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<title>サバイバル日本</title>
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<description>世界の綱引きの中で翻弄され続けるニッポン。このままで良いのでしょうか？連中だけに任せておけない。各地に散らばる志を集めて、この国をもっとまともな国にしたいと思いませんか？</description>
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<title>知恵を伝える</title>
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<![CDATA[ <p>ユダヤ人（の一部）に学ぶことの第一は自らの存在を歴史的に位置づけ、知恵を伝えることなのではないでしょうか？</p><p>分断して統治せよという言葉があります。一人ひとりを分断すればその能力はたかが知れています。代々伝え、受け継がれた知恵。彼らが恐れるのはこれでしょう。自らは2000年以上にわたって確固たる意思を受け継ぎ、相手に世代間、階層間などの断絶・敵対関係を作っておけば自らの地位は安泰です。だからこそ私たちは「知恵を伝える」ことを意識しなければなりません。家畜として生きるのか「人として」サバイバルできるのか。ここが肝心です。<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/e4/70/10018306659.jpg" target="_blank"><img height="144" alt="ろう" src="https://stat.ameba.jp/user_images/e4/70/10018306659_s.jpg" width="220" border="0"></a> <br></p><br>
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<pubDate>Mon, 26 Mar 2007 07:30:22 +0900</pubDate>
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<title>米国のインターネット未使用世帯は約3割</title>
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<![CDATA[ <p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/9e/25/10018305526.jpg" target="_blank"></a><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/6b/44/10018312323.jpg" target="_blank"><img height="220" alt="knife" src="https://stat.ameba.jp/user_images/6b/44/10018312323_s.jpg" width="220" border="0"></a><br> <br>10年前、サンフランシスコで取材した方から、「ホームレスは食事の配給日時や場所の情報を市内のネットカフェで得ている」と聴き驚きました。バス停のそばに空き缶を置いて座っている人たちです。25セントを持ってネットカフェへ出かけそこで、インターネット経由で食事にありつくための情報を検索し、生きながらえているとのことでした。ITを使える者の優位性を具体的に示してくれました。</p><p>この道具に依存することの危険性を理解したうえで、サバイバルのための道具、インターネットは欠かせません。</p><br><p>米国のインターネット未使用世帯は約3割＝調査<br>2007年3月25日（日）19:41 <br> </p><p>(ロイター)</p><p><br>　［マウンテンビュー（米カリフォルニア州）　２３日　ロイター］　米国では全世帯の２９％（３１００万世帯）がインターネット接続環境を持っていないことが分かった。ダラスを拠点とする市場調査会社パーク・アソシエートが２３日に発表した。</p><p>　また、これら世帯では、向こう１年はインターネット接続サービスに加入する考えがないことも明らかになった。日常生活でインターネットの利用価値が低いと考えていることが主な理由だという。</p><p>　インターネット未使用世帯のうち、４４％がネット上のいかなるコンテンツにも関心がないとしており、２２％がコンピューターや接続サービスを手にする経済的余裕がないとしている。</p><p>　また「インターネットの使い方がよく分からない」と答えたのは、未使用世帯全体の１７％。「ネット上での買い物や（動画投稿サイトの）ユーチューブ閲覧は職場でやっている」との回答は同１４％となった。</p>
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<pubDate>Mon, 26 Mar 2007 07:06:23 +0900</pubDate>
