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<title>アヤボクの、鉄分の多い農園、しょっちゅう自転車</title>
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<description>撮り鉄で自転車乗り、庭で野菜を作るヒゲと帽子のオッサンが、気が向いたら書いてみようかな、と思っているブログです。期待しないでください…。</description>
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<title>クリスマスおめでとうございます。</title>
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<![CDATA[ クリスマスです。<br><br>クリスマスが、本来、何の日か、ご存じの方も多いことでしょう。<br>「サンタの誕生日！」なんてギャグは流行りません。<br><br>もちろん、イエス・キリストの誕生をお祝いする日です。<br><br>聖書の記録によれば、イエスさまがお生まれになった夜、羊飼いが野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていたそうですから、今の季節、真冬ではなかっただろうと思います。聖書には、誕生の具体的な日について、報告がありませんので、実のところ、本当のイエスさまの誕生日はいつだかわからないのです。<br><br>聖書に、イエスさまは「すべての人を照らすまことの光」として紹介されていますので、北欧などの北の国で、日のほとんど昇らない真冬、冬至を過ぎると太陽が戻ってくることを祝い、冬至の祭りが盛んに祝われていたことと結びつけ、光が世に来られた、というキリスト降誕と結びつけて、ローマによって「キリスト教化」されたものと思われます。<br><br>さて、それはさておき、イエス・キリストがお生まれになったとき、もちろん、母になったマリヤさまや人間としての父となったヨセフさまは別として、その誕生を知る人はほとんどありませんでした。出産の場所は家畜小屋でした。ローマの命令で住民登録のために、先祖の出身地に旅していたふたりは、旅の空の下でした。そして、聖書には「宿屋には彼らのいる場所がなかった」と書いてあるのです。<br><br>今、クリスチャンでなくても、クリスマスを知らない人はまずいませんが、初めてのクリスマスは、だれにも知られないような、ひっそりと寂しい、そして、介助がなかった可能性の高い、危険なお産でした。<br><br>しかし、イエスさまの誕生を知らされた人々がいました。先に記した、その晩、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた羊飼いたちです。<br><br>彼らは、別に特別信仰深かったわけではありません。特別な血筋だったり、何らかの集団に属していたわけでもなさそうです。単に、普通の羊飼いだったのです。<br><br>その羊飼いのところに、真昼よりも明るい光に包まれた天使がやって来ます。そして、もちろん、びっくりして怖がっている羊飼いたちに「恐がることはありません」と言って、「今日、ダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ、主キリストです。あなたがたは布にくるまれてかいばおけに寝ておられるみどりごを見つけます。それがあなたがたのためのしるしです」とお告げになりました。<br><br>そして、そのあと、「天の軍勢」が神さまを讃美したと記されています。どんな讃美だったのか、後世の人々が想像をたくましくしていますけれども、本当のところはわかりません。きっと想像を絶するものだったに違いありません。<br><br>この人たちが、こんな不思議で圧倒的な出来事を無視することができるはずもなく、早速ベツレヘムの町へ行って、実際に、布にくるまれてかいばおけに寝ている新生児を見つけたわけです。動物の餌入れであるかいばおけに新生児を寝かせるということは、よほど他の場所がなかったのでしょう。とても不潔な感じがして、当時の人でも絶対にためらうようなことだったと思うのです。<br><br>天使のお告げが「事実」であったことで、そのお告げの内容の真実性もぐんと増しました。羊飼いたちは、お産のあった家畜小屋に集まっていた人々に、彼らの見聞きしたことを話して聞かせました。みんな、びっくりしたと書いてあります。そりゃそうですよね。でも、現実に見ていない人の印象は薄かったようです。でも、マリヤさまが、その話を深く心に刻んで、思いを巡らしていたと書いてあります。きっと、この記録を書いた、医者で歴史家のルカという人は、マリヤさまに取材したに違いありません。<br><br>天使は、「あなたがたのため」と言いました。言われた羊飼いは、何一つ特別なことのない人たちでした。