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<title>思想部屋</title>
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<description>その辺の女子大生が好きなこと言ってます。</description>
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<title>カタチだけ文化</title>
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<![CDATA[ 先日っていっても先月か、ハロウィンが話題になってて、ああもう次はクリスマスで、あと２ヶ月で一年も終わりだね～なんて話をする。時間の捉え方大雑把過ぎるでしょと思ったが、今日のところはおいといて、タイトルに入ろう。<br><br>ハロウィンとクリスマスについてだけとりあえず話すと、まあ日本特有の輸入行事の一つだと思う。ただ、この輸入の仕方がまさに中途半端で、ハロウィン＝仮装行事、クリスマス＝手羽先にケーキみたいら部分だけとってきてしまった感じ。これらのイベントを盛大に楽しんでる少なくとも半数以上はその根源の意義なんて知らぬやろって思う。海外メディアに白い目を向けられているとも知らずに…。本人たちが楽しんでいるんだからいいじゃないかと言われればそれまでだが、これらに駆り立てられて生きている人を見ると心苦しく思うのも事実。どうしても日本人は皆一緒で同じことで楽しまないと気が済まない精神持ち合わせているから分からなくもないが、なんでか人一倍楽しんでいる自分を競うかのようにコスプレに多額なコストをかけ一日を過したりする。クリスマスどう過ごす？見たいのが話題にでるのもまさにそれで、なんかこの一日にかけて一年生きてるの？ってくらいな必死さを感じて大変そうやなあと、なんとなく思ってしまう。で、「とりあえず一日バイトだけど、コンビニすいーつくらいは買うかな」といってる友人もいたけど、そもそもスイーツ食べる日でないからね。イベントとか文化に対する真髄なんかより、上辺のカタチを実行することに追われて、ねえ。とりあえずイベントを楽しまなくては死ぬんじゃないか位の必死な人が多すぎてちょっぴり気疲れしてしまう（まあ私一人だけだったら何も問題ないけどね）<br><br>さて、クリスマスと言えばケン○ッキーのＣＭなんかでお馴染みの竹内まりやさんの『すてきなホリディ』が流れ「クリスマスが今年もやってくる♪　悲しかった出来事を消し去るように♪」って耳にすると思うけど、同じ竹内まりやさんの曲で『毎日がスペシャル』ってのがあるんだけど、良いとても。今日が特別でない何でもない一日だとしても、実はすごく大切だって。"everyday is a special day "がキーワード。<br><br>皆と一緒の特別な日に振り回されて疲れてしまうくらいなら、何でもない（ようにみえる）毎日に自分なりの特別をみつけて生きる方が幸せな気分になれるのでないでしょーか。素敵な一日を。
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<link>https://ameblo.jp/harukaedeka/entry-12093845750.html</link>
<pubDate>Tue, 10 Nov 2015 00:47:18 +0900</pubDate>
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<title>許せない病</title>
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<![CDATA[ <br>真面目な人に限ってというか真面目だからこそこの病に冒されている人間を最近よく見る<br><br>真面目な人って自分の弱点に対してとてつもないコンプレックス持っていて、必死で努力して克服するから<br><br>どうも私のようにちゃらんぽらんにテキトーに生きている人を見ると許せないらしい<br><br><br>例えばある資格試験に対し自分は一日何時間も真面目に勉強しているのに、お隣の子は毎日遊び歩いている<br><br>あいつは絶対将来不幸になるんだ（だって自分はあいつと違ってこんなに努力しているんだから）<br><br>とか思い始めたらとまらない。<br><br><br>自分ばかりこんなに身を削っているのがどうも許せなくなる。さらに、そいつが幸せそうな顔していると理不尽だと始まる。<br><br>困ったことに。<br><br><br>もっと酷いのは自分は周りより出来る奴だとか（上だ）とかようわからん自信につつまれてえばってるやつ。<br><br>ここまでくると許せない以上に見下してくるから、まあ自分を棚に上げたくてしょうがないらしい。<br><br><br>で、自分より上っぽい人をみて急に悲観的になったりするから厄介この上ない。<br><br><br><br><br><br><br><br>もう少しテキトーに生きてていいと思う。誰かに認められたい努力ならしなくていいと思う。<br><br>昨日紹介した内田先生もおっしゃってたけれど<br><br>もし自分に学校サボる時があったら、サボってる人に対して「まあそうゆうこともあるよね」<br><br>って思えるし、道端で騒いでる学生見て「うるせえ」と思えばなんか不愉快だけど「楽しそうだな」って微笑んでる方が気分良いし<br><br><br>なにって、自分に厳しい人間は人にも厳しいから寛容の精神がまるでない<br><br><br><br><br>自分の欠点を克服するよりも、自分の欠点を認めてあげることで<br><br>他人の欠点も許せる心の広い持ち主になれるのではないでしょうかー。<br><br><br><br>欠点を直すより欠点と上手く付き合う方が生きる上で効率も良いしね
