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<title>gizenkiraiのブログ</title>
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<description>真実を誠実に語る人が好き・真摯に生きる人が好き・偽善を憎む</description>
<language>ja</language>
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<title>東日本大震災で愛する人、伴侶、妻、夫、恋人を亡くした方へ　</title>
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<![CDATA[ <p>1年と少し震災から経過し、好むと好まざると、日々の生活に戻られている方も多いのではと推察します。</p><br><p>そういったなかで、震災自体は人々の心に残っていても、大事な人を亡くした人のことは一般には忘れられがちです。さらには、もう前を向いて歩き出していると勝手に押し付けられている人もいるかもしれません。</p><p>1年経過すると、なかなか周囲になくなった人の話もしづらくなり、それがストレスになることもあります。</p><br><p>愛する人をなくしてからの回復は、ほんとうに人それぞれです。10年単位で苦しむ人もたくさんいます。</p><p>あれほど、愛していた人が急にいなくなる空白感は、他人には想像も及ばないはずです。</p><br><p>どうか、周囲の人々と、亡くして今でも苦しんでいる人は、「もう1年も経過したのに」という考えは棄ててください。</p><p>どれだけ時間がかかってもかまいません。今苦しいなら休んで泣いてください。</p><p>一日一日をやりすごしてください。そうしていると、悲しみは消えないですが、ちぎれるような痛みからは解放されます。</p><p>苦しいのに、まわりの期待に知らず知らずにこたえたり、仕事などでごまかしていても、心の奥にある悲しみは癒されません。長年経過した後に、突如として顔を出し、心身のバランスを崩す方もたくさんいるのです。</p><br><p>男女を問わず、苦しみ、悲しみを押さえつけず、それらと少しずつつきあい、少しでも癒されることを祈っています。</p>
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<link>https://ameblo.jp/gizenkirai/entry-11233759120.html</link>
<pubDate>Thu, 26 Apr 2012 11:18:24 +0900</pubDate>
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<title>小沢一郎　無罪判決に対する二つの誤解</title>
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<![CDATA[ 本日、小沢一郎氏に無罪の判決が出た。<br>これは、法曹に携わる人間であれば、予想できた判決である。<br>二度、プロである検察が、有罪になりがたいと判断して起訴を辞めたのであるから、国民審査会が強制起訴をしたところで、なかなか有罪に持ち込むのは難しいはずだからである。<br><br>問題は、これに対する二つの反応である。<br>ひとつは小沢サイドや支持者の反応、もうひとつは小沢を快く思わない側の司法に対する絶望の反応である。<br><br>まず、はっきりとさせておかなければならないのは、今回裁かれたのは「収支報告書の虚偽記載」についての「法的責任」という点である。それ以上でも、それ以下でもない。<br><br>小沢サイドでは、これを機に、私は潔白であり、きっちりと司法で判断されたとして、クリーンであるとの主張をしてくるであろう。しかし、これはまったく「政治責任」「管理者責任」としてはおかしな話なのである。秘書は少なくとも有罪となっており、その管理責任や政治責任は決してクリアされないのである。虚偽記載に直接関わった証拠がなかったということと、虚偽記載をするような秘書を雇い、しかも監督責任も果たさなかったということとは別問題なのである。<br><br>一方で、小沢を快く思わない人々の、こんな司法では正義はどこにあるのだといった義憤の反応もある。しかし、これもまったく司法の役割を誤解している。上記した、小沢の政治責任や管理責任を法的に白黒つけた裁判ではないのである。裁判所は国の最高の判断権をもつものではない。法的責任を裁くところである。正義は国民が実現すべきものである。政治責任を追及し、グレーを野放しにしない責任は国民にあるのである。国民、選挙、世論、政治参加、メディア、様々なチャンネルで国民が実現しなければならない。<br><br>地元の利益だけで投票してませんか？目先の分配だけで投票してませんか？長いものに巻かれるだけの政治家を選んでませんか。さらに、選挙や政治に無関心であることはグレーを放置していることと同じで問題外です。この無罪判決に義憤を感じたならば、国民である各々がアクションをしなければならない。<!-- google_ad_section_end(name=s1) -->
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<link>https://ameblo.jp/gizenkirai/entry-11233750359.html</link>
<pubDate>Thu, 26 Apr 2012 11:09:58 +0900</pubDate>
