<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?>
<rss version="2.0" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom">
<channel>
<title>gnatakのブログ</title>
<link>https://ameblo.jp/gnatak/</link>
<atom:link href="https://rssblog.ameba.jp/gnatak/rss20.xml" rel="self" type="application/rss+xml" />
<atom:link rel="hub" href="http://pubsubhubbub.appspot.com" />
<description>ここに書くことは全て私の主観的な意見です。日々思いついたことを一方的に書いているだけです。</description>
<language>ja</language>
<item>
<title>FXって儲かるんですかね？</title>
<description>
<![CDATA[ <p>よく言われていることですが、<font face="Century">FX</font><font face="ＭＳ 明朝">または投資、（投機？）の世界で成功するのは</font><font face="Century">20</font><font face="ＭＳ 明朝">％だとか。</font></p><p>80<font face="ＭＳ 明朝">％の人は損しているとか。　そんなことが世間では言われています。</font></p><p>一説によると、<font face="Century">80</font><font face="ＭＳ 明朝">％の人は損をして傷を負った人達で、</font><font face="Century">10</font><font face="ＭＳ 明朝">％の人達は微妙に損している人達、利益を得ているのは数パーセントの人で、残りの数パーセントの人はトントン、損も得もしなかった人達。</font></p><p>こういう話を聞くと本当に厳しい世界だなと思いますよね。　でも何故か、ほとんどの人が自分は儲かる、または儲かるかもしれないと思って参加してくる。　　　まぁ、私もそうでした。</p><p>&nbsp;</p><p>それではもう少し考察してみようと思います。　ここからは私の勝手な私見です。</p><p>ほとんどの人達は儲かると思って参加してくるが、ある程度の損をして辞めていく人達が大半ではないかと思われます。　だから、現在進行形で参加している人達よりも大半はもうすでに参加していない人達、そういう人達が<font face="Century">80</font><font face="ＭＳ 明朝">％、</font><font face="Century">90</font><font face="ＭＳ 明朝">％のほとんど。</font></p><p>ようするに延べ人数はどんどん増えていく、その中で利益を得ている人達は残っているが、その他の人達は入れ替わり立ち代りと人数はどんどん膨らんでいく。　分母も増えていく、そうすると損をしている人の比率はどんどん増える。</p><p>そんな風に考えます。</p><p>&nbsp;</p><p>そうか、じゃあ、辞めないで続けていれば自分も儲かるんだ。　そう思ってしまいますか？</p><p>そんな簡単には儲かりませんよ。　</p><p>そもそも儲かるようになるまで続けられますか？</p><p>その間の収入はどうしますか？</p><p>その儲かるようになるまでの時間はどのくらいかかるかは人によって違います。どのくらいの期間がかかるかわからない。</p><p>その期間は他の職種のキャリアアップはできません。　人によっては兼業でできるのかな？</p><p>でも私のような不器用な人間には無理です。</p><p>もしも、何年もかかってしまったら？</p><p>しかもその何年後かに諦めてしまったら、何も残りませんよ。年月だけが過ぎているだけです。　日本みたいな社会だと年齢によっては再就職は難しいのでは？</p><p>&nbsp;</p><p>安易に参加していいのでしょうか？</p><p>でも、そうやって安易に参加していくる人々がいるから生き残っている人達の養分にもなっているのも事実でしょう。</p><p>&nbsp;</p><p>私は思います。厳しい世界だと思います。　でも、それは相場に限らず、勝負する生き方を選択したらどんな世界でも同じですよね。　相場で生きるということは勝負していくことですよね。</p><p>勝負事というと、すぐにギャンブルだと思う人もいますが、勝負とギャンブルは違う。