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<link>https://ameblo.jp/harukaedeka/entry-12092304301.html</link>
<pubDate>Thu, 05 Nov 2015 21:51:43 +0900</pubDate>
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<title>移行期を生き延びるために</title>
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<![CDATA[ <br>今朝、ＳＮＳをチェックしてたら偶然にも大学で内田樹さんの公開講演がある事実を知り<br>全休ＤＡＹでしたが大慌てで学校に向かった。<br><br><br>もとは好きな先生の授業で引用されていた著書『下流志向』から読み始め、そこからすっかり内田論の虜となった。<br><br>どの著書のどの部分を読んでもストンと落ちる心地よさがたまらない。<br>確かに、歴代にして人々に影響を与えた論者は世界にも日本にも沢山いるが、<br>これほどに“現代”を上手くさばける方は貴重である。<br><br><br>大体の研究者は狭く深くが基本なので、広い視点でロングスパンで物事を語れる、つまり全体を良く見渡せる論者はなかなかいない。残念なことに。<br>タイトルはそんな内田先生の講演のタイトルをそのまま抜き取ってみた。<br><br><br>特に面白く感じたお話をいくつか紹介しよう。<br><br><br>・全国紙の危機について<br><br>先生は某新聞界者からの仕事を受け行なっていたそうで、その新聞社についてのお話。実は購読者が年間５万部減っているそうで、これは大変な危機じゃないかと。しかし、新聞社側の言い分であると「８００万人の購読者だから１６０年かかるから問題ないと」…（笑）そして、翌年には８倍もの部数が減少していたそうだ（笑）それでも新聞社側は「うちは不動産があるから大丈夫だ」と言っていたそう。とんでもない事態が起こっている。<br><br>ネットは普及しているがネットは自分が知りたい情報を深く知るには役立つが、知りたくない情報が入ることはまずない。酷く狭いものの見方になる。何より一人ひとりが、自分の知り得たい情報のみ得るので、全国民が共通して認識する事実が薄れたしまう。これは大変だ。国民間で共通認識がなくなり、何がどこで起こったのかを正確に知り得なくなってしまう。新聞だけは、その情報の多様性を保っていたはずだと<br><br>そして何より怖いのはメディアはその情報の有効性は語らない。メディアが崩壊することはメディア自身が語らないということだ。<br><br><br>・経済成長について<br><br>シンガポールであれば経済成長しか国家を維持するモノがないと言われればそれまで。彼らには、資源がない。しかし、資源が豊富な日本で、同様に経済成長を求め続けることが果たして有効なのか。グローバル資本主義は国民国家を解体する…（このあたりの話は内田さんの著書を読んだ方がわかりやすいだろう）<br><br>ちょっと余談だが、『脱・成長神話』武田晴人（朝日新書、２０１４）もなかなか近い論を提唱している。経済成長＝富　という前提の下、経済学なり商学なりで学生は学ぶだろうが、そもそも成長し続けるということは不可能である。今後意義を見出すのは持続性であろうと。経済成長と言う一元化された言葉に国民が総じて振り回されてきている実感がわく。<br><br><br>現代はあるフレーズからフレーズへと移り変わる時期であると、だからこそ従来のパラダイムでは解明できないことが起こって当然。自身の経験からあり得ないではなく、どうしてあり得るのかを問うこそが知性である、と。<br><br><br><br><br><br><br><br>…ああこれ書いてたら霧ないなあ…<br><br><br>とりあえずこうしてあなたは私の文章読むくらいにはヒマな時間を携えているのだから、是非一度内田さんの文章に触れてみてほしいと思う。まさに、現代人が共有しておかなければならない認識や危機が散りばめられているし、きっと何か人生の役に立つヒントがあるでしょうと。読んで無駄な時間を過ごしたなんて絶対思わないので、是非。<br><br><br>熱心な学生の長い質問で、先生とお話しする時間は無かったが、なんとかサインは頂けた。<br><br>普段文章を介して接する人物を、お目にかかり声を聞いてお話を伺うのは感激ね。良い日だった。<br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/harukaedeka/entry-12092007241.html</link>
