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<title>よい話をしていく運動</title>
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<description>金光教の私と創価学会の妻との信心生活でみつけた話を書いています。お話のきっかけになれば幸いです。</description>
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<title>パンツのゴム</title>
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<![CDATA[ <p>父が救急搬送された。</p><p>&nbsp;</p><p>父は、これまでも施設でお世話になってきたが</p><p>途中で経営者が替わってから儲け主義の経営となり</p><p>ケアマネージャーもヘルパーもすべて自社の人に変更されて</p><p>心のこもった対応には思えなくなってきた。</p><p>肝心の父は、認知症も進み、あまり問題視していないが</p><p>長年ケアマネージャーとして働いてきた妻にとっては</p><p>ストレスになっている。</p><p>そのことは長年ソーシャルワーカーとして働いてきた私も</p><p>ひしひしと感じていた。</p><p>&nbsp;</p><p>それでお義母さんが入所されていたグループホームへの</p><p>施設変更を思い付いた。</p><p>お義母さんの施設であれば、近いので面会するのも楽だし</p><p>スタッフに対する信頼度も厚い。</p><p>そこで１年ほど前から申請をしてこのほどやっと</p><p>入所できる運びとなった。</p><p>&nbsp;</p><p>しかし移動する段取りを立てると、父の体調が悪くなる。</p><p>発熱が起きたりして担当医の許可が出ない。</p><p>今入所している施設が人を減らさないように</p><p>なにか企てているのではないだろうか？</p><p>と疑いたくなるくらいに何度もそういうことがあった。</p><p>&nbsp;</p><p>今回の移動についてうまくいくよう神様にお願いした。</p><p>妻にとっては移動することがいいのは間違いないが</p><p>父にとって移動することが果たしていいことなのかどうかは分かりませんが</p><p>ご都合お繰り合わせがいただけますようお願いした。</p><p>&nbsp;</p><p>それで今回も発熱はあるものの、コロナやインフルエンザの検査もして</p><p>問題がないということで</p><p>両方の施設の方々の承諾も得て、無事に移動させていただいた。</p><p>その部屋は奇しくも、父の入所までに亡くなった義母の部屋である。</p><p>妻も私も前から父には説明してきたが</p><p>なんせ認知症の父が覚えてくれている保証もなく心配していたが</p><p>またその日は、父の認知症が進んだせいなのかどうかは分からないが</p><p>いつもよりもボーっとしていて、</p><p>父も混乱することなく移動が出来た。</p><p>&nbsp;</p><p>安心したのも束の間、</p><p>翌日の夕方に施設の看護師さんから電話があり</p><p>父が呼吸困難に陥り、今から救急搬送するので付添を願いたいということで</p><p>妻が施設に走り、救急車に同乗した。</p><p>病院に到着した妻からの電話は混乱しているのが分かった。</p><p>すぐに医師と電話を替わり、医師から話を聞いた。</p><p>喉から挿管をすれば楽にはなりますが、</p><p>今後ずっと人工呼吸器を付けなければなりません。</p><p>それともこのままの治療でいけば長くは持ちません。</p><p>どうされますか？</p><p>ということであった。</p><p>&nbsp;</p><p>私は施設移動をする時に、</p><p>父にとって移動することがいいことなのかどうかは分かりませんが</p><p>ご都合お繰り合わせがいただけますようお願いして</p><p>移動することが出来たことを思い出して</p><p>少なくとも今回は、退院して施設に戻れるはずと考えて</p><p>挿管せずに治療の道をお願いした。</p><p>&nbsp;</p><p>医師は今日か明日までであり、覚悟するように言われ</p><p>個室に運ばれて付き添ってもらうように話があり</p><p>初日は妹が父と夜を明かした。</p><p>翌日になって父の容態はかなり改善し</p><p>言葉がかすれて聞き取りにくいが</p><p>意思疎通ができるほどにまで回復した。</p><p>酸素濃度は低いため、酸素吸入は続いているが</p><p>煩わしいのかなんども外す。</p><p>喉に痰が溜まってきて時折、吸引してもらうが苦しそうである。</p><p>&nbsp;</p><p>早速、教会へ行って御礼のお届けをさせてもらった。</p><p>これまでもその都度、LINEでお届けさせてもらい</p><p>教会長先生にもお願いしていただいてきたので</p><p>その御礼も伝えた。</p><p>その際に今回の施設変更がうまくいったこともあって</p><p>自分としては父の容体が持ち直してくれると思っていた話もした。</p><p>&nbsp;</p><p>また同時に墓前祭をする際に玉串奉奠すると</p><p>屋根がないため、お供えした玉串が風邪で飛ばされないように</p><p>八足に止めるためのゴムを、パンツのゴムで作って持っていった。</p><p>&nbsp;</p><p>すると先生は、「パンツのゴムと言わない方がいい」</p><p>とおっしゃった。