<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?>
<rss version="2.0" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom">
<channel>
<title>好きな音楽だけ聞いて生活していきたいな</title>
<link>https://ameblo.jp/gekhfei/</link>
<atom:link href="https://rssblog.ameba.jp/gekhfei/rss20.xml" rel="self" type="application/rss+xml" />
<atom:link rel="hub" href="http://pubsubhubbub.appspot.com" />
<description>お気楽ブログ</description>
<language>ja</language>
<item>
<title>人々の自律のため</title>
<description>
<![CDATA[ この権利は、ある人々の自律のために作られたにもかかわらず、まさにその当人の利益になっていないのだから。この主張が退けられたとしてもなお、この権利が創造されたならば、実質的には患者にではなく医者に生死の判断を下す権限を与えることになるかもしれない。もしこの経験的予測が正しいと判明した場合には、卓越主義の観点からみて、医師に輔助された自殺の権利を創造することには種々の重大な問題があるのである。この例は簡単に一般化できるだろう。人が自分の熟慮的自律の範囲内だと考えて下す決断には、結果的に自分の幸福を促すどころか蝕んでしまうものが多く含まれる。限定合理性はそのような障害になりやすい。ある文献は、人が<a href="http://www.northeasternhockeyleague.com/">自分自身の生活上の決断</a>の効果について判断を誤ったときに生じる「感情予測」の失敗について詳細な検討を加えている。間違った欲求によって下された決断を憲法で保護することは、それが人を幸福にしない選択である以上、その決断の保護が問われている当人の利益にかなうとは思えないだろう。おそらく、幸福ではなく自律が、われわれの導きの星であるべきなのだ。<br><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/gekhfei/entry-11663110108.html</link>
<pubDate>Fri, 01 Nov 2013 20:15:59 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>込み入った話を少し</title>
<description>
<![CDATA[ 委員を複数の政党から選ぶことを求める条項である。独立委員会の委員は、一つの政党から一定数を超えて出すことはできないのだ。この独特の要請についての素直な、そして間違いなく妥当な説明は、次のようなものとなる。すなわち、連邦議会は、どの委員会についても、単独の政党に独占されないようにしたいと考えている、と。集団極化を念頭におくと、そのような議会側の懸念はいっそう強まるだろう。民主党か共和党に独占されている独立機関は、極端な立場の方に極化していく可能性がある。その立場は、民主党員もしくは共和党員の平均的な立場よりも極端だろうし、各構成員のどの個人的立場よりも極端なものになりかねない。委員を複数の政党から選ばせるのは、この種の変動を抑制するものとして機能しうるのである。この一般論を直接に裏付けるものはほとんど存在しない。ただ、この議論を強力に援護する研究が二つある。コロンビア特別区の連邦控訴裁判所における裁判官の行動に関する研究である。一つめの研究が見出したのは、合議体を構成する裁判官の支持政党が同一の場合には、より極端な結論が出る傾向があるという。<br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/gekhfei/entry-11650382707.html</link>
<pubDate>Thu, 24 Oct 2013 16:52:38 +0900</pubDate>
</item>
</channel>
</rss>
