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<title>二元論世界のその先へ</title>
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<description>この世界のことわりを知り、別世界を体験する</description>
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<title>タイミングを逃す意識の在り方/願いが手に届く世界</title>
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<![CDATA[ <blockquote><p><span style="font-size:0.83em;">私は、神寄木賀集語録・覚醒個人セッションに通っていますが、</span></p><p><span style="font-size:0.83em;">現在ブログ拝読を休止しているため、2026年1月の情報までしか把握していません。</span></p><p><span style="font-size:0.83em;">このブログに記載する内容は、私自身の観察や理解に基づくものであり、誤りが含まれる場合もあります。正確な情報については、<a href="https://ameblo.jp/catalyst-yuka1111/" rel="noopener noreferrer" target="_blank">本家ブログ</a>をご確認ください。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:0.83em;">私の自己紹介とブログ概要は、<a href="https://ameblo.jp/gullagalaxy7/entry-12981077553.html" rel="noopener noreferrer" target="_blank">こちら</a>から読めます。</span></p></blockquote><p>&nbsp;</p><p><b style="font-weight:bold;"><span style="font-size:1.4em;">「後でいいや」という「わたしの都合・最優先設定」</span></b></p><p>&nbsp;</p><p>早朝、久しぶりに散歩に出掛けようと</p><p>マンションの階下に降りてから、</p><p>ゴミ捨ての日だったことを思い出す。</p><p>&nbsp;</p><p>しかし、「後でいいや」とそのまま散歩に出かけた。<br><br>駅前で黄色いタクシーが目に留まり、</p><p>（早朝には滅多にいない）</p><p>「タクシーに乗って、早朝に近所の森林公園まで行きたい」</p><p>と考えていたことを思い出す。<br><br>しかし、ゴミ捨てをそのままにしていたので</p><p>家に帰らなければならず、</p><p>「後回し意識がタイミングを逃すこと」を観察した。<br><br>帰宅後、ゴミ捨てを済ませたが、</p><p>「今行かなきゃ後悔する気がする」と思い、</p><p>再び駅前のタクシー乗り場に向かうが、</p><p>タクシーは一台も停車しておらず、「学び１」としてカウントした。</p><p>&nbsp;</p><ul><li><b>この事象の観察ポイント</b></li></ul><p>&nbsp;</p><p>「後でいいや」という</p><p>「わたしの都合最優先設定」が、</p><p>いかに今この瞬間に現れた最善の巡り（タイミング）を逃してしまうのか。</p><p>&nbsp;</p><p>いつか願っていたことがポンと目の前に現れた時、それが手に届くか否か。</p><p>&nbsp;</p><p>「わたし中心で動く世界」がどんな世界を具現化しているか。</p><p><br>その焦りから「取り戻そう」と動いた結果の現像も含めて、観察しました。</p><p>&nbsp;</p><p><b style="font-weight:bold;"><span style="font-size:1.4em;">わたし中心で動く世界の結実</span></b></p><p><br><b style="font-weight:bold;">1. 「後でいいや（私都合）」が奪う、選択の自由</b></p><p><br>早朝の「ゴミ捨ては後でいいや」という一瞬の妥協。</p><p><br>一見すると小さな選択に見えますが、</p><p>「自分の快適さや都合を優先する」という</p><p>「私中心軸（旧OS）」が作動していました。</p><p><br><b style="font-weight:bold;">自由を奪う「留保された因」： </b>駅前でタクシーという巡り（縁）に出遭った瞬間、本来なら「乗る」という選択決定を即座に行使できたはず。 しかし、自らが放置した「ゴミ捨て」という未完了の因がブレーキとなり、「家に帰らなければならない」という制限として自分を拘束。 「後回し意識」が、今この瞬間のタイミングを逃させるカラクリ。</p><p><br><b style="font-weight:bold;">2. 「後悔する気がする」という恐れ起点の獲得</b></p><p><br>「今行かなきゃ後悔する」という焦りから、</p><p>再び駅前へ向かったプロセス。</p><p>&nbsp;</p><p>自我システムはこれを、</p><p>まだタイミングに乗れるはずだと誤認。</p><p><br><b style="font-weight:bold;">取り戻そうとする二元の獲得意識： </b>「逃した分を取り戻さねば」「後悔したくない」という恐れや損得（二元）を起点にして動き出す時、そのエネルギーは「巡りとの調和」ではなく「獲得の力技」。</p><p><br>「恐れや取り戻しを起点にして動いても、そこには循環の波（タイミング）は合致しない」という、客観的データの提示。</p><p><br><b style="font-weight:bold;">3. 「学び1」として回収</b><br><br>「後回し意識（私都合）」と、</p><p>「取り戻しの焦り（獲得）」。</p><p>&nbsp;</p><p>「学び1（1素材）」として、</p><p>「失敗」として出来事を固定せず、進化の糧として循環構造に再配置。</p><ul><li>今の意識の在り方では、タイミングを逃してしまうこと。</li><li>後回しにせず「今ここ」で完了させていくこと。</li><li>未だ、獲得観点が元気に稼働しているということ。</li></ul><p>焦って取り戻さない。</p><p>それは、時間軸概念上の創造になってしまう。<br>それは、失敗を否定に配置している二元構造の認識世界。</p><p><br>過去の失敗を挽回しようとしていないか？</p><p>前だけを見よう。<br>後回しを手離し、今この瞬間の点灯を逃さない。</p><p>&nbsp;</p><p><b style="font-weight:bold;"><span style="font-size:1.4em;">「願いが手に届く世界の理」について</span></b></p><p>&nbsp;</p><p>かつて願っていたことが、</p><p>ある日不意に目の前にポンと現れた時。</p><p><br>それを「手に取り、巡りの中に溶け込める（手に届く）」のか、</p><p>それとも「見送るか、目の前で滑り落ちてしまう（手に届かない）」のか——。</p><p>&nbsp;</p><p>一元構造か、二元構造か、それは次元の隔たり。