽終之後復爲女像者・不取正覺」）講談すべし。権中納言經平（藤原 経平(ふじわら の つねひら、長和3年(1014年) - 寛治5年7月3日(1091年7月21日)、經平)は平安時代中期から後期にかけての公卿。 藤原北家小野宮流、権中納言・藤原経通の子。 官位は従三位・非参議）の歌に</p><p>「窓の月　軒端の花の折々は　心に掛けて身をや頼まん」</p><p>又源空上人の歌に</p><p>「ひとかたに　頼みをかくる　白糸の　苦しき筋に　乱れずもがな」</p><p>已上西国の歌に引き合わすべし。</p>
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<link>https://ameblo.jp/fukuzyukai/entry-12907474503.html</link>
<pubDate>Fri, 24 Apr 2026 11:41:18 +0900</pubDate>
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<title>護国寺一言地蔵様の霊験</title>
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<![CDATA[ <p>護国寺一言地蔵様の霊験<br>護国寺が発行しておられる「護国寺」第96号に一言地蔵様の霊験が載っていました。<br>最近一言地蔵様の前で熱心に拝む人が増えて有難いことと思っていましたが、この「護国寺誌」をみるとやはり大変なご利益を受けている人が増えていることがわかりました。</p><p>紙面より紹介します。「お地蔵様には沢山の方がお参りに来られます。遠くは北海道や福岡から来られています。・・学生さんが真面目にお参りされていたので聞いてみると『お陰様で東大に合格しました』とのことです。・・ある方は『事業をはじめましたがお客様の事を考えて努力したらうまくいきましたのでお礼に伺いました』といいました。お陰を受けて毎日お礼に見える方も沢山いらっしゃいます。・・・」。</p><p>&nbsp;</p><p>私も十年くらい前に、一言地蔵様には素晴らしいお蔭をいただきました。六十年続いた継母との根深い確執、これにより私も生まれた寺を継げなかったくらい根深いものでしたが、このままでは恥ずかしいと思い一言地蔵様に願掛けしたお陰で奇跡的に和解し継母が本当に良いおばあさんに変身したのです。</p><p>&nbsp;</p><p>最近は二つ目のお願いをさせていただいたところこれも二日後に見事に聞き届けられました。誠に誠に有難いことです。</p>
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<link>https://ameblo.jp/fukuzyukai/entry-12908531351.html</link>
<pubDate>Fri, 24 Apr 2026 11:39:37 +0900</pubDate>
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<title>観自在菩薩冥應集、連體。巻3／6・16／29</title>
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<![CDATA[ <p>観自在菩薩冥應集、連體。巻3／6・16／29</p><p>十六義朝の妻常盤観音を念じて母子共に安穏なる事。（平治物語下巻・第六章にあり）</p><p>後二条院永暦元年（1160年）正月三日左馬頭源義朝尾張国知多郡野間の内海にて家人長田庄司忠致に討たれ玉ひ、頼朝は生け捕られ玉ひぬ。この外、九条院の雑仕常盤腹に三人あり。皆男子にてあるなりとて尋ねられければ、常盤是を聞いて、我故頭殿におくれ奉ってせんかたなきにも、この忘形見にこそ今日までも慰むに、若し敵にも捕られなば片時も絶へて在るべき心地もせず。さればとてはかばかしく立忍ぶべき便もなし。身一つだに隠し難きに三人の子供引き具して誰かは暫し宿すべきと泣き悲しみける餘りに思得る方もなきままに、年来頼み奉りたる観音にこそ歎き申さめとて、二月九日の夜に入て三人の小人を引き具して清水寺へこそ参りけれ。母にも知らせんと思ひければ乳人童の一人をも具せずして八つになる今若をば先に立て六歳の乙若をば手を引き、牛若は二つになれば懐に抱きつつ黄昏時に宿を出、足に任せてたどり行く心の中こそ哀れなれ。佛前に参りても二人の子共を脇に据へ只さめざめと泣き居たり。終夜の祈誓にも童九の歳より月詣でを始めて十五歳になるまでは十八日ごとに三十三巻の普門品を読み奉りその年より毎月法華経三部、十九の歳より日ごとにこの三十三體の聖容を写し奉る。此の如くの志大慈大悲の御誓にて照らし知召すならば、わらはが事はとにもかくにも三人の子供の甲斐なき命を助け玉へとくどきけり。誠に三十三身の春の花、薫らぬ袖もあらじかし。十九説法の秋の月照らさぬ胸もなかるべければ、さすがに千手千眼哀れとはみそなはし玉ふらんとこそ覚へける。漸く暁にもなり行かば師の坊へ入りけるに日頃は左馬守（義朝）の最愛の妻なりしかば参詣の折々には供の人に至る迄きよげにこそありしが今は引き替て身をやつせるのみならず盡もせぬ歎きに泣きしほれたる姿目もあたられねば師の僧あまりの悲しさに年来の御情け争でか忘れまひらせん、幼き人もいたはしや、暫しは忍びておはせかしと申せば、御志は嬉しく侍れども六波羅近き處なれば暫しも如何侍らん、誠に忘れ玉はずば御佛神の御憐より外は憑む方も侍らねば観音によくよく祈り申してたび玉へとて、又夜中に出ければ坊主泣く泣く唐の太宗は佛像を禮して栄華を一生の春の風に開き、漢の明帝は経典を信じて寿命を六旬の秋の月に延ばすと申せば、三寶の御助空しかるまじく候と慰めけり。宇多郡をこころざせば大和大路を尋ねつつ南を指して歩めども習はぬ旅のあさだちに露と争ふ我が涙、袂も裳もしほれけり。二月十日の事なれば餘寒猶烈しく嵐に凍る道芝の氷に足は破れつつ血に染む衣の裾子故、餘所の袂さへしほれたり。這う這う伏見の伯母を尋行きたれども、古源氏の大将軍の方などいひし時こそ結びも親しみしが今は謀反人の妻子となればうるさしとや思ひけん、物詣でしたりとて情けなかりしかども若しやと暫く待居つつ待期も過ぎて立ち辺れば日もはやがてに暮れにけり。又立ち寄るべき處もなければ怪しげなる柴の戸に佇みしに内より女たち出て情けあってぞ宿しける。世に立たぬ身の旅寝とて浮節しげき竹の柱ある甲斐も無き命持ちて独り歎きて伏見の里に夜を明かし、出ればやがて木幡山（京都市伏見区の桃山御陵付近の山をいう。古くは奈良街道が通じていた）馬はあらばや歩にても君を思へば行くぞよと、幼き人に語りつついざなひ行けば此の人々歩み疲れてひれ臥し玉ふ時は一人を抱きける上に二人の人の手を引き腰を抑へて行きなやみたる消息眼もあてられぬ玉鉾の道行人も怪しめば是も敵の方様の人にやと肝を消す處に旅も哀れに思ひければ、見る者ごとに負ひ抱きて助け行く程に泣く泣く大和國宇多郡竜門といふ處に尋ね至り、伯父を憑みてぞ隠れ居にける。去る程に清盛は義朝の子供常盤が腹に二三人有ると聞きて而も皆男子也、尋ねよと有りしかば常盤が母を召出して問はれける程に左馬守（義朝）討たれ玉ひぬと聞へしより子供引き具して何地ともなく迷出て侍りぬ、いささか知侍らんと申しければ、南条其の母を搦捕って尋ねよとて、六波羅へ召し出し漸ふ漸ふに誡め問ければ、母泣く泣く申しけるは我六十に餘る身の命、今日明日とも知らぬ老の身を惜みて未だ遥かなる孫共の命をばいかでか失侍るべきなれば、知りたりとも申すまじ。まして知らぬ行末何とか申し候はん、と口説けば水火の責にも及ぶべかりしを常盤宇多郡にて此の由聞き伝え母の為に憂き目にやあはんは如何せん、我故母の苦を見玉ふらんこそ悲しけれ、佛神もさこそ悪（にく）しと思召すらめ、子供は僻事の子なれば終には失はん事の悲しさよと思へば三人の子供引き具して都へ上り本の住家に往て見れば人もなし。こは如何にと尋ればあたりの人一日六波羅へ召し玉ひしが未だ帰り玉はずとぞ答へける。常盤先ず御所へ参って申しけるは女の身のはかなさは、若し片時も身に添へてや見ると此の幼き者共引き具し片田舎に立忍びてさぶらひつるが童故にゆくへも知らぬ老ひたる母の六波羅へ召して憂き目に逢玉ふと承れば餘に悲しくて恥をも忘れて参りたり。早早いとけなき者と諸共に六波羅へ遣はさせおはしまして母の苦しみを止めて給はり候へと申せば、女院をはじめまいらせて有りとある人々平常は老ひたる母をば失ふとも後世をこそ弔はめ、おさなき子供を如何に殺さんと思ふべきに、子供をば失ふとも母を助けんと思ふらん有がたさよ、佛神も定めて憐み思召すらん。年来此の御所へ参るとは皆人知れりとて、尋常に出立たせて親子四人清げに車にて六波羅へぞ遣はされける。見慣れし宮の内も今日を限りと思ふには涙も更に留まらず名をのみ聞きし六波羅へも近付けば屠所の羊の歩とは我が身一に知れたり。常盤既に参りしかば伊勢守景綱（平忠盛・清盛に仕えた有力家人）申次にて、女の心のはかなさは暫も若しや身に添侍るとおさなき者相具して片邊土へ忍びて侍りつるが行方も知らぬ母を召し置せおはしますと承って御尋の子供具して参り候は母をば疾く疾く助けおはしませと掻口説きければ聞く人涙をぞ流しける。清盛此の由聞き玉ひて先ず子供相具して参りたる条神妙也とてやがて対面し玉へば、二人の子は左右の脇にあり、幼きをば抱きけり、涙を抑へて申しけるは、母は本より科無き身にて候へば御免し候ふべし。子供の命を助け玉はんとも申候はず。一樹の下に住み同じ流れを渡るも此の世一つの事ならず（説法明眼論「富二知ルペシ。先世の授戒ノ師ハ今世ノ父母なり。先世の授戒ノ祖師ハ今世ノ祖父祖母ナリ。過去ノ同学ハ現在ノ兄弟ナリ。過去ノ同聴ハ現在ノ姉妹なり。其ノー師二於テ別所二戒ヲ受ルハ今世ノ兄ノ子、弟ノ子、姉ノ子、妹ノ子ナリ。先世ノ師ト同学トハ又今ノ世ノ内外ノ叔父叔母ナリ。或ハ知識卜為リ。或ハ師弟ト為る。或ハ同行ト為る。或ハ伴侶ト為る。或ハ同姓ト為る。或ハ同学ト為る。或ハ同僚ト為る。或はー国二坐し。或ハー郡二住シ。戒ハー懸二處シ。或ハー村二處シ。一樹ノ下二宿シ。一河ノ流ヲ汲ミ、一衣ノ同宿、一日ノ夫妻、一所ノ聴聞、暫時ノ同道、半時ノ戯笑、一言ノ会釈、一坐ノ飲酒、同杯同酒、一時ノ同車、同畳ノ同坐、同詠ノー臥、軽重に異有リ。親疎に別有ルモ皆是れ先世ノ結縁ナリ。是ヲ以テ験知スルニ牛馬六畜モ今生二結縁セバ当来二親ムべシ」。）高きも卑きも親の子を思ふ習ひ皆さこそ侍らめ。童此の子供を失ては甲斐なき命片時も絶へてあるべくとも覚へ侍らねば此の世の御情け後の世までの御利益是に過ぎたる御事候はじ、ながらへて夜昼歎き悲しまん事も罪深く覚へ侍ると口説けば六つ子、母の貌を見上げて啼て能く申させ玉へと云へば、母は愈々涙にぞ咽びける。さしも心強げにおはしましつる清盛も頻りに涙の進みければ押拭ひ押拭ひして、左あらぬ體にもてなし玉へば左計（さばかり）たけき兵も皆袖をぞ絞りける。忍びあへぬ輩は多く座敷を立たれけるとかや。常盤は今年廿三、梢の花はかつ散りて少し盛りは過ぎたれども中々見どころあるに異ならず。本より眉目形人に勝れたるのみならず、わかきより宮仕へして物馴れたる上、利口なりしかば理正しふ思ふ心を言続けたり。緑の眉墨紅の涙に乱して物思ふ日数経にければ其の昔にはあらねども、打ちしほれたる様、猶よのつねには勝れたりければ、此の事なくてはいかでかかかる美人をば見るべきと申せば、或る人語りけるは能くこそ実にも理（ことはり）よ、伊通大臣</p><p><a href="https://www.google.co.jp/url?sa=t&amp;rct=j&amp;q=&amp;esrc=s&amp;source=web&amp;cd=&amp;ved=2ahUKEwjt2M-hrr2JAxVAb_UHHYndL8wQFnoECB0QAQ&amp;url=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F%25E8%2597%25A4%25E5%258E%259F%25E4%25BC%258A%25E9%2580%259A&amp;usg=AOvVaw3iXUH9LQYNqc74sg-S3-Hc&amp;opi=89978449">https://www.google.co.jp/url?sa=t&amp;rct=j&amp;q=&amp;esrc=s&amp;source=web&amp;cd=&amp;ved=2ahUKEwjt2M-hrr2JAxVAb_UHHYndL8wQFnoECB0QAQ&amp;url=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F%25E8%2597%25A4%25E5%258E%259F%25E4%25BC%258A%25E9%2580%259A&amp;usg=AOvVaw3iXUH9LQYNqc74sg-S3-Hc&amp;opi=89978449</a></p><p>の中宮の御方へ人の眉目よからんを進らせんとて九重に名を得たる美人を千人召して百人撰び百人が中より十人を撰び十人が中の一とて此の常盤を進らせしかば、唐の楊貴妃、漢の李夫人（「漢書‐光武李夫人」に「北方に佳人あり、 絶世にして独り立つ。