</p><p>神様にお供えするのにパンツのゴムでもいいだろうと思ったが</p><p>あえてパンツのゴムという表現が良くないと思われたのだろうと受け止めて</p><p>「分かりました」と返事して帰ってきた。</p><p>&nbsp;</p><p>それから父の見舞いに行き、帰宅して夕食を食べてひと眠りしたあと</p><p>足がつって目が覚めた。</p><p>そして今日の教会でのお届けについて思い出してきた。</p><p>思えば父の容体を心配して、必死な気持ちで助かりますようにと</p><p>お願いをして、先生からもお祈り添えまでしていただいておりながら</p><p>「今回は助かると思っていた」という話をしたのは</p><p>先生に対して失礼だったのではないだろうか？</p><p>そう考えれば、いくら自分が正しいと思っていたことでも</p><p>口に出して言うべきではなかったということを</p><p>先生は「パンツのゴム」の例を挙げて説明して下さったのではないだろうか？</p><p>考えすぎかもしれないし、先生もそこまで考えていなかったかもしれないが</p><p>神様がそのように教えて下さっているのだと受け止めて</p><p>先生には慌ててお詫びのLINEを入れ、</p><p>恐れ多い神様に、御礼を申し上げて</p><p>改めて父のことをお願いさせていただきました。</p>
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<link>https://ameblo.jp/goodkappa/entry-12961669985.html</link>
<pubDate>Sun, 12 Apr 2026 00:00:00 +0900</pubDate>
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<title>足が痛い</title>
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<![CDATA[ <p>私の足が痛い。</p><p>昼間は元気にしているので知らない人がほとんどだと思うが</p><p>夜になると足が痛くなる。</p><p>どんなふうに痛いのかと言われれば、足がつって痛いのだが</p><p>足がつると一言で言ってもさまざまなつり方や痛みがある。</p><p>いわゆるお酒を呑んだ後につるような足先のつりもあるし</p><p>ふくらはぎがつると、その痛みがいつまでも残る。</p><p>足の外側が痛む場合もあるし、内ももや太股の後方がつることもあるし</p><p>足の形が変わってしまうこともある。</p><p>痛みもまたさまざまで、足先がつっているだけであれば</p><p>つったまま車を運転していることもあるけれど</p><p>太ももなどであればあまりの痛みに悶絶してしまうことも少なくはない。</p><p>そんな時は、大声を出してしまうしかないけれど</p><p>大声を出すことで痛みが緩和することも経験上知っている。</p><p>大声を出すほどの痛みであれば</p><p>当然、隣で寝ている妻を起こしてしまい、申し訳なく思っているが</p><p>これほど毎日のように痛みに襲われていると</p><p>妻の方も慣れてきたようで、平気で眠っていてくれてありがたい。</p><p>こんな症状は子どもの頃からずっとほぼ毎日続いている。</p><p>たまには１週間くらい治まっていてよく眠れることもあるが</p><p>続くとなると２～３週間くらい痛い日々が続く。</p><p>&nbsp;</p><p>私は子どもの頃から明るい性格であり</p><p>ポジティブ思考なので、あまり塞ぎこむことは少ない。</p><p>社交的でもあって他人には明るく振舞っているため</p><p>おそらくこういう日々を送っていることは知られていない。</p><p>変に心配してもらいたくないという思いもあって</p><p>そういう素振りは見せないよう、悟られないように生きてきたが</p><p>最近の痛みは半端なく、横になるのが怖くなってきた。</p><p>座っていたり、立っていると引力の働きで血流がさがるため</p><p>痛くなりにくいが</p><p>横たわると、血流が全身に行き渡る分、足の量が減って足がつる。</p><p>足がつり始めると自分でも分かり、慌てて飛び起きて対処するが</p><p>起きようとした際に掛布団が足に絡んだり</p><p>意識は目覚めていても、身体はまだ眠っているせいか</p><p>足に力が入らず立てなかったり転倒したりもする。</p><p>そんな時は寝ている妻を起こして手伝ってもらう。</p><p>若い頃には忍者のようにサッと飛び起きれたけれど</p><p>最近は夫婦ともに６０代になり</p><p>助けてくれる妻の足元もおぼつかない時もある。</p><p>このまま年齢を重ねていけばどうなるのだろうか？</p><p>と不安になることもあって他人に相談することもあるが</p><p>「まだまだ若いから大丈夫」だと言われてしまう。</p><p>&nbsp;</p><p>おそらく日中の振る舞いを見ていて元気だと思われているのだろう。</p><p>足がつって痛いといくら訴えても、一緒に寝ていない人には理解してもらえない。</p><p>特に人工透析を始めてからは、症状が悪化している。</p><p>人工透析では尿が出にくい分、透析と共に血液中の水分を引くため</p><p>人工透析を受けた日の夜は、眠れない日が増えた。</p><p>いや眠れないだけなら起きとけばいいのだが</p><p>そうすれば足がむくんで痛くなるため</p><p>横になるが、すぐに足がつって立ち上がらなければならなくなる。