<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?>
<rss version="2.0" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom">
<channel>
<title>funya1208のブログ</title>
<link>https://ameblo.jp/funya1208/</link>
<atom:link href="https://rssblog.ameba.jp/funya1208/rss20.xml" rel="self" type="application/rss+xml" />
<atom:link rel="hub" href="http://pubsubhubbub.appspot.com" />
<description>ブログの説明を入力します。</description>
<language>ja</language>
<item>
<title>108の煩悩（食欲編）ミシュラン３つ星ランチ2016年</title>
<description>
<![CDATA[ <p>&nbsp;</p><p>星三つの店は、１３件。うちランチがあるのは、５件。<br>食べログの評価も合わせて記載する。<br>以下、ランチの最低価格が安い順に列記する。</p><p>&nbsp;</p><p>さいとう<br>５４００円<br>&nbsp;寿司<br>&nbsp;港区六本木１－４－５アークヒルズサウスタワー１F<br>　食べログの評価　４．５５<br><a href="http://tabelog.com/tokyo/A1308/A130802/13015251/">http://tabelog.com/tokyo/A1308/A130802/13015251/</a></p><p>&nbsp;</p><p>えさき<br>５９４０円<br>&nbsp;日本料理<br>&nbsp;渋谷区神宮前３－３９－９ヒルズ青山B1F<br>　食べログの評価　３．８７<br><a href="http://tabelog.com/tokyo/A1306/A130603/13003499/">http://tabelog.com/tokyo/A1306/A130603/13003499/</a></p><p>&nbsp;</p><p>ジョエル・ロブション<br>１００００円<br>フランス料理<br>&nbsp;目黒区三田１－１３－１恵比寿ガーデンプレイス内<br>　食べログの評価　４．３６<br><a href="http://tabelog.com/tokyo/A1303/A130302/13009310/">http://tabelog.com/tokyo/A1303/A130302/13009310/</a></p><p>&nbsp;</p><p>カンテサンス<br>１０２６０円<br>フランス料理<br>&nbsp;品川区北品川６－７－２９ガーデンシティ品川御殿山１F<br>　食べログの評価　４．５７<br><a href="http://tabelog.com/tokyo/A1314/A131405/13159567/">http://tabelog.com/tokyo/A1314/A131405/13159567/</a></p><p>&nbsp;</p><p>すきやばし次郎本店<br>&nbsp;３２４００円<br>&nbsp;寿司<br>&nbsp;中央区銀座４－２－１５塚本泰山ビルB1F<br>　食べログの評価　３．９５<br><a href="http://tabelog.com/tokyo/A1301/A130101/13002260/">http://tabelog.com/tokyo/A1301/A130101/13002260/</a></p><p>&nbsp;</p><p>結論から言えば、<br>和の最高峰は、寿司の、さいとう。<br>洋の最高峰は、フレンチの、カンテサンス。<br>これらは、死ぬまでに行ってみたい！</p><p>&nbsp;</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/funya1208/entry-12157214992.html</link>
<pubDate>Thu, 05 May 2016 16:46:02 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>108の煩悩（食欲編）ラーメン2016年5月</title>
<description>