一顧すれば人の城を傾け、再顧すれば人の国を傾く」とあり）も是には過じものをと云へば見れども見れども弥珍かなるも理かなとぞ申しける。去る程に母は免されけるに此の孫共を失ひて明日をも知らぬ老の身の助かりても何かせん、うたての常盤や老の命を助けんとてあの子供をば何しに具して参りけん、四人の子供の事を思はんより只老の身を先ず失せさせ玉へとて泣き悲しみけるも理なり。足音のあららかなるをも今は今は失はるる使いなるらんと肝をけし、聲高らかに物を云ふをも早その事よと魂を失ひけるに、大弐（平治元年、平清盛は大宰大弐となる）宣ひけるは、義朝が子供の事、清盛が私の計にあらず君の仰せを承りて執り行ふばかりなり。伺ひ申して朝儀にこそ従はめ、と宣へば一門の人々幷侍共、何にかよふに御心弱き仰せにて候やらん、此の三四人成長候はんは只今の事なるべし。公達の御為末代こそ懼ろしくこそ候へと申せば、清盛、誰もさこそ思へどもをとなしき頼朝を池殿の仰せにて助け置く上は兄をば助け弟を誅すべきならねば、力なき次第なりとの宣ひけり。常盤は母子共命今日に延るも偏に観音の御計らひと思ひければ弥よ信心を致して普門品を読み奉り、子供には名号をぞ唱へさせ玉ひける。かくて露の命も消へやらで春も半ば暮れけるに、兵衛佐頼朝は伊豆の國へ流さると聞へしかば、我が子供は何國へか流されんと胆を消し伏し沈みけるが、清盛幼ければとて流罪の義にも及ばざりけり。さて常盤をば清盛最愛して近所に取居へて通はれけるとぞ聞へし。去れば其の腹の男子三人流罪をも遁れて兄今若は醍醐に登り出家して悪禅師全済とて稀代の荒者なり（全成は頼朝の弟で、義朝の七男。醍醐寺で修行していたが、頼朝挙兵を聞いて寺を抜け出して頼朝軍に合流。北条政子の妹阿波局を妻とし、鎌倉幕府成立後は駿河国駿東郡阿野(現在の静岡県沼津市)に所領を得、還俗して阿野氏を称した。北条時政と結んで2代将軍頼家と対立し、4年後の建仁3年(1203)には謀反の容疑で捕らえられて常陸国で誅殺された）。中乙若は八條の宮に候ひて卿公（きょうのきみ）圓済とて坊官法師なり。弟牛若は、鞍馬寺の東光坊の下にありて遮那王とぞ申しける。後に源九郎義経と申しけり。母の常盤、清盛に思はれて、姫君一人儲けたり。その娘後には花山院の</p><p>左大臣の御臺盤所（左大臣藤原兼雅の正室となった清盛の次女）に親しくおわしますとて上臈女房にてをはしましけり。三條殿とも申しけり。又は廊の御方とも申しけり。此の女房和琴の上手にてましましける上、類なき手書にて剰へ絵書花結諸道に達し玉へり。心に憐み深くして人に情けを重くせり。女房なれども連句作文も並びなければ院も稀代の女房なりとぞ仰せられける。或は大納言有房卿（六条 有房は、鎌倉時代中期から後期にかけての公卿･歌人。太政大臣・久我通光の孫）の北の方ともいへり。常盤は清盛にすすめられて後一條大蔵卿長成（平安時代後期の貴族。藤原北家中関白家。歌舞伎では源氏の支援者。）の北の方になって子供数多出来たり。繁盛せりとかや、是偏に幼少より清水の観音を信じ奉りし感応なりといへり。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/fukuzyukai/entry-12908530946.html</link>
<pubDate>Fri, 24 Apr 2026 11:36:39 +0900</pubDate>
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<title>今日は東寺講堂が建てられた日</title>
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<![CDATA[ <p>今日は東寺講堂が建てられた日<br>高野春秋に「天長二年四月二十四日。勅して始めて東寺講堂を建て始む。・・」完成は大師入定の承和二年（835）とされます。現在の講堂は延徳三年（1491）、創建時の基壇の上に再建されて居るとのことです。現在の仁王経曼荼羅を二十一体で表現する羯磨曼荼羅は承和六年（839）６月１５日に開眼されているとのことです。</p>
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<link>https://ameblo.jp/fukuzyukai/entry-12908530870.html</link>
<pubDate>Fri, 24 Apr 2026 10:35:45 +0900</pubDate>
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<title>仁王護国般若波羅蜜多経（全巻書き下し）</title>
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<![CDATA[ <p>仁王護国般若波羅蜜多経<br>開府儀同三司特進試鴻臚卿肅國公食邑三千戸賜紫贈司空謚大鑒正號大廣智大興善寺三藏沙門不空奉詔譯　<br><br>（この経は仏が波斯匿王の為に護国の法を説き賜うもので八品あり。上巻に序品第一（仏が王舎城鷲峯山にいませしとき無量の菩薩四部八部衆が囲繞していたことを説く）、観如来品第二（仏が佛果を護り、十地行を獲るべきことを説く）、菩薩行品第三（十地行の次第を説く）、二諦品第四（勝義・世俗二諦の義を説く）、下巻に護国品第五（護国の法を説く）、不思議品第六（般若波羅蜜多の不思議を説く）、奉持品第七（十地の菩薩の行相、護国の五大菩薩と陀羅尼を説く）、屬累品第八（流通させる功徳を説く）。<br><br><br>序品第一（仏が王舎城鷲峯山にいませしとき無量の菩薩四部八部衆が囲繞していたことを説く）<br>如是我聞。一時佛王舍城鷲峰山中にいまして、大<br>比丘衆千八百人と倶なりき。皆阿羅漢なり。諸漏已に盡き復た煩惱なし。心善く解脱し慧も善く解脱し九智と十智（(一)世俗智 (二)法智 (三)類智 (四)苦智 (五)集智 (六)滅智 (七)道智 (八)他心智 (九)盡智(十)無生智）ありて所作已に辦ず。三假實觀（法假虛實觀，受假虛實觀，名假虛實觀）・三空門觀（空、無相、無願）・有爲功徳・無爲功徳、皆悉く成就せり。復た比丘尼衆八百人と倶なりき。皆阿羅漢なり。復た無量無數の菩薩摩訶薩あり。實智平等にして永く惑障を断じて方便善巧をもて大行願を起こし、四攝法（布施、愛語、利行、同事）を以て有情を饒益す。四無量心（慈・悲・喜・捨）をもて普く一切を覆い、三明<br>（天眼通、宿命通、漏尽通）鑒達して五神通（天眼通、天耳通、他心通、宿命通、如意通）を得。無邊の菩提分法（四念住・四正断・四神足・五根・五力・七覚支・八正道）を修習して、工巧技藝は諸世間に超え、深く縁生の空無相願（空、無相、無願）に入り、滅定に出入して示現量りがたし。魔怨を摧伏し二諦（真諦と俗諦）を雙照す。法眼普見して衆生根を知り、四無礙解（法無礙智・義無礙智・辞無礙智・楽説無礙智）ありて演説無畏なり。十力妙智（深心力・増上深心力・方便力・智力・願力・行力・乗力・神変力・菩提力・転法輪力）もて法音を雷震す。無等等と金剛三昧に近し。如是の功徳は皆な悉く具足せり。復た無量の優婆塞衆・優婆夷衆は皆な聖諦（苦諦・集諦・滅諦・道諦）を見る。復た無量の七賢行（一初發心，二有相行，三無相行，四方便行，五習種性，六性種性，七道種性）を修するあり。念處・正勤・神足・根・力・八勝處・十徧處・十六心行をもて諦現觀（さとり）に趣く。復た十六大國の王あり。波斯匿王（はしのくおう）等なり。おのおの若干の千萬眷屬と倶なりき。復た六欲天王・釋提桓因等あり。其眷屬の無量天子とともなりき。色四靜慮（色界の初から四までの四禅定）の諸大梵王も亦た眷屬の無量の天子と倶なりき。諸趣の變化無量の有情と阿脩羅等若干の眷屬と倶なりき。復た十方淨土を變現して百億師子の座を現ずるあり。佛、其上に坐して廣宣法要せり。一一の座前に各一花を現ず。是の百億の花は衆寶嚴飾せり。諸花上において一一に復た無量化佛・無量菩薩あり。四衆八部悉く皆な無量なり。其中の諸佛は各各の般若波羅蜜多を宣説し、展轉して十方恒沙諸佛國土に流徧す。如是等の諸來大衆あり。各の佛足を禮して退きて一面に坐せり。<br>爾時、世尊、初年の月の八日、大寂靜妙三摩地に入る。<br>身の諸毛孔より大光明を放ち普く十方恒沙佛土を照す。是時に欲界の無量諸天は衆妙花を雨ふらし。色界の諸天も亦た天花を雨ふらす。衆色間錯して甚だ愛樂すべし。時に無色界、諸香花を雨ふらす。香は須彌の如く、華は車輪の如し。雲の如くにして下り、遍く大衆を覆う。普く佛世界は六種に震動す。爾時、大衆は自ら相謂って言く、「大覺世尊よ、前に已に我等が為に、摩訶般若波羅蜜多・金剛般若波羅蜜多・天王問般若波羅蜜多・大品等の無量無數の般若波羅蜜多を説きたまへり。今日、如來、大光明を放つは斯れ何事をかなしたまはんとする。時に室羅筏國（しらばつこく・舍衛國）波斯匿王（はしのくおう）は是の思惟をなす。「今、佛が是の希有の相を現じ給うは必ず法雨を雨ふらし普く皆、利樂せんと」。即ち、寶蓋・無垢稱等の諸優婆塞、舍利弗、須菩提等の諸大聲聞と、彌勒、師子吼等の諸菩薩摩訶薩に問うて言く、「如來所現は是れ何の瑞相ぞや」と。時に諸大衆能く答うる者なし。波斯匿王等は佛の神力をうけて廣く音樂を作し、欲色の諸天も各の無量の天の諸妓樂を奏す。聲は三千大<br>千世界に遍ぜり。<br>爾時、世尊は復た無量阿僧祇光を放つ。其明は雜色あり。一一の光中に寶蓮華を現ず。其の華に千葉ありて皆金色となる。上に化佛ありて宣説法要す。是の佛の光明は普く十方恒河沙等の諸佛國土において縁あれば斯に現ず。彼の他方の佛國中に東方普光菩薩摩訶薩・東南方蓮華手菩薩摩訶薩・南方離憂菩薩摩訶薩・西南方光明菩薩摩訶薩・西方行慧菩薩摩訶薩・西北方寶勝菩薩摩訶薩・北方勝受菩薩摩訶薩・東北方<br>離塵菩薩摩訶薩・上方喜受菩薩摩訶薩・下方蓮華勝菩薩摩訶薩、あり。各の無量百千倶胝菩薩摩訶薩と皆な來りて此に到る。種種の香を持し、種種の華を散じ、<br>無量音樂を作して如來を供養し佛足を頂禮して默然として退坐し合掌恭敬して一心に觀佛す。<br><br>仁王護國般若波羅蜜多經・觀如來品第二（仏が佛果を護り、十地行を獲るべきことを説く）<br>爾時世尊三昧より起ち、師子座に坐して大衆に告げて言く「吾十六諸國王等咸く是念を作すを知る。『世尊は大慈ありて普く皆なを利樂したまう。我等諸王云何が護國せんと』。善男子よ、吾今先ず諸菩薩摩訶薩のために、佛果を護り十地行を護ることを説かん。汝等皆應に諦聽諦聽し善くこれを思念せよ」と。<br>是時大衆の波斯匿王等は佛語を聞き已りて咸く共に讃じて言く、「善哉善哉」と。即ち無量の諸妙寶花を散して虚空中に變じ寶蓋となし、諸大衆を覆いて<br>周遍せざるなし。時に波斯匿王は即ち座より起ちて佛足を頂禮し、合掌長跪して佛に白して言さく、「世尊菩薩摩訶薩、云何が佛果を護り、云何が十地行を護るや」と。<br>佛、波斯匿王に告げて言く「佛果を護るとは、諸菩薩摩訶薩、應に如是に住すべし。一切の卵生・胎生・濕生・化生を教化するに、色相を観ず、色如を観ざれ。受想行識と我人と知見と常楽我浄と四攝・六度と二諦と四諦と力・無畏等の一切諸行乃至菩薩如來も亦復た如是なり。相を観じ、如を觀じざれ。所以は何となれば諸法の性は即ち眞實なるをもっての故に、無來・無去・無生・無滅にして眞際に同じ、法性に等しく無二無別にして猶ほ虚空の如し。蘊處界（五蘊・十二処・十八界）の相は我・我所（主体・客体）なし。是を菩薩摩訶薩の修行般若波羅蜜多となす。」