<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?>
<rss version="2.0" xmlns:atom="http://www.w3.org/2005/Atom">
<channel>
<title>Kokiのブログ</title>
<link>https://ameblo.jp/harapekoukey/</link>
<atom:link href="https://rssblog.ameba.jp/harapekoukey/rss20.xml" rel="self" type="application/rss+xml" />
<atom:link rel="hub" href="http://pubsubhubbub.appspot.com" />
<description>ブログの説明を入力します。</description>
<language>ja</language>
<item>
<title>桃太郎にみる結婚事情</title>
<description>
<![CDATA[ 　『桃太郎』のお話。<br><br>『桃太郎』と言えば、誰もが小さいころから聞かされる国民的昔話の一つだろう。<br>子供が初めて聞かされる勧善懲悪ものの話だと思います。<br><br>「もーもたろさんももたろさん、御腰に付けた黍団子～…」みたいな歌もあるよね。<br>あの3番くらいから怖い歌になるという話も有名ですね。<br><br>『桃太郎』の誕生について詳しく知りたい方はウィキペディア先生にお尋ねください（<a href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%83%E5%A4%AA%E9%83%8E" target="_blank">http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%83%E5%A4%AA%E9%83%8E</a>）。<br><br><br>さて、そんな国民的御伽話『<font color="#FF00FF">桃太郎</font>』、にみる結婚事情について考えてみようかなと思います。<br><br><br>ちなみに今回は<font color="#FF0000">一般的な方</font>（拾って割ったら桃太郎登場版）についての考えを書こうと思います。<br><br>桃を食べてお爺さんお婆さんが若返ったという話は、道教や様々な神話が混ざっているらしいですね。邪気を祓い、不老不死の力を与える果実という考えを持たれていたとかなんとか。<br><br><br>さてさて、話を戻しましょう。<br><br><br>『桃太郎』は川を流れてきましたね。どんぶらこ、どんぶらこと。<br>拾ったのはお婆さんでした。<br><br>この時、お爺さんは山へ柴刈りに行ってますね。<br><br><br>はいっ。ここで考えたいと思います。<br><br>桃太郎を中にいる<font color="#FF0000">桃は母体</font>（お嫁さん）という考えができますね。<br><br>どちらも桃太郎を孕んでいるわけだし。この考えは比較的容易にできるかと思います。<br>川を流れているということは「<font color="#33CC00">流れ者の女</font>」ということなのかもしれません。<br>なぜならほっといたらそのまま女（桃）は流れていくからです。<br><br><br>はいっ。ここで新たな問題提起。<br><br>流れてきた桃を拾うかどうかは“<font color="#FF0000">お婆さん</font>”にあるんですねコレ。<br><br>お爺さんは山へ柴刈り行っちゃってますもんね。<br>お爺さんに口を出す権利というか可能性はないわけです。<br><br>またこの場面で少し違った話もありますよね。<br>お婆さんが「緑の桃はあっちゃいけ、赤い桃はこっちゃ来い」というと赤い桃の方がよってきたという話。<br>これ完璧お婆さんが選んでいますよね。<br><br><br>もし桃を女性と考えた場合、<br><font size="2"><font color="#FF0000"><strong>その女性（お嫁さん）を身内として受け入れるかどうかはお婆さん（姑）にかかってくる傾向が強かった</strong></font></font>のではないのでしょうか。<br><br>そりゃあ嫁姑問題も起こるわな。<br><br><br>そしてこのお婆さんが桃を拾うバージョンのお話は<font color="#FF0000">明治</font>あたりから多く話されるようになったということです。<br>それまでは回春型（爺婆若返りバージョン）の方が主流だったとか。<br><br><br><br>ここから、<font size="2"><strong><font color="#FF0000">明治時代周辺の結婚は姑の選別の力が強かったのではないのか</font></strong></font>と考えられるわけです！<br><br><br>おばあさんこえー。<br><br><br>女性の方は彼氏のお母さんに優しくして好かれてくださいね。<br><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/harapekoukey/entry-10855478180.html</link>
<pubDate>Fri, 08 Apr 2011 17:17:04 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>「日本的なもの」と「和風」</title>
