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<title>ぐらばのの歴史ブログ</title>
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<description>歴史から何が学べるか.思い付くこと、不定期に、徒然なるままに</description>
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<title>書類、書いても書いても誤字が減らん。どうしたらいいでしょう</title>
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<![CDATA[ <div>書類、書いても書いても誤字が減らん。どうしたらいいでしょう<br><br><a href="http://simplog.jp/search/entry?query=%23%E5%A4%B1%E6%95%97%E8%AB%87"><font color="#0066CC">#失敗談</font></a></div><br><div align="right"></div><br>
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<pubDate>Tue, 17 Mar 2015 12:39:00 +0900</pubDate>
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<title>マギーやね 生でみたことあるけどめっちゃ綺麗</title>
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<![CDATA[ <div>マギーやね 生でみたことあるけどめっちゃ綺麗<br><br><a href="http://simplog.jp/search/entry?query=%23%E5%A5%BD%E3%81%8D%E3%81%AA%E8%83%BD%E4%BA%BA"><font color="#0066CC">#好きな能人</font></a></div><br><div align="right"></div><br>
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<pubDate>Sat, 28 Feb 2015 19:56:00 +0900</pubDate>
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<title>ローソンの寿司 黄金チキン</title>
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<![CDATA[ <div>ローソンの寿司 黄金チキン<br><br><a href="http://simplog.jp/search/entry?query=%23%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%81"><font color="#0066CC">#ランチ</font></a></div><br><div align="right"></div><br>
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<pubDate>Thu, 25 Dec 2014 23:36:00 +0900</pubDate>
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<title>12日目 サラリーマンの聖地？新橋の歴史</title>
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<![CDATA[ <a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20140723/20/gravano/24/fd/j/o0720040513012078993.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140723/20/gravano/24/fd/j/o0720040513012078993.jpg" width="400" height="225"></a><br><br>異常なくらい暑いです。私の職場に近いサラリーマンの聖地-新橋も、ビールを求める人々で連日連夜、にぎわっております。今日は、そんな新橋の歴史を少し。<br><br> 江戸時代、新橋は大名屋敷が立ち並ぶ場所でした。地名は、近くの汐留川にかかっていた橋「新橋」の名に由来しています。<br><br> <br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20140723/20/gravano/41/c2/j/o0320022613012079029.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140723/20/gravano/41/c2/j/o0320022613012079029.jpg" width="320" height="226"></a><br>明治5年(1872年)、播州竜野藩、脇坂淡路守の屋敷の跡地に、新橋停車所がつくられ、横浜と結んだ本格的な鉄道(東海道本線)が、日本で初めて開通します。このとき、西郷隆盛などは鉄道開設に反対でしたが、実際に乗ってみて、その良さにすっかりご満悦になったそうです。なじみある新橋に、鉄道に乗るため明治の元勲たちが集結したか思うと、感激しますね。<br><br> &nbsp;ちなみに、開業時の全区間の運賃は、上等1円12銭5厘、中等75銭、下等37銭5厘。下等の料金は米が10キロ買えたそうですから、今だと3000~4000円くらいのイメージでしょうか。すると、上等が12000円くらい、中等が8000円くらい。上等なら、新幹線で東京から京都くらいまで行ける感じです。<br><br> &nbsp;明治22年には、東海道本線は神戸まで開通し、新橋は大正3年(1914年)の東京駅開業まで、東海道本線のターミナル駅として役割を果たします。<br><br> &nbsp;その後、新橋駅は汐留駅と名を変え、貨物専用駅に。昭和61年(1986年)、廃止され、役割を終えました。一方、汐留駅の誕生と同時に、それまでの烏森駅が新橋駅に改称され、今にいたります。今の新橋駅は、2代目なんですね。<br><br> <br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20140723/20/gravano/b3/15/p/o0482048013012079063.png"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140723/20/gravano/b3/15/p/o0482048013012079063.png" width="400" height="398"></a><br>新橋駅のまわりには、待ち合わせ場所として有名なSLや車両が展示されています。鉄道が日本の経済発展を支えたのは事実。その起点となった新橋駅前でお酒を飲む相手を待ちながら、そうした歴史に思いをはせるのもいいかもしれません。<br> &nbsp;<br> &nbsp;<br><br> &nbsp;<br> <br><br>