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<title>新潟市は震度４ですが実感震度２</title>
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<![CDATA[ 9時42分の地震。私は新潟市内の自宅です。震度2くらいではないかと思ってテレビニュースを見たら震度4だとのこと。新潟市内はたぶんほとんど被害はないと思われます。石川県や富山県、原発施設などに被害がないといいのですが。
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<link>https://ameblo.jp/great920/entry-10028902335.html</link>
<pubDate>Sun, 25 Mar 2007 10:21:14 +0900</pubDate>
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<title>ジョニーは戦場へ行った</title>
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<![CDATA[ <p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/bf/95/10018242219.jpg" target="_blank"><img height="165" alt="わんＴ" src="https://stat.ameba.jp/user_images/bf/95/10018242219_s.jpg" width="165" border="0"></a><br>&lt;a href="<a href="http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD4512/index.html">http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD4512/index.html</a>" title="ジョニーは戦場へ行った(1971) - goo 映画" target="_blank"&gt;ジョニーは戦場へ行った(1971) - goo 映画&lt;/a&gt;&lt;br&gt;<br>子供たちに何を見せようかと思って古いレーザーディスクの中に見つけました。<br>私が初めてみたのは高田馬場の名画座だったと思います。<br>「見世物として出して欲しい。そうでなければ殺して欲しい」<br>身動きが利かない主人公に感情移入し、望みが受け入れられないラストシーン。映画が終わっても絶望感でしばらく立ち上がれませんでした。<br>何で彼はこうなってしまったのか？</p><br><br><br><p>ダルトン・トランボ<br>出典: フリー百科事典『ウィキペディア（Wikipedia）』<br>移動: ナビゲーション, 検索<br>ダルトン・トランボ(ドルトン・トランボとも表記)（Dalton Trumbo、1905年12月9日 - 1979年9月10日）は、アメリカ合衆国の脚本家、映画監督。アメリカで1940年代に起こった赤狩りに反対したハリウッド・テンの一人で、その後の迫害期に使用したペンネームや借用名義としてはベン・L・ペリー（Ben L. Perry）、ロバート・リッチ（Robert Rich）、イアン・マクラレン・ハンター（Ian McLellan Hunter）がある。</p><p>目次 [非表示]<br>1 プロフィール <br>2 脚本作品 <br>3 原作作品 <br>4 監督作品 </p><br><p>[編集] プロフィール<br>アメリカ合衆国コロラド州モントローズに生まれ、地元のコロラド大学を卒業後、雑誌の記者・編集者を経て脚本家への道に進む。映画界には、1937年の「潜水艦SOS」の脚本家としてデビューし、1940年の「恋愛手帖」ではアカデミー脚色賞にノミネートされ、一躍ハリウッドのトップ脚本家として脚光を浴びることとなる。</p><p>1945年、「東京上空三十秒」「緑のそよ風」などの脚本を手がけ、着実にキャリアを積んでいたが、1947年10月20日、第二次世界大戦後、東西対立を利用しようとした政治家の反共キャンペーン非米国活動委員会による第一回聴聞会に呼び出される事になる。この、後にいわゆる「赤狩り(マッカーシズム）」と呼ばれた運動の最初の標的とされたハリウッド映画界の著名な10人の映画人（ハリウッド・テン）の中にトランボの名があった。当時のハリウッドにはジョン・ウェインらを筆頭に「アメリカの理想を守る映画連盟」なる組織が設立され、非米国活動委員会への協力が推進されていたと言われる（一説には密告などの行為が推奨されたとされる）。第一回聴聞会に出席したトランボは、そこでの「あなたは共産主義者か、あるいは、かつてそうであったか？」との問いに、アメリカ合衆国憲法修正一条（言論と集会の自由を規定した条項）を理由に証言を拒む。