<description>
<![CDATA[ 2月27日、メッセ・デュッセルドルフと日本経済新聞社が主催した日本国内の優れた商環境デザインを表彰するEuroShop//JAPAN SHOP Award（第1回ショップデザインアワード）の受賞作品が発表された。<br><br><br>概要<br><a target="_blank" href="http://www.messe-dus.co.jp/index.php?id=273">EuroShop//JAPAN SHOP Award（第1回ショップデザインアワード）</a><br><br>プレス<br><a target="_blank" href="http://euroshop.messe-dus.co.jp/fileadmin/files/ESJS_Award_Press_Release.pdf">EuroShop//JAPAN SHOP Award（第1 回ショップデザインアワード） 最優秀賞中山眞琴氏デザイン・設計の旅館『江差旅庭　群来』に決定</a><br><br><br>EuroShop//JAPAN SHOP Awardについて簡単な説明をすると、<br><br>・日本国内における優れた商環境デザインの募集・その表彰<br>・一般部門とアイデア部門がある<br>・募集テーマは世界に通じる日本発のデザイン<br>・ドイツの「EuroShop2011」会場でも発表<br><br><br>審査基準は、<br><br>・日本のデザインとして独創性・新規性があるか。<br>・店舗のバックグラウンドを十分に理解して設計・デザインされているか。<br><br>である。<br><br><br><br>さて、今回、一般部門最優秀賞は株式会社ナカヤマアーキテクツの中山眞琴氏がデザインした北海道の旅館『江差旅庭　群来』が受賞した。また、アイデア部門優秀賞は福岡デザイン専門学校学生の松永健吾氏が考案したマンガ喫茶『sho』（ショ）が受賞した。<br><br><a target="_blank" href="http://www.esashi-kuki.jp/">江差旅庭　群来ホームページ</a><br><br>※アイデア賞は実施にあるものではないため、上から2つ目のリンクから見てください。<br><br><br><br>【本題】<br>これらの作品にみられる「日本的なもの」とは何であろうか。　　・・・という話。<br><br>まあ、詳しい知識は持っていないために素人目になってしまうのですがちょっと確認してみます。<br><br><br><span style="font-weight: bold;">・「木」という素材に重きを置いている。</span><br>　9割がたの作品が「木」を取り入れています。最優秀賞に関しては木造です。（コンセプトが木造船である。）<br><br><span style="font-weight: bold;">・歴史的ものを取り入れている。</span><br>　暖簾や蔵のような店舗など、江戸以前からあるものを取り入れている。最優秀賞も木造平屋というデザイン。<br><br><br>とか！<br><br>もちろん全部が全部、そういうものであるというわけではないですが、特徴としては多いですね。<br><br><br>以上からまとめると、<br><span style="font-weight: bold;"><br><span style="color: rgb(128, 0, 128);">日本的なものは江戸以前の古い建築を中心として考えられている</span></span>、ということですかね。<br><br>コンクリート等が入ってくる前の木材中心であった時代。<br>暖簾、蔵というデザイン。<br><br><br>やはりこれは一般的に考えられる「<span style="color: rgb(255, 0, 0);">和風</span>」という概念に近いようですね。<br>「日本的」＝「和風」という考えはやはり出てきてしまうようですね。<br><br>「和風」とはやっぱり古いものを連想させますね。<br>MANGAには和風というイメージはないですからね。<br>日本のキャラクターでも「和風」というイメージをつけるときには「着物」「侍」「忍者」等とミックスさせますもんね。<br><br><br>海外の人が見ても「和風」と言われキャラクターやMANGAをイメージする人はいないのでしょうか？<br>その問題以前に「和風」と「日本的」みたいなあいまいな違いを識別できるのでしょうか？<br>英語で表現するときにどのように表現するのですかね？<br><br><br>欧米の文化がよりはっきりと流入されてきた時代以降は「和風」ではなくなってしまったのでしょうか？<br>はたまた、何百年後にはMANGAなども「和風」に仲間入りできるのか。<br>まあ、コンテンツが「和風」と呼ばれることは厳しいですかね。<br><br><br>なんかまとまんなくなりましたね、そこは良く分かります。<br><br><br>兎にも角にも「和風」に関しては今後調べていきます。<br><br><br>ちなみに、<br>今回の受賞デザインは3月8日（火）～11日（金）まで東京ビックサイトで開催する第40回店舗総合見本市「<span style="color: rgb(0, 0, 255);">JAPAN SHOP2011</span>」でパネル展示されるほか、表彰式と記念セミナーを会期中の3月10日(木)9時45分～12時30分に東京ビックサイト会議棟6階で行われるらしいです。入れるかどうかわからないですが、よろしければ行ってみては？