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<title>素敵な明日を願ってる</title>
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<description>悩んでも後悔してもなにも変わらないから、前だけ見るんだ</description>
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<title>みなさん元気かな</title>
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<![CDATA[ <p>久しぶりにアメブロ開いた。</p><p>&nbsp;</p><p>いろいろあったけど、いまは元気に働いています。</p><p>今日もこれから出勤。</p><p>&nbsp;</p><p>会計年度任用職員、年更新の公務員って感じです。</p><p>&nbsp;</p><p>いい天気。一日を楽しもう！</p>
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<pubDate>Sat, 28 May 2022 06:58:45 +0900</pubDate>
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<title>みなさま</title>
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<![CDATA[ <p>コロナ気を付けてお過ごしください。</p>
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<pubDate>Tue, 14 Apr 2020 00:30:11 +0900</pubDate>
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<title>koko</title>
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<![CDATA[ <iframe width="459" height="344" src="https://www.youtube.com/embed/mLFk-bbrhBU" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe>
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<pubDate>Wed, 01 Jan 2020 04:24:22 +0900</pubDate>
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<title>今日は元旦</title>
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<![CDATA[ <p>今年の抱負は？</p><p>家族と健康で和やかに過ごす。</p><p>&nbsp;</p><p>▼本日限定！ブログスタンプ</p><p><a href="https://rd.amca.jp/4jmyoKSRDmzX2oyczchD" target="_blank"><img alt="あなたもスタンプをGETしよう" src="https://c.stat100.ameba.jp/blog/img/stamp/event/stamp_0101.png" style="max-width:100%" width="200"></a></p><div><a href="https://rd.amca.jp/4jmyoKSRDmzX2oyczchD" target="_blank">あなたもスタンプをGETしよう</a></div>
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<pubDate>Wed, 01 Jan 2020 03:09:21 +0900</pubDate>
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<title>最近わかったこと</title>
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<![CDATA[ <p>私は難治性の強迫性障害のようです。</p><p>医師に言われました。</p><p>&nbsp;</p><p>そりゃそうです。幼少期からありましたし、診断を受け薬飲み始めて20年。</p><p>&nbsp;</p><p>普通は治らないのでは？と考えてもおかしくないのかもしれない。</p><p>&nbsp;</p><p>でも私はバカなのでうまく強迫症状を医師に伝えることが薬だけでなく、</p><p>こういうとき、こうしたら気分転換できるんじゃない？ってアドバイスをもらえると思ってた。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>もしアドバイスできるものが医師にあるのならとっくにアドバイスがあるはず。</p><p>きっと自分の毎回の診断で時間がなくてうまく1割も伝えられない、説明が下手というだけではない気がしてる。</p><p>今になってそう考えるようになった。</p><p>&nbsp;</p><p>答えのない問題、現実を変えようのない問題に答えはないのだ。</p><p>それに自分は気づかなかった。生まれてからずっと。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>しんどいとき答えを見つけ楽になろう、そういう思考で今までやってきた。</p><p>この生まれて以来こういう物の考え方しかしてこなかった今、強迫にとらわれたとき、新たな対処法も見つからず。</p><p>&nbsp;</p><p>そもそも答えがないから思考でどうにかするものでもない。かといって放置していても何も手につかない。</p><p>やろうと強迫観念から離れ、今すべきことに集中しても何をすべきかわからない。無理して行動すると無理してる感が強く、</p><p>考えらてないのに行動すると、フラットな自分と違い、目的意識がはっきりしてないので、不安の中で物事をしてる感じ。</p><p>強迫から離れ今すべきことに集中しようという意識ばかり先行し、すべき対象に集中できてないから何をしたらいいのかわからない。</p><p>それでもしないと前へ進めないから、すべきことをすると気が動転したまま物事をやっている感じとでもいうのか、</p><p>不安で仕方ない。目的意識もないまま今することをするというのは不可能に近い。ミスも増えるし、不安を打ち消しながら、今はこうだから集中しなくちゃという今すべきことに不要な思考を消しながら作業するのは非常にくたびれる。その割にぜんぜん進まない。</p><p>&nbsp;</p><p>フラットな自分はしたいこと、すべきことを、自然にこなしている。そこには意識はしてなくてもすべき目的目標があり、</p><p>それを自然にこなしている。</p><p>&nbsp;</p><p>服を着る、布団から起きる、文字を書く、なんでもそうだ。</p><p>&nbsp;</p><p>強迫のときもやるべきことはわかる、だがそれに向かうとなんだか不安であったり、ミスした感覚がつきまとう。</p><p>結果、気にしてた強迫観念を考えてしまったり、今してたことの不安はなにが不安だったのかと思ったり、</p><p>ミスした、フラットなときは感じない違和感を感じ、例えば着た服をもう一度脱いで着なおしたくなる。</p><p>とても疲れる。着なおしたところで無理してやってるうちは不安だから不安なまま服を着終わるから、気持ちが悪い。</p><p>&nbsp;</p><p>かといって、何度も繰り返してが強迫行動になってしまう。