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<title>雑記帳</title>
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<description>こころに留めておきたい日々のこと</description>
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<title>羊の歌。</title>
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<![CDATA[ <p><span style="font-size:1.96em;">久しぶり大オルガンの音色を楽しんだ。</span></p><p><span style="font-size: 31.360001px;">アンコールは大好きなバッハのcantataから羊は静かに草を食み</span></p><p><span style="font-size: 31.360001px;">昔、師匠から貰ったおじいちゃんのピアニストがとつとつと弾くこの曲　ずーと好きだ　可愛らしい羊を思わせるリズミカルな右手の繰り返しのメロディー　しばらくすると左手に主旋律が始まる</span></p><p><span style="font-size: 31.360001px;">なんとも美しいどことなく悲しい印象的なメロディだ</span></p><p><span style="font-size: 31.360001px;">羊は生贄にされる生き物でカイロの犠牲祭の時の街はそれはそれは恐ろしい　アパートの階段の踊り場で街々の路地で、羊が殺されるのだ</span></p><p><span style="font-size: 31.360001px;">不意にその場面に遭遇した時のショック、、、</span></p><p><span style="font-size: 31.360001px;">子供たちがその血を手のひらにネタくりつけて走り回っている　</span></p><p><span style="font-size: 31.360001px;">イスラムのお国でのお祭りだ</span></p><p><span style="font-size: 31.360001px;">キリスト教の世界では、よの罪を背負って十字架にかけられたイエスさまの象徴であることを左手の旋律を聴きながら</span></p><p><span style="font-size: 31.360001px;">あーそうゆうことかと気づいた。</span></p><p><span style="font-size: 31.360001px;">ピアニストの羊さんはしみじみと老いていた。</span></p><p><span style="font-size: 31.360001px;">師匠の奏でた羊さんは脂のノリきったまだまだ元気な羊さんだった。</span></p>
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<link>https://ameblo.jp/fuyumamaoneone/entry-12967409282.html</link>
<pubDate>Tue, 26 May 2026 23:32:35 +0900</pubDate>
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<title>師匠</title>
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<![CDATA[ <p><u style="text-decoration:underline;"><span style="font-size:1.96em;">小さい時から、60歳ちかくまで転勤族であったから、ながいこと同じ先生に何かを習うことはかなわなかった。</span></u></p><p><span style="font-size: 31.360001px;"><u>長くて3年、学生時代の教授でさえ4年</u></span></p><p><span style="font-size: 31.360001px;"><u>ところが人生終盤になって、20年ときどき挫折しながらも教えを乞い続けている師匠　勝手にそう呼んでるのだけど　がいる。</u></span></p><p><span style="font-size: 31.360001px;"><u>一つの道をひたすら歩いて来た人がみんなもっている信念の人で</u></span></p><p><span style="font-size: 31.360001px;"><u>たぶんそのことが私に安心感をくれる。</u></span></p><p><span style="font-size: 31.360001px;"><u>音楽の勉強をしたいとおもったのが40過ぎてだったから、変な劣等感をどこかにもっているくせに逃げてあまり努力をしない、下手な</u></span></p><p><span style="font-size: 31.360001px;"><u>演奏を延々きかされても、ほんとうに我慢の人でもある。</u></span></p><p><span style="font-size: 31.360001px;"><u>ときどき　気になる言葉をおっしゃる、人生はずーとあると思って学びなさい　とか　祈りというのはそんなものではない</u></span></p><p><span style="font-size: 31.360001px;"><u>とか　それはずーっと頭のどこかに引っかかることになる</u></span></p><p><span style="font-size: 31.360001px;"><u>この年になってこんな充実した音楽の環境に恵まれるとは思ってもみなかった　一つ有難いこと師匠は10歳もお若いので、また次の先生を探す必要はないと思う。</u></span></p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/fuyumamaoneone/entry-12959444535.html</link>
