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<title>千里のブログ</title>
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<description>どんな時でも、どんな場所でも、神様と共に歩めるように、ただそれだけを願っています。そんな日々の戯言。</description>
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<title>ご無沙汰しています</title>
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<![CDATA[ <div align="center"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20130515/22/happyend-0327/aa/8e/j/o0320024012540159662.jpg"><img alt="千里のブログ-image.jpeg" src="https://stat.ameba.jp/user_images/20130515/22/happyend-0327/aa/8e/j/t02200165_0320024012540159662.jpg" border="0"></a></div><br><br><br><br><br><br><br>引っ越しをしたり、<br>新しい教会に行ったりと、<br>かなり環境が変わりました。<br><br>久しぶりにログインしたので<br>書いています。<br><br>形の信仰は、私にはありません。<br>もう伝道にも行っていません。<br>間違っていたのではなく、今必要なことが変化したのだと捉えています。<br><br>書写を、騙されたと思って、実践しています。<br>書写に意味がある、というより、<br>想いの力を実感しています。<br><br>想うこと、つまり祈ることですね。<br>思考のエネルギーは、光よりも早く伝わるとか…<br><br>確かにそうだ、と思いました。<br><br>いま、父と2人暮らしをしています。<br>離婚して傷付いた父のために、父の幸せのためにできることはないか…そう想って過ごすのと、<br><br>自分の幸せだけを想い過ごすのとでは、全然違います。<br><br>父のことをおもいながら生活するようになったら、自然と父が明るくなってきました。<br><br>それを見て、結局は自分自身が幸せになって、こういうのを幸せっていうんだなぁと…<br><br>新しい教会でみ言葉を聞いたときに、<br>人の幸せを自分の幸せに想うことが、本当に心からの幸せなんだよ、と。<br>さりげない言葉だけど、簡単なことにこそ神様が宿ってるというか、すごく感動して。<br><br>むつかしく考えることないなぁって思ったんです。<br><br>幸せにしたい、幸せになりたい<br>逆のようで同じなんだと<br>当たり前のことを忘れがちです。<br>私は特に、むつかしく考えるあまり本質を逃しやすいので<br>神様がわからなくなったら、教会に訪ねるもよし、自然に身を委ねるもよし。<br><br>形にとらわれず<br>自分なりのやり方で神様と本当の幸せを求めていきたいし<br>そうやって生きていけることが感謝だと思います。<br><br><br>まとまりないけど<br>元気に頑張っています。<br><br>まずは、自分の家族を、幸せにできるよいに、娘として、また兄弟には長女として、できることを頑張っていきたいです。足元が大事ですから。<br><br>イメージすることが、大事なのかな。<br>むつかしくても、幸せをイメージすること。<br><br>思えば両親が愛し合っていた姿を観たことがなくて<br>それをイメージしたくても、できないんです。<br><br>だから自分で創り出して、両親がいつか愛し合ってくれるように<br><br>だってそれが天国の在り方だし<br>生きる目的だし<br>なによりの幸せだから<br><br>それを祈りながら<br>自分もそういう家庭を持てるように<br>頑張っていこうと思う次第です。<br><br>長くなりました。
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<link>https://ameblo.jp/happyend-0327/entry-11531201598.html</link>
<pubDate>Wed, 15 May 2013 22:08:06 +0900</pubDate>
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<title>久しぶりに…</title>