</p><p>勝負して生きていくというのは他者にぶら下がらないということ。</p><p>自分のスキルを磨いて経験を重ねて生きていくことです。</p><p>そういう生き方を受け入れる人には最高の場所かもしれません。</p><p>&nbsp;</p><p>でも、簡単に勝っている人もいるのも事実だと思います。</p><p>ただ、大半の人はそういう人ではありません。</p><p>&nbsp;</p><p>だから、大半の普通の人にとっては相場に参加するということは、どのように生きますか？　ということだと思います。　</p><p>けして大げさなことではなく、そういうことだと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>一度の人生。　ご自分のお好きになさればよろしいかと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/gnatak/entry-12692049447.html</link>
<pubDate>Fri, 13 Aug 2021 22:41:22 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>どのような景色を見ていますか？</title>
<description>
<![CDATA[ <p>さて、あなたにはどのような景色が見えているのでしょうか？</p><p>それはあなたが見ている景色であって、私にはわからないのです。</p><p>そうです、たとえ同じものを見ていても見えている景色は人それぞれなのだと思うのです。</p><p>また、話していることも同じです。同じ言語で話しているのに、全く意味が通じていなかったり、通じていると思っていても完璧には通じてはいない。</p><p>&nbsp;</p><p>でも、そうは言ってもおおまかには同じ方向を見ている状況があります。それはトレードでも実生活でも多々起きていることです。</p><p>&nbsp;</p><p>それはどのような時なのかを考えてみます。</p><p>&nbsp;</p><p>同じ事柄を欲した時、または各々の欲を満たすものが同じ方向にあると認識した時。</p><p>言い方は悪いが分かりやすく言うと、同じ餌に飛びついた時。</p><p>&nbsp;</p><p>そのような時に同じ方向を見ているのではないかと考えます。</p><p>ようは同じ方向を見たいから見ているわけでは無く、ただ、同じ方向に各々の欲望を満たしてくれるものがあると感じているから同じ方向を見ている、そんな風に思います。</p><p>&nbsp;</p><p>でも、そんな時にも違う方向から見ている人もいる。みんなが同じ方向を見ている時に、そんなみんなを違う方向、違う場所から眺めている人もいると思う。</p><p>&nbsp;</p><p>トレードにおいては、そういう人が生き残っていくのだと思う。</p><p>では、そういう人はいるのか？　いると思います。</p><p>たまに聴く話では、最初からうまくトレードしていく人もいるそうです、水を得た魚のように。　私も、たぶんそういう人はいるのだと思う。　</p><p>そんな人が本当にいるのか？　などと思った人は、最初に紹介した話を理解できていない人だと思います。　そう、私と違う景色を見ている人はいるんですよ。　いや、全ての人が私とは違う景色を見ている。　でもその中に、まったく違う次元でその景色を見ている人はいるんです。</p><p>&nbsp;</p><p>では、トレードにおいてそのような人しか勝てないのか？　私はそうだと思う。</p><p>だから、自分がそういう人じゃないなら、そういう人にならなければならない。　ようは自分を変えるしかない。だから、しんどい。物凄くしんどい。</p><p>&nbsp;</p><p>では、”水を得た魚”では無い人が、トレードの世界での自分を変えるために何をするのがいいのかを考えてみます。</p><p>たぶん、自分のスタイルの方法をとことん学んで失敗を繰り返すしかないと思う。</p><p>ファンダでトレードする人は、とことんファンダメンタルズをもとにトレードすることを学び失敗を繰り返すしかない。</p><p>テクニカルでトレードする人は、テクニカルを学び失敗するかない。</p><p>テクニカルでも色々あり、それこそチャート自体がテクニカルなわけだし、移動平均線、ＭＡＣＤ、ストキャス、ＲＳＩ、ボリンジャーバンドなどなど、まだまだ沢山ある。　その中から自分が使う武器を手に持ちとことん使ってみるしかないのでは。</p><p>私の場合は、ほとんどローソク足しか使いませんが、それでも四六時中ローソク足を見続けています。</p><p>最初の頃はいくら見ても何も見えなくて脳がオーバーヒート状態になり気絶するように眠ってしまいました。