なので我慢して次へ進むが、不安なままし続けるから永遠に</p><p>心の疲労は続く。そのままやり続けられるほど自分は猛者ではなかった。服をきたら何をすべきか考えなくてはいけない。</p><p>その次も、その次も。不安だからかこれをして正解なのかという迷いがつきまとい、Aをしてみる、Bをしてみる、C、D、やはりAが</p><p>いやBが.....限りもなく迷いがひどい。そして自分は疲れ果て不安になりながらやるのは無理と放棄する。</p><p>&nbsp;</p><p>ぼーっとする。ときには布団に倒れこむ。</p><p>昔はいろいろあった駅の柱にへたれこんだり、道路にすわりこんだり、それでも自分はダラダラしてるだけでどこも悪いわけじゃないオーラを出す。心配して声かけてくださった方にも大丈夫ですと答える。大丈夫じゃないとしても救急を要すものじゃないし、どこか休むベッドにいくと楽になるわけでもない。とにかくその場で落ち着くまでじっとしていたい。行動ができなくなってるのだからその場でやり過ごすしかない。</p><p>&nbsp;</p><p>今思えば自分の人生ずーーーーーーーーーっとその繰り返しだった。</p><p>なんてもったいない、実のない人生なんだ。</p><p>そこへ難治性と言われた。涙がでた。</p><p>いつかよくなると信じてたから。</p><p>&nbsp;</p><p>不治ではない、可能性はあると思うが、難治だ。治癒するのが難しいってことだ。</p><p>強迫性障害と向き合って、それも受け入れて生きていかねばならない。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>ずっと自分はこうなはずなのに、を続けてきた。20であの内科に行かなければ、大学病院行かなければ、～～～しなければもっといい人生を過ごせていたはずだ、と。そればかり考えていた。どっちにしても強迫なってたのかなと思うことも多少はあったが。</p><p>現実にもう20年以上治癒していない。過ごせていたと思っても過ごせていない。それが現実なのだ。</p><p>&nbsp;</p><p>それを私は受け入れてない事を医師に指摘された。</p><p>その通りなのだ。こうでなければ、ばかり考え、今この状態とどう向き合うか考えて来なかったのだ。</p><p>何十年考えてこなっかたことを、たった２週間程度考えたところでなにもわからない。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>あ～あ</p><p>フラットなときなんの迷いもなく、服着たら、無心ではいこれしてー、次これしてーとその日その時の気分でやっていること。</p><p>確かに迷いもある。靴下どれにしようかな～、ん～、これにするか。という、ごく自然な迷い。そこに苦しみはない。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>強迫なったら、強迫無視して行動しようとしているのに、行動できない。なぜそうなるのかは考えても答えはでたことがない、考えれば考えるほど苦しみばかり。休んでフラットになるか、たまたま無視して行動してるときその今すべきことに集中できたときだけかな。集中というよりその物事に対してフラットな気分にいつのまにか戻ったときというのが正しい気がする。ごく稀だけど。</p><p>&nbsp;</p><p>でもそれはごく単純で、泣いてた赤ちゃんが”いないいないばー”でころっと笑うかのように、</p><p>人に話しかけられた、ふと我に返る、そんな感じだ。</p><p>あとはそのまま、その流れに乗ってやるだけ。良くないのは強迫についてなんでかまた考え始めたり、なぜ強迫になるのか？なぜ些細なきっかけで戻れるんのか？是非とも理解して今後起きたときのために対策をしたいと考えを巡らすこと。</p><p>&nbsp;</p><p>答えはでないし、逆にまた不安の渦に巻き込まれる方が大多数だ。</p><p>なんとなくよし分かった！と悟った気分になることもある。</p><p>フラットなときもこうすればなんて思いつくこともある。</p><p>&nbsp;</p><p>しかし長続きしない。その思考を忘れるからか。（そんな人生の良し悪しに関わること忘れるものなのか。。）</p><p>それとも強迫には意味も答えもないから、解決策などないからか。</p><p>&nbsp;</p><p>きっと高所恐怖症の人がなぜ怖いのか問うても答えはないだろう。</p><p>高いところが怖いから他ならない。解決策思考しても、恐怖には勝てない。</p><p>だからといって一生そうなのかと言えばそういう人もいるだろうし、ふと気が付いたらなんでもなくなった、なんてこともあるのかもしれない。</p><p>&nbsp;</p><p>私はこどもの頃、学校で給食がのどを通らなかった。周りから見られる緊張、家のもの以外見たことものが食べられない性格。</p><p>野菜は食べられない。肉しか食べられない。食べるのが遅くて迷惑かける恐怖、残すといろいろな方面から言われる恐怖。そんなんじゃ給食美味しくパクパク笑顔で食べれるはずもない。それが今は早すぎだろ！って言われるほど美味しくいただく。</p><p>&nbsp;</p><p>そこに思考とかない。理屈もない。気が付けば治ってた。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>だから今は理屈じゃく起きる不安とどううまく付き合って生きていくべきだろうということを考えている。</p><p>前向きに考えたところで病気が緩和するわけでもないが、向き合っていかねばならぬと思っている。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<pubDate>Sat, 23 Nov 2019 01:28:39 +0900</pubDate>
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<title>擦り切れるほど見たビデオテープ</title>
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<![CDATA[ <iframe width="459" height="344" src="https://www.youtube.com/embed/UqD_CwyITvI" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe><br><br><br>NHK　ソリトンSIDE　B<br><br>憧れた坂本龍一さん。同じ１月１７日生まれ。<br><br>この頃の教授の歳ぐらいに自分もなってしまったな。<br>まだまだずっと先の未来だと思っていたのだけど。<br><br><br>同じ誕生日だから、これは運命。なので自分も天才だと思っていた。今思えば、とんだ勘違いでしたわ（笑<br><br>
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<pubDate>Tue, 05 Nov 2019 22:50:34 +0900</pubDate>
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<title>先日は取り乱しました</title>