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<pubDate>Wed, 23 Jul 2014 17:27:08 +0900</pubDate>
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<title>11日目 若かった明治維新の立役者</title>
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<![CDATA[ 明治維新の立役者は若かった。そこで、明治元年の彼らの満年齢を記し、2014年にその年齢を迎える(迎えた)有名人はだれがいるのかを書いて、並べてみたい。<br><br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20140722/03/gravano/3e/91/j/o0245035113010444006.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140722/03/gravano/3e/91/j/o0245035113010444006.jpg" width="245" height="351"></a><br>勝海舟 45歳 &nbsp; &nbsp;槇原敬之、的場浩司<br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20140722/03/gravano/02/81/j/o0217023213010444032.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140722/03/gravano/02/81/j/o0217023213010444032.jpg" width="217" height="232"></a><br>岩倉具視 43歳 &nbsp;竹野内豊、有田哲平<br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20140722/03/gravano/af/70/j/o0320041813010444050.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140722/03/gravano/af/70/j/o0320041813010444050.jpg" width="320" height="418"></a><br>西郷隆盛 40歳 &nbsp;有吉弘行、レイザーラモンRG<br><br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20140722/03/gravano/04/93/j/o0320041813010444072.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140722/03/gravano/04/93/j/o0320041813010444072.jpg" width="320" height="418"></a><br>大久保利通 38歳 川島明(麒麟)、クロちゃん(安田大サーカス)<br><br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20140722/03/gravano/a8/47/j/o0083011013010444074.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140722/03/gravano/a8/47/j/o0083011013010444074.jpg" width="83" height="110"></a><br>木戸孝允 35歳 堂本光一、堂本剛<br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20140722/03/gravano/2e/3c/j/o0193026113010444075.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140722/03/gravano/2e/3c/j/o0193026113010444075.jpg" width="193" height="261"></a><br>伊藤博文 27歳 &nbsp;市原隼人、高良健吾<br><br>↓明治維新を前に亡くなった人は、享年と比べてみた。<br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20140722/03/gravano/e3/f5/j/o0320041813010444076.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140722/03/gravano/e3/f5/j/o0320041813010444076.jpg" width="320" height="418"></a><br>坂本龍馬 31歳 松田龍平、二宮和也<br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20140722/03/gravano/48/30/j/o0186027013010444081.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140722/03/gravano/48/30/j/o0186027013010444081.jpg" width="186" height="270"></a><br>高杉晋作 27歳 市原隼人、高良健吾<br><br><br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20140722/03/gravano/4a/2e/j/o0302032013010444092.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140722/03/gravano/4a/2e/j/o0302032013010444092.jpg" width="302" height="320"></a><br>吉田松陰 &nbsp;29歳 &nbsp;松山ケンイチ、山下智久<br><br> いかがだろう？彼らがいかに若く、凄まじいエネルギーで維新を成し遂げたか、実感できないだろうか？私個人としては、長州の志士を数多く育てた吉田松陰が、じゃっかん20代に過ぎなかったことに驚くばかりである。
