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<title>hankeidouのブログ</title>
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<description>ブログの説明を入力します。</description>
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<title>Ｗｅｂアプリ始めました</title>
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<![CDATA[ ほぼ2年半ぶりの更新ですが，内容は漢詩ではありません。<br><br>いきなりですが，Ｗｅｂアプリケーションの製作を始めました。<br>これまで私は，ＨＳＰを使ってWindows上で動くソフトを作成してきました。データベースエンジンに<br>SQLiteを使用すればＨＳＰでデータベースを操作することもできるので，在庫管理（特に定点発注での管理が困難な低頻度出庫医薬品）の助けとなるソフトを自作し業務に使用したりしています。<br><br>「ソフトはWindows ＰＣ上でさえ動けば，それで十分」というのが私の考えでした。ＩＴの王者はＰＣであり，そのＰＣのＯＳは業務用でも個人用でも圧倒的多数がWindowsなのです。Windows以外の環境で動かす必要など，少なくとも私自身は感じていませんでした。<br><br>しかし，ここ数年で状況は急激に変化してきました。<br><br>今，ＩＴの世界では「ポストＰＣ」という言葉がさかんに飛び交っています。ＰＣがＩＴの王者の座から滑り落ちようとしているのです。その原因は言うまでもなくスマホとタブレットの台頭です。業務でこそ，まだまだＩＴの中核はＰＣですが，個人のプライベートでの利用では，今やスマホやタブレットが完全にＰＣを凌駕していると言っていいでしょう。Ｗｅｂの閲覧やメール，電子書籍の閲読程度の目的であれば，ＰＣを使わなければならない理由は全くありません。ＰＣのほうが優れている機能はもちろんあるのですが，ユーザーがそれを必要としていないのです。逆にスマホやタブレットに出来て，ＰＣに出来ないことのほうが，ユーザーにとっては重要です。スーパーでの支払いをＰＣでおこなうことはできませんが，スマホにはオサイフケータイ機能があります。スマホを腕に巻いてランニングすれば，距離やラップ，消費カロリーまでがわかります。ＰＣを背負ってランニングしても，重りにしかなりません。そして，台頭するスマホ・タブレットのＯＳはほとんどが，iOSかAndroidです。Windowsではありません。<br>かくして，ＩＴ全体の中で，Windows ＰＣが占める地位は次第に低下していきました。私は，こういった状況を，いくばくかの（いや，正直にいえば，かなりの）焦りを抱きながら，苦々しく眺めていました。理由はおわかりでしょう。私が作れるソフトはWindows ＰＣ上でしか動かないのです。Windows ＰＣがなくなれば，私の持つプログラミングの技術は何の意味もなくなってしまいます。<br><br>ＰＣの地位を脅かしつつあるスマホ・タブレット――私にとっては余計なことをする邪魔者にしか見えませんでした。かなうことなら，全部世の中から消えてしまわないかとすら思いました。Microsoftがいっこうに対応策をとろうとしない（ように見えたのです）ことも私をイライラさせました。そんな状況のなか，テレビでXboxのＣＭがさかんに流れているのを見ると，「Microsoftはゲーム機メーカーでやっていくつもりか」と悪態をついたものです。（余談ですが，Microsoftも遅まきながら，巻き返しを図ろうとしているようで，自社ブランドのタブレット"Surface"を発表しました。Windows8 proもしくはWindows RTを搭載するそうですが，発売時期も価格も未定です。日本で発売されるかどうかもわかりません）<br><br>しかし，やがて転機が訪れました。私自身がガラケーからAndroidのスマホに変更したのです。<br>最初はもちろん，Microsoftへの義理立てから，Windows Phoneを考えたのです。でも，新着メールが30分間隔でしか自動受信されないという変な制約がひっかかりました。そして，それ以前に，そもそも売り場にWindows Phoneが置いてありませんでした。auはWindows Phoneを積極的に売ろうとするつもりがなく，Windows Phoneを欲しいというユーザーもほとんどいないのだ，ということを，私は痛いほど理解しました。この瞬間，私はWindows Phoneをあきらめました。そうなると，ほかの数多のスマホの中から選ばなければなりません。とりあえずiPhoneははずし，（さすがに，Appleに膝を屈するのは耐えがたかったのです）Android Phoneの中で，国内メーカーのもので使い勝手がよさそうでかさばらないもの，という観点で某F社のArxxxsを選びました。<br><br>スマホの便利さについて，今さら私が説明する必要もないでしょう。