<br><br>神が人を救うために、自ら人となる、というとんでもない出来事が、何か特別な人ではない、何の取り柄もない、羊飼いに「あなたがたのため」といって語られた、ということは、この知らせを受けとるために、特別な資格が必要ないことを示しているのではないでしょうか。<br><br>そう、だれでもいいのです。私も、あなたも。<br><br>愛と平和、いのちと光をもたらすイエス・キリストの誕生は、そう、何の関わりもない、と思っているあなたのため、私のための知らせだったのです。<br><br>あなたにとって、このクリスマスが、最高に幸せなときとなりますように。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/g-bird1379/entry-12109909899.html</link>
<pubDate>Thu, 24 Dec 2015 23:40:57 +0900</pubDate>
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<title>イースターおめでとうございます</title>
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<![CDATA[ イースターおめでとうございます。<br><br>イエス・キリストの復活祭です。<br><br>よく、キリスト教は、復活を言わなかったら信じられるのに、と言われます。<br>その気持ちはよくわかります。私も大変理屈っぽいタイプですから。<br><br>イエス・キリストが、何一つ罪を犯さなかったのに、罪人のために、つまり、私のために十字架にかかって死んで、償いをしてくださった、ということで、十分感動的だし、それを信じることにためらいは少ないと思います。<br>しかし、そのイエス・キリストが復活した、といった時点で、怪しさ満点になってしまう…そんなことを思います。<br><br>しかし…ちょっと考えてみました。子どものころから、時々考えていたことです。イエス・キリストに罪がなかった、というのはどういう意味だろうか、と。「罪」の定義は、時代や国、文化、そして、その行為のコンテキストによって判断が分かれますし、同じ時代、同じ国、同じ文化の中でも、個人によって罪と判断するか否かが分かれたりします。<br><br>もちろん、キリスト教においての「罪」の定義は、聖書に明確に示されているわけですし、それはどの時代、どの文化に持って行っても、批判に耐えうるきびしいものであると思います。<br><br>しかし、キリスト教徒であること自体が罪であるとみなされた時代や場所があるのもまた事実。聖書の基準を、聖書を信じない人に押しつけるのは（神の法廷ではさておき）、実際の社会においては無理があるでしょう。<br><br>そうすると、キリストは罪がなかった、だから、私の罪の身代わりになれたのだ、とする考えの前提があやふやになってしまうのではないかと思うのです。<br><br>ですから、キリストの十字架による死が、今の私にも有効である、ということの明確な証明のためには、復活という奇跡が必要だったのではないのでしょうか。<br><br>キリストの復活については、聖書の中にあらわれる奇跡の中で、最も証明が容易なものだ、といわれるほどに、明白なものです。その証明のあれこれについては、今年は論じることはいたしませんが、機会があったらまたいずれ。大変面白いですよ。<br><br>とにかく、イエス・キリストの復活祭であるイースターは、クリスマスにも増して、大切な記念のときです。<br><br>イースターバニーだったり、エッグハントだったり、本質からずれているのはクリスマスと同じでありますけれど、日本でもだんだん知られるようになってきたことはうれしい限りです。<br><br>この日、心から、イエス・キリストの復活をお祝いしたいと思います。
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<link>https://ameblo.jp/g-bird1379/entry-12010323413.html</link>
<pubDate>Sun, 05 Apr 2015 00:05:00 +0900</pubDate>
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<title>明けましておめでとうございます。</title>
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<![CDATA[ ちっとも更新しませんが…。<br><br>今年もよろしくお願い申し上げます。<br><br>初日の出など撮りに行くのは早々にあきらめ、できるだけ睡眠時間を確保する元朝。<br><br>みなさまの上に、神さまの豊かな祝福と平安とがありますように。<br>
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<link>https://ameblo.jp/g-bird1379/entry-11971663394.html</link>
