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<title>東南アジア移住戦略ノート ｜ シンガポール・タイ・マレーシア比較</title>
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<description>海外生活25年。シンガポール、タイ、マレーシアを比較しながら、自分自身も移住や生活設計の選択を重ねてきました。</description>
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<title>マレーシアとの出会い</title>
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<![CDATA[ <h1 data-end="197" data-section-id="q47j33" data-start="185">先日、「Global Retirement Index」という、世界各国のリタイア後の暮らしやすさを評価したランキングが発表され、その中でマレーシアが10位に入っていた。</h1><p data-end="330" data-start="255">ランキングそのものよりも先に、「マレーシア」という文字に目が止まった。自分にとってマレーシアは、こうしたランキングで初めて知った国ではなかったからだ。</p><h2 data-end="349" data-section-id="k51sp3" data-start="332">インドネシア好きの延長線上に</h2><p data-end="432" data-start="351">インドネシアには昔から強く惹かれていた。旅行で困らない程度にはインドネシア語も話せるようになり、何度も足を運ぶうちに、自然と東南アジア全体へ興味が広がっていった。</p><p data-end="466" data-start="434">そのインドネシア語を通じて気づいたのが、マレー語との近さだった。</p><p data-end="587" data-start="468">というのも、この二つはもともと同じ言語だ。マレー語という一つの言語が、国境や近代国家の成立という歴史的な経緯を経て、マレーシアとインドネシアでそれぞれ「マレー語」「インドネシア語」という名前で標準化されただけで、根っこは同じところにある。</p><p data-end="622" data-start="589">だから片方を学べば、もう片方もかなりのところまで理解できてしまう。</p><p data-end="700" data-start="624">「それならマレーシアにも行ってみよう」という発想は、特に気負うこともなく、ごく自然に生まれた。インドネシア好きの延長線上に、マレーシアはすでにいたのだ。</p><h2 data-end="715" data-section-id="1h6aq38" data-start="702">ジョホールとの出会い</h2><p data-end="785" data-start="717">以前書いたシンガポール移住の経緯の続きになるが、シンガポールで暮らすようになってから、仕事の関係でジョホールバルへ足を運ぶ機会が増えた。</p><p data-end="816" data-start="787">シンガポールから橋一本。地理的には目と鼻の先にある場所だ。</p><p data-end="842" data-start="818">それなのに、橋を渡った瞬間に空気がまるで変わる。</p><p data-end="877" data-start="844">人の歩く速度。時間の流れ。街に漂う音。そして東南アジア特有の湿度。</p><p data-end="914" data-start="879">それらが一気に押し寄せてきて、「ああ、この感じだ」と思わず声が漏れた。</p><p data-end="951" data-start="916">かつてインドネシアで肌に馴染んだあの感覚が、ジョホールバルにもあった。</p><h2 data-end="968" data-section-id="1aol0i4" data-start="953">シンガポール人が語るJB</h2><p data-end="1024" data-start="970">当時、シンガポールの友人や同僚にジョホールバル（通称JB）の話をすると、決まって同じような反応が返ってきた。</p><p data-end="1041" data-start="1026">「夜は行かないほうがいいよ。」</p><p data-end="1054" data-start="1043">「車には気をつけて。」</p><p data-end="1071" data-start="1056">「治安があまり良くないから。」</p><p data-end="1094" data-start="1073">そんな言葉を、数え切れないほど聞かされた。