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<title>gocci0324さんのﾌﾞﾛｸﾞ</title>
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<title>がんばっちゃ！宮城(Tomorrow is the first day.)</title>
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<![CDATA[ 昨晩、石巻で回されたメールです。<br><br><br><br>『被災地ケルンプロジェクト』<br><br><br><br>思いを残そう<br><br>足跡を残そう<br><br><br>私達は辛い体験をしました。でも、それを伝えていかなければなりません。<br><br>日本中に…<br><br>世界中に…<br><br>後世に…<br><br><br>被災地ケルン・プロジェクトは被災地に転がっている石でも、地元特産の石でも、何でもいいから、地元の人や被災地を訪れた人が石を積んで行こうという企画です。<br><br>みなさんは、ケルンをご存知ですか。<br>山に登るとき、先に登った人は１人１人、後から登って来る人のために『道標』として、石を積み上げていくのです。そうして、積み上がったものをケルンといいます。<br><br>では、被災地ケルンとは？<br><br>みんなが思い思いの石に、思い思いの言葉を記して積んでいくのです。<br>積み上げた石が、高く大きくなって行く毎に、一歩一歩復興が近づいていくのです。<br>被災地の、地域ごとにケルンが建って、そこを巡り歩くツアーができたっていいのです。<br>人が訪れる毎にケルンが大きくなって、ケルンが大きくなる毎に街が復興していくのです。<br><br><br><br>石巻を訪れる人達が、実際にボランティア活動をしてもいいけれども、ケルンを訪ねて、ケルンに石を積み上げていくだけだっていいのです。<br><br>誰にでもできる活動です。<br><br><br>門小の校庭<br><br>石に自分の名前を記しても、メッセージを刻んでもなんだっていい。<br><br>私達の積んだ石が、きっと復興に繋がる。未来に繋がる。<br><br><br><br>私達は絶対にあきらめない。<br><br>石巻は絶対に復活するんだ。<br><br><br>私達は絶対にあきらめない。<br>輝く未来が待っているんだ。<br><br><br>きっと変わる。<br><br>未来はきっと変わる。
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<link>https://ameblo.jp/gocci0324/entry-10966726818.html</link>
<pubDate>Wed, 27 Jul 2011 14:34:44 +0900</pubDate>
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<title>がんばっちゃ！宮城(We can make it better place.)</title>
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<![CDATA[ <br><br>そこには、かつて街がありました。<br><br>住む人がいて、生活がありました。<br><br>笑顔がありました。<br><br>幸せな日々、人の営みがありました。<br><br><br>目をつぶれば、思い出されます。<br><br><br>楽しかった高校生活…<br><br>笑いあった日々…<br><br>友と勉強に部活動に切磋琢磨しあった場所…<br><br>何度も何度も駆け抜いた階段…<br><br>夏休みにキャンプした海岸…<br><br><br>目をつぶれば、今でも浮かんできます。<br><br>尊敬する先輩達が卒業していくとき、紙テープを投げたり、クラッカーを鳴らして、教頭先生に居残りさせられたこと…<br><br>市内の女子高に、ちょっかいだしに行ってその高校の先生達に怒られたこと…<br><br>体育教官室に呼び出されたこと…<br><br>学校を抜け出し、街の喫茶店でサボってたこと…<br><br>校長室で説教されたこと…<br><br>イタズラばかりしてたっけ…<br><br><br><br>そんな大好きだった街が…<br><br>たった１度の、たった１つの津波で、全て飲み込まれてしまったのです。<br><br><br><br>あの日の津波が、街を、人々を、生活を、夢を、小さな幸せさえをも飲み込んだのです。<br><br><br>それは悪夢だったのです。<br><br><br>きっと何かの間違いだよね。みんなそう思いたいはずです。<br><br><br>言葉を失っていました。<br>ともちゃんなんか、また泣いていました。<br><br><br><br>『また来るからね！』<br><br>『ホントにありがとう！』<br><br>今回の活動で出会ったけんちゃん達は、その後も何度も来てくれました。<br>何度も来ては、私の教え子達と一緒に活動してくれ、今では、私を通さずとも情報のやり取りをしてくれたり、よく面倒を見てくれています。本当にありがたく思います。<br>チーム暁のＴシャツも、そんな大好きな彼らと一緒に着れたらと思い、作ったのがきっかけでした。<br><br>私は毎週末、欠かさずボランティア活動をしています。<br>それは、そこで心優しい人達に出会えるのも１つの理由になっているのかもしれません。