<![CDATA[ <p>食べログ、ラーメン、ランキング、４．０以上</p><p>１．<br>麺屋 一燈 （いっとう） - 新小岩　４．１９<br><a href="http://tabelog.com/tokyo/A1312/A131204/13111737/">http://tabelog.com/tokyo/A1312/A131204/13111737/</a> </p><p>２．<br>麺屋 吉左右 （めんや きっそう） - 木場　４．０７<br><a href="http://tabelog.com/tokyo/A1313/A131303/13021140/">http://tabelog.com/tokyo/A1313/A131303/13021140/</a> </p><p>３．<br>中華そば屋 伊藤 （いとう） - 王子神谷　４．０６<br><a href="http://tabelog.com/tokyo/A1323/A132304/13008779/">http://tabelog.com/tokyo/A1323/A132304/13008779/</a> </p><p>４．<br>煮干鰮らーめん 圓 （エン） - 八王子　４．１８<br><a href="http://tabelog.com/tokyo/A1329/A132904/13091258/">http://tabelog.com/tokyo/A1329/A132904/13091258/</a> </p><p>５．<br>紫 くろ喜 - 秋葉原　４．０５<br><a href="http://tabelog.com/tokyo/A1310/A131001/13148112/">http://tabelog.com/tokyo/A1310/A131001/13148112/</a> </p><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/funya1208/entry-12156437948.html</link>
<pubDate>Tue, 03 May 2016 10:47:21 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>死について考えておかねばならないこと（自決を前提とする場合）11</title>
<description>
<![CDATA[ <p>１０．現在、安楽死等が社会で受け入れられている国々</p><br><p>参考までに、現在、安楽死や尊厳死などが実施可能な国の一覧。<br>まず、その定義。</p><br><p>安楽死（euthanasia、ユーサネイシア）。苦痛を与えずに死に至らせること。</p><br><p>積極的安楽死。<br>致死性の薬物の服用・投与により死に至らせる行為</p><br><p>消極的安楽死。<br>救命・回復のための治療をしないまたは中止することにより死に至らせる行為</p><br><p>尊厳死（death with dignity）<br>人間が人間としての尊厳を保って死に臨むこと。<br>無意味な延命行為の拒否については、<br>実際に死を迎える段階では意識を失っている可能性が高いため、<br>事前に延命行為の拒否に関して宣言するリビング・ウィル (Living Will) が用いられることが多い。<br>このため、上記の後者の、消極的安楽死と（結果的に）同義となる場合がある。</p><br><p>他人による積極的安楽死を法律で認めている国や地域（米国の一部の州）<br>スイス1942年<br>オランダ2001年<br>ベルギー2002年<br>ルクセンブルク2008年<br>アメリカ（オレゴン州）1942年<br>アメリカ（ワシントン州、モンタナ州）2009年<br>アメリカ（バーモント州）2013年<br>アメリカ（ニューメキシコ州）2014年<br>アメリカ（カリフォルニア州）2015年</p><br><p>注１：すなわち、上記の国や地域に移住し、国籍や市民権等を得た場合、<br>「他人による積極的安楽死」（致死性の薬の投与）を行ってもらえる可能性がある。<br>ただし、９で述べた諸条件等を満たしていなければならない可能性が高い。</p><br><p>注２：一方で、消極的安楽死のほうは、実は、日本でも医療の現場で日夜行われている。<br>主に高齢の患者が、人工呼吸器につないでいないと死亡してしまうようなケースで、<br>かつ、今後、その原因となる病気が治る見込みがなく、本人も意識がないような場合、<br>家族の同意があれば、人工呼吸器をはずしてしまう場合がある。<br>余談かもしれないが、１日、人工呼吸器をつけると医療費等で３万円ぐらいかかり、<br>１年で１千万円超の経済的負担になる。かつ、それがいつまで続くかわからない。<br>一般の家庭にはそのような経済力はないため、通常、家族は、上記のような場合、<br>消極的安楽死に同意する。<br>また、家族の同意がない場合でも、本人が、意識のあったときに書いておいた<br>リビングウィル（遺書等）があれば、<br>消極的安楽死（人工呼吸器のとりはずし、またはそもそもつけない）は可能である。</p><br><p>注３：スイスの安楽死ツアーの件。<br>スイスは上記のように「他人による積極的安楽死」が合法で、<br>かつ、外国人にもその機会を与えている。<br>外国人にも機会を提供している国は、スイスのみ。<br>ただし、９．の諸条件は必要（癌末期で苦痛があること、など）。<br>で、このスイスの安楽死ツアーを行う組織が<br>DIGNITAS<br><a href="http://www.dignitas.ch/">http://www.dignitas.ch/</a> <br>ということろで、外国人でも登録可能である。<br>詳細は、上記ホームページを閲覧して欲しい。<br>費用は数十万円かかる。</p><br><p>注４：ベルギーの安楽死は年齢制限がないため、小学生等でも実施できる。<br></p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/funya1208/entry-12155037837.html</link>