</p><p data-end="1134" data-start="1096">シンガポールで暮らす人たちにとって、橋の向こうは少し違う世界に映るのだろう。</p><p data-end="1180" data-start="1136">けれど、そう聞かされるたびに、自分の中では逆に、あの場所への興味が静かに膨らんでいった。</p><p data-end="1203" data-start="1182">実際に通ってみたら、どんな感じなのだろう。</p><h2 data-end="1216" data-section-id="5pfbt8" data-start="1205">実際に通ってみて</h2><p data-end="1254" data-start="1218">実際に通うようになると、橋の向こうは思っていた以上に「違う世界」だった。</p><p data-end="1305" data-start="1256">約束の時間はゆるい。雨が降れば普通に遅れてくる。店員さんも、こちらが急いでいてもまったく急がない。</p><p data-end="1328" data-start="1307">けれど、それが嫌だとは少しも思わなかった。</p><p data-end="1369" data-start="1330">むしろ、あのインドネシアで感じていた空気に近くて、どこか懐かしいくらいだった。</p><p data-end="1404" data-start="1371">きっちりしすぎていないことの心地よさ、とでも言えばいいのだろうか。</p><h2 data-end="1416" data-section-id="1nuugbq" data-start="1406">物価という現実</h2><p data-end="1441" data-start="1418">生活費の感覚も、シンガポールとはまるで違った。</p><p data-end="1527" data-start="1443">体感では、シンガポールの三分の一くらいで暮らせる印象だった。当時のレートで1リンギットはおよそ0.3シンガポールドルほどだったので、その感覚も決して大げさではなかった。</p><p data-end="1580" data-start="1529">細かい数字はさておき、橋一本渡るだけで生活のスケールがこれほど変わるという事実には、単純に驚かされた。</p><h2 data-end="1595" data-section-id="1jq5nue" data-start="1582">「国」から「場所」へ</h2><p data-end="1632" data-start="1597">振り返ってみると、最初に興味を持ったのは「マレーシアという国」だった。</p><p data-end="1695" data-start="1634">でも、ジョホールバルに通う回数が増えるにつれて、自分が惹かれていたのは国そのものではなく、「ジョホール」という場所だった。</p><p data-end="1722" data-start="1697">それは、国という単位では説明しきれない魅力だった。</p><h2 data-end="1741" data-section-id="dzg2p8" data-start="1724">暮らす場所を考えるということ</h2><p data-end="1773" data-start="1743">この頃から、自分の中で問いの立て方が少しずつ変わっていった。</p><p data-end="1804" data-start="1775">「どの国がいいか」ではなく、「どんな場所で暮らしたいか」。</p><p data-end="1861" data-start="1806">そう考え始めると、その先には住まい、仕事、時間の使い方、人との距離感といった、もっと具体的な条件が見えてくる。</p><p data-end="1925" data-start="1863">マレーシアとの出会いは、国を探すことより、自分にとってどんな暮らしが心地よいのかを考え始める小さなきっかけだったのだと思う。</p><p data-end="1925" data-start="1863">&nbsp;</p><p data-end="923" data-start="917"><strong data-end="923" data-start="917">参考</strong></p><p data-end="973" data-start="928">Global Retirement Index（International Living）</p><p data-end="973" data-start="928">https://internationalliving.com/the-best-places-to-retire/</p>
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<link>https://ameblo.jp/global-consultant/entry-12972320035.html</link>