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<title>東日本大震災で伴侶や恋人を失った方へ　妻や夫を亡くした方へ</title>
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<![CDATA[ <p>重要なテーマなので再度書きます。</p><br><p>偶然にこのブログに出逢ってもらえるとよいのですが。<br><br>大切な人を失った時、何もかも絶望的になる。<br>その時に無理にがんばると必ず、心身を壊す。<br><br>今、日本全国、被災者に「がんばれ」という言葉が向けられる。<br>当然、復興のために、これからを生きるために、がんばる必要は嫌でも出てくる。<br>でも、家族や愛する人を失って間もない時には、復興など興味はない人がほとんどであろう。</p><p>年単位、十年単位で苦しむ人も多いのだ。<br>無理して、がんばれという周囲の言葉に合わせて、より心が苦しくなっていることもあるであろう。<br><br>日本全国で、グリーフケアの視点が欠けてしまっている。<br><br>家族・愛する人を亡くした人は、どうか、できるかぎり寝て、できるかぎり食事をして、そして泣けるところでは、泣いてください。<br>今、あなた方はそうしているだけでも、想像を絶するがんばりを発揮しています。<br>絶望の言葉をなかなか吐き出せない環境かもしれません。<br>どうぞ、そういうときはコメントに吐き出してください。<br><br>今は、心を休めるときです。今、世間で言われているがんばりを貴方がたに強いるのは、重傷患者を外に引っ張り出してスポーツさせるようなものです。<br><br>どうか、休めるときは休んで、泣いていてください。そして、震災が悪いのであって、貴方がた自身を責めることは何もないことを心に言い聞かせてください。</p><br><p>復興はしばらく、我々が頑張ればいいことです。少し気が楽になったときに、復興に立ち上がればいいのです。</p><p>今は、心を休めることが、何より前向きな行動であると思っていてください。<br><br></p><!-- google_ad_section_end(name=s1) --><!-- google_ad_section_end(name=s1) --><!--entryBottom-->
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<link>https://ameblo.jp/gizenkirai/entry-10864760160.html</link>
<pubDate>Sun, 17 Apr 2011 23:12:37 +0900</pubDate>
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<title>東北地方太平洋沖地震で愛する人・家族を亡くした方へ　今はがんばらなくていいよ</title>
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<![CDATA[ 偶然にこのブログに出逢ってもらえるとよいのですが。<br><br>大切な人を失った時、何もかも絶望的になる。<br>その時に無理にがんばると必ず、心身を壊す。<br><br>今、日本全国、被災者に「がんばれ」という言葉が向けられる。<br>当然、復興のために、これからを生きるために、がんばる必要は出てくる。<br>でも、家族や愛する人を失って間もない時には、復興など興味はない人がほとんどであろう。<br>無理して、がんばれという周囲の言葉に合わせて、より心が苦しくなっていることもあるであろう。<br><br>日本全国で、グリーフケアの視点が欠けてしまっている。<br><br>家族・愛する人を亡くした人は、どうか、できるかぎり寝て、できるかぎり食事をして、そして泣けるところでは、泣いてください。<br>今、あなた方はそうしているだけでも、想像を絶するがんばりを発揮しています。<br>絶望の言葉をなかなか吐き出せない環境かもしれません。<br>どうぞ、そういうときはコメントに吐き出してください。<br><br>今は、心を休めるときです。今、世間で言われているがんばりを貴方がたに強いるのは、重傷患者を外に引っ張り出してスポーツさせるようなものです。<br><br>どうか、休めるときは休んで、泣いていてください。そして、震災が悪いのであって、貴方がた自身を責めることは何もないことを心に言い聞かせてください。<br><br><!-- google_ad_section_end(name=s1) -->
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<pubDate>Thu, 17 Mar 2011 11:05:33 +0900</pubDate>
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<title>裁判員裁判でも　死刑だ</title>