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<![CDATA[ <br><br><br>もう、教会にもずっと行っていません。<br>自分の中でも、距離を取りながら、目指すものに向かって生きているつもりです。<br><br>信仰を持つ持たない<br>神様を信じる信じないに関係なく<br>愛する人を探していこうと思っていました。<br><br>私には、もうこの人しか愛せないし、この人に会うために産まれてきたのなら全てを昇華できるというくらいに愛を感じる人がいます。<br><br>しかしその方は、神様なんか信じない、といつも言うのです。<br>私もそうだったから、信じないという気持ちは分かるのですが<br>その言葉を聞くと、本当に悲しくなるし、愛がすぅっと引いてしまいます。<br><br>神様や、信じてきた真実と<br>愛する気持ちを天秤にはかけられませんが…<br><br>これまで短い期間ではあれ、自分なりに真実を求めて信仰生活に向き合ってきたことや、今でも信じていることを想うと<br>あっさりと否定されることが堪え難いです。<br><br>だけど、私としては<br>信じるものなんかなんでもいいんだという考えにまで至ってしまったので<br>その方に、原理を伝えようとかそんな気はまるでないんです。<br><br>傷つけたり奪い合わなければ何を信じていてもみんな一つになれると思います。<br><br>なのに、神様いないの一言だけは、何度聞いても、受け入れられない。<br><br>腹も立つし<br>いい気持ちは一つもしない<br><br>だけど最終的には<br>その方を愛することしか自分には取り柄がないのではないかと想うくらいの気持ちでいるので<br>どうしようもありません。<br><br>狂ってしまったのでしょうか。<br><br>愛する人が死ぬと<br>本当に愛し合っていた同士なら<br>寂しすぎて半年中くらいには後を追うように自然と片割れも霊界に行くそうだと、そんな話を聞いたことがありますが…。愛とは本当に狂ってしまうくらいに、パワーがあるのですね。<br><br>そこに負のエネルギーがなければ、本当の愛だと思っています。<br><br>毎日を喜び幸せで感謝していたら<br>なるようにしかならないと思っていますが<br>神様を否定してでも、愛する人を愛し抜く覚悟があるのかと、自問しています。<br><br>結婚、いつかちゃんとできるのだろうか。<br><br>今は自分の家族が大切だから、いいのだけれど。。。
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<link>https://ameblo.jp/happyend-0327/entry-11450760511.html</link>
<pubDate>Thu, 17 Jan 2013 02:50:08 +0900</pubDate>
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<title>クリスマス</title>
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<![CDATA[ <br><br>クリスマスですね。<br><br>教会のアベルと部長さんが仕事場まで来られました。<br><br>たまには来なさいね、と言われました。<br><br>行ってもすることないし、と思ってしまいましたが。礼拝くらいは出てもいいかなぁ。<br><br>教会の雰囲気、信仰生活<br>もう頭の片隅にしかありません。<br><br>あんなにも涙に暮れながら神様を求めていた日々、つい最近のことなのに、過去は過去だと、時は流れ続けるのだなぁと思いながら、今を生きています。<br><br>なんか漠然と苦しいことも未だにあるけど、なんで生きてるのだろうか、とか思ってしまうこともありつつ<br>でも神様との出会いとこれまでの信仰生活というもののおかげで、すごく生きることが楽になりました。生きる軸ができました。<br><br>生きる目的、本心に気づくことができたのが、私にとってはとても大きかったなぁと思います。<br><br>神様神様と唱えていたころも必要だったけど、今は外側に何かを求めるより、本当の自分に出会いたい、という気持ちが大きいですね。<br><br>また、結婚をすごく意識します。<br>祝福は受けないと、それだけは決めてます。<br><br>生きる場所を探している気分です。<br>本心のおもむくままに生きていれば、不安なことなんかないと思っています。<br><br>ちょっとずつ、変わっていくのでしょうね。<br>人も自分も。<br>その時その時に必要な出会い、情報、環境、感情。<br>誰かから決めつけられるものではないし。<br><br>教会、信仰という生き方を選択したくないと感じたその心のままに、自分を信じて生きてみたい。<br><br>ハッピークリスマス。<br><br>iPhoneからの投稿
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<pubDate>Mon, 24 Dec 2012 23:22:05 +0900</pubDate>
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<title>両親への想い</title>