その結果、議会侮辱罪で逮捕、禁固刑の実刑判決を受ける事となった。</p><p>その後、出所したものの映画界かはら事実上の追放処分ととなり、妻らと共にメキシコに移り住むことになった。貧困にあえぐ生活を強いられていたトランボは、それでも偽名を使って脚本家としての仕事を続けており、Ｂ級映画作品の脚本で食いつないだ。（低予算で映画制作をする側にしてみれば、ハリウッドの高給取りの脚本家作品を安く買えることに意味があり、トランボの思想の左右など問題ではなかった。）1956年にロバート・リッチの名義で参加した「黒い牡牛」でアカデミー賞原案賞を受賞するが、彼の名前は公にされず、アカデミー協会は1975年になって初めてトランボの名前を刻んだオスカーをトランボに送った。クレジットに彼の名前が再び現れるのは、1960年の「スパルタカス」であり、追放から13年が経過していた。</p><p>近年になって追放中の1953年に作成された「ローマの休日」の原案・脚本であるイアン・マクレラン・ハンターが実はトランボであり、名義を借用していた事が関係者の証言で明らかになった。「ローマの休日」のイアン・マクラン・ハンターはアカデミー賞原案賞を受賞している、トランボは「黒い牡牛」以前に既にオスカーを手にしていたのである。最近発売されたDVDなどのソフトには、原案・脚本のクレジットがデジタル処理によりトランボの名前に変更されており、本来の受賞者の名前で鑑賞することができるようになった。</p><p>トランボは実名でハリウッドに復帰した後も、「脱獄」「パピヨン」などの大作・ヒット作に名を連ね、1973年「ダラスの熱い日」の脚本を最後に1979年に没した。没後10年を経てスティーブン・スピルバーグがトランボの原作を元に「オールウェイズ」を制作している。</p><p>トランボは一般的には反戦運動家と受け取られており、第二次世界大戦勃発の1939年に、負傷兵をテーマとした小説「ジョニーは銃を取った」を上梓する。本作のタイトルは第一次世界大戦の志願兵募集キャッチフレーズ「ジョニーよ銃を取れ」に対する皮肉と思われる。大戦中のアメリカでは反政府文学となり発禁処分の憂き目にあい、戦後になってから復刊された。さらに朝鮮戦争時に再度絶版となり休戦後復刊された。戦争のたびに絶版、復刊を繰り返すこの作品を、トランボはベトナム戦争最中の1971年、65歳にして自身唯一の監督作品として、原作・脚本を兼ね「ジョニーは戦場へ行った」として制作した。「ジョニーは戦場に行った」は、その年のカンヌ国際映画祭で、審査員特別グランプリ、国際映画評論家連盟賞、国際エヴァンジェリ映画委員会賞を受賞する。</p><p>一方トランボは第二次世界大戦中にはプロパガンダ映画「東京上空三十秒」の脚本も手がけておりその中では負傷兵というテーマは同じだがそれを乗り越えて戦争を遂行する兵士を讃えている。本「ジョニーは戦場に行った」も戦争中前線の兵士が読んでいたというエピソードがあり、映画も宗教的色彩が濃く、作者の意図が単純な戦争反対であるかどうかは不明である。</p><p><br>[編集] 脚本作品<br>潜水艦SOS The Devil's Playground（1937年） <br>恋愛手帖 Kitty Foyle: The Natural History of a Woman（1940年） <br>夫は還らず（1943年）劇場未公開TV放映 <br>緑のそよ風 Our Vines Have Tender Grapes（1945年） <br>東京上空三十秒 Thirty Seconds Over Tokyo（1945年） <br>ローマの休日 Roman Holiday (1953年）イアン・マクレラン・ハンター名義 <br>テキサスの死闘 Terror in a Texas Town（1958年）劇場未公開、米JBSでTV放映、ベン・L・ベリー名義 <br>スパルタカス Spartacus（1960年） <br>栄光への脱出 Exodus（1960年） <br>ガン・ファイター The Last Sunset（1961年） <br>脱獄 Lonely Are the Brave（1962年） <br>いそしぎ The Sandpiper（1965年） <br>ハワイ Hawaii（1965年） <br>フィクサー The Fixer（1968年） <br>ホースメン The Horsemen（1971年） <br>ジョニーは戦場に行った Johnny Got His Gun（1971年） <br>ダラスの熱い日 Executive Action（1973年） <br>パピヨン Papillon（1973年） </p><p>[編集] 原作作品<br>新妻はお医者様 You Belong To Me （1941年） <br>ローマの休日 Roman Holiday (1953年） <br>黒い牡牛 The Brave One（1956年）ロバート・リッチ名義 <br>ジョニーは戦場に行った Johnny Got His Gun（1971年） <br>オールウェイズ Always（1989年） </p><p> </p>
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<link>https://ameblo.jp/great920/entry-10028902058.html</link>