<pubDate>Fri, 10 Jul 2026 19:31:05 +0900</pubDate>
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<title>本当はインドネシアへ行きたかった。 ― シンガポールから始まった、私の生活設計整理法</title>
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<![CDATA[ <p>地方の小さな企業で働いていた自分にとって、あこがれの海外移住を実現する道は「現地採用」一択だった。</p><p>当時の自分には、それを裏付けるような知識も、能力も、資格もない。海外で暮らすことは夢だったが、その夢へたどり着くための現実的な方法は、ごく限られていた。</p><p>その頃、心はずっとインドネシアへ向いていた。</p><p>特にバリ島へは、時間を見つけては何度も通っていた。ウブドも今のようなオーバーツーリズムとは無縁で、静かな空気が流れていた。</p><p>だから海外で暮らすなら、いつかインドネシアで。</p><p>そんな思いを、ごく自然に抱いていた。</p><p>ところが、実際に自分が暮らすことになったのはシンガポールだった。</p><p>振り返ると、この選択が、今の自分の考え方の原点になっていたのだと思う。</p><p>&nbsp;</p><p><b>ジレンマから始まった選択</b></p><p>&nbsp;</p><p>憧れだけを優先するなら、答えは決まっていた。</p><p>けれど、人生は旅行とは違う。</p><p>暮らすとなると、仕事がある。生活がある。将来もある。</p><p>現地採用として働き続けられる環境はあるのか。</p><p>外国人として長く暮らせる制度なのか。</p><p>もし状況が変わったとき、自分はそこで生活を続けられるのか。</p><p>そんな現実的な条件を一つひとつ並べていくと、「好き」という気持ちだけでは決められないことが少しずつ見えてきた。</p><p>だからといって、東南アジアへの憧れを捨てたわけではない。</p><p>インドネシアそのものではなくても、東南アジアらしい空気を感じながら、現実的にも暮らしていける場所はないだろうか。</p><p>そう考え始めたとき、視界へ入ってきたのがシンガポールだった。</p><p>今振り返れば、この時点ではまだ「生活設計整理法」などという言葉は知らない。</p><p>それでも、自分は無意識のうちに、憧れという感情の隣へ、少しずつ「暮らしの条件」を並べ始めていた。</p><p>今でも時々、このページを開いては、あの頃の街を思い出す。</p><p>自分が暮らし始めた頃より少し前の写真も多い。それでも、この頃の街が持っていた空気は、まさに自分が記憶しているシンガポールそのものだ。</p><p>今の洗練されたシンガポールももちろん好きだ。</p><p>でも、不思議なことに、心がふっと引き戻されるのは、こういう景色のほうだったりする。</p><p>言葉だけでは伝えきれないので、もし興味があれば一度のぞいてみてほしい。</p><p>&nbsp;</p><p><a href="https://www.facebook.com/sgtimetravel/">https://www.facebook.com/sgtimetravel/#</a></p><p>&nbsp;</p><p>都市は変わり続ける。</p><p>それは発展であり、豊かさでもある。</p><p>でも、人の心に残り続ける風景は、必ずしも新しい街並みではないのかもしれない。</p><p>&nbsp;</p><p><b>まだ日本の方が豊かだった時代</b></p><p>&nbsp;</p><p>自分がシンガポールへ渡った頃、日本はまだ経済的な豊かさでシンガポールを大きく上回っていた。</p><p>それでも街を歩いていると、この国はこれから大きく変わっていくのだろうという空気が、至るところに漂っていた。</p><p>一方、日本ではバブル崩壊後の停滞が続いていた。</p><p>そのときはまだ、「日本が止まり、シンガポールが追い抜く」という未来を、はっきり想像できていたわけではない。</p><p>ただ、同じアジアにいながら、二つの国が違う方向へ歩き始めていることだけは、肌で感じていた。</p><p>後になって振り返ると、その感覚は間違っていなかった。</p><p>当時およそ1SGD＝60円前後だった為替レートは、その後大きく変わり、今では倍近い水準になっている。</p><p>数字だけを見ても時代の変化は分かる。</p><p>でも、自分の記憶に残っているのは数字ではない。</p><p>街全体から伝わってきた、「これから変わっていく国なんだ」という、あの独特の熱気だった。</p><p>&nbsp;</p><p><b>なぜインドネシアではなく、シンガポールだったのか</b></p><p>&nbsp;</p><p>今振り返ると、自分は「シンガポール」という国を選んだというより、そこで実現できそうな暮らしの条件を選んでいたのだと思う。