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<link>https://ameblo.jp/gocci0324/entry-10960319054.html</link>
<pubDate>Thu, 21 Jul 2011 09:37:32 +0900</pubDate>
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<title>がんばっちゃ！宮城(We can make it better place.)</title>
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<![CDATA[ 翌朝、けんちゃん達東京組と宿を出発しました。途中で教え子の高校生達も加わりました。けんちゃん達が前日にトラックで運んできてくれたものを支援センターというＮＰＯ団体の主催する支援物質の配給会場となる市役所前の広場に運びこみました。<br>そこで、団体の幹部の木村美保子さんと打ち合わせをしてから、間もなく配給が始まりました。<br><br>始まるや否や、ものスゴい人の数に圧倒されました。<br>同時期に、石原軍団も中央公民館で炊き出しをおこなっていて、そちらも人がいっぱいだと聞いたので、この頃は余程、物資が不足していたのでしょう。<br>２ﾄﾝトラック分の食料は、ものの数分で無くなりました。後から、他の団体によって物資が次々に運びこまれても、すぐに無くなります。<br>そんな状態で配給は午後３時まで続きました。<br>東京組はお昼過ぎに帰る予定でしたが、人手不足ということもあって、最後までお手伝い頂きました。<br><br>配給を終えた私達は、眼下に太平洋や北上川を見下ろし、遠く牡鹿半島や金華麗山を見渡せる日和山に行きました。<br>山頂までは会場から車で５分で到着出来ます。<br>駐車場に車を停めて、展望台まで歩いていった私達は、そこでまた凄惨な光景を見たのでした。
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<link>https://ameblo.jp/gocci0324/entry-10960294167.html</link>
<pubDate>Thu, 21 Jul 2011 09:28:12 +0900</pubDate>
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<title>がんばっちゃ！宮城(We can make it better place.)</title>
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<![CDATA[ その日の作業を終え、その夜は大崎市田尻に移動し『さくらの湯』という温泉施設の隣に併設する『ろまん館』という宿泊施設に東京組と一緒に泊まりました。<br><br>さき、あき姉妹とせいちゃんも合流し、みんなで１日中ヘドロまみれになって疲れきった体を温泉につけ、ゆっくり、本当にゆっくりと疲れた体を癒しました。<br>男の湯の方では、他愛のないBoysトークで大盛り上がりでした。当然、女の湯でもGirlsトークで盛り上がっていたのでしょうか…<br><br>とにかく、その日の作業は、初対面にもかかわらず、メンバー全員の絆を深めるのには十分こと足り得るものでした。<br><br>お風呂をあがると、もうとっくに夕食の時間も終わっていて、館内の食堂は閉まっていました。しかし、館長の好意で食堂内のお座敷を貸して頂き、そこで、ささやかながら、今日の慰労会をさせて頂きました。<br><br>宿まで帰る途中に私達はMANZO君の実家に寄ってきました。お母さんが持たせてくれた料理に舌を打ちながら、夜もすがら話が弾みました。<br>ずいぶん久しくなるなと感じたのは、腹の底から笑った事です。けんちゃん達の人柄のおかげでしょうね！ずっと凍てついていた心が融けていく感覚でした。<br>時折、震災時の話をすると、みんな真剣に耳をかたむけてくれ、涙してくれる場面もありました。<br><br>私にとって、忘れられない心地よい、それはそれはとても心地よい素敵な夜を過ごしました。
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<link>https://ameblo.jp/gocci0324/entry-10952126899.html</link>
<pubDate>Wed, 13 Jul 2011 11:11:32 +0900</pubDate>
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<title>がんばっちゃ！宮城(We can make it better place.)</title>