<br>波斯匿王佛に白して言く、「世尊よ、若し菩薩・衆生の性が無二ならば、菩薩は何の相をもってか衆生に化する耶」。<br>佛言はく「大王よ、色受想行識、常樂我淨なり。法性は色に住せず、非色に住せず。受想行識・常樂我淨も亦た淨に住せず、非淨に住せず。何以故。諸法性悉く皆な空なるが故に、世諦に由るが故に、三假（法假・受假・名假）に由るが故に。一切有情と薀處界法と造福と非福と不動行等との因果皆有なり。三乘の賢聖の所脩の諸行乃至佛果も皆な名けて有となす。六十二見（外道の62の見識）も亦た名けて有となす。大王よ、若し名相に著して分別諸法せば、六趣・四生・三乘の行果は即ち是れ諸法實性を見ず」。<br>波斯匿王、佛に白して言さく、「諸法實性は清淨平等なり。非有非無の智は云何んが照さん」。<br>佛言たまはく「大王よ、智、實性を照らさば非有非<br>無なり。所以はいかんとなれば、法性は空なるが故なり。是れ即ち色受想行識・十二處・十八界・士夫六界・十二因縁・二諦・四諦は一切皆空なり。是諸法等は即生即滅、即有即空なり。刹那刹那も亦復た如是なり。何以故、一念中に九十刹那あり。一刹那は九百生滅を經る。諸有爲法は悉く皆な空なるが故なり。<br>甚深の般若波羅蜜多を以て諸法を照見するに一切皆空なり。内空・外空・内外空・空空・大空・勝義空なり。有爲空・無爲空・無始空・畢竟空なり。散空・本性空・自相空・一切法空なり。般若波羅蜜多空・因空・佛果空・空空なるが故に空なり。諸有爲の法は法集なるが故に有なり。受集なるが故に有なり。名集なるが<br>故に有なり。因集なるが故に有なり。果集なるが故に有なり。六趣なるがゆえに有なり。十地なるが故に<br>有なり。佛果なるが故に有なり。一切皆有なり。善男子よ、若し菩薩、法相に住せば、我相・人相・有情・知見とあり。世間に住すとなす。即ち菩薩にあらず。所以者何。一切諸法は悉く皆な空なるが故なり。若し諸法において而も不動・不生・不滅・無相・無無相を得て見を起すべからず。何以故。一切法は皆な如也。諸佛法僧も亦た如也。聖智現前する最初の一念に八萬四千波羅蜜多を具足するを名けて歡喜地という。障盡きて解脱し、運載するを乘と名く。動相滅する時を<br>金剛定と名く。禮相平等なるを一切智智と名く。<br>大王よ、此の般若波羅蜜多の文字章句は百佛千佛<br>百千萬億一切諸佛と而も共じく同に説く。若し人ありて恒河沙三千大千世界において、滿中の七寶をもちいて大千世界の一切有情に布施して皆な阿羅漢果を得せしむも、人有りて此經中において乃至一念の淨信を起さしむるに如かず。何況や能く一句を受持讀誦解すること有らん者をや。所以いかんとならば、文字性離して文字相なし。非法、非非法にして般若空なるが故に。菩薩も亦た空なり。何以故。十地中において、地地に皆な始生・住生及び終生あり。此の三十生は悉く皆な是れ空なり。一切智智も亦復た皆な空なり。大<br>王よ、若し菩薩、境を見、智を見、説を見、受を見るは即ち聖見にあらず。是れ愚夫の見なり。有情の果報と三界は虚妄なり。欲界分別所造の諸業と色四靜慮定<br>（離生喜樂を初靜慮、定生喜樂を第二靜慮、離喜妙樂を第三靜慮、捨念清淨を第四靜慮。となす）<br>の所作業と無色四空定（空無邊處定、識無邊處定、無所有處定、非想非非想處定）の所起業と三有業果は一切皆空なり。三界根本無明も亦た空なり。<br>聖位の諸地には無漏生滅あり。三界中において餘の無明習と變易果報も亦復た皆な空なり。等覺菩薩は金剛定を得、二死の因果空なり。一切智も亦た空なり。佛無上覺と種智圓滿して擇・非擇滅と眞淨法界と性相平等の應用も亦た空なり。善男子よ、若し般若波羅蜜多を修習することあらば説者も聽者も譬えば幻士の説無く聽無きが如し。法は法性に同じ、猶し虚空の如し。一切法は皆な如也。大王よ、菩薩摩訶薩の佛果をうること此の如しと為す。<br>爾時世尊、波斯匿王に告げて言く、「汝、何の相を以て而も如來を觀るや」と。<br>波斯匿王言く「身の實相を觀ず。觀佛も亦た然なり。前際無く、後際無く、中際無し。三際（過去・現在・未来）に住せず、三際を離れず。五蘊に住せず、五蘊を離れず。四大に住せず四大を離れず。六處（眼、耳、鼻、舌、身、意）に住せず、六處を離れず。三界に住せず、三界を離れず。方に住せず、方を離れず。明と無明と等しく、一に非ず、異に非ず。此に非ず、彼に非ず。淨に非ず、穢に非ず。有為に非ず、無爲に非ず。自相無く、他相無し。無名・無相、無強・無弱、無示・無説、施に非ず慳に非ず。戒に非ず、犯に非ず。忍に非ず、恚に非ず。進に非ず、怠に非ず。定に非ず、亂に非ず。智に非ず、愚に非ず。來に非ず、去に非ず。入に非ず、出に非ず。福田に非ず、不福田に非ず。相に非ず、無相に非ず。取に非ず、捨にあらず。大に非ず、小に非ず。見に非ず、聞に非ず、覺に非ず、知にあらず。心行處滅し言語道斷す。眞際に同じく、法性に等し。我此相を以て如來を観たてまつる。佛、言たまわく「善男子よ、汝が所説の如し。諸佛如來の力・無畏（十力と四無所畏）等の恒沙功徳と、諸不共法（仏に具わっている十八種のすぐれた特質。 十力・四無所畏・三念住・大悲）と悉く皆な如是なり。般若波羅蜜多を修する者は應に如是に觀ずべし。若し他觀の者は名けて邪觀となす。是の法を説きたまう時、無量大衆は法眼淨を得たり。<br><br>仁王護國般若波羅蜜多經・菩薩行品第三（十地行の次第を説く）<br>爾時、波斯匿王佛に白して言さく、「世尊、十地行を護する菩薩摩訶薩は應に云何が修行し、云何が衆生を化せん。復た何の相を以てか而も觀察に住すべきや」。<br>佛、大王に告げたまはく、「諸菩薩摩訶薩は五忍法（伏、信、順、無生、寂滅）に依って以って修行をなすべし。所謂伏忍・信忍・順忍・無生忍、皆上中下あり。<br>寂滅忍において而も上下あり。名て菩薩の般若波羅蜜多を修行す、となす。善男子よ、初の伏忍位は習種性（空觀を修ししかもこれを破る。六種性に一、習種性（十住）二、性種性（十行）三、道種性（十廻向）四、聖種性　（十地）五、等覚性（等覚）六、妙覚性（妙覚））を起こし十住行を修す。初發心の相に恒河沙衆生ありて、佛法僧を見て十信を発す。所謂、信心・念心・精進心・慧心・定心・不退心・戒心・願心・護法心・迴向心なり。此十心を具して而も能く少分の諸衆生を化す。二乘と一切善地を超過す。是を菩薩の初の長養心となす。聖胎となるが故なり。<br>復次に性種性の菩薩（習種性の次の位。六種性とは一、習種性（十住）二、性種性（十行）三、道種性（十廻向）四、聖種性　（十地）五、等覚性（等覚）六、妙覚性（妙覚））は、十種波羅蜜多（六波羅蜜に、方便・願・力・智の四波羅蜜を加えたもの）を修行し、十對治を起こす。所謂身受・心法は不淨・諸苦・無常・無我なりと観察して、貪瞋癡の三不善根を治し、施・慈・慧の三種善根を起こし、三世を觀察す。過去の因忍･現在の因果忍・未來の果忍となり。此の位の菩薩は廣く衆生を利して我見・人見・衆生等の想を超過す。外道の倒想は壞すること不能の所なり。<br>復次に、道種性の菩薩は十回向を修し十忍の心を起こす。謂く、五蘊の色受想行識を観じて、戒忍・定忍・慧忍・解脱忍・解脱知見忍を得、三界の因果を観じて空忍・無想忍・無願忍を得る。二諦の假實を観じて諸法無常なれば無常忍を得、一切法空なれば無生忍を得る。此の位の菩薩は轉輪王となりて能く廣く一切衆生を化利す。<br>復次に信忍菩薩とは、謂く歡喜地離垢地發光地なり。能く三障色煩惱縛を断じ、四攝法を行ず。布施・愛語・利行・同事なり。四無量を修す、慈無量心・悲無量心・喜無量心・捨無量心なり。四弘願を具し、諸纒蓋を断じて常に衆生を化して佛知見を修し、無上覺を成じ、三脱門に住す。空解脱門・無相解脱門・無願解脱門なり。此是の菩薩摩訶薩は初發心より一切智に至るまで諸行の根本なり。一切衆生を利益安樂す。<br>復次に順忍菩薩（五忍法とは伏忍、信忍、順忍、無生忍、寂滅忍）とは、謂く焔慧地・難勝地・現前地なり。能く三障心の煩惱縛を断ず。能く一身において遍く十方億佛刹土に往き、不可説の神通變化を現じ衆生を利樂す。<br>復次に無生忍菩薩とは、謂く遠行地・不動地・善慧地なり。能く三障色心の習氣を断じ、而も能く不可説身を示現し、隨類の一切衆生を饒益す。<br>復次に寂滅忍とは、佛・菩薩同じく此の忍により金剛喩定（長い修行の最後まで残った微細な煩悩を断じて次の瞬間に仏陀になる禅定）にして下忍位に住す。名て菩薩となす。上忍に到るを一切智と名く。<br>勝義諦を觀じ、無明相を斷ず、是を等覺と為す。一相無相平等無二なり。第十一一切智地と為す。非有・非無、湛然清淨として無來・無去・常住不變。眞際に同じく、法性に等し。無縁の大悲、常に衆生を化し、一切智に乗じ来って三界を化す。善男子よ、諸衆生の類、一切の煩惱・業・異熟果、二十二根は三界を出ず。諸佛の應化法身を示導したまうも亦た此れに離れず。若し説いて三界の外に於いて別に更に一衆生界ありと言う者あらば、即ち是れ外道の大有經の説なり。大王よ、我れ常に諸衆生に語る。但だ三界の無明を断じ盡せる者は即ち名けて佛と為す。自性清淨なるを名て本覺性となす。即ち是れ諸佛の一切智智なり。此によりて衆生の本となすことを得。亦た是れ諸佛菩薩の行の本なり。是を菩薩の本、修行するところの五忍法中の十四忍（住、行、廻向、歡喜、離垢、發光、焰慧、難勝、現前、遠行、不動、善慧、法雲、正覺忍）と為す也。<br>佛言はく、「大王よ、汝先に問うて言く、『菩薩云何が衆生を化せむ』とは、菩薩摩訶薩は應に如是に化すべし。初の一地より後の一地に至る。自所行の處と及び佛行處なり。一切知見の故に。若し菩薩摩訶薩、百の佛刹に住して、贍部洲轉輪聖王となり、百法明門を修し、檀波羅蜜多を以て平等心に住し、四天下一切衆生を化す。若しくは菩薩摩訶薩、千佛刹に住し、忉利天王となりて、千法明門を修し、十善道を説いて一切衆生を化す。若しくは菩薩摩訶薩、萬佛刹に住し、夜摩天王となりて、萬法明門を修し、四禪定によって一切衆生を化す。若しくは菩薩摩訶薩、億佛刹に住し、覩史多天王となりて、億法明門を修し、菩提分法を行じ、一切衆生を化す。若しくは菩薩摩訶薩、百億佛刹に住し、化樂天王となりて、百億法明門を修し、二諦四諦をもて一切衆生を化す。若しくは菩薩摩訶薩、千億佛刹に住し、他化自在天王となりて、千億法明門を修し、十二因縁智を以て一切衆生を化す。若しくは菩薩摩訶薩、萬億佛刹に住し、初禪梵王となりて、萬億法明門を修し、方便善巧智を以て一切衆生を化す。若しくは菩薩摩訶薩、百萬微塵數佛刹に住し、二禪梵王となりて、百萬微塵數法明門を修し、雙照平等にして神通願智により一切衆生を化す。若しくは菩薩摩訶薩、百萬億阿僧祇微塵數佛刹に住し、三禪梵王となり、百萬億阿僧祇微塵數法明門を修し、四無礙智を以て一切衆生を化す。若しくは菩薩摩訶薩、不可説不可説の佛刹に住し、第四禪大梵天王となりて、三界の主となり、不可説不可説法明門を修し、理盡三昧を得て、佛行處に同じ、三界の源を尽くして衆生を普利すること佛境界の如し。是を菩薩摩訶薩、諸王身を現ずる化導之事となす。十方如來亦復た如是なり。無上覺を証して<br>常に法界に遍じて衆生利樂す。<br>爾時、一切大衆は即ち座より起ち、不可説の花を散じ、不可説の香を焚き、如來を供養恭敬稱讃す。時に波斯匿王は即ち佛前において偈を以て讃じて曰く<br>世尊導師は金剛の体なり、心行寂滅にして法輪を転じ、<br>八弁の洪音をもって、衆のために説き給う、時に衆の道を得たもの百億萬なり。<br>天・人ともに出離の行を修し、能く一切菩薩道を習う。<br>五忍（伏忍・信忍・順忍・無生忍・寂滅忍）の功徳は妙法門にして、十四菩薩は能く諦了したまう<br>　　　　　　　　　　　　　　　　　　<br>三賢十聖（菩薩の修行階位のうち、聖位である十地（十聖）と、それ以前の十住・十行・十回向（三賢）のこと）は忍中行にして、惟だ仏一人のみ能く源を尽くしたまふ<br>佛法衆海は三寶の藏にして 無量の功徳その中に攝在す<br>十善の菩薩は大心をおこして　 長く三界苦輪海を別れる<br>中下品の善は粟散王となり 上品の十善は鐵輪王となる<br>習種性のひとは銅輪王として二天下に王となり<br>銀輪は三天にして性種性なり<br>道種性の堅徳は轉輪王となり 七寶の金輪は四天下なり。