<pubDate>Sun, 25 Mar 2007 10:13:24 +0900</pubDate>
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<title>世界で最も豊かな国アメリカが、世界で最も貧しい国のひとつアフガニスタンを攻撃する</title>
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<![CDATA[ <p>世界で最も豊かな国アメリカが、世界で最も貧しい国のひとつアフガニスタンを攻撃する  </p><p><br>頑張れニッポン（読んでください！） / 2007年03月25日</p><br><p><a href="http://kjkb.jp/top200111.htm" target="_blank">Webで見つけたサイト「世界で最も豊かな国アメリカが、世界で最も貧しい国のひとつアフガニスタンを攻撃する。」という題で谷川俊太郎作詞・武満徹作曲の「死んだ男の残したものは」を紹介していました。<br></a>以前ブログに書きましたが、初めて韓国の国連墓地に行った際、亡くなった兵士の年齢を墓碑に見て愕然としました。極東の国に派遣され命を終えた若者と残された人たち。<br><font color="#ff0000"><strong>「あの戦争も」誰のための戦争だったのか？<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/17/db/10018240890.png" target="_blank"><img height="222" alt="汚れた手" src="https://stat.ameba.jp/user_images/17/db/10018240890_s.png" width="220" border="0"></a><br><br></strong></font>「恐ろしい影」のことを想像しこの詩を眺めました。</p><p>死んだ男の残したものは<br>出典: フリー百科事典『ウィキペディア（Wikipedia）』<br>移動: ナビゲーション, 検索<br>『死んだ男の残したものは』は、日本の反戦歌の1つである。谷川俊太郎の作詞、武満徹の作曲による。ベトナム戦争のさなかの1965年、「ベトナムの平和を願う市民の集会」のためにつくられ、友竹正則によって披露された。</p><p>沢知恵、鮫島有美子、岡村喬生のように、ポピュラーからクラシックの歌手まで広く歌われている。後に、林光がピアノつきの混声合唱曲に編曲。その後、作曲者の武満自身も1984年に無伴奏の合唱曲に編曲した。これら合唱編曲も合唱団のレパートリーとして重要なものとなっている。</p><p>6節の有節歌曲である。各節で、死んだ人たちや歴史の「残したもの」が2つ列挙されるが、その2つ以外に残した、あるいは残っているものが何もないという内容の歌である。河出書房の『日本の詩人17　谷川俊太郎詩集』（1968年）に収録されている。</p><p>1969年の映画「弾痕」で使用された。<br> </p>
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<pubDate>Sun, 25 Mar 2007 09:29:56 +0900</pubDate>
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<title>「かてもの」知ってます？</title>
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<![CDATA[ 今、世界中から知恵を集めることを考えています。民間療法や薬草についてだとかから始まり、ありとあらゆる事、もうひとつの「The whole earth catalogue（全地球カタログ）」だとか米沢藩の「かてもの」、加賀藩の「百工比照」のイメージです。インターネットの普及でうわべだけの情報はとんでもない量が飛び交うようになっていますが、本当に知り、活用できる知恵は必要とする人にいきわたっていないと思っています。知っていればどうにかなったことでも、知らなかったことで命を落とすようなこともあるのです。「無知｣は敵だと思います。知った上でのいろんな判断はその人の価値観で決めればいいこと。まず知ること。「神のようなもの」が恐れるのは皆がいろんなことを「識る」ことです。<br><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/27/80/10018143322.jpg" target="_blank"><img height="217" alt="か" src="https://stat.ameba.jp/user_images/27/80/10018143322_s.jpg" width="186" border="0"></a><br>
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<link>https://ameblo.jp/great920/entry-10028758879.html</link>