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<![CDATA[ <br><br>愛されて大切に育てられた、と思えるようになったのも、教会へ来てからでした。<br><br>一体いつから、生きることが嫌だとか、自分が許せないなどと思うようになったのか、振り返ると両親の離婚からでした。<br><br>思えば、両親が愛し合っているところを見たことがありませんでした。<br>それでも両親が嫌いではなく、むしろ家族はとても好きで1番大切でした。<br><br>しかし男女関係が汚らしいと思ってしまうのも、愛情を信じられないのも、それを両親から感じられなかったからかもしれないと思います。<br><br>あんなに仲が悪いのに、なんで子供が産まれるんだ、と。<br>気持ち悪いと思ってしまうのです。<br><br>そのせい、というか<br>そのお陰というか<br>男女関係に興味のない人間になりました。<br><br>たぶん教会へ来て、神様の願いを知らなければ独身でいたいと思っていたと思います。<br><br>その反面、本当に愛せる人に出会いたい、両親とは違う本当に愛し合える人と共に生きたいと強く強く思ってもいました。<br><br>矛盾しているのです。<br>いつも矛盾でいっぱいでした。<br><br>結局、両親には、ただ2人が穏やかに愛し合ってくれていれば、それだけで私は良かったんだ、といつも思います。<br><br>子供にとって、両親が離婚してもどちらも親なので<br>想いが変わることはありません。<br>互いに新しい相手を見つけようと、私の両親は2人以外にいないのだということは変わらないので、構いません。<br><br>愛によって産まれたということだけ、信じたいなと思います。<br>神様に愛を教えてもらったので<br>愛し合う人に、自分の全て、かけたいと思います。<br><br>愛し合ってみたいのです。<br>それだけでいいんです。<br><br>両親にも、自分が愛し合う姿を見て、喜んでほしいです。<br>子育てに失敗したと、両親は思っているかも知れませんが、いつか安心させたい気持ちもあります。<br><br>とやかく言うけど、愛し合うために産まれてきたのだと思う気持ちは、教会に来る前も今も変わらずあります。<br><br>愛し合う夫婦、<br>私の家庭になかったものを、自分が取り戻すためにここへ来たのかもしれません。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/happyend-0327/entry-11426100904.html</link>
<pubDate>Thu, 13 Dec 2012 10:16:54 +0900</pubDate>
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<title>ふるさと</title>
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<![CDATA[ <br><div align="left"><a href="http://stat.ameba.jp/user_images/20121208/23/happyend-0327/27/b1/j/o0272021012321899739.jpg"><img src="https://stat.ameba.jp/user_images/20121208/23/happyend-0327/27/b1/j/o0272021012321899739.jpg" alt="photo:01" width="300" height="231" border="0"></a></div><br clear="all"><br><br>天国とは、ふるさとのことだよ、と言われたのを、なんとなく思い出しました。<br><br>家族、家庭に対する想いが強かった私は、やはり求めるものも、そこに行き着きます。<br><br>両親が離婚してからは色々と我慢もしてきたのですが<br>思い出すのは笑い合ったことだけです。<br><br>かけがえのない思い出です。<br><br>ここに生まれてきて幸せだった、ありがとうって、伝えたい。<br>そして私も、いつかは愛のある家庭を…。<br><br><br><br><br><br>
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<pubDate>Sat, 08 Dec 2012 23:21:21 +0900</pubDate>
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<title>神様と御父様</title>