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<![CDATA[ <p>ストレスMAXだったのだと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>文章をまとめる余裕もなく、ひたすら頭に出てくる不安を書く作業。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>涙も枯れたのかと思うくらい泣けることも最近なかったけれど、</p><p>&nbsp;</p><p>昨日涙がどっと出た。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>強迫性障害の仕組みは私にはわかりません。予防を意識した日々の生活、強迫観念にとらわれたときのできるだけ早くフラットな気持ちに戻る考え、行動。日々四苦八苦しています。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>今日は、今回は、うまくいったなぁというのはあまり記憶にありません。</p><p>回復する喜びよりも、不安から抜け出してる最中や抜け出して間もないとまだ不安感が大きい。不安感が『安心、フラットでいるとき心にゆとりのある自分に戻ったほうがうまく楽しく生きられるという経験を何十年と感じてきている』のにその感覚を思い出す暇を与えなてくれないのだ。</p><p>心の健康な人からすれば、『なんで？といい時の自分を思い出し、そのように行動すればいいじゃん！』と思うに違いない。</p><p>かく言う自分も強迫にとらわれてない時はそこそこ心は健康だと思っている。だからその『なんで？』は何十万回思ったことだろう。</p><p>そこで最近思うのは、脳の仕組み上そうなっているのだから『なんで？』と考えようと答えはでないのではないかと思うのだ。</p><p>なんでそうなるのか？それに答えるのならば脳の仕組みだから。</p><p>これは仕組みなので変えようがない。『もっと思い通りいけばいいのに！』、と思うけれど仕組みなのでどうしようもない。</p><p>&nbsp;</p><p>人はなぜ呼吸するか？仕組みだから。というのと同様だと思う。</p><p>&nbsp;</p><p>具体的にみていけば、どういう対処がよいとか、あるとは思う。しかしながら相手は心。楽しいときは楽しいし、悲しいときは悲しい。</p><p>そういうものは誰でも同じで不変なのかなと思うけど、もって生まれた性格、経験してきた事柄、年、日、秒で次々とうつり変わる感情。</p><p>それにこれがいいとひとつの答えで解決できるかというと違う気がする。強迫性障害という病気ひとつとっても症状も似ているにせよ全員違うし、それに対する思いも違う。薬のんでとにかくひたすら楽になりたいと思う人もいれば、できれば薬で脳を操作するのは嫌だと思う人もいるだろう。薬で気持ちを落ち着かせ、物事を考えられるようにし、解決策を練ろうという人もいるだろう。</p><p>&nbsp;</p><p>医学、科学が進歩したら現在のように脳内のセロトニンがどうたらと考えられるとか曖昧じゃなく、どこの部分のどういう物質がどうなってと確実になれば治療は薬も変わっていくのではないだろうか。脳の機能障害なのか、脳は正常だが考え方がよくないから脳が疲労して強迫観念が表れるのか。私は素人だからまったくわからないが、いつかこの病気が解明され人生を豊かに生きられる未来が来るといいなと願っています。この病気に限らず、すべての病気が治癒する時代が来るといいな。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>元気なときというのは心にゆとりがあり、問題があっても柔軟にサラリと解決してしまう。もっと言えば出来事に対し、不安と感じてないので問題と感じることもないので解決というものもない。クエスチョンがあるからアンサーがある。クエスチョンがないのだから当然アンサーもない。</p><p>&nbsp;</p><p>不安なときは余裕がない。余裕がないと目の前のことで精一杯。</p><p>人の脳は不思議なもので落ち着いていると多少の困難なら簡単に乗り越えてしまう。緊張状態だと簡単に処理できたことが処理できなくなる。</p><p>&nbsp;</p><p>強迫観念にとらわれたとき、不安や緊張が強いので『よいときの自分』は思い出せても、それは現在不安な状態でそういう事実を思い出しているだけで『よいときの自分のよい感覚』までは感じられない。なぜなら今現在不安だから。思い出そうと躍起になっているとふと思い出すことがある。しかし、じゃあよいときの自分に戻ろうと思いはするが、不安が強い状態のため、それに打ち勝って回復するというのはなかなかできない。簡単だったらやってるって話ですな、うん。さすれば万事解決なわけで。</p><p>&nbsp;</p><p>思い出そうと躍起になるのも、自然と思いつくものではないので大変疲れるし、思い出したところで、その良い感覚は不安にかき消される。</p><p>不安な私はまたよい感覚を思い出して治りたいと、また躍起になって考える。無限ループだ。どんどん心身が憔悴する。限界を感じると考えるの辞めぐったり倒れこむ。が、そこがヒントだったりです。すべてを諦めた瞬間、苦しい思考から解放されるのだ。それは考えることを放棄したということだから、不安に感じてたことの解決にはなっていない。考えない楽さはあるがなにかモヤモヤは残る。</p><p>&nbsp;</p><p>そのモヤモヤを解消しようとまた考えに耽（ふけ）るとまた同じ負のループに陥る。</p><p>&nbsp;</p><p>そもそも”不安に感じていたことの解決”とは何なのか。それは不安だから問題と感じるだけであって、落ち着いた状態のときは気にもとめないことだったりするのである。理屈はそうだが不安な状態のとき、その悩みのテーマはとてつもなく大きく簡単に捨てられない、どうでもいいと思えないのだ。どうでもいいと思えたらすぐに止めて、ハイ解決☆なわけだ。</p><p>&nbsp;</p><p>その不安で止められない、どこで終わりにしたらいいかわからない、わからないから確認すると満足という感情ではなくさっきで止めればよかった自分で強迫を終わらせなくしてるという自己嫌悪。と同時に、さっきという時間には戻らないのに止めればよかったと思う感情が起きる前の感覚で終わらせたいと、またそれに対し思考する。結果は、やって良かったと安心することはなく、そんなことしないで感がえること止めればよかったと思うのだ。安心どころか最初の時点で止めていればもう強迫から離れている段階にうつっていたのにと。それなのにわからないから確認する、不安にまたなったから最初に戻って（気分的に）１回目で終わりにしようと考え、結局すぐ止めるより２回も不安に対し思考を巡らせてしまっているのだ。ガッカリしてるのに不安は消えてくれないから考えを止めるというのは思う以上に簡単ではない。また先ほどの失敗を半ば忘れ、今止めようとは思うのだが、止めることと確認することに迷いが生じ、こうしよう！という判断ができない状態になっている。止めるのも怖いし、確かめるのも後悔しそうで怖いのだ。止めた諦めてフラットな自分で考えましょ！とフラットなとき自分はいくらでも言えるし行動できるけど不安とは恐ろしいものでそうは思わせてくれない。</p><p>&nbsp;</p><p>不安だったら、不安に思うの止めればいい。とかアドバイスもらうことがあるが、まったくその通りではある。</p><p>自分だってフラットな状態で気持ちに余裕があるとなんでも出来そうだし無敵な感じだし、いやな奴にはズバっと言うし、死ぬのも怖くない。</p><p>だから同じようなアドバイスしてしまうかもしれない。人とか感情ひとつでここまで変わってしまうものなんだな。とすごく思う。</p><p>&nbsp;</p><p>この前のブログではちょっとしたシミすら老いたと感じ、老いたくないと不安に感じたものだ。</p><p>&nbsp;</p><p>知らぬが仏という言葉があるがまったくだ。知らないとのほほんと生きてられる。シミがあるということ知ってしまったから不安が生まれたりするのである。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>心の持ち方というのはどうやって育んでいくのか、どうやって成長しているのか分からないが、自分なりのよいと思ったものを読み、取り入れ、自分の成長を楽しみしたいと思っている。いいおっさんですけど。人間手遅れなんてない。やらないより気づいたときから少しでも向上しようとするのが大切だと思っています。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>あと１回しっかり確認したら不安がとれるかもしれないと</p><p>&nbsp;</p><p>わからないからもう１回だけ確かめたい、もう１回がしっくりこなくもう１回、そしてまた同じくわからない、しっくりこない、さっきと感覚が違うからもう１回確かめたい。