実際に使い始めて，私はその便利さに圧倒され，ＰＣの敗北を認めざるを得ませんでした。もう，この現実から目をそらすわけにいかなくなりました。<br><br>私はしょせん，日曜プログラマーです。しかし，日曜プログラマーといえどもプログラマーです。今後もプログラマーであり続けようとするならば，Windows ＰＣの地位が低下し続けるこの現状に対応しなければなりません。その方策はいくつかあるでしょう。たとえば，AndroidやiOSでのプログラミングを学ぶという手があります。でも，Androidプログラミングを身に付けたとしても，それによって製作したソフトはAndroidでしか動かないわけですから，あまり得ではない気がします。むしろ，ユーザーの端末の環境がなんであろうと関係なく動くものを作れる技術を学んだほうが，ずっと有意義です。Ｗｅｂプログラミングならそれができそうです。Ｗｅｂ上にアプリケーションを置いてブラウザで動かしてもらえれば，ユーザーの端末がWindows ＰＣであろうと，Android Phoneであろうと，iPadであろうと基本的には問題ありません。<br><br>というわけで，私はＰＨＰを学ぶことに決めました。ＰＨＰなら，Ｗｅｂアプリケーションを作るのに必要な機能が揃っていますし，これまで使いなれたデータベースエンジンSQLiteを利用するのにも適しています。プログラミングの学習は習うより慣れよ，です。ともかく何かを作ってみるにこしたことはありません。<br>そこで私が作ったのが，<a href="http://www.hankeidou.net/webappli/drugtransformer/index.html">「Drug Transformer」</a>です。何をするソフトかというと，ある剤形の医薬品を別の剤形に変更する場合，力価（成分量）を等しくするには製剤量をいくらにすればいいのかを計算するものです（例えば，アスベリンシロップ10ｍＬをアスベリンドライシロップに変更すると何ｇになるか，とか）。ショボいソフトですが，入力を受け取り，SQLiteを使ってデータベースを操作して，結果を返すという基本機能を含んでおり，いい練習になりました。なお，現時点でこのソフトのデータベースは完成はしていません。先発の頻用薬についてはほぼデータの登録はできたと思いますが，後発品の名称はほとんど登録していませんのでご注意ください。また，データベースにミスがある可能性や，悪意のある者によってデータベースが改竄される可能性もありますので，あくまで自身で計算した上でのダブルチェックとして利用するようにしていただき，ソフトの計算結果を検証なく鵜呑みにすることのないよう，お願いします。<br><br>今後も練習がてら，ちょっとしたＷｅｂアプリを作ると思うので，Ｗｅｂアプリのトップページを作りました。以下のリンクから入れます。<br><br>&nbsp;&nbsp;&nbsp; <a href="http://www.hankeidou.net/webappli/top.html">Ｗｅｂアプリトップ</a> <br>
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<link>https://ameblo.jp/hankeidou/entry-11500632027.html</link>
<pubDate>Mon, 02 Jul 2012 11:56:41 +0900</pubDate>
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<title>雨中訪阿蘇草千里作</title>
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<![CDATA[ <span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a href="http://www.hankeidou.net/mt/assets_c/2010/02/TS3D0470-2-112.html"><img src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fwww.hankeidou.net%2Fmt%2Fassets_c%2F2010%2F02%2FTS3D0470-2-thumb-190x142-112.jpg" alt="TS3D0470-2.jpg" class="mt-image-none" style="" height="142" width="190"></a></span><br><br><font style="font-size: 1.5625em;">雨中訪阿蘇草千里作<br><br>一群白馬鬃毛重<br>萬頃青原霖雨霏<br>偏請狂風無奪傘<br>客中何処燥征衣</font><br><br><br>（押韻）<br>霏・衣：上平声五微韻。対句のため起句は踏み落とし<br><br>（現代中国語発音）<br>yi1qun2 bai2ma3 zong1mao2<br>/zhong4<br>wan4qing1 qing1yuan2 lin2yu3fei1<br>pianqing3 kuang2feng1 wu2duo2san3<br>ke4zhong1 he2chu3 zao4zheng1yi1<br><br>（語注）<br>鬃毛：馬のたてがみ<br>萬頃：頃は広さの単位で１頃が約580アールほど。