</p><p>それでも続けていると見えてくるものがある。</p><p>前述したように、みんなが見ている様を自分は別の場所から眺めている、そんな感覚になる瞬間がある。そのように思えるようになってきます。</p><p>&nbsp;</p><p>ほとんどの人が、それぞれの欲を持ち、それを叶える、手に入れるために何とかしようと努力するのだと思う。　でも、全ては生き残って初めてその場所に到達できるもの。だから、生き残ることを最優先で意識するべきではと私は思います。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>まずは、欲望と期待があり、それが絶望に変わる。　この繰り返しがチャートを形作っている。　最近はそんな風にも思います。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/gnatak/entry-12691343255.html</link>
<pubDate>Tue, 10 Aug 2021 03:10:48 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>トレードのコツ</title>
<description>
<![CDATA[ <p>トレードで勝っていくコツはなんだろうと考える。</p><p>&nbsp;</p><p>色々あるのだろうが、私は、自分のできることだけをやること、そえ以外はやらないこと、それとメンタルコントロールだと思う。この二つは相関関係にあります。</p><p>&nbsp;</p><p>自分にできることとは、自分が見えていることであり、自分がわかっていること、理解できていることです。</p><p>&nbsp;</p><p>自分に見えていることとは、現在目の前にあり自分が見ている事実である。それを見てエントリするか、しないかを判断すればいい。　しかし人間は時として見えていないものを見るものだと思う。自分の勝手な願望をそこに投影して勝手なイメージを現実と錯覚して見てしまう。その結果、エントリしてから違ったということになる。</p><p>&nbsp;</p><p>自分でわかっていることとは、自分の得た知識に経験が加わりわかったという確証になったことだと思います。　でも時として勝手に分かったつもりになる時があると思います。目の前の現象を自分の知識経験で説明できないことを無視して、ただわかったと思ってしまう時がある。これをやらなければいいのだと思う。</p><p>&nbsp;</p><p>メンタルと言うと、メンタルを強くするとか、そういう風に捉える方が多いと思います。たぶん、それでもいいのかもしれませんが、私の私見ではメンタルとはコントロールできるものだと思っています。　ようするにコントロールできるまで理解するということです。　沢山の知識を学び経験して沢山の失敗をして自分で学ぶ。　そうやって確証を得た事柄ではメンタルをコントロールできるのではないかと思います。　</p><p>わからないことに対してメンタルを強くもつことなど出来ません。もしそれでも無理にメンタルを強く持ったつもりで望むとしたらそれは一か八かの博打ではないかと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>以上はあくまで私の私見であり、これが正しいかはわかりません。</p><p>ただ、これが誰かのヒントまたはきっかけになればと思うのと、私自信への再確認です。</p><p>トレードは孤独な闘いですからね。</p><p>&nbsp;</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/gnatak/entry-12690086576.html</link>
<pubDate>Tue, 03 Aug 2021 10:21:29 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>形と値</title>
<description>
<![CDATA[ <p>特に最初のころはそうなのだが、どうしてもチャートの形にばかり目がいってしまう。どういう形になれば売りか？買いか？　</p><p>でもそれだけでは継続して勝てない。</p><p>今は値を重視して見るようにしている。今の状況はどの値から発生しているのか？どの値をこなしてきているのか？</p><p>同じ<font face="Century">W</font><font face="ＭＳ 明朝">や</font><font face="Century">V</font><font face="ＭＳ 明朝">それから</font><font face="Century">N</font><font face="ＭＳ 明朝">でも、現在のポイントがどの値を通過して、または跳ね返されてきたポイントかによって意味合いが違ってくる。</font></p><p>これを常に意識できているかが重要である。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/gnatak/entry-12655548867.html</link>