確かめたいのに確かめたい感覚じゃない感覚が起きる。どうして違うんだ？と焦り、また思い出し感覚を確かめようとする。しかし同じ感覚はなかなか起こってくれない。それもそのはず人の心は常に流動してるし、同じ感覚じゃない感覚を感じたり考えついたりしてるのは他ならぬ自分なのだ。自分はいったい何と戦っているのだろうか。常に動く気持ちを不安に感じ、それを理由つけて安心させようとしている。しかし安心するのも束の間、人は次々といろいろなことを瞬時に考えてしまう。それもその都度、感情を思考で理解しようとする手段では人が感情をなくらない限り、永遠終わらない。コンマ何秒で浮かぶ感情を、何分も使い思い出し考え理解しようとする、しかも不安の最中に。くたびれないはずがない。疲弊してやっとのことで思い出した感覚も思い出したことには満足でもそれが不安解消材料にはならない。不安である以上、不安の中で物事を考えているから感じることは不安という答えしかでてこない。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>もう１回頑張ろう、しっかり確認できたら終わろうというのは、一般的にはちゃらんぽらんではなく素敵でしっかり者で適当な人より尊敬できるのだけど、こと強迫に関しては止めるのが最善ではないかと感じています。あと１回のしっかり確認で安心できたら何も問題ないだろうけど、何十年この症状と対峙してきたが安心できたためしがない。不安なとき強迫観念から離れようとするといろいろ止めちゃダメ。もう１度確かめたい、知りたい、理解したい、ここで終わるのがベストなのか、しっくりしない感覚で終わるのが嫌、しっくりくる感じなんて何度考えても確認しようとも来たためしがないから今ここで止めるんだ！などと多くの気持ちが交錯しますが、不安に勝とうとか思わなくていい、考えるのを止めよう。深呼吸する、何も考えず天を仰ぐ、考えたいけど我慢するなどという欲求や思考はまた頭も疲れるし不安も継続的に続き、それは結果的に考えまい考えまいと同じことを唱えてしまっていてこれまた強迫である。なので疲れちゃう。</p><p><span style="font-weight:bold;">とにかく無心でひと呼吸ふた呼吸置く。すると、あ、さっきのこと考えなくも問題なくね？どうでもよくね？と気持ちがフラットな状態になっていくのを感じることがある。</span></p><p>&nbsp;</p><p>自分は克服できていない身なので、いつもそのようにうまくいかないし、つい無心のつもりがやっぱ考えようと欲に負けて強迫に逆もどりすることもある。はたまたこうした方がいいとナイスアイデア！と思っても強迫が起こるたびにその対処法を思い出せないこともある。そして先ほど書いたような悪循環に陥ることもしばしばある。ちょっと自分でいつもと違う不安と思うとアイデアを活かせなかったり。きっと強迫だし内容違っても本質は同じなんだろうけどアイデアを起きた強迫にその都度うまく順応させられないだけかもしれないが。そして年月、年齢による考えの変化、思考力も違って行く。忘れたり。そしてその時々で良くなる方法を模索するのかもしれない。ずっとよい閃きは維持されて役立っていけばいいのだけどそうもいかない。生きるって難しいね。周りは元気そうに見えるけどみんなそれぞれに悩みはある。そうしながらも生きていくのが人間なのだと思う。</p><p>&nbsp;</p><p>たまに思うこと。フラットな状態だと、『あ、戸締りしたっけか？忘れた、確かめよう！』というのはサッと何の不安も迷いもなく確認できスッキリする。スッキリするがこれは戸締りしたかという心配（不安）のようなものがあるからそう思うのだが、気分の問題でフラットなら確認してスッキリする。これは強迫ではない。何度も確認したい衝動に駆られないから。</p><p>&nbsp;</p><p>表現として難しいのは、フラットで確認しようと思うのも、強迫で確認しようと思うのも、感覚（気持ち）はまるで違うが日本語上はどちらも『心配で確認する』と表現するのである。なので心配でと表現した時、自分の心の感覚は伝わっていないので相手にこれは誰でもありうる自然な行動の心配か強迫観念的な心配か伝わっているのだろうかと思うことがある。こんな比較的単純なことでも伝わるのかなと感じるから、ちょっとばかりの話でその人の感情読み取ることはできるのだろうかと思うことがある。目や表情、しぐさからも読み取るのだろうけど。逆もしかりでどこまでわかるか実際わからないけど、気心しれた仲間同士だと何も話さなくても伝わると感じることもある。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>先程の戸締りの感覚が強迫であれば悪循環に陥ると思う。<span style="text-align: left; color: rgb(68, 68, 68); text-transform: none; text-indent: 0px; letter-spacing: normal; font-family: &quot;ヒラギノ角ゴ Pro W3&quot;,&quot;Hiragino Kaku Gothic Pro&quot;,&quot;ＭＳ Ｐゴシック&quot;,&quot;MS PGothic&quot;,sans-serif,&quot;メイリオ&quot;,Meiryo; font-size: 16px; font-style: normal; font-variant: normal; text-decoration: none; word-spacing: 0px; display: inline !important; white-space: normal; orphans: 2; float: none; -webkit-text-stroke-width: 0px; background-color: rgb(255, 255, 255);">今自分の感情がフラットなのか強迫気味なのかわからないことがあるんだよなぁ。確認してよかったと思うこともあるし、強迫になってしまったーということもあるし。判断がつけば良いのだけどな。</span></p><p><span style="text-align: left; color: rgb(68, 68, 68); text-transform: none; text-indent: 0px; letter-spacing: normal; font-family: &quot;ヒラギノ角ゴ Pro W3&quot;,&quot;Hiragino Kaku Gothic Pro&quot;,&quot;ＭＳ Ｐゴシック&quot;,&quot;MS PGothic&quot;,sans-serif,&quot;メイリオ&quot;,Meiryo; font-size: 16px; font-style: normal; font-variant: normal; text-decoration: none; word-spacing: 0px; display: inline !important; white-space: normal; orphans: 2; float: none; -webkit-text-stroke-width: 0px; background-color: rgb(255, 255, 255);">自分の場合、結果的に何度も確認するから強迫なのではなく、１回目からでも強迫的な不安を感じればそれはもう強迫である。感覚的はこれは強迫だとわかる。</span></p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>自分は強迫にテーマがなく、このところに行ったら必ず強迫が発動するといものがない。いつも行き当たりばったりでそのときのインスピレーションとでも言うのでしょうか。ひらめいた感覚で決まってしまいます。要はわるい閃きとでもいいますでしょうか。。幼少期～20歳くらいまではありました。