<pubDate>Fri, 29 Apr 2016 07:51:57 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>死について考えておかねばならないこと（自決を前提とする場合）10</title>
<description>
<![CDATA[ <p>９．社会を変える（あるいは宗教や国家まで作る）ことをしなければ対応できない事例の存在</p><br><p>結局、突然の半身不随が起きた場合は、自分で自決をすることができないので、<br>現在、社会にある医療や介護、福祉などの制度にのっとって、<br>「収容」されるべきところに収容され、晩年をすごすことになるわけだ。</p><br><p>で、自分の障害の程度や、肉体的・精神的苦痛の程度によっては、<br>それが、耐えられないほどのもの、になる可能性もある。<br>気にならない人はいいが、気になる人も多いと思う。<br>その場合、やはり、安楽死などの制度が、社会に、国家に、医療制度の一環の中に<br>必要になってくると考えている。</p><br><p>現在の世界では、安楽死（他人よる積極的安楽死（後述））の制度がある国もあるが、<br>多くは、治る見込みのない癌などの病気にかかっており、<br>かつ、手術等の治療ができないステージ４以上の進行癌であり、<br>かつ、癌の骨転移などの、激しい痛みをともなっているケースで、<br>かつ、うつ病等の精神疾患でなく、<br>かつ、医師と、所属する病院の倫理委員会が同意し、<br>かつ、病院のカウンセラーと事前に入念に話し合いをし、<br>かつ、遺産・保険金などをめぐる誰かの殺人・自殺幇助でないことを確認し、<br>かつ、家族またはパートナーの同意が必要で、<br>かつ、当然、本人の意思を文書で示す（またはリビングウィル（後述）がある）。</p><p>以上の全て（少なくとも複数）がないと、安楽死を実行できない場合が、ほとんどである。<br>また、日本には、上記の制度さえ、ない。</p><br><p>というわけで、残念ながら、<br>現段階では、私のただの妄想であるが、<br>私のこのブログをきっかけとして、<br>１００年後（？）ごろに、日本に社会運動が起こり、<br>社会が死の議論を受け入れ、自決を（しようとする人々を）受け入れ、<br>安楽死を受け入れ、まわりの人々が協力しあって、<br>前向きに、それぞれの人が、それぞれの希望する形の、<br>幸せな死を迎えられる日が来ることを、夢みてならない。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/funya1208/entry-12155037757.html</link>
<pubDate>Fri, 29 Apr 2016 07:51:27 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>死について考えておかねばならないこと（自決を前提とする場合）9</title>
<description>
<![CDATA[ <p>８．７．のケースの対策はあるか？</p><br><p>で、これこそが、現在、普通の人（自決を考えもしない人）が、考えている（かもしれない）<br>自身が半身不随や痴呆等になったときの、晩年のすごし方である。<br>このため、これに陥った場合の考え方は、千差万別、百人百様であるため、<br>詳細の言及は避ける。</p><br><p>ただ、ここで、私の場合は「自我を消す」という方向で、<br>死ぬまでの時間を過ごしていこうかと思っていることを、軽く紹介しておく。</p><p>この「自我を消す」ことによる精神の開放というか、（老いさらばえていく）肉体からの開放の<br>必要性や方法については、長くなるので、また別項で述べることにする。<br>簡単にいうならば、自分が自分であることを、あまり重要だと思わず、<br>自分は、DNA（という生命のシステム）から生み出された、<br>一つの大きな「うねり」（海の波の中の１滴１滴の水滴たち）の中の一部であり、<br>私が私でも、あたなでも、テレビの中にいる誰かでも、<br>だれにでもなっていた可能性があった（水滴の一つだった）かもしれない<br>「群集のような生命体」だ、<br>と思い込んでしまう、という方法である。</p><p><br>まあ、ある種の哲学であり、宗教であり、<br>なにより「現実逃避」であるのだが、ことここにいたっては<br>（突然の半身不随になってしまった場合は）<br>いたしかたないと思っている。</p><p>ともかく、こうなってしまったら、一つの選択肢は、現実逃避である、と考えている。<br>（だが、それでも、元気よく、明るく、前向きに逃避しましょう。）<br></p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/funya1208/entry-12155037653.html</link>