<pubDate>Thu, 01 Jan 2015 02:44:08 +0900</pubDate>
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<title>クリスマスおめでとうございます。</title>
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<![CDATA[ １２月２５日、クリスマスを知らない人はまずいませんね。<br><br>クリスマスが何の日か知らない人も、あまりいないと思います。<br><br>私が子どものころは、「サンタさんの誕生日～」なんて言うボケがボケじゃなくてマジだった、なんて話も聞いています。<br><br>今のサンタさんのイメージは、某飲料メーカーの販促の結果だという話も聞いたことがあって、バレンタインとたいして変わらないか、というか、バレンタインの大先輩かぁ、なんて気もいたします。<br><br>まあ、どちらも、昔の神父さん（聖人になってますね）のお話が下敷きにあるわけですが…。<br><br>クリスマスは、もちろん、イエス・キリストの降誕を祝う、キリスト教の大切なお祝いの日です。まあ、お祝いする、というよりも、礼拝をする、というイメージなのですが。<br><br>イエス・キリストは、聖書によれば、ベツレヘムという村の、家畜小屋で生まれたといわれます。馬小屋と言われることも多いのですが、馬は当時、庶民が使うことはなく、ローマ軍の兵士とか役人とかのものでしたから、馬小屋はそうそうなかったのではないかと思います。聖書の記述は、生まれた赤ちゃんを「かいばおけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである」と書いてあるだけです。かいばおけは、家畜の餌入れですから、それがあるということは、家畜の寝起きしている場所であった、ということだし、ちょうど旅行中（自分の祖先の出身地で、住民登録をしなければならなくて、そのためにマリヤとヨセフは旅行を強いられていたというわけです）でしたから、宿屋が泊めてくれなかったならば、泊まる場所がなかったのだろう、ということでしょう。<br><br>大工のヨセフは、そして、おそらく聖母マリヤも、ユダヤ人の名門、ダビデ王家の血統だったようです。ですから、「ダビデの町」と呼ばれる「ベツレヘム」という村で住民登録しなければならなかったわけです。<br>名高い名君、ダビデ王家は、その子孫がしっかり家系図を残してはおりましたが、特別な扱いなど何もなく、落ちぶれ果てていて、ヨセフなどは、王家の直系と言っていい家系図を持っていたにもかかわらず（新約聖書の冒頭に、その家系図がいきなり載っていますから、新約聖書を読んでみようかな、と考えて、トライしてみた人の躓きの岩になっているとよく言われます）ユダヤにすら住んでいなくて、ガリラヤというところのナザレという村の大工になっていたのです。<br><br>ヨセフもマリヤもダビデの家系ならば、ベツレヘムに親戚がいてもいいのではないか、と思いますが、ダビデの時代からは７００年以上経っていて、さらには、途中でバビロニア、ペルシャ、アレキサンダーのギリシャ（マケドニア）、そして、ローマなどに支配されて、国自体がなくなってから３００年は経っていましたから、なかなかそうもいかなかったようです。<br><br>しかし、ユダヤ人は旧約聖書の掟（律法といいます）を大切に守っていました。元々遊牧民だったユダヤ人（イスラエル人、ヘブル人）は、アブラハムという人が神さまのお告げを受けて、旅をしてきたのがはじまりだと旧約聖書は語っています。なので、旅人を大切にするのがとても大事なことでした。旅人をもてなさないことは、大変恥ずかしいことと捉えられていたのです。知っている人かどうか、親戚かどうか、同じ民族かどうかなど、関係なく、旅人はもてなさなければならないし、それが当たり前の文化だったのです。<br><br>だとすると、マリヤとヨセフがベツレヘムで宿がなかった、ということが、どんなに異常なことだったかわかります。ダビデの子孫があまりにたくさんいて、村が異常に混雑していたのでしょうか。そうかもしれませんが、あまり現実的ではないような気がします。なので、聖書は何も語っていませんが、きっと、何か理由があって、彼らが宿泊を拒否される事態になったのでしょう。<br><br>一番考えられるのが、マリヤが臨月だったこと、でしょうか。聖書によれば、「いのち」は血にある、と考えられており、神聖視されて、触れること、食べることが禁じられていました。触れてしまった者は、「汚れた」とされて、隔離されることになったのです。その隔離期間に、お祭りなどがあれば、参加できなくなってしまいます。<br><br>女性の月経、出産などは出血がともなうことから、汚れているとされて、同様に隔離されてしまいました。