</p><p><br>それを決定づけているのは、</p><p>他でもない自分自身が日頃から放ち、</p><p>積み上げている「意識の在り方（因）」そのものであるという、構造的観察。<br><br><b style="font-weight:bold;">1. なぜ「手に届かない（逸する）」現実を自ら創造してしまうのか</b></p><p><br>二元構造システム（旧OS）の領域に留まっている時、</p><p>私たちは無自覚に「手が届かないカラクリ」を自作自演で構築。</p><p><br><b style="font-weight:bold;">私都合による「後回し（未完了の因の滞留）」： </b>「今なすべき一役」を「後でいいや」と私都合で留保した時、その未完了の因は自らを縛る「無形のブレーキ（制限）」へと姿を変えます。いざ目の前に最高の巡りが現れても、そのブレーキが働いて足止めを喰らい、受け取ることができません。獲得意識の巡り還りです。</p><p><br><b style="font-weight:bold;">「逃したくない」という恐れ・焦り（二元獲得意識）： </b>逃した巡りを「取り戻さねば」と焦って追いかける時、その起点は「欠乏と恐れ」です。力技で掴み取ろうと動けば動くほど、波長は巡りの周期と噛み合わなくなり、結果として「手が届かない」という現像を自ら創造することに。</p><p><br><b style="font-weight:bold;">2. なぜ「手に届く（全自動で巡りと合致する）」のか</b></p><p><br>一元構造（新OS）に佇む時、</p><p>「手に届く」現象は努力や力技ではなく、</p><p>「調和（全自動の巡り還り）」として結実。</p><p><br><b style="font-weight:bold;">「今この瞬間」の即時点灯：</b> 日頃から「後でいいや」という妥協を挟まず、目の前の一役を「今ここ」で誠実に完了させ続けること。 この未完了のないクリアな意識場には、何のブレーキも滞留していません。</p><p><br><b style="font-weight:bold;">「私最高位」を捨てたゼロ点着地： <i style="font-style:italic;"><u style="text-decoration:underline;">獲得我欲を手離し、最後尾に佇んでいること。</u></i></b>その在り方が目の前の事を後回しにせず、 さらには目の前に現れた巡りは何ひとつ邪魔されることなく、完璧なタイミングで「手に届く」ことに。</p><p><br><b style="font-weight:bold;">3. 被支配者の「運任せ」から、自律/自立した「創造主」へ</b></p><p><br>「チャンスに恵まれるかどうか」は、<br>「今この瞬間の自らの在り方・選択決定」にかかっている。</p><p>&nbsp;</p><p>100%自分が生み出しているという圧倒的な自律/自立に立つこと。</p><p><br>「手が届かない」という悲劇も、</p><p>「手が届く」という歓喜も、すべては</p><p>「今この瞬間」に置いている因の正確な鏡（データ）に過ぎない。</p><p>&nbsp;</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260415/19/gullagalaxy7/d7/8e/j/o1024057215771774403.jpg"><img alt="" height="235" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260415/19/gullagalaxy7/d7/8e/j/o1024057215771774403.jpg" width="420"></a><br>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/gullagalaxy7/entry-12981617913.html</link>
<pubDate>Thu, 15 Oct 2026 08:20:48 +0900</pubDate>
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<title>自分の思いを伝えることと、吐露は別</title>
<description>
<![CDATA[ <p><b style="font-weight:bold;"><span style="font-size:1.4em;">正解の凍結の檻の中に封印された「私の思い」</span></b></p><p>&nbsp;</p><blockquote><p><span style="font-size:0.83em;">私は、神寄木賀集語録・覚醒個人セッションに通っていますが、</span></p><p><span style="font-size:0.83em;">現在ブログ拝読を休止しているため、2026年1月の情報までしか把握していません。</span></p><p><span style="font-size:0.83em;">このブログに記載する内容は、私自身の観察や理解に基づくものであり、誤りが含まれる場合もあります。正確な情報については、<a href="https://ameblo.jp/catalyst-yuka1111/" rel="noopener noreferrer" target="_blank">本家ブログ</a>をご確認ください。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:0.83em;">私の自己紹介とブログ概要は、<a href="https://ameblo.jp/gullagalaxy7/entry-12981077553.html" rel="noopener noreferrer" target="_blank">こちら</a>から読めます。</span></p></blockquote><p>&nbsp;</p><p>正解に囚われて動けなくなっていた。<br>覚醒的に正しい行動をとろうとしていた。<br><br>境界線を土足で踏み越えてくる人に対し、<br>「境界線をしっかり引き直す」という課題へ動かず、<br>正解の凍結の檻の中に封印された「私の思い」があった。<br><br>ある時ふいに、「うるさい！！」とその檻の壁を取っ払うように、</p><p>内側から起きてきた行動。<br><br>自我の衝動ではなく魂のものだったようで、<br>淡々と共通事実を延べて正当な対応を求めた後、<br>私の思いもはっきりと伝えることに動いたのだ。</p><p>&nbsp;</p><p>「終わらせる」という強い意思決定がそこにはあった。</p><p>&nbsp;</p><div><b style="font-weight:bold;"><span style="font-size:1.4em;">「自分の思いを伝えること」と「吐露」</span></b></div><div>&nbsp;</div><p>「自分の思いを伝えること」と「吐露」は、<br>内面にあるものを言葉にするという点では共通していますが、<br>言葉にする目的と、働きが異なります。<br><br><b style="font-weight:bold;">自分の思いを伝えることは：</b>自分の内面にある事実を相手に知らせ、今後につなげる行為です。感情が含まれていても、感情をそのまま相手にぶつける行為ではありません。