<pubDate>Fri, 29 Apr 2016 07:51:04 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>死について考えておかねばならないこと（自決を前提とする場合）8</title>
<description>
<![CDATA[ <p>７．不慮の病気や事故により、突然半身不随になってしまうケースの存在</p><br><p>上記は、理想的な自決ができた場合であり、<br>それを選択する暇もないまま、<br>半身不随（この場合は自決できないほどの身体障害のこと）におちいってしまうケースも<br>多々、考えられる。</p><br><p>とりあえず列挙すれば、<br>脳出血（若いうちでも、くも膜下出血などはおこりうる）、脳梗塞、<br>交通事故での外傷、階段等からの転落による大腿骨や脊椎の骨折、<br>心筋梗塞等での心停止の後の脳虚血からしばらくして蘇生してしまったケース、など。</p><p>よって、死を考えるときに重要なのは、６．で述べた理想的な自決のケースだけでなく、<br>ここで述べる、突然半身不随に陥ってしまった場合、についても<br>普段から、熟慮しておく必要がある。</p><br><p>繰り返すが、どんな状況でも、明るく、前向きな意思で、それらを考えなければならない。<br>（もちろん、これは、私自身にも、言い聞かせているのであるが。）</p><br><p>半身不随の程度にもよるが、どうしても６．が実行できないような状況になってしまった場合は、<br>自決をあきらめる、というのが一つの方法である。<br>他の選択肢は、後述する安楽死が可能な国に移動する、などの方法や、<br>協力者による自決などもあるが、現在の日本の状況では、現実的でない。</p><p>このため、自決をあきらめることになるが、この場合は、<br>その上で、生きていく方向性に、いくつかの選択肢がある。<br></p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/funya1208/entry-12155037351.html</link>
<pubDate>Fri, 29 Apr 2016 07:49:02 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>死について考えておかねばならないこと（自決を前提とする場合）7</title>
<description>
<![CDATA[ <p>６．自決をする、具体的な方法。もっとも苦痛がなく、かつ実行が容易、準備も楽なものは？</p><br><p>結論から書こう。<br>基本的には、雪山での凍死を勧める。<br>ここで確実に自決するために、睡眠薬と降圧剤（血圧を下げる薬）の同時投与が重要である。</p><br><p>凍死を勧める理由は、「死に際がきれい」だからである。<br>高所（ビルや断崖絶壁）などからの飛び降りは、死体の見た目が悪く、<br>途中で何かの「でっぱり」にぶつかった時に、バウンドしてしまい、<br>死なずに生き残ってしまうリスクがある。<br>うちどころが悪いと、半身不随になるだけで、生き残るリスクもある。<br>よって、とても勧められない。<br>首吊りは、排便・排尿が重力等で誘発されうため、とても勧められない。<br>その他もいろいろあるが、総じて、死に際が美しくない。<br>私は、幸せなイメージのもとでの死や自決を推奨している人なので、<br>こういった「イメージ」をともなう死は、選択しないし、他人にも勧めない。</p><p>凍死の場合、最初寒いが、だんだん眠くなり、そのうち気持ちよくなり、<br>意識がなくなり、そのまま死亡することが多い。<br>顔などの損傷もなく、排便・排尿もなく、死に際はきれいである。<br>よって、自決するなら、この点だけをとっても、凍死を強く勧める。</p><br><p>次が、睡眠薬の準備である。<br>これは、比較的容易である。<br>だれでも、眠れない、といって、内科や心療内科や精神科にいけば、<br>一か月分程度の睡眠薬をもらえる。<br>睡眠導入剤のうち、アモバン、マイスリーは効果がよわいので、<br>レンドルミン、ハルシオンなどを勧めておく。<br>さらにいえば、可能であるなら、<br>睡眠維持約の、セルシン、デパスなども同時に飲むと、<br>自決するまで起きない可能性が高くなる。</p><br><p>３番目が、降圧剤の用意である。<br>これの入手方法については、<br>けっこう「コントロバーシャル」（議論を呼ぶ）な<br>記事の内容になってしまうので、今は書かない。<br>書くと、社会的な問題になる可能性があり、<br>私自身の「純粋な保身」のために、ここには書かないでおく。<br>ともかく、ある方法で、降圧剤を手に入れるべし、としておく。</p><br><p>一般の人が誤解しているのが、睡眠薬を大量に飲むと、<br>自殺できる、という「神話」である。