<br><br><a href="http://www.shopbiz.jp/js/" target="_blank">JAPAN SHOP2011</a><br><br><br>最後に・・・<br>一般部門最優秀賞の『江差旅庭　群来』に行ってみたいと思いましたが、一泊○万円とちょっとチープではないので、もう少し大きくなったら行きたいと思います。<br><br><a href="http://www.esashi-kuki.jp/index.html" target="_blank">江差旅庭　群来</a><br><br><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/harapekoukey/entry-10817695931.html</link>
<pubDate>Wed, 02 Mar 2011 01:49:56 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>前回の記事についての考察</title>
<description>
<![CDATA[ 前回の記事（なぜ日本人は無宗教のままなのか～集団主義の点から考える～）の反省をしなくては。<br><br>【改善必要なこと】<br><br>①読みにくい<br>　文章全体の構成がグチャグチャになっていて、読み手のことを全然考えられていないのが明らかである。<br><br>②説明する文の意味が通じづらい<br>　この時点でアウト。もうこれは記事を書き続けてうまく表現する方法を身に着けていくしかない。<br>　また、考察するための要素の妥当性もいまいちである。逆の意見などを踏まえた上での考察でないとその正当性への根拠もなくなってしまう。<br><br>など挙げだしたら止まらなくなるので・・・<br><br><br><br><br><br>ゼミの人たちに話したら「本には無宗教というコミュニティーが出来てるって書かれてたよ」という意見をいただいた。自分の意見と異なる意見を聞いて、なるほどという風に感じてしまった。しかし自分の意見はそれはそれでいいんじゃないかとも思っていたり・・・<br><br>また、今回「日本人は集団主義ではない」という考えを考慮しなかったので、近いうちにこの議題に関しても考えてみたいと思う。<br><br>Faithfully yours.<br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/harapekoukey/entry-10733230762.html</link>
<pubDate>Sat, 11 Dec 2010 03:14:25 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>なぜ日本人は無宗教のままなのか～集団主義の点から考える～</title>
<description>
<![CDATA[ <font size="2">興味深い話題がでた。<br><br></font><font size="2">・日本人は70％の人が自分は「無宗教」と答えている。<br>　しかし、その中の75％が「宗教心」は大切と答えている。<br><br>という話である。<br><br>確かに海外の人は各々で宗教というものを持っている（“持っていると”いう表現が正しいのわからないが）イメージがあり、日本人に対してはそのほとんどが「無宗教である」というイメージが強い。<br><br>しかし、今回改めて考えてみる、<br><br><br></font><font size="2"><span style="color: rgb(255, 20, 147);">なぜ日本人は無宗教なのか？</span><br><br><br>という話題だ。</font><font size="2"><br><br><br>まず、日本人のアイデンティティという観点から考えてみる。</font><font size="2"><br><br>１、日本人の従来の宗教観は自己主導型である。</font><font size="2"><br>　日本人の従来の宗教は、欧米の唯一神信仰と違い、因縁生起、仏教観（もしくは多神教）が強く残っている。<br>　唯一神信仰の場合は神を絶対とし、神を求めていくという考え方になる。しかし、日本の場合、（特に仏教において）求めるものは自己の成長・拡大で、仏などはその手助けということになる。<br>　唯一神信仰は神が目的になり、自己が手段という考えになる。<br>　一方、日本人の考え方は神（仏）は手段となり、自己は目的になるという、逆の考え方になるのである。あくまで自己が目的であるために、神（仏）は手段として存在してしまう。そのため、日本人は<br>自分の困ったときだけ神を持ち出すような『困った時の神頼み』などという考えがあるのだろう。<br><br>２、日本人の価値観は手段指向型である。</font><font size="2"><br>　価値観を規定するものは、その根本的精神・哲学であり、宗教はそれに該当するものだと考えられる。<br>　唯一神信仰は頂点の神を目的とし、それが一番重要とされるため、目的が正しければ手段に多少の変化・変則があっても構わないという考え方になる。<br>　逆に日本人の考えは、目的が自己で、その手段として規則・原則を生み出す神（仏）がある。つまり、目的である自己に多少の変更・変則があったとしても、手段は絶対であるという手段指向型になる。<br><br>３、</font><font size="2">日本人の考える「無宗教」とは「宗派を問わない」ということである。