<br><br><b style="font-weight:bold;">一方、吐露は：</b>心の中に溜めていた感情や思いを外に吐き出すことです。抑圧されていたものを解放する働きがありますが、「在り方＝二元構造」が変わらない限り、それは一時的なものに留まります。</p><p><br>単に溜め込んだ感情を発散したのではなく、自分の思いを明確にしたうえで、「ある状況に終止符を打つために行動した」と整理できます。</p><p><br><span style="font-size:1.4em;"><b style="font-weight:bold;">「覚醒的に正しい行動をとらねばならない」という高すぎる自己基準</b></span></p><p>&nbsp;</p><p><b style="font-weight:bold;">完璧主義の城：</b>それ自体が、自らの声や思いを封印し、身動きを取れなくさせていた二元構造の「凍結の檻（正解の呪縛）」だったのです。</p><p><br><span style="font-size:1.4em;"><b style="font-weight:bold;">「吐露」と「意思表示」の構造差と識別</b></span></p><p><br><b style="font-weight:bold;">1. 「正解の檻」という二元の凍結状態の解体</b></p><p><br>自我システム（旧OS）は、「正しくあれ」「覚醒的であれ」という理想の型を提示し、少しでもそこから外れる感情や思いを「不純なもの」として抑圧・封印します。</p><p><br>「正解」を演じようとするあまり、自分の本当の思いや違和感を言えないまま腹に溜め込み、不満や不調和を水面下で肥大化させていた凍結状態。</p><p><br><b style="font-weight:bold;">2. 「吐露」と「思いを伝える（意思表示）」の構造差</b></p><ul><li><b style="font-weight:bold;">この二つは外見上の言葉としては似ていても、水面下の創造構造（エネルギーのベクトル）が根本から異なります。</b></li></ul><p>感情を感情のまま相手にぶつける「吐露」は、「相手を否定する対立構造」であり、二元構造の摩擦を生むだけに終わります。</p><p>&nbsp;</p><p>しかし、「共通事実を淡々と述べ、正当な対応を求め、自らの思いと『終わらせる』意思をはっきりと提示する」という行動を支える「意識構造」は、進化に向かう一元構造です。不調和が起きていた「構造的根本治療」に繋がり、事態を確実に収束（解脱）させる打刻となります。</p><p><br><b style="font-weight:bold;">3. 「終わらせる」という決定がひらく自立（一元循環）</b></p><ul><li><b style="font-weight:bold;">「単に感情を発散した」のではなく、「ある状況（在り方）に終止符を打つために行動した」ということ。</b></li></ul><p><b style="font-weight:bold;">「正解」を手離した先にある42点の実践： </b>100点の「綺麗な正解」を装うのをやめ、未熟さや葛藤も抱えたまま、42点の等身大で「言うべきことを言い、終わらせるべきを終わらせる」という泥臭い行動グラウンディング。&nbsp;</p><p><br>「正しさに囚われて自己封印し、陰でモヤモヤした感情を蓄積し、吐露し、時に爆発させる」という被支配者（体験者）のドラマを終わらせたその行動によって、自らの瘴気で自滅してしまうんじゃないかというほどの辛苦が、２カ月のタイムラグを経て消滅したのです。</p><p>&nbsp;</p><p>正解の檻を破り、意思表示をもって不調和に終止符を打つとき、その意識構造は、線形概念時間軸を超えて、非線形概念ワープを可能にする。<br>&nbsp;</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260415/19/gullagalaxy7/1b/98/j/o1024055915771764752.jpg"><img alt="" height="229" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260415/19/gullagalaxy7/1b/98/j/o1024055915771764752.jpg" width="420"></a></p>
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<link>https://ameblo.jp/gullagalaxy7/entry-12981538312.html</link>
<pubDate>Wed, 14 Oct 2026 11:00:22 +0900</pubDate>
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<title>世間は自我モンスターだらけ：モラハラモンスターの卒業</title>
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<![CDATA[ <blockquote><p><span style="font-size:0.83em;">私は、神寄木賀集語録・覚醒個人セッションに通っていますが、</span></p><p><span style="font-size:0.83em;">現在ブログ拝読を休止しているため、2026年1月の情報までしか把握していません。</span></p><p><span style="font-size:0.83em;">このブログに記載する内容は、私自身の観察や理解に基づくものであり、誤りが含まれる場合もあります。正確な情報については、<a href="https://ameblo.jp/catalyst-yuka1111/" rel="noopener noreferrer" target="_blank">本家ブログ</a>をご確認ください。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:0.83em;">私の自己紹介とブログ概要は、<a href="https://ameblo.jp/gullagalaxy7/entry-12981077553.html" rel="noopener noreferrer" target="_blank">こちら</a>から読めます。</span></p></blockquote><p>&nbsp;</p><p>住んでいるマンションの管理人の職務対応について、たびたび不満を感じていた。<br>仕事が遅く、最低限の基本対応（姿勢）がなっていない。<br><br>先日もマンションの共用部分であるゴミ捨て場が荒れ始めていて、<br>対応してくれとメールでコンタクトをとった。</p><p><br>業務対応に対しての返信が一か月ないので、再度連絡をとった。<br><br>そこでふと、世間は二元構造で生きている人だらけだ、と思う。</p><p><br>しかし、その観点こそ、自我最高位。<br><br>私が問題視して対立構造をとることが「わたしの未熟課題」であり、<br>「なんでそんなこともできないの？」と他を見下す意識の在り方、観点は未だ二元なのだ。<br><br>高い位置から見下し、あーだこーだ文句をいう。</p><ul><li><b style="font-weight:bold;">基本的なことが成っていないのは、私自身なのだ。