<br>伏忍（五忍（伏忍・信忍・順忍・無生忍・寂滅忍）の最初が伏忍）の聖胎は三十人 即ち十住と十行と十廻向となり<br>三世の諸佛は中において行じ 此の伏忍によって生ぜざるなし<br>これ一切の菩薩行の本原なり 是故に發心信心を難しとなす<br>若し信心を得れば必ず不退なり 進んで無生の初地道に至る<br>自他を利化して悉く平等なり 是を名けて菩薩初發心とす<br>歓喜菩薩はこれ転輪王なり、はじめて二諦平等の道を照す<br>權に衆生を教化して百國に遊び 檀施清浄にして群生を利す<br>理の般若に入るを名けて住となし 住して徳行を生ずるを地と為す<br>初住の一心に徳行を具足すれば 勝義の中において而も不動なり<br>離垢の菩薩は忉利王なり、 形を六道の千國土に現じ<br>無縁無相にして真実性なり、 無体・無生・無二照なり<br>発光の菩薩は夜摩王なり、 形に応じて万諸の仏刹に往き<br>善能く三摩地に通達して、穏健自在にして三明を具す。<br>歡喜と離垢と發光と（十地の一者歡喜地、二者離垢地、三者發光地、四者燄慧地、五者難勝地、六者現前地、七者遠行地、八者不動地、九者善慧地、十者法雲地）能く色縛諸煩惱を滅して<br>具に一切身口業を観じ 法性清淨に照して皆圓なり<br>焔慧の菩薩は大精進なり 覩史天王億刹に遊ぶ<br>實智の寂滅と方便智と無生の理に達して空有を照らす<br>（十地の下から5番目）難勝の菩薩は平等を得る 化樂天王として百億國なり<br>空空諦觀して無二相なり 形を六趣に垂れて周かざることなし<br>（ 十地の下から六番目）現前の菩薩は自在王なり、縁生相無二と照見し<br>勝義の智光は能く遍滿し 千億土に往きて衆生を化す<br>焔慧・難勝・現前地（十地の上位から法雲・善慧・不動・遠行・現前・難勝・焔慧・発光・離垢・歓喜地）<br>とは 能く三障（煩悩障、業障、報障）迷心惑を断じ、<br>空慧（空の道理をさとる智慧）は寂然として縁觀無く 還って心空無量境を照らす<br>（十地の上から四番目の） 遠行の菩薩は初禪王なり 無相・無生忍に住す<br>方便善巧悉く平等なり 常に萬億土にして群生を化す<br>（十地の上から三番目の） 不動法流地に進入して永く分段なくして諸有を超ゆ<br>常に勝義を観じて照すこと無二なり 二十一生の空寂行<br>順道法愛（法に対する執着）無明習 遠行の大士獨り能く斷ず<br>（十地の上から三番目の）不動の菩薩は二禪（欲界を離れた色界での4種の段階・四禅（初禅・第二禅・第三禅・第四禅）の下から二番目）の王なり<br>變易身（阿羅漢や菩薩の生死）を得て常に自在なり<br>能く百萬微塵刹において 其形類に随って衆生を化す<br>悉く三世無量劫を知り 第一義に於いて不動なり<br>（十地の上から二番目）善慧の菩薩は三禪王なり 能く千恒に於いて一時に現ず<br>常に無爲空寂行にありて 恒沙の佛藏一念に了ず<br>（十地の一番上）法雲の菩薩は四禪王なり 億恒土において群生を化す<br>始めて金剛に入りて一切了なり　二十九生永く已に度す（初果の須陀洹果を得たものは、人間界に七生、天上界に七生、またそれぞれ生の終りから次の生を得るまでの中有の十四生、合せて二十八生を経れば、さらに二十九回目の生をうけず、完全な涅槃に入ることができるとされる。）<br>寂滅の忍中下忍觀なり 一轉すれば妙覺無等等なり<br>（十地の上位から法雲・善慧・不動・遠行・現前・難勝・焔慧・発光・離垢・歓喜地のうち）不動・善慧・法雲地とは 前の所有の無明習を除き<br>無明の習相は識ともに轉ず 二諦理は圓かにして盡きることなし<br>正覺は無相にして法界に遍ず 三十生（十地の菩薩は猶三十生を受けるがその上の妙覚の位では生を盡きるという・仁王護國般若經疏）盡きて智圓明なり<br>寂照無爲眞解脱、大悲應現して與に等しきものなし（仏の大悲利他願力に由りて大小種種類身を応現す。）<br>湛然不動にして常に安隱なり 光明遍照して無所照なり<br>三賢十聖は果報に住し 唯佛一人、淨土に居したまう<br>一切有情は皆な暫住なり 金剛原に登りて常に不動なり<br>如來の三業は徳無量なり 諸衆生に随って等しく<br>憐憫す<br><br>法王は無上人中の樹なり 普く大衆を蔽いて無量光なり<br>口に常に説法して無義にあらず 心智寂滅して無縁の照なり<br>人中の師子爲に演説したまう 甚深句義未曾有なり<br>塵沙の刹土は悉く震動し 大衆は歡喜して皆な益を蒙る<br>世尊は善く十四王を説きたまう 是故に我今頭面をもて禮したてまつる（仁王般若經疏に十四王とは「一、粟散王十善下品。二、習種菩薩銅輪王。三、性種菩薩銀輪王。四、道種菩薩金輪王亦名轉輪王。五、初地菩薩四天王。六、二地菩薩忉利天王。七、三地菩薩焔魔天王。八、四地菩薩兜率天王。九、五地菩薩化樂天王。十、六地菩薩他化自在天王。十一、七地菩薩初禪王。十二、八地菩薩二禪王。十三、九地菩薩三禪王。十四、十地菩薩四禪王。」）<br>爾時、百萬億恒河沙の大衆は佛・世尊及び波斯<br>匿王の十四忍無量功徳を説きたまうを聞きて、大法利を獲て悟解し、無生忍（一切のものが不生不滅であると覚ること）を得て正位に入る<br>爾時、世尊は大衆に告げて言はく、「是の波斯匿王は、已に過去十千劫、龍光王佛法中において、四地の菩薩たり。我れは八地の菩薩なり。今我前において大に師子吼す。如是如是に汝が所説の如し。眞實義を得ること不可思義なり。唯だ佛と佛とのみ乃ち斯の事を知りたまう。<br>善男子よ、此の十四忍（住、行、廻向、歡喜、離垢、發光、焰慧、難勝、現前、遠行、不動、善慧、法雲、正覺忍）は、諸佛の法身、諸菩薩の行なり。不可思議不可稱量なり。何以っての故に。一切諸佛は皆な般若波羅蜜多中において生じ、般若波羅蜜多中に化し、般若波羅蜜多中に滅す。而も實に諸佛は生に所生なく、化に所化なく、滅に所滅なし。第一無二なり。非相・非無相なり。無自・無他・無來・無去なり。虚空の如くなるが故なり。善男子よ、一切衆生は性・生滅なし。諸法集なるがゆえに。幻と化にして而も有り。蘊處界相は無合・無散なり。法は法性に同じ。寂然として空なるが故なり。一切衆生は自性清淨なり。<br>所作の諸行は無縛無解なり。非因・非果・非不因果なり。諸苦受行・煩惱所知・我相・人相・知見・受者は一切空なるが故に。法の境界は空なり。空は無相・無作なれば、不順顛倒・不順幻化なり。六趣（六道）相無く、四生（胎生・卵生・湿生・化生）相無く、聖人相無く、三寶相無し。虚空の如くなるが故に。<br>善男子よ、甚深般若は無知・無見・不行・不縁・不捨・不受なり。正しく觀察に住して照相無し。斯の道を行ずる者は虚空の如くなるが故に。法相如是なり。有所得の心、無所得の心、皆不可得なり。是を以って般若は非即五蘊・非離五蘊・非即衆生・非離衆生・非即境界・非離境界・非即行解・非離行解なり。如是等の相は不可思量なり。是故に一切の菩薩摩訶薩の所修の諸行は未だ究竟に至らずして中において行じ、一切諸佛は如幻化を知り、無住相を得て而も中において化す。故に十四忍は不可思量なり。<br>善男子よ、汝が今所説の此の功徳藏は一切衆生を大利益す。假使ひ無量恒河沙數の十地菩薩、是の功徳を説くとも百千億分にして海の一滴の如し。三世諸佛は如實に能く知る。一切の賢聖も悉く皆な稱讃す。是故に我今所説の少分の功徳を略述す。<br>善男子よ、此の十四忍（住、行、廻向、歡喜、離垢、發光、焰慧、難勝、現前、遠行、不動、善慧、法雲、正覺忍）は、十方世界過去現在の一切<br>菩薩の修行する所、一切諸佛の顯示する所なり。未來の諸佛菩薩摩訶薩亦復た如是なり。若し佛菩薩、此門に由らずして、一切智を得るといはば是のことわりあることなし。何以故に、諸佛菩薩、異路無きが故なり。善男子よ、若し人、此の住忍・行忍・廻向忍・歡喜忍・難垢忍・發光忍・焔慧忍・難勝忍・現前忍・遠行忍・不動忍・善慧忍・法雲忍・正覺忍を聞きて能く一念清淨信を起こす者は是人、百劫・千劫・無量無邊恒河沙劫の一切苦難を超過して惡趣に生ぜず。久しからずして當に阿耨多羅三藐三菩提を得。是時、十億同名の虚<br>空藏菩薩摩訶薩と與無量無數の諸來大衆は歡喜踊躍して佛の威神を承けて、普く十方恒沙の諸佛、各道場において十四忍を説くを見るに、我が世尊の所説の如く異くことなし。各各歡喜し如説に般若波羅蜜多を修行す。<br>爾時、世尊、波斯匿王につげたまわく、「汝先問うて云く『復た何の相を以て而も觀察に住すや』と。菩薩摩訶薩は應に如是に觀ずべし。幻化身を以て而も幻化を見る。正住平等にして彼我あることなし。如是に觀察し衆生を化利す。然るに諸有情は久遠劫において初刹那の識、木石に異なり、生得の染淨、各の自ら能く無量無數の染淨の識本となる。初刹那より不可説の劫、乃至金剛の終の一刹那まで、不可説不可説の識ありて、諸有情の色心二法を生ず。色を色蘊と名け、心を四蘊と名く。皆な積聚の性なり。眞實を隱覆す。大王よ、<br>此の一の色法、無量色を生ず。眼得を色と為し、耳得を聲と為し、鼻得を香と為し、舌得を味と為し、身得を觸と為す。堅持を地と名け、津潤を水と名け、煖性を火と名け、輕動を風と名け、五識を生ずる所を五色根と名く。<br>如是に展轉して一色一心、不可説の無量色心を生ず。皆幻の如くなるが故に。善男子よ、有情の受は世俗に依って立す。若しは有、若しは無。但だ有情の妄想憶念より生ず。業を作り果を受くるを皆な世諦と名く。<br>三界六趣の一切有情、婆羅門・刹帝利（クシャトリヤ）・毘舍（バイシャ）・首陀（シュードラ）・我人・知見・色法・心法は夢の所見の如し。善男子よ、一切諸名は皆な假に施設す。佛未だ出でたまはざりし前は世諦の幻法は無明・無義亦た無體相なり。三界名なく、善惡果報無く、六趣名字無し。諸佛出現して有情の為の故に三界六趣の染淨・無量名字を説きたまう。如是に一切は呼聲の響の如し。諸法相續して念念不住なり。刹那刹那、一に非ず異に非ず。速起し速滅す。非斷非常なり。諸有爲法は陽焔の如くなるが故に。諸法相待す。所謂る色界・眼界・眼識界乃至法界・意界・意識界なり。猶電光の如く定相待（常住不変の相）に非ず。有無・一異は第二の月の如し。諸法は縁成なり。蘊處界の法は水上泡の如し。諸法は因成なり。一切有情に倶<br>時の因果・異時の因果あり。三世の善惡は空中雲の如し。善男子よ、菩薩摩訶薩は無分別に住して、彼此相無く、自他相無し。常に化利を行じて化利相無し。是故に應に知るべし、愚夫の垢識は虚妄に染著して相の為に縛せらる。菩薩の照見は、幻士の如く、體相あることなく、但だ空花の如しと知る。是を菩薩摩訶薩の自他を利する如實觀察に住すとなす。是の法を説く時、會中の無量の人・天・大衆は、伏忍・空無生忍・一地・二地乃至十地を得、無量菩薩、一生補處を得ることあり。<br>仁王護國般若波羅蜜多經　二諦品第四（勝義・世俗二諦の関係を説く）<br>爾時、波斯匿王、佛に白して言さく「世尊、勝義諦中に世俗諦ありや不や。若し無しと言ば、智二なるべからず。若し有と言はば智一なるべからず。一二の義、其事云何」と。佛言はく「大王よ、汝、過去、龍光王佛法中において已に此義を問へり。我今説くことなし。汝今聽くこと無し。無説・無聽、是を即ち名て一義、二義となす。汝、今、諦聽せよ、當に汝が為に説くべし。」<br>爾時、世尊即ち偈を説きて言く<br>無相勝義諦 體は自他作にあらず<br>因縁は幻有の如し 亦た自他の作に非ず<br>法性は本と無性なり 勝義諦は空如なり<br>あらゆる幻有の法は 三假集りて假有なり<br>無無諦は實無なり 寂滅にして勝義空なり<br>諸法は因縁有なり 有無義は如是なり<br>有無本より自ずから二なり 譬ば牛の二角の如し<br>照解は無二と見る 二諦は常に不即なれども<br>解心は無二と見る 二を求むるに不可得なり<br>二諦は一というに非ず 一も亦た不可得<br>解においては常に自ら一なるも 諦においては常に自ら二なり<br>此の一二を了達すれば 眞に勝義諦に入る<br>世諦は幻化より起る 譬ば虚空花の如し<br>影の如く毛輪の如し 因縁の故に幻有なり<br>幻化、幻化を見る 愚夫を幻諦と名く<br>幻師、幻法を見るは 幻にして悉く皆な無なりとさとる<br>若し如是法を了すれば 即ち一二義を解る<br>遍く一切法において 應に如是の觀を作すべし<br>大王よ、菩薩摩訶薩は勝義諦に住して諸有情を化す。佛及び有情は一にして無二なり。何以故に有情と菩提と此の二は皆な空なり。<br>有情空なるを以て菩提空を置くことを得る。<br>菩提空を以て有情空を置くことを得る。一切法、空空を以ての故に空なり。何以故に般若は無相にして二<br>諦皆空なり。謂く無明より一切智に至る。無自相・無他相なり。<br>第一義に於いては見に所見なし。若し有修行も亦た不取著なり。若し不修行も亦た不取著なり。非行も非不行も亦た不取著なり。一切法において皆不取著なり。