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<pubDate>Tue, 22 Jul 2014 03:02:41 +0900</pubDate>
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<title>10日目 人徳なかった?徳川家康</title>
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<![CDATA[ <br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20140720/23/gravano/10/d6/j/o0640064013009175211.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140720/23/gravano/10/d6/j/o0640064013009175211.jpg" width="400" height="400"></a><br> 大河ドラマ「軍師官兵衛」にもようやく徳川家康が出てくるようになった。名優-寺尾聰が演じているだけに、存在感があり、とても楽しみだ。<br><br> 300年の太平を切り開いた家康を尊敬する人は多いが(かく言う私もそうだが)、実際に接すると、あんがい、人徳というか、大きさの感じられない人間だったのではないだろうか。というのも、残っているエピソードが、あまりにせこく、情けないからだ。男性的な信長や秀吉とあまりに違う。<br><br> たとえば…<br><br>-天下をとった後の大御所時代、駿府城内で相撲をとっている若者たちをみて、「畳がすりへる」と文句を言った。<br><br>-同じく駿府城内で、手に持っていた鼻紙が風に飛ばされると、「もったいない」とあわてて裸足で庭にかけおり、追いかけ回した。<br><br>-まだ秀吉の天下のころ、馬で川に差し掛かったところ、下馬し、家臣におぶわれて橋を渡った。<br><br> &nbsp;これらは家臣や武将らが目撃し、記録では、「さすが家康公」と感心したことになっているのだが、たぶん違う。相手は最高権力者だから、記録者はみんなが感心したことにしているが、あまりにもみっともなく失笑を買うエピソードだから、記憶に残り、記憶されたのだろう。<br><br> &nbsp;秀吉の死の直後、各大名は「しわい徳川殿より、気宇壮大な前田利家殿のほうが、天下人にふさわしい」と噂していたそうだ。その家康が実際に天下をとり、300年の太平を切り開くのだから、歴史とはわからないものである。<br><br> &nbsp;慎重でびびりな性格だったからこそ、当時としては破格の75歳まで長生きして豊臣を滅ぼすことができ、ガチガチの体制を作り上げて、前代未聞の長期政権を作り上げることができたのだろう。
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<pubDate>Sun, 20 Jul 2014 22:49:50 +0900</pubDate>
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<title>9日目 玉川上水~江戸庶民の歴史</title>
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<![CDATA[ &nbsp;スマホをある場所に置き忘れ、昨日、更新できなかった。なので、今日は2日分を書くつもり。<br><br> &nbsp;早朝、自宅近くの玉川上水を散歩した。写真は東京都小平市付近だ。<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20140720/08/gravano/b2/a0/j/o0640064013008367914.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140720/08/gravano/b2/a0/j/o0640064013008367914.jpg" width="400" height="400"></a><br> &nbsp; 東京の羽村から四谷まで、43キロの距離を17世紀半ばの江戸時代に、手掘りで完成させた玉川上水。その後、江戸庶民の飲料水を提供したり、流域にある開墾田に用水を流してきたりしてきた。明治時代には荷を運ぶ船も行き来したが、船乗りの放尿が問題となり、ほどなく通船を禁止。戦後は、太宰治が三鷹の玉川上水で愛人と入水自殺し、ニュースになっている。今は飲料水として使われていないが、涼やかな清流は流域の住民の憩いとなっている。<br><br> &nbsp;源流の多摩川からゴールの四谷まで、徐々に水底を深くしてゆくことで水を流している。つまり、多摩川から四谷にかけ、玉川上水は緩やかな下り坂になっているのだ。計算機もコンピューターもない360年前に、そんな緻密な設計をしていたことに驚くし、ユンボもブルドーザーもないのに、こんなに深く長距離を鋤や鍬で完成させたという粘り強さには脱帽するほかない。<br><br> &nbsp;玉川上水沿いは今も緑豊かで、夏になると、カブトムシが何匹もとれる。あまり信じてもらえないが、私はタヌキを目撃したことがある。徳川吉宗が開墾民の慰労のため植えたという小金井の桜は、現在も花見の名所だ。<br><br> &nbsp;先人の遺産が確かに受け継がれているありがたさを感じさせてくれるのが、玉川上水なのである。<br><br> &nbsp;<br><br> <br>
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<pubDate>Sun, 20 Jul 2014 08:24:21 +0900</pubDate>
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<title>8日目 織田信長考 3</title>