これには、そういう時期に女性に休息を取らせる、という意味もあったと考えられ、単なる差別であるとは思えませんし、また、血液に触れることや食べることの禁忌は、血液を介して感染する、危険なウイルスの流行を防ぐことにつながったとも思われますので、必ずしも無意味な規定ではなかったと思われます。しかし、形だけを重視することになると、積極的な意味は陰に隠れて、差別的な部分のみが残るという弊害も起きてきます。<br><br>で、クリスマスのできごとの場合、お祭りが近かったのではないか（聖書には、季節や日付は明確に書かれていません。少なくとも、真冬ではなかったと考えられています。現在のクリスマスは、後にキリスト教が伝えられた北欧の冬至の祭りが取り入れられたものと考えられています。最も暗い日を過ぎて、光が復活する喜びの祭りと、暗いこの世に光であるキリストが来られたことの親和性が良かったのだろうと思います）、と考えると、マリヤが出産してしまって、それに関わって汚れを受け、お祭りに参加できなくなることをおそれたのではないか、というようなことが考えられそうです。町中の人がそうだったというのは、それこそ異常な気もしますが、日本以上に「村八分」はきびしい制裁として効果的だった様子を見ると、あり得ないことではない、とも思えます。<br><br>とにかく、一番助けが必要なときに、自己中心的な理由によって、人の住む場所での生活を拒否されてしまったマリヤとヨセフの姿が浮かび上がってきます。出産が近いことで彼らが拒否されたということは、とりもなおさず、生まれてくる赤ちゃんが拒否されたことになります。何もできない嬰児が、最低限清潔な環境におかれることを拒否されているわけですから、現代の感覚ではとんでもないことだ、と感じます。常識的に考えて、当時であったとしても、その感覚に大きな違いはないのではないかと思うのです。しかし、何らかの特殊事情（大きなお祭りの直前とか）が、人をして、その異常な状態を当然と考えてしまうこともまた、ありがちなことなのかもしれません。<br><br>とにかく、イエス・キリストは、両親以外、誰からも受け入れられない、居場所のない赤子としてお生まれになりました。その両親も受け入れられない人たちでした。<br>聖書の別の箇所には、「この方（キリスト）は、ご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった」と書いてあります。<br><br>人は、ひとりでは生きていけません。金八先生なら、「支えあって」なんて言うのでしょう。もちろん、それも大切です。しかし、私が仕事で接している人々の訴えを聞いていて思うのは、人は、誰かに必要とされなければ、誰かの役に立てなければ、そこにいてはいけないというメッセージを受け取ってしまうものだ、ということです。そうなってしまうと、自分自身の価値を見失い、生きる希望を失って、場合によっては最悪の事態に発展してしまうのです。いる場所がない、ということは、いてはいけない、ということであり、それは、殺人に等しいことなのです。<br><br>生まれる前から、そのようにして「拒否された赤子」となり、実際に、かいばおけに寝かされるというような仕打ちを受ける羽目になったイエス・キリスト。このお方は、いる場所がない、と絶望する私たちの窮地を理解することができ、そのような者のところに来てくださるお方であるのだ、と、今年のクリスマス、考えを巡らしておりました。<br><br>このようなお方が、私のため、私たちのために来てくださった、そのことを記念する日であるのなら、それは、めでたい日に違いありません。しかし、飲んで騒ぐような日であるとも思えません。やはり静かに、自分でなかなか価値を見いだすことのできない私を、必要だ、と言ってくださって、いる場所をくださるお方に思いをはせる日にしたいと思うのです。<br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/g-bird1379/entry-11968703034.html</link>
<pubDate>Thu, 25 Dec 2014 02:18:03 +0900</pubDate>
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<title>イースターおめでとうございます</title>