</p><p>当時は、そんなふうに整理して考えていたわけではない。</p><p>ただ、憧れという気持ちの隣へ、一つずつ条件を並べていった結果、その時点で一番納得できる答えがシンガポールだった。</p><p>まず惹かれたのは、東南アジアらしさがきちんと残っていたことだった。</p><p>インドネシアそのものではない。</p><p>けれど、湿度のある空気、街に流れる時間、人との距離感には、自分が好きだった東南アジアの雰囲気が確かにあった。</p><p>「憧れを完全には叶えられない。でも、全部を諦める必要もない。」</p><p>そんな現実的な落としどころが、そこにはあった。</p><p>次に大きかったのは、生活の見通しが立てやすいことだった。</p><p>経済は勢いよく成長していたのに、当時の生活費は今とは比べものにならないほど手頃だった。</p><p>&nbsp;</p><p>タクシーの初乗りは2.4SGD。</p><p>ホーカーで食べるチキンライスは2.5SGDほど。</p><p>&nbsp;</p><p>現地採用で働き始める人間でも、「ここなら生活できるかもしれない」と思える現実味があった。</p><p>仕事という条件も大きかった。</p><p>日本企業が多く進出していたこともあり、日本人が現地採用として働く土壌が比較的整っていた。</p><p>海外で働くという夢を、現実の仕事へつなげやすい環境だったのである。</p><p>さらに安心感につながったのは、外国人を受け入れる姿勢だった。</p><p>後に自分自身が永住権（PR）を取得することになるが、その背景には、外国人材を積極的に受け入れようとする当時の国の方向性があった。</p><p>もちろん、制度は時代とともに変わる。</p><p>だから「あの頃はそうだった」という話でしかない。</p><p>それでも、その時代の自分にとっては、「長く暮らせるかもしれない」と思える安心材料の一つだった。</p><p>もう一つ印象的だったのは、法律や行政が動く速さだった。</p><p>法案が通れば、すぐに運用が始まる。</p><p>「決まったことは、その通りに動く。」</p><p>その当たり前のようで当たり前ではない感覚に、何度も驚かされた。</p><p>一方で、この国は決して機械のような社会ではなかった。</p><p>ある夜、酒類の販売が禁止されている時間帯に店へ入ったことがある。</p><p>「もう売れないよ。」</p><p>そう言われるかと思ったら、店員さんは笑いながら急須にビールを入れて運んできた。</p><p>思わず笑ってしまった。</p><p>法律は守る。</p><p>でも、人との距離感まで失うわけではない。</p><p>その何とも言えない柔らかさが、この国には残っていた。</p><p>ビザ制度も比較的見通しが立てやすく、生活インフラも安定していた。</p><p>銀行、交通、通信、街の清潔さ。</p><p>毎日の暮らしを支える仕組みは、高い水準で整えられていた。</p><p>こうして並べてみると、自分はシンガポールの魅力を探していたわけではない。</p><p>「海外で暮らす」という人生を現実にするために、自分に必要な条件を、一つずつ確認していたのだと思う。</p><p>もちろん、当時の自分はそんなことを言葉にできなかった。</p><p>ただ、「何となく安心できる」という感覚の裏側には、こうした条件が静かに積み重なっていたのだろう。</p><p>&nbsp;</p><p><b>でも、完璧な場所ではなかった</b></p><p>&nbsp;</p><p>もちろん、シンガポールは何もかも完璧だったわけではない。</p><p>あるときは、一等地のオフィスビルで天井から雨漏りが起き、天井材が落下したことがあった。</p><p>高級マンションに住んでいても、水漏れに悩まされたことがある。</p><p>修理をお願いしても、約束の時間になっても業者が来ないことも珍しくなかった。</p><p>街を歩けば、都心の真ん中を、まるで山下清のような格好で歩いている人を見かけることもある。</p><p>初めて暮らし始めた頃は、「シンガポールは何でも完璧な国」というイメージとの違いに、少し驚いた。</p><p>でも、暮らしているうちに、その少し肩の力が抜けたような雰囲気が、むしろ心地よく感じられるようになっていった。</p><p>法律や行政は驚くほどきっちりしている。</p><p>一方で、人間の営みには、どこか東南アジアらしい大らかさが残っている。</p><p>その二つが同じ街の中で共存していた。</p><p>振り返ると、自分が求めていたのは、この絶妙なバランスだったのかもしれない。</p><p>インドネシアで感じていた空気感。</p><p>そして、安心して生活を組み立てられる法制度。</p><p>どちらか一方ではなく、その両方を手に入れたいと思っていた。</p><p>結果として選んだのは、「完璧な国」ではなかった。</p><p>自分にとって、納得できる条件が最も多く重なった場所だったのである。</p><p>&nbsp;</p><p><b>「直感＋1」という選び方</b></p><p>&nbsp;</p><p>若い頃を振り返ると、自分はいつも直感だけで動いていたわけではなかった。