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<![CDATA[ <p>裁判員裁判において初めて少年事件に死刑が下された。</p><br><p>加害者は、当時１８歳で、残虐性も高かった、計画性もあった等々から死刑判決が先日下された。</p><p>少し前の耳かきサロンの殺人事件と結論を分けた。加害者の年齢や被害者の数では共通するが。</p><br><p>この二つの事件を仔細に見ると、違いがある。今回の加害者は普段の素行も悪く、保護観察の身分でもあった。</p><p>また、自らの赤ちゃんをけとばしたり、連れまわした彼女に日々暴力を加えていた。そこから守ろうとする、彼女の姉と友達を殺したのである。もともと人的に悪い評価がつきまとううえに計画性も高い殺人だった。</p><br><p>一方、耳かきサロンの殺人の加害者は、普段は暴力的ではなくオタクタイプである。</p><p>通常は人的な凶暴性はない、しかも、少し偶発的部分も残る殺人でもあった。</p><br><p>それぞれ、ここで書けるほど単純ではないが、こういった事情の違いがあった。</p><br><p>それらを、見事に裁判員はふまえて結論を出しているとことを感じた。裁判官の指揮の実力も高いのであろうが、当初懸念していた、情緒的・感情的判断に堕していない。冷静に議論をし、冷静に判断をし、辛いながらも結論を出している。</p><p>正直、私は脱帽する。</p><br><p>量刑を裁判員にさせることの議論は当初からあったし、裁判員の精神的負担を考えると議論は続けるべきである。ただ、裁判員が加わったとしても幼稚な魔女狩り的裁判や演技や情に流されるといった事態に陥っていないところに良い意味で裏切られている。</p>
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<link>https://ameblo.jp/gizenkirai/entry-10719880696.html</link>
<pubDate>Sat, 27 Nov 2010 18:11:19 +0900</pubDate>
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<title>島田伸助と和田アキ子に問う、「やんちゃ」とは？</title>
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<![CDATA[ <p>テレビで最近、肯定的に使われる言葉として「やんちゃ」というものがある。</p><br><p>元気で、活発で、いたずら好きといった意味なら、まったく問題はない。</p><br><p>しかし、最近は、この、やんちゃに、過去暴走族に入っていたのみならず、暴行傷害や、恐喝といった行為まで含んでいるニュアンスで用いている。言葉をけんかやカツアゲという言葉にすれば、罪が軽くなるものではない。</p><br><p>もちろん、そこから更生するのは褒められることではある。</p><br><p>問題は、その「やんちゃ」自体を肯定的に表現することである。</p><p>昔、暴行傷害、恐喝、暴走族といった行為をしていたこと、これは恥ずべき過去である。</p><p>ところが、少し、元気な勲章のように表現することが多すぎる。</p><p>こういう過去の恥ずかしい行為を私はしていましたという文脈ではなく、こういう行為をして昔は元気でした。</p><p>今はおとなしくなってしまいました。と、過去を美化して用いることが多い。</p><p>むしろ、元気な若者であったかを誇る口ぶりで用いる。</p><br><p>こういう行為をせず、大人になっても当然犯罪行為をせず、元気に生きていることが、本来はほめられるべきである。</p><br><p>たとえば、ヤンキー○○とかいって、出てくる人がいる。昔はけんかにあけくれたが等と威張っていう者がいる。</p><p>テレビもそれを取り上げる。教師や牧師や議員や、そういう人達すらいる。</p><p>何度も言うが、更生することはすばらしい。しかし、過去は恥ずべき過去ではある。</p><p>それを勲章にし、売りにするのは、まったく筋違いである。</p><br><p>被害者や迷惑を被ってきた人々は、どうなるのか。</p><p>今でも、カツアゲなどの被害者で自殺するものすらいる。当時の恐怖感だって、相当である。</p><p>一般人に暴走族に車を囲まれたら、どれだけの恐怖を抱くか。暴走行為で国道沿いに住む眠りづらい人々の生活をどう考えているのか。</p><br><p>「昔はやんちゃしてた奴のほうが心が熱いやん」みたいなセリフ、良く言うよね、伸助さん。</p>
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<link>https://ameblo.jp/gizenkirai/entry-10719868141.html</link>
<pubDate>Sat, 27 Nov 2010 17:54:15 +0900</pubDate>
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<title>海上保安庁　ビデオ流出事件の議論は歪んでる？</title>
<description>
<![CDATA[ <p>あちこちで議論されている海上保安庁の保安官によるビデオ流出事件。</p><p>議論が二つのことを、まとめてなされることが多くて混乱している。</p><br><p>あの映像は公開すべきものだったのかという議論と、公開すべき映像か否かに関わらず独断で公務員が情報を頒布してよいのかという議論である。</p><br><p>この二つを区別しないから、彼をヒーローとする幼稚な意見がまき散らされている。</p><br><p>私も、大勢の意見と同じく、あの映像は公開すべき映像であり、結果としては国民が知ることができてよかったと思っている。秘密にすることに、あの保安官と同じく、怒りさえ感じていた。</p><br><p>しかし、公務員が上司の命令系統から外れて、独断で情報を公開することは許すべき行為ではない。</p><p>たとえ、あの情報が機密漏えい罪の「機密」に当たらないと後に判断されても、国民に公開しないと命令系統で決まっているのであれば公開すべきではない。