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<title>ANOTHER LIFE 日本へ帰る旅~Back To Japan~</title>
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<title>Rats -半年以上前の話だけど続き-</title>
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<![CDATA[ 放ったらかしのこのブログ、前回から半年以上経った。<br>まだオーストラリアに滞在中だが場所は移って<br>今はクイーンズランドのケアンズ、グレートバリアリーフの中の<br>フィッツロイ島という国立公園のホテルで働いてる。<br><br>オーストラリアの生活についても色々あるが<br>また今回ブログを書きたくなったのは前回の話。<br><br><br>前回のブログで友人が深刻な病気に直面してると書いた。<br>実はその友人とは2年前セブ島で英語を勉強した時の<br>先生でフィリピン人の女性、去年の初めから癌を患って<br>手術を何度か受けていた。前回のブログの頃、<br>去年の夏、彼女とは毎日の様にチャットやSkypeで話していた。<br>俺が1番仲良くしてる先生。<br><br>去年の夏頃、顔も見えない会話の中だけの<br>彼女は本当に自暴自棄に陥っていて、<br>すぐにも死んでしまうのではないか、と俺も思ってしまっていた。<br>「何故、私が死ななければいけないの？まだ若過ぎる。<br>何故酒やタバコや薬で自らの身体を痛めつける人達でなくて私なの？」<br>いくら言葉で励ましてみても<br>「ナオキにこの痛みはわからない、もう死んでしまいたいと思う時もある」<br>そう言われた時は顔の見えない言葉だけの会話とはいえ<br>俺も言葉を失った…。彼女に話しかける事から逃げたりもした。<br><br>彼女は頭も良く感性も豊かで自分で物語を書いてみたり<br>病気になってからもスピーチコンテストに参加したり、<br>いつか自分の本を作ってみたいと言った事もあった。<br><br>なんとか生きる活力を失って欲しくなかった、<br>「その本を作製する費用だって俺が出したっていい、作ってみよう」<br>とも言ったりもした、今まで自分の為にしか使ってこなかった<br>クソみたいな金、たまには人の為に役立てたって良いと思った。<br>でもそれも日本やオーストラリアで稼げるお金と<br>フィリピンとが大きく違うから言えた事、<br>彼女には傲慢に聞こえたかもしれない。<br>彼女は丁重に断った。<br><br>それでも10月頃、再び手術を終えたあとから<br>事態は好転したようだった、それまでとは違い、<br>体調も良くなり、気持ちも穏やかになったようで、冗談も言ってみたり、<br>こんな事やりたい、外国で働いてみたいと言い出すようになった…。<br>何より彼女の方から話しかけてくる様になった。<br>その時は本当に安心した。<br><br>だけど、癌がそんな簡単に完治するのかな？とも思った。<br>その時、俺と同じセブの学校でその彼女の生徒だった<br>韓国人の友達が同じ様にオーストラリアにワーホリできていて、<br>会ってその話をした事もあって「一緒に会いに行こう」となった。<br><br>その韓国人の子ともう1人日本人の彼女の<br>生徒を加えて3人でセブをこの3月、訪れた。<br><br>実際に会った彼女は、以前よりはやはり弱々しい感じがして<br>身体も小さくなった気がして(俺がまた大きくなった？) <br>最初は何を話せばいいかわからなかった…。<br>今はその英語学校はやめていてセブの別の会社で働いているそうだ、<br>忙しいそうだが週末や仕事の後で俺達に会ってくれた。<br>「身体は大丈夫？」と聞けば「大丈夫じゃなきゃ会いには来れない」と言う。<br>今は定期検診で病院に通っているそうだ。<br>短い旅行ながら会う回数を重ねる度<br>「完璧ではなくてもとりあえず1番大変な時間は過ぎたのかな…」と思えた。<br><br>彼女を見舞いに来た俺達にビデオを作ってくれたり、<br>ギターを持って来てホテルの部屋で照れながら歌を披露してくれたり、<br>手紙をくれたり、彼女らしい方法で俺達に感謝してくれた。<br><br>俺のセブ滞在期間は他の2人よりも少し長かったので、<br>2人が帰った後も彼女と最後の夕食に出掛けた。<br>食後くつろぎ、何がキッカケか忘れたか彼女から色んな事を話してくれた、<br>他の2人の前では話さなかった事も…。<br>去年の夏頃、どれほど辛かったとか、病気の事、その後の事、<br>俺が諦めそうになりながらも話しかけ続けた事に救われていたとか、<br>家族の事、これからの事。<br>そして「ナオキ達は生徒以上、普通はそれぞれ国に帰った後、<br>少しは連絡取り合ってもその後は音沙汰なんてなくなる」と言ってくれた、<br>そしてこの29歳のプー太郎を<br>「あなたは賢い、物の見方、優しい性格、尊敬してる、特別な生徒」<br>と言ってくれた。<br><br>2人が帰った後なのになんだが1番嬉しい夜だった。<br>外国人の友達はよく欲しがる人が多いと思うけど、<br>本当に友達と呼べる友達って一体何人いるだろう… <br>自分らの前に横たわる距離や国籍、言葉、育った文化の違いからの誤解、<br>会えない時間を越えて、<br>気持ちで寄り添っていける友達が俺には今何人かいると言える。<br><br><br>何だか、ぶつかってみて良かったなと思った。<br>あくまでも戦ったのは痛みから逃げられない彼女で俺はいくらでも<br>気を紛らわす事が出来たわけだけど....<br>やり方は色々間違えたりしたのかもしれない、<br>でも言葉や環境からの誤解を恐れながらも好き勝手言ったことで<br>本当に心配してると思ってくれたんだと思う。<br><br><br>今回みたいな事ばかりではないと思う、悪くなる一方の場合もあると思う。<br>彼女の病気もこの先の事はわからない、<br>でも以前よりはこの友情も強くなりお互いの力になれるのではないかと思う。<br><br>"何もなけりゃ ALWAYS<br>友だちヅラ ALL RIGHT<br>事が起こりゃ OF COURSE<br>知らん顔で OH NO<br><br>何もない時だけいつでも笑顔でつき合う<br>慣れ合い うわべの仲間<br><br>軽い話 ALWAYS<br>調子合せ ALL RIGHT<br>ヤバクなれば OF COURSE<br>ケツをまくる ALWAYS<br><br>そんなヤツばかりサ 言葉の遊びにつまれば<br>あとには何もないのサ<br><br>上手に世の中 渡れていいぜ<br>淋しさ知らずに 生きてていいぜ<br>言葉をオモチャに 使えていいぜ<br>本音が最後の切り札が"<br><br>"RATS"  BOφWY<br>
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<link>https://ameblo.jp/g-koma0220/entry-11495193892.html</link>
<pubDate>Thu, 21 Mar 2013 18:53:34 +0900</pubDate>
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<title>ちょっと暗いけど...ワーホリ2年目突入！</title>
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<![CDATA[ 友人や知人が深刻な病気に直面してる時、<br>励ましたり勇気づけたりする事が日本人や文化的に環境的に<br>似たり寄ったりの国の人には出来るかもしれない。<br>でも例えば発展途上と呼ばれる国の人に対して、<br>たとえ友人であってもそうする事が難しいと思う事がある。<br>それは環境面や経済的にどうしようもない現実もあると想像するから。<br>その土地の気候、風土からの病気もあって、<br>どうにもならない現実からその病気や死の受け入れ方もそれぞれあって、<br>宗教などもその人の魂や家族の一つの救いのためにあるのだと思う。<br><br>それに対して全く違う環境で育った、違う価値観から<br>「何があっても諦めるな！」と主張するのは<br>何だかより偽善的で傲慢な気がしてしまう。<br>それでも恐怖や悲しさは一緒…。<br><br>だけど同じ人間でもこんなに違う。<br>そんな人に俺は何て声をかけてあげればいいのか混乱する事がある。<br><br>同情しても無駄？結局自分を満たしているだけ？<br>その人の痛みなんて分からない？<br>そうかもしれない、だけどそれだけじゃ悲しい。<br><br>俺の好きな映画「パッチ・アダムス」にこんな台詞がある。<br>"We are all dying." <br> "A doctor's mission should be not just prevent death<br>  but also to improve the quality of life."<br>「人はみんな死に向かっている」<br>「医者の使命は"死"を防ぐだけではなく"生"の質も高めなければならない」<br><br>俺は医者じゃないし、遠くで顔も見えず<br>お互い第一言語でない言葉で会話してるから<br>余計相手の気持ちも自分の気持ちも表現する事に<br>誤解があったりするけど、<br>その人が直面してる「死」という言葉を変に避けたりせずに、<br>鬱でも自暴自棄でも元気なふりをしていても<br>話してくれる事を聞いていたい…。<br>それが俺らしいかなと思った。<br>その人が知ってるいつもの俺で<br>話そうと…。<br><br>俺の思うように相手が全て受け入れてくれるなんて思わない。<br>それでも少しの思い出話や笑いでその病気や死を<br>一瞬でも忘れられる時があるはずと信じて…。