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<![CDATA[ <br>1人1人、必要な言葉や環境や物事があると思うので、<br>断言できるものはないのですが<br><br>御父様も神様も、<br>見えないところで私たちのために働いてくれてるのかなぁって思います。<br><br>愛が幼いと、自分に気付いて欲しいという自分本意な想いばかりが先立ちますが、<br><br>幼い愛＝偽り<br>ではないと思うので、相対や立場によっては、そのような愛があるのは当然だと思います。<br><br>しかし御父様や神様は、常に親なる立場なので<br>愛に気付いて欲しいという思いで働くことはないのだなぁと思うのです。<br>私が教会から距離を取ろうと思うようになったのも、神様や御父様がそのように働いていたのだと思うのです。<br><br>いつも心のままに歩んできました。<br>そうして神様に出会い、失敗はあっても、神様だけ、ただそれだけは求めてきました。<br><br>神様から見たら、不甲斐ない歩みだったかもしれません。<br><br>だけど、今も昔も心のままに歩んでいることに変わりはなく、<br>そうして歩むしかないと思うので、<br>神様を求めるなかで湧いてきた想いは、全て神様に通じていると信じています。<br><br>御父様も、統一教会の間違いくらい全て分かっていたと思うし、<br>それでもまだ役割や何かが1人1人にあって、なくしたくてもなくせないものだってあるのかなと思います。<br><br>私は、御父様とは心情的にも出会いがなくて、正直未だに自分の父だとは思えませんが、<br>メシアにであって、<br>とくに聖和以降は、自分の実の父や母を慕わしく思えるようになりました。<br><br>それも全て神様や御父様の愛がそうしてくれたと思ってます。<br>神様や御父様は親なので、私たちが気づかなくても、私たちのために働き続けていると思います。<br><br>それが親なる真の愛というのでしょうか。<br>幼い私には分かりませんが、そう思います。<br><br>子どもである以上、せめて親の愛だけは忘れたくありません。<br><br>教会から去るべき事情がある人もいれば、まだ教会にて成すことが残っている人もいるかと思います。<br><br>全ての人が同じような形では歩めないのは当然かと思います。<br><br>御父様を批判する人にも、<br>神様が分からない人にも、<br>平等に働く神様と御父様だと思います。<br><br>そんな親だと思います。<br>私はそう感じます。<br><br>だから、教会に行かなくても、神様が親であり、御父様がメシアだと信じて生き続けます。<br><br>せめて、それだけは忘れたくないと思うからです。<br><br>価値観の相違など問題ではない、と<br>信仰生活を始めるにあたって最初にそう言われました。<br><br>神様は無限な個性を私たちに与えてくださってるから、互いにそれを尊重し合うことが大切なんだと思いました。<br><br>みなが同じ思想でなくても、尊重しあえば争いは起こらないのではないかと思いますが、違うでしょうか。<br><br>宗教統一、宗教撤廃<br>そう唱えてきた教会ですが<br>その前に尊重し合うことのほうが先じゃないかと、なんとなく思います。<br><br>人や世間様のことをとやかく言うような分際ではないですけどね。<br><br>次元が低い、と<br>他者を断罪することの方が、よっぽど次元が低いのかなぁと<br>自分自身を見つめ直します。<br><br>神様に近いとか遠いとか<br>なにを基準にするのでしょうか。<br><br>神様は平等な方だと思います。<br><br>どんな人のなかにも神様はいるから、それを見つけられる神様の子どもでいたいです。<br><br>もう宗教云々よりも、心に沿って生きたいと思っています。<br>それが間違っていたならば、また修正して乗り越えていくしかありません。<br><br>生かされている以上、<br>何度だってやり直せばいい。<br><br>そういう勝利圏のなか生かされていること、感謝を忘れずに。<br><br>今は比較的に穏やかな日々を過ごしています。<br>結婚に向けての準備期間かなぁと、なんとなくそんな気がします。<br><br>しかし教会の見合いのような祝福には本心が向かないし、血統は心情だと気づいたので<br>これからどうなることやら、と思っています。<br><br>不安はありません。<br>心にウソさえつかなければ、<br>そして感謝して生きていけばいいと<br>今はそんな期間だと感じて、そのように歩んでいます。<br><br>職場と教会が近いので、<br>部長さんがよく来て下さります。<br><br>信仰云々は関係なく<br>せっかく出会った方々なので、繋がりは大切にしたいと思います。<br><br>教会を離れても変わらないよ、と<br>霊の親は言ってくれました。<br><br>素直に、私は本当に愛されてきたと思います。恐れ多いです。でも嬉しかったです。<br><br>こういうのを、人間的だと言う方々もいますが、人間だもの。と思います。<br><br>情の世界に素直になりたいし、素直になると喜び感謝が湧いてきます。<br><br>わがままとは違いますが。<br>素直になりたいですね。<br><br>見えないけど、確かにいる神様。<br><br>いつも心のままに・・・。<br><br><br>iPhoneから送信<br>