萬頃ではるかに広いさまをあらわす<br>霖雨：ながあめ<br>霏：雨や雪がはらはらと降りしきるさま<br>偏：ことさらに。原義はかたよって，の意だが，そこから，ある状況・場面に局限して，というニュアンスを示す。したがって，ここでは，今だけはことさらに，くらいの意味<br>狂風：狂ったように吹きすさぶ風<br>燥：かわかす<br><br>（訓読）<br>雨中　阿蘇草千里を訪ねて作る<br><br><br><br>一群の白馬　鬃毛　重く<br><br>萬頃の青原　霖雨　霏たり<br><br>偏へに狂風に請ふ　傘を奪ふこと無かれ<br><br>客中　何れの処か　征衣を燥（かは）かさん<br><br>（訳）<br>一群の白馬のたてがみも濡れて重たげに垂れ<br>遙かにひろがる青い草原には長雨が降りしきっている<br>今だけはことさらに狂風に請い願う，私の傘を奪ってくれるな<br>こんな旅先でびしょぬれになったら，いったいどこで旅ごろもを乾かせばいいのだ<br><br><br>中津城をあとにして，列車で一気に阿蘇へ。あいにくの天気で，阿蘇駅のバス停にある掲示板の情報によれば山頂のロープウェーは運行中止，との情報でしたが，旅行の日程上，翌日にするわけにもいかないので，草千里までだけでも行こうと思い，阿蘇山行きのバスに乗り込みました。乗客は私と外国人カップルのみ。自然と運転手さんと会話することになり，「ロープウェーが運行中止になっているようなので，草千里だけ見て帰ってこようと思っている」と話したところ，運転手さんは「ロープウェーは運行しているはず。確認してみよう」といって携帯電話で運行状況を調べてくれ，「間違いなく運行している」と教えてくれました。ロープウェーが運行していることがわかったので，草千里で下車せず，山頂まで行くことにしたのですが，もともと草千里ではバスは数分間停車することになっているので，写真を撮ることができました。冒頭の写真は奇跡的にきれいに撮れていますが，傘の骨組みが反転してしまうほどの強風で写真を撮るのも大変でした。天気がよければ馬に乗る人もたくさんいたのでしょうが，さすがに天気が悪すぎました。馬たちもただ雨に濡れるばかりです。天気がよかったらなあと，いまだに悔しい思いが消えません。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/hankeidou/entry-11500631895.html</link>
<pubDate>Sun, 14 Feb 2010 05:22:16 +0900</pubDate>
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<title>船向鎮西　其二</title>
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<![CDATA[ <font style="font-size: 1.5625em;">船向鎮西　其二<br><br>三更欲雨海風強<br>雲端猶餘孤月光<br>遠去浪華程未半<br>客船載夢向西方</font><br> <br><br>（押韻）<br>強・光・方：下平声七陽韻<br><br>（現代中国語発音）<br>san1geng1 yu4yu3 hai3feng1qiang2<br>yun2duan1 you2yu2 gu1yue4guang1<br>yuan3qu4 lang4hua2 cheng2wei4ban4<br>ke4chuan2 zai3meng4 xiang4xi1fang1<br><br>（語注）<br>三更：午前０時前後。真夜中<br><br>（訓読）<br>船にて鎮西に向かふ　其の二<br><br>三更　雨ふらんと欲して　海風強く<br><br>雲端　猶ほ餘す　孤月の光<br><br>遠く浪華を去るも　程　未だ半ばならず<br><br>客船　夢を載せて　西方に向かふ<br><br>（訳）<br>真夜中，雨が降り出しそうで海の風が強いが<br>雲のはしにはまだ孤独な月の光がまだ見えている<br>大坂からは遠く離れたけれども，旅のみちのりはまだ半分もすぎておらず<br>船は眠る旅客たちの夢をのせて西へと向かう<br><br><br>フェリーで九州へ向かう途中の詩がもう一首残ってました。これで，もう残ってないはずです。今度こそ本当に九州上陸です。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/hankeidou/entry-11500632652.html</link>
<pubDate>Sun, 14 Feb 2010 04:14:27 +0900</pubDate>
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<title>上中津城望樓有懐黒田如水</title>