<br>実際は、病院の救急室でのデータを見ればわかるとおり、<br>睡眠薬だけのんでも、数日、寝続けるだけで、死にはしないことが<br>９０％以上である。<br>よって、意味がない（死ねない）。</p><br><p>死亡するためには、血圧を８０未満に下げた状態を１０分以上続け、<br>脳死にしてしまうことが必要、である。<br>これをてっとり早く可能にする薬が降圧剤（高血圧の治療薬）である。</p><br><p>以上より、雪山で凍死を目指し、さらに確実性を目指すために、<br>同時に、苦痛を感じる時間を減らすために、<br>睡眠薬と降圧剤の同時の服用をおこなうことが、<br>もっとも「安全・安心な」自決の方法である。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/funya1208/entry-12155037227.html</link>
<pubDate>Fri, 29 Apr 2016 07:48:29 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>死について考えておかねばならないこと（自決を前提とする場合）6</title>
<description>
<![CDATA[ <p>５．３と４を乗り越えて自決を実行するための、心理的・精神的な準備と工夫。</p><br><p>念のため、復習しておく。<br>３．とは、本能からくる死への恐怖であり、<br>４．とは、社会規範で作られてしまった死や自決への悪いイメージ、である。</p><p>これらを打ち破り、恐怖を感じずに死を熟慮し、悪いイメージを持たずに死や自決をイメージすることは、<br>一般の人には、なかなか難しいことであろうと思う。<br>であるが、私はそれらに、挑戦してゆこうと思っている。</p><br><p>基本的な方法としては、日ごろから、<br>死とともに明るいイメージを思い描くように訓練し（良い意味で自分自身を洗脳し）、<br>自決をする場合も、その方法が確かに（肉体的にも精神的にも）苦痛がないと十分納得し、<br>これならやってもいいか、と思える状態にすることである。</p><p>前者の自分自身の「洗脳」には、後述の「新しい宗教」を作る必要性が<br>関係してくる。</p><p><br>後で詳しく述べるが、宗教といっても、いかがわしいものでも、カルトでもなく、<br>自分自身のための哲学体系という範囲のものである。<br>自分自身が自決をする時までに幸せに生きるための方法論であり、<br>また、それを自分のまわりの人に（邪魔をしない程度に）「理解してもらう」ことが<br>必要な場合も多いので、その程度の、自分と自分の周りの人々にとっての<br>「宗教」（自決をすることへの共通理解）ということである。</p><br><p>周りの人の理解が必要な理由は、ある種の特殊な死に方を選択しない限り、<br>一般に、自分が死んだ場合、遺体の処理、遺産の処理、遺物の処理、<br>その他、様々な銀行引き落としの停止、地方自治体への書類の提出など、<br>煩雑な作業が必要になる。<br>自分が死んだ場合、家族その他の知人に、あまり迷惑をかけたくない<br>と考える場合、上記の「小さい宗教」は、必要になることが多いと<br>考えている。</p><br><p>ともかく、この項の最初の部分に戻るが、<br>「自決を実行するための、心理的・精神的な準備と工夫」については、<br>普段から、「死をすることへの合理的な論理」を組み上げ、<br>自分が十分納得するまで何度も組み立てなおし、<br>ほぼ出来上がったと思ったら、それを自分自身にいい聞かせるように<br>「洗脳」する、ということになる。</p><br><p>これは、現代社会で、死や自決へのイメージがネガティブであるために<br>しかたなく行う洗脳であり、もしも、後述するように、<br>社会の認識が変わったり、「新しい宗教」（後述）が発生した場合は、<br>この「洗脳」の必要はなくなる。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/funya1208/entry-12155037124.html</link>
<pubDate>Fri, 29 Apr 2016 07:47:58 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>死について考えておかねばならないこと（自決を前提とする場合）5</title>
<description>