<pubDate>Thu, 12 Mar 2026 00:10:19 +0900</pubDate>
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<title>レクチャーコンサート</title>
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<![CDATA[ <p><span style="font-size:1.4em;">イギリス組曲全6曲レクチャーコンサートにでかける。</span></p><p><span style="font-size: 22.4px;">いやーびっくり！こんなマニヤックな3時間もの演奏会に芸劇音楽ホール満席。最近バッハの舞曲に興味があって、16世紀ヨーロッパの舞踏の専門家のレクチャーがとてもおもしろく、バッハが若い時にフランスの演奏家に学んだこと、ルイ14世？がクーラントを自ら好んで踊ったこと　へー！の連続</span></p><p><span style="font-size: 22.4px;">それにしてもポジティブオルガンとチェンバロで全6曲を楽譜を持ち込んでしっかり聴いたあとの疲労感ははんぱなく、耳や鼻の穴から音符が飛び出しそう</span></p><p><span style="font-size: 22.4px;">バッハの楽しみ方は様々だと思うけど、あの装飾音かと思うぐらいの16分音符のジェットコースターのような演奏に、みなさん1曲1曲の区別がついたのかしら</span></p><p><span style="font-size: 22.4px;">もう少しテーマであるさまざまな舞曲のリズムを楽しむには、テンポの変化があってもよかったのに　わー凄い速さで弾けるのすごい！パチパチ👏というのは辛い</span></p><p><span style="font-size: 22.4px;">プロの演奏はテクニック自由自在だからややもすれば、わざとらしいカンタビーレやレガートで聴衆にアピールする　があまり好きではない</span></p><p><span style="font-size: 22.4px;">たとえば、ARIAのような少ない音符を、抑制のきいた感情でよくコントロールされた指で演奏することに、強く憧れるのだが、、、、</span></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/fuyumamaoneone/entry-12886200220.html</link>
<pubDate>Wed, 12 Feb 2025 23:21:43 +0900</pubDate>
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<title>レッスン</title>
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<![CDATA[ <p><span style="font-size: 31.360001px;">一月に一回というペースのチェンバロのレッスンはもう15年を越した。9月10月と、どうしたわけか人前で演奏することが続き、やっと久しぶりに中途になっていた曲をレッスンしてもらいにでかけた。いつものことで、自分では、なんとかと思って弾いてみたものの</span></p><p><span style="font-size: 31.360001px;">いつも沢山のダメ出しをもらってしゅんとして帰宅したら、連合いが「まるもらえたか？」と聞く。この3ヶ月毎日聞かされたおんなじような曲にヘキヘキしたのか、やけに一生懸命な練習に同情したのか、珍しい発言</span></p><p><span style="font-size: 31.360001px;">いやいや、まるなんて　子供の頃のおけいこ以来もらったことなんてない。そもそも高い完成度を限りなく求めるひとには、まる　なんてないんだと教えられ続けて、だから</span></p><p><span style="font-size: 31.360001px;">「今の自分はここまでです」と言って次に進むしかないんだ　と説明をした。この3ヶ月</span></p><p><span style="font-size: 31.360001px;">弾くのも歌うのも　やはり人様に聞いてもらいたい欲求は乏しいなと思うけれど、　とても好きな曲に出会ったときは、なんかわかってほしいな　と緊張しながらでレッスンに曲を持っていく。</span></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/fuyumamaoneone/entry-12876982691.html</link>
<pubDate>Sun, 01 Dec 2024 01:11:08 +0900</pubDate>
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<title>発表会</title>