<pubDate>Tue, 09 Feb 2021 08:50:10 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>月曜日</title>
<description>
<![CDATA[ <p>月曜日は比較的にトレードの調子が悪い。</p><p>考えられる原因。</p><p>まずは、新しい週という意識のせいか心機一転ムードで前のめりになりがち。</p><p>次に、週末を過ごすことで感覚が現世に引き戻されている。</p><p>一つ目の原因は最近はほぼ無い。　以前はいつもの現象だった、ひどい時にはこの感覚にずっと捉われた。特にこれでトレードを連発して損が積み上がると週をまたいで引きずる。そんなことは茶飯事であった。</p><p>二つ目の原因は最近、ちょいちょいある。これは自分でも意識できているので気を付けているのだが、どうしても感覚が戻らない。連敗などすると戻るのである。それなら最初から気を付けているのだからわかりそうなものだが、連敗しないと気が付かないことがある。</p><p>まだまだだなぁ～。</p><p>まだ、わかったつもりの部分が多いのだろうなぁ。</p><p>もちろん、全てをわからないのは理解できているつもりだ。しかし、それでももっとわからないと。もっと相場に近づかないといけないな。</p><p>ティエリア　アーデがヴェーダとリンクできていたように、相場にリンクできたら最高なんだけどな。でも、それは永遠に無理だしな。</p><p>&nbsp;</p><p>ここ最近で、文章を書くことの重要性を再確認した。　やはり、自分の思考と行動を言語化することは人間が進歩するのにとても有効なことなんだな。　その文章を後で読むかどうか？はどうでもいい。　肝心なのは文章を書きながら言語化することによって、より理解が深まる、見えていないかったことに気づくことができる。　これはとても大事な行為だと思う。　</p><p>私は昔から記憶力に自信があったせいかメモを取るという習慣がなかった。それでそこそこやってこれたので始末に悪い。でも、そういう方は結構いるのではないでしょうか？　そういう方にはこれはお勧めです。なんでも文章にしたほうが絶対に効率が良いです。　これからもどんどん言語化していこうと思います。</p><p>今更、こんなことを言っている自分は大丈夫？　って感じなのかな？</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/gnatak/entry-12654076372.html</link>
<pubDate>Tue, 02 Feb 2021 07:12:56 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>リカク　どこまで利を伸ばせるか</title>
<description>
<![CDATA[ <p>利確について考えてみる。</p><p>どこで利確をするのか？　</p><p>○○ピップスを目標とするのか？　チャートの節目までを目標とするのか？　それとも、押しまたは戻しが発生するのを待って、そこで発生したサポレジを利確または損切りにする？　またはトレーリングストップを入れて後は運任せか？</p><p>どんなトレードでも○○ピップスを目標とするのは私的にはあまり現実的ではないように思う。相場環境によってそこまで伸びる時と伸びない時があるのは最初にある程度想定できるだろうし、要するに○○ピップス伸びる確率というのが想定できるはずである、であるならばエントリーの段階で勝敗確率もわかるわけで、エントリーするか？　しないか？　の問題になるのではと思ってしまう。</p><p>エントリーしたら何が何でも利大を追及というのは危険である。　とはいうものの最初はやはりエントリーの仕方にこだわってしまう。それでそれがうまくいくと、せっかくエントリーできたのだから少しでも大きく利を取りたいと思ってしまう。</p><p>しかしそういう自分勝手な思惑は相場には全然関係なくて伸びるところまでしか伸びない。</p><p>それならば最初に目標値をイメージしてエントリーすればいいわけである。いわゆる損小利大になる時のみエントリーすればいいとなるわけで。　なるほどそういう時だけエントリーすればいいのね、　でうまくいく。　と、そんなに単純ではない。　いや、現実にはそんなに単純なものなのだろう、しかしその単純な領域に到達するまでは単純じゃない多くのコトがあると思う。