菩薩は未成佛のときは菩提を以て煩惱となし、菩薩成佛の時は煩惱を以て菩提と為す。何以故に、第一義において而も無二なるが故に。諸佛如來と一切法と悉く皆な如なるが故に。波斯匿王は佛に白して言さく「十方諸佛一切菩薩は云何んが不離文字にして而も實相を行ずるや」。佛、大王にいはく「文字とは謂く、<br>契經と應頌と記別と諷誦と自説と縁起と譬喩と本事と本生と方廣と希有と論議となり。あらゆる宣説・音聲・語言・文字章句は一切皆な如にして實相にあらざるなし。若し文字の相を取らば即ち實相にあらず。大王よ、實相を修する者は文字の如く修す。實相は即ち是れ諸佛の智母なり。一切有情の根本智母なり。此即ち名て一切智體と為す。諸佛未だ成佛したまわざるときは當の佛のために智母となる。諸佛已に成佛すれば即ち一切智となる。未だ得ざるを性と為す。已に得たるを智と為す。三乘の般若は不生不滅にして自性常住なり。一切有情は此を覺性と為す。若し菩薩は不著文字・不離文字、無文字相・非無文字なり。能く如是に修して修相を見ざる、是即ち名けて文字を修する者、而も能く般若眞性を得るとなす。是を般若波羅蜜多と為す。<br>大王よ、菩薩摩訶薩は佛果を護し十地行を護し有<br>情を護化すること此の如しとなす。<br>波斯匿王、佛に白して言さく、「眞性は是れ一なり。有情の品類、根行、無量なり。法門は一とせんや、無量とせんや」。佛、大王にのたまわく「法門は一に非ず、亦た無量に非ず。何以故に、諸有情の色法・心法・五取蘊相・我人・知見・種種根行の品類無邊なるによりて。法門は根に随って亦無量あり。此の諸法性は非相・非無相にして而も非無量なり。若し菩薩、諸有情に随って一を見、二を見る。是れ即ち一二を見ざる<br>の義なり。一二は一に非ず、二に非ずと了知す。即ち勝義諦なり。一二に取著し若しは有、若しは無とせば即ち世俗諦なり。是故に法門は一に非ず二に非ざるなり。<br>大王よ、一切諸佛は般若波羅蜜多を説く。我今般<br>若波羅蜜多を説くこと無二無別なり。汝等大衆、受持讀誦・如説修行せば即ち諸佛之法を受持するとなす。大王よ、此の般若波羅蜜多の功徳は無量なり。若し恒河沙不可説の諸佛ありて是の一一の佛、無量不可説の有情を教化し、是の一一の有情は皆な成佛するを得る。是の諸佛等、復た無量不可説の有情を教化し、亦た皆成佛す。是の諸佛等所説の般若波羅蜜多は無量不可説那庾多億の偈あること説くも盡くすべからず。諸偈中において一偈を取りて分ちて千分となし、復た千分において而も一分の句義を説く功徳尚ほ無窮盡なり。何況んや如是の無量句義とあらゆる功徳をや。若し人ありて此經中において一念の淨信を起こせば是人即ち百劫千劫百千萬劫の生死の苦難を超ゆ。何況んや書寫受持讀誦し、人の為に解説せんをや。所得の功徳は<br>即ち十方一切諸と等しく異あることなし。當に知るべし、此人は諸佛護念して久しからずして當に阿耨多羅三藐三菩提を成ずべし。是の法を説きたまふ時、十億人は三空忍を得、百萬億人は大空忍を得、無量菩薩は十地に住することを得る。<br>仁王護國般若波羅蜜多經卷上<br><br>仁王護國般若波羅蜜多經卷下<br>護國品第五（護国の法を説く）<br>爾時世尊、波斯匿王等諸大國王に告げたまはく、「諦聽諦聽、我汝等が為に護國の法を説かん。一切の國土、若し亂んとする時、諸災難あり、賊来りて破壊せん。<br>汝等諸王、応に當に此般若波羅蜜多を受持讀誦すべし。<br>道場を厳飾し百の佛像を置き、百の菩薩像・百の師子座を置き、百の法師を請じ、此經を解説せしめよ。諸<br>座の前に種種の燈を燃やし、種種の香を焼き、諸の雜花を散じ、廣大供養し衣服・臥具・飮食・湯藥・房舍・床座、一切を供事して、毎日二時に此經を講讀せよ。若しは王・大臣・比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷、聽受讀誦して如法修行せば災難即滅す。大王よ、諸國土中に無量鬼神有り、一一に復た無量眷屬有り。若し是の經を聞かば汝が國土を護せん。若し國亂れんと欲するときは先ず鬼神亂る。鬼神亂るが故に即ち萬人亂る。當に賊起りて百姓喪亡することあるべし。國王・大子・王子・百官、互相に是非し、天地變怪し、日月衆星時を失い、度を失い、大火・大水及び大風等、是の諸難起らば皆な應に此の般若波羅蜜多を受持講説すべし。若し是經において受持讀誦せば一切所求の官位・富饒・男女・慧解、行來隨意なり。人天果報皆な滿<br>足するを得る。疾疫・厄難は即得除愈す。杻械枷鏁が其身を撿繋するも皆な解脱するを得る。四重戒を破し五逆罪を作り、及び諸戒毀の無量の過咎も悉く消滅することを得る。<br>大王よ、往昔、過去に釋提桓因あり。頂生王と為りて四軍衆を領し來りて天宮に上りて帝釋を滅ぼさんと欲す。時に彼の天主、即ち過去諸佛の教法により、百の高座を敷き百の法師を請じ、般若波羅蜜多經を講讀<br>せしに、頂生即ち退して天衆安樂なりき。<br>大王よ、昔、天羅國王に一太子あり名けて斑足という。王位に登る時、外道師あり名て善施と為す。王のために灌頂し、乃ち斑足をして千王の頭を取りて以って塚間の摩訶迦羅大黒天神を祀らしむ。自ら王位に登り、已に九百九十九王を得て唯だ一王をかく。北行萬里に乃ち一王を得る、名て曰く普明。其の普明王は斑<br>足に白して言さく、「願はくは一日をゆるして三宝を禮敬し沙門を飯食沙せしめよ。斑足は聞已りて即便ち之を許す。其王は乃ち過去諸佛所説の教法に依りて、<br>百の高座を敷き、百の法師を請ひ、一日二時に般若波羅蜜多八千億の偈を講説す。時に彼の衆中の第一の法師、普明王のために偈を説いて言く<br>「 劫火洞然として　　大千倶に壞る　　須彌巨海<br>磨滅無餘なり　　梵釋天龍　　諸有情等<br>尚皆殄滅せん　　何況んや此身をや　　<br>生老病死　憂悲苦惱　　怨親逼迫し　　能く願と違う<br>愛欲結使　　自ら瘡疣を作す　　三界は安きことなし<br>國に何の樂しみか有らん　　有爲は實ならず　　因縁より起る<br>盛衰電轉して　　暫く有て即ち無し　　<br>諸界の趣生は　業縁に随って現ず　　影の如く響の如く　　一切皆空なり<br>識は業に由って漂い　　四大に乗じて起る　　無明愛と縛は　我・我所より生ず　　識は業に随って遷る　　身は即ち主無し<br>應に知るべし國土の幻化なるも亦た然なり」<br><br>爾時、法師、此偈を説き已る。時に普明王は聞法してて悟解し空三昧を證し、王の諸眷屬は法眼空を得たり。其王即便ち天羅國に詣で、諸王衆中にして是の言を作す。「仁等今者、就命時の到れり。悉く應に過去諸佛所説般若波羅蜜多の偈を誦持すべし」と。諸王聞き已りて亦た皆な悟解し、空三昧を得、各各誦持す。時に斑足王は諸王に問いて言く、「汝等今者、皆、何の法を誦するや」と。<br>爾時普明、即ち上の偈を以て斑足王に答う。王、是の法を聞きて亦た空定を証し、歡喜踊躍し諸王に告げて言く、「我外道邪師のために誤またる。汝等の咎に非ず。汝ら各の還國し、當に法師を請じて般若波羅蜜多を解説すべし」と。<br>時に斑足王、國を以て弟に付し、出家して道となり、無生法忍を得たり。<br>大王よ、過去に復た五千國王有り。常に此經を誦し、現生に報を獲る。汝等十六諸大國王、護國法を修せば應當に如是に此經を受持讀誦解説せよ。若し未來世の諸國王等、國を護し、自身を護せんと欲する為には亦た應に如是に此經受持讀誦解説すべし。是法を説く時、無量の人衆、不退轉を得、阿修羅等天上に生ずることを得、無量無數の欲色の諸天は無生忍を得たり。<br><br>仁王護國般若波羅蜜多經　不思議品第六（般若波羅蜜多の不思議を説く）<br>爾時十六國王及び諸大衆は、佛の此の般若波<br>羅蜜多の甚深の句義を説きたまうを聞きて、歡喜踊躍し、百萬億衆の寶蓮花を散じ、虚空中に於いて寶花座と成る。十方諸佛・無量大衆は共に此座に坐して般若波羅蜜多を説く。是の諸大衆は十千の金蓮華を持し、釋迦牟尼佛上に散ず。合して花輪となりて諸大衆を蓋う。復た八萬四千の芬陀利花を散ず。虚空中に於いて<br>白雲臺となる。臺中の光明王佛は十方の諸佛無量大衆とともに、般若波羅蜜多を演説す。是の諸大衆は曼陀羅花を持し、釋迦牟尼佛及び諸衆會に散じ、復た曼殊沙花を散じて、虚空中に金剛寶城を變作す。城中の師子奮迅王佛、十方諸佛大菩薩衆と共に、勝義般若波羅蜜多を演説す。復た無量の天の諸妙花を散じ、虚空中に寶雲蓋と成りて遍く三千大千世界を覆う。是の花蓋中に恒河沙の花を雨ふらし空より下る。<br>時に波斯匿王及び諸大衆は、是の事を見已りて未曾有を歎じ、合掌して佛に向って是の言を作す。「願はくは過去現在未來の諸佛、常に般若波羅蜜多を説きたまえ。願くは諸衆生、常に見聞を得ること、我が今日の如く等しくて異あることなけん。佛、大王に言はく、「汝が所説の如し。此の般若波羅蜜多は是れ諸佛母・諸菩薩の母なり。不共の功徳、神通の生處なり。諸佛同じく説き能く多く利益す。是の故に汝等、常に應に受持せよ」と。<br>爾時世尊、諸大衆の為に、不可思議の神通變化を現じたまう。一花を無量花に入れ、無量花を一花に入れる。一佛土を無量佛土に入れ、無量佛土を一佛土に入れる。一塵の刹土を無量塵の刹土に入れ、無量塵の刹土を一塵の刹土に入れる。無量の大海を一毛孔に入れ、無量の須彌を芥子中に入れる。一佛身を無量の衆生身に入れ、無量の衆生身を一佛身に入れる。大復た小を現じ、小復た大を現ず。淨復た穢を現じ、穢復た淨を現ず。佛身は不可思議、衆生身は不可思議、乃至世界は不可思議なり。<br>當に佛、此の神變を現ずるの時、十千の女人は現に女身を転じて神通三昧を得、無量の天人は無生法忍を得、無量の阿修羅等は菩薩道を成じ、恒河沙の菩薩は現身に成佛す。<br><br>仁王護國般若波羅蜜多經　奉持品第七（十地の菩薩の行相、護国の五大菩薩と陀羅尼を説く.<br>この部分の句をもとにした「仁王護国般若波羅蜜多経陀羅尼品念誦儀軌」という不空訳の護国の修法がある。）<br>爾時、波斯匿王は佛の神變をみたてまつり、千の花臺上の遍照如來、千の華葉上の千化身佛、千の花葉中の無量諸佛がおのおの般若波羅蜜多を説くを見て、佛に白して言さく「世尊、如是の無量の般若波羅蜜多は、不可識識不可智知なり、云何が諸善男子は此經中に於いて明了に覺解して人の爲に演説すや」と。佛<br>、大王に言はく「汝、今諦聽せよ。初の習忍より金剛定に至って、如法に十三觀門（十地と、それ以前の十住・十行・十回向（三賢）のこと）を修行し、皆法師となり、依持し建立す。汝等大衆、應當に佛の如く之を供養し、百千萬億の天の妙香花を以って奉上すべし。<br>善男子よ、其の法師は習種性の菩薩なり。若し比丘比丘尼・優婆塞・優婆夷、十住行を修せば、佛法僧を見て菩提心を発し、諸衆生に於いて利樂悲愍す。自ら己身の六界諸根を一切無常苦空無我なりと観じて、業行・生死・涅槃を了知す。能く自他を利して饒益し安樂す。讃佛・毀佛を聞きても心定んで不動なり。有佛・無佛を聞きても心定んで不退なり。三業失なく、六和敬（修行者が、六つの点について互いに敬いあうこと。身和敬・口和敬・意和敬・戒和敬・見和敬・利和敬）<br>を起こし。方便善巧して衆生を調伏し、十智（一世俗智。二法智。三類智。四苦智。五集智。六滅智。七道智。八他心智。九尽智。十無生智。）を勤學して神通化利す。<br>下品、八萬四千の波羅蜜多を修習す。善男子よ、習忍<br>以前に十千劫を經て十善行を行ずるに退あり進あり。譬ば輕毛の風に随って東西するが如し。若し忍位に至り正定聚に入れば、五逆を作さず、正法を謗らず。我法の相は悉く皆な空なりと知るが故に。解脱位に住し、<br>一阿僧祇劫において、此の忍を修習し能く勝行を起こす。<br>復た次に性種性（六種性は習種性（十住）・性種性（十行）・道種性（十廻向）・聖種性（十地）・等覚性（等覚）・妙覚性（妙覚））の菩薩は無分別に住して、十慧觀を修す。財命を捨てるが故に、淨戒を持するが故に、心謙下するが故に、自他を利するが故に生死亂無きが故に、無相甚深なるが故に、有は如幻なりと達するが故に、果報を求めざるが故に、無礙解を得るが故に、念念に佛の神力を示現するが故に、四倒（無常を常、苦を楽、無我を我、不浄を浄と思う凡夫のまちがった考え）・三不善根（三毒）・三世惑業（三世のわたる迷いの苦悩）・十顛倒（四顛倒に貪・瞋・癡・過去因・未來果・現在因果の六顛倒を加えたもの）を対治するが故に、我人・知見・念念虚僞なり。名假・受假・法假は皆不可得なりと了達し自他の相無く、眞實觀に住し、中品に八萬四千波羅蜜多を修習す。