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<title>George Hiratsuka</title>
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<description>こんにちは。心の赴くままに何か書いてみようと思います。</description>
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<title>『草はひとりでに生える』 第5章 沈黙の師（マスター）</title>
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<![CDATA[ <p><br></p><div><p><br></p><div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20251201/16/georgehiratsuka/96/c1/j/o1080143915725384933.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251201/16/georgehiratsuka/96/c1/j/o1080143915725384933.jpg" border="0" width="400" height="532" alt=""></a></div><p><br></p></div><p></p><p>あるところに　沈黙の師（マスター）と自称する僧がいた</p><p></p><p>だが　ほんとうのところ彼はニセ者で</p><p>真正の理解など会得（えとく）していなかった</p><p>自分のインチキ禅を売るために</p><p>彼は二人の雄弁な弟子を控えさせ</p><p>質問があれば彼らに答えさせていた</p><p>そして彼自身は</p><p>その謎のような沈黙の禅を誇示するためか</p><p>けっして口を開かなかった</p><p><br></p><p>ある日のこと</p><p>二人の弟子が留守の間に</p><p>一人の巡礼が訪れて質問した</p><p>師よ　覚者（ブッダ）とは何ぞや？</p><p>どうしていいのか</p><p>どう答えていいのかわからずに彼は不在の代弁者たちを求めて</p><p>絶望的にあちこちを見まわした</p><p>すると巡礼はあきらかに満足した様子で</p><p>師（マスター）に感謝の意を現すと</p><p>ふたたび巡礼の旅をつづけていった</p><p><br></p><p>道すがら　帰途を急ぐ二人の弟子に会った巡礼は</p><p>熱心な調子で　いかにこの沈黙の師（マスター）がすぐれた解脱者であるかを話した</p><p><br></p><p>私は　覚者（ブッダ）とは何ぞや？　と訊いたのです</p><p>するとすぐさまあの方は</p><p>首を東に西に向けられてこう示唆してくれたのです</p><p>人は　覚者（ブッダ）をあちこちに求めてまわるが</p><p>実は覚者（ブッダ）はそういう方向ではけっして見出されはしない　とね</p><p>なんとまあ悟（さと）った方であられることだ　あの師は</p><p>それにまた　なんと深い教えでしょう</p><p><br></p><p>弟子の僧たちが戻ったとき</p><p>沈黙の師（マスター）はこう言って彼らを叱りつけた</p><p>一体今までどこへ行っていた！</p><p>先刻　聞きたがりやの巡礼に</p><p>私が死ぬほど恥をかかされたというのに</p><p>すんでのところで　私は破滅しかかったのだぞ！</p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/georgehiratsuka/entry-12948647080.html</link>
<pubDate>Mon, 01 Dec 2025 16:54:25 +0900</pubDate>
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<title>『あなたが死ぬまでは』 第六章 あなたのなかの種</title>
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<![CDATA[ <p>　他人（ひと）を助けたいとおもっても</p><p>　相手の内部にある何かがその目的のさまたげになることがある……</p><p>　これは確かなことだとエル・マーディ・アバシは表明した</p><p>　彼は</p><p>　この理論に反対した人々のためにある実験をすることを約束した</p><p><br></p><p>　もう人々がエル・マーディの表明などすっかり忘れた頃</p><p>　彼は一人の男に</p><p>　黄金を一杯詰めた袋を橋のまん中へ置いておくよう命じた</p><p>　そしてもう一人の男には</p><p>　誰か負債があって不幸になっている人を橋のたもとに呼んで</p><p>　橋を渡ってもらうように頼めと命じた</p><p>　アバシと証人たちは</p><p>　橋のもう一方のたもとに立つことにした</p><p><br></p><p>　その不幸な人が橋をわたってアバシたちの所に着いたとき</p><p>　彼はたずねた</p><p>　「橋のまん中あたりで何か見かけたかね？」</p><p>　「いやなんにも」と男は言う</p><p>　「そりゃまたどうしたわけだ？」</p><p>　アバシがきくと男はこう答えた</p><p>　「橋をわたり始めるや否やある考えを思いついたんです</p><p>　ひとつ眼をつぶってわたってみたら面白かろうってね</p><p>　それでわたしはそうしたんですよ」</p><p><br></p><p><br></p><p><br></p><p><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/georgehiratsuka/entry-12937858136.html</link>