</b></li></ul><p>自分以外他を支配しようとするのではなく、<br>己を観て己が課題に動くことで、<br>目の前の問題は問題ではなくなるという<br>別次元の理を今一度おさらいする。<br><br>目の前の「思い通りではない事象」を問題として固定するのは、<br>固定されて動かないわたしの二元的観点＝「最高位設定」。<br><br>これを霊性進化基盤に沿う「観察者の観点」へ動かし、常駐。<br><br>わたしが見下している他者のあり様は、<br>ガイド視点から観えるわたし自身だということ。<br><br>課題対応が異常に遅いってこと。</p><p><br>観察して、「痛い盲点」を発見したら、</p><p>課題へどう対応するかを明確に体現すること。<br><br><span style="font-size:1.4em;"><b style="font-weight:bold;">「個人的な事情」は言い訳：「課題へ動かないこと」は別次元の別問題</b></span></p><ul><li><b style="font-weight:bold;">管理人は免停をくらい、身動きが取れない状況だと伝えてきた。</b></li></ul><p>「個人的な制限状態（果）」と<br>「課題へどう対応するかを伝えること」は全くの別問題である。<br><br>前日に管理人が共用廊下を掃除している姿を<br>しっかりと目撃した上で再度連絡をとっている。<br><br>「楽な部分は掃除しても大変な部分に手を付けない」姿はバレバレで、</p><p>「個人的な事情（免停）」はなんの言い訳にもなり得ていない。</p><ul><li><b style="font-weight:bold;">「本分放棄を具現化しているわたし自身」を確認</b></li></ul><p>協働創造の場で、<br>みんなが安全に健やかに暮らすためのルールを無視して、<br>何度も出張り過ぎて免許停止（制限）を食らっている。<br><br>出張りすぎているから、<br>停滞/制限を具現化している。<br><br>「最低限の基本姿勢」を今一度、丁寧に仕上げる。</p><p><br><b style="font-weight:bold;"><span style="font-size:1.4em;">基本姿勢への立ち返り</span></b><br>&nbsp;</p><p>管理人の対応遅れや姿勢の欠如を</p><p>「なぜ最低限の基本すらできないの」と裁く意識の裏側にひそんでいたもの。</p><p><br>まさに「自らの不面目な姿そのもの」を映し出す完璧な鏡だった。</p><p><br>相手が言い訳を並べて対応を停止させている姿と、</p><p>わたしが霊性進化場（一元循環構造）で「進展の停滞」を具現化している状況の相似形。</p><p><br><b style="font-weight:bold;">1. 「他者への裁き（最高位支配意識）」が創り出す「免停（停滞）」</b></p><ul><li>自我システム（旧OS）は、常に自分を「正しさ・高位（100）」の座に置き、他者を「低位・問題（0）」とする。</li></ul><p>&nbsp;「動かない他者をいかにして動かすか」と思考を巡らせること自体が、二元構造の摩擦を放ち続けている証拠。&nbsp;</p><p><br>その支配意識は反作用として自身に還る。</p><p>&nbsp;</p><p>自らが「身動きが取れない＝制限（盲目）が生じ、結果的に自我システムに支配される現実」という不自由な現実＝「閉ざされた円環の中の被支配者（体験者）」として具現化。</p><p><br><b style="font-weight:bold;">2. 「言い訳の放棄」と「100%自責の自立体現」</b></p><p><br>管理人が「個人的な制限状態（免停）」を理由にして職務の放棄を正当化していたように、自らもまた不調や制限を理由にして「だからできません」を自作自演していないかという検証。</p><p><br>制限や制約（果）があろうとも、それを「進まない理由」「動かない理由」へとすり替える愚を手離すこと。&nbsp;</p><p><br>自らが放った支配意識の帰結を「自らの創造の責任」として100%引き受け、言い訳を一切挟まずに「自立の体現＝進化＝循環」へ向かうこと。</p><p><br><b style="font-weight:bold;">3. 「最低限の基本姿勢」をゼロから仕上げ直す</b></p><ul><li><b style="font-weight:bold;">出来ているつもりに注意</b></li></ul><p>基本設定の移行＝「学びを軸に完全に据え置き（最優先設定の変更）」、常駐基盤を霊性進化基盤へ。その時、観点は必然的に「観察者」へ。</p><p><br>自らの基本姿勢（創造構造）を正す時、対立構造は崩壊。外側の問題として固着していた事象は、自然とその意味（問題レッテル）を失い、一元循環構造の中に再配置されていく。（無限の可能性の素材１になる）</p><ul><li><b style="font-weight:bold;">「上から目線で他者を裁く」不進化の道を選んでいないか</b></li></ul><p>二元的最高位遊びをきっぱり終らせて、霊性進化という本分に立ち返り、原点に凛と立ち、 新機軸の真上で、粛々と学びに向かう。</p><p><br>「自らの最低限の基本姿勢を調え直す」正位置を定めたら、「大変な部分に手を付けない」ままでいた「今まで放置していた課題の総仕上げ」に動き出します。</p><p>&nbsp;</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260415/19/gullagalaxy7/d7/8e/j/o1024057215771774403.jpg"><img alt="" height="235" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260415/19/gullagalaxy7/d7/8e/j/o1024057215771774403.jpg" width="420"></a></p>
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<pubDate>Tue, 13 Oct 2026 13:11:57 +0900</pubDate>
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<title>自分につける点数は４２点</title>
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<![CDATA[ <p><b style="font-weight:bold;"><span style="font-size:1.4em;">等身大の私で、制限を軽やかに超えていく：「無限の挑戦と循環」の扉が開く</span></b></p><p>&nbsp;</p><blockquote><p><span style="font-size:0.83em;">私は、神寄木賀集語録・覚醒個人セッションに通っていますが、</span></p><p><span style="font-size:0.83em;">現在ブログ拝読を休止しているため、2026年1月の情報までしか把握していません。</span></p><p><span style="font-size:0.83em;">このブログに記載する内容は、私自身の観察や理解に基づくものであり、誤りが含まれる場合もあります。正確な情報については、<a href="https://ameblo.jp/catalyst-yuka1111/" rel="noopener noreferrer" target="_blank">本家ブログ</a>をご確認ください。