</p><p>&nbsp;</p><p>一応、薬は処方されている。芍薬甘草湯という漢方薬で</p><p>軽い足のつりであれば、驚くくらいに即効で痛みが治まる。</p><p>しかし私のような激痛になると効き目は限定的で</p><p>あとは湿布薬を使いながらコタツやカイロで暖めて耐えている。</p><p>こんなことなら筋肉弛緩剤でも投与してもらって</p><p>安楽死でもさせてもらいたくなるけれど</p><p>まだまだ神様は逝かせて下さらない。</p><p>もっと人助けの御用に立つよう求められている気がしている。</p><p>&nbsp;</p><p>今日も教会に参拝をして</p><p>神様にはケンカ腰で、御祈念をして弱音を吐いて</p><p>お教会の御神前とお広前を掃除させていただいてきた。</p><p>神様の御用をすれば、痛みが無くなる訳ではないことは重々承知しているが</p><p>ただただ神様におすがりし、仲良くさせてもらっている。</p>
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<link>https://ameblo.jp/goodkappa/entry-12959506777.html</link>
<pubDate>Sun, 05 Apr 2026 00:00:00 +0900</pubDate>
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<title>信心の道</title>
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<![CDATA[ <p>これまで多くのご信者さんに出会っできたが、</p><p>見かけなくなったご信者さんが何人もいる。</p><p>私がお教会に御縁を頂くきっかけになったFさんもその一人である。</p><p>果たして今でも、お元気にされているのだろうか？</p><p>先代の親先生が彼女のおかげ話を</p><p>両親の教会の大祭説教で話していたのを聞いたのがきっかけで、</p><p>私自身としての信心が始まりました。</p><p>日々の御祈念の中で彼女のことは願っていますが、</p><p>もう何十年も姿を見ていない。</p><p>&nbsp;</p><p>信心の先輩から「信心にはレベルがある」と教えられたことがある。</p><p>私自身も信心の浅い時は、神様にお願いしてご利益を求める信心だった。</p><p>それがいつの間にかほとんど願わなくなってきて、</p><p>御教えを学び、神様と仲良くする信心となってきた。</p><p>先代の教会長から「信心には道がある」と教わったこともあり、</p><p>書道にも華道にも剣道にもそれぞれに道があるように、信心にも道がある。</p><p>&nbsp;</p><p>どこに向かっているのかは分からないけれど、</p><p>西遊記で例えるところの唐天竺という所があるならば、</p><p>みんなそれぞれにそちらに向かって歩んでいる。</p><p>日々起こってくる事故災難は、</p><p>孫悟空が妖怪と闘って解決していくようなものであろう。</p><p>山で例えるなら、みんな頂上を目指して登っている。</p><p>とにかく頂上を目指して登ればいいんだと真っすぐ登っていると</p><p>急坂や危険な個所もあるが</p><p>この山の頂まで登った人たちがあり、その人たちこそが</p><p>さまざまな宗教の宗祖、開祖と呼ばれる方たちで</p><p>私は金光大神の歩まれた道を、妻は日蓮大聖人に歩まれた道を歩んでいる。</p><p>夫婦で宗教が異なる私たちは、それぞれに歩んでいる道は違えど</p><p>同じ頂上を目指しており、情報交換しながら共励している。</p><p>&nbsp;</p><p>西遊記では、唐天竺まで何千里もの距離を移動したつもりが</p><p>お釈迦様の手のひらからも出ていなかったように</p><p>私の神様も、妻の仏様もそれぞれの心の中にある。</p><p>夫婦がそれぞれに神仏に向かい、</p><p>神様、仏様と仲良くさせてもらうことで</p><p>自然に自身が助けられていることを実感しながら生活が出来ており</p><p>願うことよりも御礼を申し上げることで暮らしている。</p><p>&nbsp;</p><p>ここからさらに進んで行けばどうなるのかは分からないが</p><p>先のことを愉しみにしながら信心生活が送れていることがありがたい。</p>
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<link>https://ameblo.jp/goodkappa/entry-12958883985.html</link>
<pubDate>Sun, 29 Mar 2026 00:00:00 +0900</pubDate>
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<title>幸せ探し</title>