<pubDate>Sat, 11 Oct 2025 04:11:19 +0900</pubDate>
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<title>『あなたが死ぬまでは』 第二章 汝、裁くなかれ</title>
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<![CDATA[ <p><br></p><div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20250618/02/georgehiratsuka/cc/8a/j/o1080152315618795042.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250618/02/georgehiratsuka/cc/8a/j/o1080152315618795042.jpg" border="0" width="400" height="564" alt=""></a></div><p><br></p><p>　この本はOSHOが仏陀、一休、道元、イエスキリストを語ってきたことと同じことが語られています。</p><p>　話はアラブ圏のスーフィー（アラブ世界の神秘家たち）の物語が語られていきます。仏陀やイエスのような有名人ではありませんが、ものすごく意識レベルの高い存在たちの話です。</p><p>　私は仏陀と一休の話が好きですが、この本の話もとても好きで、どの話も自分を変える可能性を与えてくれる内容だと感じます。</p><p>　第二章「汝、裁くなかれ」冒頭部分、以下です。</p><p>　</p><p><br></p><p>　「汝、裁くなかれ」とイエスは言う。</p><p>　これは、地上の人間が発した言葉のなかでももっとも偉大な言葉のひとつだ。</p><p>　これは人間のマインドにとって不可能に近いことだ。</p><p>　人間には、即座に裁くという指向がある。人は根拠もなしに裁く。あなたがたは、裁定に根拠があるかどうか見さだめもせず、何回も何回も裁いている。</p><p>　しかし、深く見きわめれば、あなたがたにもイエスが正しいことがわかってくる。</p><p>　裁きはすべてまちがいだ！</p><p>　なぜなら〈世界全体〉はたがいに深くつながっているのだから、〈全体〉を知らずに部分だけを知ることはありえない。一つのことがもう一つのことを導きだす。相互につながっているからだ。</p><p>　現在の瞬間は過去すべてとつながり、未来のすべてもまた現在の瞬間とつながっている。この現在の瞬間に、永遠なるものすべての絶頂がある。今まで起こったこと、起こりつつあること、これから起こるであろうこと、それらすべてがここに在る。</p><p>　いったいどうやって判断する？</p><p>　世界はバラバラに分割されているのではない。もし分割されているのだったら断片を知ることもできるが、世界はひとつの全一性（トータリティ）だ。</p><p>　裁きはすべてまやかしだ。判断評価は部分的でしかありえないからだ。それでいて、〈全体〉の評価であるかのような主張をする。</p><p>　そう、イエスはまったく正しい。「汝、裁くなかれ」判断し評価してはならないと言っているのだ。</p><p>　裁くことはあなたがたを閉ざすからだ。それは内側での死をもたらす。あなたがたの感受性は失われ、それとともに成長の可能性も失われていく。評価して裁く瞬間、あなたは縮まる。裁く瞬間、あなたはストップする。裁く瞬間、あなたという花はもうひらいていない。</p><p>　だから、もっとも偉大なことは、裁くことをしないという勇気をもつことだ。実際、裁くことを見合わせるということは、いちばん勇気のいることだ。人の頭は裁くことに熱心で、善いとか悪い、正しいとかまちがっているといつも言いたがっているのだから。</p><p>　あなたがたの頭（マインド）は幼稚だ。一つの評価から次の評価へとつねに跳び回っている。あなたがたがもしこの頭から脱出したかったら－－脱出なしには内面的な成長の可能性はいっさいないが－－そうだったら、</p><p>＂汝、裁くなかれ＂だ！</p><p><br></p><p><br></p><p>　</p>
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<link>https://ameblo.jp/georgehiratsuka/entry-12911217472.html</link>
<pubDate>Wed, 18 Jun 2025 02:00:18 +0900</pubDate>
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<title>『愛の錬金術』 第三話 物乞いする皇帝たち　②</title>