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<pubDate>Mon, 26 Nov 2012 09:51:45 +0900</pubDate>
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<title>神様のようになること</title>
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<![CDATA[ 人が神様のようになる、というのはどういうことだったかなぁと、<br>原理を振り返って考えてみたときに<br><br>個性完成＝神様のようになること<br>ではないんだと思いました。<br><br>原理的には個性完成は長成期完成級に至ることなので<br>いわゆる結婚前の男女、もう後はお互いに結婚して神様が私たち子を愛し育てたように私たちが親となり子を愛し育てていく。そこから社会に広がる…<br><br>キリスト教の隣人愛は<br>原理解釈では、この結婚前の男女個人が、お互いに神様の「子」として愛し合うことを教えてきた＝この段階で個性完成はできる時代であったはずです。<br><br>お父様は、この次の段階、個性完成した男女が結婚して夫婦になり、創造原理的に愛し合って子孫繁栄していく「親」の立場＝神様の立場になっていくこと。これを証したからこそメシアなんだと、原理を振り返って改めて思いました。<br><br><br>神様が２つが１つになった状態であるから完全なように、<br>人が神様のようになるのはあくまで２つが１つになった時。原理的に見てもそうだと思います。<br><br>本然の世界でも、失敗や悲しみはたくさんあったんじゃないかなぁと想像します。<br>心情蹂躙とまではいかなくても、人とぶつかりあって初めて丸くなる関係もあるのではないかと…<br><br>失敗を許さない神様というよりは<br>失敗に気付かせ成長させる環境や関係を与える神様だと私個人はそう思います。<br><br>神様が戒めを与えたときに、<br>本当に具体的に「生殖器には触れてはいけませんよ」とはっきり言われたんだとお父様が言っておられました。<br><br>いかに夫婦になり親になることが大切なことか、それが窺い知れます。<br><br>戒めを守ることが５％<br>守るべき内容は神様が９５％教えてくれてたんですね。<br><br>９５％を教えられて堕落したので、９５％神様がわからなくなったということだと学びましたが、<br><br>だからお父様や先人たちが霊的にも肉体的にも戦いながら、この９５％を復帰してきたんですね。<br><br>サタンが完全屈伏するまでは語れなかったのは懴訴圏が残っていたからで、<br>サタンが完全屈伏して勝利圏がたった今は、９５％は語れる時代になったという解釈でいいのでしょうか。<br><br>ということは、<br>あとは語られた内容を私たちが信じて実践するのが５％…？<br><br>もうお父様は勝利されたので、９５％は全て語られて聖和されたということならば<br>本当に言われてることは単純なことだったような気がします。<br><br>そこに個人としての堕落した性質をいかに無くすかは、まだ残っている問題だと思いますが<br><br>神様の直接主管圏という、本当にすごい恵みの時代で、本心の尊さや清さを信じて神様を信じて生きていく勇気もまた問われてるのかなぁとも思います。<br><br>神様にもっと愛されたいと思うのは、本心の発露だと学びました。<br><br>それが、人から奪って愛されようとしたから堕落になったんだ、と。<br><br>自分の立場で愛されるよう努力すれば良かったんだ、と。<br><br>でも、こんなに堕落歴史が続いてきた世界で<br>必ずしも本のエデンのような環境では生きてこられない私たちだと思うときに<br>自分一人の問題として愛を成長させるのは無理があると思います。<br><br>人のせいにする、<br>というわけではなくて<br>少なからず原因があると思うのです。<br><br>例えば親に愛されずに育った人が<br>いきなりキリスト教の隣人愛を学んでも分からないと思います。<br><br>まず愛されることがなんなのか、<br>許されることがなんなのか<br>そういう実感で愛を復帰していく過程を与えてくれるのが教会での生活でもあったと思います。<br><br>そういう環境を与える神様だと思います。１人１人復帰すべき内容は違うので同じやり方では成長できないんじゃないかなぁと思います。<br><br>頂上は同じでも<br>登り方は人それぞれ、かなぁ、と。<br><br>堕落堕落と叫んできて<br>じゃぁ一体なにが堕落だったのかって振り出しに戻って考えると<br><br>みんな神様から産まれた者同士、愛されていることを実感しながら、神様の愛をもっと引き出そうと切磋琢磨したり感動したり助け合いながら成長していくことが大切だったのでは思います。<br><br>あまりに単純な解釈でしょうか…<br><br>成長するために、時には悲しいこと辛いことを与える神様かもしれません。<br><br>それ自体は悪ではなくて<br>行き先が憎しみや嫉妬のように神様にはない喜怒哀楽以外の感情に転換されると堕落性になるんだと、そういうふうに学びました。