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<title>ノーテンクラクラな日々</title>
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<description>超光戦士シャンゼリオン20周年を機に、放映時の想いを振り返ったり未来へつなげたりしてみたいひとり語りブログ</description>
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<title>3年ぶりのぼやき</title>
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<![CDATA[ <p>ファンワズのカテコ後のシーンが千穐楽だけ変更されていたという情報を知ったときは、「ふーん、今回はこう来たか。ディスグーニーならやりそう。」って醒めた気分で受け止めたわたし。でも、実はその後ずっともやもやし続けていた。</p><p>セカチル大阪千穐楽で、その公演のみの追加シーンを観たときに感じたもやもやに近かった。登場人物の関係に深みを与える過去のひとコマが描かれていて、単なる千穐楽のボーナスを越えるとても重要なシーンに感じ、「これまでの公演しか観ていない客に失礼じゃない？」と思った記憶がある。</p><p>どちらも、舞台は生ものだしそのとき限りのライブなんだから毎回違って当然とか、千穐楽は祭りだからとかいう次元とは違う気がして…。</p><p>公演を重ねるにつれ、完成度を高めるために演出や一部の台詞が変わって行くのは全然歓迎するし、それも舞台の醍醐味だと思う。</p><p>でも、物語の見かたを大きく変えてしまうような脚本の変更を、最後の一公演だけにぶつけてくるのはどうなのか。それ以前の公演を観に来た観客を裏切ることにならないのか。</p><p>&nbsp;</p><p>ここからは思いっきり私見で、観劇傾向がかなり偏っていて西田さん作品の観劇歴が浅い一役者ファンの戯言なのでお許しを。</p><p>西田さん作演の舞台の場合、わたしは「もしかして間に合わなかったんじゃないの？」と疑ってしまうのだ。今回は、千穐楽の最後の最後だけに明かされた秘密の設定を観客にどこまでどうやって伝えるか、脚本上詰め切れないまま開演を迎えたのではないか、公演を重ねる中で言葉にして伝える選択をしたのではないか、という疑念が頭をもたげてしまった。</p><p>「いやいや、最初っからこうするつもりでした」ってことなら失礼千万な邪推で申し訳ないけれど、邪推したくなったのにはそれなりの理由がある。</p><p>&nbsp;</p><p>その昔、開演時間が大幅に遅れたリザルブの初日、場当たりだかゲネだか記憶が定かじゃないけど時間が足りなくて最後までできず、西田さんが袁紹役の萩野さんに台本のラスト16ページを「気持ちでお願いします」とおっしゃったという。その話を聞いたとき、わたしは内心「ふざけんな！」って怒りに震えた。</p><p>セカチルでは、玄白役が稽古中ずっと代わりの役者さんで、西田玄白と萩野源内が初めて芝居をあわせたのは初日の本番だったという。それを知ったときも、わたしは「そんなのあり？」と客として馬鹿にされた気がした。</p><p>どちらも萩野さんをはじめとする役者さんたちの演技は素晴らしかったし、マイベスト10を上げるとしたら上位に入る作品だ。だからこそ、せめて開演前に一旦は仕上げた形にしてから観客に披露してほしかった。</p><p>今回は、萩野さん演じる項梁に関する設定ではなかったのと、ディスグーニーの千穐楽へのある種の諦めもあって感情的にはならなかったが、納得できない気持ちは同じだった。</p><p>&nbsp;</p><p>でも一方で、これって常識に囚われたアタマの硬いわたしのわがままなのかな…という思いもよぎる。</p><p>全ては自由で破天荒な海賊船の新しい挑戦なんだ、常識を覆すこれまでにないものを創ってるんだ、それを一緒に船に乗って見届けるんだ。そんな風に心から思えれば、文字どおりのぶっつけ本番も、今回の舞台の締めくくり方も「粋だね〜」って新鮮な感覚で素直に受け容れられるのかもしれない。</p><p>でも、たぶんわたしはこれからも事あるごとにもやもやし続けるんだろうなぁ。</p><p>&nbsp;</p><p>ただ、毎回救われるのは、出演されている役者さんたちが全身全霊で楽しんでおられるのがひしひしと伝わってくることだ。自分はロスなんか起こさないと思ってたのにリンカネロスに陥ってしまった、と告白した萩野さんの言葉も印象に残っている。</p><p>追い詰められることで目覚める力は確かにあるのだろうし、お互いに化け物呼ばわりする役者さんたちが見せてくれる進化を実感できる幸せは、いつもたっぷりいただいている。</p><p>そしてもうひとつ、俳優を魅せたいがためにお芝居を創っているという西田さんの言葉には、今のところ裏切られたことがない。</p>