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<![CDATA[ <h1 id="firstHeading" class="firstHeading mw-first-heading" style="margin: 0px; padding: 0px; font-weight: inherit; font-width: inherit; font-size: 1.7em; line-height: 1.375; font-family: &quot;Linux Libertine&quot;, Georgia, Times, &quot;Source Serif Pro&quot;, serif; font-size-adjust: inherit; font-kerning: inherit; font-variant-alternates: inherit; font-variant-ligatures: inherit; font-variant-numeric: inherit; font-variant-east-asian: inherit; font-variant-position: inherit; font-feature-settings: inherit; font-optical-sizing: inherit; font-variation-settings: inherit; overflow-wrap: break-word; word-break: break-word; overflow: visible; caret-color: rgb(32, 33, 34); color: rgb(32, 33, 34); -webkit-tap-highlight-color: rgba(0, 0, 0, 0.2);"><span class="mw-page-title-namespace"><p><br></p><div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20250610/22/georgehiratsuka/7c/c4/j/o0719117015614181221.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250610/22/georgehiratsuka/7c/c4/j/o0719117015614181221.jpg" border="0" width="400" height="650" alt=""></a><br></div></span></h1><div><span class="mw-page-title-main">（Farrukh Beg. Akbar’s Triumphal Entry into Surat. Akbarnama, 1590-95 より。アクバル帝）</span></div><div><span class="mw-page-title-main"><br></span></div><div><span class="mw-page-title-main"><br></span></div><p>　イエスの言葉について話は展開していきますが、そのなかで神秘家ファリッドとアクバル帝の物語に心惹かれるものがありましたので、記載します。</p><p><br></p><p>　あるとき、回教の神秘家ファリッドが、デリー近くの小さな村に住んでいた。時の皇帝アクバルはファリッドの信奉者のひとりで、この貧しいファキール（行者）のもとへよく通ってきたものだった。そのことを次第に村中が知るようになり、あるときアクバルが帰ったあと、村人たちがやってきてこう言いだした。</p><p>　「大帝に私たちのことを何か頼んでくださいよ。少なくとも学校は必要だし、病院だって要る。あなたがちょっとひとこと言ってくれさえすれば実現するんです。なにしろ大帝御自身のほうからやってこられるんですから……。」</p><p>　その村は貧しく教育施設も病院もなかった。そこでファリッドは言った。</p><p>　「いいだろう。だが私は頼みごとがあまりうまくない、長いことやってないものでね。しかしおまえさんたちがそう言うなら、行ってみようかね。」</p><p>　というわけで彼は出かけていった。朝方、宮殿に着くと、アクバル帝が彼を信奉していることを皆知っていたもので、ファリッドはすぐに奥に通された。アクバルはそのとき、祈禱のために宮廷内に造った小さな神殿にいた。彼が祈りの最中だったので、ファリッドは祈りが終わるまで待つつもりで後方に立っていた。アクバルはファリッドが自分の背後に立っていることを知らなかった。彼は祈りの終わりのほうでこう言っていた。</p><p>　「全能の神よ、我が帝国をより偉大になさしめよ、我により多くの富が与えられんことを……。」</p><p>　ファリッドはこれを聞いていたが、くるりと後（うしろ）を向いて出ていった。アクバルが祈りを終えてふり返って見ると、ファリッドが階段を降りてゆくのが見える。アクバルは呼びかけた。</p><p>　「どうしていらっしゃったのですか？　それにまたなぜ行ってしまおうとなさる？」</p><p>　ファリッドは言った。</p><p>　「私は皇帝に会おうとやってきたのだが、私がここで見いだしたのはもうひとりの乞食だ。まったく無益なことよ！　そなたも神に乞い求めるのだったら、私も神に直接頼むことにしよう。仲介者なんか入れることはなかろう。それからアクバル、私はそなたを皇帝だと思っていたが、どうやらまちがっていたようだ。」</p><p>　アクバル帝はこの話を自伝のなかで書いているが、なかでこうも言っている。</p><p>　「そしてその瞬間私は理解した。何を得ようが、それでちがいが出てくるわけではない。なぜなら人間のマインドとは、もっともっととより多くを求めつづけるからだ。」</p><p><br></p><p><br></p><p><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/georgehiratsuka/entry-12909685381.html</link>
<pubDate>Tue, 10 Jun 2025 22:11:24 +0900</pubDate>
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<title>『愛の錬金術』 第三話 物乞いする皇帝たち　①</title>