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<![CDATA[ <p><span style="font-size:1.4em;">去年70肩で叶わなかったシューマンのオーボエとの演奏が終わった</span></p><p><span style="font-size: 22.4px;">45の時NZの大学で若者と机を並べたときI,m proud of me と述べた</span></p><p><span style="font-size: 22.4px;">のを思い出して　今日も70を前に良く頑張ったと　とりあえず自分を　</span></p><p><span style="font-size: 22.4px;">褒めてあげたい。もう何年もピアノを弾かない指は衰え、せっかくの</span></p><p><span style="font-size: 22.4px;">スタインウェイなのに　満足する演奏は出来なかったがこれが今の実力</span></p><p><span style="font-size: 22.4px;">この歳になってべシュタインとかベーゼンドルファーとか素晴らしい</span></p><p><span style="font-size: 22.4px;">楽器を触れることができる　幸せなことだけれど　猫に小判豚に真珠</span></p><p><span style="font-size: 22.4px;">だなーとも思う。午後中たっぷりと聖学院のオルガンを聴いた。</span></p><p><span style="font-size: 22.4px;">特に後半は　聖堂が楽器と化した波動を身体中に浴びて　まだ頭蓋骨が</span></p><p><span style="font-size: 22.4px;">ビリビリしていてる　　心安らぐ空間で濃密な時間を過ごした１日に</span></p><p><span style="font-size: 22.4px;">感謝！それにしても合唱団から参加の演奏者はみな個性は揃いだったなー</span></p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/fuyumamaoneone/entry-12869415590.html</link>
<pubDate>Sun, 29 Sep 2024 22:43:30 +0900</pubDate>
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<title>コラールを歌うということ</title>
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<![CDATA[ <p><span style="font-size:1.96em;">バッハのカンタータの世界の巨大さはもはや人生の時間切れで知り尽くすことはかなわないと思われるけれど、鈴木雅明の本には　そうだよね　と頷くことが多い。</span></p><p><span style="font-size: 31.360001px;">コラールを歌うという事は、イエスキリストに帰依する行為に違いない。ルター派が参集した人々が一緒に歌うという形を信仰の絆を強める手段としたこと、そこでは音程とか声の良し悪しは問題にはならないけれど、その人の言葉として重要性は</span></p><p><span style="font-size: 31.360001px;">聖書をその言葉を信仰の拠所とするプロテスタントの所以とするところだという。ならばたとえそれが練習という時間であれ</span></p><p><span style="font-size: 31.360001px;">言葉にだすということはそういうことなんだろう。</span></p><p><span style="font-size: 31.360001px;">罪の許し、神えの賛美、感謝、ギリギリ復活への願いそれは素直の歌える　ただ一点　唯一の神　これが日本人の私には引っかかってどうしようもない　credo を歌うのがつらい理由だ</span></p><p><span style="font-size: 31.360001px;">ソリストのアリアは素晴らしい、エヴァンゲリストの語りは聖書そのものだ　少なくとも合唱で歌うコラールは自分の言葉として歌いたいものだと思う。</span></p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/fuyumamaoneone/entry-12861523711.html</link>
<pubDate>Sat, 27 Jul 2024 23:27:56 +0900</pubDate>
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<title>音楽のこと</title>
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<![CDATA[ <p>イギリス組曲の生演奏を聴きました。</p><p>めったにCDを聴かないから、集中して演奏に没頭する幸せな時間です。</p><p>40代になってまた歌うこと弾くことを再開したのは、学生時代の思い出</p><p>があったにせよやっぱり音楽する事が好きということなのでしょう</p><p>「たかが道楽されど道楽」</p><p>50代オルガンや教会音楽に出会ったことで、　そろそろバッハを勉強しなければ</p><p>間に合わない　などと生意気なことを言って　20年が経とうとしています。</p><p>道楽　にしてはだいぶ歌って弾いてきたような気がするけれど、最近思うのは</p><p>あまりに実力無視の憧れに労力を費して、結局は遠回りしたかな反省</p><p>演奏者にははなはだ迷惑かとおもいながら、楽譜を辿りながらの鑑賞は入っては消えてしまう</p><p>音が瞬時留められて、奏者の和音、メロディーへの感情を読み取れる瞬間があって　すごく</p><p>勉強になります。　　それにしてもイギリス組曲は膨大で　テクニックも難しい。</p><p>この何年も　平均律弾きたさにフランス組曲もイギリス組曲もちゃんと弾いてきませんでした。</p><p>平均律がずーと困難なのは当たり前だ。今回の演奏を聴いてつづく納得。</p><p>さて　死なないと思って学び続けろといわれても始まりがあれば終わりはある</p><p>学生時代のように楽譜を抱きしめて寝るような情熱はもう望まないにしても</p><p>あまりにすくない曲の知識を増やして、心が震える演奏を聴き、技術の及ぶ範囲で</p><p>弾きたい　と思う曲に出会いたいと思います</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/fuyumamaoneone/entry-12852853055.html</link>
