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<title>タックの異文化に挑戦「世界はおもしろい！」</title>
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<description>異なる文化に触れ、戸惑い、驚き、そこから新しい生き方を探る。世界の人々と友達になる。世界の国を訪ね、”KNOW-WHY”！新しい発見をみつけることは本当に面白い。世界はあなたを待ってます。チャレンジしようよ。</description>
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<title>ジョン万次郞と出会いの真相は・・・・</title>
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<![CDATA[ ジョン万次郞に興味を持ったきっかけは、実は友人の浜地道雄さんがニューヨーク在住のお嬢さんと共著した英語学習教材、「Melting Pot or Salad Bowl?」に接したことでした。<br>英語で多文化を考る大変良くできた易しく書かれた教材です。<br><br>その教材の内容は、「アメリカは人種のるつぼですか、それともサラダボウルですか」、を問うています。<br>ニューヨークがその良い例でしょう。<br>アメリカは多民族が混在する国家で、その状態は多民族が解け合って一つになっていますか、<br>（るつぼの中にある複数の金属が解け合って一つの物質になっている状態）それとも、よく観察すると解け合っているのではなく、混じり合っているだけですか、（ミックスサラダのように多種のものが混在している姿）。<br>みなさんはどう考えますか？<br><br>この教材のChapter 14に、「Starbucks and John Manjiro」を見つけました。ここにその全文をご紹介しましょう。スターバックスと万次郞について述べていますね。<br><br>Just the sound of the magical word “Starbucks” could leave some coffee lovers craving for caffeine. Since it was first founded in 1971 in Seattle, Washington, as a local coffee bean roaster and retailer, Starbucks has grown into the largest coffeehouse chain in not only the United States but in the world. If you are a frequenter of one of their cafes, you may be familiar with their special coffee blends and tasty frozen drinks. But do you know what the world “Starbucks” means? It is not just a whimsical word that simply sounds nice to your ears. <br>In fact, it is more closely related to fishing than to coffee!<br><br>  The name Starbucks comes from a character in Herman Melville’s1851 novel called Moby-Dick named Starbuck. In the novel, Starbuck is the young first mate of a ship named Pequod. Ahab, the captain of the ship, is known for his desire to catch the great whale Moby-Dick. Starbuck assists Ahab, but he is also known for his characteristics love of coffee. However, the world has had many coffee lovers. Why did this chain want to associate itself with this particular coffee lover, a man who worked on a whaling boat? The first Starbucks was in a fish market. Everything in the café had a nautical theme, including the logo. The Starbucks logo is a twin-tailed mermaid in Greek mythology known as a “Siren,” who seduces shipmen at sea with her beautiful and characteristics voice.<br><br>Whale hunting was quite as important industry as part of the American economy during the late 18th and early 19th centuries. Oil from whale fat was used in everyday life until petroleum was discovered. People lit their homes with the oil. The setting of Moby-Dick is around that time in 1850, which happens to be just before the Black Ship came to the coast of Japan and Perry urged the Japanese to open up the country to trading.