二阿僧祇劫（十信・十住・十行・十回向を第1阿僧祇劫、十地のうちの初地から七地までを第2阿僧祇劫、八地から十地を第3阿僧祇劫とする）において、諸勝行を行じ、堅忍位を得る。<br>復た次に道種性の菩薩（六種性は習種性（十住に対応）・性種性（十行）・道種性（十廻向）・聖種性（十地）・等覚性（等覚）・妙覚性（妙覚））は堅忍中に住し諸法性を観じて無生滅を得、四無量心を以て能く諸闇を破し、常に諸佛を見て廣く供養をおこす。<br>常に諸佛を学び迴向心に住し、所修の善根は皆な實際の如し。能く三昧において廣く佛事を作す。種種の身行を現じ四攝法を行じ、無分別に住して衆生を化利す。智慧明了にして甚深觀察す。一切の行願は普く皆な修習す。能く法師となりて有情を調御す。善く五蘊三界二諦は自他相無しと観じ、如實の性を得、常に勝義を修すといえども而も三界に受生す。何以故に、業習果報、未だ壞盡せざるが故なり。人天中に於いて道に順じて生ずるが故なり。上品は八萬四千の諸波羅蜜多を修習す。三阿僧祇劫において二利を修し、広大に饒<br>益す。善く調伏し、諸三摩地を得、勝觀察に住して出離行を修す。能く平等の聖人地を証するが故なり。<br>復た次に歡喜地の菩薩摩訶薩は愚夫地を超え如來<br>家に生じ平等忍（『大集経』巻五十では十平等処（大菩薩のもつ十種の徳）として、衆生平等・法平等・清浄平等・戒平等・忍平等・精進平等・禅平等・智平等・一切法平等を挙げる）に住す。初無相智、勝義諦を照らして一相平等なり。相に非ず、無相に非ず。諸無明を断じ三界貪を滅し、未來無量の生死、永く生ぜざるが故なり。大悲を首となし、諸大願を起こす。方便智に於いて念念に無量の勝行を修習す。證に非ず、不證に非ず、一切遍く學ぶが故なり。住に非ず、不住に非ず、一切智に向うが故なり。生死に行じて魔に動ぜられざるが故に、我・我所を離れて怖畏無きが故に、自他の相なし。常に衆生を化すが故に。自在願力あり。諸淨土に生ずるが故に。善男子よ此の初覺智は如に非ず、智に非ず、有に非ず、無に非ず、有に非ず、二相あることなし。方便妙用。倒に非ず、住に非ず、動に非ず、靜に非ず。二利自在にして水と波が一に非ず異に非ざるが如し。智、諸波羅蜜多を起こす。亦一に非ず、異に非らず。四阿僧祇劫において滿足して百萬行願を修習す。此地の菩薩、三界の業習なし。更に新を造らず。智力に随って願を以て生ずるによるが故に。念念、常に檀波羅蜜多・布施・愛語・利行・同事を行じ、廣大清淨にして善能く安住し衆生を饒益す。<br>復次に離垢地の菩薩摩訶薩は四無量心最勝寂滅にして瞋等の習を断じ、一切行を修す。所謂、殺害を遠離し、與へざるは取らず、心に染欲なく、眞實語を得、和合語を得、柔軟語を得、調伏語を得、常に捨心を行じ、常に慈心を起こし、正直心に住し、寂靜純善にして破戒の垢を離れ、大慈觀を行じて念念現前す。<br>五阿僧祇劫において。清淨戒波羅蜜多を具足し、志意勇猛にして永く諸染を離る。<br>復次に發光地（十地は上から、法雲・善想・不動・遠行・現前・難勝・焔光・発光・離垢・歓喜）の菩薩摩訶薩は、無分別に住して無明闇を滅し、無相忍に於いて三明（宿命通、天眼通、漏尽通）を得、悉く三世を知り、無來無去なり。<br>四靜慮（四禅）・四無色定（空無辺処定 · 識無辺処定 · 無所有処定 · 悲想非非想処定.）に依りて、無分別智、次第に隨順す。勝定を具足し五神通を得、身を現ずること大小隱顯自在なり。天眼清淨にして悉く諸趣を見、天耳清淨にして悉く衆聲を聞き、他心智を以て衆生の<br>心を知り、宿住能く無量の差別の知をりて、六阿僧<br>祇劫において一切の忍波羅蜜多を行じ、大總持を得、利益安樂す。<br>復次に炎慧地（十地の下から四番目）の菩薩摩訶薩は順忍（十地の位のうちの四・五・六地）を修行し攝受する所なし。永く微細の身邊見を断ずるが故に。無邊の菩提分法を修習す。念處・正勤・神足・根・力・覺・道（四念住・四正断・四神足・五根・五力・七覚支・八正道の三十七菩提分法のこと）を具足す。力・無所畏・不共（十力と四無所畏と十八不共法）の佛法を成就せんと欲するが為に。七阿僧祇劫に於いて、無量の精進波羅蜜多を修習し、懈怠を遠離して普利衆生す。<br>復次に難勝地の菩薩摩訶薩は四無畏（菩薩の四無畏は①能持無所畏（教えを記憶して忘れることがなく、それを説くことにおける自信）、②知根無所畏（教えを説く相手の機根を把握し、適切な説法をすることに対する自信）、③決疑無所畏（衆生が持つ疑問を解くことにおけるゆるぎない自信）、④答報無所畏（どのような質問に対しても自在に答えることにおける自信）の四）を以て眞如清淨平等無差別相に隨順し、小乘に隨いて涅槃を樂求することを断ず。諸功徳を集め、具に諸諦を觀じ、此の苦聖諦・集滅道諦・世俗の勝義無量諦を観ず。衆生を利せんが為に諸技藝を習い、文字<br>・醫方・讃詠・戲笑・工巧・呪術・外道異論・吉凶占<br>相、一に錯謬無く、但だ衆生において損惱をなさず。利益のための故に咸な悉く開示して漸く無上菩提に安住せしむ。諸地の中に出道・障道（覚りの道・煩悩の道）を知り、八阿僧祇劫に於いて常に三昧を修し諸行を開發す。<br>復次に現前地（十地は上から、法雲・善想・不動・遠行・現前・難勝・焔光・発光・離垢・歓喜）の菩薩摩訶薩は上の順忍を得て三脱門に住し、能く三界の集因・集業の麤現行の相を尽くし大悲増上す。諸生死の無明闇覆・業・集識種・名色・六處・觸・受・愛・取有・生・老死等（十二因縁は、無明、行、識、名色、六処、触、受、愛、取、有、生、老死）皆な著我による。無明の業果は有に非ず、無に非ず、一相無相にして不二なりと観ずるが故に。九阿僧祇劫に於いて、百萬の空・無相・無願三昧を行じ、一切般若波羅蜜多、無邊光照を得る。<br>復次に遠行地の菩薩摩訶薩は、無生忍を修し法無別を証し、諸業果の細現行相を断ず。滅定に住して殊勝行を起こし、常に寂滅すといえども廣く衆生を化す。聲聞に示入して常に佛智に随ひ、外道に示同し、魔王に示作し、世間に隨順して而も常に出世す。十<br>阿僧祇劫に於いて百萬の三昧を行じ、善巧方便して廣く法藏を宣べ、一切莊嚴を皆な圓滿することを得る。<br>復次に不動地の菩薩摩訶薩は、無生忍に住して體増<br>減なし。諸功用を断じ、心心寂滅にして、身心の相なし。猶虚空の如し。此の菩薩は佛心・菩提心・涅槃心、悉く皆な起さず。本願に由るが故に。諸佛加持す。能く一念の頃にして、智業を起こす。雙照平等にして十力智を以て不可説の大千世界に遍じ、諸衆生に随って<br>普く皆な利樂す。千阿僧祇劫に於いて百萬の大願を満足し、心心は一切種・一切智智に趣入す。<br>復次に善慧地の菩薩摩訶薩は上無生忍に住し、心心の相を滅し、證智自在にして無礙障を断ず。大神通を具し力無畏を修し、善能く諸佛の法藏を守護す。無礙解を得、法・義・詞・辯で正法を演説し無斷無盡なり。一刹那の頃に不可説諸世界中に於いて、諸衆生所有の問難に随って、一音を以て解釋し、普く歡喜せしむ。萬阿僧祇劫に於いて、能く百萬恒河沙等の諸佛の神力無盡の法藏を現じて利益圓滿す。<br>復次に法雲地の菩薩摩訶薩は無量智慧を以て思惟觀<br>察し信心を発してより百萬阿僧祇劫を経て、廣く無量の助道の法を集め、無邊大福智を増長し、業自在を証し、神通障を断じ、一念の頃において能く十方百萬億阿僧祇世界微塵數の國土に遍じて、悉く一切衆生の心行の上中下根を知り、爲に三乘を説き、普く波羅蜜多を修習せしむ。佛の行處力・無所畏に入り、如來の寂滅轉依に隨順す。善男子よ、初の習忍より金剛定に至って、皆名けて一切煩惱を伏すとなす。無相の信忍、勝義諦を照らして諸煩惱を滅し、解脱智を生じて漸漸に伏滅し、生滅心を以て無生滅を得る。此の心、若し滅すれば即ち無明滅す。金剛定前の所有の知見は皆な見と名けず。唯だ佛のみ頓に解して一切智を具し、所<br>有の知見にして見と名くることを得る。善男子よ、金剛三昧現在前の時、而も亦未だ無等等に等しきこと能わず。譬へば人ありて大高臺に登りて普く一切を観るに斯く了ぜざることなきが如し。若し解脱位は一相無相にして無生無滅、眞際に同じく法性に等しく、功徳藏を満ちて如來位に住す。善男子よ、如是に諸菩薩摩訶薩は受持解説して皆な十方諸佛刹土に往き、有情を利安し実相にす。我れ今日の如く等くして異あること無し。善男子よ、十方法界の一切如來は、皆な此門に依って而も成佛を得る。若し此れを超えて成佛すると言はば、是れ魔の所説にして是れ佛説に非ず。是の故に汝等、應に如是に知り、如是に見、如是に信解せよ。」爾時世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して偈を説きて言く、<br>彼の伏忍の菩薩（仁王経では五忍として一伏忍、二信忍、三順忍、四無生法忍、五寂滅忍をあげる）は 佛法において堅固三十心を長養す。名けて不退轉と為す。　<br>初、平等性を証して 而も諸佛の家に生ず。　初に覺悟を得るに由りて 名けて歡喜地と為す。　<br>染汚、瞋等の種種垢を遠離し、具戒、徳清淨なるを 名て離垢地（十地の上位から法雲・善想・不動・遠行・現前・難勝・焔光・発光・離垢・歓喜）と為す。<br>無明闇を滅壞して諸禪定を得。<br>照曜の慧光に依るを名て發光地と為す。<br>清淨の菩提分は身邊見を遠離し<br>智慧焔熾然なるを 名て焔慧地（焔光地）と為す<br>實の如く諸諦を知り 世間諸伎藝をもて<br>種種に群生を利するを名て難勝地と為す。<br>縁生法を觀察し 無明から老死に至り<br>能く彼の甚深を証するを 名て現前地と為す。<br>方便の三摩地　無量身を示現し<br>善巧に群生に応ずるを 名けて遠行地と為す<br>無相海に住し 一切佛の加持を以て<br>自在に魔軍を破すを 名けて不動地と為す<br>四無礙解を得 一音に一切を演じ<br>聞者は悉く歡喜するを 名けて善慧地と為す<br>智慧は密雲の如く 法海に遍滿し<br>普く甘露法を灑ぐを 名けて法雲地と為す<br>無漏界を満足し 常淨解脱身<br>寂滅不思議なるを 名けて一切智と為す<br>佛、波斯匿王につげたまわく「我滅度の後、法滅んと欲する時、一切有情は惡業を造るが故に、諸國土をして種種の災を起らしむ。諸國王等は、自身・太子・王子・后妃・眷屬・百官・百姓・一切國土を護せんがためには、即ち當に此の般若波羅蜜多を受持すべし、皆安樂を得ん。我是の經を以て国王に付囑し、比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷に付せず。所以いかん。王の威力なければ建立不能なるがゆえなり。是の故に汝等、常に當に受持讀誦解説せよ。大王よ、吾今、所化するところの大千世界に百億の須彌、百億の日月あり。一一の須彌に四天下あり。此贍部洲に十六の大國、五百の中國、十萬の小國あり。是の諸國中に若し七難起れば、一切國王は除難のためのゆえに、此般若波羅蜜多を受持解説せよ。七難即滅し國士安樂ならん。<br>波斯匿王言さく「云何七難」。<br>佛言はく<br>「一は日月失度。日色改變し白色赤色黄色黒色なると。或は二三四五の日が並照し、月色改變して赤色黄色なると。日月薄蝕、或は重輪ありて一二三四五の重輪現わるとなり。<br>二は星辰失度。彗星木星火星金星水星土等諸星各各が變を為し、或時は晝出ずるとなり。<br>三は龍火・鬼火・人火・樹火・大火と四もに起きて<br>万物を焚燒するとなり。<br>四は時節改變して寒暑恒ならず。冬雨ふり雷<br>電し、夏に霜ふり氷雪すと。土石・山及以び砂礫を雨ふらすと。時にあらずして雹を降らすと。赤黒水を雨ふらすと。江河汎漲して石を流し、山を浮すとなり。五は暴風數ば起り、日月を昏蔽す。屋をあばき樹を抜き沙を飛ばし石を走らす。<br>六は天地亢陽し陂池竭涸すと。草木枯死し百穀成らず。七は四方の賊來りて國の内外を侵し、兵戈競い起って百姓喪亡す。<br>大王よ、我今如是の諸難を略説す。有のあるひは、日が晝に現ぜず、月の夜に現ぜざることあり。天の種種の災なり。雲なくして雨雪す。地に種種の災あり、崩裂震動す。或は復た血流鬼神出現し、鳥獸怪異。如是の災難無量無邊なり。一一の災起らんに皆な須からく此般若波羅蜜多を受持讀誦解説すべし。」<br>爾時十六國王は、佛の所説を聞き皆な悉く驚怖す。波斯匿王は佛に白して言さく「世尊。何故に天地に是の災難あるや」。佛言はく「大王よ、贍部洲の大小國邑一切の人民、父母に考ならず、師長・沙門・婆羅門に敬ならず、國王・大臣が正法を行わざるによる。<br>此の諸惡によりて是の難興る。大王よ、般若波羅蜜多は能く一切諸佛の法・一切菩薩の解脱法・一切國<br>王の無上法・一切有情の出離法を出生す。