<pubDate>Sun, 19 May 2024 23:30:36 +0900</pubDate>
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<title>ロ短調ミサ曲</title>
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<![CDATA[ <p><span style="font-size: 19.6px;">3年ぶりにリリアでBachを歌いました。</span></p><p><span style="font-size: 19.6px;">3度目の正直、15年前は体調が悪く練習さえ早退の連続で、音符を追うのが精一杯、7年前は咳がつづきくすりを飲んでも本番は苦しく、翌日薬の副作用で救急搬送された。指揮者が死にもの狂いで歌えと言った　文字通りだった。</span></p><p><span style="font-size: 19.6px;">欧米の人たちはSanctusを輝くようにSanctusと歌う。Gloriaを溢れんばかりの喜びのGloriaで歌う。息を合わせた時のあの感覚は忘れられなくて、今日も素晴らしいオケとの時間の中で幸せな時間を過ごした。</span></p><p><span style="font-size: 19.6px;">それは観客がいてもいなくても、毎回の練習で口にするEleisonでも</span></p><p><span style="font-size: 19.6px;">Miserereでも同じに思える。</span></p><p><span style="font-size: 19.6px;">今年は地震で始まり、世界では殺し合いが止まないなかAgnus Deiはあまりに美しく悲しい。Dona nobisの願いが届きますように</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size: 19.6px;">ひたすらに神を賛美し、また哀れみを乞い赦しを願うミサ曲を歌いながら、低きに身を沈めよと諭した教えにうなずかなくてはならない。</span></p>
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<link>https://ameblo.jp/fuyumamaoneone/entry-12840386090.html</link>
<pubDate>Tue, 13 Feb 2024 00:32:22 +0900</pubDate>
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<title>ロ短調</title>
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<![CDATA[ <p><span style="font-size:1.96em;">時々これは聴かなくては、とか見なくてはという衝動に駆られるものに出会う。</span></p><p><span style="font-size: 27.440001px;">h-mollのフーガを聴いた。</span></p><p><span style="font-size: 27.440001px;">数少ないわたしの知っているバッハのこの調は、ため息だったり、苦しそうな歩みだったり、ゾクっとする係留音を多用した重い曲なのだが、それはhが音階の最後のキーであることに意味があって、終わりが始まりである　という世界観によっていることを知った。平均律24の調の先に永遠が見えるとは</span></p><p><span style="font-size: 27.440001px;">なんか禅のせかいの円相みたいなものかと想像する</span></p><p><span style="font-size: 27.440001px;">のと同じく興味は尽きない。</span></p><p><span style="font-size: 27.440001px;">ミサ曲も平均律終曲も山を攀じるようにはじまり、無限への発散のように終わる。まるで計算されたセラピーのメソッドの様に</span></p><p><span style="font-size: 27.440001px;">今日初めて聴いたフーガもだんだんと重ねられていく旋律と和音の渦の凝縮されたエネルギーに</span></p><p><span style="font-size: 27.440001px;">冬が近づくせいかちょっと弱くなっている体と心が</span></p><p><span style="font-size: 27.440001px;">元気になった　最後のコラールは本当h-mollのあとに聴くと何故か涙がでる　癒しの完成だった</span></p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/fuyumamaoneone/entry-12829839651.html</link>
<pubDate>Thu, 23 Nov 2023 22:52:51 +0900</pubDate>
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<title>耳の記憶</title>
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<![CDATA[ <p>聖学院教会　オルガン</p>
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<link>https://ameblo.jp/fuyumamaoneone/entry-12827226602.html</link>
<pubDate>Fri, 03 Nov 2023 22:33:20 +0900</pubDate>
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