手洗い、戸締り、ガスの元栓もあったようななかったような、おまじない（左足から出ないとやり直したい、8回繰り返さないと先に進めない）ある模様を踏むとよくないことが起きるのでは恐怖（アスファルトの黒くなった部分、木目模様のある部分、タイルとタイルの境目）被害恐怖（病気うつったんじゃ）加害恐怖（車で人をひいたんじゃ）病気に対する恐怖（これは強迫なのか病気が怖いだけなのか）。短いのは数日、長いのは３年とかかな。３年といっても毎日ではない。そう感じてしまったときだけ。強迫がない日があったかというと毎日なんらかに不安を感じてしまい立ち止まりながら生きてきました。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>そんな中でも楽しい時間もありました。おバカな話で盛り上がったり、趣味に没頭する時間があったり。</p><p>これからどんな未来が待っているか分かりませんが、少しでも強迫の時間を減らし、家族、友人、生きていく中で関係していく方々に少しでも役に立っていけたらなと思っています。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>今の気持ちを忘れないようここに記します。</p><p>&nbsp;</p><p>※内容はすべて主観であり、正しいかどうか分かりません。自分の心が感じるままに書いたものです。</p><p>そして自分へのメモとしてアップしています。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p>
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<pubDate>Mon, 04 Nov 2019 03:33:16 +0900</pubDate>
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<title>2019/10/27②</title>
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<![CDATA[ <p>そして今回その薬が原因で具合悪くしました。</p><p>&nbsp;</p><p>そんなすぐに止められない薬処方されてたの！？</p><p>&nbsp;</p><p>20年前話してた言葉は嘘だったの！？</p><p>&nbsp;</p><p>どうして事前にその薬のリスクを説明してくれなかったの！？</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>信頼が揺るぎます。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>信頼できるというの大切なのかもしれません。</p><p>&nbsp;</p><p>心の拠りどころなのですから。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>強迫性障害の場合、パキシルは50mgまで使っていいようです。</p><p>&nbsp;</p><p>『Sさんの場合、50mgまで使っていいことになってるから』</p><p>&nbsp;</p><p>それは分かりますよ先生。どうしてリスクや強いmg使ってると教えてくれないの？</p><p>&nbsp;</p><p>自分の不安、疑問はそこなんです。そこを答えていただければいいのに。。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>会話って難しい。自分が答えて欲しいことを答えてもらえないこともよくある。</p><p>&nbsp;</p><p>自分の話し方がいけないのか。つい話の流れで聞き入ってあとで肝心の質問に答えてもらえてないこと気づく。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>はたまた、YES、NOで知りたくても会話なのでそうでない回答がくることもある。</p><p>&nbsp;</p><p>人によって同じ回答で納得できる人もいればそうでない人もいる。</p><p>&nbsp;</p><p>理解がよい人もいればそうでない人もいる。</p><p>&nbsp;</p><p>自分はどうなのか。。よくわからない。。だが不安で困っているのは確かです。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>この不安は不安症なのか一般人で不安になることなのか。</p><p>&nbsp;</p><p>10/8以降、体調もよくならない。</p><p>体調不良で仕事辞めたのは2018/1/15だ。もうすぐ2年なろうとしてる。ほとんど家で寝るしかなかった。</p><p>しんどいから、治らないからと毎日病院行くわけにも行かない。</p><p>&nbsp;</p><p>今年の夏まで地元の個人病院に通院してたが、約1年半働けず治らないので大きい病院へ紹介してもらった。</p><p>その大きい病院の先生が20年前からお世話になっている先生だ。</p><p>&nbsp;</p><p>9/3久しぶりにその先生にお会いした。カルテをみたら12年ぶりくらいだったようです。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>普通に考えて約1年10か月も家にいたらそりゃ具合悪くもなるわな。</p><p>人間はいろいろな人と接して生きなきゃいけない。</p><p>&nbsp;</p><p>どうして医師も看護士も『動いて人と接したほうがいいよ』と言ってくれなかったのか。</p><p>家族や友人が当たり前ように言ってくれることなのに。</p><p>医師の考えもわかる、『動けないから動いてないのだから仕方ない』</p><p>&nbsp;</p><p>動きたくても動けない人の立場からすると急かされないから助かる言葉。</p><p>&nbsp;</p><p>1年も動かないと心身に悪影響及ぼす可能性があるなら、なぜ動いたほうがいいと言ってくれないのか？と思ったりもする。</p><p>そこまで家族のようにすべてのケアできないものなのだろうか。できないなら、そこまでできない旨をどうして話してくれないのか。</p><p>&nbsp;</p><p>そこは個人で判断することなのか。現在の自分ではよくわからなくなっている。</p><p>ひとつ言えるのはもっと早くに動けば良かったということ。</p><p>&nbsp;</p><p>1週間も学校や会社休んだとして、また行くとだいぶ変わったように感じる。</p><p>1週間でさえそれなのに1年、2年ですぞ。</p><p>&nbsp;</p><p>私はこれからどうなるのであろうか。このまま死んでいくのだろうか。復帰できるのだろうか。</p><p>親孝行できずに終わるのだろうか。親が弱ったとき自分が対応できるのだろうか。</p><p>この歳でこんなブランクあって再就職できるのだろうか。ブランクできないような過ごし方まで医師は考えてくれないのか。</p><p>そんなことまで知らないってことなのか。病気を治すのが医師の仕事であって現在やその後の人生は医師にとってどうでもいいことなのか。</p><p>働けない場、これから先のお金どうしようか、どうやって生きればいいのだろうか。</p><p>親がいなくなったらこの家どうなるのか。リフォームとかどうするのか。庭はどうするのか、自分で考え判断できるだろうか。</p><p>働けないと市の民生委員さんなどがたまに訪問するのだろうか。自分には関係ないことだと軽視してた。</p><p>10/8までそんなこと考えたこともなかったが急にそあり得ない話ではないと気づき不安になっている。</p><p>&nbsp;</p><p>いつかよくなるどろう。2週間分の薬をもらい我慢。その繰り返しで仕事をやめて約2年。</p><p>2週間待つのも焦りはなかったし、親もまだまだ大丈夫だと根拠なく安心していた。</p><p>急にそんなことはないと思うようになり、すごく焦っている。