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<title>アニメーションなんやかんや</title>
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<title>今敏監督が</title>
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<![CDATA[ 亡くなられたそうです。<br><br>ツイッターはやってないんでmixiで呟こうと思ったけど、<br>ﾘｱﾙの友人たちはｲﾏﾋﾞﾝなんて単語聞いても全く分からないだろうしなぁ‥と悶々としていた所で、<br>このブログの存在を思い出しました。<br><br>アリエッティの批判のためだけに登録したブログだけど、<br>独り言を書き綴るにはちょうどいいかもしれない。<br><br>とにかく残念です。ぶっちゃけ特に今敏作品が好きだった訳じゃありません。<br>千年女優と東京ゴッドファーザーズぐらいしか観てないし。<br>オレの中では「東京ゴッドファーザーズは当たり障りのないエンタメアニメとして良くできてた」ぐらいのもんだったんです。<br><br>でもその、日本のTVメディアでは(不当にも)大きく評価されない良作な劇場作品を<br>コンスタントに生み出し続けていたということは、それだけで大きな功績だったのだと今更ながら思います。<br><br>アリエッティやゲドなどの、鑑賞中に「‥？」が浮かぶような作品が頻繁に発表される最近のアニメ作品群の中において、これからより強い輝きをもって評価されるであろう作品を10年20年と発表し続けていくのだろうと思っていたのに。<br><br>アニメーションにおける「今敏が求める方向性」というものが、永久に失われた のだと感じます。<br><br>彼の作品性に追従する演出家っているのでしょうか？<br><br>準備中だった新作「夢見る機械」の今後の成り行きが気になります。<br><br>しかし、死を迎えるまでの１ヶ月のツイッターで飄々と呟かれた言葉の数々は 、勝手ですが自分の思うように生きた彼のかっこいい死に際のように思えました。<br><br>もし自分があと１ヶ月後に死ぬとしたら、こんなふうに死を迎えることができるのだろうか。 <br><br>無理です。<br><br>こんな何も成し遂げれていない半端者のままでは死んでも死にきれない。<br><br>明日やろうは馬鹿野郎。<br>がんばります。
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<link>https://ameblo.jp/haineranne/entry-10630130121.html</link>
<pubDate>Wed, 25 Aug 2010 22:43:29 +0900</pubDate>
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<title>良かった点についての補足:アリエッティにみる日本アニメの脚本の貧弱さ(注！ネタバレ含む)</title>
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<![CDATA[ そうそう、脚本や演出についてのダメ出しはたくさんしましたが、<br>良かった点も当然ありました。<br><br>一つはまぁ、アリエッティの可愛らしさでしょうか。<br>初めての借りにでかける期待に満ちた表情は、魔女の宅急便の冒頭、キキの旅立ちのシーンでのワクワク感を思い出しました。<br><br>あとは、ジブリ作品で久しぶりに男らしいたくましさを持った男性キャラ(アリエッティの父とスピラー)が見れたこととか。<br><br>それに小人サイズの世界での液体の表現や、ハンダ付けまでこなすアリエッティ父のハンター生活ぶりなんかは、科学的な考証は抜きにしてファンタジーとしてとても楽しめるものでした。<br><br>まぁ、それだけ良いところもあったが故に残念だったということでした。
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<link>https://ameblo.jp/haineranne/entry-10597511464.html</link>
<pubDate>Thu, 22 Jul 2010 07:45:06 +0900</pubDate>
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<title>その3:アリエッティにみる日本アニメの脚本の貧弱さ(注！ネタバレ含む)</title>
