<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?>
<rss version="2.0" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom">
<channel>
<title>維新のブログ</title>
<link>https://ameblo.jp/h-a-st/</link>
<atom:link href="https://rssblog.ameba.jp/h-a-st/rss20.xml" rel="self" type="application/rss+xml" />
<atom:link rel="hub" href="http://pubsubhubbub.appspot.com" />
<description>ブログの説明を入力します。</description>
<language>ja</language>
<item>
<title>オススメの番組</title>
<description>
<![CDATA[ 私が最近すごくハマっている番組は「たかじんそこまでいって委員会」です。普通の番組ではみられない社会討論がみられる。私が説明するより、実際みてもらえればわかると思います。みた方はぜひ感想お聞かせください！
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/h-a-st/entry-11458801072.html</link>
<pubDate>Mon, 28 Jan 2013 20:36:13 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>メディアに物申す</title>
<description>
<![CDATA[ 最近のニュースといえば大阪で起きた高校生の自殺の問題が物議をもたらしている。部活の担当教員による体罰が原因で生徒は自殺を選んでしまったらしい。凄い悲しい出来事だと感じる。メディアでは教育機関に責任があると毎日報道されていると感じるのは私だけだろうか。そしてすべて教育機関に責任を押し付けることが子どもの自殺を防ぐことにつながるだろうか。私は違うと考えたい。今回の問題で事件が起こる前に学校側にあの先生はやりすぎではないかというＳＯＳはでていたらしい。そこで学校側が今となっては体罰だと認めているのにその時は体罰ではないと隠ぺいしたことは学校側の問題であり、自殺を防げることにつながるかもしれない。しかし私が言いたいのはそこの問題ではなく根本的に子ども達に自殺という選択肢が出てくるというのが問題だと思う。死んだらそこで終わるんだ、死ぬことがどれだけのことなのかしっかり把握していれば自殺という選択肢が出てくるだろうか。その問題の責任は子ども自身ではなく、紛れもなく社会であり、社会を形成している大人であると考えている。社会環境によって自殺という選択肢ができるようになったことは大人の責任だ。そこで子どもの一番近くにいる大人と考えると親御さんということになる。親御さんの自分の子どもに対する責任はどこと比べても下回ることはないと思う。教育機関にも問題はもちろんあると思うが、そこよりもまず大人達に問題があると気付くことが子ども達の自殺を防ぐことにつながるのではないかと考えます。なぜ気付けないのかと考えると大元はメディアにあると思う。極端な報道しかせず、今回の場合だと教育機関にしか攻撃しない。事実だけを報道し、攻撃するなら平等に攻撃してもらいたい。メディアの影響はものすごいものなのだからそこは責任をもってもらいたい。今の社会はメディアの意見が世論のような気がしてならない。メディアが変わることで社会全体が変わるように思います。自殺問題も含めて。。。まとまりがなくてすいません。
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/h-a-st/entry-11447965921.html</link>
<pubDate>Sun, 13 Jan 2013 09:59:39 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>学歴社会って？</title>
<description>
<![CDATA[ 学歴社会って本当に必要なのか。勉強ができるから良い仕事ができるか、勉強ができるから良い大学に入れるのか。私はいつも疑問に思っている。就職試験や大学受験で行われる俗にいう一般教養なんかは将来に役に立つとは思えない。世間ではこの一般教養ができるかどうかで頭が良いか悪いかの判断材料になる。高校なんかで学ぶ数学や物理、生物、詳しい歴史などこの先必要か。必要なのは専門家ぐらいだと思う。この先必要のないことを高校や大学で学ぶのは時間がもったいないと感じる。高校や大学で学ぶ一般教養は日常生活でも使いそうな中学校ぐらいのレベルのことを徹底的に学ばせ、他の時間は子どもたちが将来したいと思う専門的なことを学ばせる時間に費やした方が効率的ではないだろうか。その専門的な部分を伸ばしてやることで社会に必要な人材育成に繋がると考える。先程述べた頭の良い大学、高校だからといって社会に必要かといわれたらそうではないと思う。もっといえばコミュニケーションがとれない、体が弱いなどの人間の方が多いのではないか。私は現在の学歴社会にはこのような理由で問題であると思っている。この問題点を解決するためにはやはり大学受験や就職試験といった人数を切るための一般教養試験は他の形に変えるべきだと考える。人間という部分をアピールできるような面接とは違う形の試験があれば面白いのかなと思う。この私の意見についてみなさんはどう思いますか。意見があれば聞かせてください！
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/h-a-st/entry-11442412752.html</link>
<pubDate>Sat, 05 Jan 2013 08:44:13 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>紅白歌合戦の疑問</title>
<description>
<![CDATA[ 今年はゆっくり紅白歌合戦を見させていただいた。やはり毎年思うのだが紅白歌合戦の勝ち負けの基準が全くわからない。歌のうまさ？人気？衣装？これといったものが伝わってこない。勝ち負けをつけて盛り上がるのなら、視聴者に印象付けるものではなくてはいけないと思う。そのために国内最大の歌番組ならばその年最も売れた歌、アーティストを提供した方が良いはず！どの年代でも見られるようにＪＰＯＰ枠、演歌枠、外国人枠など枠わけして、その枠組みごとでその年売れたアーティストを出場させれば紅白歌合戦というクオリティが向上すると考える。そのレベルの高い歌を聴けばどちらが良かったかもっと勝ち負けをつけやすくなるのでないだろうか？大晦日という特別な日に国内最大の番組にさることが日本のクオリティを高めるこたにつながると考えます。みなさんどおでしょうか？？
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/h-a-st/entry-11439700503.html</link>
<pubDate>Tue, 01 Jan 2013 08:38:43 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>トレーニングセンターにて</title>
<description>
<![CDATA[ 市内のトレーニングセンターでトレーニングしていると、いろいろな目的の人が汗をかいている。ランニングマシンで走る人、ウエイトトレーニングに励む人。それを見て私が思ったことはやはり正しい知識がないと、経験が一人一人のなかで上回ってしまうということ。特に運動選手であろうと思われる人のやっているウエイトトレーニングは逆に体に良くない。部活で先輩に教えられたフォーム、本やテレビを見よう見まねでやっているというだけ。それで人間はこれが正しいと思う傾向にある。もっと素晴らしいトレーニングがあるということを知らずに。経験というのは時に成長を妨げるものになると私は思う。トレーニングセンターという狭い空間にいるだけでも人間っておもしろいなって感じる。これからもたくさん観察したい。
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/h-a-st/entry-11435893651.html</link>
<pubDate>Thu, 27 Dec 2012 10:50:52 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>初</title>
<description>
<![CDATA[ 続くかわかりませんが、ブログやってみることにしました。普段抱いている疑問や自分の考え方をたくさんの方々に聞いてもらい、意見交換できたら良いなと思っています。
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/h-a-st/entry-11434698629.html</link>
<pubDate>Tue, 25 Dec 2012 18:12:48 +0900</pubDate>
</item>
</channel>
</rss>