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<![CDATA[ <span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a href="http://www.hankeidou.net/mt/assets_c/2010/02/TS3D0466-2-109.html"><img src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fwww.hankeidou.net%2Fmt%2Fassets_c%2F2010%2F02%2FTS3D0466-2-thumb-190x142-109.jpg" alt="TS3D0466-2.jpg" class="mt-image-none" style="" height="142" width="190"></a></span><br><br><font style="font-size: 1.5625em;">上中津城望樓有懐黒田如水<br><br>帷幄神謀開泰平<br>封於西國築堅城<br>豈圖天下三分計<br>因嗣貪功却不成</font><br><br><blockquote><blockquote><font style="font-size: 1.25em;">黒田如水，臨関原役，稱與東軍，大攻西軍諸侯，破之，併其封土，遂獲鎮西諸州大半。徳川内府及破石田礼部，頓命如水止戈。巷説曰，如水密有逐鹿之志，欲乗内府礼部両雄拮抗，得漁父之利，三分天下，自取其一。然而嗣子長政遠在関原，不知如水大志，不唯奮闘於戦場，唆金吾叛礼部，以使東軍大捷。因此如水覇圖帰水泡。又曰，後日長政誇関原戦功曰，「内府自取我手，稱謝」。如水問曰「左右何手」。長政答曰「右手也」。如水曰「其時汝左手何爲」。</font></blockquote></blockquote> <br><br>（押韻）<br>平・城・成：下平声八庚韻<br><br>（現代中国語発音）<br>wei2wo4 shen2mou2 kai1tai4ping2<br>feng1yu2 xi1guo2 zhu4jian1cheng2<br>qi3tu2 tian1xia4 san1fen1ji4<br>yin1si4 tan1gong1 que4bu4cheng2<br><br>（語注）<br>中津城：天正15年（1587年），黒田官兵衛が豊前16万石を与えられて築城に着手するも，完成前に黒田家は関ヶ原の戦功により筑前52万石に転封となり，築城はいったん中断された。しかし，そのあとに中津に入った細川家が築城を継続して，元和7年（1621年）にいたってようやく完成した。山国川河口に位置し，海水を引き込んだ堀に守られた堅固な城であり，日本三大水城のひとつともされる。城の縄張りが全体として扇形をしていることから「扇城」の別名も持つ。もともと天守閣は建てられなかったとする説が一般的で，現在存在する天守閣は戦後になって造られた模擬天守である。<br>望樓：ものみを目的とする高い建物。ここでは天守閣。<br>黒田如水：黒田官兵衛孝高（1546～1604）。如水は隠居後に名乗った号。豊臣秀吉に参謀として仕え，戦においては作戦立案，外交においては諸大名への調略に活躍し，秀吉の天下統一に不可欠の役割を果たした。しかし，天下統一前後から秀吉にその智謀を警戒されるようになり，加えて石田三成ら吏僚派との間に確執を生じたことで秀吉との間に決定的な溝が生じた。秀吉の九州平定後の天正15年（1587年）に豊前中津16万石を拝領したが，そのわずか2年後に家督を息子長政に譲って隠居，さらに文禄2年（1593年）には出家している。これらの行動は秀吉からの警戒を解くためだったと見られている。秀吉の死後，関ヶ原の役では独自の動きを見せるが，それは後述。<br>帷幄：とばりと幕。転じて軍中で作戦を立てる場所。&lt;&lt;漢書・張良傳&gt;&gt;「運籌策帷幄中，決勝千里外，子房功也（籌策を帷幄の中に運らし，勝ちを千里の外に決するは，子房の功なり）」。ちなみに黒田如水は「今世の張良」と評された。<br>神謀：神のごとき見事なはかりごと。<br>堅城：堅固な城。黒田如水は築城の名人としても知られた。<br>嗣：嗣子。あとつぎ。黒田長政。<br>貪功：貪欲に手柄を追い求める。<br>封土：君主から与えられた領土<br>鎮西：九州<br>徳川内府：徳川家康。内府は内大臣の唐名<br>石田礼部：石田三成。礼部は三成の官職，治部少輔の唐名「礼部員外郎」の略。工部員外郎であって杜甫を杜工部と呼ぶのと同じ<br>止戈：戦争をやめる<br><font style="font-size: 1em;">逐鹿：天下の覇権を争う<br>金吾：小早川秀秋のこと。秀秋の官職，左衛門督の唐名「執金吾」から。関ヶ原の戦いでは西軍に属しながら全く動かず，正午すぎにいたってついに東軍に寝返って西軍を攻撃した。これをきっかけに西軍は総崩れとなり，関ヶ原の勝敗は決した。