<pubDate>Fri, 23 Mar 2007 19:31:08 +0900</pubDate>
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<title>原発また臨界事故？隠蔽は「電力会社のDNA」なのか？</title>
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<![CDATA[ <p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/72/9d/10018120343.jpg" target="_blank"><img height="152" alt="tni" src="https://stat.ameba.jp/user_images/72/9d/10018120343_s.jpg" width="220" border="0"></a> <br>ひどすぎます。チェルノブイリやスリーマイル島とどこが違い、どこが同じなのか。そしてなぜ、ここに来て次々と表に情報が出てくるのか、はっきりさせましょう。</p><p>これも「電力会社のDNA」なんて言わせておくわけにはいきません。<font color="#ff0000" size="2"><strong>日本の自立のために電力の自給は本当に大切</strong></font>なんですから。電力会社の皆さん、もっと自負を持って、信頼できる組織になってください。</p><br><p>東電福島第一原発、検査中に７時間半臨界か　制御棒脱落</p><p>2007年3月23日（金）00:49 </p><p>　東京電力の福島第一原発３号機（福島県、沸騰水型、７８．４万キロワット）で７８年、定期検査中に制御棒５本が脱落し、核分裂反応が連鎖的に続く臨界事故が起きていた可能性の高いことが分かった。２２日、東電が発表した。約７時間半も制御不能の臨界が続く深刻な事態だったとみられる。東電は「当時は報告を義務づける法令がなく、国や県に報告していなかった」としているが、当時の総理府令違反との見方もある。運転日誌などに一切記されておらず、東電は隠蔽（いんぺい）の有無も調査中としている。</p><p>　定検中の制御棒脱落は全国の沸騰水型炉で相次いで発覚しており、常態化していた疑いがある。</p><p>　東電によると、７８年１１月２日午前３時ごろ、原子炉圧力容器の点検準備中に、１３７本ある制御棒（可動範囲３．６メートル）のうち５本が３０～９０センチ抜けた。４本が隣接していたため、局所的に核分裂が起きて臨界状態になったとみられる。制御棒を操作する水圧式の駆動装置で、弁の操作を誤ったことが原因とみている。</p><p>　原子炉メーカーの東芝の社員が残したメモには、核分裂で生じる中性子の計測器の針が７時間半にわたって振り切れたとの記載があった。夜が明けた午前１０時ごろから制御棒を挿入して、事態を収めたともあった。</p><p>　短時間に大量の放射線や熱の出る臨界が制御不能状態で続くのは、原発で最も警戒されることだ。作業員の被曝（ひばく）や放射能漏れは「調査中」としている。</p><p>　記者会見した東電の小森明生・原子力運営管理部長は「局所的な臨界で核分裂は安定していたと思われる。法令違反にも当たらないと考えるが、たいへん重く受け止めている」と謝罪した。ただ、７８年当時も重大な問題が生じた場合は、旧科学技術庁長官への報告が義務づけられていた。</p><p>　福島第一原発では５号機で７９年に、２号機で８０年に、いずれも定検中にそれぞれ制御棒１本の脱落があったことも判明した。３号機と同じく配管弁の操作ミスが原因とみられる。臨界状態には至らなかった。東芝から指摘を受けた東電が、社内調査で確認した。</p><p>　北陸電力志賀原発１号機（石川県志賀町）の臨界事故は９９年で、福島第一原発３号機の事故はその２１年も前に起きていたことになる。</p><br>
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<link>https://ameblo.jp/great920/entry-10028725022.html</link>
<pubDate>Fri, 23 Mar 2007 10:59:58 +0900</pubDate>
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<title>危険なプラントと情報公開「信越化学事故は粉じん爆発</title>