</p><p>もちろん、「ここが好きだ」という感覚は大切だった。</p><p>だから最初の出発点は、いつも直感だった。</p><p>でも、そのまま飛び込む勇気はなかった。</p><p>そこで、自分なりにもう一つだけ条件を加えていた。</p><p>勝手に「直感＋1」と呼んでいる考え方である。</p><p>このときの「＋1」は、法制度の安定感だった。</p><p>外国人として働く以上、制度が突然変わることは避けられない。</p><p>それでも、「ルールが決まれば、そのルールに沿って社会が動く」という安心感は、生活を考える上で大きな支えになっていた。</p><p>その価値を本当に実感したのは、ずっと後になってからだった。</p><p>平穏な毎日を送っているときには気づきにくい。</p><p>けれど、大きな出来事が起きたときほど、「予測できる社会」で暮らしている安心感は、想像以上に大きかった。</p><p>当時の自分は、そこまで考えていたわけではない。</p><p>ただ、「何となく安心できる」という感覚に従って選んだ結果、その選択は後になって大きな意味を持つことになった。</p><p>今なら、その「何となく」を、もう少し言葉にできる。</p><p>好きという気持ちだけでは人生は決められない。</p><p>だからといって、条件だけでも人生は豊かにならない。</p><p>その間を行き来しながら、自分なりの答えを探していたのだと思う。</p><p>&nbsp;</p><p><b>それでも、探し続けたインドネシア</b></p><p>&nbsp;</p><p>それでも、インドネシアへの憧れが消えることはなかった。</p><p>シンガポールでの暮らしが嫌だったわけではない。</p><p>むしろ、仕事も生活も少しずつ落ち着き、自分の居場所になっていった。</p><p>それでも、休みが取れるたびに飛行機へ乗り、インドネシアへ向かった。</p><p>マレーシアにも足を延ばした。</p><p>「もっと自分に合う場所があるのではないか。」</p><p>そんな思いは、ずっと心のどこかに残っていた。</p><p>けれど、不思議なことに、探せば探すほど、「インドネシアの代わり」は見つからなかった。</p><p>バリ島はバリ島でしかなく、シンガポールはシンガポールでしかない。</p><p>何かを別の何かで置き換えようとしても、うまくはいかなかった。</p><p>だからある時から、考え方を少し変えるようになった。</p><p>インドネシアを諦めるのでもない。</p><p>シンガポールを妥協の場所だと思い続けるのでもない。</p><p>シンガポールで暮らしながら、休暇にはインドネシアへ通う。</p><p>その二つを組み合わせた暮らし方が、そのときの自分には一番しっくりきた。</p><p>当時は、それが特別な考え方だとは思っていなかった。</p><p>ただ、自分にとって無理のない答えを探した結果だった。</p><p>&nbsp;</p><hr align="center" size="2" width="100%"><p>&nbsp;</p><p>今振り返ると、あの頃の自分は、「インドネシアか、シンガポールか」という二択で悩んでいたつもりだった。</p><p>でも、本当に比べていたのは国ではない。</p><p>仕事。</p><p>暮らしやすさ。</p><p>法制度。</p><p>将来への安心感。</p><p>東南アジアらしい空気。</p><p>そして、「やっぱりインドネシアが好きだ」という気持ち。</p><p>そうした一つひとつの条件を、知らないうちに並べていた。</p><p>気づけば、「国」という大きな箱は少しずつ小さくなり、その代わりに、自分が暮らしに求める条件が見えるようになっていた。</p><p>それでも最後には、好きという気持ちを捨てなかった。</p><p>感情を押し殺して条件だけを選んだわけでもない。</p><p>条件を整理したうえで、それでも残った「好き」という気持ちを、自分なりの暮らし方の中へ戻していった。</p><p>今、このブログで「生活設計整理法」と呼んでいる考え方は、後から作った理論ではない。</p><p>名前が付くずっと前から、自分自身が試行錯誤の中で歩いてきた道を振り返り、言葉にしたものだ。</p><p>だから、このブログでシンガポールやタイ、マレーシアやインドネシアについて書くことはあっても、本当に伝えたいのは「どの国がおすすめか」ではない。</p><p>その国で、どんな暮らしができるのか。</p><p>その暮らしは、自分が大切にしたい条件と重なるのか。</p><p>そして最後に、それでも「ここが好きだ」と思える場所なのか。</p><p>その順番で考え始めると、「おすすめの国」は、人によって自然と変わってくる。</p><p>あの日、インドネシアへ行きたかった自分は、結果としてシンガポールへ渡った。</p><p>遠回りだったのかもしれない。</p><p>けれど、その遠回りがあったからこそ、今の自分は「どこに住むか」よりも、「どう暮らしたいか」を考えるようになった。