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<![CDATA[ 直後にアリエッティが涙を流して反論し、「ゴメン…実はボクは心臓が…」と続けることで、一応観客は翔が病気で他人へ配慮する余裕を失っているのだろうと想像できますが、それならば物語前半で「物静かで優しいが病気で少々自棄になっている少年」として描いておくべきでした。<br><br>いつも無言で本を読み、アルカイックスマイルで家を壊し滅びを予言する翔くんは一歩間違えると不気味です。<br><br>最後にアリエッティ母救出時の翔のハルに対する態度です。<br>ハルの本性も目的も知らずに、外から鍵をかけられ閉じ込められたときのセリフが「カギがかかってる。」では状況説明以上の意味が何一つありません。<br><br>翔からすれば、理由も分からず家政婦が先代から一族が好意を寄せる小人を捕まえ、家主の孫である自分を閉じ込めているのです。この解雇レベルの行動に対し、何のリアクションもなしでは納得がいきません。<br>眉をひそめて大声でハルを呼びつけようとするが思いとどまる、ぐらいの描写はほしいものです。<br>アリエッティ母救出劇では、ハルに気づかれずに小人の存在の証拠を消し、全てはハルの妄言だと片づけることで小人の存在を世間に知られることを防ぎました。<br>しかし、観客は「アリエッティのお母さんを助ける」以上の行動理由を聞かされてはいないので、前述したように翔のハルへの接し方に疑問が生まれるのです。<br><br>ですので、例えばですが<br><br>「ハルさ…」とハルを呼んで問いつめようとするが興奮から胸が痛み、うずくまる翔。それに対しアリエッティが「無理しないで…それに翔が母さんのことを直接問いただせば、小人の存在を認めることになっちゃう」と訴え、「じゃあ、気づかれないようにこっそり助けるんだ」と目的を説明する <br><br><br>というふうにすれば全てに合点がいくはずです。<br><br>これらのように、コンテに取りかかる前の脚本の段階で推敲しておくべき部分がないがしろにされたままだったため、アリエッティは文句ない良作になるチャンスを失ったように思えます。<br><br>これは私的な見解ですが近年、エウレカセブンや東のエデンなど、脚本段階での推敲が欠如していたために本来期待されたエンターテイメント性を発揮できなかった作品が多いように思えます。<br>素材が良いだけに非常に勿体無いです。<br><br>アニメ業界の今後を考えるうえで必要不可欠なのは、良い監督やアニメーターよりも、優秀な脚本家 なのではないでしょうか。
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<link>https://ameblo.jp/haineranne/entry-10595883100.html</link>
<pubDate>Tue, 20 Jul 2010 13:55:07 +0900</pubDate>
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<title>その2:アリエッティにみる日本アニメの脚本の貧弱さ(注！ネタバレ含む)</title>
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<![CDATA[ そもそも、ハルの執着の理由さえ観客に示されていないのに、なぜハルはここまでの行動をとるのか。<br>観客は混乱してしまいます。<br><br>これも、物語前半部分で「ハルは祖母や翔の前では真面目に働くが、２人が見ていない所ではお茶菓子をつまんだり掃除を手抜きしたりする」<br>といったダメ家政婦さを表すシーンを入れておけば、すんなり受け入れることができたはずなのです。<br>翔も祖母も気づかない中、観客だけがハルの本性を知っている。そういう描き方をするだけで、アリエッティのお母さん救出の一連の場面はよりドラマティックになったはずです。<br><br>次に翔の描かれ方。<br><br>翔はアリエッティたち小人の唯一の理解者です。ですから、その立ち位置は常にブレないことが必要だと思われます。<br>そこで<br><br>1.ドールハウスの台所のプレゼントの仕方<br><br>2.絶滅～のセリフ<br><br>3.アリエッティ母救出時のハルへの接し方<br><br>が気になりました。<br><br>ドールハウスの台所についてですが、あれをアリエッティたちの家に設置する際、なぜ翔は無言かつ荒っぽいのか。<br>監督が小人視点からのパニックを描きたかったから故のあの演出なのでしょうが、<br>翔が小人のことを思う優しい少年なら突然壁を引き剥がす前に<br><br>「こんにちは、今日はプレゼントを持ってきました」<br><br>ぐらいの何かしらセリフをいれて、それから行動に移すのが常識的な発想のはずです。