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<![CDATA[ <p><br></p><div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20250608/17/georgehiratsuka/b5/75/j/o1080149915612440534.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250608/17/georgehiratsuka/b5/75/j/o1080149915612440534.jpg" border="0" width="400" height="555" alt=""></a></div><p><br></p><p>　この本は、イエスキリストの言葉を題材にしたOSHOの講話です。</p><p>　日本人には、身近にお寺があるゆえに仏陀の方が馴れ親しんでいるかなと思います。私もそうで、仏陀の教えとは一体なんだったのか？仏陀が至った悟りとは一体何だったのか？ということに関心がありました。</p><p><br></p><p>　この本のイエスの言葉は、1945年にエジプトで発見された使徒トマスの記録によるものです。</p><p>　そしてOSHOの解説を読むと、イエスは仏陀と同じ悟りの境地にあったようだということが伺い知れます。仏陀と同じく、イエスは目を覚ますことを語っていると感じます。</p><p><br></p><p>　私は以前に、イエスの話を読んだことがあり、イエスは十字架にかけられ死の前にあっても、イエスを殺そうとした人たちと石を投げ罵声を浴びせる民衆に対して、「神よ彼らをおゆるし下さい、彼らは自分が何をしているのかわからないのです」と語った言葉が余りにも印象的で強く記憶に残っています。</p><p><br></p><p>　以下、この本の第三話、イエスの言葉</p><p><br></p><p>　イエス、言う</p><p>　「私は世界の直（ただ）なかに立ち</p><p>　肉体を得て彼らの前に顕われた。</p><p><br></p><p>　私は彼らが皆酔い痴れて</p><p>　誰ひとり渇している者のないのを見いだした</p><p><br></p><p>　私のたましいは人の子たちのために苦しんだ</p><p>　彼らは心（ハート）の内で盲目（めしい）であり</p><p>　空（くう）の内に世に来て</p><p>　ふたたび空の内に世を去ること</p><p>　それを求めている自分を見ることがない</p><p><br></p><p>　今でこそ酔い痴れてはいるが</p><p>　その酔いを醒ましたとき</p><p>　彼らは悔い改めることだろう－－」</p><p><br></p><p>　イエス、言う</p><p>　「肉体が精霊（スピリット）のゆえに存在を得る</p><p>　としたら</p><p>　それは驚異だ</p><p>　が、もし精霊が肉体のゆえに存在を得るとしたら</p><p>　それは驚異のなかの驚異だ</p><p>　しかし私は驚き怪しむ</p><p>　どのようにしてこの偉大な富が</p><p>　この貧困を我が家とならしめたものかと－－」</p><p><br></p>
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<pubDate>Sun, 08 Jun 2025 17:04:48 +0900</pubDate>
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<title>『不滅の言葉  ダンマパダⅡ』　第六章  百年を過ごすよりも ①アレクサンダーとディオゲネス</title>
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<![CDATA[ <p><br></p><div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20250415/03/georgehiratsuka/74/0e/j/o0917128515566601900.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250415/03/georgehiratsuka/74/0e/j/o0917128515566601900.jpg" border="0" width="400" height="560" alt=""></a></div><p>（Placido Costanzi 作 &nbsp;Alexander the Great Founding Alexandria より）</p><p><br></p><p>OSHOの講和にはアレクサンダーの話が何度か出てきます。かつて小国マケドニアから大帝国を築いた歴史上偉人とされる人ですよね。</p><p>この章は「仏陀がたずねた最も重要な問い」についての話から始まります。それは「ほんとうの幸せとは何か？」という事でした。</p><p>この話の中でアレクサンダーが出てきます。私はこの話がとてもつよく心に残っています。</p><p><br></p><p>「アレクサンダーは世界の征服者になったときに幸せだっただろうか？　かれはかつてこの世に生きたもっとも不幸な人間のひとりだった。かれはディオゲネスが至福に満ちているのを見て嫉妬した。乞食に嫉妬するなんて……？</p><p>　ディオゲネスは乞食だった。かれは無一物で、物乞いの椀さえも持ってはいなかった。少なくとも仏陀は物乞いの椀と三枚の長衣（ローブ）を持っていた。ディオゲネスは裸で物乞いの椀も持ってはいなかった。最初のうちはかれも物乞いの椀を持っていた。」</p><p><br></p><p>「ある日、ディオゲネスは物乞いの椀を持って川に行くところだった。