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<pubDate>Mon, 06 Aug 2012 03:27:10 +0900</pubDate>
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<title>出口の見えない独り言、かっとぶ妄想</title>
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<![CDATA[ 奇跡の月に二回の更新。<br><br>2012. 03.11 <br>東日本大震災から一年が経った。<br>去年、日本のニュースを留学中のセブ島で知り、今年はここオーストラリア。<br>何だか、俺的にはどんよりした日だった。でもここはオーストラリア、<br>俺の周りは何の変哲もない日に感じた。当たり前だけど…。<br>それが気分をどんよりさせたのかもしれない、<br>似た気持ちを共有出来ないという意味で。<br>海外に居ると「同胞」という言葉を日本に居るとき以上に<br>意識しているような気がする。<br><br>仕事も早めに終ったのでさっさと家に帰って、<br>インターネットで日本のニュースをずっと見てた。<br>Youtubeで地震関連の動画ばっかり見てたり。<br>日本時間の14:46には俺も日本に向かって黙祷した。<br><br>ネットで義援金130億円の台湾へ「ありがとう」という気持ちを<br>込めたCMが台湾で放送されるというニュースを見つけた。<br>たまには日本もマトモな事するんだなと思った。<br>台湾は人口2300万人、平均年収は150万弱らしい。<br>それを考えると義援金130億円超はとてつもない数字だと思う。<br>彼等にとっては1999年、<br>台湾で起きた大地震の際の日本の支援に対する<br>恩返しというのがあるみたいだけど…<br>それにしたって彼等の今回の支援は感動的だ。<br>日本人なら忘れてはならないだろう。<br>一人でそのCMを見ながら気持ちが高まって泣きそうになった。(気持ち悪)<br><br>地震関連の動画を探してると見たくないものも発見する。<br>一部の韓国人が日本の地震を揶揄したものだったり。<br>もちろん韓国人全員が同じような事ばかり考えているわけではないだろう、<br>韓国からの支援もたくさんある。<br>でもやはりこういうのを見ると複雑な気持ちになる。<br>というのは今の俺は韓国人の友達が沢山いる、<br>そのうちの何人かは親友だとも思っている。<br>これが旅に出かける前なら立場は簡単だっただろう、<br>「これだから韓国人嫌いだ！」って言えば良かったのだから。<br>でも、もう今は違う…こういう問題といかに付き合っていくかとよく考える。<br>だが多かれ少なかれ韓国や中国には日本の地震を<br>相変わらず過去の歴史を蒸し返して<br>「罰が当たった！いい気味だ！」と思った奴はいるだろう。<br><br>ここから俺の終わらない妄想が始った。<br><br>去年の地震発生直後、ニュースで少しの間話題になった、<br>世界が賞賛した「災害時でも規律を守り、落ち着いて行動する日本人。」<br>日本人なら何ら特別な事の様に思わないだろう習慣。<br>俺が思うに、こういう習慣や文化の歴史って突然始まるものではない。<br>過去の日本人から今の日本人へ引き繋いで培ってきたものだと思う。<br>だとすれば今の日本人よりよっぽど倫理観や道徳心を備えていた<br>祖父、曽祖父世代の日本人が韓国や中国の言う様に<br>悪い事ばっかしてたなんて到底思えないのだ。<br>それに実際いくつもの資料が彼等の嘘を暴いている。<br>実際、アジア諸国、中国韓国以外、<br>日本の過去の貢献に感謝してくれている国も多い。<br>例えばなぜパラオの国旗が日の丸そっくりか知ってる<br>日本人が今どれほどいるだろう？<br><br>俺は歴史が好きだからよくそういう本を読む、<br>でも実際、まるで正反対の本もあったりする、<br>結局それらは誰かが書いた事で本当の事実は分からないとするなら、<br>自分の感覚で信じられる事、<br>それは世界がその日本人の民度を賞賛するなら、さっき書いた、<br>その民度の歴史は突然始まったりはしない。<br>今や両国が曖昧にし続けている過去の出来事に対しての<br>一つの証拠になると俺はいつも思う。<br>逆のパターンもある。<br>中国を旅する前、中国人を知る前、<br>TVで反日感情を爆発させる中国人や<br>日本の観光地を土足で好き勝手踏み荒らすような彼等しか知らない時、<br>「昔の中国人が日本人の残留孤児を保護して育てたなんて嘘だ！」<br>と思っていた。「あんな連中にそんな情なんてあるわけない！」と。<br>それ関連のドラマはよくNHKで放送されていたし。<br>でも中国を旅してみて今はそれは本当だったんだなと実感している。<br>旅中出会った人達の面倒見の良さ、<br>厚遇はそれを実感させてくれるのに十分だった。<br>実感は信じられる。これと同じだ。<br>でもチベットやウイグルを侵略し、虐殺を繰り返しているじゃないか？<br>だがそれは中国共産党がしている事というのがあると思う。<br>中国に住む日本人に「中国人も共産党が怖いんだ。」と聞いた。<br>ここが独裁国家と日本との違いだと思う。<br><br>かなり話が脱線した、何が言いたいかというと<br>言われのない過去の事を蒸し返して今回の震災を揶揄する奴らは許せない。<br>他国の悲劇をあえて祝う様な民度は日本人にはない。<br>俺は韓国、中国のメディア、反日教育が大嫌い。<br>ついでに日本のメディアも嫌い。当たり前か…。<br>でも彼等にはそれが事実と教えられている。旅中、セブ島滞在中、<br>突然彼等から竹島や歴史に関して話を振られた事が何回かある。<br>何も言ってないのに「竹島は韓国のもんだ！」と言われた事もある。<br>日本人が想像する以上に叩き込まれていると思う。<br>俺的には個人的な意見があるから俺の思うところをその都度話した。<br>でも最後はいつも<br>「日本と韓国、中国は近所だから問題があるのも自然な事じゃない？」<br>と締めくくっていた。それを言う度になんだか逃げてしまった気がしていた。<br>普段は友達でいてそういった問題を話す時に「俺は政治家じゃないから…」<br>と言う様にはぐらかしていて本当に国を越えて友達になれるのかな？と思う。<br>第一、ご近所の台湾と日本は何の問題もない。<br>この事実を韓国人はどう考えるのだろうと思う。<br>こういう本音を話す機会があるだろうか、<br>こういう場面に遭遇した事のある日本人なら分かると思うが<br>かなり勇気のいる事だと思う。<br><br>ここ一年の地震に関するニュースを見返しながら<br>そんなところに妄想を繰り広げていた。<br>韓国、大切な友人、死んでしまえと思う一部の連中。<br>でもこれはお互い様なんだろうなと思ってしまって結局迷宮入り。<br>っていうかそんな事でイライラするよりまだまだ大変な<br>自分の国に思いを馳せるべきだなとも思う。<br><br><br>それにしても台湾。こんな心強い隣国が他にあるだろうか？<br>俺の個人的な事情を抜きにすれば<br>韓流も結構ですが<br>他にもっと大切にしなきゃいけない国があるんじゃないでしょうか？！<br>日本人！<br><br><br>独り言です、強制終了！<br>
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<pubDate>Tue, 13 Mar 2012 22:02:26 +0900</pubDate>