</p><p>命令義務違反である。刑事的に同罪で責任を負うか否かに関わらず、命令義務違反である。保安官が観ることができていたとしても、一般国民に公開しないとの判断で扱われていたのであるから。</p><br><p>この義務違反は、公務員であるからこそ、重い。</p><p>重大な公益に影響するかを、たったひとりの公務員が判断すべきでないのである。公益性の判断は複雑で専門的な要素も多く、英知を結集して協議して初めて判断できることが多いのである。日本は大統領制でもないので、総理大臣ですら独断で判断できない仕組みをとっている。ましてや、一公務員の独断で政治的決定が覆されるのは、どれだけ公益、すなわち我々国民の利益を損なうか計りしれないのである。</p><br><p>彼の行為ですっきりしたという感情は、とても素直な反応であるし、否定をしないが、だからといって、自らネットに揚げるという行為は決してヒーロー視できる行為ではない。正義感の実力行使は冷静であるべき民主国家の運営にはそぐわないし、成熟した国の運営ではない。</p><br><p>この二つの議論を区別すべきである。</p>
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<link>https://ameblo.jp/gizenkirai/entry-10705609306.html</link>
<pubDate>Sat, 13 Nov 2010 09:10:46 +0900</pubDate>
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<title>ドラマ批評　熱海の捜査官とＳＰＥＣ</title>
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<![CDATA[ <p>最近、スペックというドラマが始まった。</p><p>特殊な才能を持つ捜査官が、特殊な事件を捜査する。</p><p>俳優陣もなかなかで筋も面白そうだ。</p><br><p>ただ、</p><p>ただ、</p><p>またまた、日本ドラマにありがちな、ふざけすぎが出ている。</p><p>どうして、ユーモアとどたばたを履きちがえるのだろう。</p><p>このドラマをきっちりと演出すれば、どれだけスリリングで秀逸なドラマになるかと思うと歯がゆい。</p><p>堤幸彦は才能あふれているのにプライドがないのが残念だ。迎合していることを知りつつ迎合的な演出をいつもする。</p><br><p>先日、終わった、熱海の捜査官もそうである。</p><p>余韻の残し方や複雑奇妙な世界観やストーリのスリルが、近年のドラマにない秀作であったのに</p><p>何故かどたばたが多かった。ツインピークスにオマージュをささげているが、ツインピークスのデビッドリンチが監督演出していたパートではユーモアは出していたが、どたばたにまでは至っていない。だからこそ、スリリングではらはらしたのである。熱海の捜査官の脚本の筋は、とてもダイナミックで謎に満ちていて、すばらしいものであった。陳腐なユーモアやリアリティを追求しない撃ちあいでは見る側はどきどきしない。</p><br><p>視聴率が10パーセントが１２パーセントになればよいと思っているのだろうか、残りの９０パーセントはどうしているのか思いを馳せないならばテレビドラマのどたばたと子供だらけのドラマが続くだろう。</p><p>それを、多くの大人はうんざりしているし、子供だって、子供だましは好きではないのが本音だ。</p><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/gizenkirai/entry-10679044885.html</link>
<pubDate>Sat, 16 Oct 2010 23:45:28 +0900</pubDate>
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<title>小沢一郎　強制起訴　</title>
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<![CDATA[ <p>　検察審査会の再度の判断により強制起訴となった。</p><br><p>メディアによる中途半端な報道でいくつか誤解が生じているようだ。</p><br><p>まず、ひとつめの誤解</p><p>検察による起訴が、全てであるかのような点であること。</p><p>検察が起訴して裁判で裁けるのは、あくまでも法的責任である。</p><p>道義的責任や政治的責任は、民意や選挙や言論で裁くものである。</p><p>法的責任追及では、彼の胡散臭さや秘書の監督責任の全てを裁くことはできない。</p><br><br><p>次の誤解</p><p>検察は国家権力だから、権力のある小沢を起訴しなかったのだとの印象をメディアが与えている点</p><p>検察、特に特捜は、先日、証拠偽造するくらいの行き過ぎがあったことからもわかるように、政治部門の起訴は全精力を傾け、プライドをかけてやる。それでも、起訴できなかった事件だったのである。検察審査会が強制起訴させても有罪に持ち込むのは、ほぼ不可能である。裁判をやる前からわかっている。</p><br><p>次の誤解</p><p>小沢一郎の胡散臭さを暴く裁判であるような印象を与えていること。</p><p>もちろん、その胡散臭さの一端を暴くひとつの裁判ではある。しかし、今回、起訴しなければならなくなったのは</p><p>収支報告書の虚偽記載である。何も、収賄を立件するのではない。その虚偽記載すら、証拠が整わず、プロである検察が有罪にもちこむのが不可能と判断した事件なのである。