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<![CDATA[ <p><br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/d5/f3/10018119944.jpg" target="_blank"><img height="220" alt="ば" src="https://stat.ameba.jp/user_images/d5/f3/10018119944_s.jpg" width="220" border="0"></a> <br><a href="http://news.goo.ne.jp/article/niigata/region/1-231594-niigata.html?fr=rk" target="_blank">信越化学事故は粉じん爆発か(新潟日報) - goo ニュース</a></p><p> <a href="http://www.amano.co.jp/kanken/kanken-index_funjinbakuhatsujirei.html" target="_blank">「粉じん爆発事例紹介」</a></p><p>というサイトがあります。実は大変危険なものなんです。小麦粉から爆弾ができたりします。職場が爆弾製造工場だったら危なっかしくてやってられないですよね。安全衛生管理の大切さが良くわかる事故です。信越化学の責任は重いと思います。原子力プラントの周辺住民にようやく事故が起きた際の対応ということでヨウ素が配られるようになりましたが<font color="#ff0000" size="2"><strong>危険なのは原子力プラントだけではありません。</strong></font>そこで働く人たちの安全はもちろん、周辺住民の安全にも最大限の配慮がなければなりません。そしてそこで扱っているものが何なのか、万が一事故が起こった場合の対応はどのようにすべきなのか。風向きを理解しているだけで避けることができる被害もあるのです。インド、ボパールで起きた事故。ユニオンカーバイドの間違いを繰り返さないように。</p><br><p>ボパール化学工場事故</p><p>出典: フリー百科事典『ウィキペディア（Wikipedia）』</p><p>移動: ナビゲーション, 検索</p><p>ボーパール化学工場事故（?かがくこうじょうじこ）は1984年に発生した世界最悪の化学工場事故である。インドのマッディヤ・プラデーシュ州の州都ボーパール (?????) で操業していたユニオンカーバイド社の子会社の化学工場から約4トンのイソシアン酸メチル (MIC) が流出し有毒ガスが工場周辺の町に流れ出した。</p><br><p>事故は12月3日の深夜に発生した。有毒ガスにより、その夜のうちに3000人以上が死亡し、15?60万人が被害を受けた。最終的に、1万5000人～2万5000人が死亡した。</p><br><p>現在もなお工場から漏れ出した化学物質による周辺住民への健康被害が続いている。また、工場を管理していたユニオンカーバイド社への訴訟や責任問題が未解決である。</p><br><p>目次 [非表示]</p><p>1 事故の要因 </p><p>2 ユニオンカーバイドに対する調査と訴訟 </p><p>3 汚染の現状 </p><p>4 外部リンク </p><p>5 参考資料 </p><p> </p><br><br><p>[編集] 事故の要因</p><p>ユニオンカーバイドのボーパール工場は1969年に創業を開始し、1979年に殺虫剤カルバリルの生産を拡大した。MIC はカルバリル製造の反応中間体であり、ホスゲンから製造される。工場には、同じくMICを扱うアメリカ合衆国ウェストバージニア州インスチチュートの工場と同じ安全基準が適用されていると発表され、事故後もそう主張された。</p><br><p>事故は MIC 貯蔵タンクへの水の混入が原因である。その結果、タンク内部で化学反応がおこり大量の有毒ガスが発生した。タンク内の圧力を緊急排出したが、ガス洗浄装置が修理のために停止していたことで有毒ガスが漏れ続けた。調査によりいくつかの安全手順が回避されていたことが判明している（タンクに漏れている水を防ぐバッフルプレートの設置は省略されていた。また、タンクの冷却および流出したガスを焼却できたフレアタワーが停止していた）。そして、設備を他の工場と統一しなかったインド従業員の活動規範。こうした安全基準はユニオンカーバイドが当時関連していたインドの工場で「コスト削減計画」の妨げになるとして、1984年に意図的に省略されていたとされている。最近浮上した文書は、ユニオンカーバイドがインドの工場へ「無認可のテクノロジー」をしばしば輸出していたことを明らかにしている。工場が操業した時、地元の医師はガスの性質を知らされていなかった。また、災害時の基本的な対処法（湿った布で口を覆うような）は考えられていなかった。</p><br><p>ユニオンカーバイドはこれらの証言や主張を一切認めていない。そして、事故はひとりの従業員が検査用の通気孔を通して故意に水をホースで流し込んだものと結論した調査報告をした。ただし、この調査に専門家のチェックはされていない。ユニオンカーバイドは事故によりこうした方法で水が混入することを見つけることができなかったと主張している。そして、安全システムはこのような破壊活動に対処できるようにはなっていなかった。ユニオンカーバイドはボーパール工場のスタッフは事件の責任を逃れるために多数の記録を偽造した。そして、おそらくそれらはユニオンカーバイドに対する怠慢を申し立てを弱めるもので、インド政府は調査を妨害し、責任のある従業員の起訴を取りやめたと言っている。ユニオンカーバイドは公的に破壊工作をした従業員の指名はしていない。