<pubDate>Thu, 05 Nov 2015 01:12:01 +0900</pubDate>
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<title>「口を動かす」の効力</title>
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<![CDATA[ 中学の時の部活の顧問がまあ仕様もない冗談もくそ真面目な話も良くしていたが<br><br>これだけは今も記憶に残っている。<br><br><br>ストレス解消法の原則、「口を動かす」こと。<br><br>１．歌う<br><br>２．食べる<br><br>３. 話す<br><br><br>歌うのは、あるあるかな。テスト前とかにカラオケ行きたくなるやつね。で、後悔するやつね。<br><br>食べるのは、女の子は太っちゃうからなあ…。<br><br>話すのは、実はこれが一番大事だと思う。<br><br>なにかもやもやを感じた時、何にでもない「とりあえず誰かに話す」が本当に近道だったり。<br>解決策は見当たらなくても、身体からその悩みを外に吐き出す、これだけで違う。<br><br>どうせ他人に言ったって分からないし…というのは<br><br>そもそも他人に分かってどうとなるものでもない。ねえ。<br><br>だから、悩んでそうな人見たら「ご飯行こう～」と声をかけてあげましょう。話す、食べるでダブルの効果。
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<link>https://ameblo.jp/harukaedeka/entry-12091642095.html</link>
<pubDate>Wed, 04 Nov 2015 01:54:54 +0900</pubDate>
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<title>お裾分けの美学</title>
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<![CDATA[ <br>私が行きつけの本屋にはカフェも併設されていて、本を買えばカフェで使える５０円引きのクーポン券がもらえる。<br><br>まあ、よくある今時の本屋なのだけれども。<br><br><br>遅い時間帯にある授業が休講になり、突如自由な時間が手に入ったわけで、すぐさまその本屋で時間を過ごした。<br><br><br><br>ぼちぼち課題をまとめ、一息ついていた頃<br><br>突然見知らぬ年配のおばさんが私のもとにやってきて<br><br>「これ良かったら」と一言、そのクーポン券を置き、私が顔を見て礼を言う間もなくそそくさと立ち去って行った。<br><br><br>あまりに自然な流れ過ぎたので私は「？？」でその一瞬は過ぎたが<br><br>よくよく考えるとこれは幸せに生きる一つの知恵に関係していると思う。<br><br><br><br><br>日本の言葉で、「お裾分け」というものがある。<br><br>辞書的にはもらい物や利益の一部を他の人に分け与えることとなっているが、<br><br>要するに衣服の「裾」、メインでないけどちょっとばかりのもので<br><br>「つまらないものですが・・・」といって渡すようなもの。<br><br><br><br>きっとこのおばさんはその習慣が根強いているのだと思う。<br><br><br><br>ちょっとでも良いことは人と分け合おうの精神、これってとても大事なんじゃないかと思う。<br><br><br><br>大きい話をしてみよう。<br><br><br>現代では、自分で自分が生きる為に稼いで自己実現を果たす事が「自立」した生き方と考えられている。<br><br>そして経済学的に言うと、余剰はあればあるほど良い（求める利益を超えていても）と言う話。<br><br><br><br>・・・わかってはいるけどなんかなあと思う<br><br><br>欲しいものは何でも自分で手に入れるのは正しいと思うし、必要なことであると思う。<br><br>けれど、人って自分が大して欲しいものでなくたとしても、人からもらったものって嬉しく感じたりする。<br><br>あげた方も、なんか人にしてあげたって良い気持ちになる。<br><br><br><br><br>でもその人にあげるものが多すぎてもダメだと思う。<br><br>いわゆる余計なお世話の重いやつ。<br><br>こんなに頂いたから何かお返ししなくては、と。<br><br>受け取った側は、余計な心配事が増えるかもしれない。<br><br><br><br><br><br>まさしく「お裾」くらいのがちょうどいい。<br><br><br><br>なにも物品だけの話でなく、ボランティアだってそう。<br><br>身を削って支援してるんですなんて言われてみりゃ、<br><br>支援される側は居た堪れない訳で。<br><br><br><br>皆がそれぞれに頑張ってオーバーアチーブした分のお裾を分け合ってたら<br><br>もっと幸せな社会になるだろうなあ。<br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/harukaedeka/entry-12091154117.html</link>