</p><br><p>最後に</p><p>これはメディアではなく、小沢一郎や民主党サイドの誤解と不勉強</p><p>この強制起訴の検察審査会の判断に、小沢サイドは無効であるとの行政訴訟を提起するとのこと。</p><p>まず、行政訴訟の訴えとしては認められず、本案を裁判されずに訴え却下されるだろう。</p><p>つまり、結論は見えている.。訴訟では小沢サイドの不服はとりあげられないだろう、弁護士が儲けるのみである。</p><p>争いたければ、起訴された事件の裁判で自分は無罪であることを争うことである。その手続以外で行政訴訟で争うのは、いわば筋違いで却下されるのである。弁護士ならわかっているはずである。</p><p>そもそも、彼らが不勉強なのは、検察審査会制度を作ったのは国会であること、つまり自分たちであることを忘れている点である。彼らが今回訴えている不服は、同制度の仕組みである。そういう仕組みを作ったのは自分たちである。立法に精力を注ぐことなく、普段は政局や選挙にあけくれていて、立法の歪みが自分にふりかかってくると、不当だと騒いでも、自業自得なのである。また、そもそも検察審査会制度の何たるかをまるで彼らは理解していない。立法時の議論をまるで忘れているようである。プロである検察に起訴不起訴を任せきると、民意と離れ過ぎるから、一定の民意を反映させようといする制度で、最小限度民意を起訴・不起訴の判断に導入した繊細な制度なのである。今回だけが特別に小沢おろしに使われたのではない。司法手続きの不満を別の司法手続きに頼る小沢サイドのやりかたは、妙である。</p><br><br><p>全般的に、何らかの不満や不服や正義実現を全て裁判が決めるという誤解が巣食っている気がする。</p><p>裁判は神ではない、裁判がないから潔白というのではないし、なんでも裁判が裁けるわけではない。</p><p>あくまで法的な責任である。法が全てを網羅するものではないのだから、裁判で全て解消しようとするものではないのである。</p>
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<link>https://ameblo.jp/gizenkirai/entry-10678463870.html</link>
<pubDate>Sat, 16 Oct 2010 13:03:10 +0900</pubDate>
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<title>弁護士　クチコミ</title>
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<![CDATA[ <p>先日の押尾裁判の私のブログにおいて、弁護士のクチコミの話に触れた。</p><br><p>世間で出回る、弁護士ランキングなどは参考にならないということを述べた。</p><br><p>では、どうやって、依頼する弁護士を探すのか、良い弁護士を探すのか。という御相談をいただいた。</p><br><p>まず、理解してほしいことは、ランキング等で弁護士を探すのは、性質上無理であることである。</p><p>単に勝訴するということが良い弁護士ではない。事案に応じて、和解で済ませる実力も、訴訟費用やその後の労力を軽減するという意味ではすばらしい実力である。そして、どんな事案が和解で切り上げるべきか、訴訟で争うべきかなどは微妙なさじ加減であり、数値化できないのである。それを、勝訴率等という意味のない基準を用いたりするランキングは、全く信用性がないのである。</p><br><p>同種の事件を扱うことが多いか否かは、ひとつの判断材料にはなる。同種のモノを扱ってきた弁護士には、その分野の蓄積があることが多いからである。もっとも、これは、知識が集積していることが多いというだけで、その弁護士が親身か、知識を柔軟に使いこなせるのか等は、依頼する側が慎重に見極めなければならない。要するに依頼する側に眼力が必要である（法律的見地からでなくとも、人としての実力を見抜く）。</p><br><p>家庭や親族等の紛争や小さな事件は、やはり地味な弁護士に依頼すべきである。ビジネスや企業相手の大きな事務所（10人以上）では通常は、このような事件を真剣に取り合ってくれない。</p><br><p>自分が信頼している人が薦めてくれる弁護士は何より、わかりやすいであろう。</p><p>もっとも、この場合も、依頼する事件が、その弁護士にあっているものかの見極めは必要であろう。</p><br><p>近年は弁護士の質が低下していると言われている。</p><p>質の低下には、法的な実力不足と人間性の不足の二種類ある。人間性の不足は、面談で見抜いてもらいたいところである。以前、初めてお会いしたときに、ガムを食べたままの接客する弁護士がいた。推して知るべしである。法的な実力不足はなかなか判断しにくいところであり、ここも弁護士評価やクチコミやランキングが難しい一因である。</p><br><p>さらに、全く弁護士をたどるツテがない、どう依頼するかアイデアも浮かばないときは、地区ごとにある弁護士会に連絡して紹介してもらってください。良い人を紹介してもらえる保証まではないけれど、それなりに事件に応じた弁護士を紹介してもらえる。</p>
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<link>https://ameblo.jp/gizenkirai/entry-10655515483.html</link>
<pubDate>Wed, 22 Sep 2010 06:37:41 +0900</pubDate>
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