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<![CDATA[ 今日は、イエス・キリストの復活節、イースターです。<br>ピグでもイースター関連のイベなど行われていますけれど、うさぎさんとか、卵とか、元々は関係ありません。<br><br>キリストは、ご承知のように、十字架に磔にされて死にました。<br>それで終わりではなかったので、現在、キリスト教があり、（日本では少数派でしょうが）世界中にほんとうにたくさんのクリスチャンがいるわけです。<br><br>キリストの死と復活というできごとを記念するときですから、特に復活の記念のイースターはうれしい、おめでたい日ではありますけれど、浮かれたお祭騒ぎにするのは、どうしても違和感があります。<br><br>自分の罪の身代わりに、イエス・キリストが十字架で罰を受けてくださって、その結果、私たちは罪赦され、私たちを愛してやまない神のもとに立ち返ることができるようになったわけです。<br>罪のない神の子を十字架につけて殺した自分の罪深さと、こんなどうでもいい人間を、独り子をさえ惜しまず死に渡して、赦しをあたえ、救ってくださった神の愛を感じる、特別な季節です。<br><br>イエス・キリストが、ただ、死んでしまっただけでは、私たちに赦しの確証はありません。しかし、死を打ち破って復活されたからこそ、私たちは赦され、救われたことを信じることができるのです。<br><br>卵やうさぎ、ユリの花など、イースターを象徴するものがいろいろあり、教会でも用いるわけですけれど、元々は、多分ケルト民族あたりの土着の春祭のスタイルなのでしょう。<br>卵は、そこから雛が生まれるので、復活の象徴とされ、うさぎは多産なので、元々豊穣を願う象徴であったのでしょう。多産が命を感じさせる、そんなところかもしれません。ユリの花は土の中から真っ白な花を咲かせるので、キリストの復活にふさわしい花とされているようです。<br><br>こういうものが取り入れられたのは、教会が未開後だったイギリスを「教化」するにあたり、土着の宗教のお祭りを積極的に取り入れて、キリスト教を広めた、その結果のようです。クリスマスも、やはり、冬至の祭りをキリスト教的に再解釈して、元々聖書には書いてない、キリストの誕生の日をそこで祝うようにしたようです。<br><br>イースターに関しては、ユダヤ教の最大のお祭りである、過越しの祭との関わりがはっきりしていますので、太陰暦を基本とするユダヤ歴で日付が求められるため、毎年日付が変わる「移動祝日」になっています。<br><br>春分の日の直後の満月の直後の日曜日、がイースターですので、今年は、可能性のある中ではほとんど最も遅い日になるのかと思います。年によって、１か月近く違ってきます。<br><br>ということで、滅多に更新しないブログですが、今日はイースターの蘊蓄でした。このところ、こういうのばかりですねぇ。
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<pubDate>Sun, 20 Apr 2014 22:38:41 +0900</pubDate>
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<title>明けましておめでとうございます</title>
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<![CDATA[ 旧年中は、大変お世話になりました。<br><br>新しい年、先行き不透明な年明けとの感じをぬぐうことができませんが（まあ、毎年、先のことなどわかりません）、神さまを信頼しつつ、神さまに従って歩んでゆくだけ、と思っております。<br><br>特段目標など立てませんけれども、今よりよい状態で、主のお働きを続けていければと願っています。<br><br>元気ならばそれに越したことはないし、そうありたいと願います。そのために、なすべき努力があるならば、実行できればと思います。しかし、私の主観的、客観的状況が、今より悪くなったとしても、それが神さまの御手の中にあり、全てのことを働かせて益としてくださるそのお方のご計画の中にあるならば、それで満足です。まあ、ということは、最終的に不満などない、ということですね。<br><br>いろいろな苦労がありそうなことは、容易に想像できます。<br>消費税が上がれば、すぐに経済的な厳しさに具体的に直面するであろうと思いますし。私の働きのように、誰にも直接支えられていない、または、認められていない小さな独立した働きには、救済措置がとられることは決してありません。<br>しかし、これまでの人生の中で、神さまは、人によってではなく、神の御手によって助けてくださることを知らせてくださっています。<br><br>ケリテ川に隠れたエリヤをカラスが養ったように、イサクの代わりに羊が備えられたように、思いもよらない形で必要は満たされるのだと信じて歩み始めます。<br><br>皆さまの上に、神さまの豊かな祝福とお支えがありますように、お祈り申し上げます。<br><br>主の年の２０１４年元日<br><br>
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<pubDate>Wed, 01 Jan 2014 23:53:22 +0900</pubDate>
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<title>年末のご挨拶</title>
