<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?>
<rss version="2.0" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom">
<channel>
<title>僕は量産型。</title>
<link>https://ameblo.jp/guminnotawagoto/</link>
<atom:link href="https://rssblog.ameba.jp/guminnotawagoto/rss20.xml" rel="self" type="application/rss+xml" />
<atom:link rel="hub" href="http://pubsubhubbub.appspot.com" />
<description>愚民の戯言です。日々思いついた事や色々な話題について述べている雑記帳みたいなものです。もちろん裏付けや論理的実証をされたものではありませんので悪しからず。</description>
<language>ja</language>
<item>
<title>内部告発ということ</title>
<description>
<![CDATA[ <p>NGT４８の山口真帆さん</p><p>　被害者であり告発者である彼女が何故不本意な結末を迎えなければならなかったのでしょうか？</p><p>&nbsp;</p><p>この一連の事態の推移はある事を示しているように思います。</p><p>&nbsp;</p><p>一般的に内部告発は組織の不正をただしよりよい状態になるよう行われる行為だと思います。</p><p>しかし今の日本の法律では内部告発者を守る事は出来ないという事です。</p><p>&nbsp;</p><p>何故か？</p><p>&nbsp;</p><p>それはその内部告発で利益を失うものがいる事。</p><p>次にその内部告発により損失を受けるものがいるという事。</p><p>&nbsp;</p><p>当たり前の事ですが上記2点に加えて次の事もあります。</p><p>&nbsp;</p><p>その内部告発を受けた不誠実な行為で出世や利益を得た者が上位者にいるという事です。</p><p>その時点での当事者は罰則を受けるかもしれませんが、出世し上位者になった者はおとがめ無しになっています。</p><p>（もちろん減俸等はあるかもしれませんが、上位者のまま残るでしょう。）</p><p>&nbsp;</p><p>そうなるとその内部告発者は上位者からみた場合、自分のしてきた仕事を否定する奴という構図になります。</p><p>会社の上位者が内部告発者の敵に回るという事はどうなるか？</p><p>&nbsp;</p><p>上位者か見たら内部告発者は組織をよりよくする者ではなく、至らない事をいう『ちくり』という事になります。</p><p>そうなるとどう考えてもその会社には居場所はなくなります。</p><p>&nbsp;</p><p>それが今の現実なんでしょうか？</p><p>悲しいですね。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/guminnotawagoto/entry-12455952930.html</link>
<pubDate>Sun, 21 Apr 2019 22:44:40 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>僕は</title>
<description>
<![CDATA[ 僕は量産型。<br>特に何か秀でたものがあるではないごくごく普通の人。<br><br>所謂ありきたりの能力しかないどこにでもいる一般人。<br><br>そんな人が偉そうに言う事ではありませんが、明日や１ヶ月先の事ではなく５年１０年１００年先の事を考えながら社会を構築できる環境であって欲しいと思うのはわがままでしょうか？<br><br>人任せかよ！！とか言われそうですが、私は出来る事から始めます。<br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/guminnotawagoto/entry-12111872794.html</link>
<pubDate>Wed, 13 Jan 2016 02:14:16 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>普通に生きる事</title>
<description>
<![CDATA[ 今の世の中、普通とは何でしょう？<br><br>昔語りではありませんが、普通に生きて普通に死ぬという事が出来なくなって来ているようにかんじます。<br>結婚し子供を育て次代に繋ぐという事が社会全体で普通に出来なくなっている様になってませんか？<br>出生率の低下はその事をあらわしてませんか？？<br><br>まあ普通て何？　という人もいるわけですから普通の定義も難しいかもしれませんが。<br><br>そこでここでは多少の過不足は有るものの生活ができ結婚して子供を育て一生を終えるという事にします。<br><br>しかし現在過不足が多少とは言えず生活ができ辛く結婚も難しく子供も育て難いとなれば将来が暗い事になりますよね？<br>次世代が先細りすれば社会的にも活性化は難しくなると感じるのは私だけでしょうか？？<br><br>そこのところから先を見据えた社会を構築できる様な環境を整える事も考えないといけない状態になってませんか？？<br><br><br><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/guminnotawagoto/entry-12095688093.html</link>
<pubDate>Wed, 13 Jan 2016 02:13:53 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>公共性公平性について</title>
<description>