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<title>Another Life</title>
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<![CDATA[ 昨年末に一時帰国報告をしてから早、3ヶ月近く、<br>1年半振りに日本に帰国したにもかかわらず<br>帰国してみての感想も書く事もなく、<br>もう今はオーストラリアに戻ってきて早、一ヶ月が過ぎた。<br><br>今更、帰国した時の事もそんなに書く事もないが、<br>印象に強く残っているのはやはり両親、家族との再会、<br>初めて会う姪っ子！大きくなって生意気になった甥っ子！<br>成田に着いて迎えに来てくれた親と兄貴に会うまでは<br>ニヤニヤしっぱなしだった。自分が思ってた以上に楽しみだったんだろう。<br><br>実家の飯は格別、そして、一年半振りの風呂。<br>まぁ一ヶ月間ダラダラしっぱなしだった。<br>地元の友達と久しぶりに会ったり、フィリピン、<br>セブ島で一緒だった友達に会いに京都に行ったり、韓国にまで行ったり。<br>以前勤めていた会社のみんなに会ったり、<br>たくさん大きな嬉しい再会があった。<br>韓国ではフィリピンの友達だけでなく、<br>以前このブログにも書いた丁度一年前インド、マレーシアを一緒に旅行した、<br>ウォニルとユナにも再会した！<br>再会の瞬間、道の向こうにニ人を見つけた時は嬉しくて泣きそうになった。<br>一年前の旅の思い出を語り合ったり、<br>ユナのお母さんがその旅行の事で「娘の面倒を見てくれてありがとう」と<br>ある晩、夕飯を御馳走してくれたり。<br>どの再会もその絆を強く思わせてくれるものばかりだった。<br><br><br>それ以外で印象に残った事は俺の部屋の本棚。<br>一年半前のままのそれには、旅に関する本ばかり。<br>似たような本ばかり並んでいてそれを手にとって<br>久しぶりに読み返してみるとなんだか可笑しかった。<br>ガイドブックなどは一つもなく誰かの旅行記だったりするのだが、<br>おおげさな表現ばかり書いてあるように見えて可笑しかった。<br>その本を出発前の俺は何回も読み返しながら<br>旅への浪漫と期待を膨らましていたんだなぁと。<br>たった一年半なのに、その頃の自分が可愛く思えた。<br>一年半、日本を離れて一人でアチコチ回って、<br>それでも成長した部分なんて感じた事などなかったけれど、<br>それらの本を読み返したら、<br>そういう意味では変わった部分もあるのかな、と思う。<br>もちろん良い意味で。<br><br><br>そして今はまたオーストラリア。<br>もうとっくのとうに旅ではない、旅はもう終った。<br>旅を通して自分が日本人である事を認識したいと<br>大袈裟な気持ちを込めて始めた「日本へ帰る旅」<br>というこのブログも続けるかどうか迷ったが、<br>せっかくなので残す事にした。<br>次の更新は何ヶ月後か.....<br>オーストラリア、ワーキングホリデー。<br>少しの間、ここに住む事は出来るが必ずしも<br>この生活がずっと続くわけではない、<br>もう一つ別の生活を今は経験させていもらっているという意味で<br>「Another Life」とした。<br><br><br>今はメルボルンという街でシェアハウスに住んでいる。<br>街の中心まで電車で出て街のホテルで<br>インド人コミュニティの中でハウスキーパーをしている。<br>日本語はずっと喋っていない。<br>一応全て英語環境…一応…。<br><br><br>そう！今の俺の関心は英語なのだ！<br>今年はもっとこれを向上させたい！でも今の段階ではまるでダメ、<br>まるで役に立たない、状況を細かく説明出来ない、<br>電話は緊張する。非ネイティブのインド人ら同僚とは<br>不便なくやり取りできてもオージー相手には上手く出来ない、<br>人によっては何言ってるのか全然分からない。<br>今は「上手く対応出来ない」という固定概念のようなものが出来てしまって、<br>オージーとやり取りする時は尻込みしてしまう。<br>この状況をなんとか打破したい。<br>一人で部屋を掃除しながら、洋画の台詞をブツブツ呟いて練習したり、<br>やかましい同僚のインド人に文句を言いたい時に<br>それを一発で上手く言える様にブツブツボヤキながら<br>会った時や電話した時にガツっと言って上手く言えるとそのストレスも忘れて<br>上手く言えた事の満足感に浸る。<br><br>今は英語がすごく好きだ、<br>また自分の中で好きな物が出来た事自体が嬉しい。<br>そんな事を言うには恥ずかしいくらいまだまだだし<br>将来、それでどうのというのも分からないけど、<br>今はこの生活を楽しみたいと思う。<br><br>今、セカンドワーキングホリデービザの申請中。<br>これが取れれば2013年の8月までここに居ることができる。<br>でも取れなければ今年の8月には出なければならない。<br>どーなるか分からないが少しずつ先の事も見据えつつ今は前進あるのみ！<br>GO AHEAD!!<br><br>今住んでる一週間80＄のシェアハウス<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120304/20/g-koma0220/c6/ed/j/o0720048011832205586.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120304/20/g-koma0220/c6/ed/j/t02200147_0720048011832205586.jpg" alt="日本へ帰る旅~Back To Japan~" border="0"></a><br><br>最寄り駅<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120304/20/g-koma0220/57/7c/j/o0720048011832207141.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120304/20/g-koma0220/57/7c/j/t02200147_0720048011832207141.jpg" alt="日本へ帰る旅~Back To Japan~" border="0"></a><br><br>シティから電車で30分、ちょっとしたコンビニみたいのと住宅街しかない<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120304/20/g-koma0220/a2/8f/j/o0720048011832207142.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120304/20/g-koma0220/a2/8f/j/t02200147_0720048011832207142.jpg" alt="日本へ帰る旅~Back To Japan~" border="0"></a><br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120304/20/g-koma0220/41/8f/j/o0720048011832207143.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120304/20/g-koma0220/41/8f/j/t02200147_0720048011832207143.jpg" alt="日本へ帰る旅~Back To Japan~" border="0"></a><br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120304/20/g-koma0220/29/23/j/o0720048011832207433.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120304/20/g-koma0220/29/23/j/t02200147_0720048011832207433.jpg" alt="日本へ帰る旅~Back To Japan~" border="0"></a><br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120304/20/g-koma0220/7d/24/j/o0480072011832207435.