<br><br>Born in New York in 1819, Herman Melville worked as a cabin boy on a New York-based ship since his youth. In January of 1841, Herman Melville joined a whaling ship named Acushnet, leaving America from the port of New Bedford, Massachusetts, towards the South Pacific Ocean.<br><br>In the same year on island of Japan, a 14-year-old boy, a son of a poor fisherman from Tosa Province (now Kochi Prefecture), boarded a ship that drifted in a storm and landed on as uninhabited island. He and his shipmates were rescued by a American whaling ship named the John Howland. The John Howland was based in New Bedford, Massachusetts, the same city Herman Melville left from. The other Japanese rescued by the John Howland left the ship in Hawaii, as Japan was still isolated. The boy, nicknamed John Mung, however wanted to stay with Americans and went to the United States to become a whaler in the South Seas.<br><br>Yes, that was John Manjiro (or Nakahama Manjiro). He returned to Japan in 1851, the year when Herman Melville released his novel Moby-Dick. John Manjiro became as important translator and mediator during the opening of Japan.<br><br>It is fun to imagine Melville and Manjiro meeting each other during one of their many whaling trips. Who would have ever guessed this strange connection between a popular coffee shop and a historical character from Japan!  The next time you go to Starbucks for a cup of coffee and a little time to chat, impress a friend with this interesting trivia!<br><br>(cited English Textbook “Melting Pot or Salad Bowl? Eye-opening Facts about the U.S.A.” chapter 14 by Eri and Michio Hamaji, 2008. Jan)<br>「意外と知らないアメリカン・ライフ」英語教材から、浜地絵里、浜地道雄　著、第14章を引用。<br><br>歴史と文学の交点にジョン万次郞があるかもしれないと考えたとき、我慢できずに万次郞を追っかけ始めました。そして、すでに掲載しているいくつかのエッセイになりました。<br><br>この出会いの中に未知の世界がいっぱいあることに気付きました。「事実は小説より奇なり」かもしれません。<br>
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<pubDate>Tue, 03 Dec 2013 22:14:06 +0900</pubDate>
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<title>ジョン万次郞の使った英語から得られること。</title>
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<![CDATA[ ジョン万次郞が苦労して習得した英語は、どんな英語だったのでしょうか。<br>グローバル人にとっては大変興味がありますね。<br><br>ところで、2013年11月６日NHK総合テレビ午後10時からの55分間「歴史秘話ヒストリア、今こそ！ジョン万次郞」の番組で、ジョン万次郞のことについて詳しく放映されたことをご存じですか？<br><br>このエッセイでもジョン万次郞のことを追っかけてきました。偶然かもしれませんが、NHK放映より先にエッセイを書き上げすでにこのフェースブックに上梓していたので内心ホッとしています。<br><br>ここでも紹介したマギー・プロイスの小説「Hart of Samurai」が番組で多くのアメリカの子ども達に読まれていると紹介されました。前号のエッセイでその小説の原本「Hart of Samurai」と翻訳本「ジョン万次郞、海を渡ったサムライ」金原瑞人【訳】を写真付きで紹介しました。是非、原本と訳本を読み比べてみてください。心に響くものがあると思います。<br><br>驚いたことに万次郞は大変絵が上手だったようです。「Hart of　Samurai」に挿入されている万次郞が描いた多くのスケッチには驚かされます。これらの絵は万次郞が日本語で説明をつけているので読者の理解を助けてくれます。<br><br>さて、彼が話した英語について少しお話ししましょう。<br>わたしが最初に手にした万次郞の英語は、“中濱万次郞譯「英米對話捷径」安政巳未晩秋　知彼堂蔵版”の復刻版でした。<br>英語の対話例文集で「英米対話捷径（えいべいたいわしょうけい）」です。