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:0.83em;">私の自己紹介とブログ概要は、<a href="https://ameblo.jp/gullagalaxy7/entry-12981077553.html" rel="noopener noreferrer" target="_blank">こちら</a>から読めます。</span></p></blockquote><p>&nbsp;</p><p>動画を観ている時に、「自分につける点数は？」というものが流れてきました。</p><p>１００点満点！と答える人から、９７点かなぁ、等々、高い点数をつける他という鏡を観察していました。<br><br>私は現在、水面下の設計図に「完璧主義からの脱却」を掲げて行動していますが、「自分を点数で表すなら何点だろうか？」と自問しました。<br><br>「完璧主義からの脱却」において行動グラウンディングを重ねる中で、「５０点」を創るようになりました。そこから、進化の伸びしろを考慮すると、「４２点」という数字が出てきました。<br><br>この４２点という数字は、世間基準で考えると「低い数字」かもしれませんが、その内実は、「自己卑下している数字」や「謙虚ぶっている数字」ではありません。</p><p>&nbsp;</p><p><b style="font-weight:bold;"><span style="font-size:1.4em;">「評価軸」からの移行</span></b><br><br>たとえば偏差値の低い学校の１００点と偏差値の高い学校の５０点は、全く別次元のものであるように、「これまでの概念世界の数字」と「新しい次元での数字」も「比べるものではない」とわかります。<br><br>これまでの概念世界では、「１００点/最高位基準」だった場合、それ以外すべてが減点方式で認識されます。獲得した点数の内実を、「努力して獲得した結果」や「手抜きで楽して獲得した分」だと仮定すると、長続きせず、持続不可能なことが観えてきます。</p><p><br><b style="font-weight:bold;"><span style="font-size:1.4em;">「加算方式」で「伸びしろあり」という、構造的に持続可能な世界</span></b><br><br>世間一般の比較や評価基準に照らし合わせた「自己卑下」や「謙虚」の数字ではなく、構造改革後の自らの現在地を表した「等身大の数字」という見取り図。<br>&nbsp;</p><p>二元構造（旧OS）の完璧主義（100点か0点か）に囚われていた時代は、常に理想の型（100）を絶対軸として掲げ、そこからの引き算（減点方式）で自分や現実を評価していたため、いくら表面的な獲得を果たしたとしても、過度な緊張と摩耗によって長続きしない持続不可能な状態を自作自演していました。</p><p><br>完璧主義を手離す行動グラウンディングを重ねて「50点」という実律の領域を創り出し、さらに進化の余白（伸びしろ）を考慮して見出した「42点」という数字。</p><p><br>この数字が「低い」と感じられるどころか、むしろ輝きを放って観えるのは、自身の意識が「他者評価・減点方式の二元世界」から「ゼロ起点・加算方式の一元世界」へ相転移しつつある証ではないでしょうか。</p><p><br><b style="font-weight:bold;"><span style="font-size:1.4em;">「評価から指標への相転移」について</span></b></p><p><br><b style="font-weight:bold;">1. 旧次元の「100点」と新次元の「42点」の、非連続性</b></p><p>&nbsp;</p><p>「旧次元の基準における数字」と、「ゼロ起点から立ち上がった新次元の数字」は、比較すること自体が成立しない「全く別物の概念」です。<br>&nbsp;</p><p><b style="font-weight:bold;">「獲得と摩耗」の100点（旧次元/二元構造）：</b> 力技や手抜き、無理な背伸びをして手に入れた100点は、常に「失うかもしれない」「維持しなければならない」という恐れや欠乏（獲得観点）を伴うため、意識場を著しく摩耗させる持続不可能な数字。</p><p><br><b style="font-weight:bold;">「自律と加算」の42点（新次元/一元構造）： </b>完璧主義の呪縛を解き、今の等身大の現在地を「42点」と正確に測ること。 ここには「100点でならなければならない」という二元の自己否定や焦りは一切存在せず、また奢ることもなく、進化に向かい続ける「確かな足場」として機能しています。</p><p><br><b style="font-weight:bold;">2. 「下がる」という二元構造の幻影の解体</b><br>&nbsp;</p><p>自我システムは、完璧主義を捨てて50点を目指そうとすると、「自分の価値が下がるのではないか」と恐れを煽ってきます。</p><p><br><b style="font-weight:bold;">「二元の下降」ではなく「次元の相転移」： </b>自我が思い描く「下がる」とは、あくまで二元構造の同じ階段の上で下方へ滑り落ちるイメージ（比較・減点）に過ぎません。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;実践しているのは、古い構造から完全に降り、横の次元（ゼロ）へ引越して「全く新しい構造」を立ち上げることです。</p><p>&nbsp;</p><p>起点そのものが別次元（一元構造）に切り替わっているため、旧次元の「低下」や「損失」という現象は構造上発生しようがありません。</p><p><br><b style="font-weight:bold;">「伸びしろ（余白）」がもたらす加算： </b>42点という現在地には、残りの「余白」が存在します。 この余白こそが、宇宙摂理によって最善の素材や無限の可能性が流れ込むための「不可欠な受容空間（凹）」となることが観えてきました。</p><p><br><b style="font-weight:bold;">3. 持続可能な世界へ</b><br>&nbsp;</p><p>「42点」という現在地を誇り高く携え、余白（伸びしろ）を伴いながら一日一日の「プラス1」を静かに重ねていく生き方は、何ものにも脅かされない持続可能構造そのものです。<br><br><b style="font-weight:bold;"><span style="font-size:1.4em;">ゼロから健康を立て直す中で観えてきたこと</span></b><br><br>理想の数字（体重）に囚われた二元構造の世界では常に「カロリー制限」が発生していました。しかし、ゼロから健康を立て直し始めた際、ＰＦＣバランスという「構造」を観ることによって、突如「加算方式」に切り替わり、「こんなに食べてもいいんだ」という世界観に変容しました。<br><br>まず最初に、数字に囚われなくなったのです。そしてその「囚われの解除」後、「これまで設けていた制限」を軽やかに越えて行く体験をしました。</p><p>&nbsp;</p><p>長年の癖で、どう頑張って食べても１２００キロカロリーを下回って越えられない状態でしたが、目標を２０００に設定し、１３００、１４００…と、分に沿って制限を自然に越えていったのです。食べたら太る、という「理想を失うことへの恐れ＝固定観念」を越えていったのです。