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<![CDATA[ <p>世の中は神徳に満ち溢れていると言われていますが</p><p>皆さんはお感じになっていますでしょうか？</p><p>なかなかそういうふうには感じられないものです。</p><p>しかし私には感じられる場面があります。</p><p>&nbsp;</p><p>前にNHKの朝ドラで『らんまん』というドラマをやっていました。</p><p>高知出身の植物学者、牧野富太郎博士ご夫妻の人生を</p><p>神木隆之介さん浜辺美波さん主演でやっていました。</p><p>その中で牧野先生は「雑草という草はない」というセリフがあり</p><p>私たちからすれば、ただの雑草しか生えていない道でも</p><p>ひとつひとつの植物に</p><p>「ここに○○草が生えていましたか？」</p><p>「こちらには、けなげに○○○○草が咲いていましたか？」</p><p>と話しかけながら歩いておられました。</p><p>&nbsp;</p><p>鉄道ファンの私には、その感覚が理解できます。</p><p>駅で待っている時も、通過していく列車に釘付けで</p><p>必死になって列車を眺めており</p><p>自分の好きな車両が来たら「やったー！」と一喜一憂している。</p><p>これって牧野先生の植物に話しかけるのと同じことだと思う。</p><p>&nbsp;</p><p>このように世の中にはたくさんの幸せで満ち溢れており</p><p>見る人が見れば宝の山に見え</p><p>見えない人からすれば、電車の脇に雑草が生えているだけの</p><p>なんでもない殺風景な世界にしか見えない。</p><p>同じことは恋愛でも同じことで</p><p>「いい出会いがない」という話をよく耳にしますが</p><p>見る目の無い人にとっては、いい人がそばに居ても気付きもしません。</p><p>&nbsp;</p><p>私に信心を教えて下さった先代の教会長はよく</p><p>「ぼちぼちが、ぼちぼち同士一緒になる」と言っておられ</p><p>玉の輿にのるなんてことはなく、同じレベルの人と一緒になるのだから</p><p>いい人に巡り会おうと思えば、</p><p>自分磨きをするしかないのだと教えて下さった。</p><p>&nbsp;</p><p>なんでもない殺風景な世界にするのか</p><p>宝の山にするのかは、すべて自分自身の受け皿次第なのです。</p><p>&nbsp;</p><p>また牧野富太郎博士が</p><p><b style="font-weight:bold;"><a href="https://www.britannica.co.jp/blog/makinotomitaro/" rel="noopener noreferrer" target="_blank">「植物は人間がいなくても少しも構わずに生活するが、人間は植物が無くては生活の出来ぬ事である。そうすると、植物と人間とを比べると人間の方が植物より弱虫であるといえよう。つまり人間は植物に向こうてオジギをせねばならぬ立場にある。」</a></b>平凡社『牧野富太郎　植物博士の人生図鑑』より</p><p>と、おっしゃったようにただの雑草にしか見えない植物にさえも</p><p>私たち人間は、ずっとお世話になっているし</p><p>鉄道にもお世話にならずには生活も出来ていかない。</p><p>そう考えると、眼には見えないけれど、</p><p>この世の中は神徳で満ち溢れており</p><p>こちら側が常に意識をしていなければ、つい見逃してしまう。</p><p>日々の生活を通して「幸せ探し」をしながら生きていこうと思う。</p><p>&nbsp;</p><p>参考：「雑草という草はない」というセリフについて</p><p>牧野博士にインタビューしたとき、当時20代だった山本周五郎が「雑草」という言葉を口にしたところ、牧野博士はなじるような口調で次のようにたしなめたそうです。<a href="https://www.huffingtonpost.jp/entry/makino_jp_6431083be4b0c2da1506d559" rel="noopener noreferrer" target="_blank">「きみ、世の中に〝雑草〟という草は無い。どんな草にだって、ちゃんと名前がついている。わたしは雑木林（ぞうきばやし）という言葉がキライだ。松、杉、楢（なら）、楓（かえで）、櫟（くぬぎ）——みんなそれぞれ固有名詞が付いている。それを世の多くのひとびとが〝雑草〟だの〝雑木林〟だのと無神経な呼び方をする。もしきみが、〝雑兵〟と呼ばれたら、いい気がするか。人間にはそれぞれ固有の姓名がちゃんとあるはず。ひとを呼ぶばあいには、正しくフルネームできちんと呼んであげるのが礼儀というものじゃないかね」</a></p>
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<link>https://ameblo.jp/goodkappa/entry-12957382309.html</link>
<pubDate>Sun, 22 Mar 2026 00:00:00 +0900</pubDate>
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<title>いろんな人たちに願われている</title>
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<![CDATA[ <p>自分だけで生きているように思っているけれど</p><p>いろんな人たちに願われていることを感じる時がある。</p><p>&nbsp;</p><p>以前交通事故を起こしたことがあり</p><p>私がぶつけたオートバイの女性を保護して</p><p>警察に通報した時のこと。</p><p>どこからかパトカーのサイレンが聞こえてきて</p><p>いつもの癖で、サイレンに反応して</p><p>その人たちのことを心中祈念している。</p><p>「早く火事が消えますように」とか</p><p>「早く事故が解決しますように」とか</p><p>「怪我や病気が早く治りますように」と</p><p>願ってしまうのは、金光教のあるあるらしい。