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120304/20/g-koma0220/7d/24/j/t02200330_0480072011832207435.jpg" alt="日本へ帰る旅~Back To Japan~" border="0"></a><br><br>シティの中心(?)　降車駅、フリンダースストリート駅<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120304/20/g-koma0220/0d/54/j/o0720048011832205585.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120304/20/g-koma0220/0d/54/j/t02200147_0720048011832205585.jpg" alt="日本へ帰る旅~Back To Japan~" border="0"></a><br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120304/20/g-koma0220/c5/07/j/o0720048011832207434.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120304/20/g-koma0220/c5/07/j/t02200147_0720048011832207434.jpg" alt="日本へ帰る旅~Back To Japan~" border="0"></a><br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20120304/20/g-koma0220/f7/b0/j/o0480072011832205584.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20120304/20/g-koma0220/f7/b0/j/t02200330_0480072011832205584.jpg" alt="$日本へ帰る旅~Back To Japan~" border="0"></a><br>
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<pubDate>Fri, 02 Mar 2012 21:22:37 +0900</pubDate>
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<title>On my way home  ~ファーム生活と一時帰国のお知らせ~</title>
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<![CDATA[ 8. 16~3ヶ月と少し、前述したように(って言っても2ヶ月くらい前だけど）<br>セカンドビザ(さらにもう一年、計二年オーストラリアに<br>ワーキングホリデーとしていられるビザ)の申請書を得られたので、<br>(申請、取得はまだ)切りも良いのでそのファームを辞めた。<br>今はブリスベンを経てゴールドコーストにいる。<br><br>そしてここから3日後、12.11日本へと帰る。一時帰国。<br>どーして帰国を決めたという明確な理由もないけれど、<br>ふと帰りたい気分になったから帰ろうと思っただけ。<br>年末なら日本のみんなも休みだろうし会いたい人達にも会いたい。<br>まぁ帰りたい時が帰り時！ってこと。<br>明確な理由もないのに帰りたくなる事が<br>やはり日本が俺の故郷なんだなと実感させる。<br>2010. 06~1年半振り。<br>でも1月中旬にはまたオーストラリアに帰ってくる。<br>今は家族や友達に会える事がすごく楽しみ。<br><br><br>今回のファーム生活、仕事内容は書いても面白くないので俺が感じた事、<br>世の中本当に色んな人間がいる。<br>俺達の働いていた所は日本人や韓国人、台湾人、<br>インド人、パプアニューギニア、ヨーロッパ人、<br>その他もろもろの国の人達が集まっていたのだけれど<br>特に日本人が多く集まって「ここは日本か？」って感じで....<br>それでも同じ日本人でも色んな奴がいる。<br><br>いい歳ぶっこいて「ワーホリなんだからさ～」という<br>都合の良い理由をつけて高校生のバイトの様な気分で、<br>仕事する様な奴もいれば、金をもらっているという自覚、<br>雇われているという自覚があり責任感が強く勤勉な人達、<br>そんな中には高校すら出ていない奴もいる。人の評価は断片的で、<br>金や体裁では本当に人は計れないなと実感した。<br>20歳で今時の若者にしては珍しく、いつも元気で「稼ぎたい」という一心で<br>仕事中もテキパキ動き、仕事が休みになると本当にガッカリしている奴も。<br>その一方で、マリファナ吸ってコントラクターと<br>喧嘩してクビになった連中も。<br><br>俺はと言えば、相変わらず手際が悪く、仕事も遅い、<br>体力的にも大変なポジションで、<br>だけどどーすれば自分が楽になるか、<br>与えられたコマの中だけで働いて文句を言うのではなく<br>自分から動いて人をどんどん使って最終的には人にやらせてばかりで、<br>サボりグセが…。だけど、考えてみれば単純な事ではあるけれど、<br>そんな風に頭が切り替わるのは曲がりなりにも日本で働いていた<br>経験があるからなんだろうな、とふと思った。<br><br>前職は就職前から「5年しっかり働いて辞める。」って<br>決めていたのだけれど、自分で決めた時間をしっかり働いて<br>辞めた事は自分が思っていた以上に意味があったなと思う。<br>どんなにダラダラ旅行した後でもそれなりに<br>しっかり働けるという意味で。仕事内容は前職に比べたらハナクソだけど。<br><br><br>そんなファーム生活。大体の人達がセカンドビザ目的でくるわけで、<br>3ヶ月くらいで出て行く。もちろん入ってくる時もバラバラなわけで、<br>毎週の様に別れがあった。<br>これまでの旅行、フィリピン生活含め、<br>数えきれないほどの出会いと別れが俺にはある。<br>それに慣れている事もあってか、毎週の別れに誰かしらが<br>「寂しい…」と連発する事に正直ウンザリしていた。<br>「こんな一時的な場所で別れなんて必ずあるって<br>   最初から分かってるはずじゃん」と<br>「俺は寂しいなんて絶対言わない、女々しい。」と決め込んでいた。<br>最初はそれで良かった。だけど月日が経ち、<br>家族同然に一緒に暮らした人達との別れはやはり<br>それなりに寂しいと感じていた。俺も自分の言う「女々しい」1人だった。<br><br>大切な友人であればあるほど別れをためらいたくなる…。<br>大切な友人であればあるほど、さわやかに一言<br>「バイバイ！」と笑顔で送り出せない。<br>1番女々しいのは俺だったと気付いた。<br>旅やフィリピンの生活で「別れ」に慣れていたわけではなかった。<br>それゆえに人1倍、意識してしまっていたのだと今は思う。<br><br>俺は誰にでも良い顔する八方美人野郎ではない、<br>いつも大切な人とそーでもない人と二つある。<br>俺なりの友情や敬意、特別だという証、<br>というのは都合の良いこじつけだろうか…。<br><br>大切な思い出がまた一つ出来た、でも思い出すばかりでは切ない、<br>また新しいめぐり逢いがあるように前に進みたい。<br><br>Make a new beginning!!<br><br>見送り見送られ今は1人、今度は大きな大きな再会が待っている、<br>俺は良い歳した大人だけど、大好きな家族との再会が。<br>まだ会った事のない姪っ子もいる。<br>旅を通して家族との絆を実感する事がたくさんあった。<br>みんながどう変わっているか、どう変わっていないか、本当に楽しみだ。<br><br>そうだ！出会いがあって別れもあれば再会もあるんだ。<br>今回さよならした人達との再会を期待するのは悪くない。<br>そう思う事にする。<br><br>今回、出会えたみんなに感謝、大切な思い出をありがとう！<br><br>12月11日、成田着19:00<br>Now, I'm certainly heading home...<br>
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<pubDate>Thu, 08 Dec 2011 20:23:24 +0900</pubDate>
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<title>とりあえずの近況報告</title>