かれはのどが渇いていた。暑い日だったので、かれは水が飲みたいと思っていた。その途中で、かれが川岸にさしかかったところで、一頭の犬がかれのそばを駆け抜け、走り、息をきらしながら、川のなかに飛びこんで、気持ちよさそうに水浴びしながら、心ゆくまで水を飲んだ。ディオゲネスの心にある考えが浮かんだ。『この犬はわたしよりも自由だ。犬はわざわざ椀をもち運ぶ必要がない。そして犬にそれができるのだったら、どうしてこのわたしに椀なしでやれないことがあろうか？　これはわたしの唯一の所有物だ。それは盗まれるかもしれないから、わたしはいつもそれから目を離すことができない。夜でも一度や二度はそれがまだあるかどうか触ってみなければならない。』</p><p>　かれは物乞いの椀を川のなかに投げ込むと、犬におじぎして、かれが神からのおおいなるメッセージを伝えてくれたことに感謝した。</p><p>　この人、なにも持たない人が、アレクサンダーの心のなかに嫉妬をつくりだした。かれはひどく惨めだったにちがいない！　かれはディオゲネスにこう告白した。『神がわたしにふたたび命を与えてくださるものなら、わたしは神にこうお願いしたい、「今度はどうかわたしをアレクサンダーにしないでください。わたしをディオゲネスにしてください」』</p><p>　ディオゲネスはけたたましく笑うと、犬を呼んだ。というのも、かれらはいまや友だちになって、いっしょに暮らすようになっていたからだ。かれは犬を呼ぶとこういった。『ごらん、聴いたかい。かれはなんて無意味なことをいっているか！　かれは<i>つぎの</i>生ではディオゲネスになりたいのだそうだ！　なぜつぎの生でなければならない？　なぜ延期する？　つぎの生のことなどだれにわかるだろう？　明日ですらたしかではない。つぎの瞬間ですらたしかではない。つぎの生についてなにがいえるだろう！　ほんとうにディオゲネスになりたいのだったら、まさにこの瞬間に、いまここでなることができる。着ている服を川になげこんでしまうがいい！　世界を征服することなどすっかり忘れてしまいなさい！　それはまったく愚かなことだ。あなたもそれは知っている。</p><p>　あなたは自分は惨めだと告白し、ディオゲネスのほうがはるかにましな、もっと至福に満ちた状態にあると告白している。だったらどうしてたったいまディオゲネスにならないのか？　わたしが日光浴をしているのと同じ川岸に横になりなさい！　この川岸にはわたしたちふたりに十分なだけの広さがある』</p><p>　アレクサンダーは、もちろん、この招きを受けいれることができなかった。かれはいった。『あなたの招きには感謝する。わたしはいまのいまはそれをすることはできないが、つぎの生には……』</p><p>　ディオゲネスはかれにたずねた。『あなたはどこにいくつもりなのか？　それにたとえ世界を征服したところで、あなたはなにをしようというのか？』</p><p>　アレクサンダーはいった。『そうしたらわたしはくつろぐ』</p><p>　ディオゲネスはいった『あなたのいうことはまったく道理に合わない。わたしはいまのいまこうしてくつろいでいるというのに！』」</p><p><br></p><p><br></p><p>私は、ディオゲネスが犬におじぎするところが名シーンだなと感じました。</p><p>また、私にはアレクサンダーが「そうしたらわたしはくつろぐ」と言う部分がとても感慨深いです。何のための世界征服なのか、という気がします。</p><p>アレクサンダーにとっても、今を生きる私たちにとってもほんとうの幸せとは一体何なのかを見つめさせられる話だと思いました。</p><p><br></p><p><br></p><p></p>
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<link>https://ameblo.jp/georgehiratsuka/entry-12893908761.html</link>
<pubDate>Tue, 15 Apr 2025 03:25:04 +0900</pubDate>
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<title>『禅宣言』　第一章  この消失が無我だ　①</title>
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<![CDATA[ <p><br></p><div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20250412/02/georgehiratsuka/22/d2/j/o1080144015565360575.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250412/02/georgehiratsuka/22/d2/j/o1080144015565360575.jpg" border="0" width="400" height="533" alt=""></a></div><p><br></p><p>私は結構長い間、ダンスの活動の先行きについて占い師の先生によく相談していました。</p><p>その先生は、詳しく話さずとも状況がわかるような方で、精神世界的な事に造詣が深い方でした。『クリエイティングマネー』の著者サネヤ・ロウマンさんとお知り合いであるとも仰っていました。</p><p>私が内側の声を大切にするという姿勢を身につけたのも先生の様々な助言のお陰だと思います。</p><p>その先生が私にすすめてくれたのがこの『禅宣言』でした。先生は、私に「サマサティ（想起する）」が必要だ、といった事を話されていた記憶があります。