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<link>https://ameblo.jp/hagikuu/entry-12449588762.html</link>
<pubDate>Mon, 25 Mar 2019 20:29:46 +0900</pubDate>
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<title>ブログはじめました～シャンゼリオン会議室のこと</title>
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<![CDATA[ <p>1996年4月3日水曜夜18時、テレビ東京系で超光戦士シャンゼリオンが放映開始されてから20年と1日。</p><p>あの日シャンゼリオンと出会えたこと、ずっと大好きでいられたことに感謝して、何か新しいことを始めてみたくなりました。</p><p>とは言うものの、当面は昔語りが多くなると思います。</p><br><p>実は20周年を前にしてシャンゼ愛のルーツを再確認したくなり、NIFTY-serve特撮フォーラムのシャンゼリオン会議室のログを久々に読み返してみたところ、当時の興奮と熱気がまざまざとよみがえってきました。</p><p>ネットデビューしたばかりのわたし自身の感想やレスは、拙くて調子に乗ってて文字どおりノーテンクラクラで、ほんとに恥ずかしくなっちゃいます。</p><p>今もあまり変わっていないという陰の声もありますが…。</p><br><p>でも、そのときにしか感じられなかったり書けなかったりしたことがあったんじゃないかと思うので、気が向いたときにここに貼りつけて自分で自分にツッコミを入れてみたくなりました。</p><p>あまりの恥ずかしさに一回でやめちゃったらごめんなさい！！</p><br><p>まずしょっぱなは、最終話感想から行きます。</p><p>ネタバレを含みますので、未見の方はできれば読まないでくださいね。</p><br><p>このときは、2回に分けて投稿しました。</p><br><p>----------＜引用開始＞----------</p><br><p>（その１）　最終話＞今の想い</p><p><br>96/12/25 22:54 </p><br><p>　終わっちゃった…。これからどうしよう…。</p><p>　なんか今は詳しい感想が書けませんが、いい最終回でした。<br>　わたしは、満足しました。<br>　でも、今は心底淋しくて、気持ちの整理がつきません。<br>　最終話の解釈や感想は、また落ち着いてからにします。<br>　　　<br>　わたしにとっては、シャンゼリオンを見つめ続けることが、夢、そのもの<br>だったのかもしれません。それはきっと、これからも続いていくと思うけど。</p><p>　今みたいに、感謝と哀しさがごっちゃになったような心のありようは久々<br>で…。戸惑いつつ、しばらくひたってみることにしました。</p><p>　湿っぽくって、ごめんなさい。みなさんの感想で、元気、出そうと思いま<br>す。</p><br><br><p>（その２）　最終話＞ありがとっ☆　(48L)</p><p><br>96/12/26 03:40</p><br><p>　さ～て、気を取り直して感想いきます！</p><p>　どっちが夢で、どっちが現実？こういう謎かけで終わってしまうところも、<br>どっちの世界も勝利や大団円を迎えないところも、38話かけて築かれてきた<br>シャンゼリオンの世界を収束させるのにはピッタリだったと思います。</p><p>　ラストは、暁の壮烈な爆死を予感させる非情なシーンのはずなのに、最高<br>にカッコいい燦然の瞬間のシルエットがかさなって…。不思議と「こ、殺さ<br>れた…(;_;)」というやりきれなさを感じることなく、救われました。<br>　ただ「Changerion」のテロップが出て、海がオーバーラップしてきた後も<br>しばらくは「ほんとに終わっちゃったの？！