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<title>haribote8128のブログ</title>
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<title>無気力は死に至る病</title>
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<![CDATA[ 最近は何もかもが面倒で、考えることすら億劫だ。<div>より良い生き方、努力の方向性、何をすべきかも全部分かってるはずなのに、行動を起こすことが面倒だと思ってしまう。</div><div>このまま人間として、生物としての一切の進化を止めてしまいたい。</div>
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<pubDate>Thu, 23 Oct 2014 12:23:35 +0900</pubDate>
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<title>過ぎ去った後の眩しさ</title>
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<![CDATA[ 私が大好きな日本歌曲に中山晋平作曲の「ゴンドラの唄」がある。<div>♪いのち短し &nbsp;恋せよ乙女…<br></div><div>という歌い出しを聴けば、「ああ、あの歌か」と思い至る人も多いのではないか。</div><br><div>うろ覚えで申し訳ないが、確か中山晋平が母の危篤の知らせを受け、故郷へ向かう汽車の車内で書き上げたのがこの曲である。</div><div>（なんとなく「風立ちぬ」のワンシーンが思い出される）</div><div>黒澤明監督の映画「生きる」の中で主人公が一人ブランコに乗りながら口遊む曲としても有名だ。</div><div>歌は全部で4番まであり、素朴なメロディだが温かみのある作品である。</div><br><div>私がこの「ゴンドラの唄」が好きな一番の理由、それは「この曲の詠い手が若くないこと」である。</div><div>私がこの曲を初めて知り、今まで何度も繰り返し聴いてきたが、何故だかいつも懐かしいような、切ないような気持ちになることに気がついた。</div><div>こんなに幸せな恋の歌なのに、どこか胸が苦しくなるのは何故なのか、考えて考えてある答えにたどり着いた。</div><div>「いのち短し 恋せよ乙女」と語りかける「詠い手」は、幸せな恋の最中にあるのではなく、既にそれらが思い出となった、未来の時間にいるのではないか、と。</div><div>「紅き唇褪せぬ間に」「熱き血潮の冷えぬ間に」と語りかける「詠い手」にとっては、既に「紅き唇」も「熱き血潮」も失くしてしまったもので、失くしてしまったが故にその尊さに気付いたのだ。</div><div>この曲がこんなにも懐かしく切ないのは、詠い手が過去の幸せな恋の思い出に焦がれているからだ。</div><div>詠い手の目を通して見る、思い出の眩さがこの曲の眩さなのだ。</div><br><div>私はこのように、「曲が描き出す風景」と「曲の詠い手」との間に対比がある作品がとても好きだ。</div><div>一番最近の曲では、きゃりーぱみゅぱみゅの歌う「ファッションモンスター」がそうである。</div><div>ふとクラシックから離れてこの曲を聴いてみると、いつも</div><div>♪この狭い心の檻を 壊して自由になりたいの</div><div>という部分で、「この曲の中の『私』は心の檻に囚われていて、息苦しい毎日を送っているんだ」と、とても切ない気持ちになる。思春期の多感な女子生徒の感じる特有の閉塞感みたいなものが、なんとなく伝わってくる。</div><div>奇抜な衣装で、軽くて甘いお菓子のような曲を歌う彼女の内側にはどんな悲しみや辛さが隠れているのだろうと考えてしまう。</div><br>
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<pubDate>Sat, 18 Oct 2014 20:06:14 +0900</pubDate>
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<title>日本語が一番美しい</title>
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<![CDATA[ 何故だかわからないけど、日本歌曲をやりたいって人は学校にあんまりいない気がする。<div>日本歌曲を取り巻く問題云々については置いとくとして、私は外国語歌曲やオペラなんかよりも日本歌曲の方がよっぽど美しいと感じるし、心打たれる。</div><br><div>私はそもそも外国語の詩があまり好きではない。</div><div>美しいものを表現する時に美しい言葉を使うところが解せない。</div><div>日本語の詩の、あくまで素朴な言葉の組み合わせの中で繊細な心を表現する、あの感じが好きだ。</div><div>外国語の詩の美しさが宝石なら、日本語の詩の美しさは土でできた焼物のようなものではないか。</div><div>北原白秋の「鐘が鳴ります」という詩がある。</div><br><div>鐘が</div><div>鳴ります</div><div>かやの木山に</div><br><div>山は</div><div>寒空</div><div>遠茜</div><br><div>ひとつ星さへ</div><div>ちらつくものを</div><br><div>なぜに</div><div>ちらりとも</div><div>出て見えぬ</div><br><div>この詩の詠い手は逢引の相手を待っている。最後に「なぜに…」とようやく呟くような心情が現れるまでは、ほとんど風景描写のみ。しかし詩を読んだ後には、確かに寒空の下、日が暮れ行く中でなかなか現れない恋人への切ない思い、恋い焦がれる気持ちが感じられる。</div><div>昔の日本ではよくある風景だったのかもしれない。素朴な風景と、何でもない恋人同士の一場面。</div><div>これが最低限の言葉でもって表現されている。</div><div>私はこの詩に日本語の詩の素晴らしさが凝縮されているように思う。</div><div>願わくば、もっと日本歌曲の良さが音楽家や人々の間に広まりますように。</div>
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<link>https://ameblo.jp/haribote8128/entry-11940398779.html</link>
<pubDate>Fri, 17 Oct 2014 20:49:30 +0900</pubDate>
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<title>私は貝になりたい</title>
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<![CDATA[ 今日も一日ぼんやり過ごしてしまった。<div>仕事は滞ってるし。</div><div>先生に連絡し辛くなってゆく…。</div><br><div>この間初めて自分が本当にやりたいことを打ち明けられたのに、練習も全然だし。</div><div>いつからこんな頑張らない人間になったのかなぁ。</div><div>自分の人生、むしろすごく恵まれたのもだってずいぶん前に気づいたのに、未だに前進しないのはやっぱり中身が腐ってるのかなぁ。</div><br>
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<link>https://ameblo.jp/haribote8128/entry-11940383663.html</link>
<pubDate>Fri, 17 Oct 2014 20:40:51 +0900</pubDate>
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