<br></font><font style="font-size: 1em;">稱謝：感謝の意を述べる<br></font><br>（訓読）<br>中津城の望樓に上りて黒田如水を懐ふ有り<br><br><br><br>帷幄の神謀　泰平を開き<br><br>西國に封ぜられて　堅城を築く<br><br>豈に圖らんや　天下三分の計<br><br>嗣の功を貪るに因りて　却って成らざらんとは<br><br><blockquote><blockquote><font style="font-size: 1em;">黒田如水，関原の役に臨んで，東軍に與（くみ）すると</font><font style="font-size: 1em;">稱し</font><font style="font-size: 1em;">，大いに西軍諸侯を攻め，之を破り，其の封土を併せ，遂に鎮西諸州の大半を獲たり。<br>徳川内府，石田礼部を破るに及んで，頓（とみ）に如水に命じて戈を止めしむ。巷説に曰く，「如水は密（ひそ）かに逐鹿の志有りて，内府・礼部両雄の拮抗するに乗じて，漁父の利を得，天下を三分して，自らは其の一を取らんと欲す。然れども嗣子長政，遠く関原に在りて，如<br>水の大志を知らず，唯だに戦場に奮闘するのみならず，金吾を唆して礼部に叛かしめ，以て東軍をして大捷せしむ。此に因りて如水の覇圖は水泡に帰せり」と。又曰く，「後日，長政，関原の戦功を誇りて曰く，「内府，自ら我手を取りて，謝を稱（とな）ふ」と。如水，問ひて曰く「左右何（いづ）れの<br>手ぞ」と。長政，答へて曰く「右手なり」と。如水曰く「其の時，汝の左手は何をか爲す」と。」</font><br></blockquote></blockquote>（訳）<br>陣中における神のごときはかりごとで秀吉の天下統一を助けて泰平の世を開き<br>西方の地に領土を与えられて，この中津城という堅固な城を築いた<br>しかし，その如水でも見通せなかったであろう，自らの思い描いた天下三分の計が<br>自分の後継ぎである長政が貪欲に手柄を追い求めたがために成就しなくなってしまうとは。<br><br><blockquote><blockquote>黒田如水は関ヶ原の戦いにのぞんで，東軍に味方すると称して，西軍の諸大名を大いに攻めてこれを撃破し，彼らの領土を併合し，かくて九州の大半を手中におさめた。徳川家康は関ヶ原で石田三成を破ると，急いで如水に命令して九州での戦争をやめさせた。世間では以下のように言われている。如水はひそかに天下の覇権をあらそう大志をいだいており，家康と三成の両雄が拮抗するのに乗じて漁父の利を得，天下を三分して自身がそのうちのひとつを領有しようと思っていたが，しかし，あとつぎの長政は遠くはなれた関ヶ原にあって如水の志は知らなかったので，単に戦場で奮闘するにとどまらず，小早川秀秋をそそのかして石田三成から離反させ，それによって東軍を大勝利に導き，この結果，如水の覇業のはかりごとは水の泡と消えた。また，以下のような話もある。後日，長政が関ヶ原での戦功を誇って，「家康様は自ら私の手を取って感謝を述べてくれました」と言ったところ，如水は「それは左右どちらの手であったか」とたずねた。長政が「右手です」と答えたところ，如水は「そのとき，きさまの左手は何をしていたのか（すなわち，なぜ，その左手で家康を刺し殺さなかったのか，という意味）」と言ったという。<br></blockquote></blockquote><br><br>門司に上陸したあと，まず，電車で中津に向かいました。黒田如水ゆかりの中津城を訪ねるためです。語注にも書いたとおり，中津城の天守閣は戦後に造られた模擬天守で，中は資料館になっていますが，そこにあるのは奥平氏（黒田氏・細川氏・小笠原氏のあとを受けて中津藩主となり，明治維新まで続いた）のものばかりで，黒田如水ゆかりのものはありません。これは模擬天守が奥平氏子孫が経営する企業の所有する施設であることを考えれば，ある意味，当然といえば当然です。ちなみに，この天守閣資料館の運営は赤字がかさんでいるため，運営主体の企業は城の土地と一緒に売却を希望しているようで，一時問題になってテレビでも取り上げられていましたが，現在どういう状況になっているのかよくわかりません。ただ，観光客を増やそうとするのであれば，全国的な知名度のある黒田如水を取り上げたほうがいいのではないかと思います。<br>詩のほうですが，転結の内容はそれだけではわかりにくいと思いますので，漢文の注をつけました。ただ，関ヶ原の戦いの際の如水の動きは，昔，ＮＨＫの「そのとき歴史は動いた」でも取り上げられたことがあったので，結構知られているのではないかと思います。ＮＨＫの放送では，如水の描いたシナリオは，九州を制圧したうえで家康・三成の死闘を高見の見物し，勝敗が決した直後に，疲弊しきった勝者を攻め滅ぼして自らが天下を取る，というものだったと記憶しています。そこまでを狙っていたかどうかはわかりませんが，両者の戦いが長期化した際にキャスティングボートを握ることくらいは狙っていたでしょう。それにしても，「そのとききさまの左手は何を」のエピソードは背筋の凍る話です。これでは秀吉に警戒されるのも仕方ないでしょうな。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/hankeidou/entry-11500632319.html</link>
<pubDate>Thu, 11 Feb 2010 01:38:53 +0900</pubDate>