</p><p>その時はやはり、よくわかっていませんでしたが、その後様々な本、とくに禅に関する本を読むにつれて、人はその本質においてみな仏陀であり、自分が仏陀であることを想起すること、それが大切なことであるということを先生は仰っておられたのかなと思います。</p><p>マスターOSHOの言う、内側を見ること、意識であること、自らの本性とその空を見ること、観照すること、と通じる内容に感じます。</p><p><br></p><p>さておき、『禅宣言』第一章で「丹霞焼仏」の話が出てきますが、私はこの丹霞（たんか）さんという方がすごく素敵な方だと感じました。</p><p><br></p><p>「旅の途中、丹霞天然はある寺で一夜を過ごした。</p><p>　とても寒かったので、木の仏像を燃やして暖をとった。</p><p>　翌朝、寺の僧たちに責められると、丹霞は言った、</p><p>　『仏像を燃やして仏の骨を拾おうと思ったのだ』</p><p>　僧は言った、『どうして木像に骨なんかある』</p><p>　丹霞は言った、『それならどうして私を責める』」</p><p><br></p><p>解説では、</p><p>「並はずれた洞察力があってはじめて、自己の仏性を知っていて初めて、そんな夜、仏像を燃やすことができる。夜はとても寒かった。本物のブッダは寒さに震えていた。なのに偽のブッダが祀られていた。そこで彼は像をひとつとってーーそれは木像だったーーそれを燃やして満足した。</p><p>　朝になって、仏像を燃やしたことを知った寺の僧たちは、もちろんとても怒った。『いったい何という男だ。禅師だとばかり思っていたのに、いちばん大事な仏をひとつだいなしにしてしまって。いったいどういうつもりだ』</p><p>　彼は言った、『夜はとても寒かった』。彼は僧たちに示そうとしていたーー『あなたがたは自分の仏性を忘れ、人の作った像を拝んでいる。木や石や大理石の像を、ブッダたちが拝んでいる。ーーそれは滑稽だ！　あなたがたはいったい、何という精神の眠りをむさぼっているのだ。自分が誰だかすっかり忘れてしまったのか』</p><p>　それで彼は言った、『夜は寒かった。そして仏は寒さに震えていた。そこに偽の仏がひとつ坐っていた。私はそれを燃やした。それはただの木だった』。そのことをはっきりさせようと、彼は言った、『仏の骨を拾おうと思ったのだ』」</p><p><br></p><p>解説ではこの後、本当の物語は、丹霞がみとがめられたのは朝ではなく真夜中で、夜中に寺の外に追い出された。そして朝、丹霞が里程石に花を供えて額づくという話が語られていきます。</p><p>そして、</p><p>「丹霞天然はこう言っていた、『本物のブッダが夜、寒さに震えているとき、こうした木像に何の意味がある。私は追い出されてしまったが、これはあらゆる宗教についても同じだ。みんなブッダを追い出し、ブッダの像を拝んでいる』」</p><p><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/georgehiratsuka/entry-12893531736.html</link>
<pubDate>Sat, 12 Apr 2025 02:23:40 +0900</pubDate>
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<title>『ボーディダルマ』　第一話  求めない事が至福　①</title>
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<![CDATA[ <p><br></p><div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20250411/00/georgehiratsuka/5a/b5/j/o1080143915564971682.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250411/00/georgehiratsuka/5a/b5/j/o1080143915564971682.jpg" border="0" width="400" height="532" alt=""></a></div><p><br></p><p>ボーディダルマは、以前より強烈な感じという印象がありました。</p><p>この本を読み、ボーディダルマの言葉は本当に素晴らしく感じた一方、妥協的に語らざるをえない部分があったのだと知りました。</p><p><br></p><p>さておき、第一話のなかでボーディダルマが中国にやってきて武帝と会う話がありますが、私はその部分がとても面白く感じました。</p><p><br></p><p><br></p><p>「彼が中国に到達したときーーそれは三年もかかる長旅だったーー中国の武帝が彼を出迎えにやって来た。彼の名声は本人よりも先に届いていた。武帝は仏陀の哲学のために最大の奉仕をしていた。何千人もの学者たちが仏教の経典をパーリ語から中国語に翻訳していたが、皇帝はそのすべての翻訳事業のパトロンだった。何千もの寺院と僧院を建立し、何千人もの僧侶を養っていた。彼は仏陀に奉仕するために全財産を投じていた。当然のことながら、ボーディダルマよりも以前に到着していた仏教僧たちは、『あなたは大いなる徳を積んでいるのだから、天上に神として生まれ変わることができるでしょう』と武帝に進言していた。</p><p>　そんなわけで彼は、ボーディダルマにまずこう切り出した。</p><p>　『私は多くの僧院を建立し、何千人もの学者を養い、仏陀の教えを学ぶための総合大学も開設しました。私は自分の全帝国と全財産を仏陀への奉仕のために捧げています。どのような果報を受けることができるでしょうか？』</p><p>　皇帝は、ボーディダルマを見て少し戸惑いを覚えた。こんな人だとは思ってもみなかったのだ。その顔つきはひどく恐ろしそうだった。