</p><p>パトカーは私の前で停まり</p><p>今回のサイレンは、自分の事故だと気付いた時</p><p>周囲の街々を見渡しながら</p><p>この中にも私の事故のことを願ってくれている人がいるかもしれない</p><p>と思ったら、これまで自然にしてきたことの</p><p>重大さや尊さを感じさせて頂いた。</p><p>&nbsp;</p><p>私は日々の御祈念の中で家族や親族、知人友人のことを願わして頂いているが</p><p>久しぶりに会った甥から離婚していたことを知らされた。</p><p>そんなことも知らないからずっと甥や奥様、子どもたちのことも願ってきたが</p><p>私自身の信心の弱さを感じるとともに</p><p>神様に対して申し訳のない願い方をしてきたことを反省したが</p><p>そんなことになっていることなど甥は知らない。</p><p>知らないからわざわざ離婚していたことを言わなかっただけのことである。</p><p>同時に私自身もいろんな人たちに願われているにもかかわらず</p><p>自分勝手な生き方をしていたかもしれないと反省した。</p><p>&nbsp;</p><p>先日ずっと願ってきたご信者さんの姿を久しぶりに見た。</p><p>病と闘いながら生活されている人である。</p><p>他のご信者さんからもその人の病状を問われたこともあるが</p><p>私から連絡することもないので知らないと答えるので</p><p>冷たい人と思われているかもしれないけれど</p><p>黙ってその人のことを願い続けている。</p><p>おかげで毎月お願いする人の数が増えていくので</p><p>教会長には申し訳なく思っている。</p><p>久しぶりに会ったその方にどうお声掛けをすればいいか分からず</p><p>毎月願わしてもらっていることだけを伝えたが、</p><p>残念ながら奥様のことは願っていないことも伝えた。</p><p>&nbsp;</p><p>私なんかは「生神金光大神様天地金乃神様」と</p><p>３０回も唱えたこともないが</p><p>妻は毎日の勤行で、「南無妙法蓮華経」と３千回唱えている。</p><p>３千回で飽き足らない時には、夕方にももう３千回唱えている。</p><p>その姿は神々しく目に映り、もったいないことだと感じて</p><p>勤行している妻の姿に対して手を合わしたくなってくる。</p><p>その中には間違いなく私自身のことも願ってくれている。</p><p>本当にもったいないことだと思っており</p><p>そんな妻にはいつも感謝している。</p>
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<link>https://ameblo.jp/goodkappa/entry-12954300796.html</link>
<pubDate>Sun, 15 Mar 2026 00:00:00 +0900</pubDate>
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<title>委員長の器</title>
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<![CDATA[ <p>今年から金光教の教会連合会信徒部の委員長を</p><p>させて頂くことになった。</p><p>教会連合会というのは、</p><p>大阪府下にあるお教会を八つの教区に分けた</p><p>うちのひとつで</p><p>地域ごとに振り分けられている。</p><p>そこには各教会長先生からご指名を受けた委員が選出されており</p><p>私が所属する教会連合会信徒部では</p><p>現在１２教会からの委員で構成されている。</p><p>&nbsp;</p><p>私自身は４８歳の時に先代教会長にお勧めを頂いて委員となり</p><p>１５年間委員をさせて頂いてきた。</p><p>この度は前任の委員長が３期８年を終えて</p><p>辞任されるにあたって</p><p>これまで副委員長をしていた私に白羽の矢が当たった。</p><p>若い時から委員をさせて頂いている分</p><p>他の委員さんに比べて古参であることを考えれば</p><p>仕方のないことだが、私は委員長の器ではない。</p><p>私は子どもの頃から副長や副部長、次長など</p><p>長を支える立場からはさまざまなアイデアを提案したり</p><p>突撃隊長として能動的に行動をすることには</p><p>どちらかと言えば得意な方に思えるのだが</p><p>首長という立場でグループの中心となってやってみて</p><p>うまくいった記憶がほとんどない。</p><p>気が付けばいつも批判の的になっている。</p><p>&nbsp;</p><p>昨年から始まった人工透析を理由にお断りすることも可能だが</p><p>断れば、おそらく一生この御用をさせて頂く機会がないかもしれない。</p><p>そう考えてみると、とても私ひとりで成し遂げられるお役割ではないが</p><p>委員の皆様の協力を得るとともに</p><p>教会長先生のお取次を頂きながら御用に就かせて頂くことを</p><p>信心の練習帳と受け止めて</p><p>させて頂く決心をしました。</p><p>&nbsp;</p><p>先日、５月に予定されている記念集会の</p><p>実行委員会を開かせて頂いた。</p><p>この記念集会は年間予定の中の一番大きな集会で</p><p>当連合会の創立記念日に合わせて毎年開かれている。</p><p>今回はその７０周年にあたる記念の集会なのだが</p><p>６８回や６９回といった途中の年の集会の時にも</p><p>積み上げてきた会を大切にしようと</p><p>「記念」の文字を入れましょうと提案したのも私自身である。