<![CDATA[ 公共性公平性と一言でいっても大した事ではありません。<br><br>どこも無理せずに適正な利益を上げる事を目指すという事です。<br>下請けが不当な金額低下を言われるのではなく下請けも元請けも適正な利益を上げる事により社会の安定を求めるという事です。<br>すべての労働者に適正な給与が与えられるようにしましょうという事だけです。<br>そうする事が社会全体が潤滑にまわる最低条件のひとつだと思うからです。<br><br>故事にもありますが基本的に衣食が満たされれば人は礼節を守るものだからです。<br><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/guminnotawagoto/entry-12116834494.html</link>
<pubDate>Wed, 13 Jan 2016 01:41:37 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>利益確保のやり方について</title>
<description>
<![CDATA[ 企業の活動の目的は利益を上げ会社の業績を上げる事にあります。<br>利益を上げるから会社の経営は成り立つわけですから当たり前です。<br><br>しかしその利益の上げ方が一部の企業で問題がある様に思えます。<br><br>利益は　　　　売上－原価（下請けからの請求等）＝粗利益　　　　　　粗利益－自社経費＝利益　<br>だとします。<br><br>現状先にも挙げたように原価の低減を主に目指したやり方が多いと思います。<br>また予想利益を下回るような事態が許されない状況が強くなっているのもあるのでしょう。<br>予備費（追加工事費）の計上も無くなってきているのではないかと思ってしまいます。<br><br>例えば１０年前に１００万の仕事がありこの時の利益が２０万とします。<br>次に同じ仕事を受けた時に利益が４０万になっていたとしたらどの様に思いますか？<br>会社的にはよく利益を上乗せさせたとなるかもしれません。<br>しかし外部から見たら何をしたら利益が倍になるのか勘ぐるでしょう。<br>下請けへの圧力による請求額（原価）の圧縮等普通ではないやり方での利益誘導があったのではないかと思ってしまいます。<br>それが本当に計算されてどこも無理してないのならば素晴らしい事なのですが、現実そのような事は考えられません。<br>何かしらの手抜きとは言わないまでも、材料の変更や工程の簡素化によるものであるのならば出来あがったものは見た目が同じでも質が下がっている事になります。<br>追加工事等が出来ない事による不備の改善も出来ない訳ですから、計画通りに進めるだけの状態になり計画と違わない様にするだけの状態ならば異常だと思ってしまいます。<br><br>このような事があるのならば結果、仕事の質の低下が起こっている事になります。<br><br>本末転倒ですよね。<br><br><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/guminnotawagoto/entry-12116833090.html</link>
<pubDate>Wed, 13 Jan 2016 00:42:47 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>感じた事</title>
<description>
<![CDATA[ 世知辛い世の中。<br><br>沸き上がるような高揚感もなく、ただただ灰色の日常が過ぎて行くだけ。<br><br>ここ最近そのような感じを受ける事が多くなった気がする。<br><br>ただ惰性で生きているような感じ。<br><br>目の前の事だけにしか感情が動かず、先の事を考える事の出来る余裕無き状態が続いている。<br><br>どうしてこうなった？<br><br>常に自問自答、答えは出ない。<br><br><br>色々考えていこうとは思ってる。<br><br><br><br>夢ばかり見るのは馬鹿だけど、夢も見れないのは地獄だとは思う。<br><br>そんな世の中をどのよいに生きていくかですね。<br><br><br><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/guminnotawagoto/entry-11959113362.html</link>
<pubDate>Sun, 15 Nov 2015 07:41:15 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>量産２</title>
<description>
<![CDATA[ 現状について<br><br>今の世の中、生き辛い世の中に感じます。<br>もちろん昔から色々と制約もあり基本的なところは変わらないはずなのですが、ここ最近は何故か生き辛さを感じます。<br><br>何故？　と考えてみた所、生活の余裕のなさが無くなってきているように思います。<br>正直な所、昔は一億総中流とか言われてた時もありましたし所得格差が今よりも大きく感じない時代が長かったように思います。<br>それは高度成長期からいわゆるバブル辺りまではそんな感じだったでしょうか？<br>しかしバブル方向後の低成長期時代から風向きが変わってきたと思います。<br><br>持つ者と持たざる者の二極化への流れが明確に始まった時でもあると思います。<br><br>そのような流れの中で出てきた言葉、自己責任。<br>確かに自己責任がある事は当たり前と思いますし、これからの世の中でどの様に生きていくかは個々の能力に左右させるのも事実だと思います。<br><br>そのような中でひとつ思う事は、失敗した者が這い上がれる為の社会資本の整備も必要ではないかという事です。<br><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/guminnotawagoto/entry-12093188841.html</link>
<pubDate>Sat, 07 Nov 2015 13:20:36 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>原価（コスト）について</title>