その道をたどって、余計なものを捨てさり、または封印して必要なものだけを残していく作業をして単純になるのではないかと思う。</p><p>ではそれがどういうことなのかと言うことの一部を考察してみる。</p><p>例えば5<font face="ＭＳ 明朝">分足または</font><font face="Century">10</font><font face="ＭＳ 明朝">分足や</font><font face="Century">15</font><font face="ＭＳ 明朝">分足でもいい。大体デイトレードではこの辺を使うと思うが、これらのチャートを見てエントリーを待つ、要するに波を待つわけである。そこでタイミングがきたらテイクオフ（エントリー）するわけである。そしてこの時に損切りポイントは認識してそこに逆指値なりを置き波に乗っていくわけだが、では目標値は？となる。</font></p><p>そのチャート上で目標値が見える場合もあるが見えない場合もある。　その時に、後はチャートの動き次第で決済しようと思ってする人もいるでしょう。それでうまくいっている人もいると思う。</p><p>しかし私の場合はそんな先が見えない状態でそもそもテイクオフできない。暗闇の海に放り出されるのはごめんである。</p><p>ではどうすればいいのかと考えれば、もっと大きな足、<font face="Century">1</font><font face="ＭＳ 明朝">時間足、</font><font face="Century">4</font><font face="ＭＳ 明朝">時間足、</font><font face="Century">8</font><font face="ＭＳ 明朝">時間足、日足、を使えばいいわけである。そうすればどこを目標値にできるかが見えてくる。</font></p><p>ようするに自分がどの波に、もっと言えばどの大きさの波に乗り、その波のどの地点まで乗るのかということを認知して、そのためのエントリーを目指し、あとはどのくらいのリスクが発生するエントリーが考えられるのか、ようはどのくらいの損切り幅が発生するのかを認識して対応を講じることでいいのでは。</p><p>もちろん大きな波になればそのサイズでのリスクは大きくなるが、その中で小さいリスクを探す方法もあるだろうし、大きな波の中にある、中くらいの波または小さな波の利を取りに行く方法もあると思う。</p><p>こう書いていくととても単純でいとも簡単にできそうに感じるが、それぞれの波の中の現場では色々な物語が描かれていく。それは私が人間だからである、人間ゆえの感情、欲とそれに付随してくる恐怖が様々な幻想の物語を発生させるのである。</p><p>次はこのこともふまえて細かく考察してみたい。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/gnatak/entry-12642715608.html</link>
<pubDate>Tue, 08 Dec 2020 07:02:55 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>絶望の向こう側</title>
<description>
<![CDATA[ <p>これはあくまでも私のケースである。</p><p>&nbsp;</p><p>もちろんスマートにトレーディングをこなしているトレーダーはいるのだと思う。水を得た魚のように相場を泳いでいく人がいるというのを聞いたことがある。　たぶんその通りだと思う。これはひがみや羨ましさから言っているわけでもない。　自分でここまでやってきてそう実感するのだ。</p><p>&nbsp;</p><p>さて、私の場合はというと、そういうわけにはいかなかった。</p><p>何度も何度も打ちのめされてきた。</p><p>最初のころはブログなどを読み漁りどうやったら勝てるのかと探し回った。　そこで覚えた手法らしきもの、例えば誰かがＶ字を自分の鉄板パターンとか書いていれば、そうかぁＶ字かぁと、一生懸命にチャートにＶ字を探してエントリーしてみる。結果は損切り。Ｗボトムを待つべきという記事を見つければ今度はそれを追いかける。　ただし、このころは少しは知識も付いてくるので過去検証などもやってみる。　そしてなるほどと思えるる。　これだな。などと学べた気になる。その過去検証さえも自分勝手なバイアスがかかっているのも気が付かずに。。　</p><p>　それで実践で試して、たまたまうまくいくことが一度あれば、その後は損切りの山である。　なまじチャートパターンの知識も付いてきたので、その間もちょいちょいと、なんとなくこれはいけるだろうという、だろうトレードを繰り返し。またはここまでは行くだろうと、まただろうトレーダーだ。　