摩尼寶の體が衆徳を具して能く毒龍・諸惡鬼神を鎮め、能く人心所求を遂げて滿足せしめ、能く輪王に応ずれば如意珠と名け、能く、難陀・跋難陀等の諸大龍王をして甘雨を降霔し、草木を潤澤せしめ、若し闇夜において<br>高幢上に置けば天地を光照して明なること日の出るが如くなるが如し。此の般若波羅蜜多も亦復た如是なり。汝等諸王よ、應に寶幢及び幡蓋を以て、燒香散花し廣大供養せよ。寶函に經を盛り、寶案に置き、若し<br>行かんと欲する時は常に其前に導き、所在住處に、七寶帳を作り、衆寶を座となし上に経を置き、種種供養し父母につかふるが如く、亦た諸天の帝釋に奉事するが如くせよ。大王よ、我れ諸國一切の人王を見るに、皆な過去に五百の佛に侍し、恭敬供養するに由りて帝王たるを得る。一切の聖人、道果を得る者、其國に來生して大利益を作す。若し王の福が盡きて無道の時は、聖人は捨去りて災難競い起る。大王よ若し未來世に諸の國王ありて、正法を建立し三寶を護する者あらば、我五方の菩薩摩訶薩衆をして其國を往護せしめん。<br>東方の金剛手菩薩摩訶薩は手に金剛杵を持ち青色光を放ち四倶胝の菩薩とともに其國を往護す。<br>南方の金剛寶菩薩摩訶薩は手に金剛摩尼を持ち、日色光を放ち、四倶胝の菩薩とともに其国を往護す。<br>西方の金剛利菩薩摩訶薩は手に金剛劍を持ち、金色光を放ち四倶胝の菩薩とともに其國を往護す。<br>北方の金剛藥叉菩薩摩訶薩は手に金剛鈴を持ち、<br>瑠璃色光を放ち、四倶胝の藥叉とともに其国を往護す。<br>中方の金剛波羅蜜多菩薩摩訶薩は手に金剛輪を持ち、五色光を放ち、四倶胝の菩薩とともに其国を往護す。是の五菩薩摩訶薩は各の如是の無量大衆とともに、汝が國中において大利益を作さん。當に形像を立て、之を供養すべし。<br><br>爾時、金剛手菩薩摩訶薩等は即ち座より起ち佛足を頂禮し、却って一面に住して佛に白して言さく「世尊よ、我等は本願に佛の神力を承けて十方世界一切國土に若し此經を受持讀誦解説の處あらば、我當におのおの如是の眷屬と興に、一念の頃に於いて即ち其所に至って正法を守護し正法を建立し、其國界をして諸災難無く刀兵疾疫一切皆除かしむべし。世尊よ我に陀羅尼あり、能く加持擁護す。是れ一切佛のもと修行する所の速疾の門なり。若し人、一經を耳に聞くことを得ば、所有の罪障は悉く皆な消滅す。況んや復た誦習して通利せしめんをや。法の威力を以て當に國界をして永く衆難なからしむべし。<br>即ち佛前において異口同音に陀羅尼を説いて曰く、<br>のうぼうあらたんのう、たらやあやあ、なおうまくありや、ばいろしゃなうや、たたぎゃたや、あらかていさんみゃくさんぼだや、のうまくありや、さんまんだばらだや、ぼうじさとばや、まかさとばや、まかきゃろにきゃや、たにゃた、じなのうはらじべい、あきしゃや、くせい、はらちばぼうばち、さらばぼだ、ばろきてい、ゆぎゃはり、じしゅちてい、げんびら、どらばぎゃけい、ちりやだははり、じしゃはねい、ぼうじしったさんじゃのうに、さらばびせいきゃ、びしっきてい、だらまさぎゃらさんぼでい、あぼぎゃしらばちねい、まかさんまんだばら、ぼびにりやてい、びやきゃらだ、はりはらはに、さらばしっだ、のうまそきりてい、さらばぼうじさとば、さんじゃのうに、ばぎゃばち、ほだまてい、あらだい、きゃらだい、あらだきゃらだい、まかはらじにやはらみてい、そわか。<br><br>爾時、世尊は是の説を聞き已りて、金剛手等諸菩薩を讃じて言く「善哉善哉。若し此の陀羅尼を誦持する者あらば、我及び十方諸佛悉く常に加護し諸惡神鬼は之を敬うこと佛の如く、久しからずして當に阿耨多羅三藐三菩提を得ん。大王よ、吾此經を以て汝等に付囑す。毘舍離國・憍薩羅國・室羅筏國・摩伽陀國・波羅痆斯國・迦毘羅國・拘尸那國・憍睒彌國・般遮羅國・波吒羅國・末土羅國・烏尸尼國・奔吒多國・提婆多國・迦尸國瞻波國、如是の一切の諸國王等は皆應に般若波羅蜜多を受持すべし。」<br>時に諸大衆阿修羅等は、佛所説の諸災難事を聞きて身<br>毛皆竪ち、高聲に唱えて言く「願はくは我、未來、彼の國に生ぜじ」と。<br>時に十六王は即ち王位を捨て出家道を修し、八勝處・十一切處（「八勝処」は、欲界の見る対象である色と形を観察してこれを克服し、貪心を除くための八種類の禅定をいう。「十一切処」は、地・水・火・風・青・黄・赤・白・空・識が、あらゆる場所に遍ねく行き渡って隙間がないと観じる十種類の観想で、八背捨・八勝処を修めて、その次に修める禅定をいう。）<br><br>を具して、伏忍・言忍・無生法忍（五忍は「伏忍、信忍、順忍、無生忍、寂滅忍」）を得る。<br>爾時一切の天人・大衆・阿修羅等は曼陀羅花・<br>曼殊沙花・婆師迦花（ばしかけ・雨季に咲く香気の高い花）・蘇曼那花を散じ、以って仏を供養し、其の種性に随いて三脱門・生空・法空・菩提分法を得、無量<br>無數の菩薩摩訶薩は拘勿頭花（くもずげ・睡蓮の一種）・波頭摩花（はずまげ・赤蓮華）を散じて仏を<br>供養す。無量の三昧は悉く皆な現前し順忍・無生法忍に住することを得て、無量無數の菩薩摩訶薩は恒河沙の諸三昧門を得て、眞俗平等にして無礙解を具し、常に大悲を起こし、百萬億阿僧祇佛刹微塵數世界に於いて衆生を廣利し現身に成佛す。<br><br>仁王護國般若波羅蜜多經　囑累品第八（流通させる功徳を説く）<br>佛、波斯匿王に告げたまはく、「今汝らを誡む。吾滅度の後、正法滅せんと欲す。後の五十年、後の五百年、後の五千年、佛法僧なし。此の經三寶を諸國王に付して建立守護せしむ。我が四部の諸弟子等、受持讀誦し其の義理を解し、廣く衆生の為に宣説法要し、其をして修習し生死を出離せしめん。<br>大王よ、後の五濁世の一切の國王王子大臣は自ら高<br>貴を恃んで吾教を破滅し、明に制法を作り、我が弟子の比丘比丘尼を制して出家し正道を修行するをゆるさず。亦復た佛塔像を造ることをゆるさず。白衣が高座し比丘が地に立ち兵奴の法と等しくて異ることなし。當に知べし、爾時、法滅っせんこと久しからず。<br>大王よ、國を破る因縁は皆な汝が自作なり。己が威力を恃み、四部の衆を制し、修福を聴さず。諸の惡比丘別請の法を受け、知識の比丘共に一心となり、互相親善齋會して求福す。是れ外道の法なり。すべて我が教に非ず。百姓疾疫し無量の苦難あり。當に知べし、爾時國土は破滅せん。大王よ、法末世の時、國王大臣四部の弟子、各非法を作し横に佛教のために諸過咎をなし非法非律なり。比丘を繋縛し彼の獄囚の如し。當に知べし、爾時、法滅せんこと久しからじ。大王よ、我滅度の後、四部の弟子・一切國王・王子・百官、乃ち是れ任持して三寶を護る者、而るに自ら破滅せば師子身中の虫の自ら師子の肉を食ふがごとし。外道にあらざる也。我法を壊する者は大過咎を得る。正法衰薄して民無正行なく、諸惡漸増し、其壽日に減じ、復た孝子なく六親不和。天龍祐けず、惡鬼惡龍は日に來りて侵害す。災怪相繼ぎて禍をなすこと縱横。當に地獄傍<br>生餓鬼に堕すべし。若し人となることを得るとも貧窮下賤にして諸根不具。影の形に隨うが如く、響の聲に応ずるが如く、人の夜書して火は滅し字は存するが如し。法を毀る果報も亦復た是の如し。大王よ、未來世中に一切國王・王子・大臣、我弟子とともに横に記籍を立て、官典主を設け、大小の僧統、非理に役使す。當に知るべし、爾時佛法は久しからじ。大王よ、未來世中の一切國王・四部の弟子は、當に十方一切諸佛の常に所行の道に依って建立流通すべし。而るに惡比丘<br>は名利を求めんがために我法に依らず。國王前に於いて自ら過患を説き、破法の縁を作す。其王は別たず此語を信受し、横に制法を立て佛戒に依らず。當に知るべし爾時法滅っせんこと久しからじ。大王よ、未來世中の國王大臣四部の弟子、自ら破法破國の因縁を作し、身自ら之を受く。佛法の咎に非ず。天龍捨去し五濁轉た増す。若し具に説かば劫を窮むとも不盡なり。<br>爾時十六大國王は、未來如是の諸誡をときたまうを聞き、悲啼號泣の聲は三千を動かし、天地昏闇光明不現。時に諸王等は各各至心に佛語を受持し、四部の出家學道を制せず。當に佛の教の如くすべし。<br>爾時恒河沙等無量大衆皆共歎じて言く「その<br>時にあたりて世間空虚にして是れ無佛世なり」。<br>爾時波斯匿王白佛言「世尊よ、當に此經を何が名くべきや。我等云何が奉持すべきや」。佛告大王「此經は名て仁王護國般若波羅蜜多となす。亦は名けて甘露法藥となすことを得る。若し服し行ずることあらば能く諸疾を癒す。大王よ、般若波羅蜜多所有の功徳は、猶虚空のごとく不可測量なり。若し受持讀誦の者は<br>獲る所の功徳は能く仁王及諸衆生を護国すること猶し垣牆のごとく、亦た城壁の如し。是故に汝等、應當に受持すべし」。<br>佛是の經を説き已りて、彌勒師子吼等の無量菩薩摩訶<br>薩舍利弗須菩提等の無量の聲聞、欲界色界の無量の天人、比丘比丘尼優婆塞優婆夷阿脩羅等の一切大衆、佛の所説を聞きて皆大歡喜し信受し奉行しき。<br>仁王護國般若波羅蜜多經卷下</p>
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<link>https://ameblo.jp/fukuzyukai/entry-12933864770.html</link>
<pubDate>Fri, 24 Apr 2026 09:00:49 +0900</pubDate>
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<title>大師が「天長皇帝の即位を賀したてまつる表」をお書きになった日</title>
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<![CDATA[ <p>弘仁十四年823四月二十四日は大師（50歳）が「天長皇帝の即位を賀したてまつる表」をお書きになった日です。大師は天皇陛下とも近しい関係であられましたが、当然満濃池や四国88所の開創など庶民の救済にも大尽力されています。現代人は権力に近ずくのをよしとしませんが、大師は密厳国土の創出・庶民救済のためにも天皇とも近しい関係となられています。<br><br>「天長皇帝の即位を賀したてまつる表<br>沙門空海言す。空海聞く、四序代謝（四季がめぐる）して日月穹隆に斡り、五才更生して（五行が循環して）万物盤薄に成る（万物が生成する）。かるがゆえによく青昊黄軒（伏羲と黄帝）時に乗じて震に出て、雙瞳八彩（二重瞼の舜と八の字眉の堯）揖譲して相推ゆずる（堯と舜は天下を譲り合った）。万方心を宅おき（すべての方角の人々は安心し）四海腹を撃つ。蕩蕩の称（天下泰平の誉れ）千古これを仰ぐ。<br>伏して惟んみれば皇帝陛下、道善貸に超へ、徳は洪鑪（天地）に均し。簡えらび堯心に鐘り、位舜宝を握る（堯のような嵯峨帝は舜のような淳和帝を選ばれた）。天兄天弟として前皇後皇あんり。仁は往帝よりも高く儀は後辟を凌ぐ。明才の詩（名君であると讃える詩）巷に満ち、何力の頌、期しつべし。幽顕歓を俱にし、動植恵に憑る。いはんや微僧において誰か手足に任へむ。鳬藻（ふそう・鴨が藻をたのしむ）の至りに任へず。謹んで奉表陳賀以聞す。軽々しく宸厳を黷す。伏して深く戦越す。沙門空海誠惶誠恐謹言。<br>弘仁十四年四月二十四日　沙門空海進つる。」</p>
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<link>https://ameblo.jp/fukuzyukai/entry-12907474616.html</link>
<pubDate>Fri, 24 Apr 2026 07:42:03 +0900</pubDate>
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<title>光明真言和讃</title>