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<![CDATA[ とりあえずの近況報告！<br>08.06に台湾を出発してシンガポールを経由して<br>08.08 オーストラリアはゴールドコーストに到着！<br>ついに俺的には初脱亜！<br><br>今オージーに来て1ヶ月ほど過ぎた。<br>ゴールドコースト、ブリスベン近郊の田舎街、スタンソープという<br>街で農場仕事をしている。<br>ワーホリで農場や工場で一雇用主の下で<br>3ヶ月働くとセカンドビザが取得出来る。<br>これを取得すれば最高2年オージーに滞在出来る。<br>通常ワーホリビザは有効期限1年。<br>俺もその取得をとりあえず目指す。<br><br>こっちに来て初めて知ったが、<br>農場や工場は野菜や果物のシーズンにもよるけど<br>運が良ければ日本で働くより大きな金が稼げるようだ。<br>3ヶ月で車買ったとか半年で100万貯めたとかそんな話を沢山聞く。<br>「金貯めて海外へ行くんだ！」なんて考えるより、<br>海外に出て金作る方が簡単な事もあるんだなと思った。<br>知らない事って沢山ある....<br>ちなみに今俺のいるファームはそんな金とてもじゃないが作れそうにない。<br>毎日ネットや情報交換で次の働き場所を探している。。。<br><br><br>農場の真横にオーナーから提供された家に住んでいるのだけど、<br>水がたまに止まる、トイレのドアが派手に壊れている。<br>雨漏りがする、風通りがとても良い、隙間風、今は冬。<br>そんなボロ屋に今4人で住んでいる。<br>日本人3人（男1、女2）韓国人（男1)<br>恋愛に一切発展しなさそうながらもちょっとした家族が出来たように<br>それなりに楽しくやっている！住めば都！<br><br>仕事もいつもスーパーバイザーがいて、<br>言われた事だけやればいいと言う事でもなく、<br>むしろオーナーは普段農場にあまり居なかったりするから<br>自分等で考えて出来るし、免許もないけどフォークリフト俺が運転したり、<br>それなりに楽しんでいる。<br>オーナとの仕事の話は主に俺がしたりしている。<br>みんなオージーには英語を勉強に来ているようだけど、<br>この中では俺が一番話せる人って事になっているから。<br>って言っても俺もオーナーが言う事よく分からんけど。<br>よく確認しながらって感じで。<br>俺の英語の上達にもその役目はおいしいかな！<br><br>とりあえず当面のザックリした目標はオージーで最高2年滞在して<br>金貯めて、また他の国へ英語留学に行きたい。<br><br>同じ様な日々が続くのでブログはまた当分お休みします～<br>それでは！
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<pubDate>Mon, 19 Sep 2011 13:32:25 +0900</pubDate>
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<title>日本と台湾 (2)</title>
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<![CDATA[ 台南の街から少し離れた場所に「鳥山頭ダム」という場所がある。<br>このダムは日本人技師、八田与一が1918年～常に旱魃の危機に<br>さらされていたこの地域を調査しダム建設を指揮し完成させた<br>当時世界最大のダムである。<br>八田与一の功績は地元台湾人にとても有名で高く評価されている。<br>業績はもちろん、日本人労働者、台湾人労働者、差別なく扱ったと<br>人柄も評価されている。<br>彼の銅像が現在は公園として整備されている一角にお墓と一緒にある。<br>1931年のダム完成後に作られたが、日本の敗戦後、蒋介石によって<br>日本の残した物が次々破壊される中で、地元民が隠し、<br>1981年に今の場所に再び設置されたそうだ。<br>今でも毎年命日には地元民によって追悼式が営まれている。<br>台湾人が最も尊敬する日本人の一人。<br>そしてこの誇るべき日本人をいったい<br>どれくらいの日本人が知っているだろうか。<br><br>鳥山頭ダム<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20110805/18/g-koma0220/a7/5b/j/o0720048011396642732.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20110805/18/g-koma0220/a7/5b/j/t02200147_0720048011396642732.jpg" alt="$日本へ帰る旅~Back To Japan~" border="0"></a><br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20110805/18/g-koma0220/a2/87/j/o0720048011396658621.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20110805/18/g-koma0220/a2/87/j/t02200147_0720048011396658621.jpg" alt="日本へ帰る旅~Back To Japan~" border="0"></a><br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20110805/18/g-koma0220/b4/f2/j/o0720048011396645169.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20110805/18/g-koma0220/b4/f2/j/t02200147_0720048011396645169.jpg" alt="日本へ帰る旅~Back To Japan~" border="0"></a><br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20110805/18/g-koma0220/e5/be/j/o0480072011396645168.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20110805/18/g-koma0220/e5/be/j/t02200330_0480072011396645168.jpg" alt="日本へ帰る旅~Back To Japan~" border="0"></a><br><br><br>台北に戻ってから「龍山寺公園」という所に行ってみた。<br>東京で言うなら日暮里とか田端とかそんな雰囲気の場所だろうか。<br>要するに爺ちゃん婆ちゃんばかりが集まる場所だ。<br>行ってみれば本当にジジババばかり、何やら将棋の様なボードゲームを<br>して楽しんでいる。<br><br>龍山寺<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20110805/18/g-koma0220/f5/26/j/o0720048011396645864.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20110805/18/g-koma0220/f5/26/j/t02200147_0720048011396645864.jpg" alt="日本へ帰る旅~Back To Japan~" border="0"></a><br><br>その駅の地下街を歩いていると、日本語の演歌なのか歌謡曲なのか<br>それすらよく分からないカラオケを流している電気屋があった。<br>その前で老人がその日本語の歌を歌っている。<br>また別の店では聞き覚えのある軍歌が流れていた。<br>日本語かどうかはっきり分からずその前を通り過ぎたおじいさんに<br>「すみません、日本語分かりますか？この歌日本語ですよね？」<br>と思い切って聞いてみた。すると、<br>「そうだよ、これは日本の軍艦マーチだ」と日本語で答えた。<br>俺が日本人である事や歴史が好きだと話すと、そのお爺さんが<br>通り過ぎて行く他のお爺さん達に声をかけ始めた。<br>「彼、日本人だって！」と言うと、<br>4、5人のお爺さん達が俺の周りを囲んだ。すると同時に<br>「この歌知ってるか？これは日露戦争の時の歌だ。」<br>「これは海軍の歌だ！聞いた事あるか？」と矢継ぎ早に質問し、<br>さらには歌いだす。<br>「教育勅語言えるか？もう今の日本人はしらないだろう？」<br>「私は終戦直前に徴兵された死に損ないの日本兵だよ」<br>「今、平成23年でしょ、私は昭和2年の生まれだ。西暦だと….<br>　西暦は分からん。