<br><br>はて、今日の学校で学ぶ英語と万次郞が覚えた英語はどんなに違うのでしょうか。<br><br>貧乏漁師の家に生まれ魚捕りのことしか知らなかった万次郞が仲間と太平洋を漂流し捕鯨船ジョン・ハウランド号に助けられた、その時からホイットフィールド船長たちとコミュニケーションギャップの戦いでした。そのような環境のなかで最初に覚えた英語は「ブロー」だったようです。<br><br>はるか遠方で潮を吹き上げる鯨を目視で捉え、皆に大声で知らせる信号が「ブロー」だ、と知りました。その言葉を繰り返し聞いているうちに「鯨が潮を吹くことをブローと言うんだ」と推測するようになりました。マストの上の見張り役は沖に鯨を発見したとき、「She blows!」（鯨がいたぞー！）と叫んでいるのをみて真似たのでしょう。<br><br>このように「英米對話捷径」には、彼が聞き覚えた多くの英単語や英会話をカタカナで発音し翻訳を付けています。<br><br>万次郞が捕鯨船で最初に英語に接し、船旅で徐々に英語が上達していく過程が、マギー・プロイス(Margi Preus)著の「Hart of a Samurai」に実に見事に描写されています。このときの万次郞の心中を思うと英語の出来ない私達が見知らぬ国を訪ねたときの心細さに似ていたかもしれません。留学であってもビジネスであっても初めての外国訪問は誰もを不安にします。<br><br>幸いなことに万次郞は絵が上手でしたので、言葉が出来なくても絵を描いてコミュニケーションをする能力がありました。Hart of a Samuraiの中には洋服を着た五右衛門や伝蔵、鯨の比較絵、New Bedfordの港、（彼は“ヌーバッホー港”と発音している）ホイットフィールド船長の家の見取り図、火車rail road（レイローと仮名）など、随所に耳から学んだ怪しげなカタカナ発音を付けた彼の絵が挿入されています。万次郞の性格を垣間見ることができる実に楽しく興味深いものです。<br><br>万次郞が使った英語について次回でお話ししましょう。<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20131122/15/goglobally/d6/29/j/o0480064012757255313.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20131122/15/goglobally/d6/29/j/t02200293_0480064012757255313.jpg" alt="$タックの異文化に挑戦「世界はおもしろい！」" width="220" height="293" border="0"></a><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20131122/15/goglobally/fe/cd/j/o0640048012757255671.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20131122/15/goglobally/fe/cd/j/t02200165_0640048012757255671.jpg" alt="$タックの異文化に挑戦「世界はおもしろい！」-英米對話捷径（復刻版）" width="220" height="165" border="0"></a><br>
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<pubDate>Fri, 22 Nov 2013 15:03:01 +0900</pubDate>
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<title>ジョン万次郞はまさにグローバル人であった−３</title>
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<![CDATA[ （前回よりの続き）<br>ところで、ピークォッド号の船長を助ける優秀な一等航海士は、名前をスター・バック(Star Buck)といいます。彼は大のコーヒー好きだそうです。<br>そして、ピークォッド号の船首には航海を守るマーメイド（人魚）像がありました。ギリシャ神話サイレンに由来し船乗りを誘惑する人魚です。<br>はて、コーヒーとマーメイドの関係、どこかのコーヒーショップのロゴにありましたね。<br><br>そうです、1971年に米国シアトルのパイク・プレース・マーケットに第1号店を出し、今では世界を席巻しているコーヒーショップ「スタバ」、スターバックスのロゴです。「スタバ」のロゴにはこのマーメイドが描かれています。<br>モビー・ディック（白鯨）の著者メルヴィルがこの小説を執筆した時と場所が1845年前後のマサチューセッツ州ニューベッドフォードのようです。<br><br>万次郞が未知の土地ニューベッドフォードで初めてアメリカ生活に入った頃、白鯨の執筆小説家メルヴィルさんが原稿を片手に同じニューベッドフォードの捕鯨船の繋がれた港でペンを走らせコーヒーを飲んでいたかもしれない、そしてその原稿にスターバックが登場する。<br>そんな彼の近くにジョン万次郞がいたかもしれない・・・・と、想像するだけでどきどきしてしまいます。<br><br>時空を超えて「事実は小説より奇なり」、鳥肌が立つおもいです。<br><br>次回は、万次郞がつかった“英語”について考えてみましょう。<br>平成25年今の時代にジョン万次郞が皆さんの前に現れ英語を話したら、皆さんは理解できたのでしょうか？！・・・・・・<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20131111/16/goglobally/b8/57/j/o0640048012746062600.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20131111/16/goglobally/b8/57/j/t02200165_0640048012746062600.jpg" alt="$タックの異文化に挑戦「世界はおもしろい！」" width="220" height="165" border="0"></a><br>