そしてじわじわと資金がとけて、なけなしの貯金を切り崩しては入金。</p><p>それで今度こそはと真剣に（自分的には）チャートを探求して勝てる方法を探る。それでなるほどと思い。　それでも損切りの山を作る。　それでも、やはりそうだったのかぁと気づきを得られるからやめられない、辞める気にならない。</p><p>それでも損切りだけが積もり積もっていく。　ここまでも絶望感は何度も味わってきたつもりだったが、、、</p><p>でも、少しづつわかってきた、私自身が原因なんだということ。　私という人格がダメなんだということ、このままではいつまでも勝てないということ。　そしてその自分の修正がなかなかできないという事実。　ここで本当の絶望を味わった。　それも何度も。</p><p>&nbsp;</p><p>元来、私は自分に都合良く物事を見る性格だ、それをポジティブとか自分で思い。他人にもそう言われてきた。　実際、それで社会でもそこそこやれてこれたわけだ。　自分で事業を起こし組織を運営してきた、でも倒産破産を経験した。　その時ですら意味不明な前向き感を持っていたと思う。　たしかに色々と学んだつもりだったが、自分の本質的なものは何も学んでいない、気づいてもいない。それで来てしまった。</p><p>&nbsp;</p><p>相場からとことん自己否定されて、否応なく自分の性質を無理やり自覚させられた。　とてもしんどいことだ。　自分のダメさ加減とか生易しいものでは無い、自分の本性と向き合わせられる。</p><p>私にとってトレードで勝つとは、自分を覚醒させることだったと思う。　非常に苦しい作業だ。</p><p>私のトレードノートには、その時に自分は何を感じ何を思い、そしてどう考えたか、考えなかったか、その結果どう行動したかを書き込んでいく。　そして自分という人間をそこにあぶり出していく。　手法とかチャートパターンとかよりも、そこで行動してしまった自分、行動できなかった自分。　その自分という人間を記録する。　そして自分という人間の性質を理論化し、その何が問題だったのかをあぶり出す。　そしてそれを自分に認識させる。それを繰り返しやってきた。</p><p>他の人はどうだかわからないが、私はそこまでいかないと勝てるようになれなかった。</p><p>&nbsp;</p><p>自分という人間の負を認識してそれを飲み込み覚醒する。　　それが絶望のこちら側にあったことだ。</p><p>&nbsp;</p><p>私みたいにトレードに向いているわけでもなく、器用でも無い人間はそこまでしないと勝てない。それでも勝ちたかった。</p><p>&nbsp;</p><p>ジョージソロス氏の著書にこんな一文があった。</p><p>「私はファンドマネージャーになっていなかったら哲学者になっていただろう。」</p><p>&nbsp;</p><p>相場には哲学が必要なのだろう。</p><p>相場に限らず、私は生ある限り哲学をもって生きていきたい。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/gnatak/entry-12633722022.html</link>
<pubDate>Sun, 25 Oct 2020 07:46:50 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>向き　不向き</title>
<description>
<![CDATA[ <p>トレードに向き不向きがあるのか？</p><p>&nbsp;</p><p>あると思います。　というよりもトレードに限らず何にでも向き不向きはありますよね。</p><p>子供のころの少年野球でも物凄くうまい子がいました。まぁ、そういう子は凄く練習もしていたと思います。　でもがむしゃらに練習しているわけでも無いのにそこそこかなり上手い子っていませんでしたか？</p><p>絵を描くことなんかもそうですよね。字を書くことすらそうじゃないですか。センスがあるなぁ。ということなのでしょうが、要するに向いているんですよね。</p><p>トレードも同じじゃないでしょうか。　要はどんなものにも向き不向きがあるわけですよね。</p><p>&nbsp;</p><p>では、向いていない人はトレードで成果を残すのは無理なのでしょうか？　</p><p>私は無理だとは思いませんでした。ただ、向いている人の何千倍も努力が必要だろうとは思いました。</p><p>自分が不向きな人であれば、普通の人の何千倍、向いている人の何万倍の努力が必要なんじゃないでしょうか。　</p><p>&nbsp;</p><p>ブログなどを拝見していると、会社勤めをしながら兼業でそこそこ勝てているという方がたまにいらしゃいます。　凄いなぁと関心しています。　私はたぶん無理だと思います。