</p><br><br><p>[編集] ユニオンカーバイドに対する調査と訴訟</p><p>1989年に示談による和解が得られ、ユニオンカーバイドはボーパールの事故によって生じた被害に対し4億7000万米ドルを支払うことに同意した（当初の訴訟では30億ドルが請求されていた）。この和解が報じられると、ユニオンカーバイド社の株価は1株あたり2ドル（株価の 7%）下がった。ボパール事故で支払われた賠償金は、石綿症の被害者（ユニオンカーバイド社は1963年から1985年にかけて石綿の採掘を行っていた）に対してアメリカ合衆国の法廷が同社を含む被告に支払いを命じた額と同率であり、1984年に出した死傷者に対する同社の債務額は100億ドルを超えた。2003年10月の終わりに、ボーパールガス事故被災者救援復興局 (Bhopal Gas Tragedy Relief and Rehabilitation Department) によって 55万4895 人の被害者と 1万5310 人の遺族に対して賠償金が支払われた。遺族一家についての平均額は2200ドルであった。</p><br><p>当時のユニオンカーバイド社の最高経営責任者であったウォーレン・アンダーソン（1986年に辞任）はこの大規模な殺人事件の主犯とされていたが、法廷での審理に出席しなかったため、ボパール最高裁判長によって1992年2月1日に逃亡犯として宣告された。犯罪人引渡し条約を締結しているアメリカに対し、インド政府は引き渡しを求める通知を送ったが、この要求が受理されることはなかった。多くの活動家が、インド政府は自由化のあとにインド経済で重要な役割を担っている外国人投資者からの報復を恐れ、アメリカに対して激しい要求を行うことをためらっている、と非難した。事件解決の失敗について無関心を装うアメリカ政府の態度は、過去においても特にグリーンピースから強い非難を浴びている。犯人が逃亡したため、インド中央投資局による本事件における過失を理由とする請求額引き下げの嘆願はインド法廷によって却下された。アンダーソンは現在でも逃亡者としてインド法廷に手配されており、仮に判決が10年以下の禁固であったとしても賠償金を支払う義務を負っている。</p><br><p>一方、ユニオンカーバイド社との和解によって政府が受け取った賠償金のうちの一部しか遺族には渡らなかったため、地元の人々は同社と責任者のアンダーソンのみならず、インド政府からも裏切られたと感じている。本事件の記念日にはアンダーソンと政治家たちの肖像が焼かれる。2004年4月、インド最高裁判所は政府に対し、賠償金として受け取った残り3億3000万ドルを被害者と遺族に支払うよう命じた。</p><br><p>ユニオンカーバイドはボーパール工場を運営していたインド支社を、1994年にインドのバッテリー工場に売却した。2001年にはダウ・ケミカル社が103億ドルの負債を抱えたユニオンカーバイド社を買収した。ダウ・ケミカル社は、ユニオンカーバイド社の和解による支払いは既に履行されており自社に責任はない、と何度か公式に発表した。しかしながら、遺族によって、ダウ・ケミカル社に対し重度に汚染された土地を清浄化させるための訴訟がアメリカの地方裁判所で行われている。</p><br><p>ダウ・ケミカル社とその子会社となったユニオンカーバイド・アメリカ社がインド法廷の判決に従うことを拒否したため、賠償金の支払い要求先は、現在はユニオンカーバイド・インド社のもと従業員、すなわち元社長・現マヒンドラ ケーシャブ・マヘーンドラ、現社長付き経営取締役 ヴィジャイ・ゴーカレー、元社長兼職務主幹 キショール・カームダール、元工場長 J・ムクンド、元AP部門製造部長 S・P・チョウドリーに移っている。</p><br><p>　</p><p>[編集] 汚染の現状</p><p>政府が主導する意思を持たなかったため、何トンもの毒性廃棄物が手付かずのまま放置されている工場の清浄化は行きづまった。環境問題研究家たちは、この廃棄物は市の中心部の汚染源となる可能性があり、生じる汚染は何十年にも渡ってゆっくりと広がり、神経系、肝臓、腎臓に障害を与えるおそれがある、と警告している。調査により、事故以来がんなどへの罹患率が高まっていることが示されている。活動家たちはダウ社に汚染物質の除去を求め、インド政府に対し同社からより多くの資金を供与させる命令を出すように要求している。</p><br><p>BBCは2004年11月14日の放送で、事故現場はいまだ数千トンの有毒物質 ? 容器が開けっ放しのまま放置され、あるいは地面に流れ出したヘキサクロロベンゼンや水銀などで汚染されているという調査結果を報じた。いくつかの区域は汚染があまりにも激しく、10分以上留まると意識を失うおそれがあった。降雨によってそれらの流出が起こり、付近一帯の井戸を汚染した。BBCに代わりイギリスから派遣された水質分析者によるボーリング試験によって、汚染濃度はインドの基準値の最大500倍であることが明らかにされた。付近の居住者と、同程度の経済状態の他の地域とを比較する統計調査が行われ、工場近辺では様々な疾患の度合いが高いことを明らかにする結果が報じられた。<br></p>