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<pubDate>Mon, 11 Nov 2013 16:25:00 +0900</pubDate>
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<title>ジョン万次郞はまさにグローバル人であった−２</title>
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<![CDATA[ （前号より続き）<br>その当時のアメリカやヨーロッパでは捕鯨がいかに重要であったか、電灯のない時代では鯨油が都市や家庭の灯りの燃料でした。<br>大型の捕鯨船が大海原に出で鯨油を確保することがビジネスとして歓迎されました。<br>そこに漂流していた万次郞は紛れ込んだことになります。<br>14歳から24歳までの11年間、万次郞は捕鯨技術に加え英語、数学、航海術を身につけグローバルな人材に成長していきました。<br>西暦1841年から1851年です。<br><br>この時代の巨大な鯨を相手に戦う勇者や強者を描いた有名な小説が1851年10月にロンドンで、11月にニューヨークで出版されました。<br>「モビー・ディックMOBY-DICK」（ニューヨークでは「THE WHALE」）（白鯨）です。<br>著者はH. メルヴィル、Herman Melville。<br>捕鯨船名はピークォッド号、船長はエイハブです。<br><br>エイハブ船長は巨大な白い鯨、モビー・ディックに銛を打ち込み片足を失い義足になりました。<br>そして、船長はピークォッド号を操る航海士らとともに運命的な宿敵、白鯨に復讐を挑むという壮絶な捕鯨物語です。<br>その捕鯨船ピークォッド号は1814年マサチューセッツ州ニューベッドフォード、ナンタケット島から出向しています。<br>気付きましたか、この小説の時代と場所が万次郞が拾われた捕鯨船ハウランド号の年代と場所に重なります。<br>（続く）<br>
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<pubDate>Mon, 11 Nov 2013 16:19:21 +0900</pubDate>
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<title>ジョン万次郞はまさにグローバル人であった−１</title>
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<![CDATA[ ジョン万次郞のことについて、もう少しお話しさせてください。<br><br>「事実は小説より奇なり」、と言われます。彼が生きぬいた時代をもう一度振り返りましょう。<br>万次郞は1827年文政10年1月1日生まれ、1898年明治31年11月12日没、とあります。<br>1841年15歳で漁に出て遭難、5日半の漂流後無人島の鳥島で143日間生活したことはよくご存じの通りです。<br><br>彼が16歳、1843年に米国マサチューセッツ州のNew Bedfordに上陸、対岸にあるFairhavenでホイットフィールド船長の養子になってアメリカの生活を始めました。<br>1844年17歳になって航海専門学校で専門教育を受けます。<br>そして1846年に再び船に乗り3年4ヶ月の間、太平洋や大西洋、インド洋の捕鯨にでます。<br>まだ19歳の時でした。<br><br>経験と学問を身につけ信望厚い万次郞は21歳になってFranklin号の副船長に選ばれ、その時にホノルルに残してきた漂流仲間と再会します。<br>New Bedfordに帰着したのですが、日本に帰りたいの一念から帰国の資金を稼ぐためにカリフォルニアの金山に向かいます。4ヶ月間で600ドルを得ます。<br>その後ホノルルで伝蔵、五右衛門と合流し帰国決行します。<br>Sarah Boyd号でホノルルを離れ琉球に向かいます。<br>彼が23歳の時でした。<br><br>本船から下ろした小舟で琉球に上陸、琉球に7ヶ月滞在します。<br>その後、薩摩藩の取り調べで４８日の拘留、さらに長崎奉行所で10ヶ月拘留の取り調べを受けます。そして、故郷の土佐中ノ浜に帰り11年ぶりに母と再会します。<br>1851年万次郞24歳の時でした。<br><br>ここで開国を迫られる幕末の日本が舞台になります。<br>1853年浦賀にペリー艦隊が投錨、日本はてんやわんやの大騒ぎでした。海外事情に詳しい万次郞は幕府に呼び出され直参になります。<br>こうして中浜万次郞と名乗り帯刀名字が許されました。<br>26歳でした。<br>（続く）
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<pubDate>Mon, 11 Nov 2013 16:12:44 +0900</pubDate>
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<title>もうひとつのジョン万次郞</title>
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<![CDATA[ 手塚治虫さんの名作「陽だまりの樹」を読んだことがありますか？<br>全11巻の漫画本です。<br><br>江戸から明治の幕末時代に武士として生き抜こうとする青年剣豪伊武谷万二郎と、彼のけがを手当てした小石川の蘭方医手塚良仙と息子の良庵【手塚治虫さんのご先祖で実在の医師手塚良庵先生】の運命的な出会い、激動の時代を懸命に生き抜こうとする物語です。<br>手塚タッチの劇画におおいに魅せられました。<br><br>その漫画本の中に、黒船来襲、アメリカから通商条約を求める一行が来日し幕府は大混乱を招く様子が描かれています。開国に向かう日本と武士として生き抜く伊武谷万二郞の葛藤にこの先どうなるかとワクワクさせられました。<br><br>まさにグローバル化に向かう時代であって今読んでも古さを感じさせません。<br><br>実は、その中に日本に帰国したジョン万次郎が武士の世の中に振り回されながら英語が出来るので通訳として日米の狭間で苦労する場面があります。<br>いまでも鮮明にその場面や物語を記憶しています。<br><br>だから、近年ジョン万次郎があちらこちらでブームになっても驚かなかったのです。