<br>&nbsp;</p><p>分に沿って、そのカロリーを代謝（循環）できる肉体（世界構造）を無理なく着実に創造していきました。</p><p><br><b style="font-weight:bold;"><span style="font-size:1.4em;">無限の可能性が世界に観え始める</span></b><br><br>いちじくのショートケーキはずっと存在していたけれど、わたしの観点が二元であったために、観えなかった＝見つからなかった。４２点という無限の可能性を秘めたわたしも、ずっと存在していた。<br><br>そして、完璧主義ゆえに始めることが出来なかった、たくさんの無限の可能性のチャレンジが始まっていくのです。</p><p>&nbsp;</p><p><b style="font-weight:bold;"><span style="font-size:1.4em;">「比較の消滅」と「42点の等身大のわたし」の現像</span></b></p><p><br>完璧主義（100点か0点か）に縛られない「42点」という現在地は、分に沿って制限を軽やかに超え続けていく「無限の挑戦と循環」の扉を開くことになります。</p><p><br>ブログ再開の決定を思いつきます。「42点」＝「構造に基づく現在地の再配置/等身大のわたし」という確かな足場に立ち、 動きが生じます。</p><p><br>どうしたらいいのか、何をしたらいいのかと「正解」を探さなくても、目の前に「分に一致した跳び箱」が選択肢として自然に浮上する。</p><p><br>そして世界が別の概念指標で回り始め、成り立っていく。制限枠を滑らかに飛び越え、どこまでも拡張していく、一元宇宙を描き出す、持続可能な世界の始まりです。</p><p><br><b style="font-weight:bold;"><span style="font-size:1.4em;">まず５０点を創る地道なプロセス</span></b></p><p><br>完璧主義１００点を崩すために、私はまず「お皿洗いを半分残す」という日常の小さなことからスタートしましたが、最初は「５０点」が居心地悪いものでした。しかし、５０点を創る先で完璧主義の城が崩壊した後、「４２点」という新しい設定値が生まれました。<br><br>伸びしろを残した、５０点と現在地４２点の間にある８点分の余白には、宇宙摂理がちょうどぴったりを還します。「数字（完璧な理想）への囚われが解除された後」に始まっていく、制限を越えていく体験（プラス１）が入り込む。</p><p>&nbsp;</p><p>８点の余白に入り込んだ「ブログの再開」を通して、制限世界の中に押し込めていた「無限の可能性＝伸びしろありの進化に向かうわたし４２点」を解放し、伸びしろプロセスを積層し、常に限界値を越えて更新していく、新しい「生き様＝在り方＝創造構造」へ。</p><p><br>「有益な情報（理想）を発信しなければならない（１００点を出さなきゃ）」という旧次元の獲得・承認を目的とするのではなく、「新しい意識の在り方」を物理次元に刻むための触媒としてブログを使うこと。</p><p><br><b style="font-weight:bold;"><span style="font-size:1.4em;">「42点」で世界に放つ：完璧主義の完全破壊</span></b></p><p>&nbsp;</p><p>意識を立てずになんとなく出しても、渋々出しても、その意識とエネルギーでは何も具現化出来ない。42点で出すと決めると、心身が軽くなります。背伸びしない、身の丈に落ち着いた、ワンステップ上に向かい続ける一元循環構造。「新しい在り方＝創造構造▼」を創るとき、宇宙摂理は「ちょうどぴったりの進化体験▲」を巡り還す。<br><br>「わたしって、ほんと駄目なんですよね」と自虐する鏡を目にした時、不名誉なレッテルを貼り続けている限り、その呪縛から抜け出すことはできないのだと観察しました。完璧な私というレッテルも同じ。<br><br>自虐（「どうせ駄目な私」）も、過飾（「完璧な私」）も、ともに自らを小さな制限世界に封印する二元のレッテルに過ぎない。<br><br>恐れて隠しているのは、未熟であること。等身大のまま世界へ差し出す振る舞いこそが、その「意識の在り方」が、「ありのままのわたしが許される世界」を自らの手で物理次元に誕生させる力学そのものではないでしょうか。</p><p>&nbsp;</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260415/19/gullagalaxy7/d7/8e/j/o1024057215771774403.jpg"><img alt="" height="235" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260415/19/gullagalaxy7/d7/8e/j/o1024057215771774403.jpg" width="420"></a></p>
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<pubDate>Mon, 12 Oct 2026 15:30:06 +0900</pubDate>
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<title>妥協の世界構造/これでいいやを終わらせる</title>
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<![CDATA[ <p><span style="font-size:1.4em;"><b style="font-weight:bold;">目当てのもの＝思い通りがなかったとき：本当はこれがいいけど、仕方なくそれを選ぶ世界を脱出</b></span></p><p>&nbsp;</p><blockquote><p><span style="font-size:0.83em;">私は、神寄木賀集語録・覚醒個人セッションに通っていますが、</span></p><p><span style="font-size:0.83em;">現在ブログ拝読を休止しているため、2026年1月の情報までしか把握していません。</span></p><p><span style="font-size:0.83em;">このブログに記載する内容は、私自身の観察や理解に基づくものであり、誤りが含まれる場合もあります。正確な情報については、<a href="https://ameblo.jp/catalyst-yuka1111/" rel="noopener noreferrer" target="_blank">本家ブログ</a>をご確認ください。</span></p><p>&nbsp;</p><p><span style="font-size:0.83em;">私の自己紹介とブログ概要は、<a href="https://ameblo.jp/gullagalaxy7/entry-12981077553.html" rel="noopener noreferrer" target="_blank">こちら</a>から読めます。</span></p></blockquote><p><br>秋めいてきて、モンブランが食べたくなった。</p><p>薄いパイ生地が重ねられた美しい長方形のモンブランを思い描きながら、<br>店舗に行くとショーケースの中にモンブランがない。</p><p>&nbsp;</p><p>選択肢として「目当てのものがないので、何も買わずに店を出ること」も考えたが、ショーケースの中をもう一度よく見渡した。