<pubDate>Mon, 02 Nov 2015 19:00:16 +0900</pubDate>
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<title>ゴールが分からないの罠</title>
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<![CDATA[ 全ての事象には必ずゴール（目的）が必要とされる。<br><br><br><br><br>何のために自分はこのサークルに入ったのか、何を勉強するために大学に入りこの学部を選んだのか<br><br>何を解明するためにこの研究を行うのか、どのように社会貢献したいがためにこの企業に就職するのか<br><br><br>この世界は、何を始めるにせよ、目的がないものは価値無いものとされて扱われる。<br><br><br><br><br><br><br><br>でも一つ言えるのは、何をするにしても最終的には“死”というのが全てにおける共通したゴールである。<br><br>これだけは、どんな天才でも覆せない。<br><br><br><br><br><br>自分は死ぬためにこれを始めるんだって思えば<br><br>その一歩踏み出すか辞めようかなんて考えている時間（ヒマ）は無いでしょうに。<br><br><br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/harukaedeka/entry-12090452909.html</link>
<pubDate>Sat, 31 Oct 2015 22:05:51 +0900</pubDate>
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<title>書くということ</title>
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<![CDATA[ 私が書くことを始めたのは小学校六年生頃、ちょうどブログが流行っていたかな？くらいで<br><br>毎晩母親の目を盗んで（ばれていたけど）ＰＣに向かい文字を打つことが一日の一番の楽しみで快感だった。<br><br><br>中学生になると更にどっぷりつかり、自分のありのままの姿を露出しているのはネット上<br><br>そこそこ読者もつき、毎回２０代３０代からの人のコメントがみられた（彼らは記事の作者が中学生であったとは知らなかっただろう）<br><br>でも、成績はそこそこ優秀、部活のキャプテン、生徒会活動どれをとっても無難な“学生”をこなし<br><br>自分で言うのもなんだが、先生の評価で悪い話を出たことはなく、問題ない生徒の模範だったと思う。　　<br><br><br>ただ“受験”という言葉に乗せられるように、さぞ親も心配したのだろう<br><br>ネット依存の娘をなんとかその世界から引き剥がそうとした<br><br><br><br><br>こうして私は書くことから離れて生活するようになった。<br><br><br><br><br>高校～大学２年まで”忙しい“の一言に尽きる人生だった。<br><br>高校は特に、人生で一番時間がなかった<br><br><br>なんせアルバイト週３、４日やりつつの予備校や塾無しの大学受験<br><br>朝四時起き生活。無遅刻無欠席。息つく間さえなかった。<br><br><br>大学入ってやっと落ち着けると思っても<br><br>まあ、正直色々ぶっ飛ばしすぎた。サークル二つバイト二つみたいな。いけるやろって。<br><br><br>３年になって夏を終え、やっと本来のマイペースに戻った。<br><br><br>本来教室の隅っこで本の頁を追い、窓から外を眺め思想を巡らし<br><br>こうして書くことが好きなのだ、結局。それに気付いた。７～８年越しくらいで。<br><br><br><br>だから、もう一度　戻りたくなりました。<br><br>無駄な時間かもしれないけど、私にとって必要だから。<br><br><br>昔のように誰かに響くような文は書けないかもしれない。<br><br><br>とてもオトナになったし。<br><br><br>自己満足でいいから、自分の中に沈む思想を殺したくはない。<br><br>この一心で、辞めたくなったら辞めるけど。<br><br>書きたいという欲求が抑えられない以上、飽きるまで進めてみる。<br><br><br><br><br><br><br>はじめまして、こんにちは。<br><br><br><br><br><br><br><br><br><br><br>
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<link>https://ameblo.jp/harukaedeka/entry-12089726362.html</link>
<pubDate>Thu, 29 Oct 2015 21:35:01 +0900</pubDate>
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