とにかく昭和2年。」<br>「日本は5カ国と戦争したんだよ。アメリカになんて<br>　勝てるわけないでしょ？あれ、陸軍がバカだったんだ。<br>　でも戦わなきゃいけなかったんでしょ。広島と長崎に原爆やられて<br>　東京も焼かれて、あれで負けてしまったんだ。<br>　私も戦うつもりだったんですよ」<br>日本では聞く事のない、ビックリする様な発言ばかり、<br>何よりそんな話をする表情が本当に楽しそうだった。<br><br>軍歌が流れていた地下街の通り<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20110805/18/g-koma0220/d1/b4/j/o0720048011396645865.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20110805/18/g-koma0220/d1/b4/j/t02200147_0720048011396645865.jpg" alt="日本へ帰る旅~Back To Japan~" border="0"></a><br><br>お爺さん達が日本のカラオケを口ずさんでいた<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20110805/18/g-koma0220/f6/4d/j/o0720048011396645866.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20110805/18/g-koma0220/f6/4d/j/t02200147_0720048011396645866.jpg" alt="日本へ帰る旅~Back To Japan~" border="0"></a><br><br>こんなチラシも発見<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20110805/18/g-koma0220/54/d3/j/o0720108011396645170.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20110805/18/g-koma0220/54/d3/j/t02200330_0720108011396645170.jpg" alt="日本へ帰る旅~Back To Japan~" border="0"></a><br><br><br>「日本時代、差別はなかったんですか？」と聞くと、<br>「そりゃあ民族が違うからね、あったよ」と言った。ところが<br>「でもその後、台湾にきたシナ（中国）人に比べればよっぽど良かった<br>　チャンコロはたくさん台湾人を殺した。（2.28事件）奴らは何でもやる<br>　強姦、強盗、泥棒、政治も金を懐に入れるのだけは上手い。<br>　日本時代はそんな事なかった、だから皆、日本が好きなんだ」と言った。<br><br><br>1945年、日本の敗戦により台湾から日本人が引き揚げた後、<br>台湾には蒋介石率いる中国国民党が進駐して来た。<br>日本人よりも自分達に近い民族が来るとあって、最初台湾人は<br>彼等を歓迎した。ところがその腐敗さに驚き、失望する。<br>当時「犬去りて、豚来たる」という言葉があった。<br>犬（日本人）はうるさくても役に立つが、豚（中国人）はただ貪り食うのみ。<br>その不満が爆発し、政府と衝突。<br>数万人の台湾人が虐殺された。2.28事件。<br>戒厳令が発せられそれは40年後の1987年まで続いた。<br><br>2.28記念館<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20110805/18/g-koma0220/aa/84/j/o0720048011396674695.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20110805/18/g-koma0220/aa/84/j/t02200147_0720048011396674695.jpg" alt="日本へ帰る旅~Back To Japan~" border="0"></a><br><br>2.28事件のモニュメント<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20110805/18/g-koma0220/05/29/j/o0480072011396674683.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20110805/18/g-koma0220/05/29/j/t02200330_0480072011396674683.jpg" alt="日本へ帰る旅~Back To Japan~" border="0"></a><br><br><br>台湾の「親日」には理由があると思う。<br>日本時代とその後の国民党下で苦しめられた事からのギャップ。<br>それが強く日本を懐かしくさせるのだと思う。<br>だけどもそれだけではなく、良かった事は良かった。<br>悪い事は悪い、と判断出来るフェアさが台湾人にはあると思う。<br>韓国、中国との大きな違いだと思う。<br>「朝鮮人はズルいんだ。台湾と同じ事を朝鮮でもしてたのに<br>　終戦の後コロっと変わって。」と１人のお爺さんが言った。<br>そんな日本を庇うような言葉を外国人から聞く事が出来て、<br>日本人として嬉しかった。<br><br>ところが日本は台湾を国家として認めていない。<br>中国が関わっているのは明らか、<br>台湾人は「台湾」として独立したがっている。<br>顔や言葉、食べ物はそっくりだが<br>「中国人と一緒にしてくれるな」といつも言っている。<br><br><br>いつまで日本は利害関係すら必要ない<br>この心強い友に背を向け続けるのであろう。<br>俺も日本人の一人として「僕は他の日本人とは違いますよ」<br>なんて自分だけ善人の振りは出来ない。<br>この旅行を通して韓国人や中国人が俺は好きになった。<br>旅行する前から予想していた事がその通りだった事も多々あるが、<br>日本人にはないものを沢山もっている。<br>でも、全くそれとは別の特別な何かを台湾人には感じる。<br><br><br>とにかく、何を言っても俺は政治や経済の事はよく分からない。<br>バカだから。ただそんな事を考えるのが好きなだけの歴史オタク。<br>歴史には旅と同じようなロマンを感じる。<br>知れば知る程、近い歴史であればある程、自分達の国民性に結びついて行く、<br>のんびりした旅も少しずつ景色が変わりながら、<br>食べ物や言葉や習慣が変わって行く様に。<br>そして今回は外国において日本の本当の歴史、姿を見た気がする。<br>旅は面白い。<br><br>やはり日本には他のどの国とも違う誇れる歴史がある。<br>きっと今年も今頃日本では<br>過去日本がいかに酷く残虐な国だったかといったテレビ番組が<br>連日放送されている事だろう。<br>もちろん日本が一つも悪い事をしていないなんて思わない。<br>歴史には光と陰がある。<br>それらを当時の理屈や価値観で語れない所に問題があると思う。<br>「テレビの在り方」について最近日本では<br>一種の盛り上がりを見せているようだけど<br>本当にテレビや新聞の情報だけを信じていたら<br>バカを見る時代なのかもしれない。<br>それが本当に残念だ。<br><br>台湾、ありがとう！！またきっと来ます！
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<pubDate>Fri, 05 Aug 2011 18:27:44 +0900</pubDate>
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<title>日本と台湾 (1)</title>