きわめて大きな目をしていたが、その実、ハートはごく柔和だったーーハートに蓮の花が咲いているかのようだった。だが、彼は想像しうるかぎりの凶暴な顔つきをしていた。足りないのはサングラスだけで、もしサングラスをかければ、まさにマフィアの顔だった！</p><p>　武帝が恐る恐る尋ねると、ボーディダルマはこう言った。</p><p>　『いや、果報などあるはずがない。それどころか、地獄の底まで落ちることを覚悟しておきなさい』」</p><p><br></p><p><br></p><p>天上に神として生まれ変わると思っていた皇帝が、地獄の底まで落ちると言われます。</p><p><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/georgehiratsuka/entry-12893398136.html</link>
<pubDate>Fri, 11 Apr 2025 00:14:09 +0900</pubDate>
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<title>『不滅の言葉 ダンマパダⅡ』　第九章  他人のなかにおのれを見よ</title>
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<![CDATA[ <p><br></p><div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20250410/01/georgehiratsuka/71/84/j/o1080144115564601880.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250410/01/georgehiratsuka/71/84/j/o1080144115564601880.jpg" border="0" width="400" height="533" alt=""></a></div><p><br></p><p>この本は2016年の時に、私が初めて読んだOSHOの本でした。</p><p>仏陀の言葉とOSHOの解説に惹かれて何度も読んでしまいましたが、他の禅に関する本を読んだ後に読み直すと、より深い意味が込められていたと感じました。</p><p>また、仏陀の言葉は、語る言葉の流れが美しく流麗だと感じました。</p><p><br></p><p>「生きとし生けるすべてのものは</p><p>　暴力のまえで震える</p><p>　すべての者が死を恐れる</p><p>　すべての者が生を愛する</p><p><br></p><p>　他人のなかにおのれを見よ</p><p>　そうしたらだれを傷つけられるだろう？</p><p>　どんな害をなせるだろう？</p><p><br></p><p>　幸せを求める者は</p><p>　幸せを求める者たちを傷つけることによっては</p><p>　幸せを見つけることはできない</p><p><br></p><p>　兄弟はあなたと変わらないからだ</p><p>　かれは幸せになりたい</p><p>　かれに害をなさなければ</p><p>　この生を去るときに</p><p>　あなたもまた幸せを見つける</p><p><br></p><p>　荒々しいことばを話してはいけない</p><p>　自分にはね返ってくるからだ</p><p>　怒れることばは傷つけ</p><p>　傷がはね返ってくる</p><p><br></p><p>　壊れた鐘のように</p><p>　静かに、沈黙を守れ</p><p>　自由の静けさを知れ</p><p>　もはや奮闘のない</p><p><br></p><p>　牧夫が牛たちを野に追いたてるように</p><p>　老いと死はあなたを追いたててゆく</p><p><br></p><p>　だが愚か者はあやまちのなかで忘れ</p><p>　火をつける</p><p>　いつか自分が焼かれねばならないものに</p><p><br></p><p>　害をなさない人を害する者</p><p>　罪のない人を傷つける者</p><p>　かれは十たび堕ちるであろうーー</p><p><br></p><p>　痛みや弱さ</p><p>　けがや病気や狂気</p><p>　迫害や恐ろしい咎のなかに</p><p>　家族を失い、財産を失い</p><p><br></p><p>　天からの火がかれの家を打ち</p><p>　その体が打ち倒されたとき</p><p>　かれは地獄によみがえる」</p><p><br></p><p>4段落目の「この生を去るときに」とは、</p><p>OSHOは、死後のことではない、と解説しています。</p><p>「仏陀が『この生を去るときに……』というとき、かれは死を意味しているのではない。かれはたんにこの生の生きかた、この愚かな生きかたのことをいっている。この欲望の、野心の、怒りの、所有物の、嫉妬のありかたーーこの愚かな生の営みかたを」</p><p><br></p><p>私には、とくに最後の「かれは地獄によみがえる」の部分が何だかひかれるものがあります。</p><p>OSHOの解説は以下です。</p><p>「『天からの火がかれの家を打ち……』。それは天国にあなたを罰するだれかが坐っているということではなく、あなたが天につばを吐くとそれがあなたに落ちてくる、あなたが天に火を投げるとそれがあなたに落ちてくるということだ。あなたは流れに逆らっている。それこそがあなたの惨めさにほかならない」</p><p><br></p><p><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/georgehiratsuka/entry-12893274982.html</link>
<pubDate>Thu, 10 Apr 2025 01:42:37 +0900</pubDate>
