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<title>パーマン８５号のいま日記</title>
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<description>日々思ったこと、感じたことを綴ります。</description>
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<title>パソコン</title>
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<![CDATA[ <p target="_blank"><a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/B003YNW468?ie=UTF8&amp;tag=nijitonbo-22&amp;linkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=7399&amp;creativeASIN=B003YNW468&quot; >MSI">http://www.amazon.co.jp/gp/product/B003YNW468?ie=UTF8&amp;tag=nijitonbo-22&amp;linkCode=as2&amp;camp=247&amp;creative=7399&amp;creativeASIN=B003YNW468</a></p>
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<pubDate>Tue, 28 Sep 2010 11:25:57 +0900</pubDate>
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<title>『告白』を観て</title>
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<![CDATA[ <p>話題作『告白』を観た。</p><p>残酷なテーマ設定のためか、この映画は巷では賛否両論があるみたいだ。</p><br><p>自分の正直な感想としては、「感情を二つに割られた」という感じだ。</p><br><p>単純な善悪という二項対立ではなく、悪の、まさにその方向性の中で「愛情」と「鬼畜」を見たような実感である。</p><p>「愛情」といってもそれは悪の中での良心であって、もしかするとその表現が正しいかは分からない。</p><p>先生の行動が良心なのか、鬼畜なのか。生徒の行動が愛情なのか鬼畜なのか。</p><br><p>冷静になってみれば、両者の行動が「鬼畜」なのだが、その場に遭遇すればそれが「復讐→愛情」になってしまう。ことに少年法に守られている人間に対して法的な罰が下らないために感情移入がしやすくなってしまう。</p><br><p>観ていない人はきっと何を言っているのかさっぱりわからないかもしれないが、観た人はほんのちょっとはわかるかもしれない。</p><br><br><p>ただ、個人的に気になったのは、熱血教師である。</p><p>あそこまでバカな教師はいないと思うが、少なくともあれに近い教師はいるやもしれない。</p><p>教師は客観的な判断ができるように、冷静でいなければならないし、少なくとも「俺を信じろ」とか「お前たちを見ているから」とかわかってもいないくせに言ってはならない。</p><p>そもそも自分から「私を信じてください」と軽々しく言うのは信じられない人間が多い。</p><br><p>冷静な判断力を持った人が観れば、この映画は勧善懲悪？と考える見方もある。</p><p>一点この映画のすごさを強調するならば、「もし自分が先生だったら…」という点を考えたとき、その「鬼畜」に化する可能性が十二分にあるということだ。</p>
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<pubDate>Sun, 06 Jun 2010 19:08:46 +0900</pubDate>
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<title>合格に向けて…</title>
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<![CDATA[ <p>東京都の教員採用試験に向けて、徹底的に合理的かつ効率化を図りたいと思う。</p><br><p>熱意や使命感は効率化できないと思うが、知識面で徹底した合理化を進めたい。</p><p>まずは一次試験を突破しないと意味がない。</p><p>一次試験は教職教養、専門教養、論作文であるから、この３点に的を絞って戦闘力を高めたい。</p><br><p>ポイントは</p><p>①　過去問を分析した上での徹底した傾向把握</p><p>②　①を踏まえた上で基本の反復学習</p><p>③　各項目の情報を分散させず、一本化する</p><br><p>これを徹底して、まずは一次試験突破を確実なものとしたい。</p><br>
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<link>https://ameblo.jp/h85/entry-10552914659.html</link>
<pubDate>Thu, 03 Jun 2010 18:37:10 +0900</pubDate>
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<title>教員採用試験</title>
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<![CDATA[ <p>紆余曲折を経て、教員採用試験に臨む。</p><p>科目は高校日本史。</p><p>今年の試験に向けて全力で取り組むが、きわめて厳しいのは覚悟している。</p><br><p>７月の試験に向けてとにかく計画的にかつ効率的に知識を獲得しつつ、自己分析を重ねて教職への具体像を深めていきたい。</p><br>
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<link>https://ameblo.jp/h85/entry-10552149806.html</link>