</p><p>&nbsp;</p><p>実行委員会の参加者にはこれまで委員長を歴任されてきた</p><p>前委員長と前々委員長のほか</p><p>私と一緒に肩を並べてやってきた副委員長と</p><p>私の後任として副委員長になられた方にお願いして</p><p>私との５人で開かせて頂いたが</p><p>やってみて感じたのは、前委員長と前々委員長の心強いこと。</p><p>それぞれに委員長という責任ある立場でやってこられたこともあるが</p><p>今日の実行委員会に向けて過去の資料の準備のほか</p><p>新たなる方策についての意見をまとめてきて下さっている。</p><p>それでもって新委員長となった私自身の方針に合わせて下さっている。</p><p>&nbsp;</p><p>これまで副委員長として精一杯、委員長を支えてきたつもりだったが</p><p>実際には委員長に支えられて</p><p>副委員長の御用が出来ていたことを痛感させられた。</p><p>&nbsp;</p><p>と同時に委員長の器というものは、</p><p>そういう器のある人がすることじゃなくて</p><p>委員長という御用をさせて頂くことで</p><p>委員長の器になってくるように思えてきた。</p><p>&nbsp;</p><p>これから委員長という御用を通じて</p><p>神様から大器晩成させてもらえることを愉しみに</p><p>信心の稽古をさせていただく気持ちになってきた。</p><p>委員の皆さま、各お教会の皆さま、宜しくお願い致します。</p>
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<pubDate>Sun, 08 Mar 2026 00:00:00 +0900</pubDate>
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<title>便秘の解消法</title>
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<![CDATA[ <p>お薬の副作用もあって便秘が続いている。</p><p>持病による服薬の副作用もあって便秘になりやすい。</p><p>特に今回は、カリウムの数値が高く</p><p>吸着剤を服用しているが便秘では体外に出ていかない。</p><p>もう３日連続で下剤を服用しているが音沙汰もない。</p><p>&nbsp;</p><p>そんな時は、教会のお広前や御神前を</p><p>お掃除させてもらうと解消しやすい。</p><p>もちろん神様のおかげであることは間違いないが</p><p>普段動かさない身体を使うからとも思えている。</p><p>今日も教会のお掃除をさせて頂こうと意気込んで家を出た。</p><p>すると最寄り駅まで自転車を漕いでいるうちに</p><p>トイレに行きたくなってきて、駅のトイレで気持ちよく出た。</p><p>&nbsp;</p><p>まだ教会にも着いていないし、お掃除もしていないのに</p><p>早くももうおかげを頂くことが出来た。</p><p>不思議なもので肝心の便通さえあれば</p><p>教会までは行って御祈念をしても</p><p>もうお掃除などしなくてもいいような気持ちになってくる。</p><p>ズルい気持ちになってくる。</p><p>&nbsp;</p><p>いや違うやろ。先におかげを下さっただけのことである。</p><p>便通があろうが無かろうが、お掃除をさせて頂くことに意義がある。</p><p>神様との関係は、ギブアンドテイクではないんだ。</p><p>大切なことは神様と仲良くさせてもらうことだったと思い返して</p><p>今日はお広前も御神前もお掃除をさせて頂いて、帰宅の途に就いた。</p>
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<link>https://ameblo.jp/goodkappa/entry-12953660398.html</link>
<pubDate>Sun, 01 Mar 2026 00:00:00 +0900</pubDate>
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<title>お義母さんの四十九日法要</title>
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<![CDATA[ <p>義母の四十九日法要を夫婦だけでさせて頂いた。</p><p>妻のいつもの勤行のあと、洗濯物を干してから２人でさせて頂いた。</p><p>創価学会式で行われたので詳しい名前は分からないが</p><p>第二と第十六というお経では、</p><p>妻の読み上げるペースが早くてとてもついていけない。</p><p>それでも必死に目で追い、妻が涙ぐんで止まった時には</p><p>続けて読み上げるように心掛けたのだが、すぐに追い越され</p><p>途中のぺージでは２ぺージまとめてめくってしまい、元のぺージに戻ったら</p><p>もうどこを読み上げているのかさっぱりわからなくなった。</p><p>少し先で待ち構えていてもすぐに追い越されてとてもついていけない。</p><p>妻が貸してくれた教本には第二と第十六しか記載されておらず</p><p>第一や第三から十五はどうしたんだろうか？という疑問だけが残る。</p><p>&nbsp;</p><p>そのあと、「南無妙法蓮華経」とお題目を上げる。</p><p>必死にあげているといつの間にやら合掌している手が上下に揺れており、</p><p>自らの身体で調子を取っているのが分かったが、</p><p>妻はじっとしたまま唱えているのを見て、自分も身体を止めた。