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<title>『信心銘』　第一章  大いなる道</title>
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<![CDATA[ <p><br></p><div><div><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20250409/01/georgehiratsuka/52/db/j/o1080143915564213864.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20250409/01/georgehiratsuka/52/db/j/o1080143915564213864.jpg" border="0" width="400" height="532" alt=""></a></div><p><br></p><span style="font-size: 16px; -webkit-text-size-adjust: 100%;"><p>信心銘は中国唐の時代の禅師・僧璨（そうさん）という方の言葉が記されている書物です。私はマスターOSHOの解説版で読みました。</p></span><br></div><p><span style="font-size: 16px; -webkit-text-size-adjust: 100%;">この僧璨という方が語っている内容は、ただただ、すごい、としか言いようがなく、他に表現できない感じでした。</span><span style="font-size: 16px; -webkit-text-size-adjust: 100%;">私には世界最高の書物の一冊だと感じました。</span></p><p><span style="font-size: 16px; -webkit-text-size-adjust: 100%;"><br></span></p><p><span style="font-size: 16px; -webkit-text-size-adjust: 100%;">「僧璨禅師は言った。</span></p><p><span style="font-size: 16px; -webkit-text-size-adjust: 100%;"><br></span></p><p><span style="-webkit-text-size-adjust: 100%;">　大いなる道は難しくない。</span></p><p><span style="-webkit-text-size-adjust: 100%;">　選り好みをしなければよいだけだ。</span></p><p><span style="-webkit-text-size-adjust: 100%;">　愛も憎しみもなければ、</span></p><p><span style="-webkit-text-size-adjust: 100%;">　すべては明瞭で、隠されたものとてない。</span></p><p><span style="-webkit-text-size-adjust: 100%;">　だが、ほんの僅かな区別でもすれば、</span></p><p><span style="-webkit-text-size-adjust: 100%;">　天と地は無限に離れる。</span></p><p><span style="-webkit-text-size-adjust: 100%;">　だから、真理を見たいと願うなら、</span></p><p><span style="-webkit-text-size-adjust: 100%;">　いいとか、駄目だとかの意見をもたぬことだ。</span></p><p><span style="-webkit-text-size-adjust: 100%;">　好きと嫌いの葛藤、</span></p><p><span style="-webkit-text-size-adjust: 100%;">　これが心の病だ。」</span></p><p><span style="-webkit-text-size-adjust: 100%;"><br></span></p><p><span style="-webkit-text-size-adjust: 100%;">この章の最後の辺りに書かれてある解説部分</span></p><p><span style="-webkit-text-size-adjust: 100%;">「僧璨はあなたたちにどうしろと勧めるつもりはない。彼はただ、繰り返し繰り返し繰り返し、千と一度も、人がどうやって自分のまわりにこの窮状をすべて創り出したのか、どうやってこの惨めさの中に身をおいているのかを、自分で理解するしかないことを主張しようとするだけだ。他の誰がそれを創り出したのでもない。それは選り好みをするという、あなたの心（マインド）の病いなのだ。」</span></p><p><br></p><p><span style="-webkit-text-size-adjust: 100%;">この部分が私にはすごく衝撃的でした。</span></p>
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<link>https://ameblo.jp/georgehiratsuka/entry-12893146217.html</link>
<pubDate>Wed, 09 Apr 2025 00:58:13 +0900</pubDate>
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