<pubDate>Wed, 02 Jun 2010 21:33:01 +0900</pubDate>
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<title>今日という一日</title>
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<![CDATA[ <p>「あなたが生きている今日は、昨日亡くなった人が生きたかった今日なんだよ」</p><br><br><p>雑感</p><p>何気なく、生きている今日。ぼーっとしていれば時間が過ぎていく今日。仕事に追われていればあっという間に過ぎていく今日。「飲んでパーッと気分を晴らそう」と言って過ぎていく今日。</p><br><p>昨日亡くなった人はどんな気持ちで今日を迎えたいと思っただろう。何をしたかったんだろう。</p><p>家族に「ありがとう」って言いたかったかもしれない。大きな夢を実現させるんだと思っていたかもしれない。生きていることに感謝したかったかもしれない。</p><br><p>今日というこの日は無駄にはできない、そして人生の一瞬たりとも。</p><p>と、ときに思わせてくれる言葉です。</p>
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<link>https://ameblo.jp/h85/entry-10517143212.html</link>
<pubDate>Sun, 25 Apr 2010 01:30:16 +0900</pubDate>
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<title>雑感</title>
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<![CDATA[ <p>自分の人生について、いま岐路に立っている。</p><br><p>小さい頃は、万能感に満ち溢れているものだと思う。</p><p>「将来は…になって、…する」とまるで、自分が本当にそれになれるかのような心境に陥っていた。</p><p>しかし、年を経るにつれて、自分の道を自分で決めていかなければならない。</p><p>それは、自分の可能性を一つずつ否定していく、という過程をいくばくか経なければならないともいえる。</p><p>その行為の連続が、もしかすると世の中を良くしてきた。</p><br><p>「自分が何をしたいのか」ということと、「自分は何をすべきか」ということは似て非なるものだ。</p><p>前者は自分の意思、後者は周りの希望である。</p><p>どちらが重要なのだろう。自分の信念に従って生きるのか、それとも周りの期待に沿って生きていくのか。</p><p>幸福なのは自分の信念に従って生きることだろう。そしてその結果として自分の行いが周りの人たちの期待にこたえられればよい。</p><br><p>物質的に豊かになったこの日本という国で、個人の意思が尊重されつつある。働くという行為そのものの価値も変わってきている。自らが自らの意思で自らの進路を選択できる世の中にある。</p><br><p>以前の社会より、自らの意思が尊重される分、個人の行動は目立つ。というか目立たなければ埋もれてしまう。</p><p>指示待ち人間が登場するのも納得できる。人間そのものは本質的には変わらず、社会が個人主義に傾倒したために相対的に人間の主体性が失われたと錯覚してしまうという見方もできる。</p><br><p>今後の日本で重要なことはなにか。</p><p>知識。決断力。勇気。チャンス。</p><br><p>今後の日本を創っていくのは間違いなく子どもたちである。</p><br><p>坂本竜馬は土佐藩を捨て、藩という枠にとらわれず国という単位で改革を考えた。そして、日本の夜明けをつくった。</p><br><p>これからの日本が生き残る方法は、国という枠にとらわれず、地球規模で改革を考えられる人物かもしれない。</p><br><p>こう考えただけで自分が教育に携わる意味があると思う。</p>
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<link>https://ameblo.jp/h85/entry-10492773251.html</link>
<pubDate>Sat, 27 Mar 2010 17:59:59 +0900</pubDate>
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<title>とある放送局での説明会</title>
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<![CDATA[ <p>今日はとある放送局で行われた説明会に参加した。</p><br><p>皆、若い。</p><br><p>私は現在新卒で就活している学生たちと比べると少し年齢が上ということもあり、皆が若く見える。</p><p>しかし「とても活気がある」とは、なかなか言い難い雰囲気だった。</p><p>そういうものなのかもしれないが、何か重苦しい、緊張感につつまれた会場となった。</p><br><p>よく、就職活動では「いつもの自分で」という言葉をきく。それは場の空気に押されてしまって「いつもの自分」が出せなくなる人が多いからだと思う。</p><p>「いつもの自分」が面接や選考で出せるならば誰も苦労はしない。</p><br><p>「場に慣れ、自分を最大限発揮する」</p><p>ということが必要だろう。</p><br><p>それはもしかしたら、必ずしも「絶対に○○に入りたい！」という気持ちを全面に出すということではなく、肩肘はらずに「どうしたら私＋放送局で社会に貢献できるか」と冷静に考えられるかということではないだろうか。</p><p>これは放送局に限ったことではなく、他の企業も同じことではないだろうか。</p><br><p>「一緒に働いていて楽しそうな人＝面接官と馬が合う人」ではなく、</p><p>「一緒に働いていて楽しそうな人＝社会に貢献することに対して同じ志を持てる人」</p><p>なのかもしれない。</p><br><p>その上で、面接官の真意をはかり、話に寄り添い、求められているものを答える。</p><p>会話のキャッチボールを楽しむ。</p><br><p>今一度、冷静に自己分析、企業研究をしてみたい。</p>