<br><br>自分を尊く思っても、他人をさげすまなければ傲慢にはならないと思います。<br>逆に他人を尊く思っても、自分をさげすむならば、それはまた神様の悲しみを増やすだけだと思います。<br><br>私のようなお子ちゃまは、こういうふうに傲慢になりやすいので、なるべく自分のことを良いように考察しないでおこうと気を遣います。<br><br>でも人から褒めて頂いたら、「神様、私に宿るあなたの神性を褒められましたよ、ありがとうございます」と言うようにします。<br><br>そうすると、私の喜びが神様に帰っていきます。<br>傲慢になると神様に叱られます。(笑)<br>というより本心が「そうじゃないよ」と訴えてきます。<br><br>堕落性を憎むほど<br>本心が慕わしいし、尊いし、有難いなと思います。<br>本心があるって素晴らしいなと思います。<br><br>本心本心と唱えていると<br>いつのまにか消えている邪心もあります。<br>そういう成長の仕方もいいと思います。<br>明るく成長できます。<br>でも傲慢と隣り合わせなので注意が必要かもしれません。<br><br><br>原理って、面白いです。<br>自分の罪が嫌で原理が怖かったときもありましたが<br>やはり原理には希望を感じるものですね…<br><br><br>自分には何にもないけど<br>神様故に、神様故に…と思うと、それだけでうれしくて涙が溢れそうになることがあります。<br><br>人に対してそのような心で、神様故に…と思って愛する実践をしてゆきたいと思います。<br><br><br><br>神様の子として恥ずかしくないように…。<br>
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<link>https://ameblo.jp/happyend-0327/entry-11407097116.html</link>
<pubDate>Sun, 18 Nov 2012 09:06:57 +0900</pubDate>
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<title>心</title>
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<![CDATA[ <br>いろんなコメントをして下さってありがとうございます。<br><br>どの言葉も受け止めて参考にします。<br><br>こんなにも神様や真実を捜し求めて議論したりする人たちがいるのが、すごいなぁと、そんなふうにも思います。<br><br>神様も嬉しいだろうなぁなんて。<br><br>神様も１人では親なる神様にはなれないし喜びもないように<br>私たちありきの神様だから、たくさん喜びを返したいです。<br><br>神様はいろんなところにいると、毎日感じます。<br>とくにお父様が聖和されてから、あらゆるところで神様を感じられるようになりました。<br><br>芸術１つとってみても、とくに歌には神様をたくさん感じますね。<br><br>喜怒哀楽の神様なので<br>喜怒哀楽を芸術にして表現しているものが大好きです。<br><br>こんなところにも神様がいらしたんですねーって思うだけで笑みがこぼれます。<br><br>私の中で神様はそんな身近な存在です。内なる神様にももっと出会いたいものですね。<br><br>原理の中に神様を閉じ込めるのは、可哀想だなぁとか思ったりします。<br><br>神様の願われた本然的で個性を発揮した人間たちが暮らす世界ってどんな世界かなぁと考えるとワクワクします。<br><br>神様が完全たる所以は、２つが１つに統一された中和体であるからだと本体論で学びました。<br><br>私たち人間も同じで<br>神様から分立された男女が夫婦になり創造原理(相対的関係)によって１つに統一され中和体となったときに神様のもとに完全となって帰っていくのだと学びました。<br><br>これ以上納得する理屈はなかったです。<br>だから夫婦が大切だと言われて出発した統一教会だったんだなぁと、新米の私は学ぶ度になるほどなるほどと納得してゆくのでした。<br><br><br>日々、疑問を抱いては納得し、<br>迷ってはまた探し出して<br>やっぱりこの道しかないと思ったり<br>そんな感じなので<br>昨日と今日では考えることも全然違います。<br><br>原理を学んだり<br>御言葉を聞くだけで完成できるかと言ったらそうじゃないと思うのは<br>自分の両親や兄弟とあるべき関係を持てなかった人には、<br>それを復帰する必要があると思うからです。<br><br>私もそうでした。<br>実の親と築けなかった信頼関係を、霊の親を通して取り戻し、<br>人間不信だった心も、兄弟姉妹の関係を通して取り戻してきた実感がありました。<br><br>自分と神様の関係は根底にあるけど<br>やはり横的なものがないと限界があると思います。<br><br>実際にお父様は、神様と私たちも本来は横的な関係なんだと言っておられました。<br><br>横的な関係でしか１つになれない時代だと。