<br>　これに対して、欧米の人が考える「無宗教」とは「何も信じない・哲学を持ってない」となるらしい。<br>　この違いが両社の考え方に大きな食い違いを生むらしい。例えば、欧米の人に「宗教は何？」と聞かれたときに、「何にも持っていない」と答えると、「なぜだ？」とか「君の哲学は何なんだ？」など激しく詰め寄られるケースもあるらしい。<br><br><br>以上のことから考察すると、</font><font size="2"><br><br>日本人の宗教に対する考えは、1,自己を目的とした手段としての宗教という考え方が根底にあり、2.唯一神信仰の概念が薄い、3,そのため宗教に対する必要性・個人個人が必ず持っているという考えをあまり感じることがない、ということである。<br><br><br><br>また、ここでもう一つの日本人の特徴といわれるものを挙げて考えてみる。<br><br><br>・日本人は集団主義である。</font><font size="2"><br>　物事の最終到達地点は個人である。社会においても最終的には人間個人個人が目的とされている。そしてあらゆる集団はその過程にある手段として存在すると考えられる。<br>　手段→目的という考えを集団→個人という考えに置き換えたとき、上記から目的を重要視する唯一神信仰の人間は個人主義に傾倒する。逆に日本人は手段を重要視するので、集団主義に傾倒することになる。<br><br><br>日本人は集団主義とよく言われる。</font><font size="2">理由は様々あるといわれている。ここでは割愛するが、みんななんとなく「日本人は集団主義」という考えは持っているだろう。<br><br><br>その結果として現れる例をいくつか挙げてみる。<br><br>１、年功序列制や終身雇用…企業という集団の結束力維持、また、その貢献度に対する報酬<br><br>２、「恥の文化」（『菊と刀』 ルース・ベネディクト著）…集団の評価が気になるため。一方、「罪の文化」は目的である神に対する感情の表れである<br><br>３、「甘え」の考え…集団の維持・強化への貢献が条件である一方、集団からの恩恵を期待する感情<br><br>４、自殺…リストラ等が原因の自殺は自分がどこのコミュニティにも所属できないことへの恐怖からくると考えられる。<br><br><br>日本人は、自分が常に何かしらのコミュニティに所属・従属しているという考えが根底に存在するのである。<br><br><br><br>このとき今回のテーマを踏まえてもう1つ考えたいことがある。<br><br><br style="color: rgb(238, 130, 238);"><span style="color: rgb(255, 20, 147);">宗教はコミュニティになりえないのか？</span><br><br><br>という考えである。</font><br><br>上記のことを踏まえて考えてみる。<br><br>１、宗教を絶対必要なものと考えていないため、なくてもいいので現在所属するコミュニティのみで満足している。<br><br>２、日本人は宗教が絶対必要と考えられていない、逆にネガティブイメージを持つこともしばしばある。そのため、その宗教が現在のコミュニティで認められていないとネガティブイメージを与えるリスクは増える。<br><br>３、宗教的取り決めが現在のコミュニティで容認されないとネガティブイメージを与えてしまう。<br><br>４、集団主義では人間関係維持が最重要になる。また、現在のコミュニティを維持することが絶対条件になりやすい。<br><br>５、そのためネガティブイメージを与えるかもしれないという不安、その宗教をやることによって現在のコミュニティへの悪影響を心配してしまう。現在のコミュニティにおける立場や状態を維持することが先決されるので、あえて不安要素があるコミュニティへの参加はしない。<br><br><br>上記のように、宗教は絶対必要とは考えられておらず、現在のコミュニティを崩す可能性があるため、集団主義である日本人にとってコミュニティとなりにくいのである。<br><br><br>以上が集団主義の点から考えてみた日本人が無宗教である理由である。<br><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/harapekoukey/entry-10709498130.html</link>
<pubDate>Wed, 17 Nov 2010 02:20:38 +0900</pubDate>
</item>
<item>
<title>はじめ</title>
<description>
<![CDATA[ をとこもすといふ日記といふ物<br>をゝむなもして心みむとてする<br><br>なんてことはない。<br><br>ただ、新しい物事になかなか挑戦しない自分が、Amebaに挑戦してみようと思っただけ。<br><br>だから、使い慣れるまではグチャグチャと考えられる。<br><br>何がグチャグチャなのか？<br><br>それすらわからないからグチャグチャなのである。<br><br>ちなみに最初の2行は紀貫之『土佐日記』の最初2行。<br><br>さあ、がんばろう。<br><br><br>
]]>
</description>
<link>https://ameblo.jp/harapekoukey/entry-10709478143.html</link>
<pubDate>Wed, 17 Nov 2010 02:07:45 +0900</pubDate>
</item>
</channel>
</rss>