<br>それならば、突然天から降ってきた声にアリエッティのお母さんが事態を理解できずに呆然としていると、急に天井が外されてパニックになる、という自然な流れになるのです。<br>さらに演出について付け加えるなら、翔が家をリフォームする際に両手をそえながら出来るだけ丁寧にしていれば、その次見つけたハルの無遠慮な乱暴さが際立ちます。<br>見つかった時点でパニック必至の大事件なのですから、過剰な破壊描写は完全な蛇足なのです。<br>まぁ、床下の開けたらすぐ見つかる位置に家を構えさせる設定段階での無計画さ、という時点ですでにすべてが台無しですが。 <br><br><br>そして、絶滅うんぬんのセリフに関しては宮崎駿の脚本段階で用意されていなかったのを監督がつけ加えたらしいという話があります。<br><br>アリエッティが台所の件で一言物申しにきたのに、それに返す言葉があれでは翔の人格を疑わざるを得ません。(つづく)
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<link>https://ameblo.jp/haineranne/entry-10595853966.html</link>
<pubDate>Tue, 20 Jul 2010 13:01:33 +0900</pubDate>
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<title>アリエッティにみる日本アニメの脚本の貧弱さ(注！ネタバレ含む)</title>
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<![CDATA[ 最初に、ネタバレ含みます。<br><br>アリエッティ観てきました。<br>一応全体的には話もまとまっていて、ゲド戦記よりは溜飲が下がる出来。<br>しかし、寧ろその「ゲドよりはマシ」というハードルの下がり方が問題だと思えます。<br><br>ゲドに対してアリエッティは作画のクオリティ、コンテの出来、レイアウト等も数段上。<br>まぁ、ドシロウト監督とアニメーター上がり監督との差なので当然なんでしょうが。<br><br>でも、やっぱり今回も脚本が力不足過ぎます。<br>宮崎駿は脚本の前半はちゃんと書いたが後半は麻呂がやりやすいようにカッチリ仕上げなかったという話。<br>それが完全に裏目に出てます。<br><br>細々したところもありますが、特に目についた点についていくつか挙げてみます。<br><br>まず、家政婦ハルの描かれ方。<br>今作でのハルは、翔・祖母・ハルといる3人の人間の中で、小人と敵対する唯一の人間という立ち位置です。<br>そのため、劇中では徹底的に悪者として描かれています。<br>それはいいんです。 ただ、その役割が物語後半から唐突に始まるのがいただけない。<br>それまではただのがさつな家政婦として描かれていたハルが小人の存在を疑いだした途端、目に狂気をはらんだﾏｯﾄﾞｻｲｴﾝﾃｨｽﾄさながらの狂人に変貌するのです。<br><br>ハルを悪役にすることは脚本の大枠が作られたうちに決まっていたはず。<br>それならば、そこへ至るまでのハルの描き方に伏線が張られることが必要不可欠です。<br><br>具体的に言えば、<br><br>1.ハルは小人を恨んでいる<br><br>2.ハルは家政婦だが雇い主の一家に敬意を持っていない <br><br>この2点は必ず匂わせる場面を作るべきでした。<br>雇い主の奥様が<br>「ドールハウスはいつか小人へのプレゼントに」<br>と先代からの小人にまつわるロマンチックな関係を話していたのに、ハルが小人を駆除しようと躍起になるのは観客にはいまいち解せません。<br>祖母があの話をしているときに<br><br>「でも奥様、家の物が少しずつ盗まれているんですよ？私は小人にそこまで寛大な好意は抱けません」<br><br>ぐらいの否定的なセリフを一つでも挟んでいれば、観客はすんなりとあの展開を受け入れたはずですし、「ハルに見つかったらアリエッティたちが危険だ！」とドキドキしながら物語の展開を楽しめたはずです。<br><br>そして、給金をもらって働く一家政婦が お坊っちゃまの部屋に鍵をかけて閉じ込める、などという行為も観客の理解を超えています。<br>そもそも、(つづく)
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<link>https://ameblo.jp/haineranne/entry-10595818680.html</link>
<pubDate>Tue, 20 Jul 2010 12:06:57 +0900</pubDate>
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