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<title>船向鎮西</title>
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<![CDATA[ <font style="font-size: 1.5625em;">船向鎮西<br><br>萬里潮風送単舸<br>一輪海月照千湾<br>枕頭今聴讃岐浪<br>夢裏已看筑紫山</font><br> <br><br>（押韻）<br>湾・山：上平声十五刪韻。対句のため起句は踏み落とし<br><br>（現代中国語発音）<br>wan4li3 chao2feng1 song4dan1ge3<br>yi1lun2 hai3yue4 zhao4qian1wan1<br>zhen3tou2 jin1ting1 zan4qi2lang4<br>meng4li3 yi3kan4 zhu2zi3shan1<br><br>（注）<br>単舸：一隻の船<br>海月：海上の月<br>讃岐：香川県<br>筑紫：福岡県<br><br>（訓読）<br>船にて鎮西に向かふ<br><br>萬里の潮風　単舸を送り<br><br>一輪の海月　千湾を照らす<br><br>枕頭　今聴く　讃岐の浪<br><br>夢裏　已に看る　筑紫の山<br><br>（訳）<br>万里のかなたまで吹き渡る潮風が一隻の船を送り<br>海上の一輪の月が幾千もの湾を照らし出す<br>枕辺で今聞こえるのは讃岐の波だが<br>夢のなかではすでに筑紫の山が見えている<br><br>フェリーで九州に向かっている途中の詩がもう一首残っていました。全対格の絶句は初めて作ったような気がします。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/hankeidou/entry-11500631684.html</link>
<pubDate>Tue, 09 Feb 2010 10:03:05 +0900</pubDate>
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<title>到門司</title>
<description>
<![CDATA[ <font style="font-size: 1.5625em;">到門司<br><br>一宵已過萬重山<br>遂到鎮西望翠鬟<br>港浦雖無鷗鳥舞<br>雲光迎客照平湾</font> <br><br>（押韻）<br>山・鬟・湾：上平声十五刪韻<br><br>（現代中国語発音）<br>yi1xiao1 yi3guo4 wan4zhong4shan1<br>sui4dao4 zhen4xi1 wang4cui4huan2<br>gang3pu3 sui1wu2 ou1niao3wu3<br>yun2guang1 ying2ke4 zhao4ping2wan1<br><br>（注）<br>鎮西：九州のこと<br>翠鬟：字義どおりには，緑のわげ（頭上に束ねて輪にした婦人の髪型）。緑の山の姿のたとえ。<br><br>（訓読）<br>門司に到る<br><br>一宵　已に過ぐ　萬重の山<br><br>遂に鎮西に到りて　翠鬟を望む<br><br>港浦　鷗鳥の舞ふこと無きと雖も<br><br>雲光　客を迎へて　平湾を照らす<br><br>（訳）<br>一晩ですでに幾重にも重なる山々を通り過ぎ<br>かくて船は九州に到着し，緑の山が望まれる<br>港にはカモメが舞う姿こそないものの，<br>雲から漏れ来る日の光が旅人を迎えて，波穏やかな湾を照らし出す<br><br><br>フェリーが新門司港へと到着する場面を詠んだ詩です。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/hankeidou/entry-11500632627.html</link>
<pubDate>Tue, 09 Feb 2010 09:27:01 +0900</pubDate>
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<title>船過明石海橋下</title>
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<![CDATA[ <span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a href="http://www.hankeidou.net/mt/assets_c/2010/02/TS3D0453-2-106.html"><img src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fwww.hankeidou.net%2Fmt%2Fassets_c%2F2010%2F02%2FTS3D0453-2-thumb-190x142-106.jpg" alt="TS3D0453-2.jpg" class="mt-image-none" style="" height="142" width="190"></a></span><br><br><font style="font-size: 1.5625em;">船過明石海橋下<br><br>回首難波港已遙<br>航程萬里夜迢迢<br>任他星漢没雲裏<br>九色千燈繍海橋</font><br><br><br>（押韻）<br>遙・迢・橋：下平声二蕭韻<br><br>（現代中国語発音）<br>hui2shou3 nan2bo1 gang3yi3yao2<br>hang2cheng2 wan4li3 ye4tiao2tiao2<br>ren4ta1 xing1han4 mo4yun2li3<br>jiu3se4 qian1deng1 xiu4hai3qiao2<br><br>（注）<br>難波：大阪<br>迢迢：はるかなさま<br>任他：「遮莫」に同じ。