</p><p>&nbsp;</p><p>救急車を呼んだ日、自分はこのまま意識を失って死ぬんじゃないかとその時思った。</p><p>なにも孝行できず、終わるのか、そう思った。</p><p>それから親の顔や手を見て老いているのにすごい不安を感じる。</p><p>自分もまだまだ若い大丈夫と根拠のない自信があったから不安はなかったけど、よく見るとシワやシミがあってどんどん日々急に猛烈に老いている気がしてする。</p><p>&nbsp;</p><p>老いた人をみても、禿げて白髪になった自分をみても、それは順番だから仕方ないと不安に思わなかったが、いまはとてつもなく不安です。</p><p>いつも年上の誰かと比べて、あの人がまだこのくらいだから自分はまだ大丈夫と思っていた。</p><p>野球などを見ると、もう自分の年齢の選手はほぼ引退し、監督やコーチになっている年齢だ。</p><p>最近スマホでニュースが勝手に入ってくるからテレビを見る機会がめっきり減ったが、テレビを見ると知っている人が皆老けたと感じる。</p><p>&nbsp;</p><p>なにやってもうまくいかないのは不調だからと根拠なく思っていたが、老いなのだろうかと思ってしまう。</p><p>将棋してもパズドラしてもぜんぜん上達しない。若い子は日を追うごとにに成長してる。</p><p>&nbsp;</p><p>強迫なのか不安が強いのか寝てばかりで脳使わな過ぎて馬鹿になったのか、ストレスばかりで脳細胞がいっぱい死んだのか。</p><p>よくわからないが、パッと見たものがわからないと感じると勝手に不安になる。不安だとそれを事柄を理解したくなる。理解することで不安を解消しようとするが、理解しようとしても次々不安に感じたり、なにを理解しようとしているのかすら分からなくなったり。</p><p>&nbsp;</p><p>簡単な数字を数えたり、物事を理解するのができない。</p><p>&nbsp;</p><p>そういうのが多発し、心身が不調すぎて、通院じゃない日に病院の外来へ電話した。こういうことは人生初である。</p><p>何度か電話したが、対応する看護士はこうだ。「いまのお薬のまま様子をみていただいて外来の日に先生に話してもらうしか。。」</p><p>&nbsp;</p><p>そう言われたそうするしかないし、耐えるしかないよね。。</p><p>これこれこうなんです、って話してもあまり相槌を打ってくれない人は聞いてるんだか聞いてないんだか、と思ってしまったり。</p><p>はいはいと聞く人もいるけどそれに対しすべて答えてくれてくるわけじゃないし、落ち着いてもらう為にハイハイと傾聴してるだけで内容聞いてないんじゃないかと思ったり。常にネガティブな考えが付きまとう。その都度どうなんですか？って失礼で聞けないし。大丈夫聞いてますって本心があるなら言って欲しい。もちろん嘘でそんなことは言ってほしくない。でも自分からは言えない。今後の関係に悪影響を及ぼしかねないから。</p><p>&nbsp;</p><p>親についどうなんだろと聞いてします。看護婦さんは仕事だしちゃんと聞いてるよ～と答えるが。半ば納得するが本当にそうだろうかと半信半疑のまま。</p><p>&nbsp;</p><p>適当な人もいるかもしれない。でもきちんと誠心誠意してくれてる方にそんな疑いの目でみて、その方々にガッカリされたら大事なものを失う。看護士、医師もそうだし、世の中すべての人にそれは言える。普段人を疑って生きていないが慎重になってしまう。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>「GWに40度の熱1週間と蕁麻疹でたり、結石なったときも自分で対応したんです」「それが今回は親に付き添ってもらったりそれだけしんどいということなんです」と話しても、そうなんですかという返事もないと、看護士さん大丈夫かな。。無関心かな。。と感じたり。電話だし表情も見えないから自分の思い込みかもしれないけど。相手が親身なって聞いてたらそれは申し訳ないことで、ちゃんと聞いてるの？なんて言えないし。あまりに多くのことを求めすぎているのかな。そんなこと人生で幾度となく病院にかかったけど、そういう思いになるのは初めてに近いと思う。いつも思っているのではないと言いたいのです。そこまで敏感に捉えてると看護士さんのほうも思ってないのかな。</p><p>&nbsp;</p><p>体調まあまあで働いてた頃、月１回病院へ行き、医師に慌てないで治しましょうねと言われると、あ、そうだなと思って、過ごしてきた。たった数分の診療と薬もらってもそれがベストだと何も疑わなかったから。またひと月待たなければいけないという感情もなかった。不安もなかった。病院への不満もないと円満にいく。約2年前まで仕事や趣味に没頭しながら強迫性障害と向き合って過ごしてきた。余計な心配はなかったから病気だけ治すことに気を配ればよかった。強迫は大変だし仕事で気を配ることはあっても、それ以外で医師がどうとか看護士さんどうとか言う余計な心配がないのはめっちゃ楽である。それこそが最大の薬だと自分は思うのだけれど。。</p><p>&nbsp;</p><p>なんで？を解消するのが安心に繋がる。病気だったら、『なんで？』を解消しても新たななんで？が無数に発生する気がする。</p><p>不安になりすぎて後者も今はある気がする。前者だといいのだけどとは思う。でもその『なんで？』を解消する方法がわからない。看護士さんなどにあのときなんで返事してくれなかったの？無関心？正直に話して、なんて言えない。正直に話してと言ってもウソつきは正直に答えないし、立場上、実際そう思ってなくてもちゃんと聞いてますよ答える人もいるかもしれない。本当に真剣に聞いてくださる方もいるのにそのような質問したら、なんて人なの！？と真剣に聞いてくれてた人まで離れていってしまうかもしれない。どうやって解消したらいいのだろうか。</p><p>その解消の答えが薬だとは思わないな。不安はやわらいでも事実かどうかは聞かないとわからないことだから。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>明日28病院へ行くがこの前病院へTELしたら担当の先生が電話にでてくださって、入院を勧められた。</p><p>よくなるならそれがいいと思う。精神病院に入院したら、なんかもっととんでもない世界に連れていかれるようで。</p><p>そんなわけないと思いつつ心配する。先生を信頼しつつもどこかで実は〇〇なんじゃないか？と疑ってしまう。</p><p>実は地位だけ　実は名誉だけ欲しいのではないのか？いや先生はまたK病院で新患で来た私は、もう再来のみとなった先生は診る予定がなかったにも関わらず、一度診たことあるならと担当医になってくれた。不安になっては安心する根拠を探したり、やっぱりそうは言ってもと疑ってしまったり。いくら本当のこと言っても自分は疑っていてはキリがない。信じるしかない。でも信じて違ったらとてもガッカリする。信じたい気持ちともし違ったらの気持ちの往復で答えがでない。なんだかんだで20年薬のんだ。セルシンとアナフラニール、セルシンとトリプタノールになりルボックス、セパゾン、ワイパックスになったとき26歳ぐらいであろうか。そこで薬はほぼずっと変わることなく40歳ぐらいまできた。</p><p>眠くて仮眠とったのに自損事故起こしたことがあった。あのとき実は薬の副作用多分にあったのかもしれない。口が乾くということはあったが生活困る副作用はなかった。薬のむ前はいつも手足はジメジメしてたが23歳から薬のむようになってからは手足がサラサラがだった。自律神経が安定したのかな。41歳くらいからか、休日に強迫観念が強くなってからときどき症状が出始め仕事がしんどくなってきた。41の夏頃に退職する旨を伝え、翌年の1月に退職する。しんどくなった頃から不調を訴えて病院で薬は行く度にいろいろ変更されることとなった。</p><p>&nbsp;</p><p>先生は見ないけど前の病院でなんの薬使ったとか何故知ろうとしないのか。知ったほうが参考になるのではないのかな。。</p><p>エビリファイだされて物が飲み込みにくく、ろれつが回らなくなったこと知ってるのかな。知らないでまた出されて大変なことになるの嫌だし。。