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<link>https://ameblo.jp/great920/entry-10028724221.html</link>
<pubDate>Fri, 23 Mar 2007 10:49:46 +0900</pubDate>
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<title>生き残るための火薬</title>
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<![CDATA[ <p><a href="http://www.nda.co.jp/memo/kayaku97/" target="_blank">「生き残るための火薬」</a>というサイトを見つけました。</p><p>山で遭難したとき、こんな風にすれば発炎筒が作れますね。</p><p>最初に作っておくのか？</p><p><a href="http://www.webike.net/cg/12236/3260/" target="_blank">こちらのサイト</a>では998円で売っていました。<br><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/bd/ad/10018118245.jpg" target="_blank"><img height="165" alt="はつえん" src="https://stat.ameba.jp/user_images/bd/ad/10018118245_s.jpg" width="220" border="0"></a><br></p>
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<link>https://ameblo.jp/great920/entry-10028721736.html</link>
<pubDate>Fri, 23 Mar 2007 09:58:22 +0900</pubDate>
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<title>マスコミの中にも期待が持てる方がいました！</title>
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<![CDATA[ <p>大変良いブログを見つけました。</p><p>ご存知の方も多いのでしょうが、阿比留瑠比さんという政治部首相官邸担当の記者の方のようです。</p><p>このように考えれいられる方がマスコミの中にいて、本人の意見をこのようにブログで述べることができるのは「親米」産経もまだ大丈夫かもと期待を持たせられました。これからも覗かせてもらおうと思っています。</p><p>以下、阿比留瑠比さんのブログより。</p><br><p target="_blank"><a href="http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/136979/">慰安婦問題・つかこうへい氏の本からの引用 <br>2007/03/20 18:54 </a></p><br><p>《自国を加害者と見なし、それに対応して、相手方を被害者として眺めることから始めるのは、両国についての理解を非常に歪んだ一面的なものにしてしまい、それこそ、真の相互理解を困難にしてしまうであろう。さらに言えば、こうした見方は、ともすれば、相手のアイデンティティそのものを単なる同情すべき無力な被害者のイメージで理解することになりかねない。そして、それは、相手方の尊厳を真に尊重することにはならないのである》</p><p>　私も、サヨク・リベラルの人のように、やたらと他国を被害者として扱いたがるのは、逆に相手をバカにし、舐めきっているからできるのだろうな、と常々感じてきました。彼らが、朝鮮半島から20万人の女性を強制連行して慰安婦にしたなんていう虚構を平気で言えるのも、朝鮮半島の人はそんなたくさんの同胞が連れ去られるのを黙って見逃した無力・無気力な人だと決めつけることですから。</p><p>　私が韓国人か北朝鮮人だったら、そんな侮辱的な発言は絶対に許さないだろうとも思います。相手に同情し、理解しているふりをして(主観的には理解しているつもりかもしれませんが)、実際は貶めているようないやらしさを感じます。元慰安婦の人にしても、それぞれ家庭の事情やら何やらいろいろと大変なことがあったのでしょうが、みんなまとめて一括りに「かわいそうな人」としてしまっては、逆に彼女達の人生を侮辱することになるような気もします。</p>
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<link>https://ameblo.jp/great920/entry-10028630830.html</link>
<pubDate>Thu, 22 Mar 2007 10:14:55 +0900</pubDate>
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