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<![CDATA[ <p>光明真言和讃<br><br>光明真言「おん　あぼきゃ　べいろしゃのう　まかぼだら　まに　はんどま　じんばら　はらばりたや　うん」についての和讃<br><br><br>「帰命頂礼大潅頂<br>光明真言功徳力<br><br>諸仏菩薩の光明を<br>二十三字に蔵（おさ）めたり<br><br>「おん」の一字を唱うれば<br>三世の仏にことごとく<br><br>香華（こうげ）燈明飯食の<br>供養の功徳具われり<br><br>「あぼきゃ」と唱うる功力（くりき）には<br>諸仏諸菩薩もろともに<br><br>二世の求願（くがん）をかなえしめ<br>衆生を救け給うなり<br><br>「べいろしゃのう」と唱うれば<br>唱うる我等が其のままに<br><br>大日如来の御身にて<br>説法し給う姿なり<br><br>「まかぼだら」の大印は<br>生仏不二と印可（いんか）して<br><br>一切衆生をことごとく<br>菩提の道にぞ入れ給う<br><br>「まに」の宝珠の利益（りやく）には<br>此世をかけて未来まで<br><br>福寿意（こころ）の如くにて<br>大安楽の身とぞなる<br><br>「はんどま」唱うるその人は<br>いかなる罪も消滅し<br><br>華の台（うてな）に招かれて<br>心の蓮（はちす）を開くなり<br><br>「じんばら」唱うる光明に<br>無明変じて明となり<br><br>数多（あまた）の我等を摂取して<br>有縁（うえん）の浄土に安（お）き給う<br><br>「はらばりたや」を唱うれば<br>万（よろず）の願望成就して<br><br>仏も我等も隔てなき<br>神通（じんつう）自在の身を得（う）べし<br><br>「うん」字を唱うる功力（くりき）には<br>罪障深きわれわれが<br><br>造りし地獄も破られて<br>忽（たちま）ち浄土と成りぬべし<br><br>亡者（もうじゃ）のために呪（しゅ）を誦（じゅ）じて<br>土砂をば加持し回向せば<br><br>悪趣に迷う精霊も<br>速得解脱と説きたまう<br><br>真言醍醐（だいご）の妙教は<br>余教（よきょう）超過の御法（みのり）にて<br><br>無辺の功徳具（そな）われり<br>説くともいかで尽くすべき<br><br>南無大師遍照尊<br>南無大師遍照尊<br>南無大師遍照尊」</p>
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<link>https://ameblo.jp/fukuzyukai/entry-12912476341.html</link>
<pubDate>Thu, 23 Apr 2026 18:00:47 +0900</pubDate>
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<title>「陰徳は必ず子孫を守る」</title>
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<![CDATA[ <p>「陰徳は必ず子孫を守る」ということをお話しします。<br><br>山岡鉄舟は「金を積んでもって子孫に遺す。子孫いまだ必ずしも守らず。書を積んでもって子孫に遺す。子孫いまだ必ずしも読まず。<strong>陰徳を冥々の中に積むにしかず。もって子孫長久の計となす。</strong>」と云いました。自分のことで恥ずかしいのですがこの「親の陰徳のありがたさ」を記録しておきます。<br>私の父は四国の田舎で生まれ岡山の大寺に小僧に出されそこから田舎の山寺の住職となり、一生を終わりました。その間苦労の連続でした。岡山の大寺の跡を継ぐ約束で入ったのですが約束は守られず、入らされた山寺は貧乏寺でそのうえ大変むつかしい檀家が多く苦労しています。家庭にも恵まれず、最初の嫁は出奔、二度目の私の母は幼い私と妹を残して病死、三度目の妻（わたしの継母）は極度の病的ヒステリー症で家の中は穏やかな日はほとんどありませんでした。そのうえ私と継母の不和やむつかしい檀家の問題、父の弟弟子の陰謀等から様々な深刻な問題が起こり、さいごは父は寝たきりになり、わたしも寺に帰れず、結局継母が父の面倒を見ました。<br><br>そういう一生を送ったのですが私は父の怒った顔を見たことはありません。いつも穏やかな顔で周囲や家族に接していました。出世欲・金銭欲は全くなく、お布施ももらわないで帰ってくることがたびたびでした。檀家の人で心ある人は「今良寛さまのようだ」といってくれていました。<br><br>継母はそういう父をいつも怒りまくっていましたが父は黙って受け流すだけでした。私も若い時はそういう父が物足りなくて、「もっとしっかりしてほしい」とおもっていました。<br><br>継母が９９歳で死ぬ間際に父のことを「最高のお父さんだった」と褒めちぎるようになりました。「あんな素晴らしいお父さんはどこを探してもいない。お父さんと一緒になれてなかったら心がけの悪かった自分は今頃悲惨な人生を送っていたはずだ」といって泣くのです。<br><br>私も物足りないと思っていた父の偉大さがやっとわかってきました。<br>父の遺徳のお蔭で今までの人生をなんとか乗り越えてこられたのだと思うこと切です。<br><br>私は寺を継がずサラリーマンとなりましたが、多くのサラリーマン並みに様々な試練にあってきました。ほとんどが身から出た錆でしたが・・。それらの試練を無事乗り越えて永く勤めることができたのは今から思うと奇跡としか言いようがありません。<br><br>これは今まで仏様御大師様のお蔭と思っていましたが、その間を取り持ってくれていたのは父だったのです。私は寺の生まれながら若い時は信仰を持っていませんでした。それを仏様・御大師様の信仰に導いてくれたのも父の後ろ姿だったと思います。わたしが３０歳くらいのとき二進も三進もいかなくなったことがありますが、その時突然父がよくお参りに行っていた高野山のことを思い出したのです。そして初めて奥の院にお参りに行ったのが今日の仏縁の始まりでした。<br><br>そして老後も有難い仏縁に恵まれ、四国を歩いて何度も成満でき、四国開創１２００年にもお参りでき、26年丙申の年にも逆打できました。秩父・坂東等の霊場も何度も成満でき、室生寺の精進が峰の如意宝珠を拝んで太龍寺で求聞持を成満でき、最高の秘儀とされる瑜儀灌頂を受け、此れも最高の秘仏を自宅に勧請出来、高野山開創１２００年にも結縁灌頂入壇でき、私生活でも恵まれているのは父が陰徳をつんで私たち子孫に残してくれているからとわかりました。<br><br>自分も父の爪の垢ほどは陰徳を積み世の中へ還元しなければならないと思う今日この頃です。</p>
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<link>https://ameblo.jp/fukuzyukai/entry-12911679699.html</link>
<pubDate>Thu, 23 Apr 2026 17:43:13 +0900</pubDate>
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<title>「抗神論」</title>
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<![CDATA[ <p>「抗神論」</p><p>相継ぐ地震などの大災害、コロナ、悪魔のプーチンのウクライナ大虐殺、トランプの出現と次次に地獄絵図が地上に展開してきます。改めてこの世は不条理でありまた地獄そのものであることを思い知らされています。いままでは何とかこの不条理に対する不安を「輪廻」「因果」「代受苦」「予定調和」などの考えで押さえつけてきましたが改めて「東日本大震災」「コロナ」「ウクライナの大虐殺」を体感し、トルストイの「カラマーゾフの兄弟」に出てくるように「日々いたいけな子供たちが世界で不条理に泣いている現実」等を見る時、「代受苦の菩薩」、「因果」、「業」、「輪廻」、「神義論」の「神は悪や禍を予定調和のための手段」としている等という無理やりの世界観ではどうしても納得できなくなります。「カラマーゾフの兄弟」ではここを以下の様に問いかけます。「人は皆、永遠の調和を苦しみであがなうために苦しまなければならないとしたら、子どもはそれにどう関係する？　なぜ子どもたちは苦しまなくっちゃならなかったのか。なんのために子どもたちが苦しみ、調和をあがなう必要などあるのか、いったいなんのために子どもたちは、だれかの未来の調和のための人柱となり、自分をその肥やしにしてきたのか。」</p><p>また「神は、鼠をなぶる猫のように、わしらをからかっているのじゃ……そうして置いて、わしらにまだ感謝しろという。何に感謝するのだ？　何に？……」（贋金つくり・ジッド）という絶望感も生まれます。</p><p>&nbsp;</p><p>２，ここから「反出生主義」という考えが出てきます。「この世は苦で満ちているから生まれてこないことが最善である・・・数千人の幸福と喜びは、一人の人間の苦痛を補う事はできない」というショーペンハウアー等の考えが出てきます。しかしここからは今現在この世に生きている者たちの救いは生まれません。</p><p>&nbsp;</p><p>３，ここででてくるのが「抗神論」です。「神は『完全な善』でかつ『全能』であるとすればなぜいたいけな子供たちや弱者の想像を絶する犠牲があるのか？こう考えるとどうしても神は不完全な存在と考えざるを得ない、そこでその<strong>不完全さを埋める努力するのが人間の役割である</strong>」とするものです。此の考えはなにか東西を問わず納得させられるものがあります。「大般涅槃經卷第二十二光明遍照高貴徳王菩薩品第十之二」には「諸衆生を觀ずるに、昔より無數無量劫より來かた常に苦惱を受ける。・・身より出すところの血は四海の水より多し。父母兄弟妻子眷屬の命終に哭泣して出す所の目涙は四大海より多し。盡地草木を四寸籌となし以って父母を数えるも亦た盡すあたわず。無量劫より來かた、或は地獄畜生餓鬼にありて受くる所の行苦は稱げて計ふべからず。」とあり、司馬遷も「天道是か非か」といっていますが、いろいろな現象を見るに「天道是か非か」どころか「天道は非である」と断定せざるを得ない気もします。しかしここで反転して「だからこそ我々は助けあってこの世の不条理にたちむかわなければならない」となるのがこの「抗神論」だと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>４，これはまさに生きとし生けるものに生・老・病・死があり、宇宙に成・住・壊・空があるという不条理の極致に立ちつつもその中で身を奮い立たせて「利他行に身を投じる」菩薩行に通じるものです。遅すぎますがやっと自分の方向性が見えてきた気がします。</p><p>です。「神は『完全な善』でかつ『全能』であるとすればなぜいたいけな子供たちや弱者の想像を絶する犠牲があるのか？こう考えるとどうしても神は不完全な存在と考えざるを得ない、そこでその不完全さを埋める努力するのが人間の役割である」とするものです。此の考えはなにか東西を問わず納得させられるものがあります。「大般涅槃經卷第二十二光明遍照高貴徳王菩薩品第十之二」には「諸衆生を觀ずるに、昔より無數無量劫より來かた常に苦惱を受ける。・・身より出すところの血は四海の水より多し。父母兄弟妻子眷屬の命終に哭泣して出す所の目涙は四大海より多し。盡地草木を四寸籌となし以って父母を数えるも亦た盡すあたわず。無量劫より來かた、或は地獄畜生餓鬼にありて受くる所の行苦は稱げて計ふべからず。」とあり、司馬遷も「天道是か非か」といっていますが、いろいろな現象を見るに「天道是か非か」どころか「天道は非である」と断定せざるを得ない気もします。しかしここで反転して「だからこそ我々は助けあってこの世の不条理にたちむかわなければならない」となるのがこの「抗神論」だと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>５，これはまさに生きとし生けるものに生・老・病・死があり、宇宙に成・住・壊・空があるという不条理の極致に立ちつつもその中で身を奮い立たせて「利他行に身を投じる」菩薩行に通じるものです。まさに心有る者は連携して「不条理に一矢報いる」ことです。</p>
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<link>https://ameblo.jp/fukuzyukai/entry-12908706018.html</link>
<pubDate>Thu, 23 Apr 2026 15:57:58 +0900</pubDate>
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