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<link>https://ameblo.jp/h85/entry-10446458138.html</link>
<pubDate>Sat, 30 Jan 2010 18:28:10 +0900</pubDate>
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<title>「ありがとう」</title>
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<![CDATA[ <p>「ありがとう」</p><br><p>という言葉を今日どれだけ使っただろうか、思っただろうか。</p><p>辞書には「感謝の気持ちをあらわす言葉」と書かれている。</p><br><p>感謝。</p><br><p>最近、あまり意識していなかったようにも思う。</p><br><p>ありがとう、その言葉、いやその気持ちを感じたくて仕事をしている人が大勢いる。その気持ちを伝えたくて、がんばっている人がいる。</p><br><p>時間は有限だ。しかし、私たちはそのことを忘れている。それと同じように「感謝」の気持ちも忘れてしまっているのかもしれない。</p><p>今を生きている、この瞬間にどれだけの人にありがとうを伝えられ、ありがとうと思ってもらえるか。</p><br><br><p>しかし人生では「この野郎」と思うときも沢山あると思う。</p><br><p>でも、その言葉をふと「ありがとう」に変えるためにはどうすればいいかって考えてみたら、もしかしたらまた世界が違って見えてくるかもしれない。</p><br><p>身近な人にこそ、忘れやすいこの気持ちを、伝えていきたい。</p><p>一生、忘れてはいけないことだと思う。</p><br><p>ありがとう。</p><p>いつも感謝しています。</p>
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<link>https://ameblo.jp/h85/entry-10445264884.html</link>
<pubDate>Fri, 29 Jan 2010 01:19:49 +0900</pubDate>
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<title>エントリーシートが通過</title>
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<![CDATA[ <p>ある放送局のエントリーシートが通過していた。</p><p>次は一次面接である。</p><br><p>道のりとしてはさらに二次、三次、四次、最終面接、その途中に筆記試験がある。</p><p>つまり、まだ４つ以上の面接が残っている。</p><br><p>一喜一憂はしていられる状況ではない。</p><br><p>すべての面接において具体的かつ有効な提案ができるように準備をしたい。</p>
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<link>https://ameblo.jp/h85/entry-10444802753.html</link>
<pubDate>Thu, 28 Jan 2010 15:53:23 +0900</pubDate>
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<title>虐待としつけ</title>
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<![CDATA[ <p>東京の江戸川区で２３日夜、７歳の男子が両親による殴る蹴るの暴行によって死亡した。</p><p>虐待死である。</p><br><p>逮捕された両親は警察の調べに対して、「食事を取るのが遅く、きちんと食べるために『しつけ』をした」と語っている。</p><br><p>これが本当ならば、とんでもないことだ。</p><br><p>そもそも「しつけ」の意味を完全に履き違えている。</p><p>「しつけ」とは我が子(この場合は血のつながっていない子どもだったにせよ)に対して、我が子が世間に出ても自信を持って生きられるように、他人様に迷惑をかけないように、世の中一般の礼儀だったり、所作、作法を教えるものである。</p><p>そして、何より親のその行為の根底にあるのは、「愛情」である。</p><br><p>子どもに対する「愛情」こそが、「しつけ」を行う原動力である。</p><p>それは何も「しつけ」に限ったことではなく、褒めるのも、叱るのも、全てである。</p><br><p>死に至らしめるまでの「しつけ」にその「愛情」があったとは到底思えない。</p><br><p>では、この問題の根本は何なのか。</p><br><p>両親の「愛情の欠如」、「歪んだ子どもへの気持ち」などが問題として挙げられる。</p><p>しかし、私が最も怖いと感じるのは、この虐待を防ぎきれなかった地域や学校、行政である。</p><br><p>決して、彼らを一方的に批判するつもりはない。</p><p>しかし、今回亡くなった子どもに関しては以前から体にあざができたり、歯科医が虐待の可能性に気付いている。</p><p>子どもを裸にして、調べることはできないが、もっと子どもに寄り添うことはできたのではないだろうか。</p><p>場合によっては子どもを保護することはできたのではないだろうか。</p><p>もちろん、これは結果論とも思う。だが、一人の尊い命が亡くなっているのもまた事実である。</p><br><p>子どもの異変には、必ず何かの信号が隠されていると思う。</p><p>そう思い、動ける大人が増えるのを期待するとともに、私もそのような大人になりたい。</p><br>
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<link>https://ameblo.jp/h85/entry-10442874461.html</link>
<pubDate>Mon, 25 Jan 2010 23:40:57 +0900</pubDate>
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