</p><p>この世の中のシステムどうなってるのか。こんなネットワーク進んだ世の中なのに、情報の共有しないのだろうか。</p><p>&nbsp;</p><p>パキシルだって以前のんだことあるし。</p><p>&nbsp;</p><p>看護士が以前もらった薬で対応できれば、というから前もらった薬で飲み忘れとか早めに病院行ったことででた余りとか、たくさん捨てたけど、新しい分は捨てずにあったから薬品名話したら、うちで出した薬じゃないですよね～って。それ前提で話してたんじゃないのか。</p><p>精神科で出す薬だってそんな他とそんな違うことあるんかい！？と思ったけど。。合うのがあればそれでいいんじゃないの？消費期限きれてたよしたほうがよいかもしれないけど。じゃあ以前もらった薬でって言わないでよ～。対応できるかと思ったから話したのに。種類そんな多くないだろうし、mg違うならあきらめればいい話で。</p><p>&nbsp;</p><p>過去の履歴参照して欲しい。先生とこ来る前過去2年はいろんな薬ためしてきたんだし。知らないで試してダメでしたっていうのが時間の無駄ならしないほうがいいと思うし。履歴参照しないほうが良い理由があってそうしているのなら説明してやって欲しい。</p><p>2週間試してダメ、では減薬、はい次。どんどん時間ばかり過ぎる。もう来年44歳です。いつか治ると楽観的に生きてきたけど流石にもう後がないと感じてる。19歳で手遅れっていう医師もいたのに。慌てないでと言われても慌てるさ。もう孫産まれたって人もいておかしくない年齢。</p><p>信じて治ったらで間に合うって思ってたけど、結婚ももう無理だし、こどもだって。それどころか仕事も。。バイトと派遣社員みたいなところでしか働いたことしかないし。今思うとまだ間に合うという認識は間違っていたように思う。</p><p>いったい自分はどうしたらよかったのか。もう老いてくだけなのに20代30代と違ってきっと伸びしろなんてない。できるだけこれから努力するけど。何故か白髪になっても禿げても不調だからで治ったらある程度回復すると思っていたところがった。今思えばもう戻ることはない。不調ではなくそうい年齢なのだ。と我にかえったら人生輝ける時間なんてほとんどないということに気づいた。性欲も薬のせいか弱かったし、いまじゃもう。。</p><p>&nbsp;</p><p>これから治ったしてあとなにかこれから資格とれるだろうか。だいたいこれから治るのにどのくらいかかるのか。昔の軽い状態に戻るのだってどのくらいかかるのか。しびれて運ばれる以前の状態に戻るのにどのくらいかかるのか。</p><p>&nbsp;</p><p>友達とも疎遠。みな家庭あるし。。ひとりぼっちだ。話す人もいない。こんなややっこしい面倒な話聞いてくれる人もいない。</p><p>だれか分かって欲しい。</p>
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<link>https://ameblo.jp/haru-nothing/entry-12539975647.html</link>
<pubDate>Mon, 28 Oct 2019 02:19:43 +0900</pubDate>
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<title>2019/10/27</title>
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<![CDATA[ <p>久しぶりにブログを書こうと思います。</p><p>&nbsp;</p><p>10/8朝、目を覚ますと、ものすごく静かに感じました。</p><p>&nbsp;</p><p>感覚がおかしいと感じ寝床から１階に降りると、手と頭がビリビリしびれはじめ</p><p>膝をつきました。</p><p>&nbsp;</p><p>家族が救急車を呼んでくれました。</p><p>血圧は驚いたせいか上は180ほどありました。</p><p>&nbsp;</p><p>自分で歩いているけどフワフワ浮いてるような変な感覚。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>救急車が到着。どこに搬送するかで30分ほど発車しません。</p><p>&nbsp;</p><p>&nbsp;</p><p>-----------------------------</p><p>私は物心ついた頃には強迫観念のつよい子でした。</p><p>20歳の頃、弱い腹痛で内科へ行き、検査の結果なにもなかったのですが、</p><p>病気への恐怖が強く、あれは大丈夫ですか？これは大丈夫ですか？とあれこれ医師に聞くと</p><p>私の珍妙な不安に医師はお手上げ、なんでこいつは言ってもわからないんだという目を向けられ、</p><p>医師との関係は悪化し、はじめて精神科を紹介されました。</p><p>&nbsp;</p><p>なんで自分が。。普通の若者と同じ青春したい。どうしてこうなったと、置かれている状況に涙しました。</p><p>内科の医師はなぜ安心させること言ってくれないのか。そう言ってくれたらそれで終わっていたんじゃないのか。</p><p>とずっと心にありながら生きてきました。真相はわかりません。</p><p>&nbsp;</p><p>現在43歳になりますが19歳の自分に「あなたのような人は悩んで27歳くらいなったら死ぬ」「19歳でそんなこと考えてたら手遅れ。小学生ならまだしも」と言われました。その医師はきっとそんなこと言ったことはすぐに忘れたんじゃないのかな。</p><p>&nbsp;</p><p>27歳までビクビク過ごしたし、なんで死なないのそんなこと言ったんだ、医師の言うこと信じて真に受け、不安を煽られた人生をどうしてくれるんだと思いました。あの時やさしく良いアドバイスをしてくれたら人生は変わっていたんじゃないのか？と思いながら生きてきました。</p><p>&nbsp;</p><p>最初はやさしくアドバイスされていた記憶もあります。それでも不安が止まらずあれもこれも大丈夫ですか？と私が訴えたので、医師も堪らず、怒りを抑えきれず発言してしまったのかもしれません。どっちが悪いのか、いまでもよくわかりません。</p><p>&nbsp;</p><p>------------------------------------</p><p>&nbsp;</p><p>自分は強迫性障害です。昔は不安神経症、強迫神経症、あえて言うな強迫性障害と病名は医師から伝えられたことはほとんど記憶にありません。なぜなら病名より治ることが重要だからと医師に言われました。これは分かる気がします。しかし病気のことを伝えなきゃいけない状況もあるので病名は欲しいところです。面接の際、会社に伝える際など病名がわかると説明しやすいので。そういう意味で病名は知りたかった。いまは医師から「それ強迫だねぇ」と会話でてくるので強迫性障害なんだと理解しています。強迫性障害の本に書いてある特徴的な症状のほとんどをこどもの頃に経験していました。</p><p>&nbsp;</p><p>-------------------------------------</p><p>&nbsp;</p><p>強迫性障害の治療は抗うつ剤などを用います。</p><p>&nbsp;</p><p>その薬を飲んでいたが為に、近隣の市民病院２件では搬送受け入れを拒否されかかりつけの精神科へ運ばれました。</p><p>&nbsp;</p><p>精神科に運ばれるということは、特別な感じがあり嫌な気分でした。一般人が倒れたら近隣の病院へ運ぶやん？</p><p>抗うつ剤を飲んでいる、精神科に通院しているというだけで、精神科のない病院への搬送拒否されたりするのは『周りから自分は一般人と認識されていないのか』と大変落ち込みました。それに精神科以外で治すべき疾患で倒れたかもしれないのに精神科に限定されるのか、本当に悲しくなりました。この世のシステム、決め事がそれで正しいのかよく分からなくなりました。</p><p>&nbsp;</p><p>なぜ私が折角の人生をそんなことで翻弄されなければいけないのか。