<![CDATA[ <p>４．自決をすることを阻む、社会的な死への忌避の風潮（作られたタブー）</p><br><p>私に言わせると、「死」というものは、生まれてから遭遇する全ての命題の中で、<br>最も熟慮するべきものであると思っている。<br>誰でも必ず経験するし、回避することも、できないからだ。</p><p>よって、少々の理由（本能による死への恐れや、社会的忌避）があっても<br>（びびったりしないで）徹底的に考えぬくべき問題だと思う。<br>ところが、この日本の社会には、いくつかの死へのタブーや、誤解がある。</p><br><p>（１）死そのものの話や議論を避ける傾向<br>（２）自決（自殺）は悪いことだ、悲しいことだ、という根拠のない共通認識<br>（３）自決は不幸な人が精神的に苦しんだ結果おこなうもの、という誤った認識</p><br><p>他にもあると思うが、とりあえず、これらの「風潮」があるため、<br>自決をしようとする人は、うしろゆびをさされる（または、そのように感じてしまう）こととなり、<br>なかなか幸せに自決をすることができない、ということになる。</p><br><p>ここで、上記の三つに反駁（反論）しておく。</p><p>死そのものは、誰にとっても、最も重要な命題であり、<br>徹底的に議論し、自分にとっての、その意味や、それとの向き合い方、<br>それに対す対策などを、考えるべきである。</p><p>死を考えることによって、陰鬱な気分になることが嫌であり、<br>また、いくら考えた所で、自分が死ぬという事実は変わらないので、<br>考えるだけ無駄である、という考え方もあるが、<br>それは基本的に、「逃げている」だけであり、<br>（その他の命題に時間をさいている人は）<br>最も重要な命題から目をそらし、相対的に、死よりも重大ではない、<br>よく考えれば（比較的）どうでもいい命題で時間をつぶしている、とも言える。</p><br><p>よって、上記のような「逃げる」行為を選択した人の姿勢は、<br>そういう考え方もあるとはいえるが、基本的に<br>「最も重要な命題から目をそらし、逃げている」ことに変わりはないわけで、<br>とてもほめられたものではない。<br>むしろ、死と向き合い、徹底的に議論し、そこから逃げない人物こそ、<br>社会的に評価されるべきであり、何より、自分自身が自分を評価する際に、<br>「私は逃げなかった。私は最も大切な問題から目をそらさなかった」<br>と考え、誇りをもって生きていき、そして死んでゆくこともできると思われる。</p><br><p>ただ一般に、死を考えると、陰鬱な気分になり、<br>ものごとに前向きでなくなり、「希望」を持った人生が歩めなくなると思われており、<br>かつ、古来、自決をする人は、不幸を背負い、苦しみの中で死んでいく、という<br>固定観念があるため、私が思うに、<br>死について考える際に、誇りをもって、明るい気分で考え、<br>自決であろうが病死であろうが死を迎える際に、<br>あくまで前向きに、ポシティブな意思をもって、それを選択することが<br>大切だと考える。<br>（癌などで病死（自然死）を迎える場合も、自分は、<br>　自決を選択せず、病死をすることを自ら選択した、と前向きに考える、ということ。）</p><p>これらによって、死や自決を含めた死を迎える方法の選択を、<br>前向きに、（自分が意図したという意味で）「希望」をもって、<br>選んでいける状態になると考えている。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/funya1208/entry-12155036999.html</link>
<pubDate>Fri, 29 Apr 2016 07:47:18 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>死について考えておかねばならないこと（自決を前提とする場合）4</title>
<description>
<![CDATA[ <p>３．自決をすることを阻む（はばむ）生への執着（死への恐怖）という本能</p><br><p>これは、表記の「文字そのまま」の意味で、存在する。<br>生物というのは、どんなものでも、個体維持と種族維持の本能をもっているため、<br>基本的に「生きよう」とし、また「死への恐怖」を持っている。<br>そのこともあって（後述の社会的な誤った死への認識の風潮がなかったとしても）<br>人間は、死のことを考えることすら、忌避する傾向がある。</p><br><p>しかし、論理的に（客観的に）考えると、単純に、以下の考え方もあることに気づく。<br>それは、すなわち、<br>「生きていて、楽しいことのほうが多いなら、生きていればいいし、<br>　生きていて、苦しいことのほうが多いなら、死んだほうがよい」<br>という単純な命題である。<br>現在、なんらかの苦痛や苦悩があり、今後、それが改善される見込みがなく、<br>また、それらの苦悩が、<br>生きていると得られる様々な喜び（食事が美味しい、テレビが面白い等）よりも、<br>はるかに大きいと考える場合、<br>単純に、死んでしまったほうがいい、と判断されるべきと思う。</p><br><p>つまり、自分を客観的にみて、比較的単純に、もっともシンプルに、<br>上記の命題だけに目をむけ、すっきりと結論をだすことが、<br>わかりやすいと考えている。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/funya1208/entry-12155036853.html</link>
<pubDate>Fri, 29 Apr 2016 07:46:22 +0900</pubDate>
</item>
</channel>
</rss>