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<![CDATA[ 1895~1945年までの50年間、台湾は日本だった。<br>韓国や中国も含め、この旅行では過去に日本に関わりのある場所を<br>自分の脚で回れる限り回って来た。<br>韓国や中国の教育は一貫して反日、しかし過去同じ日本の統治下にありながら<br>台湾は世界一の親日国と言われている。テレビや本、ネットでも色々な情報が<br>飛び交っている。それを自分の目や耳で確かめて自分なりの認識を持ちたい。<br>別に歴史学者でも詳しいわけでも、<br>そんな事をした所でなんの得にもならないけど<br>それが台湾が一番来てみたかった国という理由だ。<br><br><br>街中には日本語が溢れている、看板、お店の商品、レストラン、<br>日本を出て初めてコンビニでおにぎりを買って食べた。<br>年柄年中暑いだろうに、おでんも売っている。<br>カタコトでも日本語を話す人も多い。<br>日本料理屋でもないレストランの窓に「がんばろう東北」の<br>シールを見つけた時は感動した。<br>ニュースでもある通り台湾から東北への義援金は100億円を越えている。<br><br>がんばろう東北<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20110805/18/g-koma0220/0e/4b/j/o0720054011396627829.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20110805/18/g-koma0220/0e/4b/j/t02200165_0720054011396627829.jpg" alt="$日本へ帰る旅~Back To Japan~" border="0"></a><br><br>一緒に遊んだ連中の中にも「将来日本に行って働きたい」という奴がいた。<br>「でも中国の方が発展してきてるし言葉も近いし仕事しやすいんじゃない？」<br>と聞けば<br>「いや、そうかもしれないけど中国でいいかげんな仕事覚えるより<br>　日本の技術を学んだ方がいい、日本人は勤勉だ。」と言った。<br>彼は日本に来た事はない、きっと彼の日本人のイメージなんだろう。<br><br><br>俺の好きな台湾映画「海角7号」というのは2008年に公開された、<br>台湾では台湾歴代映画興行成績2位を記録した大ヒット映画。<br>物語は台湾最南端、恒春、台北でミュージシャンを夢見て破れた青年が<br>故郷、恒春に戻り、当てもなく過ごしていると<br>ある日郵便配達の仕事を宛てがわれる。<br>その郵便物の中に「海角7号」という日本時代の住所宛の手紙を発見する。<br>誰もその住所を知らない手紙の中身は、60年以上前、<br>敗戦によって引き揚げなければならなかった<br>日本人教師が愛しながらも別れなければならなかった台湾人女性へと<br>宛てた七通のラブレターだった。<br>手紙を通して過去、現代のラブストーリーと音楽をミックスした音楽映画。<br>上手く説明出来ないが超ザックリなあらすじはこんな感じ。<br><br>この映画は台湾映画にもかかわらず日本語のナレーションでスタートする。<br>日本時代に歌われた唱歌「野バラ」も登場する。<br>この映画が今日本でどれくらい認知されているのか知らないが、<br>映画の質はぶっちゃけ低いと思う。<br>日本人の役者もとても上手いとは言えないし、<br>話も「無理矢理じゃない？」と思うところもある。<br>だけど「では何故この映画が台湾でヒットしたの？」と思う所から<br>この映画の魅力を理解出来ると思う。<br>この映画は口コミで人気が広がりヒットに結びついたそうだ。<br>日本時代を知るご老人が日本時代を懐かしみ何度も映画館に<br>脚を運び、日本語の歌を歌い涙したという。<br><br>海角七号<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20110805/18/g-koma0220/37/92/j/o0500035511396632190.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20110805/18/g-koma0220/37/92/j/t02200156_0500035511396632190.jpg" alt="$日本へ帰る旅~Back To Japan~" border="0"></a><br><br>映画の主人公アガの家。<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20110805/18/g-koma0220/89/96/j/o0720048011396617704.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20110805/18/g-koma0220/89/96/j/t02200147_0720048011396617704.jpg" alt="日本へ帰る旅~Back To Japan~" border="0"></a><br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20110805/18/g-koma0220/07/d1/j/o0720048011396617702.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20110805/18/g-koma0220/07/d1/j/t02200147_0720048011396617702.jpg" alt="日本へ帰る旅~Back To Japan~" border="0"></a><br><br>物語の鍵となる手紙<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20110805/18/g-koma0220/af/de/j/o0480072011396617703.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20110805/18/g-koma0220/af/de/j/t02200330_0480072011396617703.jpg" alt="日本へ帰る旅~Back To Japan~" border="0"></a><br><br>そういった情報だけは日本にいた時から知っていた。<br>「そんな綺麗な話本当にあるのかな？」と思ったりもした。<br>だけど今俺は、この短い台湾旅行を通して素人なりに<br>短い旅行なりに台湾の「親日」を自分の実感で語る事が出来る。
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<pubDate>Fri, 05 Aug 2011 18:14:01 +0900</pubDate>
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<title>Illa Formosa 麗しき島　台湾</title>
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<![CDATA[ 07.18~ 3週間ほど台湾に滞在した。<br>台湾は実はこの旅行で1番来たかった国である。<br><br>台北に到着して最初に思ったのは、匂い。<br>中国に着いた時を思い出した。やはり食べ物が似ているからか<br>匂いがそっくりに感じた。<br>そして会話、中国よりは圧倒的に英語を話せる人が多いが<br>もちろん中には話せない人も当然いるわけで、そんな人達とは<br>筆談で会話する。これも俺が中国で良くやっていた事。<br><br>だから最初は「やっぱり中国に似てるんだなぁ」と思ったが<br>それ以外は全く違った。<br>トイレ、デパート、地下鉄の駅、公共の場所の清潔さ、<br>そして人々の規律正しさ。<br>駅では電車が到着したら降りる人が電車から出るまで乗る人は外で待つ。<br>エスカレーターは右側が止まる人の列、左側は急ぐ人用に空けてある。<br>順番は守らない、トイレはグチャグチャ、電車が来たら即一斉に乗り込む、<br>そんな中国とはまるで正反対だ。<br><br>そんなストレスレスな台湾で、友達と再会した。<br>インドのバラナシ、ガンジス河で恐ろしいテロを共に経験した<br>パトリック、7ヶ月振りの再会。<br>彼と彼の日本語ペラペラの彼女と、英語ペラペラの友達と飲んだり、<br>別の日に彼等の友達総勢15人と共に遊園地に連れて行ってもらったり、<br>日本語が話せる連中、英語が堪能な連中、<br>そんな中に混じって日本語話したり英語話したり、<br>何よりも歳は俺とほとんど同じなのにノリが若すぎて、<br>さすがに疲れたが、退屈しない滞在だった。<br><br>一週間ほど台北にいた後はバスに乗って台南へ。<br>台南では、去年韓国で会ったチェンという友達と再会し<br>一週間程、彼の家に泊めさせてもらった。<br>毎日車で色んな場所に連れて行ってくれた、<br>台湾最南端「恒春」や、俺の好きな台湾映画「海角7号」の撮影地、<br>台南周辺の日本に関係のある場所（日本統治時代の名残）など。<br><br>とある駅の脇にあった、アジア最南端の日本の図書館<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20110805/18/g-koma0220/46/92/j/o0720048011396594561.