「さもあらばあれ」と訓じ，以下のことはどうでもいい，かまいはしない，の意。<br>星漢：天の川<br>雲裏：雲のうち<br>九色：さまざまな色<br>繍：ぬいとりする，転じて美しく飾る<br>海橋：海にかかる橋<br><br>（訓読）<br>船にて明石海橋の下を過ぐ<br><br>首を回らせば難波の港は已に遙かに<br>航程　萬里　夜迢迢<br>任他（さもあらばあれ）　星漢の雲裏に没するは<br>九色の千燈　海橋を繍す<br><br>（訳）<br>ふりかえって見渡すと大阪の港はすでにはるか遠く<br>船旅は万里のみちのり，夜ははるか長く続く<br>天の川が雲の中に隠れてしまっていることはかまいはしない<br>そのかわりに色とりどりの幾千ものあかりが海峡大橋を美しく飾り立てているのだから<br><br>フェリーの中の食堂で食事を終え，自分のベッドでくつろいでいると，「まもなく明石海峡大橋の下を通過します」というアナウンスが流れたので甲板に出て写真を撮りました。ケータイのカメラではこれが限界ですね。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/hankeidou/entry-11500631790.html</link>
<pubDate>Fri, 05 Feb 2010 09:24:47 +0900</pubDate>
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<title>發浪華港</title>
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<![CDATA[ <font style="font-size: 1.5625em;">發浪華港<br><br>千丈層樓聳暮天<br>市燈漸點映漪漣<br>巨艘徐發浪華港<br>萬頃滄溟在眼前</font><br> <br><br>（押韻）<br>天・漣・前：下平声一先韻<br><br>（現代中国語発音）<br>qian1zhang4 ceng2lou2 song3mu4tian1<br>shi4deng1 jian4dian3 ying4yi1lian2<br>&nbsp;ju4sou1 xu2fa1 lang4hua2gang3<br>&nbsp;wan4qing3 cang1ming2 zai4yan3qian2<br><br>（注）<br>層樓：幾階にも重なった高い建物<br>市燈：街のあかり<br>漸：だんだん，次第に<br>點：ともる<br>漪漣：さざなみ<br>巨艘：大きな船<br>浪華：大阪<br>萬頃：「頃」は面積の単位。実際の広さは時代により異なるが，唐代では580アール程度。「萬頃」で非常に広いことを示す<br>滄溟：大きな海，海原<br><br>（訓読）<br>浪華の港を發す<br><br><br><br>千丈の層樓　暮天に聳え<br><br>市燈　漸（やうや）く點じて　漪漣に映ず<br><br>巨艘　徐（おもむ）ろに發す　浪華の港<br><br>萬頃の滄溟　眼前に在り<br><br>（訳）<br>千丈もの高層ビルが暮れていく空にそびえ<br>街のあかりが次第にともって港のさざなみに映る<br>巨大な客船がゆっくりと大阪の港を出発し<br>広々とした海原が，いま目の前に広がっている<br><br>昨年9月末から10月初めまで，年に一度の1週間の休みを使い，九州へ旅行に行きました。九州との往復はフェリーを利用することにし，大阪南港を夕方に出発するフェリーで門司へと向かいました。フェリーの旅は初めてということもあり，港を出発してからしばらくは甲板に出て景色を眺めていました。そのときの情景を詠んだ詩です。<br><br>
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<pubDate>Thu, 04 Feb 2010 08:57:14 +0900</pubDate>
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<title>下鴨神社古書市　其二</title>