どうしよう…」と、呆然として<br>いましたが…。</p><p>　今回の一番のギモンは、やはりホンモノの世界はどっち？なのでしょうが、<br>わたしは「どっちもどっち、ありのままに…」と受けとめました。<br>　<br>　たとえ、ノーテンキ暁の世界がすべてマジメな暁がみた夢で、彼が眠った<br>り意識を失ったりしたときだけ時間が進む世界だとしても、そこの住人たち<br>はみ～んな自分の世界を確立してます。それが絡み合いながらこれまでのシ<br>ャンゼリオンの世界を創ってきたわけで、ノーテンキ暁たちにとっては、紛<br>れもない現実そのものなんだよね。<br>　そして何よりも、それを見続けてどきどきしてきたわたしたちがいるんだ<br>もん。ただの夢まぼろしじゃあないぞぉ！</p><p>　マジメな暁が死んでしまっても、想いは残ると信じます。だから、ノーテ<br>ンキ暁の世界は、きっとあの日常のまま続いていくに違いない…。</p><p>　いろんな解釈ができるラストで良かったんじゃないかなあ。シャンゼファ<br>ンひとりひとりがきっと抱いている自分だけのシャンゼリオンの世界を、大<br>切にしてくれたような気がしました。</p><p>　洞窟での暁と速水のシーン、よかった…。<br>　暁の一瞬泣きそうな表情には、くらくらして涙が出そうになりました。こ<br>んなにマジで、しみじみと友情を確かめ合うふたりを見られて幸せ…。だか<br>らやっぱりＥＤの最後は、21話のラストシーンなのね。<br>　<br>　ノーテンキ暁とマジメな暁は、髪型もちがったけど、二役としての演じ分<br>けもしっかりされていたと思います。マジメな暁は、これまでの突発的にシ<br>リアス入ったノーテンキ暁とも感じが違ったような。萩野さん、もっともっ<br>といい役者になって下さい。ずっとみています。<br>　夢の世界の話をするときの遠いまなざし、速水が倒されたときの悲痛な叫<br>び、子犬をそっと逃がしてやるときの優しい眼…。数え上げればきりがない、<br>暁の魅力的な表情も、もう新しいものは見られないけど…。<br>　<br>　これからも、ず～っと一緒だからね！！<br>　スタッフのみなさん、出演者のみなさん、テレビ東京さんも…(^^)<br>　ほんとに、すばらしい世界をありがとっ！！</p><br><p>----------＜引用終了＞----------<br></p><br><p>夢落ち、バッドエンド、パラレルワールドetc.今も昔もいろんな解釈がある衝撃のラスト。</p><p>でも、当時のわたしにとっては、番組が終わってしまったという喪失感の方がそれに勝っていたように感じます。</p><p>だからこそ1話につながるループは、切なさや儚さを増すと同時にある意味救いでもありました。</p><br><p>最終話を観返すのはいまだに覚悟がいるけれど、わたし自身の受け止め方はほとんどずっと変わっていません。</p><p>何度観ても決してノーテンキな世界を否定する物語だとは思えないし、これ以上の終わり方はないと信じているのです。</p><p>そんなことを考えていると、最終話はそれまでの38話を全肯定しているという解釈のツイートに辿り着き、「なるほど！」と納得してしまったので、URL貼らせていただきますね。</p><br><p><a href="https://twitter.com/shinonome_aska/status/716637625990262785">https://twitter.com/shinonome_aska/status/716637625990262785</a> </p><br><p>ツイッターやネット上で、当時会議室で知り合った方が今もシャンゼリオンについて語っておられるのをお見かけるすると、うれしくなっちゃいます。</p><p>シャンゼリオン会議室は、パソコン通信という文字だけの顔が見えない世界でのコミュニケーションについて、一から学ばせてもらった大切な場でした。</p><p>育ててくださったみなさま、どうもありがとうございました。</p>
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<link>https://ameblo.jp/hagikuu/entry-12146475300.html</link>
<pubDate>Mon, 04 Apr 2016 06:41:35 +0900</pubDate>
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