<br>私には古き良き友達のような身近な万次郎が若い頃から心の中に存在していました。<br><br>15才の万次郞は仲間とともに遭難し無人島で143日すごしました。<br>捕鯨船ジョン・ハウランド号のホイット・フィールド船長に助けられます。<br>そして船長に気に入られ養子になります。<br>名前も船名からジョン・マンになります。<br><br>まったく言葉も通じない土地で知識も情報もない環境にいました。<br>好奇心と勇気があったようですね、船長を信頼しアメリカ東海岸ニューベッドフォード、フェアヘブンで生きる覚悟をします。<br><br>そんな万次郞の生き様をアメリカの作家Margi Preusが“Heart of a SAMURAI”(A Newbery Honor Book)の小説に実に生き生きと描いています。<br><br>マギー・プロイスは児童文学家、劇作家でこの本は彼女の最初の小説です。<br>ニューベリー賞オナーを受賞しました。児童文学家だけあって文章や単語は決して難しくなく、わかりやすい語句や単語を使って見事に情景を描写しています。<br><br>万次郞と一緒に漂流した仲間、また捕鯨船で生活をしながら言葉や文化の違いを克服していく姿などを素晴らしい表現力と描写力で描かれています。<br><br>この本の翻訳本がでています。「ジョン万次郞　海を渡ったサムライ魂」です。<br>マギー・プロイス著、金原瑞人訳、集英社です。<br><br>そこでこの原作本と翻訳本を並べて比較しながら是非読んでいただきたいです。<br>私も読破してみました。<br>こういう表現はこう翻訳されている・・・といったように、沢山の発見がありました。<br>そして万次郞を通して新たな交流と発見に出会いました。<br><br><br><br>次回は万次郞がアメリカにいた時代に、・・・・皆さんの良く知っている人物と出会ったかもしれない夢のようなお話しをしましょう。<br>きっと新しい発見を見つけるかもしれませんね。お楽しみに・・・・<br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20131122/15/goglobally/f6/79/j/o0640047812757265577.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20131122/15/goglobally/f6/79/j/t02200164_0640047812757265577.jpg" alt="$タックの異文化に挑戦「世界はおもしろい！」" width="220" height="164" border="0"></a><br>
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<pubDate>Sat, 19 Oct 2013 14:09:04 +0900</pubDate>
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<title>異文化社会の共生、水色ってどんな色？（続）</title>
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<![CDATA[ 水色は様々です。<br>水色は実に曖昧な表現ですが、それなりにその土地に根付いて固有の文化を産み出してきたようです。<br><br>先日ベトナム南部を旅行しました。<br>メコンデルタでは田植えをしている隣の田んぼで稲刈りをしている典型的な３毛作でした。<br>メコン河を小舟で横切った時、ここでの水色はミルクティー色でした。<br>アマゾン川の水色との違いを思い出しました。<br>今まで訪れたことのある世界の都市を流れる川の水色について考えてみました。<br>ノルウエーのフィヨルドの湖は透明な水色でした。<br>日本の山岳を流れる透明な私達の水色と同じ色でした。<br>ベネズエラを流れるオリノコ川はミルクコーヒー色、ギアナ高地から瀑布となってやがてはアマゾン川に注ぐ豊富な水は、ここでは薄い緑茶ミルクの色でした。<br>ドイツの古都レーゲンスブルグの石橋からドナウ川を眺めるとそこは暗い緑藍色でした。沢山の鱒が戯れて泳いでました。シューベルトがピアノ五重奏「ます」を作曲したとき、ドナウ川のこの水色を見て何を感じたのでしょうか。<br>時空を超えて想像するだけでワクワクしてきます。<br><br>ロンドンのテムス川、パリのセーヌ川、エジプトのナイル河、グランドキャニオンの地底を流れるコロラド川、など、この目で確かめた川の数はたくさんあります。<br>そして、世界には無数の河川が存在し人類の歴史に係わってきました。と同時に、この世界には川の数だけ異なった水色が存在していることに気づいたでしょうか。<br>It’s not strange, but different.　ですね。<br><br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20131102/15/goglobally/cd/25/j/o0640048012736131714.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20131102/15/goglobally/cd/25/j/t02200165_0640048012736131714.jpg" alt="$タックの異文化に挑戦「世界はおもしろい！」" width="220" height="165" border="0"></a><br>
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<pubDate>Tue, 15 Oct 2013 22:12:15 +0900</pubDate>
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<title>アマゾン川の水色は、本当に水色なの？</title>