</p><p>私の合掌は、左右の指が交互に指の間を過ぎている。</p><p>これは真言宗で行われる印（いん）のひとつで</p><p>金剛合掌というらしい。</p><p>高野山大学に通っていた頃に覚え、ずっと使っている。</p><p>仏様とのご縁をより強く結ぶことが出来ると言われている。</p><p>私は日頃の金光教での参拝でもこの印を利用させて頂いている。</p><p>&nbsp;</p><p>時より妻が涙ぐんで止まる。</p><p>今こそ実力を見せつけるチャンスと必死になって唱えている。</p><p>お題目も唱えながら、「自分は何をやってるんだ」という気持ちにもなったが</p><p>亡くなった義母への供養になるならという気持ちで必死にあげている。</p><p>妻ならこんな時、自分（創価学会）のお経をあげているのを知っているが、</p><p>自分は創価学会式にお題目を唱えていることについては、</p><p>日本語で言うところを外国語で話しているというふうに考えて</p><p>あえて抗わず長いものに巻かれておこうという気持ちで合わせておくことにした。</p><p>&nbsp;</p><p>しばらくあげていると、今度は</p><p>「いつまで続くんだろう？」という気持ちにもなってきたが、</p><p>やはり今日は長いものに巻かれておこうという方針で続けていると</p><p>ゴンゴンゴンゴンゴンゴンと鐘がなって、ホッとしたというのが本音である。</p><p>この鐘が鳴れば、南無妙法蓮華経を三唱の後に終わることを知っている。</p><p>妻の毎日の勤行を聞いていて、そうだと分かっている。</p><p>&nbsp;</p><p>妻は私と一緒に法要が出来たことを喜んでいる。</p><p>私でなきゃ勤行をしているところを後ろから蹴られるところだというが</p><p>そんなことなどする訳がない。</p><p>私自身もお義母さんにはよくお世話になったし</p><p>可愛がってもらってきた。</p><p>しかしながら信心に理解のない家庭では</p><p>そういう仕打ちを受けている人もあるということだろう。</p><p>&nbsp;</p><p>今日の四十九日法要に合わせてお花と御供物が送られてきた。</p><p>私側の親戚からの物と妻側の親戚からの物である。</p><p>そういう気遣い方があるのを初めて知った。</p><p>教会では当たり前にしているのに</p><p>家庭に置き換えれば思いつかなかったことに自分でも驚いている。</p><p>他にも今日の四十九日法要を知らせた身内もあったようだが</p><p>何ら音沙汰のなく、妻は残念に思っていたようだが</p><p>御供えという形で表現されることだけが正しいのではない。</p><p>自分たちの知らないところで手を合わせてくれているかもしれない。</p><p>&nbsp;</p><p>夫婦２人だけの法要だったが、</p><p>義母さんにせめてものお供えが出来たことがありがたい。</p><p>妻も私が一緒にお経をあげてくれたことに感謝してくれている。</p><p>この妻と出会い、一緒に人生を歩めていることに感謝している。</p><p>そして私たち夫婦をいつも見守って下さったお義母さんにも感謝している。</p><p>お義母さんありがとうございました。</p>
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<link>https://ameblo.jp/goodkappa/entry-12956806572.html</link>
<pubDate>Sun, 22 Feb 2026 00:00:00 +0900</pubDate>
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<title>お義母さんへのお供え</title>
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<![CDATA[ <p>昨年末亡くなったお義母さんの御遺骨は</p><p>自宅の仏壇の横に安置し</p><p>その前には、さまざまなお菓子などのお供えで</p><p>いっぱいになっていたが</p><p>ある日突然、きれいに片付けられている。</p><p>義母の四十九日は、当ブログが公開される本日で</p><p>それまでには、まだ１週間くらいある。</p><p>&nbsp;</p><p>いったい何が起きたのだろうか？</p><p>と思っていると妻が説明してくれた。</p><p>&nbsp;</p><p>お義母さんも少なくと認知症を患うまでは</p><p>創価学会で熱心に信心されておられた。</p><p>私が初めて妻の自宅に御挨拶に伺った時には</p><p>亡き義兄が生前に発表されていた</p><p>信心生活発表のテープを聞かせて下さったし、</p><p>義母がされた信心の話を聞いて</p><p>「よく分かります」とお答えしたら</p><p>「学会員でないあなたに、この信心が分かる訳がない」</p><p>とお𠮟りを受けたこともあったくらいに</p><p>熱心にご信心をされていた。</p><p>&nbsp;</p><p>しかしお義母さんの考え方の中には</p><p>みんなで祈れば亡くなられた故人が助かるとか</p><p>生前に好きだった物を御供えすると</p><p>故人が喜ばれるという思想がなかった。</p><p>そのことについてはあまり話をしたことがないが</p><p>おそらく人が亡くなり、火葬して遺骨になると</p><p>もうそこには故人の遺志は残っていない</p><p>と考えてこられたのだろう。</p><p>そう考えることで、先立たれた娘や夫、息子との</p><p>お別れをされてきたのだろう。