</p><p>もしこの記事を読んで、「どの国が自分に合っているのだろう」と考えている方がいたら、一度だけ、その国の名前を横へ置いてみてほしい。</p><p>&nbsp;</p><p>仕事。</p><p>住まい。</p><p>家族。</p><p>安心感。</p><p>趣味。</p><p>教育。</p><p>老後。</p><p>&nbsp;</p><p>そして、どうしても譲れない「好き」という気持ち。</p><p>それらを一つずつ並べていった先に、自分だけの答えが見えてくるかもしれない。</p><p>私にとって、その始まりは、「本当はインドネシアへ行きたかった」という、少し切ない憧れだった。</p><p>&nbsp;</p><hr align="center" size="2" width="100%"><p>&nbsp;</p><p>今回書いたのは、シンガポールという一つの選択でした。</p><p>でも、このブログで考えていきたいのは、一つの国のことではありません。</p><p>同じ国でも、選ぶ場所が変われば、暮らしは変わります。</p><p>そして、その先には、一人ひとり違う「大切にしたい条件」があります。</p><p>東南アジアでのさまざまな経験を通して、そのことを、これからも一緒に考えていけたらと思います。</p><p>&nbsp;</p>
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<pubDate>Sat, 04 Jul 2026 21:26:05 +0900</pubDate>
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<title>東南アジア移住のルートマップ──「どの国がいいか」の前に考えたいこと</title>
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<![CDATA[ <h2>頭の中の地図が、少しずつ変わっていきました</h2><p><br><br>最初は、私も「どの国がいいのだろう」と考えていました。<br><br>シンガポール。<br><br>タイ。<br><br>マレーシア。<br><br>国ごとに情報を集め、比べれば、自分に合う答えが見つかる。<br><br>そんなふうに思っていました。<br><br>ところが、調べれば調べるほど、不思議なことが起こりました。<br><br>答えに近づいているはずなのに、むしろ迷いは増えていったのです。<br><br>「タイがいい」と思った翌日には、「いや、ホアヒンとチェンマイでは暮らしがまったく違う」と立ち止まる。<br><br>「マレーシアもいいかもしれない」と思えば、今度はジョホールバルとクアラルンプールでまた迷う。<br><br>一つ答えが見つかったと思うと、また新しい問いが現れる。<br><br>調べるほど選択肢は増え、答えに近づいているのか、それとも遠ざかっているのか、自分でも分からなくなっていました。<br><br>その頃からでしょうか。<br><br>私の頭の中の地図が、少しずつ書き換えられていったのです。<br><br>まず、「国」という単位だけでは考えられなくなりました。<br><br>タイといっても、バンコクなのか、ホアヒンなのか、チェンマイなのか。<br><br>マレーシアといっても、クアラルンプールなのか、ジョホールバルなのか、ペナンなのか。<br><br>同じ国でも、暮らしはまったく違います。<br><br>だから、自然と視点は「国」から「都市や地域」へ移っていきました。<br><br>でも、それで答えが見つかったわけでもありませんでした。<br><br>さらに調べていくうちに、今度は都市や地域という枠さえ意識しなくなっていったのです。<br><br>気がつくと、頭の中に並んでいたのは、国でも都市でもありませんでした。<br><br>ビザ。<br><br>税制。<br><br>金融インフラ。<br><br>教育。<br><br>医療。<br><br>生活コスト。<br><br>ペットとの暮らし。<br><br>暮らす目線で考える海外不動産。<br><br>街の空気。<br><br>文化。<br><br>日本との距離感。<br><br>まるで「国」や「都市」という箱がほどけ、その中に入っていた暮らしの要素だけが目の前に並んでいるような感覚でした。<br><br>そして、その一つひとつの条件を組み合わせながら、「自分はどんな暮らしをしたいのか」を考えるようになりました。<br><br>教育という切り口なら、シンガポールだけでなく、ジョホールバルやクアラルンプールも比較する。<br><br>老後という切り口なら、ホアヒンだけでなく、チェンマイやペナンも見てみる。<br><br>ペットと暮らすという切り口なら、入国制度だけでなく、住まい、動物病院、預け先まで考えてみる。<br><br>そうやって一つひとつの条件を見比べているうちに、いつの間にか気づいていました。<br><br>私が探していたのは、「どの国がいいか」という答えではなかったのです。