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<![CDATA[ 『まずは生活道路を確保しよう！』<br><br>渡波地区は、まだ大きな道路さえままならない状態でした。<br>ひしめき合うように並ぶ民家と民家の間を通る細い路地裏には、津波によって様々なものが流れ込み、歓ばれざる土産がまるで山のように置かれていったのでした。その惨々たる光景たるや…<br>殆ど、民家の庭と道路の境目は判別できません。殊更、避難所から戻ってきては自宅の片付けをする住民達によって自宅前に押し出された瓦礫が、さらに山を高くしていました。<br><br>田畑さんの指示で、すぐに私達は動き始めました。<br>まずチームを２つに分けました。やっと確保したばかりの人が通れる道ですが、まだ細過ぎて、人数が多すぎると反って作業の効率が悪くなりそうでした。<br>BoysチームとGirlsチームに分かれ、Boysチームは、けんちゃん、まーくん、MANZO君と私、それに後から来た他チームが加わり１０数名程で、埋め尽くされた道路に重機が入れる程の道幅を確保する作業に取りかかりました。<br>普段でさえ、車が一台だけ通れるような細い道です。そこを、車、柱やサッシ、工場から流されてきたパレット等が行く手を塞いでいました。それに加え、近くの水産会社から流されてきた大量のイカが腐り始め、どす黒いヘドロに混じりあい、何とも言えぬ臭気を放っていました。後に、この地区一帯は、ボランティア仲間達から、愛敬を込めて‘イカ天’と呼ばれることとなります。<br><br>キツい仕事でしたが、誰一人として不平を言う者はいません。むしろ、声を掛け合いながら、いい雰囲気で作業が進んでいきました。<br>時には全員の手で車を押し退かしたり、時にはバケツリレーでゴミを運んだり、急造のチームのわりには、息がぴったりでスムーズに進んでいきました。<br><br>『ガンバです！』<br>『うぃーっす！』<br><br>なんだか、昔懐かしい部活動を思い出すようなかけ声が響き渡ります。<br><br>その頃、Girlsチームはも別の現場で、確保した生活道路をさらに拡げる作業に取りかかっていました。<br>女の子にとっても決して楽な作業ではない筈です。しかし彼女らも明るく声を掛け合い作業に取り組んでいる様子でした。
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<link>https://ameblo.jp/gocci0324/entry-10945740933.html</link>
<pubDate>Thu, 07 Jul 2011 00:14:30 +0900</pubDate>
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<title>がんばっちゃ！宮城(We can make it better place.)</title>
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<![CDATA[ 開北橋を渡り牧山トンネルを抜ける道は渋滞していました。津波で押し潰された車や、家の中から運び出した水に浸った畳、家具、電化製品等が道路脇に山積みとなり、道幅を狭くしていたからです。<br>牧山トンネルを抜けて、渡波地区に出ると、情景はさらに一変しました。<br>津波に直撃された海側の道路を避けて、裏道である山側の道を進んだにもかかわらず、壁を突き破られた家、リビングルームに突っ込んでる車、庭に積み重なる瓦礫、田んぼにも、ごろごろと車や瓦礫や流されてきた倉庫などが転がっているのが見えます。<br>私は何度か見ている風景なので、もう見慣れているはずなのですが、それでも、いつ見ても胸が痛みます。まして、MANZO君達は、テレビでは見ていても、初めて生で見るその光景に言葉を失っている様子でした。<br><br>狭い道を、何度も対向車とすれ違うのを待ったり、待たせたりしながら、なんとか石巻女子商業高校につきましたが、だれもいません。隣の渡波中学校に自衛隊が待機しているのが見えました。<br>とりあえず聞いてみよう！<br>『今朝、ボラセンに行ったら、こちらに向かうように言われたんですが、何か聞いていませんか？』<br>『そういう話は聞いてないな』<br>今、思えば当時は、横の連携など取れる訳がなく、各々が現場に行って、とにかく出来ることをする。リーダーがいれば、その人に従い、みんなで作業する。ボラセンは、とにかく、やって来たボランティアを現場に投入する。それだけで手いっぱいの状況でした。<br>みんなで、手分けして田畑さんを探そう！<br>『こちらにはいないみたいです。』<br>『こちらにもそういう人は見えません。』<br>『いました。こちらに田畑さんという方がいました。』<br>みんなで、そちらに向かいました。<br>赤いジャンパーに赤いソックスで、瓦礫の上をポンポン身軽に飛んで移動しながら、近付いて来て彼が言いました。<br>『私が田畑です。よろしくお願いします。』<br>
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<link>https://ameblo.jp/gocci0324/entry-10928096138.html</link>