</p><p>&nbsp;</p><p>一方、私の父はいつまでも亡くなった父母のことを思い</p><p>親孝行をしようと毎朝早くから起きて</p><p>教会とお寺、お墓の参拝と清掃をずっと続け</p><p>お彼岸の頃になると私と妹に</p><p>「おじいちゃんとおばあちゃんから届いた」と言って</p><p>お下がりのお菓子を袋に詰めて持ってきていたが</p><p>父の認知症発症とともにお菓子も届かなくなった。</p><p>&nbsp;</p><p>妻は亡き義母の考え方を思い起こしているうちに</p><p>どれほどのお供えをしていても</p><p>義母の心には届かないような気がしてきて</p><p>御供え物を整理したらしい。</p><p>&nbsp;</p><p>私たち夫婦の考え方としては</p><p>どちらかと言えば父の考え方に近いが</p><p>結局のところ、故人のためと言いつつも</p><p>残された者の気持ちとして</p><p>せめてもの気持ちを現わして</p><p>御供えすればいいと考えている。</p>
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<link>https://ameblo.jp/goodkappa/entry-12956232619.html</link>
<pubDate>Sun, 15 Feb 2026 00:00:00 +0900</pubDate>
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<title>難はみかげ</title>
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<![CDATA[ <p>金光教の御教えに中に「難はみかげ」がある。</p><p>おそらく一番短いので、子どもでもすぐに覚えられるけれど</p><p>その意味が分かりにくい。</p><p>難がみかげになるとは到底考えられず</p><p>子どもの頃から「難は、難」だと思ってきた。</p><p>&nbsp;</p><p>私と妻は職場結婚で</p><p>お付き合いをしている時から</p><p>妻が創価学会を信仰していることは分かっていた。</p><p>一方、私は両親が金光教だったというだけで</p><p>子どもの頃から教会中心の生活で育ったが</p><p>神様のありがたさは、分らなかった。</p><p>&nbsp;</p><p>交際が始まると、妻から信心の話を聞かされるようになるが</p><p>それに対抗しようとて信心が分かっていない。</p><p>その頃にたまたまご縁を頂いた教会に参拝することになり</p><p>教会で聞いてきた話をそのまま妻に伝えることで精一杯だったが</p><p>妻に対抗しようとして</p><p>教会にある本や教話のカセットテープを聞いているうちに</p><p>信心が分かってきて、両親がどんな思いで信心していたのか</p><p>考えるようになった。</p><p>&nbsp;</p><p>結婚後はそれぞれの信心生活が始まるが</p><p>妻にだけは金光教を分かっておいてほしいと願い</p><p>布団に入り、寝る前の１５分程度、互いの信心の話をする日々が始まった。</p><p>毎日毎日「なんでわかってくれへんのや」と泣きながら眠り</p><p>目を腫らして起きる日々が続いた。</p><p>その間もさまざまな本を読んだり、信心の先輩方にも相談しながら</p><p>毎日話し合ってきたが、着地点が見つからない。</p><p>&nbsp;</p><p>それから１０年が経過したある日、</p><p>創価学会が日蓮正宗から独立され、規約改正される中で</p><p>創価学会の信心はしないものの理解のある人を</p><p>「会友」と位置付けられたことで</p><p>私のような存在を受け入れられるようになった。</p><p>&nbsp;</p><p>もう二度としたくないほどに辛かった１０年間</p><p>毎日話をしてきたことで</p><p>信心だけでなく、あらゆる価値観が一致するようになった。</p><p>それだけじゃない。</p><p>日々それぞれの信心をしながらも</p><p>共に信心の話を語り合えるまでの関係になっている。</p><p>&nbsp;</p><p>これこそが「難はみかげ」の御教えのとおり</p><p>夫婦間の宗教が違うという難があったために</p><p>根気よく話し合いを続けてきたおかげで</p><p>互いの信心を認め合い、共励できる関係にまでなれた。</p><p>&nbsp;</p><p>他人様とは比べるものではないが</p><p>同じ宗教であったり、片方が信心されていなければ</p><p>わざわざ信心の話し合いをする機会を失ってしまい</p><p>いつまでも家族共有の信心にはならず</p><p>子どもや孫へと信心の継承が難しくなってしまうように思える。</p><p>&nbsp;</p><p>妻が創価学会だったおかげで</p><p>両親がしてきた信心を分からせてもらっただけでなく</p><p>夫婦仲良く、共に信心のある家庭になれた。</p><p>本当に素晴らしい妻です。</p>
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<link>https://ameblo.jp/goodkappa/entry-12951424431.html</link>
<pubDate>Sun, 08 Feb 2026 00:00:00 +0900</pubDate>
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