<br><br>探していたのは、<br><br><b style="font-weight:bold;">どんな条件を重ねれば、自分に合った暮らしが見えてくるのか。</b><br><br>その組み合わせでした。<br><br>だから、このブログでは国を紹介することが目的ではありません。<br><br>シンガポールも、タイも、マレーシアも、インドネシアも、それぞれが東南アジアというフィールドを読み解くための一つの入口です。<br><br>本当に見ていきたいのは、その場所でどんな暮らしが成り立ち、その条件がどう変わり、どう組み合わさっているのか。<br><br>このブログは、私自身がそんな条件を一つひとつ整理してきた記録でもあります。<br><br>実際、一人で考えていると、途中で迷ったり、堂々巡りになったりすることもありました。<br><br>だからこそ、このブログでは、答えよりも、その答えにたどり着くまでの考え方や整理の過程を大切にしていきます。<br><br>もし、このブログを読み進めるうちに、「どの国がいいのだろう」という問いが、<br><br><b style="font-weight:bold;">「自分が大切にしたい条件は何だろう」</b><br><br>という問いに少し変わっていたとしたら。<br><br>あなたの頭の中の地図も、きっと少しずつ書き換わっているはずです。<br><br>------------------------------------------------------------------------</p><h2><br>次回予告</h2><p><br>次回は、私が海外生活を始めるきっかけになったシンガポールを振り返ります。<br><br>ただし、書きたいのは「シンガポールという国」の紹介ではありません。<br><br>私が暮らし始めた頃のシンガポールは、今とはずいぶん違う表情をしていました。<br><br>街も、暮らしも、外国人を取り巻く環境も、そして私自身がその場所に求めていたものも、25年という時間の中で少しずつ変わってきました。<br><br>だから次回は、「なぜシンガポールだったのか」という答えではなく、<br><br>「あの時代の東南アジアで、私は何を見て、何を比較し、なぜその場所を選んだのか。」<br><br>そんな「最初の選択」から、このブログを始めてみたいと思います。<br>&nbsp;</p>
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<pubDate>Sun, 28 Jun 2026 11:37:33 +0900</pubDate>
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<title>【序章】気づけば海外生活25年になっていました</title>
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<![CDATA[ <h1><span style="font-size:0.83em;">振り返れば、この25年は選択の連続でした。</span></h1><p>今、タイの自宅でこの記事を書いていますが、ここに至るまでには、シンガポールへの転職を皮切りに、住む国、働く場所、家を持つかどうか、そして老後をどこで過ごすかまで、何度も選択を重ねてきました。そのたびに情報を集め、自分なりに比較し、決断してきたつもりです。</p><p>しかし後になって、「あの選択は本当に正しかったのだろうか」と考えることも少なくありませんでした。そうした経験を通じて感じたのは、海外移住に唯一の正解はないということです。</p><p>だからこそ、その歩みを記録として残したいと思い、このブログを始めました。同じように悩み、迷いながら選択肢を探している方の参考になれば幸いです。</p><p>私が提供できるのは「答え」ではなく「判断材料」です。</p><p>&nbsp;</p><p>このブログでは、例えば次のようなテーマを取り上げていきます。</p><p>・永住権を取得した国から、なぜ再び別の国への移住を考えたのか。</p><p>・なぜマレーシアではなくタイだったのか。</p><p>・海外不動産は本当に買うべきだったのか。</p><p>・老後をどこで過ごすのが、自分にとって最適なのか。</p><p>そんな問いに向き合いながら選択してきた記録を、少しずつ残していきたいと思います。</p><p>もし同じような問いを抱えている方がいたら、このブログが自分なりの答えを見つけるための判断材料になれば幸いです。</p><h2>【次回予告】</h2><p>まずは次回、「東南アジア移住のルートマップ」で全体像をご紹介したいと思います。</p>
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<pubDate>Thu, 25 Jun 2026 17:50:27 +0900</pubDate>
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