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<![CDATA[ ２０１３年も残り８時間足らず。<br>一年間、いろいろありがとうございました。<br><br>体調を壊して、ずいぶんとご心配をおかけしたときもありました。<br><br>また、気候が原因なのか、社会情勢なのか、その相乗作用のような気がしますが、その影響をもろに受けて、仕事のために眠れぬ夜が続いたりして、私自身もかなりダメージを受けました。<br><br>糖尿は悪化し、眼底出血を起こし、さらに悪化し、高血圧の宣告も受け、眩暈がなかなか治まらず、秋の絶好の自転車シーズンに全く自転車に乗れず、運動不足にもなりました。荷物を持って電車に乗れなくなり、好きな鉄道や箸などの写真もなかなか撮れなくなりました。<br>他にも、家族の健康状態やらなんやら、いろいろ苦労が多かった年でありました。<br><br>なんか、こんな話を書いていくと、「お祓いしたほうがいいんじゃない？」なんて言われそうですが…。いや、それ、宗旨が違いますんで…。<br><br>でも、苦労があればあるほど、そのときに感じることができた神さまの守りや支え、また、みなさまからのお祈りやご心配、お励ましやお慰めなどが、次から次へと思い起こされて、感謝がわいてきます。<br><br>この一年、本当にありがとうございました。ご心配かけて、申し訳ありませんでした。<br><br>そして、来る年も、相変わらず（社会情勢も、気象も、その不安定さは変わりそうもありませんし）ご心配おかけする年になるんだろうなぁ、と思うのが本当のところです。さらに、今日は、わが家のわりに近くで震度５弱の地震があり（わが家のあたりは震度２でしたが）、その後、余震なんでしょうね、小さな地震が立て続けに起こっています。東日本大震災並みの地震が再度襲ってくるのは（来年と決まったわけではありませんが）近々避けられそうもない、と感じます。<br><br>聖書の預言に照らして、世の終わりがいよいよ近づいていると感じないわけにはいきません。いつだか、私たちは知らなくていいことらしいですけれども、少なくとも、昨年の今日よりは、その日が１年、確実に近づいたということです。一日一日を大切に生きなければならないと感じます。<br><br>かといって、また、ぶっ倒れたり、伸びたりしてしまっては本末転倒ですから、大切に、休むときは休むようにして、特に夜、できるだけ寝られるような工夫をしたいです。来年の目標というよりは、今年の教訓で、すでに始まっていることではありますが。<br><br>ほとんど更新しないブログや、最近さぼり気味のピグ、ピグのゲームなどでおつきあいくださっているみなさま方に１年間の心からの感謝を捧げつつ、新しい年、神さまの豊かな祝福に満ちあふれますようにと心からお祈り申し上げます。<br><br><br><br><br><br><br>さて、もう一踏ん張り。
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<link>https://ameblo.jp/g-bird1379/entry-11740236532.html</link>
<pubDate>Tue, 31 Dec 2013 17:27:09 +0900</pubDate>
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<title>クリスマスおめでとうございます。</title>
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<![CDATA[ 救い主のご降誕を、心から喜び、神さまをほめたたえます。<br><br>新約聖書の記述からは、イエス・キリストの誕生はこの時期ではないことは間違いなさそうですが、罪と死の闇の中に閉ざされていた人を救う、救いの光の到来であるイエス・キリストの降誕と、暗い冬至の時期を過ぎて、太陽が戻ってくる、その太陽の祭りとを融合させて生まれてきたお祭りのようです。<br><br>日本の牧師としては、この年末の忙しい時期に、クリスマスなんていう大切なお祭りがあるのはしんどいことこのうえない、なんて思ったりもいたしますが（クルシミマスだ、なんてことを口走る牧師が多いのです）、聖書に日付が書いてあるわけではないので、どこかで祝わないわけには行かないことですから、この時期、というのは、悪くないと思っています。<br><br>神が、神であることを捨てて、人となり、人の罪の身代わりになって死ぬために生まれてくださった、そのことを記念する日です。こんなに大きなプレゼントを私たちは神さまからいただいたのです。<br><br>私たちがプレゼントを送りあい、愛を語り合う日であることは、素晴らしいことだと思います。<br><br>しかし、本当に素晴らしいプレゼント、イエス・キリストを、感謝して受ける日であれば、こんなにうれしいことはありません。<br><br>皆さまの上に、救い主の豊かな祝福が注がれますように。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/g-bird1379/entry-11735758123.html</link>