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20110805/18/g-koma0220/46/92/j/t02200147_0720048011396594561.jpg" alt="日本へ帰る旅~Back To Japan~" border="0"></a><br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20110805/18/g-koma0220/5a/34/j/o0720048011396594560.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20110805/18/g-koma0220/5a/34/j/t02200147_0720048011396594560.jpg" alt="日本へ帰る旅~Back To Japan~" border="0"></a><br><br>恒春<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20110805/18/g-koma0220/40/62/j/o0720048011396596825.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20110805/18/g-koma0220/40/62/j/t02200147_0720048011396596825.jpg" alt="日本へ帰る旅~Back To Japan~" border="0"></a><br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20110805/18/g-koma0220/d9/1d/j/o0720048011396598088.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20110805/18/g-koma0220/d9/1d/j/t02200147_0720048011396598088.jpg" alt="日本へ帰る旅~Back To Japan~" border="0"></a><br><br>台湾最南端<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20110805/18/g-koma0220/70/cd/j/o0720108011396596827.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20110805/18/g-koma0220/70/cd/j/t02200330_0720108011396596827.jpg" alt="日本へ帰る旅~Back To Japan~" border="0"></a><br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20110805/18/g-koma0220/a9/c6/j/o0720048011396596826.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20110805/18/g-koma0220/a9/c6/j/t02200147_0720048011396596826.jpg" alt="日本へ帰る旅~Back To Japan~" border="0"></a><br><br>ある日「今日はパーティだ！」と言われて連れて行かれたのは、<br>彼の友達の職場の休憩場。そこで皆で飲み食いしながらのカラオケ。<br>「日本の曲もたくさんあるよ！」と言われるが曲が古すぎる。<br>河島英五、長渕剛、美空ひばり、ジュリー、<br>なんとか知っている曲を見つけ対応した。<br>テレサ・テン「時の流れに身をまかせ」を日本語で歌ったら喜んでくれた。<br>どちらかと言えば古い物好きの性格がこんな所で役に立った。<br><br>それ以外にも彼の家族に紹介されたり、親戚の家に行ったり、<br>彼のおばあさんは88歳で日本統治時代を知っている為、<br>「おばあちゃんは日本語話せるよ」と紹介してくれた。<br>だが耳が悪いそうで、会話が出来ず残念だなと思っていると<br>「これ、食べるか？美味しいよ」と突然日本語を発し<br>果物のグアバを俺に差し出してくれた時は少し感動した。<br>それから、簡単なひらがなを紙に書いて少しだけ会話した。<br><br><br>66年を経て、俺にとっては耳慣れない、台湾人の日本語。<br>俺には実際関わりのないような時代の話なのに、<br>懐かしさにも似た、でも何なのかは分からない不思議な感覚がした。
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<link>https://ameblo.jp/g-koma0220/entry-10976453153.html</link>
<pubDate>Fri, 05 Aug 2011 17:39:29 +0900</pubDate>
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<title>Time flies so fast</title>
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<![CDATA[ 前回の日記を更新してからなのでほぼ半年。<br>時間が経つのは早い、早過ぎる。<br>いつだかここに書いたフィリピン英語留学を終える。<br><br>2011.01.30~07.17<br>実に24週間、長いようで….<br>けれど英語を習得するには半年は短過ぎた。<br>とはいえここのほとんどの学生は留学期間を2、3ヶ月程度に<br>予定してやってくる、そしてその後オーストラリアやニュージーランド<br>カナダ、アメリカなどで留学を継続するというのが主流のようだ。<br>という事で今は、俺がここの最長学生。<br><br><br>肝心の英語力はというと、まだまだ全然、中途半端。<br>サボってたわけでは決してないし、浮き沈みがありながらも<br>俺には珍しく継続して勉強出来ていたのではないかとは思う。<br>けれど全くの中途半端、会話は出来ても、スピーキングも<br>リスニングもリーディングもグラマーもどれも中途半端、<br>というのが妥当なレベルだろう。<br>ここに着た時より遥かに良いのは当たり前の話だが….<br><br>「半年で完璧になろうなんて思う方が間違いだ。<br>　それでもお前は良く伸びた方だ。」と先生達には言われた。<br>でも中途半端は中途半端、それは事実。<br><br>ホントはもっと勉強したい、英語でこういう職種に就きたいとか<br>願望がないから成長が遅いのかも知れない。<br>とはいえもう金もない、自動的に日本に帰る事になるだろう…..<br>と思っていたが、<br>ここの学生にはオーストラリアやニュージーランドの<br>ワーキングホリデー帰りの学生も多数いて、<br>彼等によれば案外仕事もたくさんあって、英語が多少でも出来るのなら<br>仕事を見つけるのは簡単だろう、とのこと。<br>もちろん、英会話を全く必要としない仕事も多々。（農場等）<br><br>ということでインターネットだけでワーホリビザ申請のできる<br>オーストラリアに行く事に決めた。<br>ビザはもう申請済み.<br>とりあえず、今は日本に帰る事だけは避けたい。<br>中途半端なこの英語力で今帰っても、恐らく一週間で話せなくなるだろう。<br>大袈裟な表現かもしれないが、ここですら授業のない週末を終えての<br>月曜日は特に言葉が出てこない。話すのが難しい。<br><br>ワーホリだけで英語力をどこまで延ばせるのかは疑問だが<br>どーせワーホリも30歳までしか出来ないので、行く事を決めた。<br><br>I decided to expose myself to English environment more..<br><br>とりあえず07.17ここフィリピン半年の生活に終止符をうって、<br>台湾に行きます。<br><br>Farewell Philippines
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<link>https://ameblo.jp/g-koma0220/entry-10955810260.html</link>
<pubDate>Sat, 16 Jul 2011 23:37:48 +0900</pubDate>
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