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<![CDATA[ 仕事でブラジルに度々滞在しました。といっても、ブラジルは日本の国土の約２３倍。とてつもなく広大な国です。リオデジャネイロとかサンパウロは日本でおなじみの都市ですが、アマゾンの河口のベレンやその上流にあるアマゾナス州都のマナウスなどはあまり知られていません。仕事があればジャングルであろうと砂漠であろうと何処にでも足を運ぶのが当時の私達日本の企業戦士でした。そのマナウスで仕事の合間に現地の小学校を訪ねたときのことです。<br><br>子ども達が画用紙に緑色と焦げ茶色でジャングルの木々を画いたように見えました。<br>「緑の葉に覆われた木々は上手に画けているね。」と褒めたつもりでいいました。ところが、「これは木じゃないよ、アマゾン川の絵だよ」<br>といって笑われてしまいました。<br>「川の水は水色で、ここにあるような焦げ茶色ではないよ」といったら､<br>「ここでは水は焦げ茶色だよ・・・」と、説明してくれました。<br><br>そうです、アマゾン川の水はコーヒー色の水色でした。<br>その時、自分が信じてきた固定観念は、相手の習慣や文化、そして自然界の様子で変わりうるものであることを学びました。<br><br>その後、神田外語大学の異文化コミュニケーション研究所で【見る】ことは【見ない】こととして教えられました。有名な焦点像と背景像はこのことをよく表しています。（異文化コミュニケーションキーワード、古田暁、石井敏、他、有斐閣）から引用—コミュニケーション・ギャップとは、参加者の個人的、文化的価値前提の違いのために、焦点像と背景像の切り取り方に見られる偏差だといえよう。「見る」ことは、「見ない」こととは、人間の知覚、認知メカニズムをうまくいいあてて至言であるー）<br><br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20131102/15/goglobally/f4/86/j/o0480064012736137033.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20131102/15/goglobally/f4/86/j/t02200293_0480064012736137033.jpg" alt="$タックの異文化に挑戦「世界はおもしろい！」" width="220" height="293" border="0"></a><br>
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<pubDate>Fri, 11 Oct 2013 11:05:54 +0900</pubDate>
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<title>グローバル化は一人ひとりの問題でしょう？</title>
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<![CDATA[ 世界数十カ国で仕事をしてきた経験から、真のグローバル人とは何かを常に考えてきました。<br><br>地図に書かれている国境線は現実には見えません。<br>あちこちの国を移動していると、皮膚の色の違い、瞳の色や体格の違い、服装の違い、食物の違い、言葉の違いなど　驚くほど多くの違いに気が付きます。しかし、一番大きな違いは目に見えないところにあるのです。人の価値観です。<br><br>あなたの近所に外国人が越してきたとしたら、うまく付き合いができるでしょうか。マンションのゴミ出し問題でいつもトラブルを起こしていた或る中国人家族の例。悪いのはあの家族・・・から、あの中国人・・・、そして「だから外人は困るよね～」・・・といったように、些細なことから徐々に一般化して、やがては外国人は、といった偏見やステレオタイプに発展していくことはよく見られます。<br><br>グローバル人材を特別な見識や技能を有する人材と定義している例が多くみられます。しかし、その前にまず、人として異なる価値観を受け入れる懐の深さ、感性の豊かさが必要不可欠と考えています。その上で、コミュニケーション力を高めることが重要です。<br><br>アメリカで幼児番組のセサミーストリートをみているときに、青い鳥とフクローの会話が私のグローバル人材定義の原点になりました。それは、「It's not strange, but different.」です。異文化コミュニケーションの基本です。人種のるつぼのアメリカでは幼児期にこのことを教育しているのです。今の日本にあてはまる理念ではないでしょうか。<br><br>このことで、ブラジル、マナウスの学校訪問で教えられた貴重な経験について次回はお話ししましょう。
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<pubDate>Fri, 11 Oct 2013 10:53:24 +0900</pubDate>
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<title>ご無沙汰しています、ブログに戻りました。</title>
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<![CDATA[ <strong>2011年に余儀なくブログを中断しました。</strong><br><strong>あらから2年が経過し、再びブログに戻ってきました。</strong><br><br>久しぶりに当時の自分のブログ記事に目を通したとき、主張は決して過去のモノではなく今も生き続けていることに我ながら驚いています。<br>主張は理念や信念、哲学から発せられる普遍的なモノであって、決して時流に流されるべきではないと信じています。<br><br>2011年6月に掲載した原発事故への批判を読み返し今も主張は正しいと信じています。<br>言い換えれば、この2年間、被災地では時間が止まっていたと行っても過言ではありません。<br>被災者の皆さんのご苦労はいつになったら解放させるのでしょうか。<br>安念な日がくることを心より祈っています。<br>
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<link>https://ameblo.jp/goglobally/entry-11543732475.html</link>
<pubDate>Mon, 03 Jun 2013 09:37:14 +0900</pubDate>
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