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<![CDATA[ <font style="font-size: 1.5625em;">下鴨神社古書市　其二<br><br>忝借淸陰設露棚<br>群書滿架架將傾<br>毛錢購得十余卷<br>背袋壓肩心却輕</font> <br><br>（押韻）<br>棚・傾・輕：下平声八庚韻<br><br>（現代中国語発音）<br>tian3jie4 qing1yin1 she4lu4peng2<br>qun2shu1 man3jia4 jia4jiang1qing1<br>mao2qian2 gou4de2 shi2yu2juan3<br>bei4dai4 ya1jian1 xin1que4qing1<br><br>（注）<br>忝：かたじけない<br>淸陰：清らかな木陰<br>露棚：四面に壁のない粗末な建物，ここではテントのことをあらわすのに使った<br>毛錢：小銭，わずかなお金<br>背袋：背嚢に同じ，リュックサック<br>壓：圧迫する<br><br>（訓読）<br>下鴨神社古書市　其二<br><br><br><br>忝（かたじけな）くも淸陰を借りて　露棚を設け<br><br>群書　架に滿ち　架　將に傾かんとす<br><br>毛錢　購（あがな）ひ得たり　十余卷<br><br>背袋　肩を壓するも　心　却って輕し<br><br>（訳）<br>かたじけなくも神聖な神社の清らかな木陰を借りてテントを設け<br>たくさんの本が棚に満ちあふれ，棚は今にも傾きそう<br>わずかなお金で十何冊もの本を購入できたので<br>リュックサックが肩を圧迫しても心はむしろ軽やかだ<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/hankeidou/entry-11500631887.html</link>
<pubDate>Thu, 04 Feb 2010 08:30:42 +0900</pubDate>
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<title>下鴨神社古書市　其一</title>
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<![CDATA[ <span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><a href="http://www.hankeidou.net/mt/assets_c/2010/02/TS3D0447-2-103.html"><img src="https://img-proxy.blog-video.jp/images?url=http%3A%2F%2Fwww.hankeidou.net%2Fmt%2Fassets_c%2F2010%2F02%2FTS3D0447-2-thumb-190x142-103.jpg" alt="TS3D0447-2.jpg" class="mt-image-none" style="" height="142" width="190"></a></span><br><br><font style="font-size: 1.5625em;">下鴨神社古書市　其一<br><br>朱夏午陽穿碧楓<br>潺湲流水送涼風<br>淸区書市珍篇列<br>遮莫蠧魚眠巻中</font><br><br><br>（押韻）<br>楓・風・中：上平声一東韻<br><br>（現代中国語発音）<br>zhu1xia4 wu3yang2 chuan1bi4feng1<br>chan2yuan2 liu2shui3 song4liang2feng1<br>qing1qu1 shu1shi4 zhen1pian1lie4<br>zhe1mo4 du4yu2 mian2juan3zhong1<br><br>（注）<br>朱夏：夏。五行説では夏に対応するのが朱色<br>午陽：昼の太陽<br>穿：うがつ。穴をあける。ここでは青楓の葉のあいまから日差しがもれていること<br>潺湲：水の流れる音，さらさら<br>淸区：清らかな区域，寺や神社の境内など<br>珍篇：貴重な書物<br>遮莫：「さもあらばあれ」と訓じ，以下のことはどうでもいい，かまいはしない，の意<br>蠧魚：しみ。書籍や衣類を食う虫<br><br>（訓読）<br>下鴨神社古書市　其の一<br><br>朱夏の午陽　碧楓を穿ち<br>潺湲たる流水　涼風を送る<br>淸区の書市　珍篇列（なら）ぶ<br>遮莫（さもあらばあれ）　蠧魚の巻中に眠るは<br><br>（訳）<br>真夏の午後の日差しが青楓の葉あいから漏れ<br>さらさら流れる水が涼しい風を送ってくる<br>清浄なる神社の境内での古本市では貴重な書物が並んでいる<br>その価値をおもえば本の中にシミが眠っていることなど気にすることではない<br><br>詩を作るほうに時間をとられ，なかなか作った詩のアップが追いつきません。これは去年の夏，下鴨神社で毎年行われる夏の古本祭りを詠んだ詩です。<br><br>
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<pubDate>Thu, 04 Feb 2010 05:36:58 +0900</pubDate>
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