今なら可能かもしれませんが、兼業でトレードしながら勝てるようになるなんて私にはなかなか難しかったのではないかと思います。ようするに私は不向きな人間なんだと思います。</p><p>それでもどうしてもトレードで勝てるようになりたかった。　そしたら答えは一つだけです。トレードを理解できるまで探求を続けるしかないわけです。</p><p>普通にお勤めして得られるリターンよりも大きなリターンを取りにいくわけですから、相応の時間と幾多の壁があるのは当たり前じゃないでしょうか。　私みたいな不向きで不器用な人間には兼業でそれを極めるなんてとても無理で、専業で四六時中チャートを通して相場に向き合いたいわけです。</p><p>そうすると、その期間は当然収入源になるわけで、当然のことで外食やお出かけなんか控えちゃうわけです。　とにかく無駄にお金は使えない、だってどこまで資金を減らしていくかが見えないわけですから。</p><p>しかもここが一番怖いところかもしれませんが、それで結果がでなければそこまで費やした時間、〇年なのか〇ヶ月なのかはわかりませんが、まったくの無駄な時間になるわけです。　厳密に言えば無駄ではないのですが、一般社会、特に日本の社会には一つも有効性がない時間になるのではないでしょうか。　ようは社会的にはなんのキャリアにもならなく、年齢だけとっていくというわけです。</p><p>はたしてそこまでの覚悟でトレードを続けられる人がどのくらいいるのでしょうか。</p><p>&nbsp;</p><p>私は思います。どんなに不向きで不器用な人でも本気でやり続ければ結果がでると思います。ただ、それがいつのなかは分からない。そうなるとそれを続けられる人はどれだけいるのでしょうか。　</p><p>それが相場で生き残れるのは数パーセントといわれることになってしまうのではないでしょうか。　本気で取り組んで先の見えない恐怖の中でも自分のことを信じられた人が数パーセントに入り、やってはみたけどやっぱりだめだぁと退場していく人がその他大勢ということになるのではないでしょうか。</p><p>&nbsp;</p><p>子供のころ同級生でこんな子がいました。</p><p>運動神経はあまり良いほうでは無く少年野球に入ってもぱっとしない子でした。ようは万年補欠です。</p><p>でもその子の中である時から何かが変わったようです。それか父親が主導したのかもしれませんが、物凄く練習をし始めました。それも少年野球チームの練習ではなく、父親と二人で団地の下の広場で毎日毎日、それも投手のピッチング練習のみです。</p><p>その後、その子はチームのエース投手になりました。剛腕投手です。ポジションはピッチャーのみです。ひたすら投げるのみですが、なにしろ剛腕なので地域でも有名な投手になっていきました。</p><p>私はそれを横でみていたので、なるほど努力は報われるのだなぁと思いました。ただ、半端じゃない努力だったよなぁとも同時に思ったものです。</p><p>&nbsp;</p><p>相場でも同じことが言えるのではじゃないか思います。向いている人、センスの良い人はきっと兼業でも勝てているのでしょう。　それに実際、短期間で億トレーダーにもなってしまう方もいるのだと思います。</p><p>でも不向きだった私のような人でも諦めるという言葉を投げ捨ててしまえばなんとかなるのではないでしょうか。</p><p>ルビコン川を渡るという覚悟はいるのではないでしょうか。</p><p>まぁ、気軽にやってみてダメならいいや、うまくいけばラッキーくらいの感じでやるのもありなのかもしれませんが、それは人それぞれ勝手な話です。</p><p>&nbsp;</p><p>ただ、私がここまでしつこくトレードを続けたのも、あの子が剛腕エースになれたことを知っていたからかもしれないなぁ、、、　　とか思いました。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/gnatak/entry-12632807969.html</link>
<pubDate>Tue, 20 Oct 2020 21:42:54 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>真実、改め幻実？</title>
<description>