<br><br>この御言葉が、あなたたちへの最後の教育だ、と言って語られました。<br><br>神様を通して信仰するのではなく、人との横的な関係を通して神様に信仰するのだと。<br><br>そのために必要なのが原理的生活。<br>原理的というのは、相対的関係。<br>相対的関係というのは、相手ありきの自分ということ。<br>どこまでも相手の中にある神様だけを見て賛美する。<br><br>本心と邪心は共存できないという原理を初めて聞いたとき、本当に感動しました。<br><br>本心が発露してるときは邪心はないんだ！って。<br>まぁ逆も言えるけど。<br><br>悲しいとか寂しいと思うのが堕落性ではなくて、<br>それが妬み嫉妬に転換されたら堕落性なんだと学んで、<br><br>愛を動機とした喜怒哀楽があっていいんだなぁと思ってスッキリしたのも覚えてます。<br><br>神様は自由だなぁと思いました。<br><br><br>以前は、御言葉で苦しい思いをしてましたが<br>本来御言葉は解放のためにあるものなのに、なんであんなに苦しかったかなぁと振り返ってみると<br><br>心を殺して頭で生きていたからでした。<br><br>私たちが、道端に咲く花に感動したり、夜空に咲く星に感動したり、そうやって万物で喜びを感じることが神様の喜びになるし<br><br>そのために万物を用意してくれた神様だから<br>たくさんたくさん感動して霊的に元気になることも人には必要だと思います。<br><br>知、情、意<br>とは、そういうことじゃなかったかな？と思います。<br><br>世界にあるものを全部神様の創造物として愛せるようになりたいなと思います。<br><br><br><br>神様の前では、自分は本当にただの子供です。<br>こんな器の小さな子供でゴメンね神様、と思ったりします。<br><br>でも自分が笑うと神様も笑います。<br>罪と向き合わされていた時期はとても厳しい神様だったけど…全部愛だったと思います。<br><br>そんな神様をたくさんの人に知ってほしいし<br>あなたも愛されて産まれてきたんだよって、それだけは伝えていきたいです。<br><br>実績のための伝道ではなく。<br><br>自分の相対できるものしか分からないし、分からないものは伝えられないので<br>自分にできる伝道を、自分にできる愛を<br>実践したいと思っています。<br><br>また、結婚して子供が生まれたら、違った観点で神様のことが分かるようになるかもしれませんが…<br><br><br>子供には子供の役割がある、と開き直って明るくすすみたいです。<br><br>長い長い戯言でした。<br>神様への手紙のような感じです。<br><br><br>今日もありがとう、神様。
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<link>https://ameblo.jp/happyend-0327/entry-11406135278.html</link>
<pubDate>Fri, 16 Nov 2012 22:41:30 +0900</pubDate>
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<title>証</title>
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<![CDATA[ 何を信じたらよいのやら…と思って道に迷ったときに、思い出すのは神様との出会いです。<br><br>神様が生きて存在していること<br>そして神様が私と共にいて私の全てを知っているということ<br>神様にも願いがあるということ<br>神様に願われて産まれてきた１人１人であること<br><br>それらを感じとった時。<br>奇跡のような出来事や悟りがたくさんありました。<br><br>求めて祈ったぶん、答えてくれた神様だったと思います。見えないものを信じていく上で何より貴いのは自分自身の証かもしれません。<br><br>なにより全てを知っているのは神様。私には想像もできないことを、願われているかもしれない。<br><br>神様だけは完全だから<br>少なくとも私が出会った神様は、全知全能で完全なる善の神様だから信じられるし、そんな神様の子として産まれてきたからこそ人を尊く思えるんです。<br><br>神様故に愛そう<br>神様故に生きよう<br><br>そうじゃなかったら、悪がもとから存在する世界なら、そんな神様なんか信じられません。そんな１人１人なら生きる価値さえ見出だせません。<br><br>人を試したり審判する神様ならば、そんなちんけな神様ならば、神様なんかじゃない…<br><br>神様の愛、許し、悲しみ、それを捉える器は私にはないけれど<br>でも神様が語ってくれたことだけは信じたいです。<br><br>「あなたは、あなたの主体となるたった一人のために産まれてきた尊い一人なんだ」<br><br>もう何もかも捨ててしまいたいなんて罰当たりなことを考えながら、自身の罪深さが情けなくて恥ずかしくてどうしようもなかったときに、そう語りかけてくれた神様でした。