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<![CDATA[ <br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20140718/01/gravano/7c/5d/p/o0149013713006290298.png"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140718/01/gravano/7c/5d/p/o0149013713006290298.png" width="149" height="137"></a><br> 織田信長は、よく中世の破壊者といわれる。つまりは、寺社、公家など中間搾取層の既得権益を徹底的に破壊したということだ。<br><br> &nbsp;これは、最近のドラマなどで言うように、「新しき世をつくるため」とか「人がより好きなように生きるため」とかではない。中間搾取層の破壊とは、民衆の税金が途中で掠め取られることなく、直接、最高権力者である信長のフトコロに入るようにするということだ。つまり、より効率的にガッポリと、スピーディーに税金を徴収しましょうということである。<br><br> では、何のために？それは、大量の軍事費を稼ぐためだ。信長は鉄砲を数多く揃え、それこそ戦に革命を起こしたかのように言われるが、支えていたのは莫大な軍事費である。現代におきかえれば、軍事国家がほかの国より大量に核ミサイルを揃えるようなもので、やはり軍事費が潤沢でなければ到底不可能であることが、実感をもってわかる。 &nbsp;<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20140718/01/gravano/5e/d3/p/o0278015113006290312.png"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140718/01/gravano/5e/d3/p/o0278015113006290312.png" width="278" height="151"></a><br> &nbsp;信長は軍事費を稼ぐため、多額の関税が入る堺(の港)を支配下に収めたりしたのだが、一方で、中間搾取層の破壊といった税体系の改革も断行したのである。&nbsp;
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<pubDate>Fri, 18 Jul 2014 01:02:24 +0900</pubDate>
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<title>7日目 酒乱宰相 黒田清隆</title>
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<![CDATA[ <br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20140717/10/gravano/f0/c3/p/o0212026813005541391.png"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140717/10/gravano/f0/c3/p/o0212026813005541391.png" width="212" height="268"></a><br> <br><br> 小樽市でのひき逃げ事件など、相変わらず飲酒運転が引き起こす悲劇は引きも切らない。忘年会シーズンには、毎年のように酔っぱらったサラリーマンによる暴力沙汰や痴漢行為が報道されている。<br> &nbsp;<br> 明治時代、ありえない酒乱ぶりでスキャンダルを撒き散らした政治家がいた。薩摩藩出身の黒田清隆だ。<br> &nbsp;<br> 明治11年には、酔って帰宅し、妻を刀で惨殺。怒った長州の伊藤博文らが処分を主張したものの、薩摩の実力者、大久保利通の鶴の一声で揉みし消しに。<br> &nbsp;<br> 酔って船から面白半分に大砲をぶっぱなしたところ、沿岸に着弾し、住民が死亡。金を払って解決した。地方官が集まる会議では、長州のボス、木戸孝允にからみ、腰投げで投げ飛ばされている。<br> &nbsp;<br> 歴史の皮肉は、大久保や西郷隆盛なき後、人材がなく、この程度の人物が薩摩閥のトップになったことだ。長州、薩摩で交代交代つとめた総理大臣の座には、薩摩から初めてつき、明治20年代に発布された帝国憲法に首相として署名したのは、なんと黒田だった。<br> &nbsp; <br>細かい酒乱騒ぎは、きっと毎晩のように、料亭などで起こしていたに違いない。Twitterや2ちゃんねるのある今だったら、きっと大変なことになっていただろう。
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<pubDate>Thu, 17 Jul 2014 09:56:07 +0900</pubDate>
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<title>6日目 豊臣秀吉の耳塚 Mimi-zuka(Ear mound),Kyoto</title>
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<![CDATA[ &nbsp;<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20140716/10/gravano/0c/84/j/o0405072013004632253.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20140716/10/gravano/0c/84/j/o0405072013004632253.jpg" width="400" height="711"></a><br> 京都市東山区に今も残るのが、豊臣秀吉(政権)の作った耳塚である。朝鮮に攻め入ったさいに討ち取った明や朝鮮の兵士の耳や鼻をそぎ、戦功の証として持ちかえったものを埋め、供養した塚だ。写真は昨年訪れたときに撮ったもの。二階建ての家くらいの高さがある巨大なもので、迫力があり、体の一部を異国の地に埋められざるをえなかったかの国の人たちの恨みが、ヒシヒシと伝わってくる気がした。今にいたる日本と中韓との政治的対立を、彼らはいったいどう見ているのだろうか？<br><br> &nbsp;Hideyoshi Toyotomi was the ruler of Japan in 16c.His army invaded Korea and killed many Korean and Chinese soldiers,cut their ears and noses off,brought them to Japan. &nbsp;<br><br> &nbsp;Hideyoshi buried them and built a mound in Kyoto for the soldiers' souls.It was named<br>Mimi-zuka,Ear mound.
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<pubDate>Wed, 16 Jul 2014 10:34:01 +0900</pubDate>
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