そういうことでガッカリさせられなければいけないのか。</p><p>ほとほと疲れます。こんなことに関わらなければなとよく思ってしまいます。</p><p>&nbsp;</p><p>強迫性障害で悩むのは自分の問題ですので仕方ないとは思います。しかしながらそれ以外のことで心を疲れさせたくない、そう思ってしまいます。</p><p>&nbsp;</p><p>------------------------------------</p><p>&nbsp;</p><p>救急車内では血圧は135の90ぐらいに落ち着き痺れも収まってきました。</p><p>&nbsp;</p><p>病院に着いた頃には自分で歩き診察へ向かいました。</p><p>&nbsp;</p><p>医師の診断は飲んでいる薬の副作用とのことでした。結果的に精神科に運ばれ、原因がわかって良かったのかな。</p><p>&nbsp;</p><p>疑問もあります。</p><p>&nbsp;</p><p>今年のゴールデンウィーク、40度近い熱が１週間続き、蕁麻疹が体中にでました。そのとき市民病院へTELし病院へ向かいました。行くと血液から尿からMRIから調べられましたが原因は不明でした。治らなくGW中にまた来なさいと言われ３回行くこととなりました。</p><p>治らなくてしんどっ、と思うことはあっても、なんでそんなことになる？という変な疲れはないの気楽です。</p><p>&nbsp;</p><p>今回運ばれてもなにも検査もありません。行ってすぐ「恐らく薬じゃないかな～、点滴はしないぞ」と笑顔で先生が話す。</p><p>かかりつけの信頼できる先生なので安堵もしましたが、不安もありました。</p><p>&nbsp;</p><p>どうして検査しないんだろう？</p><p>その薬以外が原因で具合悪くした可能性ないのか？と。</p><p>&nbsp;</p><p>-------------------------------------</p><p>&nbsp;</p><p>その日はそれで帰宅し、飲む薬のmgを減らすことで回復を図ることとなりました。その薬は突然薬を断つと良くないらしく、徐々に減らさなければならないとのことでした。50mgを40mgにし、10/15の通院時には20mgに減らしました。</p><p>10/27現在、起床時しびれは回復、体のこわばりはだいぶ回復しました。手足の発汗は常時、起床時はTシャツが汗だくになってます。足先はジンジンする感じ、目はチカチカします。まさか急に止められない薬は処方されているんなんて知らなかったしショックでした。</p><p>なぜリスクを事前に教えてもらえなかったのか。その先生とはもう20年くらい前からのお付き合いがあります。</p><p>&nbsp;</p><p>その先生と21歳ぐらいに出会うまで自分は医師に翻弄され本当に地獄を味わいました。19歳～20歳の間にS内科、S内科の紹介でM病院という精神科へ。初めて会う医師にすぐ解決するもんじゃないだろ、と言われ、『俺の何がわかるんだ』と不信感に陥り、自分で大きい病院がいいと思い大学病院へ。事前に若い医師かカウンセラーのような人に聞き取りされ一生懸命話すが担当の医師からでた話の内容は最初に聞き取りで話したことと違った。伝わってなかったことに落胆した。再診で２週間後いってもまた１から話さなけばいけない。医師はとっくに忘れているので落胆は日を追う毎に増していった。メンタルの疲弊はずっと抱えているのでとても疲れました。なんだよ、話忘れたらその事についての不安やその事について知った前提での話ができないじゃんよ！とハッキリ言える環境ならストレスは解消できたかもしれない。が、世の中の仕組は先生様様で文句言うやつはおかしい、という感じで世間は見るし、先生側の立場から考えると診るのは多くの患者さんなので自分の事覚えててというのは不可能なのかもしれない。覚えてることが不可能ならそれは難しいこと言って欲しいものだ。</p><p>&nbsp;</p><p>その頃から言いたいことも言えずハイ、ハイと聞かなければいけない現状にストレスはMAXでした。もっと話したいと大学病院から個人病院を紹介してもらう。だいたいそういうときこう言うのだ。『いい先生だから』と。経験上、そうして紹介されたからといっていい先生だったと思えることだけではないというのが現実だ。だいたい紹介するのって医師同士で繋がりあるだけなんじゃ、と思うこともある。本当によいと思って言っていると信じたいけどさ。。医師の心のうちがわからなくて非常に疲れます。</p><p>&nbsp;</p><p>普通にこどもの頃、風邪などにかかり医師と話してもそんなストレス皆無だったのにどうしてこんな状況になってしまったのか。。</p><p>余計なことでストレス感じたくないというは当時からの課題でした。医師を信じられない自分が悪いのか、そういう環境つくった人々が悪いのか、ほんと辛い。</p><p>&nbsp;</p><p>個人病院のNクリニックでは話しましょうねと医師が言うが、自分のが19でS内科に通ってから溜まった何故はノートに10ページぐらいにのぼりました。それだけ抱えてしまっていたのです。それを不安で整理できずコピー用紙に書きなぐり医師に渡しました。次回の診察でこう言われました。もう今日アドバイスしたし、話すことはない、薬は出しますと。『話が違う。どこがいい先生なんだ』と落胆しました。もうこの世の中そんな医師しかいないのかと絶望しました。大学病院頼まで行ったしもう頼れる病院、医師のあてもありません。こんな状況に追い込まれるとは思ってもみませんでした。</p><p>&nbsp;</p><p>そんな最中、親が県総合精神福祉センターという場所をみつけてくれ、私はわらをもすがる思いで訪ねました。そこでお会いしたのが現在お世話になっている先生です。ほんの十数回のいろいろな病院での出来事をその先生に嫌われないよう恐る恐る話し、医師に対しての辛かったことを解消するまで２年ほどかかりました。なにせ、ここしかあてがないし、心の疲労もこれ以上は耐えれそうにないというところまで追い込まれていましたから、その先生と打ち解けるのも慎重に慎重を重ねざるをえませんでした。</p><p>&nbsp;</p><p>なんという辛い時間の使い方でしょうか。このよいうなことはどなたにも起こって欲しくはない。そう思います。医者の対応十数回受けただけでここまで追い詰めら、途方もない時間とストレスの日々を送ることになったのです。</p><p>&nbsp;</p><p>その先生のおかげで絶望の淵から復帰できたのかなと思っています。ここまで肝心の強迫をどう治すかということではないところで約3年も費やしています。ほんと悲しい。</p><p>&nbsp;</p><p>こうして現在の先生に出会い、強迫観念は次々生まれきりがないし、納得した上で薬も用いて治癒を目指そうとなったのです。</p><p>&nbsp;</p><p>その時の話がこうです。薬は健康な人が飲めば変わりない。不調の人が飲めば回復すると。</p><p>回復したらやめればいいし、とその先生のいるN病院へ行くことになりました。</p><p>&nbsp;</p>
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<link>https://ameblo.jp/haru-nothing/entry-12539898945.html</link>
<pubDate>Sun, 27 Oct 2019 23:14:09 +0900</pubDate>
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<title>あるがままの心で</title>
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<link>https://ameblo.jp/haru-nothing/entry-12462714157.html</link>
<pubDate>Mon, 20 May 2019 21:40:39 +0900</pubDate>
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