<br><br><br>神様が抱きしめてくれる感覚を初めて味わったのも、その時です。<br><br>それらが偽りだとは、思えません。<br><br>ただただ、神様の願われるように生きたい。それが私たち人間にとって一番幸福で平和な道だと思うから。<br><br>だって全知全能な神様でしょう？<br>愛の神様でしょう？<br><br>悲しみの神様でなかったら、この罪悪歴史をどう捉えろというのか…。<br><br>統一教会は確かに間違いがたくさんあるかもしれない。<br>組織には神様が働いてないのかもしれない。<br><br>だけどお父様がメシアじゃなかったら、誰がメシアなの？<br>人類の歴史はなんだったの？<br><br>人間は嘘をつくし騙したりするけど<br>歴史は嘘つかない。<br><br>今の教会に神様が働いてなくても<br>お父様を否定する理由にはならない。<br>人の間違いはいくらでも否定できるけど、神様やお父様や原理を理屈を持って否定できるものに出会わない限り、信じるものは変わりません。<br><br>お父様の言ったやり方で本当に世界が平和になるのかなって疑問もあったけど<br>でもお父様や先人たちの勝利圏をもって、神様が主管できる世界になったのだと思うし<br><br>統一教会という組織に限らず<br>この世の全て、サタン的なものは自然淘汰されて、神様だけが生き残り、世界規模で再創造が行われる時なのかなと思います。<br><br>教会の御言葉が正しいならば、あとは私たち一人一人が勝利圏を相続して神様に似た息子娘になり時を迎えることだ、と。<br><br>外的なことにとらわれると疑問しかないけど<br>今までだって、数字や条件でもって勝利圏を立てて時代を越えてきた神様とメシアだった。<br><br>これから、どんな時代になるんだろうか。<br>日本はどうなるんだろうか。<br>まるきり主体意識のない私だけど<br>神様の願われるままに生きたいです。<br>今の時代に産まれてきたからには、今の時代の恩恵全てに感謝して神様だけを求めて、全世界に働いておられる神様をちゃんと感じられるように…<br><br>生きることを全うしなくちゃ。<br>神様を信じよう。<br>それしかない。<br><br><br>神様、今日も共にいましたか？<br>気付けない子供でごめんなさい。<br><br><br><br>全ての人が神様故に生きられますように。
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<link>https://ameblo.jp/happyend-0327/entry-11405448131.html</link>
<pubDate>Fri, 16 Nov 2012 00:26:35 +0900</pubDate>
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<title>平和の価値</title>
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<![CDATA[ 街を歩いていると<br>難民支援をよびかけている団体の方に出会いました。<br><br>朝の10時から、夜まで街角に立っているとのことでした。<br><br>そんな長い時間、活動していても<br>話を聞いてくれたのは３人なんです、と。<br><br>実際に支援に協力して下さったのは２人。<br><br>いくら数ではないと言っても、そんなに無関心なものなんだなぁ。<br><br>私も自分の内面性ばかり追求して、世界に目を向けたりしてなかったと思いました。<br><br>信仰していると<br>内面の成長が全ての救いのように思ってしまうけど<br><br>内面もなにも、明日生きられるかも分からない国の人たちからしたら、どうしてそんなに内面にこだわるの？って感じなんだろうか。<br><br>生きてるだけで、いいじゃない。って感じなんだろうか。<br><br>自分という個体にこだわるあまり、見えなくなっていた世界があるかもしれません。<br><br>だけど<br>個人においても、ただ日々の中で愛を選択していくしかないなと思いました。<br><br>せめて自分と関わりを持っている人たちを神様が私を愛したように愛していけるように。<br><br>与えられた環境や関係の中で、生きることを全うしたい。<br><br>宗教だけで世界が平和になるわけではないんだなぁって、そんな当たり前のことを感じた今日でした。<br><br>むしろ宗教がなくならない限り平和はこないんですね。<br><br>
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<link>https://ameblo.jp/happyend-0327/entry-11404366852.html</link>
<pubDate>Wed, 14 Nov 2012 19:28:33 +0900</pubDate>
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