<pubDate>Wed, 25 Dec 2013 03:26:20 +0900</pubDate>
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<title>イースターおめでとうございます</title>
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<![CDATA[ ピグやらライフやら、イースターのイベントがありましたけれど…。卵とうさぎがキーワードみたいになっておりましたね。<br><br>イースターとは、キリスト教のイエス・キリストの復活を記念する日です。<br>クリスマス以上に大切にしているんですよ。<br><br>しかし、なかなか一般には浸透しません。多分、それは、イースターが移動祝日だからでしょう。<br><br>元々、太陰暦をもとにしていたユダヤ暦の「過越しの祭」と密接な関係があるため、太陽暦に置き換えるのが難しいという事情もあります。<br><br>今年は、年度末も押し詰まった3/31でしたが、3/22あたりから4/23日ぐらいまでかなぁ…可能性があります。どうやって決めるかというと、春分の日の直後の満月の日の直後の日曜日、ということです。<br><br>イースターの日（必ず日曜日）の前の週の金曜日、イエス・キリストは十字架刑に処せられ、殺されました。そして、ユダヤ教の安息日である土曜日を挟み、週の初めの日の早朝、復活されたことが新約聖書の４つの福音書に記録されています。<br><br>それで、キリスト教会では、ユダヤ教の安息日である土曜日ではなく、キリストの復活を記念して日曜日に礼拝を守るようになりました。<br><br>キリストの復活は、罪と死に対する勝利を明確に示す、クリスチャンの信仰の土台です。キリスト教会は、空の墓の上に建っている、といわれたりします。<br><br>人の究極の敵である死に対する勝利の日、私には、クリスマス以上に大切な、うれしい日です。<br><br>イースター、おめでとうございます。<br><br>ちなみに、卵もうさぎも、復活や命の象徴とされています。<br>
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<pubDate>Sun, 31 Mar 2013 20:37:26 +0900</pubDate>
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<title>雨の中のお花見</title>
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<![CDATA[ <p style="text-align: center;"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20130328/02/g-bird1379/dd/40/j/o0720054012476315524.jpg"><img id="1364407213334" ratio="1.3333333333333333" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20130328/02/g-bird1379/dd/40/j/t02200165_0720054012476315524.jpg" style="width:220px; height:165px; border:none;" alt="雨に濡れる桜"></a></p><p>教会のみなさんと、礼拝の前にお花見をしました。<br>教会近くの公園に着くころ、しとしと降っていた雨が、急に強くなって、座るところもないし、ましてお弁当を広げることもできません。 <br></p><p>それで、写真だけ何枚か撮って（それも、カメラやレンズが濡れてちょっと厄介でした）、15分ほどで早々に引き上げて、教会でお弁当を食べました。<br></p><p>受難週の礼拝が終わると、雨が上がっていたので、帰りにちょっとだけよって、もう一度10分ぐらいお花見しましたよ。そのときの写真は、メンバーさんたちを写したので、アップできませんけれど…。<br></p><p>水滴の滴る桜、みずみずしくていい感じかも、と思いました。<br></p><p>写真が好きな人のために…Fujifilm FinePix X20、マクロモード、プログラムオート（+1.0補正）。手持ち。ローパスレスの高級コンデジ、なかなかの実力です。<br></p>
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<pubDate>Thu, 28 Mar 2013 02:56:25 +0900</pubDate>
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