</p><ul><li>しかし、どれもこれも「何か違う」となってしまった。</li><li>そこで「季節のものを」と指針を立て、いちじくのショートケーキを購入した。</li></ul><p>「目当てのもの＝思い通り」がなかったとき、自我システムは、その代替品を「これでいいや」と選ぶことがあるのではないだろうか。</p><p><br>最初の段階で、ショーケースの中を再度見渡してどれも違ったのは、「モンブランを絶対位置に置いている」からだ。</p><p><br>三回見渡しても何も目に留まらない様は、「理想はこう」と決めてしまうと、途端に「それ以外の無限の可能性」を制限してしまうということが観えてくる。<br><br>「本当はこれがいいけど、仕方なくそれを選ぶ」という、その「選択決定」はどこから生まれているのか。意識のフォーカスが、無限の可能性の中から何を見つけているのか「その仕組み」を観察する。<br><br><b style="font-weight:bold;"><span style="font-size:1.4em;">本当はこれがいいけど、仕方なくそれを選ぶ世界</span></b></p><p><br>モンブランがないとわかった時、定番の山形をした「モンブラン風かぼちゃケーキ」が最初に目に留まった。しかし見た目が洗練されておらず、モンブラン劣化版のような雰囲気だった。そこで自我は、不細工すぎると文句を言う。<br><br>モンブランを絶対に配置するとき、まず目に入ったのが「形だけモンブランを装った、全くの別物」だったのだ。<br><br>ショーケースの中にある無限の可能性の中で、「意識のフォーカス」が見つけ出すものが、「モンブランという絶対軸」に基づいていることが観えてくる。そして比較対照をフォーカスする二元の観点世界の仕組み。<br><br><b style="font-weight:bold;"><span style="font-size:1.4em;">「季節のもの」という創造軸</span></b></p><p>&nbsp;</p><p>しかし「思い通りではない現実」が到来した瞬間、創造起点をゼロに改め創造軸を立てることによって、ショーケースの中で「宝石のように輝くいちじくのショートケーキ」が、その存在を凛と際立たせて浮かび上がった。</p><p><br>ゼロ起点から新しい創造軸を立てると、意識のフォーカスは、無限の可能性の中から「二元の範疇に囚われないもの」を見つけるというわけだ。</p><p><br><b style="font-weight:bold;"><span style="font-size:1.4em;">「理想を絶対に配置する二元構造の世界」と「＋１を生み出し続ける世界」</span></b></p><ul><li>「モンブラン（思い通り・理想の形）」を絶対軸として固定した瞬間、</li><li>世界は「それ以外の否定・劣化版（モンブラン風かぼちゃケーキ）」との比較を生み出す。</li></ul><p>その二元の固定観念をその場でゼロリセット（起点の初期化）し、「季節のもの」という自然の律に調和した柔軟な創造軸へ置き直したこと。</p><p><br>その瞬間、二元の比較と減点方式は消滅し、無限の可能性領域の中から「その創造軸における最善最良」が凛と浮かび上がってきたという体験。</p><p><br><b style="font-weight:bold;"><span style="font-size:1.4em;">「妥協（二元）の終了」と「選択決定の構造改革」</span></b></p><p>&nbsp;</p><p><b style="font-weight:bold;"><span>1. 「絶対軸（思い通り）」が創る「妥協・否定・減点の世界」</span></b></p><p><br>自我システム（旧OS）は、常に「あらかじめ決めた理想の形（100）」を絶対的な基準として配置し、そこから世界を測ろうとします。</p><p><br><b style="font-weight:bold;">無限の可能性の閉鎖： </b>「モンブランでなければならない」という固定化された絶対軸。&nbsp;この軸を握りしめている限り、意識のフォーカスは必然的に「条件に満たないもの（否定側）」へばかり向き、妥協的な閉鎖空間へ引きこもるしかなくなります。</p><p><br><b style="font-weight:bold;">2. 「ゼロ起点」＋「調和した創造軸」による「別の選択肢の急浮上」</b></p><p>&nbsp;</p><p>二元の固定観念をその場でゼロリセット（起点の初期化）し、「季節のもの」という自然の律に調和した柔軟な創造軸へ置き直したこと。</p><p><br>「思い通り」に囚われる我欲の絶対軸をその場で瞬時に手離し、創造起点（0点）へ立ち返ること。<br><br><b style="font-weight:bold;">「最善の具現化（凸⇒□）」：</b>それは二元構造内で生じる妥協でも諦めでもなく、常に「最善のプラス1」を重ねていく「加算方式」の具現化。</p><p>&nbsp;</p><p>目の前に選択肢がないとき、ゼロに立ち返り、旬の創造軸を立ててみよう。<br>&nbsp;</p><p><b style="font-weight:bold;">3. 「妥協の終了」</b><br>&nbsp;</p><p>この「ケーキの選択」という日常の一コマで解明された理は、仕事選びや人間関係、生き方全般における根底的な構造改革のヒントになりました。</p><p><br>「本当はこれがいいのに」という不平不満のドラマは終わり。&nbsp;「妥協してそれを選び、不満を言いながら切り捨てる」という古い二元の演目を終わらせるとき、宝石のように輝く無限の可能性が世界に急浮上する。</p><p><br><b style="font-weight:bold;"><span style="font-size:1.4em;">「過去の理想＝モンブランへの囚われ」を手離して、イチジクのショートケーキを見つける新世界</span></b></p><p>&nbsp;</p><p>一見すると「どんな時も最良を選べること」は素晴らしい自律のように思えますが、この言語化の中には、二元構造の罠が隠されていました。</p><p><br>「最良を選ぶことができる力」を自分の価値だと定義した瞬間、無意識のうちに「最良を選び取れる、優秀なわたし（最高位）」という新しい属性を自我に与えてしまうリスクが生じます。</p><p>&nbsp;</p><p>そこには依然として「我軸（自我の出張り）」が存在。</p><p><br>語録は「『選択』そのものに『果（結果）』を決める力は存在しない」と説いていますが、「最良を選び取ろう」と狙いに行く姿勢（獲得観点）にズレた途端、進化は停滞。</p><p><br>「最良を選べること＝価値」と定義すると、裏返せば「選べなかった自分＝無価値」という減点方式の二元構造システムが再発動してしまいます。 そもそも語録において、「存在価値」とは、何かを「選べる」「達成できる」といった機能・能力・成果に依存するものではないと記されています。</p><p><br><b style="font-weight:bold;"><span style="font-size:1.4em;">創っているのは「意識の在り方」：形（果）の獲得は二の次</span></b></p><p>&nbsp;</p><p>自我の絶対軸や計算を、その場で手離し、「創造起点（0点）」へと立ち返った（空の器＝凹を置いた）ことで、「最良の創造軸が立ち現れた（凸⇒□）」という「創造構造＝意識の在り方」を学ぶこと。