<pubDate>Sun, 19 Jun 2011 14:59:17 +0900</pubDate>
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<title>がんばっちゃ！宮城(We can make it better place.)</title>
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<![CDATA[ 緑の絨毯が広がる、目にも優しい、ここ東北内地ではとても美しい季節になりました。今日も気持ち良く晴れていて、学校から学校へ移動するときも、心はずむ気持ちで、ハンドルをきる手も軽やかでした。<br><br>暫く、仕事とボランティアに没頭し過ぎていて更新出来なかったこと、お詫び申し上げます。<br>今日は、少し前を振り返って、思い出に残っている事をお話しします。<br><br>～出会い～<br><br>４月１６日は自分のボランティア活動が大きく転換した日です。<br>MANZO君がまた来てくれました。<br>今度は東京の５人の友達と食料をめいっぱいに詰め込んだ２ﾄﾝトラックで駆けつけてくれました。<br>これまではずっと、塾生の各家庭や、自分の所属する少林寺拳法の支部からの支援を頂き物資配給をしてきました。今回は、物資の配給だけではなく、屋内にヘドロが入り込んでしまった民家の泥掻き作業が目的でした。<br>６人は、前日の夜に東京を出発し、東北道途中のSAで仮眠を取り、朝方に私の家に到着しました。<br>MANZO君以外は初対面です。<br>MANZO君の元同僚の『ともちゃん』、妹の『つかちゃん』、ともちゃんの幼なじみで旦那さんの『けんちゃん』と友達の『まーくん』、ご夫婦の同級生の『がなちゃん』<br>みんな長時間しかも夜の移動で疲れているだろうにもかかわらず、とても明るく、そして人懐っこい性格の方たちで、とても頼もしく感じました。<br>挨拶を軽く済ませ、一路ボラセン(ボランティアセンター)のある石巻専修大学に向かいました。<br>到着するなり、目に入ってきたのは、ものすごい数の人、人、車、そしてテントです。<br>もうすでに、こんなにも大勢の人達が日本全国、いや世界から駆けつけて、ボランティア活動をしてくれていたのか！逆に地元の人間なのに、遅れてきたようなバツの悪さというか、気恥ずかしさみたいなものを感じたのを覚えています。<br>前日に声をかけていた教え子で、今では社会人として頑張っている『サキ・アキ』姉妹と『せいちゃん』が先に待っていて、合流しました。三人とも、すでに一回ボランティアに来たことがあるとのことなので、むしろボランティア活動においては先輩です。<br>みんなでボランティアの登録をし、私だけボランティア保険に加入しました。というのは、東京組は、もうすでに東京を発つ前に加入してきたとのことでした。なんとも、スゴいやる気を感じました。<br>土曜日ということもあり、ボラバス(県外からボランティアしに来る人達を乗せたバス)が、どんどん現場へ出発していく中で、私達はボラセンからの指示を待ちました。<br>『足があるなら、渡波に行ってください。石巻女子商業高校に行けば、田畑という人がいますから、そこで彼から指示をもらって下さい。』<br>初めての参加なので、わけも分からないけれど、とりあえず行ってみよう！準備万端、私達はボラセンを出発しました。<br>
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<link>https://ameblo.jp/gocci0324/entry-10925622024.html</link>
<pubDate>Thu, 16 Jun 2011 23:47:30 +0900</pubDate>
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<title>がんばっちゃ！宮城(We can make it better place.)</title>
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<![CDATA[ 授業を再開して１週間が過ぎました。<br>昼間は働き、夜は被災地の友人達に支援物資を運んだり、ガソリンスタンドに並んだり、というような生活が続いていました。<br>その友人達から被災状況を聞かされ、徐々に『このままではいけない！』そんな思いが胸のうちに湧き始めました。<br>４月１日、父兄会を開き、各家庭から新品または新品同様の衣類を持ち寄ってもらい、それを、性別、年代別、種別に分けて、箱詰めしました。<br>その間、子供達は何も指示したわけではないのですが、自ら被災地の人達に送るメッセージを１枚１枚紙に書き綴っていたようです。<br>そして、その日の夜、東京からMANZO君が手伝いに駆けつけてくれました。<br>翌朝、‘あっきー’‘さっく’‘りっち’‘いっく’の新高１組と共に石巻の渡波小学校避難所に向かいました。<br>ちょうど、その日に石巻のNPO団体が配給を行うということで、一緒に参加させて頂きました。<br>道中、高校生達は初めて見る被災地の景色に言葉を失っている様子でしたが、避難所に着くなり、てきぱきと動いてくれて、とても頼もしく感じました。<br>