<![CDATA[ <p>これは私の主観的な意見です。</p><p>&nbsp;</p><p>真実と事実は同じか？　こんなことを思いました。　というよりも私は以前より巷にある真実という言葉に違和感を感じていました。　ということで調べてみました。</p><p>私が読んだ解説によると、真実とは本当のこと、まことのこと、とありました。そして人それぞれに複数存在することもあるとありました。また、他者との関係性を前提に皆で共有できることで社会性を有する事柄を真実と言うともあります。そしてまた、個人的な範囲で他者と一致していなくても個人的な主観という範囲の合意で真実になることもあるが、他者との社会性の関係性の中で個人的な主観が許されない場合は真実とはならない。ということである。</p><p>&nbsp;</p><p>では、事実とはなにかというと、実際に起こったこと、存在することと。と言うことです。</p><p>&nbsp;</p><p>まぁ、違った意見もあるのかもしれませんが私は以上のこの説明をなるほどと思いました。</p><p>&nbsp;</p><p>ようは真実は個人によって違う事もあり、また、共有していている社会の皆の解釈しだいであるわけだ。世の中でたまに聴く解釈の変更なるものでいくらでも変更可能でもありえるという事なのでは。　私はそう理解しました。</p><p>日ごろから○○の真実とか、真実のなんちゃら、という言葉に違和感というか嫌悪感を感じていた私にはなるほどねという感じでした。</p><p>まぁ、私もそうとうのあまのじゃくですが。</p><p>&nbsp;</p><p>ならば単純に実際に起きていることである事実のほうが私は信用する。</p><p>そう思います。</p><p>&nbsp;</p><p>そうなると相場には真実なるものは無いと私は認識します。</p><p>ようはそこには事実しかないのです。　もっと言えば、欲と恐怖でおのおのが勝手に見た真実に突き動かされて起こした結果の事実が存在していく。その繰り返しのような気がします。永遠に事実が続いていく。真実という幻実に突き動かされた者達の作りだした絶望が散乱して、事実を拾い続けた数パーセントの賢者が存在しているだけ、それが相場の世界のような気がするのです。</p><p>あくまでこれは私の勝手な理解です。</p><p>&nbsp;</p><p>私が昔から好きな作家の塩野七生さんの本にあった一文です。</p><p>ユリウスカエサルが残した言葉だそうです。</p><p>&nbsp;</p><p>「人間ならば誰にでも、現実の全てが見えるわけではない。多くの人たちは、見たいと欲する現実しか見ていない」</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>相場に限らず世の中全てがそうなのではないでしょうか。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/gnatak/entry-12631332839.html</link>
<pubDate>Tue, 13 Oct 2020 21:58:34 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>チャートパターン</title>
<description>
<![CDATA[ <p>以前の私はチャートを見る時にチャートフォーメーションばかりを見ていた。</p><p>&nbsp;</p><p>こういう形になればエントリーだとか、そういう鉄板チャートパターンがあると思っていた。</p><p>それを探し当てれば、きっと勝てると思っていた。なので同じ形のパターンを探して、どれが一番確率がいいか？　とかそんなパターンを一生懸命探したり検証したりしていた。</p><p>でも、そんなことばかりをしていたせいか、今でもフッと気が付くと無意識にチャートパターンを見つけようとしたりしている。　とんだ後遺症だ。</p><p>&nbsp;</p><p>もちろん、チャートパターンで勝てている人もいるのだと思う。　なのでこれは私の話だ。</p><p>私もチャートパターンで勝てていた時もあった。でも継続して安定していく気がしなかった。</p><p>では、なぜチャートパターンで勝てると考えてきたのかを考えてみると、マニアル的なやり方で攻略できるとマーケットに対して間違った認識をしていたのだと思う。　たぶんこれは日本人的な考え方なのかもしれない。</p><p>何でもマニアル的な方法論で回答を導き出そうと考えるのが身に染みているような気がする。それはこの日本社会という環境で育ってきた人間特有の性質なのではないかと思うのだが、それとも私だけなのだろうか。</p><p>&nbsp;</p><p>とにかく、今はやっと新しい景色も見えるようになってきたと思う。</p><p>マーケットは不確実な世界だ、そこにあるのは利益を欲する人の欲望と、それに付随してくる恐怖だ。マニアルでは対応できないことだらけ。</p><p>これからも引き戻されないように気を付けなければ。</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/gnatak/entry-12627475601.html</link>
<pubDate>Fri, 25 Sep 2020 20:53:46 +0900</pubDate>
</item>
</channel>
</rss>