</p><p><br>本当の価値とは、「最良を選び取るテクニックや能力」にあるのではない。<br>&nbsp;</p><p>真価（進化）は、「宇宙摂理がもたらす最善最良の巡りと和合できる、自律の基盤そのもの」にあり。「最良を選ぶ力」という能力に魅せられる自我システムの罠を潜り抜ける。<br>&nbsp;</p><p>これまで当然に手にしていたモンブランは、獲得構造の終焉によって「手に入らない現実」として巡り還っている。この先も、長方形の美しいモンブランに囚われ続けるのか、それともその執着を手離し、ゼロへ立ち返るのか。</p><p>&nbsp;</p><p>どんな創造軸を立てようか迷う時、そこには我欲が存在しています。</p><p>その基盤は、支配的な自我システムなのです。</p><p>&nbsp;</p><p><a href="https://stat.ameba.jp/user_images/20260415/19/gullagalaxy7/d7/8e/j/o1024057215771774403.jpg"><img alt="" height="235" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20260415/19/gullagalaxy7/d7/8e/j/o1024057215771774403.jpg" width="420"></a></p>
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<pubDate>Sun, 11 Oct 2026 05:30:00 +0900</pubDate>
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<title>覚醒プロセス③：はじめに</title>
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<![CDATA[ <p><a data-uploaded-image="hlzcyhnjfx07bw8ilin5iv" href="https://stat.ameba.jp/user_images/20251002/17/gullagalaxy7/fa/62/j/o1600089615688491661.jpg"><img alt="" height="235" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20251002/17/gullagalaxy7/fa/62/j/o1600089615688491661.jpg" width="420"></a></p><p dir="ltr">&nbsp;</p><p dir="ltr">こんにちは。</p><p dir="ltr">このブログの管理人&nbsp; 二湖陽々(Nikoyoyo)です。</p><p dir="ltr">&nbsp;</p><p dir="ltr">ブログを訪れてくださり、ありがとうございます。</p><p dir="ltr">&nbsp;</p><p dir="ltr">私は現在「神寄木賀集」覚醒セッションに通い、この世界の仕組みを深く探求しています。それは「解脱」や「覚醒」と呼ばれるものですが、いわゆるスピリチュアルな能力を求めるものではありません。</p><p dir="ltr">&nbsp;</p><p dir="ltr">むしろ、私たちが当たり前に使っている「良いか悪いか」「こうするべきだ」といった「二元的なものの見方」を根本から変え、新しい観点を手に入れ別世界を体験するための、実践的な學びです。現実世界の流れや体感が変わることを実体験しています。</p><p dir="ltr">&nbsp;</p><p dir="ltr">この學びは、まるで建築家が建物の設計図を描き直すようなものです。世界を「二元的な観点」で捉えている設計図を、すべてはひとつであるという「一元的な観点」へと書き換えていく。そんな、とても論理的でクリエイティブな作業に日々取り組んでいます。</p><p dir="ltr">&nbsp;</p><p dir="ltr">当ブログはその「認識の書き換え」の過程で私が得た気づきや体験を綴る場所です。私も道の途中にあり未熟者ですが、この場を通して學びを深めていけたらと思っています。</p><p dir="ltr">&nbsp;</p><p>ブログ執筆にあたり、完璧主義にとらわれないことを水面下の設計図として掲げているため、文章の構成や表現に読みにくい部分もあるかと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>また、アメーバ限定記事にすることもあります。「アメンバー申請をすると審査されるのかな？」と思われるかもしれませんが、特別な審査はしておらず、申請はすべて承認しています。個人的な内容を含むことがあるため、Amebaの機能上、限定記事としています。</p><p>&nbsp;</p><p>ご了承ください。</p><p>&nbsp;</p><p dir="ltr">同じようにこの世界の仕組みに興味がある方と、一緒にこの世界を探求できることを楽しみにしています。</p><p dir="ltr">&nbsp;</p><blockquote><p dir="ltr"><span style="font-size:0.83em;"><strong data-end="126" data-start="118">〈注記〉</strong></span></p><p dir="ltr"><span style="font-size:0.83em;">当ブログは、気づきや學びを共有する場として綴っています。まだ學びの途中にありますので、内容の解釈に誤りがあるかもしれません。その際はどうかご容赦ください。あたたかく見守っていただけますと幸いです。</span></p></blockquote><blockquote><p dir="ltr"><span style="font-size:0.83em;">ー無断転載など著作物に関するお願いー</span></p><p dir="ltr"><span style="font-size:0.83em;">当ブログに掲載されている文章、画像、その他すべてのコンテンツの著作権は、当ブログの管理人に帰属します。</span></p><p dir="ltr"><span style="font-size:0.83em;">当ブログの記事は、私自身が神寄木賀集ゆか先生より直接ご指導頂いた學びと私個人の体験をもとに、大切にまとめたものですので、転載・複製・盗用・AI学習利用などの無断使用はご遠慮ください。</span></p><p dir="ltr"><span style="font-size:0.83em;">ご理解とご協力のほど、よろしくお願い申し上げます。</span></p></blockquote><p dir="ltr">&nbsp;</p><p dir="ltr">参照ブログ：<a href="https://ameblo.jp/catalyst-yuka1111/" rel="noopener noreferrer" target="_blank">神寄木賀集語録</a></p><p>&nbsp;</p>
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<pubDate>Sun, 11 Oct 2026 05:30:00 +0900</pubDate>
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