<description>
<![CDATA[ 原価（コスト）について、仕事で利益を考える事は第一の課題です。<br>社会的にどんなに素晴らしい仕事でも、企業的には利益を上げないと意味がありません。<br>採算度外視で仕事が出来るのは、公的機関か慈善団体くらいでしょう。<br>最近では公的機関や慈善団体でも厳しいかもしれませんが。<br><br>最近の企業不祥事の要因のひとつに原価（コスト）意識の行き過ぎたものがあるように感じます。<br>担当者は少しでも原価（コスト）を下げる為下請けに安易に値引きを要求し、また建設関係では工事期間の延長を認めず追加工事を認めず、あらゆる業種で利益を予定よりも減らさないように少しでも増やす方向に努めています。<br><br>利益を予定よりも減らさず増やす方向に努力する事自体は間違いではありませんが、行き過ぎたその行為は結局社会への悪影響を与える要因のひとつになり得ると思っています。<br><br>安全管理の軽視、下請け軽視、計画内容と実作業内容の乖離、報告の虚偽等おかしな事が横行する事態に陥っているように思います。<br><br>安全管理の軽視は現場での作業員などの人命に係わりますし、仕事の完成度の低下にもつながるでしょう。<br>下請け軽視は下請けに係わる人の人の収入減につながり、それは購買力の低下につながります。<br>計画内容と実作業内容の乖離は予定と実作業が違った場合に間違った対処をする可能性が高まり、追加作業や作業期間の延長が出来ず結果報告の虚偽につながり不祥事の原因となると思います。<br><br>原価（コスト）低減をかなえるにはどうしたらいいかを考える事は利益を上げる上で重要な事ではありますが、行き過ぎたやり方では結局不祥事の発生や購買力の低下等の社会で悪循環を招くだけのような気がします。<br><br>利益を考える事は大事だけど、利益を上げるということについて価値（メリット）と損失（デメリット）を社会全体で一度考えるのもいいのではないでしょうか。<br><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/guminnotawagoto/entry-12091838975.html</link>
<pubDate>Wed, 04 Nov 2015 16:34:16 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>働く</title>
<description>
<![CDATA[ 結構人生も生きてきて失敗しかしてない気もしますが、仕事をする上で必要な事は色々あると感じます。<br>もちろん自分自身の能力もある程度は必要ですが、仕事も完遂するにあたって周りとの折衝力は必須の能力です。　<br>対お客様、対上司、対同僚後輩、対仕入れ先等それぞれに合わせた折衝が仕事の完成度を上げます。<br><br>しかし最近はどうなのでしょう？<br>折衝力よりもいかに派手に成果を上げるかに比重が傾いているように思えます。<br><br>成果を上げる、つまり利益を上げるという事は間違いではありませんが、一方的な力関係を背景にいびつな一人勝ち体制が今の世の中で権勢を誇っているように思います。<br><br>確かに利益を上げるという意味では間違いではありませんが、その為に何かを失っているような感じを受けます。<br><br>そのように感じる事をつらつらと考えてこれからいくつかのテーマについて書き連ねたいと思います。<br><br>１．売上と利益について<br>２．利益確保のやり方について<br>３．公共性公平性について<br><br>最初は上記三点についてから私見（愚痴ともいう）を何回かに分けて書き連ねたいと思います。<br><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/guminnotawagoto/entry-12091637138.html</link>
<pubDate>Wed, 04 Nov 2015 00:50:24 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>量産</title>
<description>
<![CDATA[ 自分も含め、日本の教育体制は均等な教育機会を与えるという建前の元、基本的は知識には差がなように配慮されています。<br>もちろん個々の理解度の差による履修度の違いは有るものの平均的な基礎知識には差はない感じになるようです。<br><br>高度成長の時代ならばそのような教育が望ましかったのでしょう。<br>均一な知識を持った人は雇う側からしても都合のよい事だったのでしょう。<br>そのような意味合いからも量産化された人々が多量に働けていた時代、高度成長期・昭和３０年代後半からバブル時代・平成００年代後半までは需要と供給が一致していたと思います。<br><br>しかし低成長時代に入り個々の能力が試されるようになると均一化よりも何かに秀でたものがより求められるようになり、仕事が問題なく出来る人よりも仕事が出来利益を出せるという人をより強く求められるようになったと感じます。　<br>もちろん以前から仕事が問題なく出来るという事はちゃんと利益も出している事になるので問題は無かったはずなのですが、今は以前よりも原価（コスト）意識が強くなりそれが出来る人が優秀と言われるようになりました。<br>原価（コスト）を意識する事は重要な事なので問題はないはずですが、行き過ぎた原価（コスト）意識は社会の停滞を生んでいるような気がします。<br>これについては以下のテーマで何回かに分けてつらつらと考えてみたいと思います。<br><br>１．原価（コスト）について<br>２．原価（コスト）削減方法について<br>３．原価（コスト）削減による悪循環（私見）<br><br><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/guminnotawagoto/entry-12091259016.html</link>
<pubDate>Tue, 03 Nov 2015 00:19:38 +0900</pubDate>
</item>
</channel>
</rss>