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<link>https://ameblo.jp/gocci0324/entry-10924215359.html</link>
<pubDate>Wed, 15 Jun 2011 17:29:40 +0900</pubDate>
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<title>がんばっちゃ！宮城(We can make it better place.)</title>
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<![CDATA[ ３月２２日は、私の塾でも授業を再開した日でもありました。<br>まずはとりあえず、小学生から中学生まで一同に集まってもらい、顔を見てから今後の予定を話すのが目的でした。<br>学校は始まったものの、今回の大震災の影響で３月２４日に修了式と延期していた卒業式を行い、４月８日に予定していた始業式と入学式は４月１５日に延期することが決まり、それまでは例年より長い春休みにするということでした。<br>ならばと思い、塾では春休み中はずっと、月曜日から金曜日まで、学校と始業時間も終業時間も同じにしました。給食の代わりに弁当を持参し、委員会も決めたり、体育の代わりに体を動かして遊ぶ時間も入れたり、できる限り学校の代わりになるように努めようと思いました。<br>始めてみると、少しずつ子供達の表情が和らいでいくのが分かり、親御さん達にも喜んで頂けたようでした。<br>また、何人かは家が遠くで、しかもガソリンが手に入らなくて送迎が出来ないという事情のある生徒がいて、送り迎えを私が引き受けることとしました。子供達には、できるだけ平等に学んで欲しかったからです。ただ、自分もそんなに余裕があるわけではなかったのに加え、我が家は相変わらずガスの復旧も済まず風呂に入れなかったので、何日かおきにお風呂のある施設まで通わなければいけなかったため、毎晩のように、ガソリンスタンドの行列に並び車中泊し、朝の開店で２千円分のガソリンを買い、それから生徒を迎えに行き、仕事場に行く、そんな生活が続きました。<br>疲れは溜まっていましたが、毎日、生徒達に会い、少しずつ笑顔が戻っていく様子を窺えるのが私の心の支えになっていました。
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<link>https://ameblo.jp/gocci0324/entry-10922161902.html</link>
<pubDate>Mon, 13 Jun 2011 15:47:25 +0900</pubDate>
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<title>がんばっちゃ！宮城(We can make it better place.)</title>
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<![CDATA[ ３月１８日、涌谷のある小学校の５年担任の先生から電話が入りました。<br>『ゴッチ先生、３月２２日から学校を再開します。そして、その日、３時限だけですが、授業もします。電話で子供達に何の勉強したい？って聞いたら、英語がいいって言うんですよ！なので、子供達が元気になる授業よろしくお願いします。』<br>『分かりました。やりましょう。』<br>とても感動しました。町内では、どこのうちでも施設でもまだ、水道も電気も復旧していない状態なのにもかかわらず、授業をしようという先生、学校に行って勉強したいという子供達がいるなんて！<br>当日、行ってみると、遠くから通ってる子で、親がガソリンがなくて車で送ることのできない生徒が１人だけ欠席していましたが、ほぼ全員元気に登校してきました。<br>教室に入ると、生徒達全員の、キラキラした瞳がこちらを向いています。<br>『Good morning,everyone!』<br>『Good morning,Mr.Gocci!』<br>その目は、（先生、大地震の後も僕たち毎日、元気にガンバっていたからね！）そう語りかけているように感じました。<br>健気な子供達を見て、思わず涙が出そうになりました。<br>その日は、子供達のストレスを少しでも取り除くように、いつもより多めに歌を取り入れたり、手足を動かしたり、教室内を移動したりするような授業に努めました。<br><br>後ほど、ボランティア仲間で高校英語の教免を持っている‘くまちゃん’と話をした時に、彼は『日本人って、英語を話す時、テンションが上がるんですよ！』と話していました。<br>なるほど、そうだなぁと思いました。<br>
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<link>https://ameblo.jp/gocci0324/entry-10920754918.html</link>
<pubDate>Sun, 12 Jun 2011 06:41:35 +0900</pubDate>
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